風呂から上がり、ふと脱衣所の鏡に全身を写し、女になりつつある自分の体をじっと見つめる僕。
(こんなになっちゃった)
二重にされ、眉毛を細くされ、睫毛も伸びた僕の目は更にぱっちりとなり、愛くるしさが増していた。ヒッピーおじさんによって小さくされた肩幅、筋肉が消えぽちゃぽちゃとしてきた二の腕、そして、
僕はクロスした手で両胸の先端をちょっと触って見ると、はっきりした柔らかくてぽつんとした感覚が指に伝わってくる。
小さいけどはっきりそれとわかる乳房の輪郭。その上に乗っかる赤黒く変色して大きくなった乳輪の先端には、はっきりとした円筒形のバストトップが出来上がっていた。
胸のあばら骨はすっかり柔らかい脂肪に埋まり、殆ど見えなくなっていた。そして女性型に整えられた恥毛、脂肪が一杯付き始めた太股。そして、体をねじってみて初めてわかったのは、男にはあるはずのお尻にあるくぼみはやはり脂肪で埋まり、小さいけど丸くて柔らかそうな女の子のヒップに変わりつつあった。
(こんな体になる前に、一目男だった頃の高校の友人に会いたかった)
一緒に勉強した奴、バカやった奴、一緒にAV観た奴、片思いの女の子。僕は無言で目を閉じ、短い杏奈のショーツとタンクトップを着て、そして脱衣所を後にした。
部屋で食べる水村さんの作ってくれた朝食。いつもとあまり変わりないけど、多分僕が男の子として食べる最後の朝食かもしれないなんて思っていると、水村さんが僕を呼びに来た。洋間に来てくれって、やはりなんだかいつもと違う。
朝の九時頃だろか、洋間の床にはビニールシートがひかれ、簡単な美容院みたいになっていた。
(あ、僕髪いじられるんだ)
なんて思ってると、部屋にいたスーツ姿の柴崎さんの僕を呼ぶ声がする。部屋には広瀬さんもいた。水村さんも何やら手に紙袋やらケースやら何やら持って入ってきて、部屋の扉をバタンと閉める。
(一体何が始まるんだろ)
と僕が思っていると、僕の目の前にすっと柴崎さんが立った。
「杏奈さん。今日からあなたは正式に京極杏奈として扱われます。女の儀式めいた事するけど、もう今はここは男性入室禁止にしてますから、気楽にしてください。それと今までは杏奈ちゃんのふりや真似でしたけど、今日からは京極家のご令嬢、そして女として扱われます。覚悟出来てる?」
「はい」
それ以外どう答えろって言うんだよ!柴崎さんが続ける。
「最初に、女性になる誓いを立てて下さい。今からあたしが言う言葉を復唱してください。女性としての最低限の心構えです。愛・笑顔・友達・清潔・可憐・美麗。いい?」
三回復唱した後、僕は用意されていた椅子に座らされ、水村さんが横に付く。
「はーい、じゃ杏奈さま。ハサミ入れますよぉ。覚悟してくださいねぇ。まだ伸ばすから今日は整えるだけですけどぉ」
美容師の経験の有る水村さんが僕の前髪を全部下ろし、長く伸びた僕の髪の毛先とかを手早くカットしてくれる。
「あ、杏奈さま、産毛生えてますよ。ほら」
その声に広瀬さんと柴崎さんが僕に近寄ってくる。
「あー、ほんとだ」
「一年で杏奈さんの髪もこんな柔らかく生え変わりますから楽しみにしててくださいねぇ」
僕の髪型はいわゆるショートボブという形になっていく。そしてヘアスプレーをかけられると僕の髪にはうっすらと天使の輪。もう目から上は完全に女の子だった。
椅子から立ち上がった僕に再び水村さんが近づき、僕の背後に立つ。
「じゃ、杏奈さま、目つぶっていてくださいねぇ」
鏡に写る、更に一段階女に近づいた自分をぼーっと見ていた僕は、言われるままに目を閉じた。と、部屋着の上着を脱がされていく間隔。そして僕の両腕に何かを通され、両肩に紐みたいなのが、
(あ、これ!)
