『百恵の唇 愛獣(R-15版)』['80]
『時には娼婦のように(R-15版)』['78]
『美姉妹 犯す(R-15版)』['82]
『愛の白昼夢(R-15+指定版)』['80]
監督 加藤彰
監督 小沼勝
監督 西村昭五郎
監督 小原宏裕

 高校時分の映画部の部長がスカパー衛星劇場の日活ロマンポルノ傑作選(R-15版)から5タイトルを提供してくれた。最初に観たのが『百恵の唇 愛獣』。アバンタイトルに現れた泉じゅんの主演作のつもりで観たら、トップクレジットが日向明子になっていて意表を突かれたが、だからタイトルが百恵の唇かと納得。タイトルは言わば「日向明子 泉じゅん」の看板といった意味合いしかないようだ。R-15版としながらも本編尺に違いがないので、シーンのカットはなさそうだった。

 エージェント然とした茉莉(日向明子)が捕らえたケイ(村川めぐみ)に自白を迫り、あなたの身体に訊くしかないわと言い放って仕掛けるのが拷問ではなく色責めなのはロマンポルノなのだから当然なのだが、茉莉のいでたちが愛の嵐['73]のエリカ(シャーロット・ランプリング)そのものだったのが可笑しかった。それにしても、茉莉は何ゆえスター歌手五木洋子(泉じゅん)のマネージャー大道昌信(小林稔侍)の始末をしなければならなかったのであろう。ケイに仕掛けた色責めで木乃伊取りが木乃伊になってしまい、彼女を殺され、罠に掛けられたことへの復讐ということなのだろうか。

 二大看板女優は、ともに見映えがしたように思うが、艶技は泉じゅんに一日の長があるように感じた。なかでも両刀使いの南原会長(成瀬昌彦)から二股バイブを使った自慰を膝立ちで晒させられたままスイッチを入れられ、四つん這いに這わされて後背位で二穴責めを受けながら電動バイブのスイッチに悶えさせられる性交を強いられた屈辱の後、大道のアパートを訪ねて抱いて…あたし今まで一度も好きな人に抱かれたことなかった。今が初めてなのよと埋め合わせを求めずにはいられない風情で迫りながらも、応えてもらえない哀れが切なかった。稔侍の朴念仁ぶりは作り手の駄洒落ではないかと思った。

 もっとも日向明子と小林稔侍の絡みのほうは、感じないことで大道を挑発する茉莉を演じていたのだし、ケイとのレズシーンは、色責めに掛ける側なのだから、致し方ない面もあるようには思う。それはともかく、二十三年前に観た天使のはらわた・赤い淫画['81]で悩殺された泉じゅんの『愛獣』シリーズも愛獣 襲る!['81]、愛獣 惡の華['81]と観てきたから、残すところは『愛獣 赤い唇』['81]のみとなった。


 次に観た『時には娼婦のように』は、原案・脚本・主演を担ったなかにし礼の演じたレイならぬリョウなる妙に得体の知れないエロ本翻訳作家にコミットできるところがまるでなく、加えて裸のベッドシーンがまるで登場しない、ロマポとは思えぬ文芸路線調に呆れ、『NAGISA』['00]でもあるまいに小沼勝ともあろうものがどうしたことかと訝しんでいたら、このR-15版は、92分から11分もカットした傷物バージョンだった。

 青森に赴いた良介(なかにし礼)が売春宿で女(絵沢萠子)からねぶたで跳ねてきなさいよと送り出されていた祭の場面は、延々5分以上も映しながら、意味深なだけで然したる効果も挙げていなかったこととの落差が余りにも大きい。文芸作に仕立て直したつもりなのかもしれないが、ポルノとしてもドラマとしても冴えない作品になっていたように思う。カットされた11分には、病室で夫の良介から求められ、不承不承、電動バイブを使って自慰行為を見せるマコ(鹿沼えり)の姿や二人の濡れ場、マコのモデル仲間の愛人メグ(宮井えりな)をきちんと脱がせてのベッドシーンなどがあったに違いなく、全編の一割以上もカットした暴挙に驚いた。

 先ごろTOMORROW 明日』['88]を観た際に言及した『赤い月』を想起させる赤玉風鈴や絵本、風車などが随所に現れていたことが目を惹き、翻訳仕事をしながら妻に女のあそこに煙草を入れたと、女のあそこが煙草を咥えたのどっちが猥褻かなと訊ねていたリョウの台詞にエマニエル夫人['74]を想起するとともに、キリング・ミー・ソフトリー』['02]の拙日誌に記したもちろん、形状的に受け入れる性だという受動性のイメージとは逆に、形状的にはくわえ込む性だというイメージも成立し得る。との一文を思い出した。

 折しも「桐島です」['25]を観たばかりとなれば、あの頃は反体制なのが体制的だったのとのリョウの台詞も印象深い。先ごろあゝ野麦峠['79]を観た際にも引用した加藤陽子東大教授の「故郷の農村もひどいが、工場はもっとひどかった」という言葉が本当なのか、「工女さんたちは、貯金も出来たし、町に活動写真も観に行けた」というところを拾うのが正しいのか。それによって工女が本当に「哀史」だったのか否か、見方ががらりと変わりますでしょう。『反戦川柳人 鶴彬の獄死』(佐高信 著)P81)との言葉を想起した。だが本作自体は、回想とも妄想とも知れないイメージが頻繁に挿入される、いかにも作家を主人公にした内面描写が何とも浅薄に映ってくる貧弱な作品だった気がする。タイトルバックに映し出されていた松任谷國子の画や鹿沼えりには惹かれたし、役者としてのなかにし礼も悪くなかった気がするだけに残念だと思った。


