早乙女美咲研究所潜入記

(18)マスコミが来た!

 トイレに入って、くずれたメイクを直した後、僕は三島行の電車に乗った。
(ともあれ、一応予定通りにはなったじゃん。まあ、その過程がちょっと醜かったけど)
 いつのまにか僕の頭に住み着く様になった何かが僕にそう囁きかける。
 時折車窓から見える、海と灯台の光と船の灯りを見ると、ついさっき竜矢君と眺めた海を思い出し、涙が出るのをぐっとこらえる僕。
(これで良かったんだ。これで…)

 熱海駅で降りて伊東線経由伊豆急行に乗り換える僕。心にぽっかり穴が開いた感覚はなかなか戻らない。ぼーっと一人でヒールの音も寂しそうにゆっくり歩く僕。
 只、僕に宿りはじめた女としての感覚は、ある一つの何かを僕に発信し始めたらしい。でもこの時はそれが何だかわからなかった。
 そして伊豆急に乗った時、その感覚は、違和感として僕の心に何かを警告する様になった。鎌倉駅からだろうか、ずっと僕の耳に聞こえてくる、誰かの足音。同じ足音がずっと僕の後ろをついてくるらしい。そして伊豆急に乗った時はっきりわかった。
(だれかついてくる!?)
 男の時はそうでもなかったけど、感覚が女に変わりつつある今、僕はそれが怖くて、なんとかそれから逃げなきゃという気持ちで一杯だった。
 最初の停車駅を電車が出る直前、僕はおもむろに電車のシートから腰を上げ、くるっと身をひるがえし、閉まり始めた扉から外に出て、おもむろにホームを走り出す僕。
 思った通りだった。走り出した電車の中で、あわてて誰かが僕を追いかける姿は、目にはかろうじて感じたけど、発達し始めた僕の背中の目がそれをはっきり感じていた。
 駅で降りた僕は間もなくやってきた反対の電車に飛び乗り、熱海駅で下車。そして、早乙女美咲研究所にSOSの電話を入れた。
 夜の熱海の人気の無い喫茶店に隠れる様に入った喫茶店で待つこと一時間位。近くに到着した堀先生の車には、渡辺先生と万一のボディーガードの為か大塚(早乙女先生の旦那)先生が同乗していた。
「説明してちょうだい!誰とどこへ行ってたの!?」
 僕が乗るや否や、運転席の堀先生からきつい言葉が飛んでくる。

「まあ、話聞く限りその男はシロだな。まあ、本当に誰かに尾行されてたどうかはわかんねーけど、もしされてたならやばいな…」
 後部座席で僕の横に座って、僕の話をじっと聞いてた大塚先生がおおあくびして続ける。
「伊豆半島の西側。車で三~四十分。西側と思いこませようとしたのに、愛が熱海で降りて伊豆急に乗った事、尾行に気が付いて途中で飛び降りた事が確認された事で全部ぱーになっちまったな。研究所の位置はあの雑誌に書かれてた東側の円の中で確定ってことだ」
 運転席の堀先生が、ものすごいため息をついて顔をハンドルにうずめる。
「よりによって、自分の元カノの彼氏寝取ろうとするかぁ普通?いくら仕返しでもさ!」
 あきれた様に言う渡辺先生。
「ごめんなさい…でも違うんです。彼にあたしの事あきらめてもらおうと思って…」
 本当にもうしわけなさそうにうなだれる僕に、
「もういいさ、なっちまった事は仕方ない」
 僕の背中を叩いてくれる大塚先生に、僕は改めてこの研究所の人達の暖かさを感じる。
「どうしよっか…」
「ともかく変に動かないで。しばらく大人しくしてよう…。愛ちゃんて、もう少し頭いいって思ってたけど」
 本当に困った様に会話する、渡辺先生と堀先生。
 だって、だって最近うまく考えられないんだもん。こうしろって頭の中で誰かが僕に言うんだもん…。
 その日の夜遅く、研究所の皆に暫く外出は最低限にする様、堀先生から指示が出された。さすがに僕の事については触れられなかったけど。
 僕はその日の夜、竜矢君の事、自分の失態の事で頭一杯でベッドの中で夜更けまで一人ぐすぐすしていた。

