早乙女美咲研究所潜入記

(8)僕っ娘デビュー、にわか彼氏付き

 あいかわらず理紗からは返事が無い。
「理紗、いいかげんにしろよ。生きてるか死んでるかくらい連絡しろ」
 そうメールを送ると、ほどなく理紗から久しぶりに返信が来た。
「生きてるよ!!」
 怒りの絵文字満載で送られてきたそのメールにほっと一息。そしてしばしやりとりが続く。
「生きててよかった。忘れられたかと思った」
「やばい事って何!?胸が大きくなったの!?男でも好きになったの!?」
 いや、胸はともかく…
「とにかく近いうちにまた会いたい」
「元に戻ってたら会ったげる!」
「元には戻ってないけど、気持ちは変わってない」
「変態!」
 毎回怒り絵文字で飾られた理紗のメール。そして変態のその言葉にカチンときた俺。
(そうかよ、もういいよ!)
 俺は理紗とのメールのやりとりを打ち切った。

 七月も二週間が過ぎたある日の夕方、堀先生の室内放送が部屋に流れた。
「研修生のみなさん、前から話していたクルーザーでの女の子デビューを明日に行います。夕食が済んだら、和室の研修室に来て好きな水着を選んでください。新作のスカートビッキニッだっよーん」
 おどけた堀先生の声に、隣の部屋から美紅の嬉しそうな悲鳴が聞こえた。しかし、俺は、
(うわー、とうとう来たよ)
 俺は頭を抱えた。しかし、その時の俺の気持ちは、あんなの着て恥ずかしいというより、むしろあんな水着俺に合うんだろうか?の気持ちが強かったと思う。

 皆で夕食後、もし俺が選ぶならこういう地味な物にしようとあれこれ考え、部屋で心を落ち着けた俺は皆より遅れて研修室に入った。そんな俺を河合先生が待ち構えていた。
 部屋の隅では、既に明日香と美里が初めて付けた女性用水着のままで声を上げて談笑中。おじさん顔だった明日香は、赤のスカートビキニ。髭の脱毛とダイエットで、可愛いとはいえないが、普通のもっさりした女に変貌していた。只、元々太っていた彼女はダイエットの過程で胸とヒップだけは肉が落ちなかったらしく、その為胸には既にBカップになっており、胸元には微かな谷間が出来上がっていた。
 パープルの水着を着た美里は、がりがりだった体を一通りの柔らかな脂肪が覆いつくし、筋肉とか筋はすっかりそれに包み込まれ、脚と腕は綺麗な曲線に変わっいる。長く伸びた黒髪に女用の眼鏡を付けたその顔は、なんかクラスの優等生みたいな女子の雰囲気に変わってた。
(変わったなあ、こいつら)
 女に変わりつつあるクラスメートを横目で見ながら、俺は前の下着選びの時みたいに、開けられた大きなトランクの中から、予め頭で品定めしていたのとかなり近い、黒で白のドット柄の地味な水着を手に取る。胸のカップの部分が手に当たったとき、
(うわあ、これ着けるのか)
 と顔が曇る。と、
「だーめーよー愛ちゃん。ほんとにこの子はそんな地味なものばっかりしか…」
(こ、この子…)
 あたりまえというか、完全に女の子扱いしたその言葉にぞわっとしている俺に目もくれず、河合先生は横にまとめて置かれたいくつかの水着の包みの塊を手に取って俺の目の前に押し出す。
(うわぁ)
 無言でそれを見つめる俺。ベースがパステルピンク、パステルイエロー、パステルブルーばかり、そして胸元にはフリルとかレース、スカートはフリフリ。
「これなんかどう?」
 河合先生はその中から、雑誌で覚えた水着では超有名ブランドのパステルピンクにチョコレートのアクセント模様の物を手に取って胸元に持ち、俺に向かってにっこり微笑む。
「無理!無理!無理!無理…!」
 すっかり慣れたペタン座りのまま、そう言って逃げる様に一歩後ずさりする俺、しかし、
「かーわいいーじゃーん」
「愛それ絶対似合う!」
 白にピンクのアクセントのスカートビキニで女そのものになった美紅、そしてパステルイエローに赤のアクセントの水着姿のキュートな女の子に変貌しつつある留美が、俺の横に座り、俺より先に河合さんから水着を手に取り、自分の体に当てていた。
「大丈夫。クルーザーでクルージングするだけだし。一般の人とはかなり隔てて海に出るからさ」
 河合先生の言葉は残酷だった。
「それなら、いいか…」
 もうどうあがいてもスカートビキニの水着からは逃れそうに無い。それなら…
 俺は無言で承諾し、生まれて初めて見た女の水着用ショーツと一緒にそれを手に持ち、袋から出して両手で持って、じっと見つめながらそれを着た自分を想像してため息。
「なにうかない顔してんのよ。女の子になるんでしょ。もっと自分を可愛くして、男の子達にアピールしてさ…」
 そういいつつ水着を手にする俺の手を優しく触ってくれる河合先生。とその時、
「河合さーん、水着!水着!新作新作!」
 そう言いながら他の先輩達と研修室に突進してくる奈々先輩。そして水着を手にしている俺を見てあらん限りの悲鳴を上げる彼女?
「えー!やだあ!あたしあのピンクの水着キープしようって思ってたのに!」
 奈々先輩の声にほっとする俺。よかった、じゃあこれ奈々先輩に譲って…。
「…てか、愛がそれ着るの?仕方ないなあ、じゃあ応援してやっか」
「ちょっと奈々ちゃん、なんで知ってるの?トランクに鍵かけてあったでしょ?」
「あ、あの番号鍵?いいのいいの細かい事はさ、ねえ河合さん、じゃああれどこ、水色にパープルのフリルの付いた奴…、あったー!!これこれ、第二候補♪」
 河合先生の横に置いてあったその水着の入った袋を手に俺の横に座り込んで、その水着の袋に頬ずりしてキスまでする奈々先輩。といきなり俺の方を向いてわざとらしくぎょろっと俺を睨む彼女?
「愛、譲ってあげるんだからねっ、明日ちゃんと着てくんのよ!」
「あなたにはかなわないわねぇ」
 そう言って奈々先輩の言葉にぶっと吹き出す河合先生。
「いいのよ、それくらいの気構え無いと、いい男は捕まらないからさ」
 そういう河合先生の横の複雑な気持ちの俺。
 明日は奈々先輩もお気に入りのこの水着を付けて、初めての女の子デビューなんだ。そして試着もせずに恥ずかしさでそそくさと部屋から出る俺。
「こらー、愛!明日、お弁当作るから新人は朝七時に調理実習室ね」
 奈々先輩の声が背後から追いかける。

