『「桐島です」』['25]
監督 高橋伴明

 最後に登場した大道寺あや子を思わせる機銃を構えたAYA(髙橋惠子)の労いの言葉を待つまでもなく、いわゆる連赤を描いた光の雨['01]を撮った作り手による鎮魂歌の如き作品を観ながら、僕が結婚して家庭を持った1982年に滅びへの黒い情熱という忘れ難き言葉を残して、奥さんと二人の幼い娘さんを置いて忽然と失踪した七歳年長の同僚のことを想った。本作で造形されていた桐島の人物像と重なるところの多い小柄な人だった。僕の四歳上になる桐島は、ちょうど僕と彼の間の年嵩になる。

 失踪の半年ほど前のことだったろうか、彼が新聞を手にして拙宅を訪れて、「まいった、まいった」と打ちひしがれていたのは、紙面にかつて学生運動を共にした友人が三里塚闘争のなかで死亡した小さな記事をたまたま見つけたからだった。東大紛争による入試中止で都立大に進んだ函館ラサール高校出身の先輩同僚は、その友人が三里塚闘争に加わることにしたときに袂を分かったそうで、そのこと自体について今さらに思うところは何もないと言うものの、安穏と公務員になっている自分と違って、その後もずっと闘争に加わり続けて死ぬまで貫徹したことに大そう衝撃を受けていたのだった。内田洋として何十年も地下生活を続け、今わの際になって「桐島です」と地上に姿を現した桐島聡の出現に衝撃を受けた人は沢山いたことだろう。作り手もその一人であることが切々と伝わってくる作品だったように思う。

 あさま山荘事件後、急速に下火に向った過激派に深入りしていく桐島(毎熊克哉)は私は上場企業に就職したいからと付き合っていた女学生から時代遅れねとの言葉とともに別れを告げられていたが、1997年の桐島が河島英五の名唱で知られる時代おくれに涙する場面が実に感慨深く、阿久悠による目立たぬように はしゃがぬように 似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめつづけるとの歌詞が響いてきた。桐島の愛唱歌だったことが“内田洋”を知る人々からの証言としてあったのだろうか。僕は、そうではなく、作り手が桐島聡に贈った歌のような気がしてならなかった。

 画面に映し出されていた大道寺将司の句集『棺一基』は実際に桐島の部屋にあったのかもしれないが、そこに収められていた益荒男が南風(みなみ)に乗って罷り来るだったかな?)との句を観て、十四年も前に出ていたのかと呟き、九月九日が土曜日で休みであることを確かめて宇賀神社に赴く2017年の場面は、エンドロールで「協力」にクレジットされていた宇賀神寿一に拠るところが大きいように感じた。

 印象深いのは、クルド人難民に対してこんな日本で申し訳ないと詫び、工務店の後輩が気安く口にする在日朝鮮人差別に激高する桐島の姿だった。かつて国境を越えた労働者の連帯による世界革命を志して屈し、地下生活を続けているうちに、自分と同じ労働者に対してこともあろうに国境で括られた国の籍によって当然のように差別意識を持つ若者が溢れるようになっている日本の現状に対する断腸の思いが噴出しているようだった。それは、地下生活を続ける桐島に託して映し出された作り手の思いだったのだろう。
by ヤマ

'25. 9.18. キネマM



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>