俺の中の杏奈

(7)女って、はかなくてめんどい生き物

 「予定変更!今日から三日間の午前中はテニス練習。杏奈ちゃんもかなりやってたみたいだからさ。京極家のテニスコートに動ける服装で行って来い!コーチは頼んでるから!」
 翌朝いきなり柴崎さんにそう言われた僕。
外は初夏とはいえ、日差しの強くなる頃。全身にUVケアのクリームを塗って、顔もそれ系の化粧品で軽くメイク。水村さんに選んでもらった杏奈のスポーツブラとショーツ、そして黒のショーパンとピンクのTシャツ姿で、本当久しぶりに屋敷の外へ出る僕。
 京極家の屋敷から歩いて五分。もう女の子スタイルでしか外出許可出ないけど、人目も無いし、初夏の新緑の景色が最高!。もう眩しい位!。
 杏奈の二十四・五のテニスシューズは少しきつめだけどなんとかフィットしてるみたい。もう僕こんなに足が小さくなったんだ。杏奈の好きだった男性ユニットの曲を口ずさみ、本当うきうきでテニスコートへ急ぎながら、
(コーチって、どんな男の人だろ。女の人かも。ちゃんと僕を女の子扱いしてくれるのかな)
 なんて思いつつ、坂道を下ると見えてきた綺麗なテニスコートと横に有る小さなクラブハウス。
 畳敷きのクラブハウスに入って腰を降ろす僕。まだコーチの人は来ていないみたい。土間みたいな所に座って、足をぶらぶらさせたり、軽く鼻歌歌ったり。
 と外で車の止まる音がして、誰かが足早にこちらに向かってくる。僕も立ち上がってご挨拶の準備。
「ああ、遅れてごめんなさい。君がテニス始めたいって方ですね。よろしく!僕はコーチの…」
 大きなバッグを肩にかけてクラブハウスにそう言って入ってきた白のシャツにショーパンの見るからにテニス出来そうな人は、ちょっといぶかしげに僕の顔を見て、間を置いた後みるみる顔を曇らせた。
 僕も彼の顔を見つめ、思わず
「あ…」
 て声を上げてしまう。
「お前…だったのか…」
 それは、先日もう暫く会わないって言ってた、田柄さんだった。
「よ、よろしく、おねがいいたします」
 僕はバツ悪そうに両手を前に深くしおらしくお辞儀をした。

「はい構えて、はい振って、戻して、体の重心は?そう…」
 コーチと生徒。お互い相手が誰なのかを意識しない様にしてのテニストレーニングが続く。時々田柄さんに手足や体を触られ、ラケットの素振りとか姿勢とかを教えられていく僕。
 ほんの二ヶ月前までは殆ど変わらなかったのに、もうはっきりと違いが出てきた手足の色と形。田柄さんと比べると僕の手足は一回り細くなって、曲線で縁取られて、白くなって、柔らかな肉で包まれて…。
 素振りの後、サーブの練習した後、簡単なフォアストロークの練習。右に飛んで要った田柄さんの打ったボールを全力で追いかけた時、突然胸に来たものすごい刺激と、足腰の違和感。
「あん!」
 そう言って僕はコートに転がってしまった。
「おい、どうした!大丈夫か!?」
 慌てて駆け寄ってくる田柄さんだったけど、僕の口から出た言場は彼を呆れさせてしまう。
「胸が、ゆれて、変な感じ…足がうまく動かない」
 はぁー…とため息をつく田柄さん。
「そりゃお前、女になり始めたからなぁ。その様子じゃ足の筋肉だってもう消えてんだろ」
 僕の方を振り向きもせずコートに戻る彼だった。
 ともかくその変な感じを我慢し、歩幅を短く小走りにしながら暫くフォアストローク続けたら時間となった。
「じゃ明日もよろしく」
 帰り際、ふと振り返っただけで、車に乗り込んでエンジンかける田柄さんを車の横で見送る僕。なんだか切なかった。
 二日目はバックとレシーブとネット際でのボレーのトレーニング。だんだん上手くなっていく僕の顔に笑顔も戻ってくる。
元々運動神経は良かった方だけど、それに加えて田柄さんすごく教え方上手い!それに、友達みたいだった彼が、なんだかかっこよく感じていく。でも彼は常によそよそしい感じで、終わったらさっさと荷物まとめて車に向かう。コートでひとりぼっちになった僕の心に漂うむなしさと寂しさ。
 三日目、僕は昨日着ていた短パンとシャツを止め、杏奈が持っていたテニスウェアの中から、とある有名ブランドのピンクのスコートに白地にピンクのアクセントの入ったシャツのセットを引っ張りだした。そして念入りにお化粧して、ダンスの時のグロスと口紅で唇を赤くつやつやにして…
 スカートと同色のピンクのアンスコを履いて上下のユニフォーム着て鏡に映った僕は昨日よりも断然可愛くなっていた。
(僕って一体何を田柄さんに求めてるんだろ。こんなに短いスカート履いてさ)
 スコートから伸びる僕の太股は一番最初に女になり始めた所だけど、もう十分女で通じる位の形と色を備えていた。
 その姿で何かどきどきしながらテニスコートに向かう僕。
(田柄さん、どんな顔するだろ。僕のスカート姿見るの初めてのはずだし) 
 だが田柄さんは冷たかった。
「おめ、何考えてんだよ…」
 そう一言言って、テニスコートで待っている僕の横をすっと通過していく彼。
「今日で最後だ。簡単な試合形式でいくからな」
 最後って言葉が僕の心につんとくる。
 大分手加減してくれる田柄さんのプレイになんとか追いつける様になっていく僕。もっと、もっと続けたいと思う僕だけど、とうとう終了時間が来てしまった。
「上手くなったよ。それじゃな」
 荷物を取りにクラブハウスへ向かう彼。
(帰っちゃう!田柄さんが帰っちゃう!)
