鎌倉駅前に朝九時。トレーニングで覚えた女の子の待ちポーズをしばし駅の前で実践していると、一台の白のクーペが現れ、運転席から誰かが手を振るのが見えた。
(女は走らなくていいの)
少し前に止まったその車に、ヒールの音をコツコツ鳴らしながら歩んでいく僕。その音と、太ももをくすぐる秋の風に、とうとう男の人とデートするまでになってしまった僕の変身ぶりを感じてしまう。
車が好きだった僕にはわかる、大衆車だけど、一応クーペの車。白のスラックスに黒のジャケット。そこから除くマリンボーダーのシャツ。整えた髪。うっすらと香るムスク。地味すぎず、派手すぎず。うん、一応いいんじゃない?
いつのまにか僕の頭に出来てしまった男性判定機能がそう計算結果を出した。
「おはよ、ちゃんと来てくれたんだ」
「うん、おはよ…」
理紗の出来たばかりの彼氏と、女で会ってるという罪悪感のせいか、元気無い返事が出る。
「どした?朝食べてないせいか?よし、食べに行こうぜ」
「う、うん」
すかさず僕の為に、わざわざ車を降りて助手席を開けてくれる竜矢君だった。
連れて行かれたのは江ノ電が横をかすめる隠れ家みたいなところだった。
出された完全和風の朝ご飯を前に、
「どこかの喫茶店かレストランかと思った」
「意外だろ?この方が美味しいし元気が出るんだ」
出された完全和風朝食を前に、ちゃんとトレーニングで習得した女の子の和風テーブルマナーを実践し、品よく口に付ける僕。
「へえ、竜矢君の彼女、今時にしては珍しく品良く召し上がるじゃない」
彼と顔見知りらしい、その定食屋のおばさんの言葉に、なんとも言えない優越感を感じる僕だった。
食事が終わると江の島、湘南海岸を洋楽を聞きながらドライブ。その間前と同じ様に彼と話すバイク、自動車、スポーツの話題。
「あいかわらずすごいなあ愛ちゃん。こんな男の趣味のマニアックな部分まで知ってるんだ」
「まあねー」
胸元でVサインを作って小さく振る、トレーニングで覚えた、女の子のご自慢のポーズを披露。
「理紗とは違うよね。理紗は何話してもうなずいたり、そうなんだーって言うばかりだし」
「えー、女の子こんなのあまりわかんないよー」
「愛ちゃんはわかるじゃん」
「それは…」
途中、江の島散策したり、稲村ケ崎で潮風にあたったり。
「愛ちゃん、ほら、手つなごうぜ」
「えー!」
「なんだよ、ほらみんなまわりの子達だってそうしてんじゃん」
「だ、だけどさー」
「ほら!」
強引な竜矢君にとうとう稲村ケ崎の展望台で手を繋がれてしまう僕。でも、なんだか嫌な気がしない。リードされるのって、僕、何だかその…きゅんとなっちゃう。
たちまちお昼の時間。今度は葉山マリーナの近くの海鮮レストランでイタリア料理。
器用にパスタを纏め、綺麗にエビを食べる僕を見て驚く竜矢君。
「愛ちゃん、君ってひょっとして実は超上流階級の…」
「ううん、親は普通のサラリーマンだよ」
適当にお茶を濁す僕。僕の受けた早乙女美咲研究所の女性化トレーニングってすごい!
昼下がり、お互い手をつなぐ事にも慣れ、江の島近くの大きなゲームセンターに入っていく僕達二人。
「これ知ってるか?」
音楽と共に足でステップを正確に刻むゲーム。そういえば前に理紗とやった事ある。
「俺ちょっと得意なんだ」
マリンルックのちょっとカッコいい彼がゲーム機の上で踊りだすと、数人の女の子のグループがそれをじっと見つめていた。
「愛ちゃん、やってみてよ」
「えー」
理紗と以前やったとき、かなり下手だったはずなんだけど、ところが音楽が鳴るやいなや、僕の体は一人でに音楽に同調して動き出す。あのダンストレーニングがすごく約にたってるみたい。もう足は余裕!柔らかく、軽くなった自由な手は勝手に僕のコントロールから離れ、可愛らしいポーズを決めていく。
もう十人位の女の子が見守る中、調子にのった今度はバレエの基礎で習得した、つま先でくるっと一回転して、ショートパンツをひらっとさせ、目標のランプが付いた場所にストンと足を落とすと、ギャラリーの女の子達数人からため息まじりの声。そして、竜矢君はそんな僕を何も言わず、只凝視しているだけ。その時、
(男をたてるんだぞ)
デート前の渡辺先生の声が頭の中で聞こえる。ふと得点盤を見ると、もう少しで竜矢君を抜きそう。
(あ、まずい…)
咄嗟に僕はゲーム盤から離れ、
「あー、つかれたあっ」
と言って、竜矢君の胸に飛び込んだ。彼とはぎりぎり三点差。
「見てたけど、愛ちゃんて、バレエもやってたの?」
「う、うん、かじった程度だよ」
ゲーセンを出た僕達二人。僕の手を握る竜矢君の手が、さっきよりしっかり握られている事に気づく僕。
「すごいなあ、愛ちゃんて。彼氏いるの?」
彼氏!?この僕が!?今年の春まで普通の男の子だった僕にそんなのいるわけないだろ!?