 三本目の『美姉妹 犯す』は、本編70分に対して69分となっていたからシーンとしての割愛はなかったようだ。四十三年前の公開当時に小沼勝・中村幻児の監督作との三本立てで観て以来の再見なのだが、美姉妹のタイトルに相応しい麗しさの風祭ゆきとあどけなさの残る山口千枝という二人のスレンダー美女が姉れいこと妹まさこを演じていて、些か驚いた覚えがある。

 八人のパート職員を使っているとはいえ、書店経営であれだけ豪勢な邸宅に住めるのかと思ったりもしたが、都電車両を映して始まった本作は、姉自ら箱入りと自認する美姉妹に血迷った真面目な苦学生の村田清(内藤剛志)が次第に見境を失い、増長の果てに精力を使い果たして倒れるというシンボリックな筋立ての作品だ。

 どう観ても犯罪行為の加害者であるはずの村田が、弾みで引かされて外れたトリガーに自身が撃ち倒される結果になっていたように思う。対して美姉妹二人のほうは、実に撃たれ強くて本当にろくでもない目にあっているのに、タフに揺るぎなく、何事もなかったかのような笑顔で過ごせてしまう対照を鮮やかに見せていたような気がする。それゆえにシンボリックだと感じるのだが、それを現実だと錯覚してしまうとんでもない向きも現れるのが厄介な現実でもある。

 中学生の時分に好んでいた漢文の授業で習った際になんちょうしひゃくはっしんじと覚えた漢詩の双曲屏風が、美姉妹の父戸田(坂本長利)とれいこの婚約者(森洋二)が碁を打つ居室に現れたのが懐かしく、ネットで当たってみたら、「しひゃくはちじゅうじ」と詠んでいて驚いた。むかし自作の漢詩を詠んだときに気にかけた覚えがあるのだが、ネットで当たったサイトの「漢詩の作り方」にも「下三連を忌む」と記されていた。それに抵触するのを避けるために「十」をシンと読むわけだ。「針」をシンと読むのとおそらくは通じている読みなのだろう。また、同サイトの「悠久の名詩選」では、まさしく「江南春望:双曲の屏風画の如し」と紹介されていた符合にも驚いた。


 四本目の『セクシー・ぷりん 癖になりそう』['81](監督 加藤彰)は、本編78分が67分と一割どころか一割五分も割愛されていた。三日前に『時には娼婦のように』を観た際に、斯界の先達たる高校の先輩から最初から、観ること自体が間違っています。とのコメントをもらったので、見送ることにした。続く五本目『愛の白昼夢』が同じく畑中葉子の主演で、思い掛けなくもスカパー衛星劇場ではなく、本編尺62分で違いのないWOWOWプラスの[R-15+指定版]だったこともあって、観てみた。

 いきなり全裸女性のダイビングで始まる洋上パーティでの享楽三昧をアバンタイトルにした作品で、藝大受験を望まれる画学生ヨーコを演じていた畑中葉子が後ろから前からどうぞと歌うヒット曲後から前からが流れる。父親から莫大な遺産を相続した放蕩息子の娘として生まれ、“遊び上手の両親”に憧れて亡き母に替わり父親(小笠原弘)に寄り添いたいと思っている呆れた娘を彼女が演じていた。

 ロマポをR-15版で観ること自体が間違っていると寄せてくれた先輩が好きだと言っていた風祭ゆきも出演していて、ヨーコから思い切り悪意を向けられる若継母アキコを演じていたが、先輩が風祭ゆきは制作スタッフから、おまえは清楚な顔立ちだが、胸がないのでレイプものがいい、と言われてそれ系統にばかり出演するようになったそうです。と言っていた通り、終盤でヨーコの計略によってレイプされる画廊経営者という役処だった。先輩の指摘どおりになり、さすが斯界に明るいと感心した。それはともかく、放蕩に明け暮れた父親がその報いを受ける物語なのかと思ったら、今更似合わないことなどするんじゃないよと言わんばかりに元の木阿弥に平然と収まっているラストに唖然とした。

 最も魅力的な裸身を見せていたのは、ヨーコの親友ケイコを演じていた三崎奈美だったように思うが、ケイコがヨーコにゲルピンと口にしたことに驚いた。本作の撮られた'80年に二十二歳だった僕の記憶からすると、当時の若い娘が金欠のことをゲルピンなどと言うはずがないと思ったのだ。

 すると五作品の録画ディスクを提供してくれた映友が時々、え?なんでこうなるの?みたいなロマポがあるのはR-15のせいなのか?と寄せてくれたのだが、それはR-15のせいではなくてロマポのせいだろうと思った。ただし、本作でのまるで取って付けたようなロストバージン設定については、ロマポのせいではなくて畑中葉子のあまりの艶技力の乏しさに、そうすることに変えたのではなかろうかという気がしている。意外性を突いたにしてもヨーコの奔放さとあまりにもそぐわないように思ったからだ。
by ヤマ

'25. 9.17. スカパー衛星劇場録画
'25. 9.20. スカパー衛星劇場録画
'25. 9.22. スカパー衛星劇場録画
'25. 9.25. WOWOWプラス録画




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