早乙女美咲研究所潜入記

(10)理紗よりかわいく

「お冷お持ちしますね」
 周りのお客さんがちらちらと僕の方を見る中、ウェイトレスさんの声にほっとした僕は無言でうなずいた。
「あの、お代はさっきの方から頂いておりますから。落ち着くまでここにいらして結構ですよ」
 僕にむかってそのウェイトレスさんは、笑顔でそういうと立ち去っていく。
 でも僕には半分聞こえていない。理沙にはたかれた頬がまだ少しひりっとする。理沙とはこれで終わったんだと思うと悲しいというより、とにかく頭が真っ白。
 奥の席から女の子達二人が、今入ってきた女友達に状況を話す声が微かに聞こえてくる。
「…ここまで聞こえたもん、バチーンてさ…」
「…え、痴話げんか?」
「…あそこまでやるって、絶対男だよ…」
 男?の言葉に一瞬どきっとなる僕。でも違っていた。
「最初に叩いた子が席にいたのー、そしてあの子が入ってきてさ、叩いた子に手振ってたのー、そしたらいきなり二人してトイレ行ってさー」
「じゃさー、絶対あの子が叩いた子の彼氏取ってさ、それに気がついて…」
「そうそう、それでそれ知った叩いた子に呼び出されてさ、あの子は彼氏取ったのばれたって気づかないでさー、そんでバチーン!て」
「あるよねー、絶対そうだよねー」
「えー、ちょっと見たかったかもー、あはっ」
「叩いた子ってどんな子?」
「なんか気の強そうな子」
「ふーん、叩かれたあの子なんか普通の女って感じだよねー…なんかかわいそー」
 僕に聞こえているのも知らず、好き勝手に話す女の子達。
(そっか、僕女の子で通ってるんだ)
 もう半分投げやり状態で席を立とうとした僕は、女の子達のその言葉に少しだけ気を取り直して顔を上げた。その途端女の子達の会話は途切れる。
 その時、何が僕の頭に起こったのかはわからない。只、さっきまでの沈んだ気持ちはどこかに飛んでいってしまったみたい。
 僕は無言で席を立ち、理沙に叩かれた化粧室へ向かう。一瞬男子用に入りかけた僕の足だけど、何の抵抗も無く女子用のドアを開け、大きな鏡の前に立つ僕。そして、化粧くずれした僕の顔を見て口をきりっとさせ、バッグからファンデとチークを取り出し、無言のまま丁寧にお化粧直しをし始めた。
 無言だけど、僕の頭の中には、何かただならぬ思いが蓄積されはじめ、そして化粧が終わると鏡に映る自分の姿に
(僕、可愛いよね)
 って軽く手を振る。
 そして、最後にルージュを取り出し唇に丁寧に塗り、軽く口をなめる僕。その時、溜まっていた鬱憤が、僕の唇から思わぬ声となって漏れた。
「理紗、お、おぼえときなさい!…」
 目頭に熱いものを感じた僕は、素早くバッグからハンカチを取り出し、それをぬぐった。

 伊豆急の某駅から最寄のバス停までの間の僕は、今日理紗に会いに行くまでの僕とは違っていた。すっくと顔を上げ口をきりっと結び、歩く時は女性化トレーニングの基礎をおさらいする様にテンポよくミュールの音を響かせる、自身に満ちた姿になってたと思う。
 今朝までの異性の恋人が、一瞬にして同性のライバルになってしまった不思議なひと時だった。
 バス停から降り、海の見える暑い日ざしの小道をつかつかと足早に早乙女美咲研究所へ向かう僕。そしてほどなく門が目の前に。
「絶対理紗より可愛くなってやる!」
 独り言の様につぶやく僕。それは本心まだ女の子になりたいとは思ってはいないけど、いわば理紗より可愛い女を演じてやるという役者魂に似ていたのかもしれない。

 自分の部屋のある新館のドアを開けると、玄関脇の小さなロビーのソファーにはトレードマークのミニのナース服で、パンツがチラっと見えてるのも気にせず寝そべってテレビ観ている渡辺先生。とドアの音を聞くと僕の方に体を向ける。
「あれ、もう帰って来たの?早いじゃん」
「先生、その格好…」
「え、別にいいじゃん、女同士なんだし…」
 その言葉に僕は、無意識に小さく膨らんだ自分の胸元に目をやり、バルーンスカートの裾を軽く指で触る。
「僕、絶対がんばる!」
 そう言い残してミュールを手に傍らの階段をつかつかと上がっていく僕。
「は、はあ、頑張って…」
 僕の後ろで渡辺先生の声が聞こえ、同時に奥から堀先生の声も聞こえる。
「何、あの子もう帰ってきたの?」
「…喧嘩でもしたんじゃない?」
 僕はそんな声も聞こえないふりして部屋に戻った。

