【総合型地域スポーツクラブ】 |
Life with Sports |
正式名称 |
マリソル松島スポーツクラブ |
創立 |
1966年4月1日 |
第60回天皇杯。東北代表を勝ち抜いたのが、松島サッカークラブ(現マリソル松島)でした。西が丘競技場で、松島クラブを待っていたのは日立製作所(現柏レイソル)。当時の日立製作所は、大学選抜に選考される日本を代表する若手タレントを多くそろえ、日本リーグでは優勝候補と呼ばれていました。西が丘競技場では、松島町からバスをチャーターして来た選手の家族が数十人と宮城県サッカー協会の関係者と加藤久選手(当時読売クラブ)が、「大漁唄い込み」を軸に必死の応援を繰り広げました。 結果は1-4で破れましたが、現ジュニア総監督の内海昭さんが、日立DFをスピードと技巧で完全に振り切り、意地の1点をもぎ取りスタンドを熱狂させました。また、当時は練習場にナイター設備もなかったことで、車のライトを照らしながら、グラウンドで練習していたこともあり、「おらが町のクラブが天皇杯本戦に出場」ということで、マスコミなどからの注目を浴びました。