梅ヶ渕観音院/鹿児島市/合格祈願/商売繁盛祈願/厄除開運祈願/水子供養/永代供養付き納骨堂/ペットと入れる納骨堂
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梅ヶ渕観音(梅ヶ淵観音)とは鹿児島市伊敷町名突にある観音様の通称です。
毎月1日と18日は観音様の縁日で朝早くから多くの人たちが
お参りに訪れます。
その縁日には観音様までの沿道には野菜や花などを売る店も出て、
にぎやかになります。
現在は商売繁昌と合格祈願で有名ですが、昔々は「おねつのかんさあ」
と言われていました。
熱が出ると観音様から「火吹き竹」を借りていき、その「火吹き竹」で
お湯を沸かして治療をし、病気が治ったら「火吹き竹」を倍にして2本
返しに来ていたのだそうです。
ですから昔は観音様の足元には「火吹き竹」が沢山置かれていたそうです。
また戦時中は戦勝祈願に人々が訪れました。
時代と共に人々の願いが移り変わっていくようです。
お参りに来られた人から「観音様は誰が彫ったのですか?」とよく聞かれる
のですが、残念ながら記録したものが一切ないので、正確な事は分かりません。
一説には、岩永三五郎の作ではないかとも言われています。
岩永三五郎とは鹿児島市の甲突川に架かっていた五つの石橋を作った人です。
肥後(現在の熊本県)の有名な石工でした。
ここ伊敷町名突周辺は凝灰岩(火山灰の固まったもの)の岩山です。
この辺の凝灰岩は通称「小野石」と呼ばれ、とても石の質が良いのです。
間知石(けんちいし)として石積みの石垣に使われています。
甲突川の眼鏡橋にもここの「小野石」が使われていた事は記録により明らかです。
当然、岩永三五郎も何度もこの地に足を運んだ事でしょう。
ある地元の古老から「岩永三五郎は石橋を完成させた時、その秘密を守るために
首をはねられるのを覚悟していた。だから岩永三五郎が彫った観音様には魂が
入っているのだ。」と聞かされた事があります。
もし岩永三五郎の作であればその製作は江戸時代後期という事になりますね。
名前の由来についてもお話しておきましょう。
ここの観音様には元々名前が有りませんでした。
強いて言えば、この地の字名が名突(なとつ)ですから、「名突観音」でしょうか。
昔はここの観音様にお参りに来る人たちはバスで来ていました。
と言っても最寄のバス停は以前国道3号線に市電が走っていた頃のその終点
付近で、そこから歩くと30分はかかりました。
「これでは遠すぎる。観音様にお参りに行くのには不便だから、もっと近くに停留所
を作って欲しい。」とバス会社に陳情したそうです。
その陳情の数があまりにも多いためにバス会社の方も新たな停留所を作る事にしました。
その場所は現在の九州自動車道鹿児島北インター入り口付近で、そこの字名をとって
「梅ヶ渕」停留所と名づけました。
それ以降は観音様にお参りに来る人たちが、ここの観音様の事を「梅ヶ渕のバス停で
降りてお参りに行く観音様」と言うようになりました。
この長い名前が何時しか短くなって「梅ヶ渕観音」となった訳です。
ここにお参りに来る人たちが付けた名前だったのです。
今日も観音様は何時、誰が作ったのかも定かでないまま、静かに微笑んでいらっしゃいます。
皆さんも是非、観音様にお参りにいらっしゃいませんか?
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