 思わず彼の後を追ってクラブハウスへ向かう僕だった。
 
「何だよ?何か用か?」
 汗臭いシャツを脱ぎにかかった田柄さんが追いかけてきた僕にぶっきらぼうに喋った。
「あ、あの、三日間、ありがとうございました」
「ああ」
 ぺこっと女の子のお辞儀をする僕に、無表情で軽く返事する彼。
「あ、あの…」
 まだ何か言いたげな僕を黙って無表情でちらっと見る彼。
「あの、亡くなった杏奈からの、伝言が有るんです…」
「杏奈から?」
「はい。杏奈の日記に書いてありました」
 なにやら疑いの表情を見せた後、再び僕の顔を見つめる田柄さん。
「んで、なんだって?」
 僕は大きく深呼吸して、そして田柄さんを見つめて言う。自分では杏奈の気持ちを代弁したつもりだった。
「田柄さん、あなたの事、だんだん好きになってきました。今度…」
 僕が全部を言わないうちに、彼は脱いだシャツを傍らに投げ捨て、そして僕の方に歩み寄り、そして僕の横の壁にドンと手をついた。
(あ、壁ドン…)
「俺をからかってるのか?女が男の前でそんな事言ったらどうなるか、教えてやるよ!」
 たちまち僕は田柄さんに肩をつかまれ、土間から畳敷きの上に連れて行かれ、そして押し倒されてしまった。
「田柄さん!違うの!本当の事だもん!」
「うるせぇ!あいつが死んだ時、どれほど俺悲しんだと思ってんだよ!」
 そう言って僕の上にのしかかり、手で僕の胸をぎゅっと握る彼。
「さっき胸がゆれてとか変な事言ってたよな。どれだけ女になったか見てやるよ!」
「田柄さん、ちょっと!やめて!怖い!痛い!」
 以前の僕ならそんな田柄さんを振り切って逆襲していた。でも、今の僕にはそんな事しようなんて気も起きない。ただ、ただ、怯えるだけ。
「ちょっと、田柄さん!」
 僕のユニフォームの上着を強引に脱がせる彼。僕の白のスポーツブラが彼の目に映る。
「何ブラ着けてんだよ!」
「やめて!嫌だったら!」
 とうとう彼の手は僕のブラをめくり上げてしまう。そして彼の目の前に晒されてしまった、白くふくらみかけた胸と赤黒く大きくなった僕のバストトップ。あまりの事に僕は目を閉じ、両手で顔を覆う。
 田柄さんもかなり驚いてた様子だった。幼馴染の僕が、いつのまにかこんな体になってたなんて。だけど、彼は顔を振って僕の顔を怖い顔で睨む。
「男を誘った女はこうなるんだよ!」
 僕にのしかかり、体でがっしりと僕の動きを止めた田柄さんは、僕のバストトップを指でころころともてあそび始める。胸に今までに感じた事の無い感触。それは、気持ちいいのか、恥ずかしいのか、くすぐったいのか痛いのか、それが全部混じってるのか、全くわからない変な感じ。
「ちょっとやめて!やめて!」
「お前、これもう女の胸じゃんかよ!」
 彼の手は全く動きを止めず、今度は彼の下半身が僕のスコートで包まれた下腹部をぐいぐいと押し始める。
「い、いやだあ!僕!」
 僕は女の最後の防御機能を使おうとした。そう、他に助けを呼ぶしかない女の悲鳴って奴。すでに練習ではもう出る様になってたけど。ここは誰もいない山間の場所。それに僕が悲鳴あげたら、田柄さんもっと怖くなりそうで。だから。やめて、田柄さん、本当にやめて、僕怖い!