 あれから一週間経過、ようやくショックから立ち直ってきた僕はいつも通り女性化トレのステップⅢの課題と、百項目のテストのクリアに取り掛かっていた。
 武見大先輩の作った対策本のせいもあって五人ともすらすらとテストをクリアしていく。
 声、女子高校生言葉、イラスト、丸文字、裁縫、ファッション知識等、始まって二週間足らずで既に二十項目をクリア。着実に女の子への階段を上っていく僕。
 そして暫く経ったある日の朝、所長室に呼び出された僕。部屋には堀先生と渡辺先生と大塚先生と、角のコンビニの久保田さんがいた。
 何かと思ったら、囲んで座ってるテーブルの上になにやらいろいろな写真。
「ここの近所をうろうろしてた人の写真なんだけど、愛ちゃん、この中に顔知ってる人いる?」
 コンビニの防犯カメラからの写真でかなり映りが悪いんだけど、
「いません」
 僕の言葉に口をつぐんでうなずく素振りをする堀先生。
「あの小道に行く人なんて、近所の釣りか山菜採る人しかいなもんね。近所の人ほぼ顔知ってるし」
「小道の途中で門作って正解だったな。門まで行ったかどうかわかんないよね」
「うん」
「小道の途中にも防犯カメラしかけとくか…」
 久保田さんと会話する大塚先生も、最近は普段のおちゃらけを殆ど見せない。
「あと、これ、俺が釣りするふりしてずっと撮ってた写真だけど…」
 傍らの数枚の写真を手に大塚先生が話す。そうだっんだ、てっきりサボってるかと思ってた。
「最近ここに良く近づいてるのがこの漁船二隻とクルーザー。特にこの漁船が最近になってずーっと近くで操業してる…」
「愛ちゃん、もういいわ、ありがと」
 
 今日はダンス、バレエ、ジャズダンスの試験日。もう何もためらう事もなく、あれだけ恥ずかしかったレオタードに手足を通し、膨らみの目立ってきた胸元を鏡を見ながら直す僕。美紅も僕の横で同じ様にして、二人で鏡を見ながら微笑みあう。
 最近僕と美紅はすごく仲良くなっちゃった。男性経験済みという共通点だからだろうか。最も僕はそれで終わっちゃったけど。気づいたのは僕だけじやない。
「おーい、ちょっと鏡の前で並んでみろ」
 全員レオタードに着替えた頃を見計らって皆川先生が僕達に指示。
「な、ますみ(如月)もうはっきりわかるだろ?この違い」
「そうでしゅねえー、生まれつき女のあちき達だからかもしれましぇんが」
「まず髪の整え方から違うだろそれに…」
 僕と美紅の男性経験組は、もうオーバースカートを付けていない。奥に折り込まれた退化た男性自身は専用ショーツに潰され、もう股間は普通の女の子みたいにすっきり。太ももから膝にかけてのラインは白くむっちりして柔らかそう。自然に内またになってる足。
 レオタードに包まれた体は、ウエストこそまだくびれてないけど、二人とも綺麗な女の線。
 ブラで矯正されているとはいえ、もうBカップ近くまで膨らんだ胸は、胸元に綺麗な丸い膨らみを作っていた。
 ヒップは小さいながらも、女としての丸みを持ち、可愛い形になりつつあるのが良くわかる。男性経験の無い他の三人は、すごく可愛くなってきてるんだけど、ちょっとまだまだぎこちない感じ。
「明日香も美里も留美も、早く男つくれよな。秋葉だと女って事だけでもてもてだろ?」
 笑いながら明日香と美里に言う皆川先生。
「何言ってるんですか。秋葉系でまともな男子ってそういません!」
「でも、いたら、その、おつきあいとか…」
 そう言って少女らしい笑みを浮かべる二人。僕の横の美紅がそんな二人に、猫まねきの手つきで
(早くこっちおいで)
 とやってる。
「はーい、じゃダンス試験いくよ。最初はティーンエイジギャル・メタモルフォーゼ」
 いつもやってるあのダンスだ。
「はい!」
 すっかり可愛くなった声で元気よく返事する僕達。

