早乙女美咲研究所潜入記

(3)毎日が女の子

 翌日以降、俺はとりあえず基礎の女性化トレーニングに励んだ。初日のメニューの他、女子高校生の会話を聞いて真似したり、基礎的な立ち居振る舞いの他、料理、洗濯、掃除そしてトレーニングの無い日曜には少女漫画、小説を資料室で読んだ。インターネットも携帯も使えないこの生活ではそれしか楽しみが無い。
 そして興味半分で読み始めたジュニア向けレディース雑誌。俺には知らなかった別の世界に迷い込んだみたいだった。そして同時に理紗の女としての苦労が少しずつ分かる気がしする。
(あいつら、男の知らないところでこういう努力とか気苦労とか悩みとか、有るんだ)
 毎朝早く起きて手入れ、ヘアメイク、服のコーディネイト、人間関係、女性特有の病気とか体の不調、男に対しての気遣い、そして女に対しての気遣いも…。
 今ここで理沙に会ったら、とりあえずその苦労を一言ねぎらってやりたい。
 俺自身が女の生活を始めてから、本当その事がわかってきた。そしてたちまち二週間が過ぎた。

 相変わらず可愛いトレーナーで女の子修行に励む俺。只他とは違い、女の子になるというか、例えるなら歌舞伎の女形修行って感覚。只違うのは女性ホルモンを体に入れてるという事だった。たいした変化も無く、別に気にしなかった俺。しかし、最初の異変に気が付いたのは、その二週間目だった。
 朝の洗顔時、自分の指が異常につるつるする感覚を覚えた俺。ハンドクリームを毎日塗っているせいかもと思って自分の手を見た時、自分の手の甲を眺めた俺はある事に気が付いた。
(俺の手のしわって、こんなきめ細かかったっけ…)
 手の皮膚の細かいしわが倍位に増え、その反面深さが浅くなっている。そういえばハンドクリームを塗る前にこんなにすべすべした肌触りになるなんて事…
 俺は何か他にもと思い、鏡で俺の顔を注意深く見たが、確かに顔の色は良くなり、ニキビも殆ど目立たない。概ね変化は無し。
(うん、まだまだ十分大丈夫)
 特に気にせず俺は洗面台を離れる。只、その時無意識のうちに鏡に向かって片目でウインクする俺。
(なんだ今の俺…)
 なんでそんな事したのか自分でもわからなかった。

 それから暫くたったある日。午前は体育。大塚先生の元中庭を軽く三週ほどするが、なんかいつもと違い疲れる。そして以前からやってる股割とペタン座りの練習。俺の又も大分開く様になったが、まだまだ体は地面につきそうにない。
「愛、まだ硬いか」
 そう言いつつ俺の背中をがっしりと掴み、ぎゅっと前に倒す大塚先生。と掴まれた背中がなんだか変。肩を掴まれた手がバイブレーターのマッサージ機の感覚。
「ひやっ!」
 思わず口にした俺の声に大塚先生が、
「愛、変な声だすな」
 もうすっかり仲良くなった他の二人が声を上げて笑った。
 ペタン座りも俺はまだなかなかちゃんと出来そうにもない。しかし、美紅はもうちゃんと出来る様になってた。そもそも同じ男でも骨格が違うんだよ。大体そんな事覚えても俺にはなんの特も無いしさ。

