寛文の法難(後六聖人)

寛文の法難(後六聖人)

後六聖人:日述・日堯・日了・日浣・日庭・日講

下総正覚寺水戸教会
 南1)日奧供養塔
 南3)日蓮・日奧・日樹・日述供養塔:日蓮500遠忌、日奥150遠忌、日樹150遠忌、日述100遠忌供養塔
 南4)日蓮上人正系先師供養塔:
  正面には日蓮・日朗・日像三菩薩、
  側面には日親・日奧・日講・日述・日浣、
  逆側面には日樹・日賢・日進・日領・日弘・日充(前六聖人)
  裏面には判読不能な僧侶6名の各先師を刻する。
 南5)日講供養塔
   の石塔がある。

1、生知院日述(事円院)

 越後鉢崎の生、字は存琢、生智(ママ)院と号す。
 平賀本土寺二十一世、伊予吉田伊達宮内少輔へお預け、延宝9年(1681)9月1日寂。72(70)歳。
 祖山妙覚寺24世、野呂檀林18世。
   →日述の事績については、備前法華の系譜に論述<「日述」でページ内検索を乞う>
   →平賀本土寺
   →玉造前野墓地:日述供養塔    →下総沢日講万部石塔;日奧・日樹・日述石塔
   →下総坂ガケラントウ墓地:日蓮・日奥・日樹・日述・日遣供養塔
   →讃岐丸亀日堯・日了・日述廟所     →伊予吉田日述墓所・謫居跡

2、義辧院日尭

 上総興津妙覚寺歴代、讃岐丸亀京極百助へお預け、貞享元年(1684)2月10日寂。
   →讃岐丸亀日堯・日了・日述廟所

3、智照院日了

 雑司が谷法明寺十五世、讃岐丸亀京極百助へお預け、元禄元年(1688)8月5日寂。
   →讃岐丸亀日堯・日了・日述廟所

4、明静院日浣

 玉造檀林五世、肥後人吉相良遠江守へお預け、延宝4年(1676)7月9日寂。
   →備前法華の系譜、備前法華の系譜>寛文法難
   →玉造談林
   →下総玉造檀林:日浣墓碑あり。  →玉造前野墓地:日浣碑あり。  →下総沢日講万部石塔:日浣石塔あり。
   →下総正覚寺水戸教会:南5)日講供養塔 がある。

5、長遠院日庭

 江戸青山自證寺三世、自證庵初代、佐渡に流刑さる、元禄5年(1692)10月21日佐渡本敬寺内の配所で寂、70歳。
   →江戸牛込市谷自證寺/若松寺/日庭上人

6、安國院日講

 野呂妙興寺能化、日向砂土原島津飛騨守へお預け、元禄11年(1698)3月10日寂。
   →安国院日講
   →不受不施派の分裂と動向
   →下総野呂檀林
   →玉造前野墓地:日講聖人供養塔あり  →下総沢日講万部石塔  →下総前野墓地(中法難者墓所)


2023/08/29作成:2024/04/05更新:ホームページ日本の塔婆日蓮の正系