 翌朝、調理実習担当の朝霧先生の指導の元、みんなわいわい騒ぎながら昼のお弁当作り。野菜類を俺の母親より上手く切ったり皮を剥いたり出来る様になり、ちょっと気分がいい俺。
「愛ちゃん、終わったらマヨネーズ作って」
「はーい」
 Tシャツにショーパン、可愛いエプロン姿の俺の口から出る可愛い返事の声。もう慣れっこだからいちいち気にしない様になっていた。
(ショーパンていいなあ。動きやすい…)
 卵を取り出し黄身と白身にわけ、手早く泡たて器でかき混ぜる俺。日頃のトレーニングの賜物とはいえ、テーブルの前に立ち、脇を閉め、脚を内股気味に、時折鼻歌まで出てしまう。

 お弁当の準備が出来ると俺は部屋に戻り、初めての女としての外出の身支度。それって本当面倒くさい。バスタオル、ヘアケア用品、その他小物とかを衣服類とかタオルとかと一緒にバッグに詰め込む。そして、いよいよ俺は水着娘に変身する時が来た。
(大丈夫、元に戻れるって言ってたから…)
 部屋の中なので人目を気にせず大胆に着替える俺。鏡の前でショーパンとシャツを脱ぎ、そして息を飲んでブラを外すと、スク水で焼け残った白い肌にくっきりと浮かぶ、もう小指の先ほどになってしまった俺のバストトップ。そしてその下の綺麗な円形になったAカップ程度の小さな膨らみになったバストの基礎。
 ショーツを脱いだ下からは、一度剃ってからあまり生えてこない恥毛の下に、親指程に小さくなった俺の男性自身。そういえば、理紗と頑張って初エッチしてから、一人遊びもやってない。ていうか、やろうとする気が起きない。
(いいよ、元に戻ったら理紗と思いっきり…)
 そう自分に言い聞かせつつ、水着用のショーツを履く俺。もう小さく柔らかくなってしまった俺の男性自身は、ショーツに押し付けられにぺちゃっとなってしまう。そして、ピンクの水着のショーツに足を通し、そして、
(俺、まだ頭の中は男だからね。こんなの今日着けちゃうけど)
 俺の胸はたちまちピンクのカップで覆われ、慣れた手で背中の水着ホックを触る。カチンという音と共に、俺の胸はビキニの水着で覆われた。レモンパットって言うんだっけ、水着のカップの下から、俺の小さく膨らんだ胸がそれで押し上げられる変な感覚。そして前に僅かな膨らみの有る俺のビキニの水着は、このひらひらってティアードって言うんだっけ?腰に着けたスカートで隠されていった。そして鏡の前へ、
「わっ」
 映して一瞬俺は鏡の前から飛び跳ねた。あまりにも変わった姿になった俺。でも恐る恐るゆっくりと鏡に姿を映す俺。その姿を見た俺はしばし言葉が出なかったが、やがて髪をいじりはじめ、身に着けたスカートビキニの水着の胸元とか、スカートの位置を調整し始めた。
 鏡の中の俺。決して美人じゃない。かわいくもない。女にしては当然ヒップが小さく貧弱。でも
(肌白い。ピンクに合ってる。それに、顔が…)
 カットされた髪型、そして水着のせいとか錯覚もあるのだろうか。のっぺりして優しい表情を浮かべた顔。片手を口元に当て、おどおどしたその顔には、恥じらいを隠せない女の子の雰囲気というか、かすかに女のオーラをまとっていた。スク水の日焼け跡がついた肩は曲線をまとい始めている。そして殆ど消えかけた腹筋。そしていつのまにか曲線で縁取られはじめたヒップから太腿のライン。
(これなら、なんとか女でごまかせる)
 今日一日どうなるかとひやひやしていた俺だけど、何とか第一ステップはうまくいきそう。俺はそそくさとその上から、いつもの黒のショーパンとTシャツを羽織り、そして皆の待つプライベートビーチの桟橋へと向かっていった。

