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『その夜は忘れない』['62] 『TOMORROW 明日』['88] | |||||
監督 吉村公三郎 監督 黒木和雄 | |||||
今回の課題作は共に“記憶”について訴えかけてくる作品だった。『その夜は忘れない』は十七年前に広島に投下された原爆の記憶、『TOMORROW 明日』は原爆が投下される前日の長崎の記憶だったように思う。奇しくも両作ともに逆さま画像の現れた符合が意味深長に感じられた。 先に観た『その夜は忘れない』では、原爆ドームの前に土産物店を出している被爆者が原爆被災の風化を戒める熱弁を奮う姿を見せていた、ジャーナリスティックな物語が、早島秋子(若尾文子)の登場以降、まるで木に竹を接ぐようにメロドラマに転げていく構成に、これが本当に『怪談』['64]のオムニバスの見事な構成で唸らされた水木洋子によるものなのかと呆れたが、最後まで観ると“広島の石”によって巧く丸め込まれたような気がして、いやはやどうにも恐れ入った。 未見作だと思っていたが、どうも遠い昔にテレビ視聴しているような気がしてきた。だが、当時はその木に竹を接いだような仕立てに何とも違和感が残ったのみだった気がする。それだけ加宮恭介(田宮二郎)と早島秋子の恋路に、取って付けたような感じが否めなかったのだろう。就中、秋子の不可思議が腑に落ちて来なかったように思う。此度の再観賞でもその感は否めなかったものの、彼女の呟く「私は広島の石なんです」との言葉が静かに響いて来た。握られると脆く崩れてしまう蝕まれた石【身体】という意味以上に、加宮の手のなかに留まりたくても留まれない哀しみのように感じたからだろう。三十路直前の若尾文子から滲み出ている色気を感知する度合いが、流石に十代時分よりは長じていることが作用したのかもしれない。 面白かったのは、息子が自衛隊員になっている被爆入院患者の台詞に「昔は肉弾ゆうて、人が弾の代わりになったもんじゃ」との台詞があった後に、もはや原爆投下を忘れてしまったかのようにビーチで楽しむ若者の姿が映し出されて、まさに『肉弾』のラストシーンを想起せずにいられなかったのだが、確かめてみると、本作のほうが『肉弾』に六年も先駆けていて、とんだ当て外れだったことだ。 それにしても、加宮がシャワーを浴びている間に、深酒で部屋を誤って迷い込む女のエピソードは、いったい何だったのだろう。六本指の赤ん坊を加宮が追うエピソードもいかにも中途半端だったように思う。また、十年前に読んだ百田尚樹の『大放言』に章を設けて「原爆慰霊碑の碑文を書き直せ」としていた慰霊碑が二度に渡って映し出されていたことが印象深かった。 この百田の主張に対しては「それにしても、社会問題を国対国でしか捉えられない国家主義者の発想にばかり出くわして気分が塞いだ。第二章の「原爆慰霊碑の碑文を書き直せ」の項に「主語のない不思議な文章」との小見出しで「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」の主語を「おそらく主語は「われわれ日本人」だろう」(P79)としたうえで、日本を七年間にわたって占領した占領軍司令部が植え付けた“戦後の自虐思想”にたっぷりと染まったもので、「一つの思想を僅か七年でここまで見事に蔓延させることが出来たアメリカの政策はすごいと言わざるを得ない」(P80)などと、偏に占領政策の賜物だとし、「わかりやすく言えば、「日本が戦争をさえしなければ、東京大空襲も原爆もなかった。つまり、そうした悲劇を引き起こしたのは、もとはといえば自分たちのせいである」という考え方をするようになったのだ」(P80)と、あくまでアメリカの教育によって植え付けられたものだと記している。 しかし、伊丹万作が著名な『戦争責任者の問題』に「日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていた…このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組、警防団、婦人会といつたような民間の組織がいかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかること…少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外の百姓の顔であり、あるいは区役所や郵便局や交通機関や配給機関などの小役人や雇員や労働者であり、あるいは学校の先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか…」と書いた『映画春秋』創刊号が発行されたのは、七年どころか、わずか一年の昭和二十一年八月のことだ。百田尚樹が「おそらく主語は「われわれ日本人」だろう」と言う「われわれ日本人」の文脈は、こういうものに他ならず、少なくともアメリカの七年の占領政策で植え付けた教育によって“するようになった”ことだと断じられるようなものではない。 それに、百田尚樹が言うように「繰り返させませぬから」と書き改めるのなら、「過ち」などではなく「戦争犯罪」に書き改めなければ主旨が損なわれるはずだ。