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2011年12月29日 (木)
久喜市のホットスポットと除染の考え方はこれでいいか



 市で市内の小中学校、保育園、公園や公共施設などのいわゆる“ホットスポット”と想定される箇所の放射線量測定が行われている。

 一つの学校で数か所の測定をしなければならないから、市内の全部の学校だけで373か所、18箇所の公立・私立保育園で83か所、公園が数百か所、…と、測定器は市で6台しか
保有していないのだから、全部の地点を順番に1回測定するのだけで1か月以上かかってしまう。

 市で保有する放射線測定器は10月まではたった2台、その後、4台を購入したのを自分では“前向き”と評価しているらしいのだが、久喜市の放射能測定体制一つ取ってみても、そ
の体制の貧困さは、情けないとしか言いようがない。

 幸手市などのように、測定器を各学校に1台くらいは配置してもっと機動的に測定していかなければ、今後、とうてい対応しきれなくなるのは分かり切っている。

 今後、地域の放射能汚染は半永久的に続いていくから、行政も10年、20年のスパンで長期的に対応していく体制を構築していくべきであって、そうした覚悟が求められている。

 ところが久喜市では、放射線量の測定方法ひとつ取ってみても、市民の生活に責任を持つ久喜市行政として主体的には考えようとしないで、国や県の指針が出るのを待って、その数値
を拝借してすましているのが実情だ。

「地上1p」

 11月議会の私の一般質問に対しても、市の答弁は、県の判断基準をそのまま引用して、小学校では「地上50p」、中学校では「1m」で測定して、屋外活動の制限や除染するかど
うかの基準も、その数値で判断するなどという、県の考え方を引き写してすませようとしたのだった。

 私は久喜市行政としての主体的な判断を求めたのであるが、久喜市行政は「知識がないので判断できない」と無責任な答弁に終始した。

 もっとも、県ではすべての県立高校や県立図書館などで実際には「地上1p」で測定していて、県立久喜工業高校では地上1pでの測定値が「1マイクロシーベルト」を超えたので除
染作業を行ったのだから、久喜市としても「50p」だの「1m」だのと言い張るわけにはいかなかった。

 久喜市も県にならって、青葉小、桜田小、久喜東小、栢間小、菖蒲南中などのホットスポット測定で、「地上1pで1マイクロシーベルト」を超えたので、除染作業を行ったのは、い
わば当然のことであった。

「1」と「0.99」はどう違う?

 除染を行う基準は「毎時1マイクロシーベルト」であるが、1回目の測定の時に、久喜東小は「0.900マイクロシーベルト」、菖蒲南中は「0.934マイクロシーベルト」、栢
間小に至っては「0.991マイクロシーベルト」を検出したにもかかわらず、「1」にはなっていないからと言ってすぐには除染をしようとしなかった。

 「0.99」と「1」の違いなどは、もうこれはだれが考えても誤差の範囲内であるし、27日に教育部長とお話しした際に、私は『小数点以下2位で四捨五入して「1」なら除染し
た方がいい』と申し上げたのだが、それでも部長は『引き続いて測定して経過を見ていく。それで1を超えたら除染する』と言い張ったものだ。

 その後、28日に測定してみたら3校とも「1」を超えたから、即日、除染作業を実施したらしいのだが、久喜市教育委員会はあまりにも形式的な数値にとらわれすぎているのではな
いか。

 仮に「0.99」の数値を前にしたときに、これを「1」と同等とみなして除染したからといって、子どもたちの安全を優先して積極的に対応したと評価こそされるべきであって、だ
れが「0.01下回ったのに除染したのは税金のむだ遣いだ」と非難するだろうか。

 臨機応変に柔軟かつ積極的に対応するよりも、自分たちがいったん決めた「基準」を守り、それを杓子定規に運用することばかりにとらわれていたのでは、実際の危機に対応すること
はできまい。

 こういった久喜市の姿勢をこそ改めさせなくてはならぬと思う。

土を埋めた場所は「非公表」

 28日に青葉小の除染現場を見に行って、その土をどこに処分したのかを、教頭先生に尋ねたら、その埋めた場所を案内してくれた。

 埋めた場所は普段はあまり子どもが行かない場所で、もと通りに土をかぶせてまわりと区別が付かないようにされていて、特に「立入禁止」とかの注意を喚起するような看板もなかっ
た。

 教育部長の話によると、除染した土を埋めた場所(位置)については、いたずらで掘り返されたりしては困るので「非公表」にしているのだという。

 確かに、埋め戻してしまえば地表面の放射線量は「0.05」とかで、まわりと同程度になっているから、その上を歩いてもだいじょうぶ、心配ないと言えば言えるが、はたしてこれ
でいいのか。

 除染した土壌はいわば「ごく低レベルの放射能汚染物質」と考えられるのであって、埋めて目の前からなくなって見えなくしてしまえばそれでいいという問題ではなくて、これをどう
長期的に管理していくか、その対策を真剣に考えなければならない、3・11以降、私たちは否応なくそうした事態に直面させられているのだ。

⇒猪股のホームページ参照



2011年12月15日 (木)
久喜市自治基本条例の行方はどうなる



 11月市議会に「久喜市自治基本条例」案が提出され、12月8日の本会議で議案質疑が行われた後、12月13日に市議会総務財政市民常任委員会で審査されました。

「住民投票はやりたくない」という市長のホンネ

 本会議でおもに質疑が集中したのは、住民投票を市民からの請求で実施する仕組みにするかどうかです。

 原案では25条で「市長は…住民投票を実施することができる」となっていますが、「市長は…できる」規定だと、『市長が(負けるかもしれないから)やりたくない』場合には実施し
ないことになります。
(実際に、市長は合併の是非を問う住民投票を行いませんでした)。

 住民の一定の署名による請求があった場合に実施を義務付ける規定を設けるべきではなかったでしょうか。

 その他の論点としては、自治基本条例の運用や普及、検証と見直しを進める「自治基本条例推進委員会」の役割、議会の責務の規定が不十分ではないかなどの質疑がなされました。

 12月13日の総務財政市民常任委員会では「市民」の定義について質疑が集中しました。

 自治基本条例の理念は、久喜市のまちづくりを進める主体として、市内の居住者だけでなく、市内で生活したり活動している人々が、いっしょに市政やまちづくりに参画・協働してい
こうということです。

そのために、市内に居住する住民と、通勤・通学者、企業や市内で公益的な活動をしている団体や個人を幅広い意味で“市民”ととらえています。

そうした広い概念に立って、「市民は、法律、条例、規則等で定めるところにより、市政やまちづくりに参加する権利、市政に関する情報を知る権利、公共サービスの提供を受ける権利
(4条)」を持ち、「市民は基本原則で定める豊かな地域社会を形成するため、市政に関心を持ち、主体的にまちづくりに参加するよう努める(5条)」と規定しています。

これは久喜市に限らず、全国の自治基本条例の多くがほぼ同じように、幅広い市民の協働でまちづくりを進めるという規定になっています。

幅広い市民の協働を否定する修正案

 ところが一部の人たちにとっては、幅広くとらえた“市民の協働”が気に入らないようで、これに対して「久喜市民でない人達を市政に参加させるのはおかしい」「久喜市に住む外国
人にも市政に参加する権利を与えるのか」「特定の団体がある意図を持って組織的に市政に介入することになる」などと批判する過激な意見が、市内外から大量に送られてきていました