「お前、もうあれねーじゃんかよ!取ったのか!?」
 違うよ!もう小指位になって、スポーツショーツで押し付けて…、だから!やめてって!
「教えてやるよ!女って奴を!」
 そして乱暴な素振りをやめ、今度は僕の大きくなったバストトップを口に含む彼。
「あっ、あん!」
 その途端僕の口から出る、今まで出した事の無い変な声。そして、体からむわっと蒸気の様に何かが吹き出すのがわかった。それは、僕が今まで嗅いだ事の無い甘くて切ない香り。女の子に近寄った時に香るあの独特な、
(これ、これって、女の子の臭い…)
「お前、臭いまで女になったのか」
 そう言いつつ、僕のスコートに股間を押し付け、僕の膨らみ始めた両胸を口と手で交互にもてあそぶ彼。その彼の股間の物が、だんだん大きくそして、熱く…。
(僕、僕…女の子に見られてる!)
 その途端僕のお腹に感じるジーンとした不思議な心地よい感覚。そして退化した男性自身の先っぽから何かが染み出てくる。まさか埋め込まれた女の子の機能が…。
 いつのまにか僕は抵抗する事をやめていた。とろんとなっていく目、口から漏れる女っぽくかわいくなっていくあえぎ声。そしてじーんと感じ始める僕のお腹。
 押し付けてくる田柄さんの物をぎゅっぎゅっと押し返す様にして円を描きはじめる僕の腰。そして、彼に全身を触られて気づいた僕の体にいつのまにか出来ていた、気持ちよさを感じる女の性感帯。
 僕の意思とは関係なく、体が勝手に…。頭の中で以前見たAVの女の子の姿が再生される。
(もうだめ…僕どうにかなっちゃいそう…)
 とろんとした感じている女の子の表情になっていく僕に、田柄さんはまだ気づいていない様子。僕の頭の中で何かがプチプチはじけていく。そしてとうとう、
「正義(田柄)くぅーん…」
 甘い声でそう呟いた僕。全身を触られる僕の感じる心地よさはとうとう頂点まで達し、僕の体は更に熱っぽくなり、両足は勝手に田柄さんにからみつき、両手もいつのまにかひとりでに彼の背中をぎゅっと抱きしめ、彼のあれがもっと感じる様に、足が勝手に開いて…。
(きっと、きっと田柄さん僕に興味持ってくれてるんだ)
 僕の頭が勝手にそう判断した。だって、すごく気持ちよくて、もう何も考えられないんだもん。
「ねえ、僕、女っぽくなったでしょ?柔らかくなったでしょ?」
 ところが、その途端
「いいかげんにしろ!」
そう言って田柄さんは僕から離れ、僕を突き放して土間に立ち、バッグから新しいシャツを出す。
「勘違いするなよ!お前がどんなに女のふりしようとも、俺の頭の中じゃお前は右京のままだ!」
 一瞬にして気持ちよさが以前の恐怖に変わってしまう僕。
(違うの!女のふりしたんじゃないもん!何だか田柄さんが愛おしくて…)
 その言葉は思うだけで、怖さのせいで僕の口からは出なかった。
「右京…、ばいばい」
 衣服が乱れたまま呆然と座っている僕の前から彼はさっと姿を消し、やがて車のエンジンの音がした。やがてクラブハウスに静寂が戻ってくる。
「わあーっ!」
 僕の口からはありったけの悲鳴が上がり、畳敷きの上に倒れこんだ僕は体を震わせて身をよじった。
「そんなのじゃないもん!そんなんじゃないもん!」
 今思い返してみれば、さっきの僕の姿って、ただの欲情した女の子だよね。でもさ!
「なんだよ!田柄さんだって、僕に女を感じてくれてたじゃん!あれ、大きくなってたじゃん!」
 暫くの間畳の上で呆然としている僕。すっごく衝撃的な形で自分の中の女の部分を知ってしまった僕だった。。
涙も止まった頃、僕はさっきの田柄さんにされた心地よさが忘れられず、まだグスグス言いながら、女の子のそれになりはじめた胸にそっと指を当てた。未練がましくもう一度あの時を思い出す様に。
 そして、それは止まらなかった。口から出る可愛い悶え声はだんだん大きくなり、そして片方の手はいつの間にか自分の股間をまさぐり始め、いつの間にかアンスコとスポーツショーツの中に滑り込んでいた。
 小さく退化した自分の男性自身が手に当たる。本当ならそれはさっき田柄さんに押し付けられた様に大きくなる物。それがもう小さく柔らかくなって、二度と大きくなる事はなくなって。
(もう男じゃない!男じゃないの!)
