感謝をこめて

 

フランシスコ・ザビエル 深水 正勝

昨日、5月7日は、私と岩橋神父様の歓送迎会 合同ミサでした。
まだ、その余韻が、耳にも心にも深く残っている今ですが、「うぐいす」の原稿しめきりが迫っており、余韻を味わっている暇もなく、何とか文章にして、この6年間の上野教会に一区切りをつけて、昨日は来られなかった多くの方々にも、感謝とお別れのご挨拶を申し上げなければなりません。
中国センターと上野教会の合同ミサも年に数回と繰り返して続けられるうちに、だんだんと中国語の「あわれみの賛歌」「栄光の賛歌」などは声を合わせて歌うこともできるようになりました。
「説教が、先ず日本語で話されて、朱さんの中国語訳が続くときには、日本語のお話の内容を反芻するときにしています」とおっしゃってくださる方も居ます。
私は、この6年間の上野教会のとても幸せな主任司祭としての生活の中で、中国センターとの合同ミサほど大きな恵みのときはなかったといえます。
合同になると、さしもの上野教会の広い聖堂も狭くなってしまいます。
二階の回廊にまでいっぱいになるときもあります。
このような体験がどんなに貴重なものか私は、これからもしばしば思い返すことでしょう。

御ミサの終わりに、聖堂内で恒例の記念写真がありました。
その前に、簡単なご挨拶の後に、岩橋神父様には歓迎の花束がおくられ、私にも大きな花束とともに、中国センターの皆さんから特別の贈り物がありました。
それは、中国の福建省へ往復の切符代でした。
私もぜひ一度、中国センターの皆さんのほとんどの方々の出身地である福建省に行ってみたいと考えていましたから、この贈り物はとても嬉しいものとなりました。
早速、私の今年のかなり長い旅の終わりに、アモイを経て、福清、長楽、福州の三都市に行き、嘗てこの上野教会でともに過ごした懐かしいかたがとお会いしてこようと思っています。
私が行ってきたら、ぜひ上野教会の皆さんもいつかグループで福建省への旅を実現させましょう。
合同パーテイーには、特別の企画が待っていました。
それは、上野教会と中国センターの子供達を中心としたものでした。
6年前に小学校に入ったばかりだった子供達が今はもう中学生になりました。
人数もだんだんと増えてきました。
中国センターのこどもたちの中でも一番の人気者は、H・S君でしたが、彼は大変な恥ずかしがりやです。
でも昨年の夏の教会学校のキャンプで、一緒に手をつないで山に登った思い出を絵にしてくれました。
その裏には

「ふかみずしんぷさまへ、まえの山のぼりはたのしかったですね。ちがうきょうかいにいっても山のぼりにいったときみたいにげんきでいてください。Hより」。

子供達の歌は、特にこの日のために、S・Iちゃんが作詞してくれたものだそうです。
「一年生になったら」の替え歌です。素敵なので、その一部をここにご紹介しておきます。

きよせのしんぷさまになったら、きよせのしんぷさまになったら
しりあい100人できるかな、100人でいのりたい
すてきなごミサで おもいっきり
アーメン アーメン アーメンと

きよせのしんぷさまになったら きよせのしんぷさまになったら
なかよし100人できるかな 100人でうたいたい
かみさまの歌を おおごえで
るん るん るん るん るん るんと

きよせのしんぷさまになったら きよせのしんぷさまになったら
ともだち100人できるかな 100人でやりたいな
つりに サウナに ジャイアンツ ビールを飲んで のんびりと

きよせのしんぷさまになっても きよせのしんぷさまになっても
うえののみんなを わすれない ぼーくもわたしも わすれない
いつまでたってもおぼえてる
だいすき ふかみずしんぷさま (ア*ソーレ)
だいすき ふかみずしんぷさま (もういっちょう!)
子供達、どうもありがとう!!
そういえば、現在の上野教会の中心になっている人たちも、むかしむかし、子供の頃、上野教会の最初の主任司祭であった、デユレック神父様にとても可愛がられた子供達だったのです。

昨日は、もうひとつぜひ皆さんにもお伝えしたいことがありました。
実は、今年の初めから、私の長い旅の計画の中には、アフリカのザンビアで働いている、久保神父様のところを、もう一度訪ねたいということがありました。
ところが、もう出発の日も迫っているのに、肝心の久保神父様からは、ぜんぜんお返事がなかったのです。
手紙も、電話もファックスも、試みてみたのですが、神父様の働いている奥地には、電話もファックスも無く、ただ手紙が、神父様の教会から50キロも離れた郵便局にやっと届くという所なのです。
昨日の日曜日、手紙受けに久保神父様の独特の手書きの手紙を発見したときには、とても喜びましたが、実は、神父様は、三度目のマラリアにやられて、ご自分の司祭叙階30周年の日には、一人でうなりながら寝ていたということ、さらに病気が治ってやっと町に出かけたら、途中で車が故障してしまい、その修理に三週間もかかってしまったとのこと、さらにやっとこさ町まで出かけて、本部に行ってみたところ、これまで75年間にわたって、ザンビアの宣教を担ってきた、イタリア人のフランシスコ会に代わって、いよいよ現地の、ザンビアのフランシスコ会の人たちが、中心になったために、まだ仕事によく慣れていないため、いろいろなことがうまくいかず、久保神父様の宣教の仕事を支えてくれる、生活費や、病気になったときの費用などまでが貰えなくて、これまで18年間も一人でがんばってきた久保神父様もとても落胆するような状況であったという手紙でした。
でもとにかく、大歓迎だから少なくとも10日間の予定できてくださいということ。
私も、こんなときにはぜひともお訪ねして、神父様を励ましてこようと早速返事を書き送ったところです。
最もこの手紙が、神父様の所に届くのには、何日かかることかと、まるで別世界のような気がしました。

ちょうど、この5月7日の日曜日の福音は、「善き牧者」のたとえの日でした。
「私は、善き牧者。わたしは、私の羊を知っており、羊も私を知っている。私は、羊のために、私の命を捨てる」というイエス様のお言葉です。
イエス様は、このお言葉の通り羊である私達を一人ずつよく知り、愛して導いてくださる牧者。
そして命をささげてくださったことを、私達は、先月お祝いしたばかりでした。
私達、神父は、イエス様から選ばれて、イエス様のような牧者になるように努力しているのですが、悲しいかな、とてもとても無理なことがわかっているのです。
上野教会に来て6年もたったのに、私はどれだけ皆さんのことを知っているでしょうか?
命を捨てる覚悟などといわれると、まったく不安になって、自分の弱さに悲しくなってしまいます。
それにもかかわらず、皆さんは感謝してくださり、今年はすでに一月の御公現の祝日の私の司祭叙階40周年のお祝いの日以来、今日まで暖かな皆さんの心に確りと支えられてきました。
久保神父様の手紙を読んで、思わず、マラリアで一人休んで、叙階の記念を迎えたという姿と比べて、思わずにいられませんでした。
これから始まる私のとても楽しいローマでの仲間達との再会などに加えて、ローマになどとてもいかれないアフリカの奥地で、働いている仲間達をせめて、現地に訪ねて、私に残されたこれからの年月の糧にしたいと思います。
この紙上を通しての私のお話しはこれで一応終わりますが、又、これからの旅のさきから、お手紙を書いてお送りしたいと思います。
あらためて、この6年間、いろいろと本当にありがとうございました。

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