 委員会では飛翔の松村議員がこうした立場に立って、第2条の“市民”の定義を「久喜市に居住するもの」だけに限定するという修正案を提案しました。

 採決では、政策会議と公明党、共産党の4委員が修正案に反対しましたが、飛翔の4名が賛成、賛否同数で委員長の飛翔の井上議員が賛成に回って修正案が可決されました。

 しかし、この修正は条文として十分な検討を経て提案されたとはとても思えないシロモノです。

 初歩的な指摘をすれば、法律や条例における条文の用例では、通常、「人」を表す場合には「者」の漢字を使うのですが、修正案では「久喜市に居住するもの」と、ひらがなの「もの
」になっていて、法令の文章としてきちんと審査をしているのかどうかすら疑われます。

 また、「市民」イコール「久喜市に居住する者」とするのなら、条例の中の「市民」の用語を「住民」と書き換えればいいので、わざわざ「市民」という用語を残して定義を書く必要
もないはずです。

 この修正の結果、各条文がどうなったか。

 原案の「市民」を「久喜市に居住する者」と読み替えると、たとえば以下のような条文になります。

◆3条「自主的かつ自立的なコミュニティが形成され、活力に満ち、住みやすさが実感できる久喜市に居住する者主役の地域社会」「久喜市に居住する者の日常生活が守られ、だれもが
笑顔で暮らせる安心安全な地域社会」、
◆4条「久喜市に居住する者は、法律、条例、規則で定めるところにより、市政やまちづくりに参加する権利、市政に関する情報を知る権利、公共サービスの提供を受ける権利を有する
」、
◆5条「久喜市に居住する者の責務」「久喜市に居住する者は、基本原則で定める豊かな地域社会を形成するため、市政に関心を持ち、主体的にまちづくりに参加するよう努めるものと
する」、
◆6条「議会は、市の意思決定機関として、久喜市に居住する者の意志が市政に反映されるよう務めなければならない」、
◆9条「市の執行機関は、久喜市に居住する者の福祉の増進を図るため、公正かつ誠実に市政を執行する責務を有する」、
◆14条「市の執行機関は、久喜市に居住する者からの意見、要望、提言、苦情等に対して、公共の視点から公正かつ誠実に対応するよう努めなければならない」、
◆17条「市の執行機関は、久喜市に居住する者、関係機関、国矢田の地方公共団体と相互に連携・協力しながら、久喜市に居住する者の安全安心の確保に取り組むよう務めなければなら
ない」、
◆28条「久喜市に居住する者、議会及び市の執行機関は、この条例を尊重及び遵守するものとし、(以下、略)」というような条文規定になってしまいます。

 上は一部の条文を抜き出したものですが、「市民」の用語を「久喜市に居住する者」と言い換えてみると、おかしな規定は他にもたくさんあることに気が付くはずです。

本会議で修正案を否決しなければならない

 結局、久喜市自治基本条例は、久喜市の住民だけを対象にして、それ以外の市内に通勤・通学する多くの人々や企業や市内の公益団体などはすべて条例の対象から排除するという、ひ
とりよがりで排他主義的な条例に変質してしまうことになります。

 久喜市に通勤、通学する人々で、これまで、久喜市のまちづくりに関心を持って、審議会等の政策審議機関やワークショップ、祭りや市民活動などに参加してきた、たとえば学者の先
生方や学生たち、企業経営者等々…からすれば、この条文を読んだら、「ああ、そうですか。久喜市のまちづくりは久喜市の住民だけでやるんですね。住民以外の意見はお呼びじゃない
のなら、どうぞご自由に」ということになるのではないでしょうか。

 こんな珍妙な自治基本条例が成立すれば、久喜市と議会は全国の笑いものです。

 22日の最終日の本会議で、再度修正案の採決が行われますが、今のところ本会議では、この修正案は反対多数で否決される見通しです。

住民投票の修正案を提出します

 私は21日の市議会最終日に、「市民からの一定の署名による請求があった場合、市長に住民投票の実施を義務付ける(常設型住民投票制度)」修正案を提出する予定です。。



2011年12月 6日 (火)
久喜市の「除染」の基準、…『知識がないのでわからない?』



 久喜市は11月24日に、市内の小中学校、幼稚園、保育園などの放射線量を測定して、高線量が検出された場合に「除染」する基準を定めて公表した。

          ---------------------------------------------
(1)校庭や園庭などの面的除染を実施する基準については、
 除染を実施する基準は、年間1mSv(ミリシーベルト)=0,23μSv(マイクロシーベルト)毎時以上が測定された場合とし、
 幼稚園、保育園、小学校は地上高50センチ、中学校以上は1mで、5点を測定して、平均の数値で判断する

(2)局所的な除染(いわゆるホットスポット)については、1マイクロシーベルト毎時以上の場合に除染する
 測定の高さは、保育園、幼稚園、小中学校は地上高1センチ、公園や、その他の施設で子どもが直に接する機会が多い高線量予測箇所(砂場、滑り台の下など)は地上高1センチ、小学生
以下が利用する公園や施設の高線量予測箇所(側溝・雨どい下など)は地上高50センチ、中学生以上が利用するその他の施設の高線量予測箇所(側溝・雨どい下など)は地上高1m
などとなっている。

⇒久喜市放射性物質の除染等の対応方針

          ---------------------------------------------

 測定値や、測定の高さなどが、場所や施設に応じて細かく規定されているのだが、たとえば、面的除染の基準で、中学校以上が1m、小学校が50センチとされているのは一応理解す
るとしよう。

 しかし、幼稚園や保育園がどうして小学校と同じ50センチなのか、幼児であれば地面に座り込んで遊ぶことも多いので、地上高5センチとか1センチとかもっと低く設定すべきでは
ないのか。

 高さが低い=地面に近いほど、放射線量が高くなる傾向があるので、特に、幼稚園や保育園でも表面で測定するのがあたりまえではないか。

 12月5日の市議会本会議の一般質問で、こうした測定の高さの設定について疑義を指摘したのであるが、市は何と答えたか。

 久喜市の環境経済部長は、国(内閣府や文科省など)や埼玉県が公表している「除染基準」に従って定めたと説明して、測定高さを引き上げる考えはないと強弁したのである。

 そもそも国の基準なるものがどれだけ信用できるのか、3・11以降、原子力保安員や原子力安全委員会などの国の機関の「安全」だとする基準がいかに信用できないものであるか、
私たちはいやというほど見せつけられてきたのではなかったか。

 実際、埼玉県の定めた基準自体が、国の基準よりも厳しいものになっているのであるが、市民に最も身近な市が、市民の安全を守る立場から子どもたちの実情を考えてさらに細かく、
あるいはきびしく設定してもいい。

 幼稚園や保育園での測定の高さを、小学校よりも低く設定するなどは、市の判断でできることであると重ねて質問したのであるが、市はなんと答えたか。

 環境経済部長からは「市には専門的な知識がないので、県の数値を参考に決めた」という驚くべき答弁が返ってきた。

 私はこの無責任な答弁に、訂正してほしいと求めたのだが、当の部長も、議場の議員さんたちも、何が問題か、わからなかったようだ。

 私は何に怒ったか。

 言うまでもなく、市は市民の生活と安全、健康を守る責務を負っているのであるから、市で一定の基準を定めたなら、その基準が適正であるという理由を市民に説明する責務がある。

 ところが久喜市行政は、市民から市が定めた基準の説明を求められた場合、『専門的な知識がないのでわかりません。県に従っただけです』と言い訳するのか。

 市が定めた基準の根拠について、「市には専門的な知識がないので説明できない。県の定めた数値に従う」と言ってすませるのだとしたら、それは市が果たすべき説明責任を放棄して
、市で定めた基準の根拠を県に丸投げして責任転嫁していると言うほかない。

 久喜市が市民から付託された権限と責任に基づいて決定したことであれば、それを市民に説明する責任が久喜市にある、そんなあたりまえの責任が果たせない久喜市行政とはいったい
何なのか。