 終わった後は全員でにっこりしあう程の完璧さ。
「はいオッケー。全員合格!」
 皆川先生の声に手をとりあってはしゃぐ僕達。
「はーいこれで、ステップⅢでダンスⅡを選択してる留美ちゃん以外はレオタードは必要ありましぇん」
「ちゃんと洗ってしまっておいてね」
 如月先生と皆川先生のその言葉に、ちょっと残念に思う僕。折角慣れてきたのに、ようやくレオタード姿の僕が可愛く思えてきたのに。
 鏡をみながらレオタードに包まれた僕の少し目立ち始めたヒップに手をやり、形を整えてた時。ふとポケットから携帯を取り出す皆川先生。
「はーい、みけでーす。え、ゆっこ(堀)?何?隠れろって、何それ!?」
 皆川先生の声に一同シーンとなった時、窓の外で近づいてくる大きな音。
「え?ヘリコプター!?」
 確かにパタパタと音を立てながらこちらに近づいてくる、まさしくその音は。そして窓からもそれが見え始めた。すごい低空飛行!
「みんな!隠れて!というか、えっと…」
「みんな!窓の下にかくれてくだしゃい!」
 皆川先生と如月先生の声に、
「キャー!」
 皆悲鳴を上げながら、ヘリコプターの近ずいてくる窓の下にうずくまる様にする僕達。ほどなくパタパタという轟音は建物の上を通過していくのがわかった。
 みんな震えていた。美紅はとっても怖かったのだろうか、目に涙まで浮かべている。ほっとして立ち上がる僕達。
「美紅、大丈夫?」
「う、うん、ごめん」
 皆で美紅の介抱する僕達。ヘリコプターの飛んで行った廊下側の窓から外を見る如月先生と、何やら堀先生と携帯で会話する皆川先生。不安な日々の始まりだった。
 
「諦めるどころかやる気まんまんよ…」
 例の雑誌の次の号が出たのか、久保田さんがその雑誌の該当ページのコピーを何部か持って集まったみんなに渡してた。
「うちだけこの雑誌が売れてるとなると、変に勘ぐられるかなと思ってコピーにしたの。まあ、こんな三流雑誌置いてるのこの近辺じゃうちだけだけどね」
 ちょっと震える手でそのコピーを見入る僕。そこには…
(男の娘養成学校は伊豆半島の西に存在か?前回証言した女の子の彼氏にGPS付の携帯を持たせ、女性化した男の子とデートしてもらった。驚愕の証言とは…)
「違う!竜矢君は何も知らないんだもん!理紗がわざと彼の携帯壊して…」
 必死で竜矢君をかばう僕の髪を堀先生が撫でてくれる。
(…伊豆急に乗った時点で気が付かれ尾行は失敗。だがこれでその施設のある場所は伊豆半島の西側に特定された)
 そして、竜矢君が僕と入った店の人からの証言がずらずらと…。でもその殆どは、女の子にしか見えなかったとか、可愛い女の子だったとか…。
「あーーーー!!」
 コピーを読んでた如月先生がいきなり大声を出す。
「○○楽器の○○店長って…あのバカ親父!あちきのパシリの分際で!」
 僕もその部分を読んでみると、当時の事がわりと詳しく書かれていた。店のプロデュースするバンドにスカウトしようとした位、可愛いくて粋な女の子だったと。
「ますみちゃん(如月)その人知ってるの?」
「知ってるも何も、あちきが芸能事務所勤務時代、さんざん楽器とか機材とか買ってやった店れしゅよ。あちきのおかげであの店はあんなに大きく有名に…しかもあちきにそんな言葉一回もかけた事ないくせに!あのバカ親父!」
 堀先生の言葉に腰を手に当て、すっごい文句を言う如月先生。
「ますみ(如月)、とりあえず何もしないで。あんたまで巻き込まれちゃうから」
「…はいでしゅ…」
 まるで針のむしろに座らされている感じの僕。本当百回位ごめんなさいを言いたい。僕の親父のせで、そして何も知らなかったとはいえ、僕の不用心な行動のせいで…。

