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北欧文学10選・10
邦訳
アストリッド・リンドグレーン「ボダイジュがかなでるとき」、大塚勇三訳、『小さいきょうだい』所収、岩波書店、1969
原著(スウェーデン語)
Astrid Lindgren: Spelar min lind sjunger min naktergal, 1959
作品概説
 最後にご紹介するのは、アストリッド・リンドグレーンの「ボダイジュがかなでるとき」。わたしが北欧文学者を目指す決定打となったのが、高校生の頃に読んだこの作品でした。
 舞台は「だれもが貧しかった時代」、両親を肺病で亡くして引き取り手のいなかった8歳の少女マーリンは、救貧院(作中の表現では「貧乏人小屋」)にやってきます。美しいものも、楽しいことも何もない生活の中で、マーリンが唯一心の支えにしたのが、食事をもらいに行った牧師館で偶然聞いた言葉でした。
わたしのボダイジュは曲をかなで
わたしのナイチンゲールはうたっているかしら?
その言葉に憧れて生きるマーリンは、しかし、だんだん言葉だけでは満足できなくなり、ボダイジュが生えてくることを願って、エンドウマメの種を埋めます。すると、ボダイジュが生えてくるのですが、そのボダイジュには魂がなく、曲を奏でることも、ナイチンゲールが集ってくることもありませんでした。そこで、マーリンは、自分の魂をボダイジュにあげることを決心します。
もしわたしが、じぶんのたましいを、死んでいるこの木にやったら、緑の小さい葉っぱにも、きれいな小さな枝にも、きっと生命が流れこむ。そうしたらボダイジュは、よろこびのあまり曲をかなではじめ、すると、地上のあらゆるしげみや森にいる、あらゆるナイチンゲールがそれをききつける…
 「そうよ、そうしたら、わたしのボダイジュはかなでるわ。」と、マーリンはおもいました。「そうしたら、わたしのナイチンゲールはうたって、そうすれば、貧乏人小屋は、なにもかもうつくしく、たのしくなるわ。」
 それから、マーリンはおもいました。
 「でも、そのとき、このわたしは、もういない。たましいがなかったら、だれもこの世に生きていられないもの。でも、わたしはボダイジュの中で生きている。世界の終りまで、わたしは、すずしい緑の家のなかにすんでいて、春の夕方や夜には、ナイチンゲールがわたしのためにうたってくれる。それは、きっとたのしいわ。」
 自分が決して生きることのない理想世界のために死ねるか、というのは、当時のわたしにとってとても大切な問題でした。この作品を読んで、わたしは、それは可能だし、本当にそれが必要な時には、年齢や性別がどうであれそうしなければならない、という結論を出したのだと思います。そしてまた、貧しさなどの不公平は、世の中全体の問題として是正していかなければならないけれども、人間の不幸はそれだけでは終わらないし、どういう状況にあったとしても、与えられた状況を恨むのではなく、その状況の中で、幸せを探して生きていくことが必要で、そうした人間に寄り添うものが文学だ、そういうものとしての文学を自分の仕事にしたい、と思いました。文学が「そういうもの」だけではないことは、研究者になってみてよくわかりましたが、それでも残っている、文学に対する信頼感は、リンドグレーンに依るところが大きいと思います。
 リンドグレーンは、1907年ヴィンメルビュー生まれ、2002年ストックホルム没。『長くつ下のピッピ』シリーズが有名ですが、少女時代に過ごした農村の暮らしをモデルに、子どもたちの日常生活を描いた『やかまし村の子どもたち』シリーズや『おもしろ荘の子どもたち』シリーズ、『名探偵カッレくん』シリーズのような探偵もの、『はるかな国の兄弟』や『ミオよ、わたしのミオ』のような中世騎士ものなど、かなりヴァラエティー豊かな作品を書いています。こうした中に、大変な状況の中で生きる子どもの、辛い気持ちとそれでも折れない芯を描いたものがあり、「ボダイジュがかなでるとき」が収録された短編集『小さいきょうだい』は、その典型です。『長くつ下のピッピ』も、元気な女の子のハチャメチャストーリーみたいに紹介されることが多いですが、わたしはピッピはとてもメランコリックな人物で、どんな作品にも通底するそこはかとない悲しみが、リンドグレーン文学の魅力だと思っています。
 ところで、マーリンが聞いた歌(スウェーデン語原文では、Spelar min lind/ sjunger min naktergal)には、実は元ネタがあります。「小さなローサと大きなレーダ」という民話で、わたしは概要しか知りませんが、王宮を舞台にした、いわゆる継子いじめの話です。この中で魔法で金の鴨に変えられた王妃が歌う歌が、「わたしのボダイジュはざわめいている?/わたしのナイチンゲールは歌っている?/わたしの息子は泣いている?/わたしの主人に楽しいことはあるかしら?」というものでした。この一節は、ストリンドベルイの『最後の騎士』(Siste Riddaren, 1908。15世紀の騎士小ステン・ステューレを扱った歴史劇)でも引用されているようです。
 リンドグレーンが亡くなったのは、わたしが修士課程に進学するための大学院入試を終え、スウェーデン語の勉強を始めた3日後でした。わたしは、これを以てわたしの子ども時代は完全に終わったと思っています。「ボダイジュがかなでるとき」の挿絵は、リンドグレーンの告別式のプログラムの挿絵にも使われました。  
関連書籍
・『リンドグレーン作品集』(全12巻+別巻全10巻)、岩波書店、1964〜2007
古いものは40年以上のロングセラー。大塚勇三の訳は一押しです。
・シャスティーン・ユンググレーン『遊んで、遊んで、遊びました―リンドグレーンからの贈りもの 』、うらたあつこ訳、ラトルズ、2005
・ヤコブ・フォシェッル『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン 』、石井登志子訳、岩波書店、2007
・リンドグレーン『こんにちは、長くつ下のピッピ 』、イングリッド・ニイマン絵、いしいとしこ訳、徳間書店、2004
岩波書店版『ピッピ』の挿絵は、桜井誠という日本人画家によるものです。スウェーデンの初版本では、デンマークの画家ニイマンが挿絵を描いていて、この絵本を見ると、スウェーデンでのスタンダードなピッピ像を知ることが出来ます
映像化・音声化
・インゲル・二ルソン主演『長くつ下のピッピ』、オッレ・ヘルボム監督、角川エンタテインメント、2005
スウェーデンで70年代にヒットした映画。主演のインゲル・二ルソンは、これ以上ピッピに似た子はいないとわたしは思います。リンドグレーンの告別式で弔辞を読んでいましたが、映像を見て「大人になったピッピだ!」と思いました。続編多数。
・ラッセ・ハルストレム『やかまし村の子どもたち』『やかまし村の春・夏・秋・冬』パイオニアLDC、2000
『ギルバート・グレイプ』、『ショコラ』、『Hachi』などハリウッドで活躍中のスウェーデン人監督ハルストレムが、スウェーデン時代に撮った映画。日本国内で手に入らないものも含め、リンドグレーンの作品はほぼすべてが映画化されていますが、『やかまし村』は、映像と音楽のおしゃれさが群を抜いています。スウェーデンの風習もたくさん出てくるので、おすすめの一本。
リンク
リンドグレーン公式HP(英語)
右下の言語選択欄から、スウェーデン語、ドイツ語も選べます
・ラーベン・オ・シェーグレーン社内リンドグレーン特設ページ(スウェーデン語)
リンドグレーン作品を出している出版社のHP内紹介ページです