「破滅への序章」


プロローグ

 『それ』は闇の中で叫んでいた。
(…私…私の身体が…)
 『それ』は闇の中でセラに向かい手を伸ばした。
 その姿は、まるで助けを求めるかのようであった。
(私…私の身体は…見つけて…危険だ…このままでは危険…)
 セラは得体の知れない恐怖に襲われた。
 しかし、四肢には闇がまとわり付き動かせず、さらには声も出せなかった。
(…やつが蘇る…やつが)
 『それ』はセラの眼前に、『何か』を描き出した。
「…!!!」
 その『何か』のあまりの恐ろしさに、セラは絶叫した。

「…ああああっ!!!」
「「「「わああっ!?」」」」
「にゃああぁぁあっ!?」
 セラの突然の大声に驚いて、一行は飛び起きた。
 無論、意識を取り戻さない少女を除いてのことではあるが。
 そこは宿屋の一室であった。
 ミルジア山岳民国の東、バムレーの街にある、さほど大きくない宿で、彼ら一行はここの大部屋を借りていたのである。
 彼らはこの宿に、既に一週間ほど滞在していることになる。
「…他の客の迷惑になる…悪夢を見たからといって、あまり早朝に騒ぐのはどうかと思うぞ。まだ暗いというのに」
 フェイルが責めるように呟く。
「この宿に他の客なんていないじゃないですか。どうしたんですか?セラさん」
 フェスターが気遣わしげにセラに問い掛けた。
「あ、あらあら…すみません…寝ぼけたみたいですねえ、ごめんなさい皆さん」
 汗をかきながらセラが謝罪する。
 そのセラの目に、枕もとに置いてあった仮面…先日手に入れた従兵機に積んであった、狩猟機の仮面である…が止まった。
 布でぐるぐる巻きにされているその仮面は、セラには一瞬ぼうっと光に包まれていたように見えた。
 しかし、セラがごしごしと手で目をこすって再び仮面を見ると、その光は既に見えなかった。
「…気の迷いでしょうか…?」
 だがセラには、あの夢とその仮面とが、何か関係があるように思えてならなかった。

「ふ〜…」
 朝食の席で、レストは溜息をついた。
「?…愚僧の作った飯は口にあわなんだかの?」
「あ、いえそういう意味じゃないんです!ただ、クレアさん今ごろどうしてるかなあ、と思いまして。昔からの知り合いでしたからね。レリックさんが作ってくだすったご飯はとても美味しいですよ!あ、おかわりお願いします!」
 レリックの勘違いを、レストはあわてて正した。
「ふむ、そうであったか。…そうであるのう…まあ親類縁者が急病ではどうしようもあるまい。あの操兵のような『化け物』の件はまだ落ち着いたわけでは無いであろうし、今ばらばらになるのは危険であるとは思うがのう…」
 レリックの言葉に頷きながら、レストはクレアが立ち去った本当の理由について思いを馳せていた。
 鼠に噛まれたための病が落ち着きだした頃、レストとクレアに突然『遠話』が届いたのだ。
 それは何物かに壊滅させられた、彼らの練法師匠合の生き残りからの連絡であった。
 クレアとレストはその事について相談した。
その上で、こちらの『操兵型怪物』や『巨大鼠』などの事件の裏に、自分達の匠合の壊滅に関わる何かがあるやもしれぬという理由から、こちらの事件も放ってはおけまいとの結論に達した。
 そのため、『生き残り』達との連絡はクレアが向かうこととし、レストは引き続きこちらの事件を調べることにしよう、という事になったのである。
 そして、二人はクレアの親類からの手紙を偽造し、一行が護衛として雇われていた隊商を宛先としてその手紙を送り出し、その上で最終的にクレアに手紙が渡るように工作した。
 そしてクレアは一行の誰もに疑われずに出立することができたのである。
「…は〜、ですけれど彼女病み上がりですよねえ…だいじょうぶでしょうか〜」
「病み上がりはあなたもでしょう?」
 思わずレストはセラに突っ込みを入れた。