 部屋に戻ると僕は慣れた手つきで腕をクロスしてトップスを脱ぎ、スカートから足を抜く。姿見に映る僕のブラとショーツ姿は見るのも慣れっこになってしまってた。
 その足でいつもの黒のショーパンに足を通し、シンプルなピンクのタンクトップを着込んで可愛いスポーツタオルを手に、板張りの研修ルームへ向かう僕。
「絶対、絶対、理紗より可愛くなってやる…」
 真剣な眼差しときりっと締めた口から時折そんな言葉が漏れる。何の気無しに日頃流される様に女性化訓練を受けてきたけど、何だか久しぶりに目標というものが出来たみたい。それは当初の僕からしてみれば180度違った目標だけど。
「1、2、3、4…」
 鏡に映る僕、確実に以前よりは動作は自然になり、可愛さがにじみ出てきた僕の姿。時間がたつのも忘れ、僕は皆川先生と如月先生のダンスレッスンの課題のおさらいを始めた。あと10日で二人はアメリカから帰ってくる。それまでに…

 翌朝、程よく疲れぐっすり眠った僕は、窓の外の鳥たちの鳴き声で目を覚まし、皆が寝静まる中いつもより丁寧に洗顔した後、朝のウォーミングアップ代りに再び研修ルームへ向かっていた。
 昨日の夜、衣装部屋から借りたピンクのタンクトップと女性用ホットパンツ姿で、軽く体を動かす僕。柔らかい布地がとっても心地よい。と、
「ちょっとー!どういう風の吹き回し!?」
 いきなり部屋の戸口から聞こえたパジャマ代りの派手なホットパンツとTシャツ姿の奈々先輩の声。
「あーでも良かった。あたし本当にさ、愛があまり練習してないからさー、もうついてこれないんじゃないかって心配してたんだからさー」
 ずかずかと入ってきて僕の髪の毛を軽く触る奈々先輩。
「あ、あの、僕頑張ります…」
「僕ってゆーな、僕って!」
 笑いながら今度は強めに僕の髪をいじる奈々先輩。
「ちょっと最初からやってみな。はい、ワン、ツー、ワンツー…」
 軽く指導されつつ、時間はもう朝食の準備の時間になる。
「ダンスとかの自主練習は午後にしな、午前中は勉強とか座学にしろな。夕方から夜は映画とか本とか読む時間にな。それと今日午後つきあってやっからここにいろなー」
 僕は軽くお辞儀をして、朝食を作るべく朝霧先生の待つ食堂へ向かった。