 桟橋に五人のクラスメートと五人の先輩達、日頃の訓練のせいか、みんなおしゃべりになった俺達は先輩達と他愛も無い話で盛り上がりつつ、洞窟の中に隠されているサファイアの到着を待った。
 それにしても小さな桟橋の上に花が咲いた様な色とりどりの衣装の十人の少女達。それが実は全員少なくとも二年前までは男だったなんて、本当信じられない。ミニスカとショーパンから覗く足はみんな白くてやわらかそうで、そして全員シャツの下にはビキニの水着。その矯正のせいか、みんなの胸元は大きくて可愛い膨らみ。そして俺の胸にもいつのまにか水着で矯正された二つの膨らみ。
(こんなの理紗が見たら…)
 そう思っていた時、
「あ、来た来た!」
 奈々先輩の声に、少し離れた岬の影から姿を表した白にパープルのラインの入った、あれが噂の「サファイア号」
 ごんごんというエンジンの音とともに桟橋に横付けされたその船には、既に何人かが乗っていた。年に似合わず若い白に花柄のスカートビキニの堀先生。くっきりとしたブルーのスカートビキニ水着の渡辺先生。そして、
「あたしたちはもう流石に派手なビキニはねえ」
 そう言いつつ降りてきた、深緑のビキニの朝霧先生と、シックな黒にオレンジのアクセントのワンピの河合先生。そして一見ビキニ風のワンピース姿の美咲(まい)先生。
 運転席には大塚先生が座っていた。そしてその横にいた首からカメラ二台をぶら下げた髭もじゃの太った男性が一人、運転席から桟橋に降りてくる。
「やあみんな、初めましてだよな。今日カメラマンの三宅です。しかし、毎回レベルたけーな、今年たった五人だっけ?粒よりだな。今年の春まで男だったとはおもえねーな」
 何やら事情を知ってそうなそのおじさん。
「前にも話したでしょ。アメリカ支部長の旦那の三宅さん。変な人じゃないから。今日撮影する写真はアメリカに送る資料用だからさ」
 堀先生の言葉に、慌てて挨拶をする俺達五人。しかし、この団体ってアメリカ支部まであるのかよ…。