 日が高くなると、一同はそれぞれ街へ出かけていった。
 目的は、今回の事件や例の地図に描かれている場所についての情報収集である。
 例の少女の面倒は、各自が交代で見ることになっていた。
 この日の当番はフェイルであり、彼が宿屋に残って様子を見ることになった。
 もっとも、少女は目を覚まさない他は全くの健康体で、水や食料も口にあてがってやれば無意識に飲み込むし、全然と言っていいほど手間はかからなかった。
「はぁ…しかし手がかりがありませんねえ」
 フェスターはレリックに向かって愚痴をこぼす。
「市場に行ったセラさんレストさんの方はどんな具合でしょうねえ…」
「地図については、あちらの方が期待できるかもしれんの。あちらは方々を旅している商人とかが露天を開いておるしのう」
 フェスターとレリックはそのまま街外れの方に向かって歩き出した。
 聞き込みのついでに、街外れの牧場…牧場と言っても馬の仲買人が生産者から入手した馬を一時的に置いておくための小規模な物だが…で、レリックが注文しておいた馬を受け取るためである。
 購入した馬は、軍馬ではないものの大型で力が強く、大量の荷を積んでもへばらない物だった。
「いやあ、いい買い物であったの。先日聞き込みに出た際に偶然見つけたのだが、まだ調教中だという事でな。その時は手付金だけ払って…」
 レリックがそこまで話した時、突然二人を、数人の剣を持った男たちが取り囲んだ。
 周囲の人気が無い場所である。
「なんだお前達は!」
 フェスターの叫びに、男達のリーダー格らしい男が下卑た声で応えた。
「へ、死んでもらうぜ…お前らには裏で賞金がかかってんだ」
 フェスターはあまりの型どおりの台詞に腰が砕けそうになった。
 しかし気力を振り絞り、隠し持っていた小剣を抜き放つと男に向かって問い掛けた。
「だ、誰が賞金なんか掛けたんだ!」
 だが男達は薄ら笑いを浮かべると、切りかかってきた。
 レリックはぎりぎりでその剣をかわす。
 だが彼の手には愛用の棍は無い。
 街中で目立つ武器を持って歩くのはどうかと思い、宿に置いてきたのだ。
「くっ…愚僧も武器を持って来ていれば…」
「へ、ざまあ無ぇな!」
 男の一人がレリックの言葉に勝ち誇った声を上げる。
 だがその男は急激に崩れ落ちる。
 レリックはフェスターが話している間に術を練り上げ、先ほどの言葉に油断した隙にその男に触れて術をかけたのだ。
「て、てめえ!」
「お、おい、さっさとブチ殺しちまえよ!」
 だがまだ敵は五人も残っている。
 フェスターとレリックは背中合わせになり、油断せずに身構える。
 男達の腕はさほど良くは無い。
 いいところ、この辺のごろつきだろう。
 しかし何と言っても多勢に無勢である。
「…このままじゃ、まずいですよね…」
 フェスターは悔しげに呟く。
 その時、フェスターの目に人影が止まった。
「!…そこの人!だれか人を、助けを呼んで来てください!」
 その人影…男は、彼らの方に顔を向けた。
「ちっ見られたか!おいお前らヤツも殺っちまえ!」
 リーダー格の男が怒鳴る。
 しかし、その男は逃げようとも何をしようともせず、そこに立ったままだった。
 その男はどう見ても一般の職業に就いている人間ではなさそうだった。
 いかにも強靭そうな巨体を、頑丈そうな革鎧と兜に固め、切れ味のよさそうな破斬剣を佩いている。
 彼の傍らには筋骨隆々とした馬が牽かれている。
 ここは街外れで人通りが少ないとは言え、街中には違いないというのに、その姿はあまりに物々しい武装ぶりである。
「…誰か人を呼んでくるんですか?」
 しかし、その口から出たのは、巨体に似合わぬ何か間延びしたような高めの声。
 もしかしたらまだ少年なのかもしれない。
「へ、呼んでこなくてもいいぜ!ここで死んでくれりゃあな!」
「…死ぬのは…困るなあ…」
 切りかかった男の剣は、彼の肩口を切り裂いた。
 だが彼はしぶいた血を特に気にした風でもなく、無造作に破斬剣を抜き打った。
 その一撃は、男の顎から額にかけて断ち割った。
「ああ…殺しちゃった…」
 彼は嫌そうに眉をひそめた。
「て、てめえは…!てめえはバロック!」
 その時、敵のリーダー格の男が彼に向かって叫んだ。
「おい!そいつらなんざ、もうどうだっていい!あいつだ!あのバロックの野郎を殺せ!」
「…あなた、僕を知ってるの…?」
 彼…バロックは不思議そうな顔をして敵のリーダーの男を見る。
 その態度に、リーダー格の男は怒り心頭に達した。
「て、てめえ…!し、しらばくれりゃがへ」
 男はあまりの怒りに逆上して、普通に喋ることもできない状態だ。
 男は自分が先頭に立って、バロックに突っ込んでいった。
 他の男達も、あわてて彼に従う。
 フェスターとレリックは、一瞬あっけにとられた。
 しかし、バロックが取り囲まれて一斉に切りかかられるのを見て、あわてて助けに向かう。
 敵のうち一人が、彼ら二人を足止めしようと立ちふさがった。
「どけ!」
「う、うっせぇ!」
 その間に、バロックは三人に取り囲まれ、全身をずたずたに切り刻まれた。
 だが彼は一向に気にした様子も無く、敵に立ち向かう。
 まるで彼は痛みを感じていないかの様だった。
 そしてついにその一撃が、敵のリーダー格の男を捉えた。
「…!!!」
 男の首が宙を舞い、血しぶきが吹き上げる。
 凄惨な光景に、残りの敵は泡を食って逃げ出した。
 レリックに眠らされた男を忘れていかなかっただけ、誉めてやるべきかもしれない。