そう思った瞬間、僕の背中で何かホックみたいなのが留められ、そして胸がきゅっと締まる。
「はい、目開けていいですよぉ」
思わず目を開け鏡に写った僕を見ると、胸には僕の今履いてるのとおそろいの柄の、
「はーい、杏奈ちゃん。女の仲間入りね。初めてのブラって女の子でも嬉しいからねーぇ」
ブラに冷たい指を滑り込ませて、いろいろ調べてる水村さん。と、
「わあ、おっぱい柔らかくなりましたねぇ。はい、ぴったりですぅ。杏奈さんBカップだったから、同じ柄のA買ってきたんですけど、おっけですねー」
何故か心臓がどきどきして、口が何か言いたげに動くけど、何も喋れない。なんでなの?僕ってこれを望んでたの?
「今はまだ先っちょ守るだけですけど、杏奈さんと同じ位になったら、本当これ無しでは歩けなくなりますからねぇー」
「どうして?」
「そのうちわかりますー。はーい、次、杏奈さまの学生服でーす」
水村さんに促される様にして、俺はいい香りのする洗い立ての制服のブラウスに両腕を通した。
「もう知ってると思いますけどぉ、女の子は右前ですからねぇー」
「水村さん、楽しんでるだろ」
「やだなーもう、女同士になったんだから、めい(五月)でいいですよー」
慣れない手で女物のブラウスに手を通すと、ささっと赤のボウタイを胸に結んでくれる水村さん。と、
「あー、やっぱりまだ肩幅が大きいですね。それにこのままじゃ胸が大きくなったらボタンが…」
「いいよ、もう…」
僕はもうどうでも良くなってぶっきらぼうな返事をするが、
「じゃ、次いよいよスカートでーす。女の子の必須アイテムでーす」
大きく深呼吸した僕は、トレーニング通り、前に足を出し赤のチェックのそれに両足を通した。
(これで僕、男でなくなるんだ…)
男の時より腰高の位置で水村さんにアジャスターで調整されて、ホックを留められてしまう僕。
「もうちょっとウエスト、細くなりませんかねぇー…それにもう少しヒップを」
その時、さっきから黙って横で聞いてた柴崎さんが叫ぶ。
「大丈夫よ!大丈夫!あと三週間あるわ!アッキーならなんとかしてくれるって!」
次に僕の両耳にピアス用の穴空けの器具が当てられる。それは僕にとって予想すらしなかった出来事だった。
(ああ、僕、もう駄目…本当に女にされちゃう)
痛みと共に両耳にはピアスの穴が空き、ささっと医療用のピアスを入れられてしまう。手で耳を触ると、なんだか、違和感というか、それと共に、女らしくしなさいって誰かに言われてる気分。
最後に制服のブレザーを着せられ、そして小さな薔薇の花をモチーフにした髪留めを付けられて、鏡に向かう僕。一人の女の子が写っていた。京極杏奈にちょっと似たボーイッシュな女の子が。僕の女の洗礼はこうして終わった。
お客さんが来た時の食事会に使われる大きなフロアで、軽いバイキング形式の昼食会。さしずめ京極杏奈復活記念パーティーといったところか。そこにはあきさんと付き添いのスタッフの人、ボイストレーナーの人もいた。そしてその横の目新しい人って、え?パントマイムの先生?
