とうとう真帆ちゃんと会う約束の土曜日が来た。昨日の金曜日待ち合わせ場所と時間をスマホで決めた後、心を落ち着けて、一日かけて今までの杏奈の日記とかスマホの記録を再確認。
柴崎さんからは、事故の為記憶障害が残って、かつ別人みたいになったという事にしようと言われたけど、少なくともわかる範囲で杏奈の過去の姿は記憶に留めておきたかった。
いつもより丁寧に朝の洗顔を終えて、上下お揃いのブラパンの上からオレンジの可愛いロゴTシャツを着ただけの姿で杏奈のクローゼットからお姉さん系と言われる衣装を取り出し、ハンガーにかかったまま鏡の前でいろいろ体に当ててみる僕。
女の子がデートの日、服がなかなか決まらないって、唄とか本で読んだりした事有るけど、本当すごくそれわかる。いろいろ悩んだ末、ワンピ三着を手にしてそのまま柴崎さんの部屋へ向かう僕。だってワンピって楽なんだもん。
そういえば、一昨日前の花火で浴衣を着たせいか、急ぐ時も小股でとことこと歩く癖がついてしまった。それに、スカートとか履かなかったのは、なんでだろ。暑いせいも有るんだけど、もう柴崎さんとか水村さんを同じ女性と認識したのかな。それとも、ティーンの女の子に近くなって、白くむっちりしてきた太股をおばさん達にみせびらしたいと思ったのかも。
「柴崎さーん、入るよー」
そう言うやいなや、僕は屋敷の大広間の裏の楽屋みたいな所に彼女が勝手に作った部屋の戸を開けてずかずかと入っていく。
「ねえ、今日の服だけどさー、どれがいいと思う?」
そう言って僕は持ってきた服を椅子に腰掛けてる彼女の前で次々と体に当てる。と、
「あ、あんた!なんて格好してんのよ!スカートくらい履きなよ!」
多分そう言われると思ったけど、
「いいじゃん、家の中だし、女同士なんだし」
と軽く受け流す僕の目に、部屋の奥に座ってるミニのスーツ姿の女性が映る。
(あ、そっか、土曜の朝は注射の日で、今日渡辺先生の問診だった)
「こんにちわー、杏奈ちゃん。今日デート?」
「あ、あの、こんにちわ…」
渡辺先生の挨拶に、ヒップを突き出し体をくの字にして、持ってきた三枚のワンピースを手に女っぽくなってきた体をそれで隠す様にして挨拶する僕。
「あ、あの、スカート履いてきます」
「いいわよ、女同士なんでしょ」
そう言って微笑む渡辺先生。そういえばこの人も昔は男の子で、早乙女美咲研究所で女の子になった人だっけ。
「デートなら注射と問診早く済ませましょ。そこにうつぶせに寝てちょうだい。スカート履いてないから楽だわ」
笑いながら言う渡辺先生の言葉に、僕はワンピを傍らに置いて、普段柴崎さんが寝てる布団の上に寝転ぶ。柴崎さんの普段付けてる香水の香りがつんと鼻をくすぐった。
「杏奈ちゃん、明るくて可愛い女の子になってきたわね。で、彼氏もう出来たんだ。彼氏は早く作った方がいいわよ。特に女の子になろうとしてる男の子はねー」
そう言いながら僕の横に正座して傍らの大きなカバンから注射器とかアンプルを取り出す渡辺先生。
「違うの。デートの相手は女の子なの」
「え、女の子?」
「う、うん」
困惑した様に渡辺先生に話す柴崎さん。
「まだ女の子が好きなの?」
「いや、そうじゃなくてさ…」
手短にこうなった経緯を話す柴崎さんと、僕のヒップを脱脂綿と消毒薬で拭きながらじっと聞いてる渡辺先生。そして渡辺先生が柔らかい手で僕のヒップを軽く触り始める。
「柔らかくて可愛いお尻になつてきたわね」
その言葉が僕の頭をくすぐり、恥ずかしくて何も喋れなくて軽く笑うだけだった。そしてお尻にちくっとした針とずしんとくるいつもの感覚。また一歩女の子に近づいた僕。でも、
「ねえ、渡辺先生。これ何の注射なの?」
「何って、杏奈ちゃんの体を女の子の形にする注射」
「だってさ、もう僕って女に近い体なんでしょ?卵巣と子宮入ってるし、ちゃんと女の子ホルモン出てるって聞いてるし…」
「まだまだ、女としては貧弱。もっとふっくらして柔らかくならないと」
「ふーん…」
「それにさ、まだ僕なんて言ってるし。まあ、あたしもさ、おっぱい出てきてから暫くは僕だったけどねー」
