中国センターと、上野教会の皆様へ

 

フランシスコ・ザビエル 深水 正勝

この原稿を準備している今、私は、ちょうど一年前のこの頃、ヴァチカンのお部屋で死を迎えつつ苦しんでおられ、4月2日についにその苦難を経て父なる神のもとに昇られたヨハネパウロ二世を親しく思い出しています。
昨年、2005年の御復活祭は、例年より早く、3月27日でしたから、教皇様は、聖週間から復活祭を経て、その最初の日曜日に多くの人々が全世界から祈りをささげられる中、帰天されました。

白柳枢機卿様は、ローマに行かれていて、4月2日のヴァチカンの新聞、オッセルヴァトーレ ロマーノを求めてお土産にくださいましたので、今私の手元には、4月2日から、26日までのものがあります。
この間に、ヨハネパウロ二世の葬儀、新しい教皇を選挙する、コンクラーベ、ベネヂクト16世の選出と言う大きな歴史的な出来事が起こり、新聞にも記録されました。
4月2日の紙上の一面には、「今日、4月2日、土曜日、21時37分、主は、みもとに、ヨハネパウロ二世教皇をお呼びになりました」と大きな活字が躍り、新聞の最後のページには、「何も恐れることは無いですよ」と言う私たちへの最後のメッセージと共に、ヨハネパウロ二世教皇様のお顔の大きな写真が載りました。
私一人で、こんな貴重な記録を持っているのは、いけないので、今年も4月2日に日曜日から、一週間にわたってホールに展示をすることにしました。

偉大な教皇様の受難と死が、その生涯の師であり、主であった、イエスキリストの受難と死と、復活を記念し、祝う教会の時と奇しくも一致したことは、改めて、ヨハネパウロ二世から私たちへの強いメッセージのように思われます。
それは、私たちのキリスト信者と信仰の中心である、キリストの復活です。
「何も恐れることは無い」と言う私たちへの最後のメッセージは、同時に又、ヨハネパウロ二世ご自身の、深い信仰の宣言でもあったのでしょう。

今年の御復活祭を最後に、人事異動で、清瀬教会に異動することになりましたが、この上野教会報「うぐいす」と中国センターの教友連絡報「友誼之声」を通して読者の皆様にお贈りするテーマは、やはり「主の復活の喜び」です。
振り返ってみますと、この長くも短い6年間の間に、私なりに一番興味を持ち、皆様に何とかして少しでもわかりやすく書いたり、話したりしたテーマでした。
勿論、これからも新しい教会で、新しい人々に対して同じ事を続けていくとおもいますが、「キリストの復活の神秘」を十分に、わかりやすくお話できたとは思っていません。
それどころか、痒い背中を衣服の上から掻くようなことしかできなかったと思います。
立派な死を迎えられた、ヨハネパウロ二世教皇様に限らず、私の上野教会担当中に帰天された11人の方々、中でも小林秀吉さん、岩瀬みよさん、河村勲三郎さん、川原真理さんの受難と死は、教皇様にも劣らない、イエスキリストの復活の証人でした。
皆さんもこのように私たちの身近に会った親しい証人から力強い励ましを受けておられると思います。

私は、神父であると同時に、たいしたものではありませんが、ヴァチカンの神学大学から、ちいさな神学博士号を戴いたものです。
ローマの神学博士は、ドイツのロバだと、笑われるくらいのものですが、やはり生涯にわたって、イエスキリストをより深く知り、人々に言葉を通して、語っていくことが最大に任務であります。
そのためには、自分のだんだん固くなっていく頭だけでは、足りなくて、良い神学者の本をしっかりと読みながら、その助けで少しずつ自分なりの理解を進めています。

このごろ考えていることは、イエスキリストの復活と、この度の私の人事異動ということです。
そんなことに深い関係があるんですか?と思われる方が多いと思います。実は、神父の人事異動ということは、当人にとってもかなり考えさせる試練、人生体験なのです。
少し我慢して、お読みください。