 俺が愛って名前になって三週間後、ゴールデンウィーク直前、東京組二人が帰ってきたらしい。どんな風になってるかと興味津々で玄関で待ち構える俺。留美も美紅も心は同じらしい。そして…
「わあ、愛さん、美紅さん、留美さん、お久しぶりですぅ」
「美紅さん、なんか可愛くなりましたねーぇ、留美さん、なんか歌舞伎役者みたーい、愛さん、なんかジャニーズみたいになりましたね!」
 な、なんだこの二人、声は変わってないけど、口調がその、完全に女っぽく…、な、なんか気持ち悪いぞ…て思ったけど、
 源吾郎こと源明日香は、完全に痩せたというか縮んでいた。森末竜馬こと森末美里は逆にすこしふっくらした感じ。二人とも眼鏡は女性用の細身の物を着用し、顎の青々とした髭の跡は消え、うっすらと赤くなっていた。美里に関しては、その顎の線はかくかくしていなくてうっすらと柔らかな線になっている。
「えー、百合先生、二人ともすごく女言葉上手になってるじゃん」
 一緒に出迎えた堀先生が驚いた表情。
「だーってさ、この二人アニメとか好きで、こうなる前からアニメの女言葉毎日聞いてたんだよ。今日から女言葉で喋りなさいっていったら、いきなりこの調子。もう、殆どトレーニングなんて要らなかったわ。まあ、女子高校生言葉とはまた違うけどさ」
 腕組みして呆れた様子で話す早乙女先生だった。でもそんな事どうでもいい。俺はさっき美里に言われた言葉が気になって仕方ない。
「早乙女先生、俺…いや、あたし、何か変わりました?」
 ちらっと俺の顔を見た後、
「あら、美男子になったじゃない。顔色良くなったし、顎の線丸くなったし」
 そう言って笑う早乙女先生の言葉にすごく気分良くなる俺。
 はなっから女になる気なんか無い俺。トイレでは相変わらず立って用たしてるし、夜は時々まだ半分男とはわかってるけど、可愛い姿の先輩達や風呂で見るMIKE先生の裸を思い出し、時々一人遊びやってる俺。男性アイドルが美貌を保つ為、女性ホルモンを使ってるなんて噂も聞いている。
(よし、一年我慢して美形男子になって、あわよくばスカウトされてアイドルなんて事…)
 そう思って満面の笑みを浮かべる俺。とにかくここのトレーニングは、芝居で女を演じる為のトレーニングと思おう!
 軽くみんなに挨拶をして鏡を見る為にその場を離れる俺。
「まあ、今のうちだけよね。そのうちびっくりするわよぉ」
 その時、早乙女先生がにやけながら独り言を言ってた事、そして毎日摂取しているホルモン剤がどれほど恐ろしいものだったかを俺は知る由もなかった。

 ゴールデンウィーク中はトレーニングは基本的にはお休み。当直はいるものの、先生達や先輩達もみかけない時が多かった。自主トレはOKで、皆はおのおのレッスンルームとか視聴覚室、デジタルルームとかで、声、基本女性仕草、ペタン座りとか又割りとか、女性向け雑誌、小説、映画とかの鑑賞とかをやってた。
 俺も皆に付き合ったけど、むしろ旧棟の自分の部屋から海の風景を見ながら波音を聞いてぼーっとしている事が多かった。
 ここに来てわかった女のいろいろな事。留学したら何しようか。もしアイドルスカウトされたらどうしようか、とか。
 不思議とここに来てから頭の中がすっきりする。今までわからなかった事がすっとわかる。そして、なんだかいろいろ想像したり思い出したりするのが好きになってくる。
「あーあ…」
 そう言って俺は、相変わらず可愛いトレーナーに足癖矯正用のギプスをはめたままベッドにダイブ。独り言とか、こういう突拍子も無い行動とか何故か最近増えてきた。
「みんな、どうしてるかなあ」
 親の事、理紗の事、そして中学の同級生の事。いろいろ思い出しつつ、疲れも有るのか俺はうとうとする。そんなこんなでゴールデンウィークはあっいう間に終わった。