局所的な除染は、「地上高1センチ、1mSv毎時」で実施

 市の基準によると、雨どいの下など、局所的に高線量になることが多い場所の除染についても、幼児、児童、生徒などの子どもの接する施設等に応じて測定の高さを「地上高1センチ
、50センチ、1m」などと細かく定めていて、これも埼玉県の基準に従ったものである。

 ところがこうした基準にもかかわらず、埼玉県では実際には柔軟に対応していて、すべての公共施設で「地上高1センチ」で測定し、たとえば県立久喜工業高校などでも「1センチの
高さで1mSv」を超えたので、11月18日に除染作業を行っている。

 久喜市も現実に測定してみた時に、『1センチの高さで1mSvを超えても、50pの高さでは超えていないから除染しなくていい』などという対応ができるわけはないのであって、
すべて1p高さで測定して1mSvを超えていれば除染作業に取りかかるのがあたりまえである。

 これについて環境経済部長が、「県と同じように実施していく」と答弁したのは、しごく常識的な方針であると言える。



2011年11月27日 (日)
福島原発震災被災地を歩く(3)



子どもたちへの責任とは何かーいわき市・好間保育園

 今日(20日)は、午前中にいわき市内の「好間保育所」に支援物資を届けた。

 以前は市立保育園であったが、市から委譲(土地は無償貸与、建物は900万円で購入)を受けて、2009年4月から、社会福祉法人「さくらんぼ会」の運営である。

 定員90名で、3・11後には8割の子供が避難していたが、3月28日に再開、同時に給食も再開したという。

 4月新規入所を予定していた子どもたち20数人の内の半数は県外へ移転するなどしたが、逆に南相馬市や大熊町などからの避難者の転入もあって、4月当初は84人、現在は90名
の定員いっぱいの子どもたちが通っている。

 3・11前からこの園では園長先生のお考えで、子どもたちには安全な食べ物を食べさせたいということで、食材は福島産の地産地消、無農薬の食材を使っていた。

 再開後しばらくの間も地元のお店や生産者の協力で、そうした“安全な”食材を何とか手に入れていたのだが、しばらくしてから農産物の放射能汚染が明らかになってきた。

 それで、4月に入ってからは今までとは逆に、「子どもたちに放射能汚染された福島産の食材は食べさせられない」と考えて、牛乳は北海道産、他の食材もすべて県外産のものを使っ
ているという。

 新鮮な葉物野菜がなかなか手に入りにくいのが悩みだが、県外の全国各地の支援者から送られる食材も使っている。

 私たちはここに静岡市水道局の水、無農薬のミカン、イモ、大根、レタス等々、放射能フリーの食材を運び入れて、子どもたちの給食に使ってもらうことにした。

徹底した除染

 4月下旬から園内外の放射線量の測定を始めたが、最初は園庭の50p高で0.75マイクロシーベルト/時、地面で2.3、室内の床面で0.23と驚くほどの高さ、室内は徹底し
た掃除や空気清浄機を設置するなどして、やっと現在では0,1以下に下がっている。

 プールは4.6マイクロシーベルトを計測したが、高圧洗浄機などで除染した結果、0.12〜0.08マイクロシーベルトに下げることができた。

 このプールは園舎に完全に囲まれた中庭にあり、上に透明シートを張ることで新たな放射性物質の落下を防いで、今年の夏は、他の保育園がどこもプールを使用できまなかったが、こ
こだけはプール遊びをすることができ、地域の子どもたちにも解放して楽しんでもらうことができた。

 もともとこの園では、園長先生が「自然は子供の教科書である」という考えで、子どもたちを室内遊びや道具を使ったからいかに遠ざけるかを徹底し、保育室のテレビを撤去し、近く
の川や山、田んぼの中での保育を実践してきた。

 すぐ目の前にサケが遡上する好間川が流れ、近くのドングリ山の斜面を駆け上ったり、木登りやターザンごっこをしたり…。

 それが3・11原発震災後はいっさいできなくなった。

 園庭は当初は0.3マイクロシーベルトを超えたが、表土をはいで徹底した除染作業を行って、地表面で0.08〜0.12マイクロシーベルトとなって、8月下旬からようやく1日
1時間半くらい、園庭での外遊びができるようになった。

 最初に園庭に出た日に、子どもたちは何の遊びをするよりも、まず、ただまっすぐに走ったそうで、子どもたちがいかに外に出たかったか、先生たちはウルウルと来たとおっしゃって
おられた。

 この間のことを園長先生が書いた文章をいただいたが、その中に、「3・11以後、子どもたちは園でも家庭でも散歩や外遊びができなくなってしまった。人間形成の土台ができる大
切な時期に、子どもたちの大切な時間を奪ってしまったことに、大人として、責任を感じ、申し訳なく思いです」と書かれている。

いわき放射能市民測定室の役割

 11月13日に、いわき市内の小名浜港の近くに、全くの市民の手による放射能測定室がオープンした。

 測定機器は「DAYSJAPAN」などからの無償貸与、運営資金は子供基金や全国各地の市民や団体からの寄付金によって立ち上げ、測定作業も市民の手でボランティア的に行って
いる。

 食材の放射性物質検査はドイツ製とベラルーシ製の2台の測定機器で、正式なオープンまでの準備期間ですでに、ミカン、ユズ、柿、キノコ、ブルーベリーなど300検体の食材の放
射性物質検査を実施した。

 測定は専門の知識と技術を持ったメンバーが実施していて、食品1検体で30分、500円で測定してくれるが、市民が食材を刻んだ形で持ち込んだものをそのままの形態(加工せず
に)で検査するので、正規の学術的な検査というよりも“参考値”と認識してほしいという。

 これまでの検査によって、地場の食品への放射性物質の地域的な傾向もわかってきたそうで、おおよそ、いわき市域の北側・山に沿った地域の数値が大きいという。

 またホールボディカウンターも設置してこれまでに準備段階で200人を測定してきた。

 1人3分で検査できるということで、この日、参加者の代表者の松谷静岡市議の測定をしてもらったが、セシウム137が180.7ベクレル、カリウム40が4615,8ベクレル
で、日本人の平均的な値で異常はなかった。(セシウム137が300ベクレルを超えると問題になる。チェルノブイリの子どもたちで3000〜4000ベクレルが検出されるという
)。

自治体議員と市民の交流会に参加

 午後は、いわき市内で開かれた「福島原発震災 生存権を守ろう! 福島と全国を結ぶ 自治体議員と市民の交流会」に参加した。

 主催は「福島原発震災情報連絡センター」で、全国の140人くらいの自治体議員が加盟していて、私もその一員に名を連ねている。

 福島からの訴えと報告で、原発震災後に避難生活し、今も子どもたちと離ればなれで生活しながら、行政に脱原発を訴え続けている市民のお話のあと、放射能市民測定室の事務局をつ
とめている鈴木さんのお話を聞くことができた。

 たとえば家庭菜園でおじいちゃんが作っている野菜を食べるかどうか、子供に食べさせるかどうかで、家族内に亀裂が生まれたりする。

 その家族の責任でなく、福島原発事故でまき散らした放射能が、健康に対する影響だけでなく、家族内の対立さえ引き起こしたりする。

 あるおじいちゃんは「子どもたちには食べさせられないが、自分たちで食べる」と言っているが、実際に計ってみたら放射能が検出されないで、「ああ、だいじょうぶだ。安心して家
族で食べられる」となる。

 逆に数値が高くて、「やっぱりだめだ。子供には食べさせられない」と、おじいちゃんも納得することができる。

 実際に測定してみることで、人の気持ちを整理し、お互いに納得することができる、そのための測定だという。

 またホールボディカウンターは家族全員で、継続的に計ってもらいたいという。

 計ることによって、家族の誰かが数値が高いとしたら、生活上の何が問題なのかがわかる、放射能を浴びる危険の多い生活の場面を減らすことにつながる、それを考えるためのきっか
けにしてほしい。