 それからというもの、時折飛んでくるヘリコプターとかセスナの音に怯える様になった僕達。
 先日も、だんだん女子高校生として似合う様になってきたブルマ姿で気分よく体育の授業を待ってた僕達に、大塚先生から
「沖に変な漁船が停泊してるから中止」
 とか、街へ買い物実習とか、街中歩きテストとかも、
「雅美(久保田)さんのコンビニ前に変な人がいるから中止」
 とか、だんだんスケジュールが遅れ気味に。そしてある日の事、
 みんなで夕食後、食堂でテレビを観ていると、男の娘特集なんてのをやっていた。
「本当最近増えたよねえ、こういう子達…」
 独り言みたいに呟く皆川先生。
 普通の女の子ファッションとかメイド服とかに身を包んだ、可愛い男の子達が次々にお姿を披露したり、インタビューに答えたり。
「あ、この娘多分ホルやってる。この子は、まだみたいだけど、でもやりそうだなあ…。体壊さなきゃいいけど…」
 堀先生も独り言みたいに言う。その中の一人の女の子のインタビューに皆がぎょっとした。
「君はいくつ?」
「十八歳でーす」
「男の子とは思えないねえ」
「えっと、二年前、男の娘養成所の試験落ちたんです」
「へえー、そんな所有るんだ」
「はい、伊豆に連れて行かれて一年間トレーニングすると、卒業すると身も心も女の子になっちゃう…」
 驚いて顔を見合わせる僕達。
「テレビ消す!聞きたくない!」
 リモコンを手に取ろうとする皆川先生を
「ちょっと待ちなさい!」
 と堀先生が制止。
「これ、テレビ局に言わされてるかも」
「なんでわかるの?」
「だって受験生に、場所が伊豆だなんて言った事ないもん。それに二年前だよね。瞳ちゃんとかの世代の受験生でこんな子知らないし…」
 じっとテレビ画面を見つめながら堀先生。
「えー、化粧とかしてるせいじゃん」
「ずーっとこんな仕事してるとだいたいわかるの。化粧してようがいまいが」
 不安そうに皆がいろいろ話している。そして、番組の最後に、
「驚愕の施設が伊豆に?皆様の情報!お待ちしてまーす!」
 ナレータのおどけた声に、
「あっほくさっ!」
 といきなりテレビを消す皆川先生だった。
「まずいわね、テレビ番組でここまで言われてるのは…」
 堀先生が消えた画面を見ながら独り言みたいに呟く。

 こんな事になっても僕を責める事なく普通にしてくれる先生達、先輩達、そしてクラスメート達。
 これ以上変な事にならない様に神様に祈る僕。もっとも神様に祈るなんて、今まで一度もなかったんだけど…。
 とその時、
「愛、愛?いる?」
 部屋のドア越しに美紅の声。ドアを開けると美紅が満面の笑みを浮かべながら、後ろ手に持った雑誌を、
「じゃーん!」
 という声と共に僕に見せた。それは、
「えへへ、最新ウエディング情報!」
 表紙にはウエディングドレスを着た可愛い女の子が微笑んでいた。
「愛がさっきの事で落ち込んでるみたいだったし、こういうのお友達と観た方がさ…」
 満面の笑みで僕の胸元にその雑誌を押し付ける美紅。
 そっか、元気付けるには男だったらゲームとかだけど、女だったら、ファッションなんだ。