「いないよ…」
「本当?わっかんねーな、よくこんな娘ほっといたなあ…」
嬉しそうに独り言みたいに話す竜矢君が次に連れて行ってくれたのは、鎌倉の街中のちょっと雰囲気のいい楽器店。彼、ここの常連みたい。
「お、竜矢君久しぶり。あれ?彼女連れ?いいねえ」
泉谷しげるに似た初老の店長らしき人と挨拶する竜矢君。
「あ、こんにちわー」
とりあえずしおらしく挨拶する僕。
僕にかっこいいところ見せようとしてるんだろうか、竜矢君は店長としばし音楽談義の後、
「試してみる?これ?」
店長から手渡された一本の新作のエレキギターを僕にこれみよがしに爪弾きはじめた。
「彼女は?ギターどうなのかな?」
えへへ、実はギターは持ってないけど、友達の所で結構…。でも、僕は今女だから…、 僕は横に飾ってあった、可愛い女性用の白に金の薔薇のポイントの入ったフォークギターを手に取って、
(えっと、曲は…女の子らしく)
白いギターから流れたのは、名曲の「禁じられた遊び」友達の家で良く練習していた曲だった。
演奏が終わるといきなり店長が拍手。
「いやあ、そういえば女の子がこの曲弾くの観たの本当久しぶりじゃなー」
褒められて気分を良くした僕は、
「ちょっと貸して」
と竜矢君の持ってるギターに手をかける。
「あ、ああ。でもまさか…」
そんな竜矢君にありったけの笑顔でウインク。ちょこちょこっと鳴らした後、傍らのアンプから、流れ出たのは、ディープパープルの『Smoke On
The Water』の主旋律。
途中でわざとらしくギターを膝の位置にまでおろし、そしてもう女声になった声で
「イェーイ!」
と叫ぶ僕に、竜矢君も店長もただ目を丸くするだけだった。
演奏が終わると、店長の口から、
「ヒュー…」
と驚きの口笛。気分最高潮になっちゃった僕は店の少し奥を物色。
「あったあったー!」
と一人声を上げた僕の目の前には、研究所のピアノ練習用に設置されてるのと同型のキーボード。以前少しはやってたし、課題曲の合間に僕が遊びで弾いていた曲がそこから流れ出す。
それは、Van Halen『Jump』の主旋律。調子に乗って、花柄のショーパンから伸びた白く柔らかくなってしまった足で履いたミュールで、立ったままリズムをとりながら髪を振り、体を反らせてしばし演奏する僕。
ああ、完全な男の子の時、部屋で友達とギターでセッションした頃を思い出すわ!