「ああ、特別に頼んで今日から来てもらうんだよ。杏奈ちゃんのビデオとかは一通り見てもらってるからさ。杏奈ちゃんの為の、杏奈ちゃんになる為の先生だ。うははははは!」
見かけによらずベジタリアンだったあきさんが、目の前のフルーツとか野菜をがばがば食べながら笑う。もうテーブルの半分位はこの人一人で食べちゃったんじやないだろか。
「それはそうとさ、おい自爆霊(柴崎麗さん)、前から怪しいと思ってたんだけど、めいちゃん(水村)から女の洗礼式みたいなのをやってたって事聞いてはっきりわかったよ」
「何よ?」
「あんた、早乙女先生とこと付き合い出したんだろ?」
「何よ?いけない?あんたこそ知ってるの?あの人」
「うちはもう、古い付き合いさ。うちに来る男の娘で本気で女になりたいって奴の為に、もう何枚も推薦状書いたしさ」
「へーぇ、あたしはねあそこの奈々っていう副所長の人とすっごく息投合してさ」
「奈々って、あのウルトラセブンかよ?ああ、なんとなくわかるわ」
なんか僕の知らない世界で話が盛り上がってる。他の人も雑談で盛り上がってるし、大澤さんと広瀬さんは何やら仕事の話。一人でぼそぼそとサンドイッチ食べる僕。
「そうか、卵巣と子宮移植なんてのも、早乙女さんとこに頼んだんだろ?今まで聞いた事ねーしなあ」
「あのね、どこかで読んだ小説に竜と人間合体させる時にさ、飲み込んだ生き物そっくりに変わるスライムってのがいて、継ぎ目をそれで埋めるってのがあってさ、なんかそういう類の物作ったらしいの。実験段階らしいけど」
「あそこ女になりたいって、適正検査受けて自前のスクールに入った子は無償だけど、外部だと法外な値段ふっかけるだろ?」
「京極のおじさん二つ返事で払ったらしいわよ。最もそうしないと我も我もってパンクするからわざとそうしてるらしいけどさ…」
なにやらすごい話があきさんと柴崎さんから出てくる。皆もだんだんその話に聞き耳立ててきたみたい。僕は?僕はいいよ。難しい話わかんないし。女になれば、杏奈になればいいんでしょ?
そう思いつつ僕はブラがしっかり付いた胸元を触り、初めて履いたスカートの裾をちょこっと摘んでみる。だんだん昨日の事を思い出してきた僕。
田柄さんに言わせれば、ブラとスカートって少なくとも杏奈にとっては窮屈な物だったらしい。AVがどうのこうのって言ってたけど、俺ってあっちの方に行くって、それって…
一瞬にして鳥肌が立つ僕。男としてAV観て、いつか僕も女の子とああいう事なんて思ってたけど、される側の女の子の立場になって考えた事なんて思ってもみなかった。
僕の着ている制服に似た物を着てる女の子の出てくるAVも友達と見たこと有る。シナ作って、キスされて、それを脱がされて…て、気持ち悪っ!そんな事僕には絶対にありえない!
「あー、もうやだやだ!」
突然両耳を手で防ぎ、椅子に座ったまま何故か足をばたばたさせる俺を見たあきさんが笑った。
「あー、悪い悪い!仕事の話ばっかりでな。今日杏奈ちゃんの復活祭だったよな」
あ、いや、そうじゃなくって…。
「じゃ朝メシこれ位にして、今日は朝から整体するか?」
「壊さない程度にしてよね」
「まあその辺は、足のサイズはもう二十五切ったよな。肩幅はなんとかしてみるけど、ヒップのボリュームは本音言うともうちょい時間欲しいなあ。食べさせて運動させるしかないよ」
とりあえずその日の簡単な杏奈生誕祝いはお開きになった。
海開き、僕の杏奈としてのデビューの日まであと三週間。午前中の勉学の時間は一旦中止。僕は毎日杏奈の制服を着せられ、杏奈のビデオ等を観たパントマイムの先生から日常動作、それこそ喜怒哀楽の表情や仕草。歩き方、走り方、スカート裁き、着替えの仕方。
傍らにビデオを映しながら毎日毎日。同時に口調や喋り方も、杏奈を良く知っている柴崎さんと水村さんから細かい指導を受けていく。柴崎さんも今日から京極家に泊り込みみたい。
同時に、水村さんと柴崎さんのメイクとヘアアレンジのトレーニングが始まった。
「とにかく時間無いから、基礎だけね。後は空いた時間にでも自分でいろいろ遊んでみてくださーい」
化粧品の基礎から始まり、ポイントの要所要所を少しずつ刷り込まれていく僕。