「イエスキリストの復活」を最初に文書にしたのは、使徒パウロでした。紀元50年代に書かれた、コリントの信徒への第一の手紙15章でパウロは、キリストの復活について次のように書いています。
「最も大切なこととして私があなた方に伝えたのは、私もうけたものです。すなわち、キリストが、聖書にかいてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書にかいてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです」
皆さんよくご存知のとおり、キリスト教信仰の中心です。
そこで、神学者の助けを頼むわけですが、ギリシャ語では、過去の出来事を表現するのに、二つの仕方があります。ひとつは、一回限りの出来事と、もうひとつは、過去のあるときに起こってその効果が現在にも続く出来事です。
そこで、この文書をよくみると、「キリストが死んだこと、葬られたこと、そしてケファに現れ、又12人の弟子たちに現れたこと」この三つの出来事は、一回限りの出来事としての過去なのですが、三日目に復活したことだけは、まさに、過去において起こりながら、その効果、働きが、現在から未来にまで及ぶ出来事として表現されていることです。

パウロは、この文法上の表現を使うことによって、復活と言う出来事が、それなくしては、キリスト教の一切の信仰もまったく無駄になるほどの根源的な信仰の土台であると言う大切な考えを書いているのです。
キリストの復活という出来事は、開かれた出来事とも言われます。
それは、過去の出来事、事件が歴史の流れのある一点に止まってしまう、閉じられた過去との本質的な違いを明確にする表現なのです。
これは勿論、キリストの復活という出来事に限られた表現ではありません。
ごく普通に考えて、たとえば、結婚式で、新郎新婦が、生涯の愛の誓いをささげるのですが、この誓いを通して、一度交わされた誓いの効果は、二人の全生涯に及びます。
二人の間に生まれた信頼は、二人の日々の中に生きつづけ、二人の未来を形作る力を持っています。
キリストの復活を信じた弟子たちが、まったく別人のように変えられて、宣教活動に出発して行ったか。
ユダヤ教のとても熱心な信徒であった、パウロが、迫害のために活躍する中、突然、復活のキリストに出会うことによって、一変して、キリストの最大の宣教者と生まれ変わったことなど、復活の出来事は、歴史の中に力強く働きつづけ、人間個人を変容させるだけでなく、人々の社会を変革し、歴史の流れを導きながら、今日も私たちの世界に働き続けているのです。

イエス キリストの復活という出来事の働きは、私たち人間に対してと同じように私たちの世界にもおよびます。
けれども、しばしば私たちには、このキリストの働きの姿、力が見えないのです。
残念なことに、私たち人間が持っている、現実を捉える能力は、自分の利益を何よりも優先してしまいがちな、自分のことしか考えられないという弱さのために、現実を見る目がゆがめられてしまっているからです。
そのために、私たち自身の限られた力では、歴史の中に、世界の中に働き続けておられる、神様とその働き、旧約聖書では、「大いなる神のみ業」Magna Opera Dominiと言われますが、これをしっかりと見ることができないのです。

出エジプト記の有名な情景:エジプトを追われて、砂漠に逃れて、イエトロの羊の群れを飼う、モーゼが、初めて神と出会うとき、神は、ご自分の名前を尋ねるモーゼに、一般的には、何か良くわからない哲学的な言葉で、「わたしはある。わたしはあるというものだ」と訳されていますが、今日の聖書学では、その深い意味をとって、「私は、貴方の歩む日々(歴史)の中に、自分を顕わす神である。」と答えます。
そして、モーゼの歩むこれからの日々を具体的なひとつの使命として、また神ご自身の約束として「わたしは、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使うもののゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。
それゆえ私は降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々とした素晴らしい土地、乳と蜜の流れる土地へ、彼らを導き登る。」と宣言します。

神様を識るということは、頭で何かを勉強するように、理論的に神の存在を知ることではないのです。
歴史の中に、世界の中に働き続ける神を識ることは、モーゼがしたように、神の約束を信じ、その約束に自分を同調させて、歴史を形成される神に仲間として参加していくことです。
モーゼの人生が、そしてイスラエルの神の民が、その後、どのように変容して行ったか皆さんは良くご存知でしょう。