 フェスターはバロックに向かって礼を言った。
「あ、ありがとう君、おかげで助かりましたよ」
「……いえ…」
 ぽつりと言ったバロックの台詞には、何ら感情が感じられず不気味ですらあった。
 その目線はどこかあさってを向いており、瞳は虚ろである。
 フェスターは少々腰が引けた。
「あ、い、いえ…」
「若いのになかなかの手並みであるのう…しかしこのままここに居たのでは、役人が来たら面倒な事になるの」
 レリックの台詞にバロックは頷くと、馬を引いて歩き出した。
「あ、待て待て!お手前、怪我をしておるではないか!まず手当てをせんと…待てというに!痛くはないのか!?」
「…痛いですが…?」
 バロックは、『それがどうかしましたか』と言いたげな様子で応える。
「〜〜〜!!だから!愚僧の宿に来て手当てして!返り血を落とさぬと!」
 バロックは興味無さそうな風情で頷く。
 レリックとフェスターは、彼を連れて宿への道を歩き出した。
 彼らの両肩に、重い疲労感がのしかかっていた。

「…で、あの少年を連れてきたわけか。彼はこの街に来たばかりだと言っていたな?」
 フェイルは眉をひそめつつ言った。
 レリックとフェスターが勝手にバロックを連れてきた事を快く思っていないのだろう。
 彼の目は、レリックがバロックの手当てをしている別室の扉に注がれている。
「…仕方ないじゃないですか。襲ってきたやつらの親玉が、彼のことを何か知ってたらしいんです。死んじゃいましたけどね。だから、彼が何か知ってるかも…」
 フェスターが愚痴混じりに言う。
「しかし、レリックさん達もそんな目に会ってたんですか。こっちは何か妙な奴に付けられたって程度ですけどね」
「私達の場合は〜市場でしたから人目もありましたしねぇ」
 セラとレストの方は、襲われこそしなかったものの何者かに尾行されたのだ。
 それも単独ではなさそうであった。
「しっかし、賞金がかかってたとはエラい事になりましたねえ…でも、たぶん敵の正体はあいつらだと思いますよ…『鼠』を見ましたから」
 レストの言葉に場が凍りつく。
「…あいつらか…」
 フェイルが呟く。
「ええ…とうとう来たって感じですね。あ、でも悪い知らせばかりじゃあないですよ。ねえセラさん」
「はい〜。とりあえず例の地図ですけれど〜、一枚はだいたいの場所がわかりました〜。書き込みされてた地名とかはやっぱりあの山師たちが自分達で勝手に付けてた名前らしいんですが〜、ある露天商の方がミルジアの北の方にこんな地形があるっておっしゃってまして」
「あと、やっぱり最近盗賊団かなにかが横行してるらしいって話でした。来る予定の隊商とかが行方不明になってるらしいんですよ。でも盗賊に襲われたって証拠も無いですけどね。きっと僕らみたいに『鼠』や『操兵もどき』に襲われたんじゃあないですか?騎士団の定期巡回ももうすぐだし、その時には訴えて出ようって話でした」
 レストとセラは交互に調査結果を報告した。
「ふむ、そうか…今後どうするか相談しなくてはな」
 フェイルが重々しく頷いたとき、彼らの部屋のドアがノックされた。
 その場の全員が身構える。
「あの〜…私です、グレムですけど〜。一応往診に来ました〜」
 来客は、彼らの病気の治療をしてくれた医者のグレム氏であった。
 彼は病気が治まった後も、彼らと例の少女の具合を心配して、時々立ち寄ってくれるのである。
 彼はあの少女を目覚めさせられないことに、責任を感じているらしいのだ。
 もっとも、あの少女の眠りは何らかの超常の力が働いている結果だとわかっている。
 つまり彼には責任はまったく無いのであるが、彼はそのような事を知らされてはいないし、たとえ知っていても生真面目な彼は割り切れはしないだろうが。
 グレム氏は、そういう人物であった。
「にゃー」
 猫が彼を迎えに出る。
 一同もふっと緊張を解いた。
「とりあえず、この話は今はここまでだ。あのお医者を巻き込むのはどうかと思うからな」
 フェイルが全員に釘を刺した。
 その場の全員が頷く。
 彼らの面持ちは険しい。
 戦いは始まっているのだ。


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