(女って毎日こんなめんどい事毎日やってるのか)
て正直思ったけど、だんだん手馴れていく僕のメイク術。そして、それが杏奈に多少でも似てくるとなんだかうきうきして、いつのまにかそれが好きになっていく僕。
やがてボイトレの成果も出始めて、声はだんだん杏奈の低い方の声に近づき、スカート裁きも先日初めてスカートを履いたとは思えないスピードで上手になっていく。
それに、なんだか僕、スカートを履いて女の子に変わっていく自分がなんだか可愛く思えてきた。反面、多分僕の影響も有ったのか、杏奈のちょっと男っぽい性格がギャップを埋め、杏奈に変身するスピードを上げていく。
大澤さんからは京極家の歴史と親類縁者や街でお付き合いしている人の事。広瀬さんからは名家令嬢としての礼儀、食事作法、そして水村さんと柴崎さんからは、杏奈のクラスメートの顔と名前、特徴から性格までみっちり教えられる。
PCの画面から、杏奈の友人やクラスメートの写真や映像が映し出され、
「この子は誰?この子は?どんな友達?」
と責める様に矢継ぎ早に問われ、大きく間違うと柴崎さんの蹴りが僕の履いてるスカートのお尻に入る。その時にだんだん僕は、ヒップと太股に増えてきた柔らかさとボリュームを確実に感じていた。
全身脱毛がほぼ完了した僕の体には、あきさんの最後の仕上げの整体が入った。今までと違い、
「痛い痛いっ」
て言ってる僕の声に耳も傾けず、僕は体を締め付けられ、胸をなにか職人技みたいな感じで揉みほぐされていく。
衝撃的なのは、残りあと二週間というある日。朝鏡で自分の顔を見た時、昨日とあきらかに違ってる部分が有った。
(ぼ、僕の、頬が…)
頬が明らかにぷっくりと膨らみ始め、そしてだんだんそれがはっきりと他人にもわかる様に。
「やっと頬に来たか…」
柴崎さんとあきさんもそれに気づき、本当安堵した顔で互いを見ている。
そんなある日の午後だった。
パントマイムの先生の出す題目もだんだん高度に。最近はもうまるで簡単な一人芝居。
友達と別れて挨拶して、カバン持ったままウィンドウショッピングして、ガラスに写った自分の身だしなみをちょっと整えて、そしてファストフードで何かを注文する。それを全て今まで教わった杏奈の仕草を交えて通しで表現するって事。
お友達の名前を言って、バイバイって胸元で手を振って、軽くスキップして、店のショーウィンドウ鏡の前で膝を曲げたり、髪をいじったり、体をひねって腰に手をやって、そして店に入って、杏奈の口真似で、
「えっとぉー、ハンバーガーのセットでぇー、コーラでぇ。あ、あの一万円でいいですかぁ」
なんて事をやってのける僕。こんな事を毎日やってるけどすごく楽しい。だって、女の子になっていく僕が自分自身ですごく可愛く思えるんだもん。
今日はそれが終わると水村さんが部屋に入ってきた。
「杏奈さま、終わったらこれを着て、ホールに来てください。大澤さんがお待ちです」
大澤さんの受け持ちって座学ばっかりだったのに、なんで今日ホールなんだろ。僕は手渡された紙袋の中を見てぎょっとする。
(な、何?このつるつるした衣装?)
「あ、あと着替えたらホールに行く前に部屋に戻ってくださいな。ちょっとお化粧しますからぁ」
一体何が始まるんだよ。
紙袋の中は、女の子雑誌とかに良くでてくる真珠色のパーティー用のミニドレスとペチコートとボレロ、そして白のハイヒールと小さなバッグと小物の類。どうやら杏奈の物らしい。
(僕に何させる気なんだよ)
ベッドに座ったまま、両手にドレスを持ちため息をつく僕。
(とうとう、こんなの着なきゃいけなくなったのか)
只、以前と違って僕の頭の中には、
(かわいいじゃん!)
(着てみなよー!)
なんて声も聞こえてきた。
「何事にも最初は有るんだ…」
そう独り言を呟きながら、下着ケースからそのドレスの肩に会うブラとお揃いのショーツを手に取り、すっかり柔らかくすべすべになった足にショーツを通し、もう慣れた手でブラを胸に付け、逆手でホックを留め、白のストッキングに足を通す僕。女の子の着替えの何もかもがもう自然に身に付いてしまった僕。
そしていよいよ…。
(ああ、もう、制服のスカートだって恥ずかしいのに!こんな女らしいワンピなんて!)