横で、へーそうなんだって顔して僕達の会話聞いてる柴崎さん。
「ちょっとおっぱい見せてもらえる?」
「えーー!」
突然の事に今度は大きな声を上げる僕。
「いいじゃない。もうおっぱい出来てるんでしょ?仰向けになってくれる?」
「う、うん…」
前は胸見せる事に抵抗なかったけど、こうはっきりと胸が出てくると、やっぱり恥ずかしい。僕は少し顔を赤らめてTシャツをたくしあげると、渡辺さ先生が僕の付けてるブラをそっとめくる。彼女の冷たい指先が、もう感度が数倍にもなった先端を触り始めた。
「あ、あん…」
思わず声を上げる僕。
「ちょっと上半身起こしてくれる?」
何も言わずにそうする僕の胸に、軽いおっぱいの重力を感じる。膨らみが目立ってきた僕の胸を片手がかわるがわる揉む様にする渡辺先生。やっぱりさ、女同士って言ってもやっぱり恥ずかしい。あ、でも渡辺先生も昔は…。
「まだ小さいけど、綺麗な形になってきてるわ。乳腺もしっかり出来てきてるしね」
一昨日の木曜日、女子更衣室で見た女の子達の裸をふと思い出す僕。そっか、あんな体になるんだ。
流石に僕の股間が見たいとは言われなかった。今男でも女でもない形になってしまった僕のそれ。流石に気を使ってくれたのか。
「そうそう、今日さ、以前本物の杏奈ちゃんとゆりゆりしてた女の子と二人でデートする事になったのよ。それでさ、以前どういう事してたのかわかんないからさ」
「それで?」
「事故で記憶障害もあって、以前の事あまり思い出せないって事にしろって言ったの」
「…いいんじゃない、それで」
注射器具をしまいながら、不安そうな柴崎さんの言葉を軽く受け流す渡辺先生。
「過去は過去。過去の事思い出すと死んだお兄さんの事も思い出すから、新しい二人の関係作っていこう。でいいんじゃない?」
「…やっぱそうだよね」
「大丈夫よ。女の子同士でゆりゆりするのなんて一過性だからさ。そのうち男の人に思いを寄せる普通の女になっていくからさ。あたしだって…ね」
「やっぱ渡辺先生の言葉って重みあるわ…ある意味経験者だもんね」
柴崎さんと渡辺先生の話ほ聞く傍ら、やはり下半身パンツだけの自分が恥ずかしくなり、寝ていた布団の傍らに畳んで置いてある柴崎さんのキティのワッペン付き激短いショーパンをごそごそと手にしようとして、
(何やってんの!)
て感じで手をはたかれる僕だった。
「あ、今日着ていく服一番左でいいよ」
「あ、あたしもそう思った。一番お姉さんぽいし。あ、それでさ」
柴崎さんの言葉に渡辺先生もうなずき、自分の付けている金に小花の装飾のネックレスを外しにかかる。
「あとさ、聞いたんだけど花火大会の時皆にちやほやされて嬉しかったでしょ」
外したネックレスを手に渡辺先生が続ける。
「あの時と逆の事を、真帆ちゃんだっけ?その子にやったげなよ。難しく考える必要ないからさ」
そして、僕が持ってきて二人に選ばれたワンピース。上が白いブラウスみたいで、ドッキングしているスカート部が薄い水色の膝丈のワンピを手にして僕にあて、ネックレスを胸元に宛がう渡辺先生。
「ほらあ、お姉さんスタイルじゃん」
「おー、すごい!」
渡辺先生のコーディネイトにわざとらしく手を叩く柴崎さん。
「あ、ありがとうございます」
僕がそう言ってネックレスを握り締め、ワンピ三着を手に持って部屋を出ようとすると、ティーセットを持ってきた水村さんともう少しで鉢合わせ。
「ちょっと、杏奈さま!なんて格好してんですか!」
そう言う水村さんに軽く手を振り、柴崎さんの部屋から出る僕。
「そっか、渡辺さんもとうとう先生になったんだ」
「そうだよー、もう大変だったんだからさ。仕事と勉強でさ」
「代わりの看護師は入ったの」
「そうそう、可愛いピチピチの女の子が三人。これから看護師の仕事も教えなきゃいけないから大変なの。しかも全員元男の子であたしの後輩だよー!」
水村さんも含めて三人のすごい会話が聞こえてくるけど、一体何てとこなんだよー、早乙女美咲研究所ってさ!