「初っ端から江ノ島いっとく?」
「いいっすねぇ」
 運転席の大塚先生とカメラマンの三宅さんの親父言葉をスルーしつつ、女の子組はデッキで先輩後輩先生達へ改めて自己紹介タイム。
 アニメ、ゲームのコスプレ娘への羨望の眼差しから女の子に憧れを持った明日香、美里。女の子の制服で学校へ通ってた美紅。親戚が歌舞伎役者で、いとこの女形姿に憧れたという留美。そして、俺は…
 一応彼女がいて、その彼女からいろいろ学んでいくうち彼女を超えたいという理由にしておいた。
「あー、わかるわかるー」
「でも珍しいケースだよねー」
 俺の話しに相槌を打ってくれる先輩達。
「ちなみにゆっこ先生(堀)ってなんで女になりたかったんだっけ?」
 突然話を堀先生に振る奈々先輩。
「あたしは、なんとなーく、女になりたいなーって感じかな」
「だーかーらー、その理由は何って聞いてんのよ」
「何って、何だっけか?」
 キャビンの天井を見ながら足をばたつかせる堀先生に奈々先輩がくすくす笑い出す。
「ねえねえ、みんな聞いた?ここってさ、こんな変な人でも所長やれんだよ」
「るさいなあ!」
 奈々先輩の言葉にわざとらしく怒ってスリッパを履いた足をぽんと蹴り上げる堀先生。
「おめー、さっきから態度でけーんだよ!まだ半分しか女になってないくせに」
「あたしは、女になってからちゃーんと二人子供生んだもんねー」
 渡辺先生と堀先生の反撃が始まる。その時、
「いいわよねぇ、あたしたちもこの時にここに入所したかったなあ…」
「あたし達の時代は、女にされるって感じだったもんね。超スパルタでさ」
「先生と生徒でこんな会話なかったもんねぇ…」
 俺の横のソファーで軽くカクテルを飲んで大人の会話していた朝霧、美咲先生が呟く。その横の唯一純女の河合さんが俺に話しかける。
「ねえ、愛ちゃん。どんな女になりたいの?」
 いや、その、それ俺に聞かれても…。黙ってうつむいてる俺に更に質問が来る。
「じゃあさ、女になったら何やりたい?」
 あ、あの、俺…。周りが一瞬しんとなりかけたとの時、
「あ、あたしここの所長!」
 手を上げて立ち上がり堂々発言する奈々先輩に、
「だーかーら!おめーに聞いてねーっつーの!」
 そう叫んだ渡辺先生や先輩達から奈々先輩にいろいろな物が飛んでくる。とうとうその騒ぎというか盛り上がりを聞いて入ってきた運転席の三宅さん。
「こらあ、壊すなよ。知ってるか?これ一隻で豪邸二軒は買えるんだぞ」
 と今度は、奈々先輩も含めて大勢から丸めたシャツとか、クッキーの空き箱とかが飛んでいく。
「あんたの船じゃないでしょ!」
「あんたの嫁さんの船でしょ!」
「ああ、そうだった、ごめんごめん」
 そそくさと運転席に退散する三宅さんに襲い掛かる女の子組の笑い声。
「じゃあさ、愛ちゃん。誰みたいになりたい?」
 皆の笑い声とかがまだ納まらない中、河合先生の質問がまた飛んでくる。俺は今度は自分の気持ちに素直に答えられた。というか、それは女にはなりたくないと思ってる俺の頭を通さず、本能的なところから勝手に出てきた。そう、こんな女の子かっこいいなって。
「あ、あの、奈々先輩…」
 口から出たその言葉に、しまったと思う俺。でも遅かった。
「ねえねえ、奈々ちゃん!愛ちゃんがさー、奈々ちゃんみたいな女の子になりたいってさ」
 思わず真っ赤になる俺、そして、
「やめときなー」
「あいつだけはやめとけー」
 他の先輩達の声、と、突然、
「よーし!愛こっちおいで!」
 すこぶる機嫌良くなった奈々先輩が自分のソファーの横を空けて手招き。俺はまずいこと言ったかなと思ったけどもうあとの祭りで、恐る恐る奈々先輩の横へ座る。
「よーし!愛、あんた今日からあたしの妹な。みっちり可愛がってやっから」
 そう言いつつ、俺を片手でぎゅっと抱きしめてくれる奈々先輩。中島○嘉似の大人びた彼女のから香る既に女性香になった香りと柔らかいマシュマロの様な感触。
(お、お姉ちゃん?)
 俺には一瞬でそう感じた。
「愛、あのなー、女になっても今の彼女は大切にしとけよ。絶対わかってくれるからさ、おめーの事」
 ぎゅっと抱きしめて体をゆらゆらさせる彼女、
「それからさー、おめー時折自分の事俺って言うだろ?あれはやめとけな。せいぜい僕にしろよな」
 他のみんなが相槌を打つところみると、俺時々知らないうちに言ってるんだろか、
「それとさー、女になったら好きになった男にはじっと我慢な。んで時々爆発が必要な?」
 ぎゅっと抱きしめられ、女の心得みたいなものを教わる俺。突然奈々先輩の手が俺のTシャツの中に滑りこみ、そして俺の膨らみ始めた胸とバストトップを!
「キャッ!」
 それは多分俺が初めて発した女の悲鳴だったと思う。そんな事全く気にしない奈々先輩が、振り払おうとする俺の手を妨害しながら続ける。
「まだAカップか。安心しろな。ここ薬いいから、Dカップまでは保障されるらしいから」
(Dカップ!?)
 皆の笑い声の中、片腕で抱かれたまま顔を真っ赤にする俺。奈々先輩が続ける。
「あ、他の奴、これえこひいきじゃないからな。あたしの妹になりたい奴はいつでも言ってくれな」
 その言葉に次々と手を上げる同期の俺のクラスメート達。
「みんな、いい奴ばっかだよ、あたしの下に五人しか集まらなかったけどさー、本当」
 そう言って泣き真似をする彼女、とすっくと顔を上げて続ける。
「あ、でもさー、ここの所長の座はあたしが貰うからあきらめろな。あと、金は貸せねーからな、あたし貧乏だから。金借りるならゆっこ(堀)先生な。相当貯め込んでるから」
「おめー、いい加減にしろー!」
 半分笑って半分本気で怒ってる感じの堀先生からティッシュの箱が飛んでいく。
「あ、あたしが所長になるのってあと十年は先だから、それまではゆっこ(堀)先生にはここの所長でいてもらわないと、あたしが困るからさ」
「おめー、本気で怒るぞ!」
 奈々先輩の暴走に堀先生の援護をする渡辺先生。と、今度は渡辺先生に矛先を向ける奈々先輩。
「ねえねえみんな、まこっち(渡辺)はある意味すごいよ。有名看護大学の研修中ずーっとミニのナース服で通したんだから、それでいて首席卒業。世界中の大学病院から来た看護師長補佐の就職の話全部断って、来たのがここ!」
「悪かったなあ!」
 奈々先輩の賞賛の言葉に、足を組んで腕組み、声は可愛いけどすっかり男言葉になっている渡辺先生。と、その時、
「わかったわよ奈々ちゃん。今日のこの事早乙女先生と三宅先生に話しておくから!」
 その途端急にしおらしくなる奈々先輩。
「あーん、それだけはやめてください!あの二人の大先生だけはあたし苦手なんですぅ。三宅先生は怒ったら恐いし、早乙女先生は優しそうな顔の中に無数の氷の刃持ってる人だから…」
「…やっぱ言っとこ。ねえ三宅さん、奥さんにも話しといてね」
 いつのまにかキャビンの入り口付近でにやにやしていた三宅さんに堀先生が笑顔で言う。
「あー、そうだった、ごめんなさい!忘れてくださーい」
 皆の笑い声の中、ずっと奈々先輩に抱かれっぱなしの俺にいろいろな変化が起きた。
 俺、ここの一人になれた事、なんだかとっても嬉しく感じる。出て行くのが辛く感じる。それに、もうこんな体になってしまった今、もう俺って言葉は野蛮かも、
(俺、じゃなくって、僕にしよう。僕、僕なんだ…)