 食材検査にしても、ホールボディカウンターにしても、実際に計ってみることで、避難しないで生活していくことができるかがわかる。

 これから福島で生活し続けていく上で、何に気をつけなければならないかがわかる、それを話し合っていく材料にしてほしい、知ることで明るくなることができるのではないか、そう
いう「市民測定室」の思いが熱く語られた。

 3日間の視察の間の、現地の多くの写真は、後日、ホームページにアップしたい。



2011年11月26日 (土)
福島原発震災被災地を歩く(2)



 今日(26日)は朝8時半にホテルを出発して、静岡からのバスで、南相馬市内の「よつば保育園」に向かった。

 今回のツアーの一つの目的は、被災地の幼稚園や保育園の子どもたちに放射能に汚染されていない水や食べ物を届けることで、昨日は私は参加していなかったが、飯舘村の幼稚園(隣
の川俣町の幼稚園内に移転している)に届けてきたという。

 保育園の副園長さんと、同行してくれた市議会議員さんのお話から

 今日のよつば保育園は民間社会福祉法人が3つの保育園を経営しているが、合わせて240人定員のところ、3・11後、80%の子どもたちが市外の仮設住宅や県外へ避難して、現
在は50人くらいが通園してきている。

 いろいろな事情で避難できない人たちもいるが、医療や福祉関係の仕事をしている親も多い。

 つまりこうした保育園で子供を預かってくれる場があるから、地域の医療機関や福祉施設が運営を継続していけるし、逆に言えば、保育施設がないと地域社会が回らない、地域社会が
回っている限り、保育園は開けていかなければならないと、副園長さんがお話ししてくださった。

 保育士さんは5割くらいは継続して働いてもらっているそうで、経営はたいへん苦しい。

 子どもたちには飲むもの、食べるものは放射線に汚染されていないものを与えたい、ブログ等で発信して、県外から多くの人々が支援物資を送ってくれるようになって、子どもたちの
口に入る飲料水と給食はすべて支援物資でまかなうことができている、それで経営的にも助かっている。

 5月の連休明けから、市内の他の保育園と協力して臨時の施設で保育を再開し、このよつば保育園で再開したのは10月11日である。

 副園長さんによると、これまでに園庭の除染作業をを5回実施したが、特に除染の基準線量を決めているわけではなく、保護者から不安の声があがれば除染する、「保護者の安心のた
めにやるんです」と言われていた。

 保護者の半分くらいは放射線量測定器を持っていて、やっぱり日常的に気を使っている。

 [このときの園庭における私の放射線測定器の数値は 0.15マイクロシーベルト/時であったが、南相馬市内ではそれほど高い数値とは言えないらしい。]

 行政による除染は、地域を決めて面的に進められているのだけれど、本当は「点」で、特に配慮が必要な子供や妊娠している女性など、優先して助けるべき人や世帯などを優先的にや
ることも必要ではないのか。

 ここに通ってくる子どもたちには大人の事情はわからないが、子どもたちなりに楽しく過ごしているけれど、外遊びができない、公園でも遊べないのはやっぱりかわいそうだ。

 全国各地から支援物資を送り続けてくれたり、保育園を訪問して子どもたちといっしょに遊んでくれる人たちも多い、「手をつなぐプロジェクト」というのを広げていて、廊下にはそ
の人々の手をつなぎ合った写真がズラーッと貼られていた。

海岸線へ

 保育園を後にして、私たちは、海岸沿いにバスを走らせて、すべて流されて何もなくなった街並みのあとを抜け、津波で破壊された東北電力原町火力発電所などを見て回った。

 海岸線での放射線量は 0.12マイクロシーベルト/時であったから、久喜市よりも少し高い程度である。

 150軒くらいの住宅が密集していた漁村では、ここの土地を買い上げてもらって、近くの山の中腹の高台に集団移転する計画が進んでいるという。

 海岸線から遠くに見える山まではるかな平原、ここは津波が内陸へズーッと押し寄せて、4キロも先の山のふもとのあちこちに数10隻の漁船が転覆し、横たわり、あるいは浮いてい
る格好そのままで、いまだに放置されているのを見た。

 こうしてみると、復旧作業自体がいまだに終了していないのだ。

飯舘村で 「11マイクロシーベルト」!!

 午後、南相馬市から、明日の目的地・いわき市へ向かうために、飯舘村を抜けていったのだが、バスの中でスイッチを入れっぱなしにしていた線量計の数値がみるみる上がっていって
、0.4マイクロシーベルト…、0.7マイクロシーベルト…、1.0マイクロシーベルト…、まだまだ上がる…、私の測定器はついには、1.55マイクロシーベルトを表示した。

 同行者のシンチレーション式の(私のよりも高性能の)線量計も、2マイクロシーベルトを超えたと言うから、間違いではない。

 途中でバスを止めて道ばたで計測してみたら、私の測定器は地上1mで 5.25マイクロシーベルト/時、地面に置いたシンチレーション式の測定器は最高 11.72マイクロシー
ベルト/時を表示した.

 これは年間では102ミリシーベルトに達するから、これではここに住むわけにはいかない、全村避難となったのも当然ではある。

 私たちも急いでバスに戻って、早々に飯舘村を抜けた。




2011年11月26日 (土)
原発震災被災地を歩く(1)



 昨日(11月25日)夜に福島県南相馬市駅前のホテルに入った。

 私の所属する議員ネットワーク・虹とみどり静岡の皆さんが福島県内の原発震災被災地自治体を訪問し、視察、交流を計画したので、同行させてもらうためである。

 常磐線は双葉町や浪江町などの避難地域は不通になっているから、南相馬市に入るにはいったん仙台に入ってから南下してこなくてはならない。

 昨日は夕方に市内の活動を済ませてから電車に乗り、新幹線で仙台へ、常磐線で亘理まで来て、JR代行バスで原ノ町の駅前のホテルまでたどり着いたのは夜の9時だった。

 これ以上南へは行くことはできない。

 もう外は真っ暗になっている中、亘理駅前から原ノ町駅まで来るJR代行バスは、仙台から帰宅する通勤者や、高校生がたくさん乗っていたが、あまりしゃべる人もなく静かで重苦し
い感じがしたのは、私の気のせいだけではなかったと思う。

 今朝、朝食後、駅前に出てみたが、代行バスが2台駐まっていた。

 土曜日のせいか、それとも人々が避難して少なくなっているせいもあるかもしれない、駅前は閑散としていた。

 駅前広場で、いきなり放射線測定器は「0.43マイクロシーベルト」を検出して、「ピーーー」と警報音が止まらなくなった。
 久喜市内ではせいぜい「0.1マイクロシーベルト」で、警報音は鳴ったことがなかったから、音を止めるのに苦労した。

 線路を渡る歩行者用通路の上から見ると、駅舎は何も変わったことはないのだが、電車がまったく通っていない線路というのはやはり異様な感じがした。



2011年11月25日 (金)
“議会活性化”の協議はどう進んだか



 11月18日に第8回の議会運営等検討委員会が開かれた。

 当初の予定で、2月定例議会に検討結果を報告することになっているから、そろそろ大詰めで、この日は16項目について協議し、4項目について“合意”した。

 この日に合意した項目では、特別委員会の審査経過について全文記録の会議録を作成して、市議会のホームページの会議録検索システムに載せることとか、各会派代表者会議の会議規
定を設けることなど、合併前の旧久喜市議会で整備されていて、本来なら合併後早期に実施していなければならなかったはずのもので、これまで先送りにされてきたものもある。