 その日の午前中はどこかの高校の英語の入試問題と格闘した後、視聴覚室で軽く女子高校生言葉の練習。昼食の準備をして他の四人のクラスメートと仲良く食べた後、タンクトップとホットパンツでスポーツ少女姿になった僕は、奈々先輩の待つ研修室へ。と、そこには四人のクラスメート全員と五人の先輩全員が集まっていた。
 クラスメート達も僕と同じく動きやすそうな、そして可愛いスポーツウェアに身を包んで、そして胸元には小さいけどはっきりそれとわかる膨らみが…
「やっぱ自主トレでもみんなと一緒にやったほうがいいよなー」
CDプレーヤーを手に早速皆を仕切りだす奈々先輩。そして始まるダンスレッスン。
 遅れがちな僕も、そして他の四人もある程度は振付を覚えていたので、通しはまずまず。そして個々担当の先輩達に細かい振りとかを教えてもらう僕たち。
「もっと大胆に、わざとらしくでもいーの!女はそれでいいんだから!」
 後ろに回って手とり足取り教えてくれる奈々先輩の体から香る女性香。少し前の僕だったら、
(うわ、柔らかい、俺もこんなになるのか)
(一年半でこんなになっちゃうのか)
 とか、思ったはずなんだけど、今の僕はとにかく、
(理紗より可愛くなってやる!)
 それで頭の中は一杯。むしろ、いい匂いとしか感じない。
 海風が吹き込む部屋だけど熱い中、みんな汗びっしょりになって女の子への階段を一歩一歩上がっていく。そして一時間位トレーニングして休憩の時、部屋の戸口に何人かの人の気配。その時
「キャー!瞳せんぱーい!萌せんぱーい!亜美せんぱーい!」」
 入ってきた3人のショーパンにタンクトップの女の子達の所へ飛んでいく奈々先輩。他の先輩方もそちらに走っていくのを、茫然と見守る僕達。
「えー、先輩って、あの人達ももしかして…」
 先輩方の握手したり抱き合っている姿を驚いた顔を向け合う僕と留美。
「へー、今年また五人に戻ったんだ。やっぱあれ変えるから?」
 黒い艶の有る長い髪、額でぱっつんに切りそろえた良家のお嬢様風の瞳大先輩が僕達の方をちらっとのぞいて喋る。
「シー!瞳先輩!」
「あ、そか」
 高く澄んだアニメの声優みたいな声に、秋葉のメイドカフェにでもいそうな愛くるしい顔の瞳先輩と奈々先輩のなにやら秘密めいた会話。他のクラスメイトはともかく、僕にははっきりと何やら事情があるらしい事がわかった。
「ねえ、奈々早く海行かない?」
「はーい、あ、みんなもう用意出来てますから」
 そう言うと奈々先輩達は僕達の事に目もくれず、猛ダッシュで部屋の片隅に置いてあったおのおののビーチバッグを手に取り、再び戸口へ消えていく。
「だーめーよ!あんた達の公式デビューは九月のテニスの時までおあずけ!しっかり練習しなさい!」
 奈々先輩が去り際にふりむきざまにそう言い残して、都合八人の先輩達は悲鳴の様な歓喜の声を上げ、建物のから出て行った。
「なんか、悔しいなあ…」
 美紅が戸口の方を見ながら呟く。連れて行ってもらえると思ったのだろうか。
「そういえば、人前で女姿見せたのって美紅と愛だけだよね?」
 留美が僕と美紅の方を向きながらぼそっと言う。僕はつい先日二人の男の子にエスコートされた時の事をふと思い出す。
「がんばろっ」
 突然明日香がそう言って僕達の前に手を出す。すかさず美里がそれに手を重ねた。僕も留美も美紅も手を重ね、そして、
「おー!」
 僕、こんな恥ずかしい事いつのまに平気で出来るようになったんだろ。

 三人の大先輩と先輩達が戻ってきたのは午後八時。夕食後畳敷きの研修室はたちまち十三人の女の子?達のおしゃべりで賑やかに。
 最初は参加していた堀先生と渡辺先生、そして調理の朝霧先生は早々と切り上げてからは、女性化訓練中の面白い話とかどじった話とかで盛り上がってた。
「瞳せんぱーい、可愛い後輩達に何かアドバイスしてやってくださいよーぉ」
 コーラの瓶片手にポテチをバリバリ食べながらずうずうしく奈々先輩。
「…全然かわってないわね、この子。なんであんたみたいなのが十四期の二十人のリーダーになったんだろ」
 あきれ顔で話す瞳大先輩の横で奈々先輩が続ける。
「おい、おめーら、瞳先輩はこう見えても、あたしたちの一つ上じゃセンターだったんだぞ!」
「センター言うな!リーダーって言え!」
 そう言って奈々先輩をこずく瞳大先輩。
「えっと、まず、愛ちゃんだっけ?」
 正座したまま一歩僕の方へずりっと近寄る瞳大先輩。と、僕の顔をしばし見つめると
「あーーー!」
 と驚いた声を上げ、びっくりする僕達に瞳大先輩が話はじめる。
「あのさー!そういえばあたしの同期の瑠璃ちゃん、○○○48の研修生受かったってさ!」
「えー!」
「だって、あそこまだ出来上がってないんでしょ??」
 皆が驚きの声上げる中、瞳大先輩が続ける。
「さっきセンターとか聞いたし、んで愛ちゃんの顔みたら思い出した!」
 瞳大先輩の横で、萌先輩と亜美先輩も僕の顔を見た途端、
「あー!わかるわかる!」
 と同時に口にする。
「ほら!変身初期の瑠璃ちゃんに似てる!」
「ほんとだー!」
 大先輩達の声に
「えー、そうなの!?」
「全然違う!」
「知らなかった!」
 口々に驚きの声を上げる先輩達そして、
「!?」
 思わず女っぽく両手を口に当てる僕。
「あと、彩加って子がいるんだけど、あの子も芸能界志望だったけど」
「最近音沙汰とかないし」
「どうしてんだろね」
 口々に話す先輩達。
「ねえねえ!どうしたらあんなに可愛くなれるの!?」
 自身もまわりが羨む程の女性化を遂げたはずの菜摘先輩が突然興味深く聞く。まわりがシーンとなると、意地悪そうな目線と笑みを口元に浮かべる瞳先輩。
「毎晩、一人…エッチ…当然女でね」
「なーんだ…」
 瞳大先輩の横で、奈々先輩が拍子抜けした様に呟く。菜摘先輩も同感みたい。
「あ、でもさー、これすごく大事だかんね」
「そう、バカになんないわよ。一回するごとに体か頭のどこかが女になっていくからさー」
 僕にはそんな話、遠い世界の様に聞こえる。只、嫌とかそんなんじゃない。もしそれ自分がやったら、多分…。
(多分、僕絶対元に戻ってこれない)
 あくまで、歌舞伎の女形みたいに女に化ける技を習得すること!僕の意思はまだ変わっていない。