部屋に戻った僕は、鏡の前に立ち、万一に備えてって事で、昨日水村さんに教えられた女の子らしい着替えのおさらいを始める。
お尻を突き出して腕クロスしてシャツを首から抜いて、髪を一振り。ガニ又にならないように足をまっすぐ伸ばして、くるっと壁向いて、親指と人差し指でショーツを摘んで…。
以前藤沢で買った僕用のショーツを履いて、再び鏡に向かって。もう男の子だったとは思えない位変化した胸をちょっと指で触って、ブラを手に前かがみに、まだ小さな膨らみをカップに入れ、バレエの人みたいにしなやかな手付きでブラのホックを両手で持ち、背中でとめて、更に髪を一振り…。
ワンピを足から履いて、ゆっくりしわにならない様に引っかからない様に体に上げて、背中のファスナーを…。
卵巣とか子宮を埋め込まれた直後の時は、背中に手を回すなんて事すら出来なかったけど、筋肉が最小限になって、女の肉が体についてきて、ひじとかの関節が嘘みたいに柔らかくなった今は、もうそんな時の僕が嘘みたい。
スカート部との切り替えの所をスカートと同色のベルトで結んだあと、ドレッサーに座って、軽くお化粧して、マスカラ塗って、両手で耳にピアスして、もらった金のネックレス付けて、指にマニキュア、最後にピンクの口紅を…。
そして立ち上がって、くるっと一回転してスカートの着心地を確かめて、いくつか立ちポーズを、とその瞬間と、ぷっと吹き出す僕。
(とうとう僕、ご令嬢になっちゃった)
胸にうっすらと透けるブラを見つつ、横に向くと、小さいけど胸元にはっきりとわかる胸の膨らみ。その姿は生前の杏奈、いや、杏奈をもう少し大人びた風にしたみたいだった。
(女って、こうして大人に変わって行くのかな)
もはや自分が僅か三ヶ月足らず前、普通の男の子だった事すら一瞬忘れた僕の独り言だった。
「よし、行こう!」
以前に自分で買った薄いパープルのハンドバッグを手に部屋を出て、柴崎さんの部屋へ寄って
「いってきまーす…」
やっぱりこの格好恥ずかしいからどうしても小声になっちゃう。
見ると、柴崎さん渡辺さん水村さんがすっかり足崩してティーブレイクの真っ最中。
「おーおー、可愛いじゃん。おねーちゃんうれしーよ。あの右京君がこんな美少女になっちゃってさ」
そんな水村さんに僕はにっこり笑顔サービスで胸元で手を振る。ぷくぷくしてきた頬に笑窪まで出来始めた僕。
「ちゃんと教えた通りにやんのよ。失敗したら死刑だからね」
「あはは、なによそれ」
「いや、マジな話、あいつ死刑だから」
「え?どゆこと?」
柴崎さんと渡辺先生のそんな会話を耳にしつつ、僕は部屋を出た。
夏休みでごった返す江ノ電鎌倉駅の改札前。時計台のある広場からもううるさい位のセミの声。待ち合わせの十二時少し前から駅の喧騒と電車のアナウンスを聞きながらじっと待つ僕。
とにかく今日はなんとしてでも真帆ちゃんと話をあわせなきゃ。知らない事は忘れたって言って。そして、一昨日僕が多くの女の子にちやほやされたけど、そんな感覚で今日は真帆ちゃんのお姉さんみたいになって…
そんな僕を多くの人が振り返っていく。男も、そして女の子も。
変なのかなって思ってたけど、数人の女の子達のグループが僕を見た後、
「かわいい…」
「リゾート向きだよね…」
と言って立ち去っていったのを聞いて一安心。と、十二時を少し過ぎた頃。とうとう改札から出てきた真帆ちゃん。柴崎さんが予言した通り、ピンクのフレアスカートと白に花柄のブラウスだった。
(うわ、可愛い。男の子の時の僕だったら絶対…)
と、柴崎さんの言葉が浮かんでくる。