 さてその一方で、各会派の考えが一致しなくて、“不合意”になったものの方が多い。

議員の倫理

 その一つ、政策会議が提案していた「議員は市が補助金を支出する団体の代表には就任しない」という規定は、公明党と共産党も賛同してくれたのだが、飛翔が反対して合意できなか
った。

 議員は行政運営に対して一定の影響力を行使しうる立場にあるから、地域団体やその他の市民団体も含めて、市の事業に関わって、その行動にはいささかの批判も受けないよう、自ら
律することが求められている。

 議員が特定の団体の代表者に就任して、市の行政に対して利益誘導を行うなどは論外であるが、仮に直接的・積極的な影響力を行使しなくても、市民からそうした疑念を持たれかねな
い立場にいること自体が問題となる場合もある。

 もちろん議員は団体の“代表者”でなくてもさまざまな立場で影響力は行使しうるのであるが、議員の倫理の面からしても、最低限、「代表者」という立場は自ら辞して、その姿勢を
示すべきではないか。

 実際、現職の議員の中の何人かが、現にそうした立場にいるのであって、その代表職を辞することは一定の決断と、当該団体の関係者の理解を得ることが必要になってくるが、議会で
そうした倫理規定を設けということになれば、まわりの方々は理解してくれるであろう。

 実際、合併前の旧久喜市議会では合意が成立して全議員が実行していたのであるから、今度の議会でもそうした申し合わせなり規定を作ろうと提案したのであるが、飛翔は断固として
拒否したのであった。

議員バッジ、そしてネクタイ

 他方で、飛翔から提案のあった次の2件も“不合意”となった。

 一つの提案は、現在の「申し合わせ」で「議員は任期中、議員バッジを佩用する」というのを、『議員活動中は、議員バッジを佩用する』に変更しようというものであるのだが、“議
員活動中”という規定自体がきわめてあいまいなもので、本会議や委員会などの会議中をさしているのか、議員として行動するときという意味か、具体的な説明はされなかった。

 「佩用」という用語も、意味がよくわからないがいかにも偉そうで権威主義的ではある。

 「任期中、…佩用する」であれ、「議員活動中、…佩用する」でれ、常に襟元に議員バッジを付けていなければならないわけでもなくて、議員それぞれが常識の範囲で、付けるもので
あろうから、現行の申し合わせ事項の文章を特に変える必要はないということになった。

 もう一つは、現在の申し合わせ事項「6月〜9月をクールビズ期間機関とし、ノーネクタイも可とする」を、「クールビ中はノーネクタイも可とする」に変更しようという提案であっ
たが、これも飛翔の委員さん以外は賛同しなくて“不合意”となった。

 一見、現行規定を変更しても意味は変わらないように見えるのだが、飛翔の意図を聞いてみると、「クールビズ期間以外はネクタイ着用を義務づける」のだという。

 以前、旧久喜市議会でお坊さんで作務衣(さむえ)姿で本会議に出席していた議員がいたし、私自身もここ何年もノーネクタイを通しているのだが、どうもそれが気に入らないらしい


 飛翔の松村議員が「議会は神聖な場だから(ネクタイを着用するべきだ)」と言ったのだが、別にネクタイをしていなくても、そこそこ清潔で常識的な服装であって、周りの人にそれ
自体で不快感を与えるような服装でもなければいいのではないかと思うし、こういう服装の規制を作ることが、議会運営等検討委員会の“議会活性化”をめざした協議にどう関係してく
るのかもよくわからない。

 女性議員はネクタイなしでセータ−でもよくて、男性はネクタイでなければならないという考え方自体が、何らかの先入観念にとらわれているのではないか。

 私自身で言えば、成人式とか卒業式とかの儀礼の場に出るときにはネクタイを着用しているので、別に主義としてノーネクタイを通しているわけでもない。

 重症の肩こり症であって、ネクタイをして1時間もするともう肩から腕から背中まで重くて痛くて我慢できなくなってくるので、仕方なくネクタイは勘弁してもらっているのだが、そ
うした個人的体質的事情はなかなか理解してもらえないものかもしれない。




2011年11月22日 (火)
全日本マーチングコンテスト



11月20日に全日本マーチングコンテストが大阪市・大阪城ホールで開催され、久喜東中学校吹奏楽部が出場したので、私も保護者会のみなさんといっしょに応援に行ってきました。
(当然、私はプライベートな応援旅行です)。

 中学校の部には全国から25の中学校吹奏楽部が参加、その内、西関東代表として、久喜市から久喜東中と栗橋東中の2校が出場しました。

 一つの市から2つの中学校がダブル出場するというのはきわめて珍しいことで、他にほとんど例がないそうです。(今年は150万都市の神戸市からも2校が出場しました)。

 市内から2校がダブル出場した今年は、市長と教育長も応援に出かけました。

 久喜東中学校はこれまで3年連続出場で、2009年が初出場で銀賞、昨年、今年と2年続けて金賞を受章、栗橋東中学校は初出場で銀賞を受賞しました。

⇒全日本吹奏楽連盟のホームページ 

⇒久喜東中が金賞の記事 

 「久喜市議会だより」12月1日号の表紙に、両校の吹奏楽部の生徒たちの、大会直前の猛練習の写真が掲載される予定ですので、ご覧ください。

 久喜市内の中学校は吹奏楽の部活動がたいへん活発で、この2校の他にも、菖蒲中が吹奏楽コンクールで西関東大会に出場、アンサンブルコンテストにもいくつかの中学校が出場して
います。

 11月13日に久喜総合文化会館で開かれた吹奏楽フェスティバルには、菖蒲中学校、久喜中学校、久喜南中学校、鷲宮中学校、久喜東中学校、太東中学校、栗橋東中学校が参加、市
内の久喜北陽高校、久喜高校、鷲宮高校も出場しています。

⇒だれかがユーチューブにアップしたらしい。

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 市長らがマーチングコンテストの応援に行かれたのは初めてのことですが、久喜市の行政・教育行政の代表として、市内の2つの中学校の生徒たちのために“公務”で応援に行く立場
にあるし、会場に行って直接に激励してもらったことは本当によかったと思います。

 切実な話になりますが、こうした全国大会などに遠征する際に、旅費を自己負担するというのはたいへんですし、部活動をいっそう活発にしていくためには、市から遠征費に対して一
定の補助金を出してもらわなければなりませんから、市長や教育長に現場を知ってもらうのは大いに意味があるからです。

 それはそれとして、実は会場で、市議会議長が市長らに同行してきていて、こちらも“公費”を使って応援に来たということで、正直なところ、ちょっとびっくりした次第…。



2011年11月13日 (日)
「久喜市議会だより」は変わったか



 「久喜市議会だより」は12月1日に発行される予定で、内容は9月定例市議会の報告である。

 このところ、「市議会だより」の内容がかなり変わってきていることにお気づきだろうか。

議員の顔写真の掲載はしないことになった

 一般質問の報告は、昨年、新久喜市議会になってから、1人1人の議員の写真が掲載されていたが、これは今年になってから廃止された。

 合併前の久喜市議会では「議会だより」の一般質問の記事に議員の顔写真を載せることはなかったが、町議会では顔写真を載せていたということで、そうすることになった。

 昨年初めの内は、それぞれの議員が選挙のポスターに使った写真を議会事務局に提供して載せていたが、それよりは実際に質問している場面を載せた方が動きがあっていいだろうとい
うことになって、事務局の職員が本会議場で撮影するようになった。

 私などは厳しい目つきで少し市長のいる方を向いて、片手をあげてしゃべっているような写真の方が雰囲気をよく表していると思うから、そういう写真を選んで載せていたが、しかし
、議員によってはなかなかお気に入りの写真が撮れなかったりするらしい。

