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出来事 |
1558年
(永禄元年) |
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将軍・義輝から上洛要請があり、長尾景虎は翌年に上洛することを伝える。 |
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長尾軍は上野国経由で下野国に侵攻、小山氏の祇園城と壬生氏の壬生城を攻略、さらに宇都宮氏の宇都宮城を攻略するために多功城、上三川城を攻めるが、多功城主の多功長朝によって先陣の佐野豊綱が討ち取られると軍が混乱し、景虎は引き上げた。多功長朝率いる宇都宮勢は上野白井城まで景虎を追撃してきたが、武蔵岩槻城主の太田氏の仲介によって和睦。 |
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11月 |
河内国では遊佐長教が暗殺された後、新たに守護代に任命された安見宗房(直政)が畠山高政を紀伊国に追放。 |
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織田信長、弟 織田信勝を清洲城で殺害。 |
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将軍足利義輝、近江守護 六角承禎(義賢)らの仲裁により三好長慶と和睦。*2 |
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この年 |
足利義輝が長尾景虎と武田晴信に和議を促す。*2 |
1559年
(永禄2年) |
2月 |
尾張国清洲城主織田信長、上洛して将軍義輝に謁見。 |
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4月 |
越後国春日山城主長尾景虎(上杉謙信)、上洛して将軍義輝に謁見。 |
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8月 |
宣教師ヴィレイラ、豊後国府内から上洛、布教。 |
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この年 |
前年永禄元年、足利義輝と三好長慶の戦いは長慶が正親町天皇の支持を取り付けて有利な形で和睦しており、曲りなりにも存続してきた室町将軍を頂点とする秩序が大きな打撃を受けた。このため、足利義輝との関係を維持することで権威を保ってきた諸大名たちが動揺したのを心配して、その状況を確かめるために景虎が越後から上洛に踏み切ったのではないか、との見方がある。 |
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長尾景虎と足利義輝との関係は親密なものであったが、義輝が幕府の重臣である大舘晴光を派遣して長尾・武田・北条の三者の和睦を斡旋し、三好長慶の勢力を駆逐するために協力するよう説得した際には、三者の考え方の違いが大きく実現しなかった。 |
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大友義鎮(宗麟)、豊後府内を開港、外国商人と交易。宣教師アルメイダ、病院を建てる。 |