(いい?とにかくイニチアティブ取って、どんどんあなたから会話したり、歩いたりするの。真帆ちゃんに余計な言葉喋らせたり、余計な行動をなるべく取らさない事。事故をきっかけに別人というか、もっとお姉さんに、大人になったという事にするの)
僕はすかさず真帆ちゃんに向かって両手でクリオネの合図すると、
「あ…」
と一声上げた真帆ちゃんも同じサインを両手で。
「久しぶりよね。二人で会うなんてさ」
「う、うん。久しぶりだね」
「お昼食べてないでしょ?どっかで食べる?」
そう言いながら花火大会の時らに他の女の子にされた様に笑顔で真帆ちゃんに近づき、正面からそっと彼女の腰を引き寄せる様にする僕。
「う、うん…」
なんだかうかない返事の真帆ちゃんに構わず僕は話を続ける。
「そうだ、極楽寺行ってみない?その途中に小さな喫茶店あるから。ドーナツ美味しいってさ」
女になってきてから、一応近隣の店とかは覚えたつもり。
「うーん、ドーナツか…ま、いっかあ」
じっと僕の目を見つめながら言う真帆ちゃんの手を繋ぐと足早に改札へ急ぐ。
(やっぱり柔らかいよな、女の子の手ってさ)
僕の手も男だった時よりかなり柔らかくはなってるけど、もうこれ材質の違いなんだろか。
四両編成に満員の人。僕達はドア横にいち早く避難。手を握ったまま真帆ちゃんの背中が僕の膨らんできた両胸に当たる。髪からはシャンプーのすごくいい香りがする。
動き出した電車の揺れで、真帆ちゃんの柔らかい肩が僕に出来始めたおっぱいをブラ越しに撫でる感覚。
(やっぱり可愛い)
そう思いつつ左手で彼女のお腹に手を回す僕。横の女の子達のグループがそんな僕達をじろじろ見ていたけど気にしない。
「ねえ、入院中って何してたの」
不意に僕に目線を向けて言う真帆ちゃん。
「ずっと、真帆ちゃんの事思ってた」
「本当かなあ」
「本当だよ」
「…ありがと」
そう言って彼女はようやく初めての笑顔を僕に向けた。
トンネル抜けて電車はたちまた極楽寺の駅に到着。今電車がくぐってきた赤い橋を渡ってお目当ての古ぼけた駄菓子屋みたいな喫茶店に到着。結構お客さん多い。
「あたし、最近チョコ好きなんだ」
「へー、以前はクリーム挟んだのばっかだったのに」
「あ、入院してからさ、なんだかこっちの方が」
真帆ちゃんの言葉にひやひやしながらコーヒーと一緒にチョコドーナツを手に席に座ると、向かい席に座った真帆ちゃんが、大きなトートバックから一冊の本を出す。
「はい、これ」
と言って僕に手渡された本。僕は困惑しながらもそれを受け取る。
(これなんだろ…何なんだろ…杏奈がわからない訳ないよね。えっとこういう時は…)
僕は顔に満面の笑みを浮かべ一言、
「わあーっ」
と言ってほんの一瞬の時間稼ぎ。薄紫にシルバーの、タイトルは何も書いてない本、という事はもしや…
(日記?交換日記)
ふとぺらぺらとめくるとどうやら正解らしい。ほっとする僕。
「そうそう、これ、次あたしの番だったよね。郵送してくれれば良かったのに」
動揺を隠しつつ穏やかな笑顔を真帆ちゃんに向ける僕。でも真帆ちゃんは何も答えなかった。
僕は何も気にしていないって表情で傍らのドーナツを口にし始める。杏奈が物を食べる時の癖とかは、前もって思い出して事前に練習していた。手に持つた物を食べる時は両手で持ち、時々それをじっと眺め、時々右手で頬を突く癖。
鏡見ながらずっとそれを体得したその仕草で、笑顔で真帆ちゃんを見つめながらドーナツを口に。それにしても僕、女の子になり始めてから格段に食べる量が減った。手にしてるドーナツだけでお腹一杯になりそうな感じ。
手に持った飲み物のカップのストローを口にしてじっと僕を眺めていた真帆ちゃんも、ようやく手にしたチェリーの乗ってるドーナツを口に。