 ゴールデンウィークが終わると、五人揃った俺達のトレーニングはがらっと変わる。一言で言うとより現実に即したものになった。
 ボイトレの基礎は終わり、日常的に女声を出す事が義務付けられる。ボイトレの時間は女声で歌う音楽の時間になる。俺もハスキーだけど何とか女声を出せる様になった。
 体育の時間は、日常着ていたトレーナーから、女の子用のピンクのショーパンとTシャツに着替えさせられた。男と違い女用の前開きの無いショーパンに新鮮味を感じつつ、皆の姿をじっと見る。同期の美紅のTシャツから透けるキャミ姿は可愛かったけど、他の三人の透けキャミ姿は…、あ、俺も同じ格好してるんだっけ。
 柔軟体操、マット運動、跳び箱、バスケット、ビーチバレー。俺が中学で体育の時間横で見てた女の子達と同じ体育のメニューをやらされた。
 しかし、俺ははっきりと自分の体力の衰えを感じた。足に力が入らない。すぐ息切れを起こしてしまう。
(こんなんじゃ、男に戻った時、高校の体育についていけないぜ)
 と不安になり、とにかく体を思いっきり動かそうとすごく真剣に授業を受けた。
 基本的には午前中は、高校入試対策も含めた勉学と女性文化とかの座学、そして午後はトレーニングになった。
 女性の仕草と身だしなみに関しては毎日徹底的に仕込まれた。豊富にある女性会話とか仕草の映像を元に、堀先生、渡辺先生、水無川先生、如月先生が殆ど個別指導で俺達に教えてくれる。
 そして、その他に、料理、洗濯、裁縫、アイロンかけ、ピアノとギター、服とか下着、アクセサリーの基礎、そして女性の体と健康なんてものも。
 一週間、そしてまた一週間…。
 ずっと閉じ込められているせいか、俺の頭の中にはいろいろな女の知識と経験がどんどん蓄積されていく。
(ちょっとまずいなあ、俺)
 メモ書き程度に綴っている俺のレポート用のノートの文字が、日を追うごとにだんだん可愛い丸文字になり、風船文字と共に最近では可愛いイラストまで無意識に描く様になり、はっとその事に気づいた俺は、ノートを閉じ、机にうつぶせになった。
 そして、五月も終わりになった時、とうとう俺にとって衝撃的な事が起きる。それは来るべくして起きた事なんだけど。

 数日前から予兆は合った。俺のバストトップが時々痛み、みるみる黒ずみだしたんだ。あまり気にしなかったのに風呂で突然その事に気づく俺。元々すごく小さかったはずなのに、いつのまにかその大きさは十円硬貨位に。
 そして体育の始めのランニングの途中、バストトップにキャミがこすれ、しばらく我慢したものの、とうとう俺は途中でうずくまってしまった。
「おい、どうした!」
 急いで駆け寄る大塚先生に、俺は事情が事情だけに恥ずかしくて答えられず、両腕を胸前で組んでただ下を向くだけだった。
「愛、保健室、行って来い」
 その様子を察したのか大塚先生が俺に言う。俺はバストトップがこれ以上こすれない様にゆっくり歩いて渡辺先生のいる旧棟1階の保健室へ向かった。
「愛ちゃん、どうしたの」
 渡辺先生のその言葉がなんだかほっとする。
「胸が、痛くて…」
 その言葉を聞くや否や、なにか意味ありげな笑みを浮かべる渡辺先生。
「はーい、こっち来て。そうだよねー、そろそろかもねー」
 歌う様に話す渡辺先生に手招きされ、カーテンで仕切られた奥の部屋へ行く俺。
「服とキャミ上げてみて」
 言われた通りにすると、俺の変わり果てたバストトップが見えた。全体に黒ずみ、しわだらけになり、そして赤くすりむけた様になったマチ針みたいな突起。
 そして指でバストトップの周囲を揉む様に触診される。
「ここ痛む?」
 バストトップの下に何かしこりの様な感じがあり、何箇所か触られるとズキンとする痛みが有った。
「あ、そこ痛みます…」
 そう答えた俺、しかしだんだん嫌な予感はしてきた。
「ふふーん…」
 笑顔の渡辺先生の口元が更に緩む。
「ニプレス貼っておこっか。まいったなあ…、ゆっこ先生今週いないもんなあ」
 と、その時部屋の入り口が騒がしくなる。
「渡辺先生、美紅も胸痛いってさ」
 カーテン開けていきなり大塚先生が美紅を連れて入ってくる。その時、俺は無意識のうちに服を下ろして胸を隠してしまう。なんでそんな行動とったかわかんないけど。
「えー、美紅も?」
「なんか、我慢してたらしいよ」
 痛みをこらえる様に目を瞑って胸を押さえている美紅。なんだかいたわってあげたくなる様な可愛らしい姿だった。
「だって、あれでしょ。おっぱい膨らむ前触れみたいなやつ。はずかしくてさー」
(げっやっぱり…)
 遂に来たかというより、早すぎるだろ!そんなのもっと先かと思ってたのに!
「美紅ちゃん、じゃおっぱい見せて」
 言われた様に服を脱ぐ美紅ちゃんを見ながらはっとした様な表情を浮かべる渡辺先生が大塚先生の方へ向き直る。
「ほら、大塚先生!そろそろ出てってよ。二人とももうレディーの仲間入りなんだから、男は出ていって。あとはあたしがやるから」
「お前レディーったって、まだ体は男じゃんか」
「胸がああなったらもうレディーなの!少なくともあの二人はもう男性機能は停止してるんだから!」
 渡辺先生のその言葉に俺は全身血の気が引く気分だった。
(男性機能停止!?)
 なんやかんや言いながら、大塚先生に蹴りをいれながらドアに追い返す渡辺先生と笑いながらそれを受ける大塚先生。蹴りをいれる渡辺先生のミニのナース服から時折真っ白のパンツが見える。それを笑いながら目で追う美紅。
 本来ならそんな光景を楽しむ俺なのに、そんな気分にはなれなかった。大きくため息をつく俺。やがて大塚先生を追い払った渡辺先生が戻ってくる。
「さあ、男は追い払ったから安心してね。お嬢様達」
 お嬢様って、俺…

