★身池対論・寛永法難・前六聖人
「日奥聖人(日樹聖人/日賢聖人/日弘聖人/日領聖人/日進聖人/日充聖人)」の供養塔あり →下総玉造前野墓地
→中村谷津妙観寺
→下総島正覚寺:西2)前六聖人供養塔(前六聖人供養塔1 、 前六聖人供養塔2)
→下総正覚寺水戸教会に
南1)日奧供養塔 南3)日蓮・日奧・日樹・日述供養塔:日蓮500遠忌、日奥150遠忌、日樹150遠忌、日述100遠忌供養塔
南4)日蓮上人正系先師供養塔: 正面には日蓮・日朗・日像三菩薩、 側面には日親・日奧・日講・日述・日浣、
逆側面には日樹・日賢・日進・日領・日弘・日充(前六上人) 裏面には判読不能な僧侶6名の各先師を刻する。
の石塔がある。
→下総水戸鼠口墓地に 1)日蓮十界曼陀羅・日蓮正系先師供養塔 があり、
その側面に「六老僧 日親 日樹 日領/九老僧 日奧 日賢 日弘/中老僧 日遵 日充 日進」
もう1側面に「日浣/日習 日恭 日悟/日講 日運 日饒 日悦/日述 日淳 日誉 日照」
と刻す供養塔がある。(背面は省略)
→小田原象ヶ鼻御塔坂聖跡<身池対論先師供養搭>:
象ヶ鼻日蓮堂参道(御塔坂)途中に日樹25年忌・日賢13回忌・日領・日弘・日充・日進(以上4師は推定)・「■■上人」と刻まれた供養石(題目石)がある。年紀は承応4年(1655)である。
→備前正野田講門派祖師堂(備前御野郡大安寺村中):
日賢聖人・日弘聖人・日進聖人・日頌聖人・日充聖人とある。
※日頌聖人は日樹聖人か(頌は呉音ではジュと発する)、だとすれば前六聖人の日領聖人が欠であるが、その理由は不明。
あるいは、頌が領の誤植などであれば、日頌聖人は日領聖人ということになる。この場合は日樹が欠。
1.池上本門寺日樹
長遠院、信州飯田脇坂淡路守安元お預け。池上16世、寛永8年(1631)5月19日寂、59歳。 →日樹上人伝
2、中山法華経寺日賢
寂静院、遠州横須賀井上河内守正利お預け、中山16世、寛永21年(1644)8月24日示寂、62歳。
○「日樹上人の研究」山田居麓、山村書院、昭和16年 より
中山隠居日賢 字は春甫、寂静院と号す。中山16世、中村能化、妙経六萬部を暗誦して香取(※香取郡、金原と玉造の接する所である)に経塚を築き、後世六萬部原の地名を残せし、対論当時隠居、中風の日樹に代り陳辨すという。
対論後三河岡崎に逐はれて毛尻に蟄居せるを、井上河内守正利、日賢の智徳を慕ひ、幕府に請ひて領邑遠州横須賀に迎へる。
→備前法華の系譜>身池対論 →仏性院日奥 →日樹上人伝
→下総玉造檀林
→下総中村檀林
→長遠院日遵上人弟子
→中山法華経寺中山19世(除歴)
→遠江横須賀本源寺
→下総吉田御塚<下総吉田中>:日賢・日泰の供養塔あり。 →下総金原六万部塚(寂静院日賢経塚)
→下総玉造前野墓地:日賢碑がある。
→下総玉造妙見台墓地;寂静院日賢・揚善院日逗・高善院日隆供養塔あり。
→谷中寂静山蓮華寺:中山19世寂静院日賢の隠室として創始される。
3.平賀本土寺日弘 豆州戸田
了心院、慶安2年(1649)8月7日寂。68(69)歳。 平賀本土寺17世、伊豆戸田長谷寺開山:沼津公日弘の学徳を惜しみここに一宇を与え、帰依するという。 → 伊豆戸田長谷寺 →備前法華の系譜>身池対論 →仏性院日奥 →日樹上人伝
→玉造妙見台墓地:日弘銘の無縫塔があるが、了心院日弘の墓碑かどうかは確認が取れない。
4.上総小西談所日領、佐渡塚原配流と決するも、奥州中村相馬大膳亮義胤お預けとなる。池上日樹に傾倒す。
備前の産、小湊14世、小松原9世、慶安元年(1648)11月23日寂、77歳。
○「日樹上人の研究」山田居麓、山村書院、昭和16年 より 小湊前住日領 守玄院号し、小湊16世、小西6世能下であった。
佐渡塚原に追放されしも、奥州相馬候の家老池田次郎左衛門、日領を深く信仰の余り主君を通じて幕府に乞い、日領を相馬中村に移して、日領を開基として佛立寺を建て、これに住ましめた。
→陸奥相馬中村仏立寺
5.下総中村談所日充、奥州岩城平内藤帯刀忠興お預け
○「日樹上人の研究」山田居麓、山村書院、昭和16年 より
中村能化日充 天正3年下総中村に生れ、幼年より中村檀林に入り、日本寺8世を承け、能毛の職を嘱される。
身池対論の時56歳であったが、奥州岩城に追放後閉居すること21年間、76歳で入寂する。
遠寿院、下総中村の産、中村檀林8世、法性山(北場浄妙寺)12世、慶安三庚寅(1650)六月十九日 六十七歳化
→備前法華の系譜>身池対論・寛永法難 →日樹上人傳 →岩城平窪田の寺地庵室(日充の庵)
→旧中村>北中>日充聖人墓所
6.碑文谷法華寺日進 信州上田仙石越前守政俊お預け
修禪院、板倉備前守の息(備前の産)、碑文谷11世、寛文3年(1663)寂、73歳。
→信濃上田妙光寺
→下総玉造妙見台墓地に日奥・日進の供養塔あり
外.小湊誕生寺日延
対論には不在であったが、連座し自ら追放を申出、はじめ伊勢神戸に預けられし後、九州博多の地に赴く。
2023/08/29作成:2024/08/03更新:ホームページ、日本の塔婆、日蓮の正系5
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