 俺、じゃない、僕達の乗ったサファイアは昼頃江ノ島付近に到着。芋の子を洗う様な人混みと、無数のウインドサーフィン、そして時折現われるジェットスキー。カメラとビデオを準備し始める三宅さん。
「人混みの中だとまた騒動になるから、別の所にしようか?」
「ああ、でもまずは皆でご挨拶」
 大塚先生がそう言うと、浜辺近くまでゆっくり艇を動かして停めた。二十年近くの船体だけど整備が整っている為か、まだまだ綺麗なサファイア号。
「それじゃ、みんな準備はいい?それじゃ、お披露目っ」
 堀先生の言葉と同時に、皆一斉に着ていたシャツやショーパン、ミニスカートを脱ぎ、スカートビキニ姿になっていく。
(い、いよいよ…)
 覚悟を決めた僕は天を仰ぎ、皆に合わせて生まれて初めて、公衆の面前で女姿を披露した。近くのウィンドサーフィンやジェットスキーに乗ってる男達ほぼ全員がこっちを向く
(は、はずかしい…)
 思わずデッキの上でしゃがみこむ僕。しかし、まもなく聞こえてきた口笛とか、歓迎の声に僕はゆっくりと立ち上がる。恥ずかしがってしゃがんでたのは僕一人だけ。元々おたくの明日香と美里は小躍りして浜辺に向かって脱いだシャツを手に振っていた。まるでアイドルグループの挨拶みたいに。
 そして僕も、スカートビキニの胸とヒップに、男達の視線を感じつつ手を振り始めた。
(あ、だめ、この感覚絶対癖になる…)
 堀先生以下、全員が施設で受けたトレーニングの成果を試すように、ちょっとしたポーズを取ると、男達の歓声が大きくなる。
(僕も、何か起きるかな…)
 そう思いつつ、僕は軽く飛び跳ねて胸元で軽く手を振ると、なんとウインドサーフィン中の五、六人が僕に向かって手を振ってくれる。
 どうして、僕、僕なんかが、女に見られてるんだ…。
 その瞬間、もう恐怖なんて頭からはじけとんでしまった。皆と同じく浜辺やマリンスポーツ中の人々に精一杯手を振ったり、ようやく出せる様になった女声で、
「お兄さんかっこいい!素敵!」
 とかベタな言葉で褒めまくると、マリンスポーツの男達は少しでもいいとこ見せようといろいろな技を決めてくる。でも超楽しい時間も長く続かなかった。頃合とみたのか、皆の姿を撮影してた三宅さんと堀先生が撤収の合図を操縦席の大塚先生に出していた。
「えー」
「まだいいじゃん」
 みんなぶつくさ言いながらも、最後に全員でばいばーいの挨拶。そしてエンジン音が轟き、沖合いへゆっくりと艇は動いていく。
「明日も来いよ!」
「今度デートしようぜ!」
 男達の声が何だか心地よい。ところがジェットスキーの連中は僕達の艇を追いかけ始める。
「あ、やばい…」
「追いつかれたらどうしよう。男だってばれちゃう…」
 留美と美紅が抱き合って不安そうにしていたが、やがてジェットスキーの連中はあきらめたのか引き返していった。
「いやー、昔を思い出すなあ…」
 一人三宅さんが感無量って感じでそいつらの去っていく方向を見ながら喋っていた。
「俺とあゆみ(三宅)の最初の出会いがこれだったもんなあ…」
 へっそうだったの?びっくりして彼の顔を見る僕に軽くウインクする三宅さんだった。 あ、忘れてた!
「あ、日焼け止め!」
 大声を出した僕に、丁度塗っていた渡辺先生が、はいって感じでその小瓶を渡してくれた。
「愛ちゃん。塗ってあげようか」
 三宅さんの声にすかさずお願いする僕。そして僕の背中にそれが塗り始められた時、僕は背中にぞくぞくする感触を覚えた。それはじーんとくる様なくすぐったい様な、そしてなにかしら僕をいたわってくれる様な不思議な、なんだろうこれ…。

 艇は再び研究施設近くに戻り、そこの近くの施設所有の小島に建てられたログハウスで皆でお弁当。初めて経験した女体験でみんな上機嫌で、そしてくたくたで。早くもあの男の人かっこよかったとか、赤いサーフスーツの人がどうのとか、女の子会話でぎっしりのログハウス内で、僕達は用意してあったお弁当を殆どみんな平らげてしまった。
 そして皆でビーチバレーをしようと外に出た時、二隻のジェットスキーと二人の見慣れない男性二人が、島の桟橋にいるのを皆が目撃。
「えー、誰?」
「まさか、ここまで追いかけてきたの?」
「うそー!」
 ログハウスの影に隠れ、女の子みたいにこそこそする僕達。しかし、その二人が堀先生と渡辺先生と談笑しながらこちらに向かってくるのを見た僕達は一安心。
「なんだ、知ってる人なんだ」
 ほっと胸を撫で下ろす僕達の所へその男達がやってきた。
「はーい、みんなお客様。あたしのお友達」
「ちーっす、毅でーす」
「ちーっす、大輔でーす」
 堀先生の言葉の後で自己紹介する二人。とその時、何故か奈々先輩達が、僕達に隠れる様にして笑い始める。と、
「なーに、またあんたたちなの」
「ちーっす、奈々ちゃん、おひさっすー」
 奈々先輩の言葉を軽くいなす、何この軽い奴ら?でも先輩達は知ってるみたい。
「新人の皆さん、ジェットスキー体験いかーっすか?」
 いきなり提案してくる毅君。新人て、どういう事?こいつら僕達の事知ってるの?なんか皆やばそうな雰囲気感じて、僕を含めみんな尻ごみして手を振る。
「それじゃつまんないっすよー、誰か遊んでくれないと」
「奈々ちゃんいかーっすかー」
「いやよー!あたしまだ死にたくないっすよー」
 二人の口真似して断る奈々先輩。
「それじゃー、そこの可愛いおねーさん、いかーっすか?」
 大輔君が握手の手を求めたのは、なんとこの僕!?。
「あ、それがいいや。愛ちゃん遊んであげて」
「う、うんうん、愛ちゃんまだ運動神経有りそうだし」
 ちょっと堀先生も、渡辺先生もなんで勝手に、それで、何だよ先輩達のそのこそこそした笑いは!
「決まったっす。愛お嬢様借りるっす」
「ジェットスキー、いいっすよ!」
 突然僕の手を引いてログハウスから連れ出そうとする二人の色黒イケメンの部類に入る男達。足を踏ん張って抵抗する俺。
「ちょっと、二人とも。手荒な事はしないでね。愛ちゃんウブだから」
そう言って二人に僕のシャツとショーパンとかタオルとかビーチサンダルとかが入った小さなバッグを投げてよこす堀先生。
「任せるっす!」
「俺達に不可能はないっす」
 だめ、足の筋肉が衰えてきた僕はするするとバッグを受け取った二人に連れ出されてしまう。それに、なんだよこれ、この強引な態度…。先生達までさ!いいよ、勝手にすればいいじゃん。
 僕はとうとう観念し、口を尖らせて二人の後を追い、ジェットスキーの有る桟橋にたどりついた。