 そういう人はどうするかというと、演壇に立ってからまず、カメラの方を向いてにっこりと笑顔を作って撮影させてから話し始めたりする人もいた。

 中には事務局に頼んで後日に撮り直したり(後ろの議長席には同僚議員を座らせたりして)、とうとう議場で撮った写真にポスター用の顔の画像をはめ込んで(つまりは質問の場面を
でっちあげて)掲載したりする議員も現れた。

 ここまで来ると、「議会だより」に顔を載せるために質問してるわけじゃないでしょ、とイヤミも言いたくなるではないか。

 どんな小さなやらせや偽造であっても、それはいわば市民をだます行為だと思うが、事務局職員は頼まれればイヤとは言えない。

 そんなこんな、いろいろな経過もあって、一般質問に議員の顔写真を載せるのはやめにして、質問に関連する写真を議員自身が撮影するなり持ってきて、それを掲載するか、議員が自
分で持ってこない場合には事務局で適当なカットを載せることにした。

 次号では25名の一般質問の内、20名近くが写真を載せることになって、かなり紙面に動きが感じられるようになったと思う。

 一般質問の記事は原則として、質問した本人が「1行23字×23行以内」で書いて、見出しも自分で考えて付けることになっているが、最近ではほとんどの議員は自分で書くように
なった。

 それでもどうしても自分で書かなくて(書けなくて?)、事務局に頼んで書いてもらっている議員も数名(12月1日号では5〜6名?)はいるらしい。

 さすがにこのブログで議員名を書くのまでは控えるが、読者のみなさんが「議会だより」を読んでみて、自分で書いていない(事務局に書いてもらっている)人はだれか、推測してみ
てはいかがか。(議会事務局に出向いて、本人が書いた原稿の開示を求めてみるという方法もある。開示されない議員が自分で書いていないということになる)。

議員の出欠一覧表は廃止

 これまで議員全員の本会議における出欠一覧表が掲載されていたが、これは12月1日号から廃止されることになった。

 この出欠表は、私の記憶するかぎり、旧久喜市議会の最初から30年以上も以前から掲載されていて、病気や用事で欠席した場合には当然ながら「×」が付いた議員もあったが、事実
を伝えているわけだからだれも文句は言わなかった。

 しかし合併後の広報委員会で、『出欠一覧表はいらないんじゃないか』という意見が出て、はずされることになった。

 議員は本会議に出席するのが義務であたりまえだから、ここ何年も欠席の「×」が付く人はいなかったのだが、私は正当な理由があれば休んだってしかたがないと考えている。

 以前、病気で入院していた議員が病院を抜け出してきて1時間だけ出席してすぐに退席したり、家族のご不幸の日に喪主が本会議に出てきたりで、もしかして「×」を付けられたくな
くてムリしてるんじゃないかと思うようなこともあったりはした。

 広報委員会の場で協議した際に、私もはずすことについて反対はしなかったが、市民のみなさんから異論はあるかもしれない。

 ただこれまでこの一覧表を見て議員の名前や所属会派を知ることもできたので、議員名の一覧表に差し替えることになったのだが、さて、出欠表が出なくなったことで、今後、休む人
が増えるだろうか(もちろん、そんなふまじめな議員はいないことが大前提である)。

読まれる「議会だより」をどう作るか

 今の「久喜市議会だより」は、文字は小さいし、記事の構成からしてまだまだ親しみにくいと感じるのも事実であろう。

 本当に市民が知りたい情報を載せていると言えるかどうか、疑問の声も指摘されたりする。

 その議会で問題になった案件について、その論点をきちんと載せることが、「議会だより」の役割だと思うが、その役割をちゃんと果たしているといえるか。

 現在の「議会だより」は一般質問が中心で、本会議や委員会における議案審議の記事がきわめて少ないことは否めないが、本来は議案審議は議会の重要な仕事の一つであるから、これ
をどうするかも課題である。




2011年11月 6日 (日)
「視察報告書を市民が見られるようにする必要はない」!?



 11月4日に第7回議会運営等検討委員会が開かれた。

 そもそも“議会の活性化”を目的として開始された、この検討委員会は、改革項目は全会派の合意によって決めるというのが原則である。

 協議の中で、政策会議や共産党、公明党が積極的な議会改革の方策を具体的に提案しているのに対して、飛翔が『現状通りでいい』『変える必要はない』という見解を示して、残念な
がら「不合意」という項目が多くなっている。

 この日は、常任委員会のあり方などに関して、7項目の提案を協議したが、特に私たちをあきれさせたのが、以下である。

 政策会議が「常任委員会の視察結果報告書を議会図書室に置くとともに、議会のホームページに掲載する」と提案した。

 各常任委員会が視察に行った場合、委員長がその後の定例議会の本会議初日に口頭で「視察結果報告」を行っているが、これはごく簡潔にまとめて報告せざるを得ないから、詳細な報
告書や資料等を議会図書室に置いておこう、また議会のホームページにも掲載しておこうという提案である。

 議員は市民の税金を使って視察に行ってきたのだから、その視察で何を見、何を得てきたかを市民に知らせるのは、市民に対する責任であり、あたりまえすぎるほどあたりまえのこと
ではないか。

 当然、公明党も共産党も賛成してくれて、全会派の一致で決まるかと思ったのだが、唯一、飛翔だけは『必要ない』と言ったのには耳を疑った。

 なぜ必要ないかと問うたところ、山田、松村議員らは「議会で報告しているから必要ない」「見たければ会議録を見ればいい」と言う。

 そもそも本会議の報告自体が簡潔にまとめたものを読み上げるだけであって、もっと詳細なものを資料も含めて、市民がいつでも見られるようにしておくべきだというのが、提案した
私たちの趣旨なのだが、飛翔の方たちはあくまでも『必要ない』とおっしゃる。

 松村氏はさらに『視察結果の報告は議員間の共通認識を作るためのものであって、議員間の共有財産にするのが第一義だ』と言う。

 とすると、「“市民に知らせるのは第二義”になるか」と聞き返すと、そういう意味ではないと言うが、じゃあどういう意味なのかよくわからない。

 また『市民が喜ぶことをやる必要はない』という発言もあって、それも受け取りようによってはたいへんな問題を含んでいるが、真意は不明である。

 私たちは、市民の税金を使ってやったことは、市民に明らかにするのが議員の責任だという単純明快な論理を、何度も何度も主張したのだが、議論は最後までかみ合わない。

 視察報告書を図書室に置いたり、ホームページに掲載することに特に金がかかるわけではない、資料をいつでも見られるというのは議員にとっても便利だから、だれも損をしないで、
メリットしかないはずなのに、飛翔がなぜ反対するのか、どうしてもわからない。

 全会派の合意が得られなかったので、結論は『不合意』で、実施しないことになった。






2011年10月31日 (月)
燃やせないごみを指定袋に入れる理由がわからない



 ごみ指定袋で、最も不合理なことの一つは、「燃やせないごみ」を指定袋に入れて出さなければならないという規定である。

 これまでだったら、欠けた茶碗、カミソリ、壊れた懐中電灯、電球(白熱灯)、洗濯ばさみや壊れたハンガー、金属のおもちゃなどなど、燃やせないごみの中でも比較的小さなものや
バラバラになりそうなものは当然ながら「袋」に入れて出してきたのであるが、燃やせないごみの中でももっと大きなものはどうしてきたか。

 たとえば、炊飯器、ポット、トースター、小型ラジカセ、金属製のバケツなどは、普通は袋に入れずにそのまま出してきた。

 10月3日の衛生組合議会の一般質問で、小型家電なども「指定袋」に入れて出させるのは不合理ではないか、これまで通りにそのままハダカで出して何ら問題はないではないかと質
問したら、衛生組合の職員は「壊れた家電製品などは持ち上げたときに部品がバラバラになるかもしれないから袋に入れて出してもらわないと困る」と答えたものである。