 そして就寝前のお風呂の時間。もう胸の膨らみが気になりだしたのか、美紅と明日香は胸をタオルで隠しながら風呂場へ。留美もつんと尖った胸を暫くみつめた後、あきらめた様にやはりタオルで胸を隠し、湯船へ向かっていく。そして、僕。
 僕の胸も留美と同様つんと尖り、まだ小さなバストトップはロケットの先端みたいに伸びていた。もうどう見ても男の胸じゃなかった。
(他の人も来てるし、隠そう)
 そう思った僕は生まれて初めて胸をバスタオルで隠しながら留美の後を追った。
「新人さん揃った?」
 ふと見ると既に湯船には瞳大先輩が、長い髪をタオルで纏めて入っていた。肌の白さ、肩の線。胸に巻いたタオルから見えるバストの谷間。これでもまだ瞳大先輩は完全な女の子じゃないらしい。
「いずれあなた達にもその時が来るだろうけど、心の準備しとた方がいいと思ってさ」
 そう言うと、瞳先輩は湯船から上がり、その縁に座る。
「ちょっと、瞳先輩!」
 美紅がびっくりして声を上げるけど、そんな声を気にせず彼女は縁に座るとゆっくりと僕達の方に向かって自分の又を広げる。
 その股間をおっかなびっくりで見る僕達。他のクラスメートはどうか知らないけど、僕は理紗のそれを何度か見たことが有る。でも瞳大先輩のそれは少し違っていた。
「まだこれ、変化の途中だけどね」
 彼女の股間の黒っぽくなった部分に女性のそれの様な切れ込み。しかし、その長さは僕の知ってる女の子のあそこの半分にも満たない。そして、切れ込みの上部にはそれに入り込んだ小指の先位の突起が見え隠れしていた。その突起を指で触りつつ、瞳大先輩が続ける。
「もう何もする必要ないわ。まだトイレはここから出るけどさ、この切れ込みの中にはもう粘膜が出来始めてるの。そのうち切れ込みが女性サイズになる頃には、これはクリトリスに変わる。そしたら切れ込みの中に穴が二つ出来て…」
 一呼吸おいて更に続ける瞳先輩。
「いつしか、完全な女の形になって、そして初潮が来たその日、あたしは完全な女になったというわけ…」
 何か神秘的な物を見る様な僕達の目線。僕も何も言えず只々それを見るだけ。
「二年後にはあなたたちもこうなるかも。最もこうなる前に既に男の子には戻れなくなってるし、それとこれは奈々の世代までで、あなた達の世代は別の…」
 別の!?それって何!?僕がどきっとして聞き耳立てたその瞬間、
「瞳先輩!ずるい!あたしにも見せて!」
 いつのまにか僕達の背後にいた奈々先輩が僕達を押しのけて、
「ちょっと!奈々!なにすんの!キャッ!」
 いきなりの事に瞳大先輩は悲鳴を上げ、とっさに足を閉じるけど、お尻が縁から滑って…
「あ、あーあ…」
 僕達が見ている横で大音響と水しぶきを上げて瞳大先輩はお尻から湯船の中へ!
「奈々!なにすんの!もう!あー、もう髪めちゃくちゃじゃん!」
「あー!ごめんなさい!」
 大声で罵る瞳大先輩とひたすら謝る奈々先輩。でも僕の目からは瞳大先輩が恥ずかしさを我慢して見せてくれた女になりかかってるあの部分が目に焼き付いて離れず、しばらくぼーっとしていた。
(このままいくと、二年後の僕の股間もあんな風に)
他のクラスメートは僕とは別の事を思ってたのかもしれない。
(女の子のあそこって、予想外にグロテスク…)
 