自分自身を慰める様に、胸と退化した男性自身をもてあそび、わざと女の子らしい声を上げる僕。それは僕が女の子として始めて一人エッチを覚えた最初の瞬間だった。
 と、突然クラブハウスの外で僕を呼ぶ声がする。水村さんだった。帰って来ない僕が心配になって様子を見に来たんだろう。
「杏奈さまー」
 その声に僕は一瞬で正気に戻り、スコートを整え、ユニフォームの上着を大慌てで被った。
 その日の夜の夢の中、予想はしていた通りスクールユニフォーム姿の杏奈がすごい形相でなにやら棒の様な物を持ち、暗いどこかの街中で僕を追いかけてきた。
「馬鹿兄貴!あたしを変態にする気か!」
僕は今朝着ていた杏奈のテニスウェア姿で彼女に何発も殴られ、どこまでも追ってくる杏奈からただひたすら逃げていた。
 ようやく杏奈から逃げたと思って路地から出た瞬間、
「こんにゃろ!」
 そう言った彼女の手に持った木刀をおもいっきり頭にふり降ろされる僕。そして気が付くと僕はベッドの下に転がり落ちていた。
(ごめん杏奈。でも僕もうどうしていいかわかんない)

 日付は七月一日。とうとう海開きの日。僕の杏奈デビューの日の朝がやってきた。
「ふぁー!なんとかぎりぎり間に合ったって感じかなあ」
 昨日深夜まで僕の体の再調整をしていたあきさんがおおきなあくびをした。
 その横で広瀬さんが、今日の海開きの詳細資料を手にいろいろ確認していた。横から柴崎さんもそれを興味深く覗いている。
 僕は花柄の短いキュロットと白のブラウスにお化粧して、
(杏奈ちゃんのつんとしたおすまし顔)
 で椅子に座ってそれを聞いていた。そしてこの部屋に来る前に両親と杏奈の仏壇の前で手を合わせる事も忘れていない。
 いつの間にか、口調は親父お袋から、お父さんお母さんに。着ている服も、シャツだったのがしっかり胸に付いたブラが透けるブラウスに。ジーンズからスカートに。足も正座からペタン座りに。顔は二重になった目と膨らみ始めた頬。それにうっすらとメイクして赤く染めた唇。
 親父達はこんなに変わった僕をどんな気持ちであの世で見てるんだろうか。
「杏奈、今日お前の夢叶えてくるよ」
 先日夢の中でさんざんぶちのめされた杏奈にそういい残して仏間を出る僕。最もちゃんとうまくいくかわかんないけど。失敗したらまた化けて夢に出てくるんだろなあ…。
 
「今日杏奈さま一人だけの予定だったんですけど、二人急遽追加になった様です」
「あー、ひょっとして事故の件も有ってドタキャン有り得ると踏んだか?」
 広瀬さんと柴崎さんの話を聞いていたあきさんが顔をしかめ、ヒッピーみたいな髪を揺らす。
「ていう事はさ、着替える場所は一緒かもなあ。杏奈ちゃんよー、おめー女二人と一緒に水着に着替える度胸有るか?」
 僕はあっけに取られて口をぽかんと開けてあきさんを見つめた。女の水着着替えは何度か練習はしてるけど…。
「田柄さんの件も失敗しちゃったしねぇー」
 ぼそっと柴崎さんが言うのを僕は聞き逃さなかった。まさか僕に田柄さんをぶつけたのは、この女!?僕の頭に備わり始めた女のセンサーと感がそう呟く。
(杏奈ちゃんの怒ったふくれっつら顔)
 で柴崎さんをじっと睨みつけると、それに気が付いた柴崎さんが何故かあたふたし始める。
「え、え、いや、あーたーしーはー、田柄君に杏奈ちゃんにテニスおしえてあげてって、言っただけよぉー?あ、あはははは」
(やっぱりこの女が!)