その間他愛の無い話が有ったけど、杏奈の日記とかビデオとかを記憶した僕は何とかついていけた。知らない事は忘れたって事にして。
しばしの昼食の後、店を出て僕が極楽寺に行こうとした時、
「行きたい所があるの」
突然真帆ちゃんからの提案。
「どこ?」
「藤沢」
「え?藤沢のどこよ?」
「ついてくればわかる…」
そう言って一人すっと元来た極楽寺の駅の方へ歩き出す彼女。慌てて後を追い彼女の手を握る僕。
途中、電車の車窓に海が見えても、商店街の真ん中を走ったりしても、僕が何を話しかけても、うかない顔で軽く返事したりうなづいたりしかしない真帆ちゃんに、だんだん不安になっていく僕。
終点の藤沢に着くと、僕の手を引っ張り、電車の来た方向の住宅街に僕を少し早めの足取りで引っ張っていく僕。途中、
「ねえ、どこ行くの?教えてよ」
と僕が尋ねても、一言も答えてくれない彼女。
(こうなったらいっそ、逃げた方が…)
と僕が思った時、
「…ここ…」
彼女が足が止まって、指差したその先には、信じられない建物があった。
(これ…ラブホって言われてる…)
「どうしたの?ゴールデンウィーク前さ、杏奈ちゃんから一度こういう所の中見てみたいって言ったじゃん」
杏奈!おまえそんな約束してたのかよ!
「あとここさ、女の子同士向けの部屋があるの。もう予約してあるからさ」
そう言いながら今度は逆に僕の手を強引に引っ張りながら、ホテルに入り、窓口でさっさと受付済ませて…
「あ、あの真帆ちゃん?あたしその、中見てみたいって言っただけで…」
「入りたかったんでしょ?」
「ほんとあの、休むだけね」
「わかってるわよ…」
そっきまで殆ど自分から何も喋らなかった真帆ちゃんが今度は大胆な行動。顔だけ見える窓口の人は、結構こういうの見てるのだろうか、口元が笑うのだけ見えた。
僕だって始めて見るラブホの廊下。想像してたのとは全然違ってすごく清潔で綺。
「ここだよ」
一階の一澪三号室と書かれてるその部屋のドアを鍵で開けつつ、
「みのりちゃんもさ、ここすごくいいって言ってたけどさ。知らないよね?」
と言う真帆ちゃんに、
「う、うん」
とうっかり答えてしまう僕。
「そうなんだ…杏奈ちゃんから紹介されたんだけど、やっぱ事故のせいなのね」
げ、引っかかった…とうとうやっちゃった。
「う、うん、ごめんね」
申し訳なさそうにそう言って部屋に入る僕だった。
部屋の中は、よく聞くラブホのイメージとは大違い。大きな白いダブルベッドに、マホガニーっぽい茶色の家具と白を基調にした、そうドラマで見るセレブの女の人が暮らすマンションみたい。テーブルの上には白い花瓶に二本の百合の花。
その机の横に座り、いきなりトートバッグから何かを取り出す真帆ちゃん。僕も黙って向かいの椅子に座る。真帆ちゃんが取り出したのは、長細い黄色に金の文字の入った小箱。
「え、これは…」
「ハチミツ酒、好きだったでしょ?」
僕の脳裏に、クリオネの誘惑の一文が浮かんでくる。
ルナを近くの高原みたいな公園に呼び出したクロエが、母親から無断で持ってきた蜂蜜酒。でもコップを忘れてきて二人で近くに咲いていた一本の花を摘み取り、それに注いで二人で飲むシーン。
「あ、あのシーンみたいよね。でもグラス、どうする?」
「いいじゃない、そのまま瓶から飲んじゃえば?」
「あ、うん」
なんか淡々と進んでいくその光景。僕は箱からまるで化粧水の瓶みたいな容器を取り出して、小奇麗な褐色の瓶をちょっと指で確かめる仕草をして、封を開けて、覚えた杏奈の仕草を真似して…
え、なんだこれ?すごく美味しい!お酒なんでしょ。今まで酒なんて正月の神酒しか飲んだ事ないけど、すごく美味!