 早速僕と美紅は部屋のベッドに寝転んで、体をくっつけあって頬杖ついて雑誌にのってる最新ウエディングドレスのプチ鑑賞会。
「ねえ、美紅、あたし失恋したんだよ、竜矢君にさー」
「だって、男性経験有るのってあたしと愛しかいないんだもん。こんなお話出来るの愛しかいないんだもん」
「だーかーら…」
「いいじゃん!愛が赤ちゃん生める体になったらわかんないよーどうなるか」
「そっか、改造されるんだよね、あたしたちそういう体に…」
「いいじゃん!元カノの彼氏ってのが最高じゃん!盗っちゃえ盗っちゃえ!」
 僕に体を軽くぶつけて、小悪魔みたいな笑顔を向ける美紅。
「あたし、これがいいなあ…」
 美紅が示したのは表紙の女の子も着てる、純白で胸に金の羽模様が付いた可愛いもの。
「愛なんて、これとか似合いそう」
 ページをめくって美紅が示したのは、ピンクで花をいっぱいあしらった可愛いドレス。
「こんなのあたしに似合うかな…」
「似合う!似合うって絶対!」
 ここに来てもう九ヶ月、いや、まだ九ヶ月なのに。筋肉を溶かされ、胸をふくらまされ、下腹部と太ももにたくさん女の子の肉を付けられ、お尻は丸くなり、顔つきまで変わっていった僕。
 卵巣に変わりつつある僕の精巣から出た女性ホルモンは、とうとう僕の頭の中を変え始めたんだ。
「これ、あたしいつか着る日が来るのかな…」
 まだそんな自分が信じられないといった気持ちで言う僕。
「愛なら絶対こういう日が来るって。そう信じないと来ないよ」
 再び意地悪そうな笑顔で僕を見つめる美紅。
「そうだよね…。だってさ、もう男に戻れないしさ」
「んふふー、あたしもね。てか戻る気絶対無いしー」」
 僕の答えに足を嬉しそうに軽くばたつかせる美紅。そして、
「今週末もデートなんだ、あたし」
 手足を子供みたいにばたつかせ、喜びを表現する美紅。
「頑張ってね、デート」
「愛もさ、一回ふられただけであきらめちゃだめじゃん!竜矢って人さ、愛の方が絶対幸せに出来る気がする」
「う、うん」
 美紅に励まされ、ようやく気持ちが落ち着いてきた気がする僕。
「ねーねー、続きみよっ。ほらブーケ!」
 見開きに一杯のブーケの写真を見ながら、再び姉妹の様に寄り添って眺める僕達。
「あたし、このイエローとホワイトがいいなあ」
「だめ、愛はこのピンクとホワイト」
「なんでよー」
「だって似合うもん、絶対…」
 結構夜更けまで二人だけの小さなウエディング研究会は続く。

 そして今週末の土曜日、あたりを気にしながらも楽しそうにスキップしながら研究所を飛び出ていく美紅をみんなで見守った。
 しかしその日の夜、車で飛び出していった堀先生の車で戻ってきた美紅は、げっそりした泣きはらした顔、髪はぼさぼさ、ヒールは脱げ、服はしわくちゃで、一人では歩けない状態だった。
「美紅!何があったの!」
「美紅!美紅しっかりして美紅!」