 そのままじっと彼女を睨みつける僕。
「それでー、水着なんだけどさ。用意されたスカートビキニって事以外まだ知らされてないの」
「あー良かった。ビキニだったらどうしようかと思ったぜ」
「まあ、毎年スカートビキニだったけどねぇ。あとやる事は供物を海に放り投げる事。あと皆にドボンて海に投げ込まれる事。あとは大会役員さんの接待。あと始終にこにこしてる事。それくらいかなあ。いつもとおんなじか」
 広瀬さんと柴崎さん、そしてあきさんの会話にだんだん現実感を感じる僕。ああ、もう出発の時間が来る。
「あ、おい、今日京極夫妻は来るのか?」
「あ、予定では今日来られる事になってます」
「大澤さんは?」
「今日は公務で出張です」
「全く、何からなにまでこっち任せにしてよ。いい気なもんだぜ。じゃ行くか」
「大丈夫よ。なんとかなるわ。あたしは杏奈ちゃんの力を信じてる。あの子の体の中にいる杏奈ちゃんの力を」
 そう言って次々席を立つ中で僕はただ震えていた。
(京極おじさん来るの?やめてよ!女の子になった僕を見られるの、田柄さん以上にマジ恥ずかしい!)

 もう車の中で武者震いしまくりの僕が、海開きの行われる湘南海岸のちいさな海水浴場に到着したのは十時近く。
 本部とか来賓とか書かれたいくつものテントが並ぶ砂浜を囲う堤防横の公民館みたいな所の駐車場に車を止め、まだ慣れないミュール姿で車から一歩踏み出す僕。集まり始めた人々の前でとうとう女の子デビュー。と、
「京極さん!いやあ、ありがとうございます!今日は来られないんではないかと」
 揃いのハッピを来た年配の男の人達が何人も車の近くにやってくる。何人かは女性化トレーニングで大澤さんが見せてくれた顔写真の人。
「ほら、ご挨拶!」
 小声で僕に言う柴崎さん。僕も頭のスイッチを女に切り替えた。
「わあー、組合長さん、魚協長さん、お久しぶりですー」
 ありったけの笑顔で集まった人達に深くお辞儀する僕。
「いやあ、覚えていてくれましたか。ありがとうございます。本当お元気になられて良かった」
「暫く見ないうちにすっかり大人になられて。さあ、ここでは日に焼けますから中へどうぞ」
 良かった。どうやらパスしているみたい。建物の中へ案内される僕に今度は今日のイベント関係の人が資料を持って近寄って来た。
「えっと、京極杏奈さまですね。遠いところありがとうございます。中の和室の休憩室を控え室にしてあります。そこで荷物置いてお着替えになった後、その上から今着ておられるお召し物を着て、来賓席のテントでお待ちくださいね」
 年配のおばさんがそう言って僕に水着の入ってる紙袋を渡してくれた。
「あ、ありがとうございます」
 ぺこっと女の子お辞儀をして、そして柴崎さんと広瀬さんのいる所へ行こうとすると、逆に二人が近寄って来る。柴崎さんは付近に誰もいない事を確かめると、僕に小声で言う。
「杏奈ちゃん。ここから先は一人で行くの。大丈夫、自分に自信持って」
「えー、ついて来てくれるんじゃなかったの」
「バカ!何甘えてんの!早く行きなさい!」
 とうとう自分のバッグと水着の入った紙袋を手に、一人女の世界に踏み出す僕。恐る恐る公民館に入ると、すぐ横にあった
「キャンペーンガール控え室」
 と書かれた張り紙の有る休憩室のドアをノックして開けると、良かったまだ誰もいない。ほっとした僕はその部屋に入り大きく深呼吸して着ている服に手をかける。
(大丈夫、僕は女の子!女の子だから)
 とその時、部屋のドアがノックされ、ぎょっとしてその方を振り向く僕。と、二人の女の子が飛び込んできた。
「きゃあああ!杏奈!杏奈!杏奈じゃん!」
「久しぶり!元気そうじゃん!」
 一瞬驚く僕。でもさっきの深呼吸のせいで冷静になっていた僕は、頭の中のデータベースをひっくり返し、スイッチを入れた。えっとこの二人って、杏奈の親友の真帆ちゃんと愛利ちゃん。えっと、えっと、杏奈の暫く会わなかった友達との再会の仕草…
「きゃあ!真帆、愛利!お久しぶり!」
 慌てたためか二人の名前を間違えて、手のひらをお互い打ち合う挨拶をしてしまうけど、
「なに名前間違えてんだよ」
 と笑って二人とも全然気にしない。
「杏奈、大変だったね。でもすごい元気そうじゃん」
「ねえ、痩せた?そりゃ痩せるよね、あんな事有ったし。でも、なんだか大人びてしっかりしたって感じ」
 口々にいろいろ喋る彼女達に合わせていく僕。もう大変、頭がこんがらがる。でも、
(うげっ僕この娘達の前で、水着に着替えるのかよ!)

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