「美味しい!」
空いた片手を胸にやる杏奈の仕草で、僕はその花の蜜みたいな、少しつんと香るその液体を一息で半分位一気に。
「すごい、お酒って感じしない」
「美味しいでしょ?」
真帆ちゃんもようやくにっこりと笑顔作ってようやく自分の分の箱から同じ瓶を取り出し、僕の持つ瓶に軽くカチンと当てる。
「二人のひと時に」
そう言って瓶に口を当てる真帆ちゃん。
生まれて初めてそんな美味しい酒飲んだ僕はなんだかすごく幸せになって、残った分を一気に…。それが悪夢の始まりだった。
急に頭と目がくらくらしてきた僕。
「あ、ちょっとごめん…」
やっとの事で立ち上がった僕は、そのままベッドの上に倒れて頭に手を当てる。
「杏奈ちゃん、酔ったの?お酒強かったんじゃなかった?」
ベッドに笑顔で近づいてきた杏奈ちゃん。でもその笑顔が何だか、怖い?
「杏奈ちゃん、あたしのもあげる」
そう言って彼女は手の持つ小瓶をぐっと酒を口に。
「あげる…」
意識がもうろうとなりベッドに寝転んだ僕に、彼女はベッドにダイブする様にして襲い掛かり、僕に口移しでその酒を僕の口に流し込もうとする。
(拒否したら、疑われる)
されるままにその酒を受け取り一息で飲む僕。だが、更に追い討ちをかけ頭痛までしだした僕だった。
「ねえ、あなた誰なの?」
そんな僕のワンピースの胸倉を両手でしっかりと持ちながら真帆ちゃんが言う。
「え、あたし、杏奈…」
「違うよね…」
おっとりした口調だけど、彼女の両手は僕を力強く揺さぶった。
「二人で会う時さ、いつもと違うメアドで連絡する約束だったよね?交換日記は郵送したら家の人に中見られるからって、必ず連絡してから手渡しだったよね?」
真帆ちゃんの手に入る力がぐっと強まっていく。
「クリオネのサイン、あれじゃないよね?柴崎さん、調査員のふりしてあたしに近づいたよね?海開きの時、あのピアス綺麗で他に無いデザインだからさ、あたししっかり覚えてるの!」
柴崎さんが真帆ちゃんに何したのかまではわからないけど、意識もうろうとしている僕には、いい言い訳が思い浮かばない。
「以前つきあってたみのりちゃん、忘れる訳ないよね?お酒、あたしより弱いはずないよね?たかが少しの四十度のお酒でこんなにならなかったよね」
そう言いながらは強引に僕の着ているワンピースの前ボタンを外し始める真帆ちゃん。
「誰よ!誰なのよあなた!あたしの杏奈ちゃんに化けて!何企んでるのよ!」
もう杏奈本人と言うのは無理。少なくとも僕が男だって事だけは…。前に水村さんが言ってた、おっぱい見せたから別に変に思われなかったという言葉を思い出して、抵抗しない事にした。というか、もう熱っぽくて、頭痛くて、だるくて…。
ほどなく胸に開放感と、ブラを上にたくし上げられるのを感じる。そして冷たい手で僕の微乳をぐいっと掴まれる感触。
「違うじゃない!杏奈のおっぱいじゃない!こんなに小さくて硬くない!」
もうだめ、更に失望が加わって僕の意識は完全に途切れた。