「愛お嬢様、日焼け止め塗ってください。波の上は結構焼けますから」
 桟橋の上で、さっきとはまるで違った丁寧な言葉使いで話す毅君。
「え、あ、ありがと…」
「お塗りいたしましょうか?」
「あ、あの、ありがとって、ちょっとやめてよー、何だかさっきと違うじゃん」
「これが本当の俺達です。あれは演技ですよ」
「あ、そ、そうなの?」
 二人で笑いあう毅君と大輔君。
「じゃ、お願い」
 僕は二人にくるっと背を向けると、背中に暖かい感触とともに、
(うわっ、また来た…)
 さっき三宅さんに背中に日焼け止めを塗られた時と同じ感覚。しかも、
(え、なにこの感覚、うわ…気持ちいい)
 二人で丁寧に日焼け止めを塗られていく僕の体。なんだかとてもいたわってくれてるみたいで、すごく心地よい気分。そして大輔君の手は背中から胸の上のあたりに。
「あ、あの、そこはあたしが塗ります」
「はい、どうぞ」
 笑いながら小瓶を手渡してくれる大輔君。うん、悪い人じゃないみたいだ。そしてジェットスキーに恐る恐る乗り込む僕。操縦するのは毅君。
「愛お嬢様、しっかり体に掴まってくださいね」
「う、うん、わかった」
 正直裸の男の体になんて手を回したくない。でも、お嬢様って呼ばれたり、優しく日焼け止め塗られたり、悪い人じゃなさそうだし…
「じゃ、いきますよ」
 エンジンの音と共に大きく後ろに倒れる僕、
「キャッ!」
 早くも今日二回目、女の悲鳴を上げた僕は仕方なしに毅君の腰をぎゅっと抱きしめた。すごい!風と波とそしてエンジンの振動が僕の体をくすぐっていく。時には荒々しく、そして時には優しく。こんなの初めてだ!
「お嬢様、どちらへ参りますか?」
「あ、あの岩場を右に」
「かしこまりました」
「もう、やめてよー、恥ずいじゃん」
「いや、愛お嬢様があんまり可愛いもので」
 この僕が、可愛いって、それ、そんなの止めて…。
「もう、いじわる!愛ちゃんでいいよ」
「はい、じゃあ愛ちゃん。次はどこへ?」
「みんなのいる浜辺に一度行って」
「了解!」
 もう、なんて面白くていい人なんだろ。
「ねえ、毅君も大輔君と同じ様な人なの?」
「そうですよ。奴もいい男ですよ」
「そうなんだ…」
 ほんの一瞬だけど、僕は自分が女になった錯覚を覚えた。でも錯覚じゃない事も確かなんだ。ピンクのスカートビキニで覆われた下半身、そして水着のブラで包まれた少し膨らんだ胸。筋肉が消えていく脚と腕。のっぺりしてきた顔…、
(これ、変な気分じゃなからね。僕のただのサービスだからねっ)
 そう自分に言い聞かせた僕は、大輔君の体をぎゅっと握りしめ、そして自分の胸のブラの部分をぎゅっと彼に押し当てた。僕の初めての女の立場での彼へのサービス。
硬くてたくましい大輔君の背中、とっても暖かい。
「うわぉ、大サービスですね愛ちゃん」
 少しもいやらしくない彼の態度、いつしかその優しさに負け、僕は彼の背中に頬をあて、目を半分閉じていた。なんだろこの感覚、こんなの今まで経験したことない。
 やがて岩影から、さっき皆と分かれた小島の浜辺が見えてきた。そこでビーチバレーやってる皆の姿を見た時、僕ははっと我に帰る。
 ちょっと、僕何やってんだよ!男に抱きついて、胸押し当てて、トロンとして!
 慌てて僕は恥ずかしさで赤らめた顔を上げ、体を大輔君から離し、何事も無かった様に彼の腰を両手で掴み直した。
「ゆっこ(堀)先生!愛ちゃん借りるっすー」
「晩御飯までに帰してよー」
 浜辺の皆がやいやい言う中、再びジェットスキーは波間に滑り出した。