 その日から、俺達研修生五人のキャミは、ジュニア用のカップ付きになってしまう。風呂場で一緒になった時、はしゃぎ合う四人を尻目に一人うかない顔をする俺。
「えー、どうしたのぉ、愛うれしくないのぉー」
 いつのまにか綺麗なうりざね顔の美少年になった留美が俺に近づいて来る。裸になった留美のバストトップもいつのまにか変化していた。俺と違い、色は赤黒く、そして形は全体的に円錐形。
「あたし全然気づかなかった。毎日見てるからかなあ」
「あ、あたしも。でも時々チクチクする痛みは有ったんだけど…」
 明日香と美里も俺の方へよって来て、自分の胸を指で触り独り言みたいに言う。
「愛、それ取ってみてよ」
 留美の言葉に俺はしぶしぶニプレスを外す。と、
(げっ)
 俺がそう思ったのと、
「わっ、可愛い!」
 美紅がそう言ったのとほぼ同時。マチ針の頭みたいな乳頭は小さいけど円柱形になり、ぴゅっと突き出たみたいになってた。
「あ、あたしもそうだよ。ほら!」
 美紅がそう言って嬉しそうに自分のニプレスをはがす。そこには俺の二倍位の大きさに成長した円筒形の乳頭が有った。
「いいなあ、二人とも」
 良くはないよ!こんなの理紗に見られたら、俺…。そうだ、あの薬飲むのやめよう!

