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素焼きの上に呉須で描く藍色一色の焼き物を染め付けといいます。釉薬の下になるので下絵とも。 まず線描、急須のように取っ手や口のあるものにろくろの線をいれるのはちょっと大変。底の方はひっくり返して描きます(写真上左)。それが乾いたらダミといって、全体を塗ります(右)。 線の強弱、筆のつぎ、ダミの濃淡、あまり意図的にしてはイヤラシイけれど、生き生きしたものになるように、気持をこめます。染付はやり直しができません。といって、下書きをなぞっていては線の勢いや生彩がなくなってしまいますから、気合をいれて一気に描きます。急須の素地の丸みや指の跡も微妙に微妙に違いますから、絵付けも自ずから動きが出てきます。すっきりと、しかし力強さもある、そんな急須にしたいものです。(おるか) |
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釉薬を掛け本焼きの準備ができました。ふっくらとして、なんだかかわいいでしょう?この急須のように素地が薄い場合、内側と外側の二回に分けて釉薬を掛けます。素焼きに含む水分が飽和状態を超えると、釉薬が上手くつきません。(オットセイ) |
窯の火のゆらぐ一つ目神渡し おるか
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窯に火を入れる。炎が強まってゴウゴウと音が籠る。耐火煉瓦の扉のなかの変容の時間をひたすら待つ。覗き穴から火をみると全てが揺れて遠くにあるようだ。 還元に入るころには窯内は白熱し、調節孔から青白い炎が噴出してくる。夜の闇の中で、窯も生き物のように蹲りあえいでいる。 谷川健一の「青銅の神の足跡」に目一つの神にまつわる深い考察があった。氏の文章は民俗学の枠を越えて、時に詩的でもある。そこに私たちは自身の無意識の中に蠢くものの、民族的形姿をふと垣間見て慄然とするのである。 山颪の風の吹く谷筋を移動する金属精錬の蹈鞴の民の祀る、目一つの神。たしかに窯の火をみつめていると、古代人のように、燃える瞳にこちらが見つめ返されているような心持がしてくる。裏山を風が渡る。出雲に集う神々を送るという神渡しだろうか。(おるか) |
本焼き(1300℃)により、焼き物として完成します。硬く焼きしまりもう水に溶けることはありません。窯詰め、本焼き(写真は850℃)、焼成後。 |
左は素焼きに絵とつけたところ。右は本焼きされたもの。焼きしまり10%収縮しています。ロクロで水引するときからいうと20%収縮しています。師匠の須田菁華さんの冗談が思い出されます。「パンのように焼くと大きくなるともうかるのに」だって。(オットセイ) |
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