 これまでだって、住民はそのまま出す場合でもフタなどが開かないようにガムテープなどで留めて出していたし、部品が取れてバラバラになった家電製品であれば、当然、袋に入れて
出していたのである。

 部品が取れてバラバラになるかもしれないから「指定袋」に入れて出さないとダメだなんて言うのは屁理屈以外の何ものでもない。

 もう一つの例として、「一斗缶」もそれだけを指定袋に入れて出すのか、そんなばかげた出し方を指導したりするのかと質問したら、当局の職員は「一斗缶のフチで手を切ってケガを
するかもしれないから指定袋に入れて出してもらう」と答弁した。

 『45リットルの袋に入らないものは「粗大ごみ」だから、袋に入れてみないとわからない』とも言うのだが、そんなものはだいたい見てみればわかる。

 微妙なものは袋に入れてみないとわからないかもしれないが、じゃあ明らかに45リットルよりも小さなものはいいんだろうか、…実際、小型家電は今だって袋に入っていなくても回
収しているではないか。

屁理屈や詭弁で市民の理解は得られない

 ここまで来ると、屁理屈を通り越して、行政のまともな(まじめな)答弁とも思えぬ、ばかばかしいと言うしかない。

 質問回数も3回終わってしまったし、それ以上言う気も失せてしまったが、あとで考えれば、そんな真摯さのかけらもないばかげた答弁をさせたままで放置してしまったのは誤りであ
った。

 職員は、ただ単に、議会の猪股の質問を、3回の再質問、再々質問に答えてしまえばいいのだから、どんな屁理屈でもクソ理屈でも、あるいは現実にはありえないゴマカシやウソ答弁
でもいいから並べ立ててやり過ごそうとしたわけだし、実際それは成功したわけだ。

 しかし、それは実は市民をばかにした答弁であることに、衛生組合のその当該の職員は気がついているだろうか。

 職員の、人をばかにしたその答弁を、当局席の最前列にいた管理者=田中市長はニヤニヤ笑いながらそれを聞いていたのであったが、市長も、その職員が実は市民をばかにしていたの
だということに気付いていなかったのだろうか。

 議会で、当局と議員の意見が対立したときに、職員はどんな詭弁を弄してもいいと思うのかもしれぬ。

 しかし、議員の後にはたくさんの市民がいるのだということを忘れて、市民の目を怖れぬとしたら、また市長や職員が行政は市民の上に立っているのだと思いこんでいるとしたら、そ
れは市民のパブリックサーバントとしての行政の堕落という他ない。

 私は衛生組合の議会のあとで、何人かの市民にその答弁をそのまま話しているが、どの人も、「ふざけてるんじゃないの」「もう協力したくない」と怒っていたし、ある人は「(ごみ
減量推進員を)やめたくなった」と話していたのであるが、衛生組合当局はそうした市民の思いなどは知るよしもないに違いない。

 さて、一斗缶を指定袋に入れないとダメだという屁理屈に戻って反論しておけば、実は、収集にあたる職員は手袋をしているから、一斗缶のフチで手を切る心配はまずいらないし、そ
れじゃあ、フタを切り取ってない一斗缶なら手を切る心配はないから、そのまま出していいですねと、そこまで言いたくなるではないか。






2011年10月30日 (日)
ごみ指定袋は地域のコミュニティと助け合いを破壊する



 衛生組合当局(管理者・田中暄二久喜市長)が、来年4月から、「ごみ指定袋制度」を決定したので、住民は、燃やせるごみと燃やせないごみを出すのに、衛生組合の「指定袋」を使
わなければならないことになる。

 これによって、どんなことが起こるか。

 たとえばこれまでだったら、道路の街路樹や公園の落ち葉の始末は、普段は近隣の住民がやってきた。

 住民にとっては地域の街路樹であり、近所の住民が親しみ憩う公園であり、今の季節、毎日の落ち葉を掃き集めて、自分の家から大きなレジ袋や生協で購入したごみ袋に詰めて燃やせ
るごみの日に出してきた。

 さて、今度は衛生組合が指定する業者が製造販売した袋に入れることが義務付けられて、それ以外は収集されないのだとすると、住民はボランティア的に掃き集めた落ち葉を出すのに
も、わざわざその袋を購入して入れなければならなくなるか。

 このところ、吉羽や栗原地区の公園、けやき通りの清掃を続けてきた住民ら数名の方から、立て続けに、「もう今後は落ち葉の清掃はしません」「来年からは、市が全部やってくれる
んですね」と言われてしまった。

 これまで長い間、住民たち自身の手で、地域の環境を自分たちで守ろうという取り組みを進めてきたのに、指定袋の義務付けはそれに冷水をかけるに等しいのであって、住民たちの怒
りももっともでないか。

分別されていないごみはどうしたらいい

 ごみ集積所に、よそからのごみが投げ込まれたり、分別されていないごみが出されていた場合、現在だったら、残されたごみ袋を調べて、もし出した人がわかればそこに返すか、わか
らない場合、やむをえずごみ当番の人が、自分の家から持ってきたレジ袋に再分別して出し直したりしてきた。

 しかし袋が有料化されたら、再分別して出し直す袋はごみ当番の人の自己負担となるか、あるいは町内会で負担しなければならないか。

 だれが出したかわからない未分別のごみを、わざわざ住民が自分で買った有料袋を使って出し直すなんていうのは不合理であって、確実に、そのまま放置されるごみが増えることにな
るのは予想がつく。

 衛生組合は、ごみが残された場合は『連絡をいただければ衛生組合の職員が来て対応する』と言っているが、その結果、集積所は身分別のごみが残って不衛生となるばかりか、これま
でせっかく地域住民間の協力や助け合いでいい環境を保持してきたのに、それを壊すことになるではないか。

 10月3日の衛生組合議会で、私の質問に対して、当局はどう答えたか。

 衛生組合では『(未分別のごみが残された場合)、1週間くらいは置いておいて、翌週には持っていく』とも言うのであるが、これまで地域の協力によって分別の徹底を進めてきたの
に、分別してなくても結局は持っていくというのなら、分別への住民の協力も必要ないと言うに等しい。

『草を乾かしてから出せば量が減る』

 衛生組合は「指定袋」にすれば、住民は有料の袋を使わなければならなくなるから、住民がごみとして出す量を減らすだろう、それによってごみ減量が進むはずだと説明している。

 その例として、雑草を刈り取って、これまでだったらそのまま袋に詰めて出していたが、有料の袋になれば、住民は少しでもカサを減らすために草を乾かしてから出すようになる、だ
からごみの量が減るというのであるが、これは本当か。

 普通、市街地では、住民は庭や道端の草刈りをして、庭が広ければしばらく積んでおいて、枯れてから袋に詰めれば確かに“減量”になるかもしれぬが、普通の住民はそのまま次の燃
やせるごみの収集日に出さざるをえない。

 たとえば農家や、空き地がたくさんある住民だったら、今だってわざわざごみとしてなんか出さないで、畑に鋤き混んでしまったりするかもしれぬ。

 しかし、草刈りをして枯れて量が減るまで積んでおくスペースがなかったり、積んでいる間に雨でも降ったら始末に困るし、次の休みの日には別の予定があったりするのであって、有
料袋になってもやっぱり、普通の住民は草刈りをして次の収集日には出さざるをえない。

 したがって、指定袋は除草の場合の減量には結びつかない。

 町内会で「ゴミゼロの日」や道路愛護月間で日曜日に道路の草刈りをしたら、これも草を乾かしてから出そうなんて余裕なんかないので、そのまま翌週の燃やせるごみの日に出すこと
になる。