 次の日の朝と昼、俺は毎食後のホルモン剤を飲むのを止め、ポケットにしまいこむ。ところが夕食の最中、俺の頭に強烈な痛みが走る。そして胸に再び激痛が走り、俺は食堂の机に倒れこんでしまった。
「愛!愛大丈夫!?」
 一緒に食事していた四人に介抱される俺に程なく水無川先生と如月先生が駆けつける。朝霧先生が呼んでくれたと思う。
「愛ちゃん、大丈夫れすか!どこ痛みましゅか?」
 相変わらずの口調で如月先生が声をかけてくれるけど、目のまわる様な痛みで俺は何も喋れない。前後左右の感覚まで鈍る中、俺は抱えあげられ、どこかに運ばれるのをうっすらと感じていた。
 気がつくと俺は渡辺先生の保健室のベッドに寝かされてた。傍らの時計を見ると、どうやら三時間近くも寝ていたらしい。
「気がついた?」
 傍らに座っていたいた渡辺先生の言葉、そして頭に載せられていたタオルに気がつく。
「あー、良かった…」
 大きくため息をつく渡辺先生。先生は椅子から立ち上がり冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出してぐっと一息で飲んでしまう。
(ひょっとして、ずっと俺の看病を??)
 俺はちょっと申し訳ない気分になり、布団を目の位置まで引っ張り上げた。程なくベッド脇に戻ってきた渡辺先生は、ミニのナース服のポケットから何かを取り出し、俺に見せた。
(あ、それ、飲まずにポケットに入れたホルモン剤の袋…)
 俺の心臓がどきどきし始める。
「どういう事?これ?」
「…」
「一回ならともかく、二回も飲むの忘れるなんて」
 渡辺先生の目がかなりシビアになっている。
「まさか、わざと飲まなかったんじゃない?」
 何も答えられない俺。
「ねえ、理由が有るなら教えてよ。女の子になりたくないの?」
 相変わらず厳しく追求する渡辺先生。病み開けで調子の悪い俺は必死で言い訳を考え続けた。そして、
「彼女…」
 と一言だけ言えた。
「彼女?へぇ彼女いるんだ」
 渡辺先生の言葉に、尚も考え続ける俺、
「彼女が、その、どう思うか…」
「どう思うかって、どういう事なの?」
 ふと、頭の中で即効で言い訳がまとまり、ふらふらしながらも俺は渡辺先生に話が出来た。

「ふぅーん、じゃ愛ちゃんの彼女は、愛がここに来た事知らないって事なんだ」
 それは確かに事実なんだけど。
「女になったら、愛ちゃんが悲しむかも知れないって、それで胸があんなになった時、一時的に恐くなってって事?」
 ボールペンを口と鼻に挟み、椅子の背もたれに深く座り、じっと俺の顔を見ながら話す渡辺先生。足を組み替える度に短いナース服からちらちらと白いものが見える。
「…へんなのー…」
 その様子を見てほっとする俺。とりあえずは下手だけど言い訳が通ったみたいだ。
「大丈夫だよ、その彼女とは絶対女友達になれるからさ」
 そう言って椅子から勢い良く立ち上がって、俺のベッドの脇に来る渡辺先生。そして
「女友達になったら、好きな男と食べ物の話で盛り上がればいいじゃん。女はそれが一番楽しい時だからさ。いずれは愛ちゃんにも彼氏が出来る時がくるし。でもね、共通の男の取り合いだけはやめな。女友達は、それが起きたらもう永遠におしまいだからね」
 そんな事絶対ねーよ!俺が男を好きになるなんてさ!
「あーあ、昔のあたし思い出しちゃった。こうみえても中学までは普通の男の子だったもんね。今はこんな姿になっちゃったけどっ」
 本当、それだけは俺いまでも信じられない。可愛くて胸とヒップがちょっとセクシーなこの看護婦さんが、元男だったなんて。
「そろそろ自分の部屋行って寝なさい。明日からはちゃんと薬飲んでね」
 お礼の挨拶をした後、俺はふらふらと自分の部屋へ戻った。

 その日の夜遅く、東京から堀先生が戻ってきたらしい。そして渡辺先生の部屋で何やら会話をしていた事は俺は知るよしもなかった。

「ゆっこ(堀)、お帰り。てか、なんなのこの時期にこんなに長く東京出張なんて?」
「久しぶりにハンさんとかライ先生にも会ってきたわよ」
「ライ先生にも?」
「うん、まだまだ元気そう。もう九十歳近くなのにね。ありゃ百は行くな」
「ふーん、あたしも会いたかったなあ。あ、そうそう、今日愛が大変だったの」
「愛ちゃんが?」
「ホルモン剤わざと二回も飲まなくて、例の発作が出たの」
「わざと?理由は?」
「なんでも、自分には彼女がいて、彼女が心配だからって、なんかわけわかんなかった」
「ふーん、そう…」
「明日の診察の時にでもゆっこから聞いてみてよ」
「…」
「何よ、愛が心配じゃないの?」
「…、あのさ、真琴(渡辺)。これから話す事は誰にも話さないで…」

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