 声も出ないくらい憔悴しきって、床の上で泣いてる美紅。こんな美紅を見たのは初めてだった。いつも幸せそうで、みんなをはげましくてれて、話してると僕達まで何故か幸せな気分にしてくれた美紅。その美紅がどうして…。
「デート中にマスコミにやられたらしいの…」
 暫く黙って美紅の様子を見ていた堀先生がぼそっと話す。
「やられたって…どういう事?」
 皆川先生の言葉に、堀先生が思いつめた様に話す。
「デート中変な二人組が現れて、美紅にここの研究所の事を聞き始めたの。どうやら以前ここの事をちらっと彼氏と共通の友達に話したみたい。絶対秘密だって言ったらしいんだけど」
 大きくため息ついて続ける堀先生。
「先日のテレビ観て、その友達がちくったみたい。報奨目当てで。そしてデート尾行されて…」
「美紅を連れて行こうとするのを彼氏が必至で止めて、美紅が逃げ出して、彼氏がその二人組に捕まったみたい。そして、なにやら脅かされたらしい」
「うそ…」
 みんなの口から驚きの声が出る。堀先生が更に続けた。
「遅くなって彼氏から、脅されたけど美紅の事は何も喋ってないってメールが来たんだけど」
 ちらっと泣き止まない美紅の方を見た堀先生が続ける。
「もう、これ以上会えないって書き添えられてて、あわてて美紅が電話したら、着信拒否に…」
 その途端、両手で耳を塞ぎ、悲鳴に似た大声を上げながら床を転げまわる美紅。
「美紅!しっかりして!」
 みんなが美紅に寄り添って介抱しようとするけど、暴れる様にして皆の手を振り払う美紅。そして、
「…あんたの、あんたのせいよ!愛!」
 はっきりと聞こえた美紅の声に僕はびくっとする。
「愛!あんたがここへ来たからだよ!」
 そう言って、がばっと起き上って僕に向き直る彼女。
「あんたが!おめーが来なければ!こんな事にならなかったんだよ!!」
 男に戻って怒鳴ったつもりなんだろうけど、普通の怒った女の声しか出なくなったんだろうか、いらいらしたものすごいドスの効いた女声が美紅の口から出る。
「返せよ!あたしの彼氏!返せよー!返せ!!」
 僕の体を握った拳で何度もぶちはじめるけど、もう体が女に近くなった彼の拳の力は、殆ど無い。
「美紅!」
「いいかげんにしなさい!」
 堀先生と渡辺先生の言葉も聞かず、僕を殴り続ける美紅。そして、再び大声を上げて僕の膝に泣き崩れた。
「もう、許さない…」
 立って僕達の様子を見ていた堀先生の形相が変わった。
「もう許さない!たとえ愛ちゃんの親父さんでも、もう許さない!!」
 そう吐き捨てる様に言うと、堀先生は部屋から出ていく。
「ゆっこ(堀)ちょっと…」
 その後を渡辺先生が追っていく。

 それ以来、美紅はすっかり変わってしまった。食事にも来ず、ずっと部屋に引きこもったまま。たまりかねた渡辺先生が自分の部屋に美紅を入れ、面倒を見る事に。
「『なんで僕ここにいるの』とか、訳のわからない事口走ってさ…」
 疲れた様子で食事時に僕達に話す渡辺先生。
「まあ、幸い美紅は課題の成績は今時点でトップだから。よほどの事が無い限り…」
 自信の無い様子で渡辺先生が続けた。

 変な漁船、時折来るヘリコプターの音、そして久保田さんのコンビニに時々集まる妙ないでたちの人々。話からしてマスコミの人の可能性が高いって久保田さんが言ってた。
 幸いにもその裏にまさか僕達の研究所が有る事までは知られてないらしい。そろそろやめてくれないと、僕達のトレーニングに支障きたしちゃうよ。
 十二月になってもあいかわらずの状況。美紅は殆ど引きこもり状態で、テストとかは比較的機嫌の良い時に渡辺先生の部屋で独自にやってるけど、進捗は著しく落ち、今は僕が課題消化数でトップになり、そして留美、明日香、美里に次々に抜かれ、美紅は最下位の状態になってしまった。
 