約束といえば、さらに有名なのは、私たちの信仰の父といわれるアブラハムのことをはずすわけにはいきません。
「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、貴方を祝福し、貴方の名を高める」
これが、アブラハムになされた神の最初の約束でした。
この神の約束を信じて、歩み始めたアブラハムに、次の約束が語られます。
「よく覚えておくが良い。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。」
さらにイザクの誕生が約束され、大いなる試練、イザクをささげると言う出来事の後、神の壮大な約束が荘厳に告げられます。
「わたしはみずからにかけて誓うと、主は言われる。貴方がこのことを行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、貴方の子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。」
これらの聖書の言葉から明らかなように、神の約束に対する、私たちの唯一の答えは、その約束を信じて、具体的に行動に移ることにあります。
それによって、神の約束は歴史となり、人々が信じる方向に向かって歴史が動き始めます。
まず先に、神は人類と世界に対する明確な目標を示します。
自然と歴史の発展の流れの中に、神はさまざまな可能性の道を人類に示し、ひとがそれにこたえる仕方によって、具体的な歴史の展開がうまれます。

イエスキリストの復活と言う出来事は、イエスの弟子たちとその時代の人々と言う限られた歴史の一こまとして解消されるものではなく、時間を越えて、歴史の中で幾たびも繰り返して、人々に働きかけ続けます。
教会が、毎年の四旬節と復活祭を、今まさに私たちの生きる現実の中に働きかける神のみ業として記念し、祝うのは、このためです。

さて、私の68歳にならんとする人生のなかに、先ず世田谷教会では、今田健美神父様の言葉を通して私を呼び、40年前には、パウロ6世教皇様の言葉と按手によって司祭という任務を授けられた神様は、今年、慣れ親しんだ上野教会を離れて、遠く離れた清瀬に人々の中に行きなさいと、具体的には岡田大司教の言葉を通して、呼びかけられたと私は、考えるのです。
こうしてみると、つまらないように見える、小さな私の人生のなかにも、神様の御業の痕跡がわかります。
そしてこの様に、導いてくださる神様の約束を信じて、歩み続けるところに、まさに2000年前のイエスキリストの復活と言う出来事が、具体的な力となって今まさに、私の次の一歩を動かしてくださるのでしょう。
このように、イエスの復活と、私の人事異動は、切っても切れない深く強いつながりがあるのです。
イエスキリストの復活と私たちの人生を少しでもわかりやすく説明するために、皆さんには、ごく身近な、私の例を書かせていただきましたが、これが、皆様お一人ずつの人生の中に働かれる神様の御業のごく自然な発見になりますように祈ります。

最後になりましたが、特に中国センターの皆様に、心からのおめでとうを申し上げます。

3月24日、ベネディクト16世教皇様は、第6人目の中国人枢機卿として、香港教区 陳日君司教を任命されました。
陳司教のこれまでの活躍を考えれば、これから非常に大切な時を迎える、中国政府とヴァチカンとの政治的な交渉のために、ベネディクト16世教皇がどんなに大きな信頼を陳枢機卿に抱いていられるかが解かります。
3月29日、陳枢機卿は、ヴァチカン放送局を通して次のようなメッセージを中国語でお話になりました。
「教皇様は、私を枢機卿に選ばれることによって、中国の人々に対して抱いていられる深い愛情を示されました。私の着ている枢機卿の緋色の色は、すべての枢機卿は自分の血をささげる意思を持っていることを示しています。けれども、これまで流されたのは私の血ではありませんでした。流されたのは、多くの名前さえ知られていない、人々の血と涙でした。彼らこそ、政府公認の教会に属するか、あるいは地下教会に属するかを問わず、教会への忠誠のために苦しんだ真の中国の英雄なのです。冬が去り、春が来ようとしています。中国人カトリック信者は、忍耐を持って、調和の取れた社会、円熟した国を建設するために助け合いましょう。皆さんが、涙のうちに蒔いた種は、まもなく豊かな実りをもたらすことでしょう。」
補佐司教である湯漢司教は、私の長い友達ですから、私にとってもなお一層、嬉しい出来事でした。
皆様に主の復活の喜びのうちに

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