とうとうそれに足を通す僕。すべすべした裏地が僕の太股とか、ブラの付いた胸をくすぐっていく。
「ちょっと窮屈そうですけどぉー、可愛いじゃないですかぁ。あ、今日はあたしがきっちりとメイクしますねー」
ドレスにボレロ。部屋のドレッサーに座らせられた僕。ようやく慣れた化粧水やら乳液やら下地やらの香り。BBクリームとか使わないのが水村さん流なんだろう。ふっくらしてきた僕の頬は次第に少女の肌色になっていく。大きく丸く可愛くなっていく目、長く伸びていく睫毛。そして頬がバラ色に…。
だんだん鏡の中の自分に杏奈を感じていく僕。恥ずかしくなって照れ隠しにいろいろと水村さんに話し始める僕。
「ね、ねえ、めい(水村)さん。一体何が始まるんですか?」
「内緒だそうでーす」
「だってさ、大澤さんて何だか僕を敬遠していたみたいだし、教わったのは座学ばっかだよ」
「大澤さんは杏奈さんを大旦那様と同じくらい大切にされてたんですよ。その身代わりの方が来られたとしても…ですわ。じゃそろそろとどめ刺しますよ」
なんだよとどめって、と思った瞬間、僕の口元にオレンジっぽい赤の口紅が添えられた。
「え?絶対柔らかくなってますよ。杏奈さまの唇。前より」
そう言って自分の事みたいに笑う水村さんの手により、唇に艶の有るグロスを塗られ、そして、
(わっとうとう、来ちゃった)
細い筆で器用に口紅を塗られていく僕。白く可愛くふっくらし始めた顔に、赤く染まった僕の唇は花が咲いた様に顔を引き立てた。
「はーい、完成でーす。ホールに行ってくださーい」
「待って、ピアス!」
白のハイヒールとバッグを傍らに。女の子らしく足を斜めにして座り、付属品のパールのネックレスとピアスを教えられた通りの可愛い仕草と手付きで耳に付ける。
「仕草上手になりましたねーぇ」
「結構練習したんだぞ。鏡とビデオ見ながらさ」
本気で恥ずかしくなった僕は再びバッグとハイヒールを手にホールへ向かった。
ホールを覗くと大澤さんが部屋の隅の音響機器の前でなにやらいじっていた。僕はまだ慣れないハイヒールの靴を履き、ホールの中に入っていくと、コッコッ…と鳴るヒールの音。まぎれもない女の子になった僕の足音。この音を出す練習とかもやったあの日の事を思い出す僕。やがて大澤さんがそれに気づいて振り向いた。
「これはこれはお嬢様、お待ちしておりました。美しくなられましたね」
可愛いと言われた事はあるけど、美しいなんて言われたのは初めて。はにかんで顔を赤らめる僕はちょっとどもりながら大澤さんに言う。
「あ、あの、今日は、何を…」
彼はスーツの上着を手に取り、ドレスシャツにサスペンダーの上からそれを羽織って僕の前に歩み寄る。
「京極家の淑女たるもの、社交ダンスくらい踊れなければなりません」
「え!ダンス!?」
「左様でございます。いつお相手を求められるかわかりませんからね」
「い、いきなり今日?」
「今日はそれがどんなものかお分かり頂けるだけで結構でございます。私めにおまかせを。バッグはそのあたりに置いてください」
大澤さんはスーツのポケットからリモコンを取り出してスイッチを入れるとそれを再びポケットにしまい、咄嗟の事に驚いている僕の手両手を取ると、早くも前奏の音楽が鳴り始めた。
「あ。あの、僕どうしていいか…」
「私めの靴のつま先の上に、お嬢様のヒールのつま先を乗せてください。はいそれで結構です。では…」
ホール内にオーケストラの音楽が響き始めると、僕のヒールを履いた足は、大澤さんの足と共に動き出す。前に後ろに、斜めに、大きく弧を描いたり。
「あ、この音楽って」
「ご存知でしたか、アマポーラでございます。私も大好きな曲でございます」