 そこから少し離れた海岸の桟橋にジェットスキーは到着。二人がそれにロープをかけている間、僕はあたりを気にしながらそそくさとショーパンを履き、Tシャツを被り、持ってきた大きなひまわりの花の付いたビーチサンダルに素足を通した。これからどこかのレストランで午後のティータイムらしいんだけど、僕にとっては初めて一般庶民の面前で、女姿の僕を披露する事になる。とにかく桟橋の上で待ってる間恥ずかしくてしかたなかった。
「大丈夫、堀先生のところで仕込まれたんだろ?胸はって、胸ツンさせてさ」
「自信持って、自分は女の子だって思い込めば」
 あー、やっぱりこの二人、僕の正体知ってる!そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、いつの間にか二人の間に挟まれ、二人の片手に腰をエスコートされ、桟橋を歩き出す僕。わあこれ、すごく気持ちいい。二人の戦士にエスコートされて花道を行くお姫様…なわけないない!僕は男なんだ!服の下に女の子の水着付けてるけど!
 桟橋から降りたそこは本当真夏の海辺。水着姿の老若男女、スピーカーから鳴る流行の音楽。浜茶屋から香るいろいろな香ばしい匂い。そんな中僕達三人は人を避けながらゆっくり進んでいく。
 そして僕の目に映る、色とりどりの若い女の子達。殆どが彼氏連れみたい。そして今の僕もにわか彼氏連れなんだという事を思い出し、再びうつむく僕。
「ほら、あの子あたりの胸が丁度D位かな。愛ちゃんの胸もいずれあの子位に…」
 そう言いかけた毅君の背中をぽかんと軽く殴る僕。
「なによ、胸だけじゃん。けばいし…」
 そう言いかけて、僕はほんの一瞬でもその女の子に同性としての競争心を持った事をすごく恥じて、笑い出す二人の背中をぽんぽんんと叩く僕だった。
 みんなが見てる。ショーパンと水着の透けたTシャツ姿の僕を、女として、女として僕を見てる。二人のかっこいい男の子を従えた、女の子として、僕は見られてる。
 本当に恥ずかしいひと時だったけど、やがてそれは終わった。浜茶屋脇の堤防を上る階段を上がると、目の前の道路を挟んだところに数件の店。そのなかの一つがブティックだった。
 去年の夏とかだったら見向きもしなかったのに、女性トレーニングを受けて、体も少し女要素が入って、そして男の子にエスコートされる快感を覚えた僕はそこが気になって仕方が無い。
「何か買ってあげようか?」
「え、あ、うん!」
 毅君の言葉に思わず声を上げる僕。何かプレゼントされる!そんな事がなんだか僕にはうきうきするほど楽しい事に思えた。
「あ、あたし、もうピンクはいい。さんざん着せられたから」
「じゃあこれどう?}
 毅君と大輔君が選んでくれたのは、黄色地に、ペンキで描かれた可愛い女の子をモチーフにしたデザインの、いかにもサーファーギャルが着そうなTシャツと、白いハートのアクセントの有るフリンジの付いた紺のデニムのショーパン。そんなの僕に可愛すぎると思ったけど。鏡の前でシャツとショーパンを片手ずつ持って、以前トレーニングした「服の合わせ方」を早速実践してみると、
「あ、似合うかも!」
 プレゼントの包みを持ち、店を出る僕は無意識にスキップしてた。
 そして、そこから少し離れた所にあるハワイアンの雰囲気たっぷりのレストランで、僕はケーキとジュースと、そして二人の話す海とかヨットとか旅行、食べ物の話とかをいろいろ聞いてすっかり上機嫌になってた。
 僕は僕で、今までの女の子トレーニングの成果を試す絶好の機会とばかり、可愛く見せたり、つんとしてみたり、同情引こうとしてみたり、そして男の子の気を引こうとしてみたり。なんだか体の底からシャボン玉がぶくぶくと頭に上がっていく、そんなほんわかした気分。一時間近くの盛り上がりが続いた頃、
「あれ、毅に大輔じゃん?」
 ふと声のする方を見てみると、黒く焼けた金髪の結構美人の、みるからにサーファーと判る女二人が近づいてきた。
「よう、マリ、エミ元気そうじゃん」
 そう呼ばれた二人はちらっと僕の方を見ると、毅君と大輔君の手を軽くタッチ。
「最近見ないと思ったらこんなとこにいたんだ」
「何、新しい彼女?まだ高校生位じゃん?」
「えらくウブな無難なの拾ったのねぇー」
 ちらちらとこちらを見ながら挨拶もしない二人の女。
「うん、俺達二人の彼女さ」
 レストランのソファーに大げさに座り直して、にこやかにその女達に話しかける毅君
「ふぅーん…」
 マリと呼ばれる女は再度僕の顔をちら見した後、フンと鼻を鳴らし、嫌な女に向ける表情をした。最初ひるんだ僕だったけど、こいつら僕を間違いなく挑発してる。女にそんな事されて腹が立ってか、負けじと睨み返す。
「あーら、怒ってんじゃんこの子。彼氏取られると思った?かーわいいわねぇ」
 エミという女もそう言って僕に笑顔を向けた後、鼻で笑った。
(なんだよ女ってさ、こんなつまらない事で!)
 僕の二人の彼氏に軽く挨拶をした後、二度程僕を見る為に振り返り、キャハハハッと下品な笑いをしながら店を出ていいく二人の女達。
(来るな!二度と毅君と大輔君に近寄んな!)
 どういうわけか、そこで女達の出て行ったレストランの入り口に向かって、
「べーだ!」
 をしてしまう僕。
「お、可愛いじゃん、今の表情」
「知らないもん!」
 大輔君のからかいの言葉に、頭の中が何か変わり始めた僕は、ぷいっと横を向く。