 翌朝、三人の大先輩を玄関で見送る僕達。
「またおいでよ!」
「みんなにいろいろ教えてあげて!」
 渡辺先生と堀先生も僕達と一緒にお見送り。
「まあ、ただで泊まれる海辺の別荘と思ってるからさ」
「その前にちゃんと奈々をしつけとけ!」
 笑いながら冗談を言いつつ門の影に消えていく大先輩達。只、僕は昨日の風呂場で聞いた話の続きが気になって仕方ない。皆が不思議そうに見る中、失礼を承知で僕は門の外に瞳大先輩を追って行った。
「あ、あの瞳先輩…」
「あら、どうしたの愛ちゃん?」
 僕は何か言おうとしたけど、うまく言い表せないで、ただじっと瞳大先輩を見つめていた。
「昨日のお風呂場の話の続き?」
 とその時、
「瞳!」
「まだわかんないから!」
 瞳先輩の話を遮る様に萌先輩と亜美先輩。
「いいじゃない、ここの研修生にとってはむしろいい話だもん」
 そういいつつ数歩足を進めた所で僕の方を振り返る瞳大先輩。
「愛ちゃん。ひょっとしたらあなた、もう男の子に戻れなくなってるかもよ」
 その言葉を聞いた時、僕は一瞬雷に打たれた気分になり、そして足ががくがくと震え始める。
「ちょっと、瞳、そんな事言っちゃっていいの?」
「いやさー、なんか女になるの迷ってるみたいだったからさー」
 小道をバス停へ向かう三人の大先輩達が笑いながら話し、そして最後に僕に手を振ってくれる。僕も無意識に胸元で手を小さく振り、女の子の別れの挨拶をしていた。でも心は完全にどこかに行っていた。

 とうとう本当の意味で岐路に立たされた僕。気分をそらそうとその日は一日勉強にダンスに、はげんでみたけど、とうとう気分が晴れる事はなかった。そしてたちまち夜が訪れる。
 草虫の合唱が涼しげな風が吹き込む窓から聞こえる中、ダンスと女子高校生言葉の自主トレを終え、味気なく感じた夕食をとり、部屋に戻ってショーツとブラ姿で窓の外から漁火の見え隠れする窓の外を眺めていた。
 今更また男に戻れるのかなんて先生達に聞いたら、今度こそ絶対怪しまれる。理紗にも振られ、親父に対する考えも変わってしまった僕。ここを追い出されても、もう体にも心にも行き場が無い。留学なんてもうどうでも良くなってしまった。
 それに比べ、カルトと噂されるここの人たちのなんて暖かいことか。優しい先生、先輩達、そして今や何でも話せるクラスメートの美紅、留美、明日香、美里。
(僕、やっぱりここに残りたい)
 実は半信半疑だった女性化の事も、瞳先輩にあんなの見せられたら…。
 このままいけば再来年の今頃は、僕もあんな風になってしまう。でも僕の本心はまだ…
(僕、僕…)
 なんで僕ブラ付けてるんだっけ?これ着けないとバストトップが服にすれて痛んだり、変な声あげたり。
 なんで僕女の子用のパンツ履いてるんだっけ?ここに男物はないから…。
 僕の心と体に密かに忍びつつある女性化の波を跳ね返そうと、以前講義で渡辺先生が意地悪そうに言ってた言葉を思い出す僕。