「僕、映画で観た事ある」
アメリカの禁酒法時代、当時のギャングのボスがかって子供の時にプロポーズして振られた 女の子にリベンジでプロポーズするシーンで使われてた曲だった。ホテルを借り切って、オーケストラを呼んで、食事して、踊るシーン。
次第にステップにも慣れてくる僕。二ヶ月前まで普通の男子高校生だった僕は、今や胸も膨らみ始め、お腹には女の子の機能を埋め込まれた挙句、純白のドレスを着て、美しく化粧され、白く細くなり始めた手を取られ、音楽に合わせて…。
「大澤さんてさ、僕の事嫌ってるのかと思ってた」
「いえいえ、そんな事は。只、あまりの事に仰天していたのでございます」
足がくるっと大きく孤を描くと、ふわっとなる僕のスカートが何だかすごく心地よい。
「もし相手が意中の紳士であるなら、お顔を相手の肩や胸に当ててもよろしいのです」
「意中の紳士って、そんなの有り得ないよ」
「さあ、どうですかな。今後どうなるかわかりませぬぞ」
だんだんステップがわかってきた。同じ事の繰り返しなんだ。
「私めにもストーリーがございます」
ふと真面目な口調になる大澤さん。
「私めも、昔はいろいろ悪さも致しました。大昔そのせいで娘を亡くしましてね…」
踊りながら丸く大きくなった目を彼に向ける僕。
「旦那様に拾われ、こちらで執事業を営みまして十年目、杏奈様と出会いました。亡くなった私の娘に似ておりまして」
「え、じゃあ、今の僕も?」
ゆっくりとうなずく大澤さんだった。
「旦那さまから杏奈様にダンスを教える様に申し付けられまして、こうして杏奈様に最初にお教えしたのが、今年の春でございます。そして杏奈様は天国に旅立たれました」
僕は目を伏せ、生前の杏奈の事を思い出し無言でステップを踏み続ける。暫くして再び大澤さんが独り言の様に話す。
「もう二度と、こんな事は無いと思っておりましたが、お嬢様に私の夢を再び実現させて頂きました。大変うれしゅうございます」
僕は踊りながらそんな大澤さんの胸に、膨らみ始めた頬と胸をそっと埋めてあげた。男の人の胸ってこんなに広くて大きかったっけと思いながら。暫くすると僕の頭上で何度か彼が鼻をすする音がする。
「失礼、お嬢様…」
そう言って大澤さんは右手を外し、胸のポケットからハンカチーフを取り出して顔に当て、そしてズボンのポケットにそれを仕舞い込んで再び僕の左手を、そっと優しく持って言う。
「お嬢様、少し背が伸びましたな」
僕はすっくと顔を上げて彼の顔を杏奈の仕草と表情の練習で覚えた、
(口を尖らせてふくれて、ちょっとすねて怒ってみる顔)
で見つめ、踏んでいる彼の靴のつま先にぎゅっと力を入れた。
「ああ、失礼。お履きになってるヒールのせいでございましたか。お嬢様も大人になられましたな」
大澤さんの見事な言葉の切り返しにふっと笑ってあげる僕。と、ふとホールの入り口付近を見ると、そこにスーツ姿で足と腕を組んで立って、じっとその様子を見ている柴崎さんがいるのがわかった。
「柴崎さん、見て見て、僕もう一人で踊れるよ!」
大澤さんからはなれて、ふわっとスカートをなびかせて一回転して、目を瞑って相手と踊ってる様な手付きとステップで一人で踊り始める僕。
「いいかげん僕って言うのやめろよな」
「だってさ、まだ僕恥ずかしいし」
「おめーさ、あと一週間で杏奈ちゃんデビューだぜ…」
「その時までにはなんとかしますわ、お姉さま」
わざとらしい口調で踊りながら柴崎さんに言い返す僕。
(だめだこりゃ、あと一押し、何かしないと)
大澤さんと一緒に僕を見つめている柴崎さんがそんな事思ってたなんて知らなかった。