ここに書かれた「過ち」とは戦争であって、戦争犯罪のことではない。そして、過ちたる戦争を引き起こした“国家主義”に染まったことを悪かったと反省しているのは日本という国ではなくて、言うところの「われわれ日本人」なのに、「まず「日本が悪かったからだ」という思考」などと日本人と日本を一緒くたにした記述をしているところが、国民も国家も同一視した国家主義者ならではのものだと感じた。こういう発想ならば、日本国憲法が国民の信託による国家に対する規範であることが理解できないのも無理ない気がした。」と僕は綴っている。 翌朝観た『TOMORROW 明日』は、翌日に原爆が投下される1945年8月8日の長崎を描いた作品だった。『その夜は忘れない』が、原爆投下が残したものを描いていたことに対して、こちらは原爆投下が奪っていったものを描いていたわけだ。ビフォアアフターが映し出されることが常道にあって、ビフォアのみ描いて『TOMORROW 明日』と題する構成が異彩を放っていたように思う。 ドキュメンタリー出身の映画監督らしい丹念さで“非常時”の日常を再現していた部分は、日頃イメージとして受け取っている敗戦直前の窮乏生活と一致する部分とズレる部分を炙り出していて実に興味深く、『小さいおうち』での大叔母タキ(倍賞千恵子)に対して、平成育ちの健史(妻夫木聡)が当時の状況は違っていたはずだと“史実”を教えようとするエピソードのことを想起した。太平洋戦争最末期においてなお写真屋稼業が成立していることや、地方都市でも映画館を営業していたことに驚いた。 三人姉妹の次女ヤエを演じていた南果歩の若々しさに瞠目し、長女ツル子(桃井かおり)の産みの苦しみに平和国家日本の産みの苦しみを重ねて描いているような気がした。『その夜は忘れない』で繰り返し登場したのは原爆慰霊碑だったが、本作では、なかにし礼の原作による『赤い月』['03]を思わせる月だった。最初は、少年を教化する教科書をススム(大熊敏志)が音読している後に大きく映し出され、二度目は、娼婦の三池タンコ(伊佐山ひろ子)が、石原継雄(黒田アーサー)と見上げて「お月さんも月に一度、血ば流すこと、なるやろか」という場面と、いずれも印象深く現れていたが、確かめてみたら小説『赤い月』のほうが十年遅れていた。 エンドロールを眺めていたら監督助手に三池崇史の名があったので、娼婦の三池炭鉱ネタは彼から出たアイデアなのかもしれない。同じく監督助手にクレジットされていた中西健二というのは『青い鳥』['08]が印象深い中西監督のことだろうか。また、劇中映画として映し出されていた『父ありき』が42年作品との表示とともにクレジットされていたのは、敢えて42年作品と明記していた裏に、流石に45年には新作が撮れなくなっていたという当時の状況を示す意図があったような気がする。また、同じ黒木監督の『祭りの準備』['75]で印象深かった馬渕晴子が本作でも母親役を演じて大した存在感だった。 一名欠席で女性一人男性二人となった合評会では、タイトルの「その夜」とは、秋子と恭介が結ばれた夜なのか、亡き秋子の幻影を求めて川に入り“広島の石”を川底から拾っては握りつぶした夜なのか、いずれを指していると解するか訊ねてみた。すると僕以外は、二人の結ばれた夜だと思うとのことであった。忘れないとの想いで偲ぶのであれば、普通は「あの夜」となるはずだが、そうすると「あの世」と被ってしまうから避けたのだと思うという意見が面白かった。それは裏を返して言えば、敢えて「その夜」として「あの世」からの秋子の想いをタイトルにしているからだとの説だった。成程とは思ったが、僕は少し異なる見解を持っていて、秋子が忘れないのは勿論かの夜なのだが、物語の語り手と思しき恭介が忘れないのは亡き秋子の幻影を追い、繰り返し川床の「広島の石」を探っては握った夜のことだと思っている。そして、忘れないは「忘れてはいけない」との意を込めたものであって、慰霊碑の「繰り返しませぬ」と呼応するタイトルなのだろうと解している。 ウケたのは、娼婦の三池炭鉱ネタは監督助手の三池崇史から出ているのではないかとの説で、僕が三池崇史はきっと少年の時分、その姓から「タン公」という仇名で呼ばれていたのではないかと言うと、いかにもありそうな話だと喜ばれ、三池監督に訊ねてみるよう促された。黒木監督が存命なら、拙著の帯に推薦文も寄せて戴き文通もしていたので訊いてみるのだが、三池監督とは交流がないからと応えると残念がられた。 恒例のいずれの作を支持するかについては、例によって一対二で意見が分かれた。二者の支持を得たのが『TOMORROW 明日』で、支持した者においては、揃って格段の差とのことだった。『その夜は忘れない』のほうを支持した一名は、両作ともそう好みではないなかでの僅差とのこと。モノクロの映像が60年当時の欧州映画のセンスの影響のように感じられるシーンのあった点が気に入ったそうだ。 | |||||
by ヤマ '25. 9. 2. DVD観賞 '25. 9. 3. DVD観賞 | |||||
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