 今日はクリスマスイブ。去年は盛大に祝ったらしいけど、今年は研究所始まって以来のピンチの為か自粛ムード。食事の時にケーキとノンアルコールシャンパンとチキンが出るだけ。
「来年は今年分纏めて盛大にやるからさ、みんなごめんね」
 堀先生の言葉が申し訳なさそうだった。
「でもさー、本当喜んでらんないよね」
「結構今年の研究生成績いいから、正月は振袖着せてあげようかなんて思ってたんだけど、例の事が有るから中止」
 形だけのクリスマスパーティーに参加した早乙女、三宅両大先生も、地味なクリスマスに我慢しながら、お仕事の話ばかり。
 ようやく元気が出たらしい、美紅は他のクラスメイトとか先輩達に囲まれながら、テレビ見て時折笑顔を振りまいてた。

 翌日の朝、ふいに外で聞こえた誰かの声で僕は目が覚めた。
(誰?)
 ふと窓の外を見ると、見覚えの有るパジャマにコート姿の、
「美紅!?」
 何やってんの、こんな寒い朝にそんな恰好で…。
 その光景にすっかり目が覚めた僕は、パジャマのままコートを羽織って美紅を追いかける様に研究所の外へ出た。
 伊豆の十二月、極端に寒いという訳じゃないけど、震えながら美紅の後を追い始める僕「ジングルベール、ジングルベール…」
 かろうじて聞こえた美紅の声。歌いながらスキップして浜辺の方へ向かってるみたい。その途中、くるっと回ったり、バレエの基礎で習ったポーズで踊ったり…。
(美紅、何やってんだろ)
 楽しそうにスキップしたり、踊ったり。でも、近づく波音のせいでよく聞き取れないけど、次第に美紅の歌声は途切れ途切れになっていく。
 やがて、研究所のプライベートビーチへたどりつくと、美紅はしばし立ち止って、冬の大波をずっと見ていた。岩陰に隠れてその様子を見ていると、ゆっくり一歩ずつ浪間へ歩み寄る彼女?それを見た途端、岩陰から走り出す僕。
 悪い予感は的中!美紅は波打ち際に歩み寄り、多分波の冷たさのせいだろうか、数歩ためらった後、向かってくる波に突進!
「美紅!何ばかな事やってんの!!」
 かろうじて僕の手は美紅のコートに届き、美紅が波にさらわれるのを間一髪で止めた。しかし、その場で濡れた砂に二人とも足を取られて転んでしまう。
「美紅!美紅!」
「放してよぉ…」
 殆ど力が無くなった体でありったけの力を出して波打ち際から美紅を引っ張る僕を次の波が容赦なく襲い掛かった。
「痛い!」
 冷たいなんてもんじゃない!波に濡れたパジャマからひりひりする痛み。
「僕を放さないと死んじゃうよ…」
 波に濡れながらぼーっとしている美紅。覚悟出来てるって事!?この痛みとか冷たさ感じないの!?
「僕、もう女になる必要ないんだもん…生きてたって…」
 美紅が震え声でそう言った時、次の大波は完全に僕達二人に覆いかぶさり、僕の手がだんだん痺れ、全身冷たさを通り越した痛みで動かなくなる。もう声も出ない。その時、
「おーい!待ってろ!今行くぞ!!」
 幸いにも、僕達の異様な行動を誰かが見てたらしい。大塚先生がものすごい足で僕達の方へ向かってくる。そのはるか後方に何人かの人影も…。
 そしてずぶぬれになりながらも大塚先生はようやく僕達二人を乾いた砂浜へ引っ張り上げた。
「タオル!タオルだ!早くしろ!おい、ユリ!浴槽に湯だ!湯をはれ!」
 遠くに見えた早乙女(百合)先生が、わかったって様子でうなずき、研究所へ戻って行く。堀先生が僕達の濡れたパジャマを力まかせに剥ぎ取り、三宅大先生とか渡辺先生とか先輩達とかクラスメートが持ってきたタオルで僕を包んでくれた。
「寒い…寒い」
 と震える僕と、茫然とする美紅。
「まったく、もう…」
 と声を落とす、パジャマ姿の三宅先生。とにかく美紅の自殺は未遂に終わったけど、その時のショックと失恋のショックで、ベッドで寝た切り状態になってしまった。

Page Top