「おいおいおい!竜矢!どこで見つけたんだよこんな女の子!純情そうな顔でVan Halen かよ」
口笛を僕の弾く曲に合わせてた店長が竜矢君に続ける。
「おい、竜矢!こんな娘お前ひとり占めするなよ!ちゃんと俺にも紹介しろ!」
「あ、いや…、俺も今日初めて…」
「なーにが今日初めてだ、このやろー!ギター返せ」
竜矢君から貸してたギターを取り上げ、僕とセッションを始め、茫然とする竜矢君を笑いながらこずく店長さん。もう頭がハイになってしまった僕が次にRod_Stewart
の『I'm_Sexy』 を弾きだすと、
「もうわかったわかった!」
と笑いながら僕を止めた。
なんでもない単調なメロディ。男が弾くとそうでもないのに、なんで女が弾くとこんなに特異な目で見られるんだろ…
その瞬間しまったと思った僕。彼氏より目立たない事。渡辺先生のその教えに反しちゃった。
帰り際、
「愛ちゃーん、考えといてよ」
店長さんから手渡された、
『求むバンドメンバーの女の子!ボーカル!キーボード!ギター!』
と書かれた紙切れを嬉しそうな顔でバッグにしまい、駐車場までミュールの音を響かせながら。今度は手を繋ぐどころか、彼の腕に手を絡ませて…。彼氏との腕の絡ませ方、これもトレーニングで教えてくれたんだ。
その後連れて行ってもらったサーフショップとマリンショップでは僕は大人しくしていた。知識が無いせいだけど、僕は打って変わって興味ありげに質問攻めにしてあげた。一応竜矢君の顔は立てたつもり。
そして日は傾き、僕達は海岸近くのレストランでディナータイム。
「ごめんね、最初あんなにはしゃいで」
「え、いやいや、全然問題無いよ。むしろみんなに自慢出来たって嬉しい位さ」
僕の予定では、この食事中に今後もあるかも知れないデートのお誘いは一切断って、そして理紗の事を一杯喋って、理紗を今後もお願いしますって言うつもり。のはずだったんだけど…
二人で音楽とスポーツ談義で大盛り上がり!身振り手振りも可愛くなってしまった姿で僕はありったけのマシンガントーク。しばし自分が今女の子の姿だって事忘れて、時折出る男言葉も、竜矢君には新鮮に映ったみたい。
いつしか女の子が良くする様に、喋りながら次のしゃべる言葉を考えている僕…。
「ちょっとトイレ…」
席を立つ竜矢君を待つ間、ちょっとの間なのに僕を襲う孤独感。ああ、竜矢君とは僕が男の時に知り合いたかった。そしたらもっと違うお話も…。でも、それは多分無かったろうなあ。
ふと周りを見ると、席のあちこちで僕達みたいなカップルが楽しそう。まだ男が頭の中にいる僕は、まだやはりそんなカップルの女の子の方に目がいってしまう。みんなデートなんだろう。可愛い服着て、短いスカートとかショーパン姿。
(ミニスカートって結構気が抜けないんだよね。パンツとか見えそうになるし、見えたら恥ずかしいし)
女の子って、なんで男から見た不評のショーパンとか、ショーパン付のミニとか、キュロットを履きたがるのか、たてえミニスカートでも、パンツの上にアンスコとか履きたがるのか、女で生活してみてやっと実感。
男と比べると、本当に大きな女の子達のヒップと丸いヒップライン。斜め横にいる女の子のブラウスから透けるブラの線。それを暫くみつめていると、もう慣れたはずなのに、自分の付けてるブラとかショーツの感覚を今更の様に感じる僕。
(いずれ僕の体もあんな風になっちゃうんだ…)
あそこに座ってるかっこいい人と可愛い人のうち、可愛い方と同類になりつつある僕。
(いつも綺麗で可愛くいなきゃいけない)
(ブラ付けなきゃいけない、ストッキングとかスカートはかなきゃいけない)
(重い物持てなくなる。早く走れなくなる)
本当、ずっと女で暮らすとだんだんわかってくる女の煩わしさ!それにケガしたら男の時よりずっと治りが遅いし!転んだら男より骨折の危険が高いし!
(もう!男に戻れなくなった僕にもう選択の余地ないし、これからずっと女の子で生活しなきゃいけないんだし!)
子供の様にテーブルに座ったまま足を宙に浮かせ、ばたばたとさせる僕。女性化に伴う僕の心の子供化のせい?僕の心に漂うあきらめ感。でも、でも…。
(ま、いいっか)
その一言で結論づけられ、今までの苦悩を瞬時に忘れてしまう僕。やがて店の奥から携帯を手にして戻ってくる竜矢君。胸元でお帰りのサイン替りに小さく手を振る僕。
「携帯変えたの?」
理紗と同席した先日ちらっと見た機種と色とは違う携帯を持って画面を見ながら不思議そうな彼。
「よく覚えてるね」
「うん」
「いや、先日壊れて、スマホにしようかなって思ってたんだけど…、おっかしいなあ…」 その時はなんでもなかったんだけど、実は後になってこれがとんでもない事になるなんて思わなかった。
「じゃ、そろそろ出るか」
「うん…あ!」
理紗の話を切り出すのを忘れてた事にようやく気付く僕。でももう遅かった。伝票を持ってレジに行く彼の後姿が僕の目に入る。