(男の子が女の子になるって大変な事なんだよ。生活百八十度変わるんだよ)
(強くてかっこいい物から、弱くて優しい物になるんだよ)
(守る立場から、守られる立場に変わるんだよ)
(する立場からされる立場になるんだよ)
(いつも綺麗で可愛くなきゃいけないんだよ。朝は今より一時間早く起きなきゃいけないんだよ)
(化粧とかヘアメイク覚えなきゃいけないし、ブラとかストッキングとかすごくめんどいんだよ)
(上半身裸で人前出れないし、スカートって気を抜くとパンツ見えるから行動とかすごく制限されるんだよ)
(毎月生理来るんだよ。三日はお腹痛むんだよ)
(筋肉は必要最低限しか残らないし、全身柔らかな脂肪で覆われちゃうんだよ)
(早く走れなくなるし、重い物持てなくなっちゃうんだよ)
(外出してトイレなんて、個室で座ってしなきゃなんないし、男で言うと買い物する位めんどくさくなるんだよ)
(すぐ涙出るし、ちょっとの事で傷つくし、転んだら怪我とか骨折しやすくなるんだよ)(保守的になっちゃうんだよ。男になにか言われたら、なかなか反論できなくなるんだよ。男に捕まって押し倒されたら、もうそれで終わりなんだよ)
(分析能力とかが落ちてくるんだよ。数学とか理科が今みたいに得意でなくなるかもよ)
(そのうち男の子を好きになっていくんだよ。三年後には男の子にエッチされる体になっちゃうんだよ)
(そしてベッドの上で男の子の下になって、感じてるふりしたり、よがり声あげたりさ。あと五年もすればみんなそうなるんだよ。想像出来る?)
 
 そんな損な立場になりたくない。でも、でも、窓から来る夏の海風と、海に浮かぶ漁船の漁火の風景はすごく残酷だった。今まで以上になんだか寂しくなり、そしてバストトップがむずむずしはじめる。
「やめろー!」
 僕は一声叫ぶと伸び始めた髪を両手でかきむしった。しかし、その直後僕の頭に何やら声が聞こえる。
「なに我慢してんの?」
「気持ちいいんだったらやればいいのに」
渡辺先生の声にも似た、ちょっと小悪魔っぽい声。
そのままゆっくり姿見の前に行き、下着姿の自分を確かめる様に見る僕の頭の中は、既に正気を失ってたのかも。いや、違う、新しい僕になる為のサナギの状態だったのかも。 過去に一度何かの雑誌でニューハーフになるべく、女性ホルモンを注射しはじめて一年後の男の子のヌードを見たことが有った。
(きもちわる…)
 その時の僕の印象はただその一言だった。でも、今の僕の体はその写真そのもの…いや、それよりも幾分女度が増していた。
「あ…あ…」
 僕の右手はいつのまにか知らず知らずのうちにブラのカップに添えられ、そして、カップの中の膨らみを確かめる様にした後、僕のすべすべになり始めた指はカップの中へ。
「…ひゃうっ」
 傍らのバストトップに指が当たった瞬間、思わずのけぞった僕の口から声が漏れる。まだ慣れない手つきで背中に手をやってブラのホックを外すと、胸に微かに感じる解放感。そして再び姿見の前へ。
 水着跡のついていない体の部分はもう真っ白で、凹凸の消えた体をうっすらと包む柔らかそうな女の子の脂肪。
 色素が沈着して苺色になって大きくなったバストトップは、先割れ状態になり、更に大きくなろうとしている様子。その下には、あきらかにあの写真の男の子よりはっきりと大きくなった、うっすらとブラの跡がついた胸のふくらみ。
 筋肉が消え、女の子らし曲線で縁取られようとしている二の腕と太もも。そしてすっかり色白になり美少年顔になった僕の顔。
 改めて自分の変わり果てた姿を見て目を大きくして口をちょっと開くと、僕の顔は美少年顔から、ボーイッシュな女の子の顔に変わる。
 その瞬間、僕の頭の中で何かがはじけた。
「ぼ、ぼく…」
 傍らのベッドに倒れこみ、今まで我慢してたのを吐き出す様に自分の胸をもてあそび始める僕。とうとう恐れていた時が訪れてしまった。
 女の子がどうやって一人エッチするのかなんて全くわからない。只僕は完全な男の子の時と違い、あきらかに敏感になってしまったバストトップをただひたすらもてあそぶだけだった。
 口からは男の子とも女の子とも違う声で、そして意味不明な喘ぎ声が漏れ、時々頭の中で何かが弾けて飛んでいく様。
 どれくらい時間がたったんだろうか、もう退化しているはずの男性自身が急にむくっとなり、そしてさきっぽから何かにじみ出る様な感覚を覚えた直後、僕はようやく正気に戻った。
 汗びっしょりだけど、不快感は無い。
(僕、とうとう、やっちゃった…)
 そう思った直後、僕は意識を失ったらしい。

「う、うん…」
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