 再び寄った小島にクルーザの姿が見えない事を確認した大輔君と毅君が僕を施設の船着場まで送り届けてくれたのはもう夕方近く。
「今日は楽しかったよ」
「お会い出来て光栄でございます」
 二人のお別れの挨拶を笑顔一杯の顔で受け入れる僕。
「でも残念だなあ、俺達今日の夜にはここを出るんだよ」
 大輔君の言葉に僕の顔から笑顔が消える。
「明日にはアメリカへ戻るんだ。ごめんね愛ちゃん」
 毅君の言葉はあんまりだった。
(そんな、これから時々会えると思ったのに)
「それじゃ、お元気で。ばいばーい!」
 そそくさとジェットスキーに乗り込んで、轟音と共に桟橋を離れて小さくなっていく二人を僕はただ呆然と見守っていた。そして二人の姿も音も消え、波の音しか聞こえなくなった桟橋の上。僕は悲鳴みたいなのを上げた後、別荘に駆け出した。二人に買ってもらった服の包みを大切に胸に抱えながら。
 そして研究所に駆け込むとわき目も振らず、自分の部屋へ。そして服と水着を脱ぎ捨て、真新しいショーツとブラ、その上に買ってもらった黄色のシャツとフリンジのついたデニムのボトムを大急ぎで着込む。そして、堀先生の部屋へ駆け出していった。
「あら、愛ちゃんどうしたの」
 ドアを勢いよく開けると、そこにはソファーに座ってテレビを見ている堀先生と渡辺先生の姿があった。
「愛ちゃん、どうだった?二人の彼氏とのバカンス…」
 僕には渡辺先生の声なんか聞こえない。
「あ、あの、あの…」
「どうしたのよ愛ちゃん、変よ?」
 走った事による疲れと、そしてなにかわからない不安感とで、僕は暫く口をぱくぱくさせるけど、なかなか声が出ない。そしてやっと声が出た。
「毅…君と大輔君…、どこにいるか…、わかります…か…」
 僕の言葉に一瞬顔を見合わせる堀先生と渡辺先生。そして、
「二人なら、小道下ったとこのコンビニを左に行ってさ、ガソリンスタンドの手前の白い一軒家のレンタルのログハウスにいるんじゃない?毎年そこで」
「行っちゃうの、二人がアメリカへ行っちゃうの!」
「あ、今日だっけ?帰るの?あ、ちょっと愛ちゃん!」
 二人の住んでる場所を聞いた途端、僕は部屋から逃げる様に走り出した。

(どうしてだよ!なんで?お友達になれたと思ったのにさ!ろくな別れの挨拶も無しでさ!あれだけ楽しませてくれたのにさ!そりゃ、僕まだ男だよ!でも、あの時僕は女の立場だったじゃん!だからさ!せめて別れる時はさ、その、男が女にする別れの挨拶くらい、してくれてもいいじゃん!僕、本当に、一瞬だけどさ、恥ずかしいけど!信じられないけどさ!女になってたんだよ!キスまでしろって言わないよ。せめて、手握ってくれたり、顔を触ってくれるだけどもさ!)
 コンビニを曲がってから僕の目からは涙が溢れ出し、そして時折声を上げた。
 それは男じゃなくなっていく自分への言い訳の言葉も含まれていたのかもしれない。こんなに悲しい気分になって、胸にぽっかりと穴が開いて、孤独感が襲って、そして恋しくて恋しくて、もう一度会いたい!そんな気分になったのは、多分生まれて初めてだと思う。
 走って、走って、息も切らさず走って、衰えてきた脚の力を振絞って、走って、走って、そして夕闇の中目的の白いログハウスが見えた時、僕の顔は一瞬にして笑顔が戻り、そして走ってる辛さが全く嘘の様に消えてしまった。
(また会える!毅君と大輔君に!)
しかし、神様は無情だった。
『CLOSED』
 ログハウスのドアにはそう書かれた小さな看板が掲げてあった。全身の力が抜けた僕はがっくりと膝を付き、そしてペタン座りになって頭をドアに付け、そして拳で何度もドアを叩いた。再び襲ってくる大粒の涙。そして咽ぶ様な泣き声が僕の喉からひっきりなしに出てくる。
 なんでこんなに、こんなに悲しいんだろ。友達二人が帰ったというだけなのに…。

 走ってきた道をとぼとぼと歩いて研究所に着いた時はもう夜も深まった頃だった。汗と涙と、そして体に着いた潮を早く洗い流したくて、僕はそのまま風呂場に直行した。
 風呂場の中では丁度僕の同期四人が湯船に漬かって今日の楽しいひと時の事をわいわい話している。僕は着ていた服を脱ぎ、そして下着を外し、脱衣所の鏡でさっきの事できっとひどくなっているに違いない自分の顔を映してみた。とその時、
「うわあああああ!」
 まるで男に戻ったような、いや、今でも自分は男だと思ってはいるんだけど、僕は口に手を当て、そしてかがみこむ様にした後、恐る恐るもう一度その現実を見ようと、再び全身を映す。
 日焼け止め塗ってたはずなのに、僕の体には、スクール水着の日焼けの痕に、薄いけどくっきりとビキニのブラの痕が焼きついていた。そして下腹部にはおへそから下、太腿の上部の範囲が綺麗に焼け残っていた。
(もうだめ、もう僕理紗の前で、いや、人の前で裸になれない…)
 僕の悲鳴を聞いて慌てて飛び出して来た四人に、軽く事情を話すと、
「え?焼きたくなかったの?」
「あれ日焼け止だけど、日焼けをある程度抑える効果しかないもんね」
「どんなの塗ってもさ、完全に焼けないのなんてなよ」
「えー、でもかわいいじゃん、その日焼け」
 てんで好き勝手な事を言う四人の言葉なんてもう全く僕の耳には聞こえなかった。

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