ニイハオ ! (こんにちは)

 2002年秋、経済発展が進んで活気のある中国北京にかみさんと行ってきました。

初版完成!

時差: −1時間
通貨: 1元≒15円くらい(2002年11月)
天候: 旅行中は天候に恵まれた。気温は市内では
昼間は4℃くらい、夜間は−3℃くらい
(2002年11月中旬)
言語: 中国語(北京語)

更新履歴:

     
 2002.12.31  新規作成(初版オープン) 

目次

北京を旅して

北京は福岡からは札幌までの直線距離とほとんど同じくらいのところに位置する。日本にも歴史の面で深く影響を与えた街のさまざまな建造物や文化とともに、今や経済の発展が進んでいる街の活気を支える人たちを見る良い機会となった。

飛行機は福岡発上海経由であった。直行なら3時間はかからない距離なのだが、上海(約1時間半)でいったん降機して上海で入国審査を受け、再度同じ飛行機に乗って(待ち時間約1時間)、国内線として約2時間乗って北京に到着(約5時間)で、午後に福岡を出発したけど着いたらすっかり夜になっていて、ホテルに着いても近所をちょっとふらっと散歩するくらいしかできなかった(それでも夜の北京駅前散策と、地元の喫茶のチェーン店らしきもので少々お茶をしてきた。)

2日めはホテルでの朝食(このときに相席となったスウェーデン人老夫婦と(英語で)会話をした)後、ツアーバスにて万里の長城、明十三陵に行って、夜は北京ダック雑技を見て、この日は終了。

3日めは市内観光(故宮、天壇公園、天安門)と夜の京劇でこれまた丸1日かかった。

最終日は朝6時半にホテルを出て空港に行ったのでほとんど自由時間のないちょっと心残りの旅ではあったが、中国の今を垣間見ることもできたと思う。

ツアーなのでみやげ物屋ツアーが自動的についてしまうのだが、その中で七宝焼の工房兼売店で、実際に作るところを見ることができた。緻密な作業を1日中やっているのに、工員の賃金が月に1万円程度だということに驚いた。熱心に働くこういう人たちが日本の何分の1の給料で雇えるわけだから、生産拠点を中国に移している今の動きも経済からすれば自然な流れなのは納得せざるを得ない。いずれ開発部隊でさえ中国に置く、というのも単なる時間の問題に過ぎないし、エンジニアだってうかうかしてたらあっというまに中国に職を奪われかねない状況であることを考えさせられた。

中国語は?

今回はツアーだったこともあって、中国語をほとんどやらずに行って、また現地でもほとんど使う機会がなく、これもまた心残りである。同じ漢字文化なので、筆談で十分やりとりもできるが、わずかに脳裏に残った言葉は以下のとおり。

北京空港でのトラブル

 北京空港から福岡に帰国するときにちょっとしたトラブルがあった。同じトラブルで困られる方が少なくなるよう、ご参考までに。

 国際線の搭乗手続きが完了し、出国審査を受ける、がふつうなんだけど、我々は上海経由のため、出国審査は上海で行わなければならなかった(後で気付いた)。出国審査へ行く途中に「S巡路(S channel)」と呼ばれる通路があり、いくつかの飛行機利用者はこちらを通る旨電光掲示されて何人かは並んでいたが、我々の乗る飛行機はそこに載ってなかったので、そのまま出国審査の方に向かった。何の疑いもなく出国カードを書いて、私は出国審査を通過したが、かみさんは審査官のところで止められ戻って右へ行くように指示されていた。私も審査官に声をかけられ、そのときは何があったのか分からず、ただ呆然とするに過ぎなかった。やがて審査官はパスポートを持ってきて戻って右へ行くように、と英語で指示され(S巡路と書かれた方)、まだそのときには何でか訳がわからず、不安ながらそこ(S巡路)に並んでセキュリティーチェックを受けることになった。

 ここでまたトラブル!中国では空港使用料の領収書をここで渡すのだが、係官が空港使用料の券を出すよう促して、私が目の前で出したのにもかかわらず、私が通ろうとすると「あなたは空港使用料を出していない!クウコウシヨウリョウ!の連発」と言い出す始末。さっきの件もまだ理由がわかっていないうえに、こんなこと言われて、日本人に対する嫌がらせか、と考え、「今出したそれでしょ!!」と言うが、これはあなたの支払ったものではない、と言われ、双方ともに膠着状態に。たまたま後ろに日本語のわかる中国人がいて、説明してくれたので助かった。どうやらかみさんと私とで1枚しか券が出てないということがわかり、カバンの中を探ったりしたが、私のカバンには券がない(私が手渡したのだから当然)。自分が渡したのかもそのうち定かでなくなり、さっきのトラブルの時に慌てて落としてしまったか?と道を戻ってみようとしたが、他の係官に促されてかみさんのカバンをみると、、、、券があった!!!。うーーーん、朝から一気に疲れが出た(かみさんは渡したつもりだったらしい)。後のトラブルは我々が悪かったんだけど、あわや2重払いになるとこだった(っていうか、取り調べ室行きだったかも!?)。

 ま、最後のトラブルもとりあえず事なきを得て旅を終えることができた。市内はもうちょっと見たかった。今度北京を訪ねるとすれば仕事で行くことになるのかなぁ。

サイツェン(再見)(さよなら)


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