かわって苦しみたい―――死者の月を前に

 

ペトロ 岩橋 淳一

小さな柩には、七五三の日に着るはずであった新調の着物に身を包まれた、2歳半の女の児が横たわっていた。
病理的には解明していても治療法がまったく確立していない難病を患い、そのひとりっ子は逝った。
入院後6ヶ月のことであった。
「神父さま、わたしたち(夫婦)は一生懸命お祈りしました。娘の病気を治してください!それが叶わないなら、娘の代りにわたしにその病気をください! 娘からではなく、このわたしのいのちをお召しください!・・・」
防菌テントの中で多くの管につながれ、人口的に辛うじて、そして必死に呼吸をする女の児。
半開きの眼で両親を追い、焦点を合わせようと、残る力を注ぐ。
「神父さま、病気で苦しんでいる娘をたす救けられないことは、とても苦しいことです。でも、もっと苦しく辛いことは・・・・、娘に代わって苦しめないことなんです。」
両親と医師たちの必死な祈りも施療も適わず、その児は召された。
「神父さま、わたしたちは娘とたった2年半しか一緒に生活できませんでした。でも、今、言えることは、わたしたち家族が、たとえ100年間一緒にいられたとしても、これほど深く充実した愛はなかったと思えることです。2年半は短いのですが、愛は年数ではないんですね。神さまは、失うものに優るお恵みをくださるのだなと実感しています。」
小さな軽い柩は、回りの花にうもれ、お香の芳香に包まれている。
彼女を迎えに多くの天使たちも柩の囲りに集まっているに違いない。
母は最後に七五三の晴着に包まれた娘の襟を指で合わせ、旅立つ娘に母親らしい素振りを示し、娘を笑顔で、天使たちに託した。
満足気な女の児の顔が印象的な葬送の日であった。

(上野教会主任司祭)

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