 この場合は今だって町内会などで有料袋を購入しているので、その費用が若干高くなるけれど、これはゴミゼロの日などの市からの補助金が出るから、それでまかなうことになるが、
やっぱりごみ減量にはまったく結びつかない。

 「指定袋にする ⇒ 住民は有料袋のお金を節約しようと考える ⇒ 草を乾かしてから出すようになる ⇒ ごみの減量になる」などと、職員は見事な三段論法を思いついたつもり
かもしれぬ。

 もしも、指定袋の値段を1枚100円くらいにすればそういう心理も働くかもしれないが、現実にはそうもいかない。

 結局、その職員のごみ減量の希望的観測は、住民の現実のごみ出し行動とはかけ離れた論理であって、ごみ出しの現場を知らない衛生組合職員の空理空論と言うしかない。




2011年10月28日 (金)
指定袋反対に署名しておいて、あとで取り消した議員のこと



 久喜宮代衛生組合に「ごみ指定袋導入に反対する請願」が市民3050名の署名をつけて提出され、10月17日の衛生組合議会で否決されたことはすでに書いた。

⇒猪股のホームページ10月20日の記事

 その中に1名、2本の棒線で取り消された署名があることが明らかになった。

 それが公的責任を持った人による行為であったとしたら、とうてい看過できないのであって、ここにどうしても触れておかなければならない。

 久喜市議会の議長であり、この春まで市議会会派・飛翔の代表であった岸輝美氏はいったん署名しておきながら、数日後に請願代表者のところにやってきて、「削除してくれ」と頼ん
できたのだという。

 議長という公職に就いている人の行動が久喜市政と市議会に与える影響は少なくはないのだが、その人が「ごみ指定袋に反対」の態度をいったん公にしておきながら、態度を翻して「
削除」を申し出るというのはどういうわけか。

 衛生組合議会の請願審議では、久喜市議会の飛翔に所属している5名の議員は全員が「請願に反対=指定袋導入に賛成」の態度をとったから、つまり岸議員も他の飛翔所属議員と同様
に「請願に反対=指定袋導入に賛成」の考えであったと解するほかない。

 本当は自分は「請願に反対」であるにもかかわらず、署名運動をしていた市民にいい顔をするために、その場の方便として「請願に賛成」のふりをして署名をしてみせて、後でその署
名が表に出るとまずいから削除を依頼してきたとしたら、それは市民に対する裏切りであり、政治的な“ウソつき”と言うしかない。

            --------------------------------------------------------

 衛生組合議会は、久喜市の議員の中から9名、宮代町から5名、合わせて14名が選任されて構成していて、久喜市の9名の内訳は、飛翔5名、政策会議2名、公明党1名、共産党1
名である。

 衛生組合議会に所属していない議員で、この「指定袋反対の請願」に署名した議員は他にもいるが、取り消ししたのは岸氏だけである。




2011年10月12日 (水)
全国都市問題会議研修会で、議員は何を感じたか



 10月6、7日に鹿児島で、全国市長会の主催による「都市問題会議」が開催された。

  テーマは「都市の魅力と交流戦略 〜地域資源・公共交通=地域活性化〜」で、各地の市長や地方自治の研究者から報告や問題提起がなされ、久喜市からは市長と市議会から24名
の 議員が参加した。

 地域にいかに外から人を集めるか、人を呼び込むか、人と人、人と地域との交流を広げていって、いかに地域の活性化につなげていくか、地域資源をいかに発掘するか、いかに作るか
、いかに広げていくか、そのために最近注目されている路面電車などの公共交通をいかに地域活性化に役立てるか、というのが問題意識である。

 おもに問題提起は鹿児島市や上田市、倉敷市などの比較的大きな地方都市からではあったが、地域資源をいかに人と人との交流に生かしていくかという観点から考えれば、都市の大き
い、小さい以前に、久喜市に活かせることは何なのかを考えてみる必要があろう。

 講演の問題提起で、「いいもの⇒売れるもの」「ものづくり⇒物語つくり」というキーワードが印象に残っているのだが、つまり、「いいものがあるというだけでは人は呼べない、そ
れをいかにして情報発信して売れるものにするか」「いいものに、いかに地域の物語を付加して売れるものにするか」という発想力が必要ということだ。

 久喜市にも、いわば観光や地域おこしの種はたくさんあって、ちょうとん祭り、鷲宮神社、ラキ☆スタ、利根川、静御前、菖蒲のラベンダーとブルーフェスティバル、いやそれほどネ
ームバリューはないけれども、地域の伝統や伝承、習俗、小さな祭り、……。

 けれども問題は久喜市において、それらが単発で結びつけられていないこと、そしてそれらを外へ向けて発信する力と発想が弱い、あるいは欠けているのではないかということを、改
めて感じさせら れたものである。

 であれば、今後、そうした視点と発想を、久喜市の行政がいかに持っていくかが課題になるであろう。

 今回の都市問題会議に、久喜市から参加しているのが、市長と議員の他には秘書課の職員と議会事務局の事務局長の2人だけだったのだが、本当は、市の商工観光課の職員か、まちづ
くり の政策形成という視点から言えば、企画政策課の責任ある立場の職員を参加させるべきではなかったか…。

 市長が、そうした職員をこそ参加させて政策形成の視点を持たせるという発想を、持つべきではなかったか。

 都市問題会議について、所沢市議の桑畠氏がもっと詳しく報告されているのを見つけた。http://www.kuwaken.net/2011/10/post_248.html

何も得なかった議員もいる?

 他の議員のブログをチェックしていて、残念ながらこうした政策研究の場に議員が大挙して参加しても税金のムダづかいかもしれないという例を、またまた岸議員のブログに見つけて
しまった。

 岸議員はこう書いている。

【抜粋】 とにかくイスに座ったままの8時間というのは大変きついものがあります。
今回のテーマは「都市の魅力と交流戦略」…漠然としすぎているのでは、と思いましたが日程が進むにつれその思いは益々強くなりました。
その後主報告、一般報告と3本ありました。
……テーマを深める講演とは行かないものでした。

最終日は5人のパネラーによる2時間強のバネルディスカッション……
正直いって昨日講演で感じたものを、拡大された感の面白くないバネルディスカッションでした。
それぞれのバネラーがそれぞれの立場から、漠然としすぎているテーマのある部分について語り、関連性が無く一向に深まらないのです。
会社関係の2人の話しは全く解らなかった。これはコーディネーターを勤められたNPO法人理事長の方も同じ。
どう考えてもテーマ設定に無理があったと言わざるをえません。

 そして岸氏は、1日目には
「最後の講演が終わるや脱兎のごとく会場を飛び出し、タクシーに飛び乗って城山公園に向かいました」「念願かない城山山頂から桜島を見ることが出来ました。後は薄暗くなる6時まで
城山公園遊歩道・隆盛像・篤姫像・鶴丸城址公園と8千歩をひたすら歩いて…」、
さらに2日目の終了後は、桜島に渡って観光したとか、焼酎工場の見学と食事を楽しんだとかということを、実に生き生きと書いておられるのである。

 いったいこの人は何のために鹿児島まで行ったのだろうか。
 研修会参加費、飛行機代や2泊3日の宿泊費などなんやかんやで議員一人あたり10万円近くの費用がかかっているはずなのに、この人は何も得るものがなくて、終了後の観光だけを
楽しんだというのか。

 税金で鹿児島まで出かけておいて、「まったくわからなかった」「おもしろくなかった」ですむ話ではないと思うのだが、岸議員は、ムダな研修だったということを自らお認めになっ
ているのだから、この研修にかかった費用(税金から支出した政務調査費)を市に返還するようにお奨めしたい。





学校給食費はいかに決定されるべきか



 昨年から学校給食審議会が開かれていて、学校給食費の「統一」について検討が行われている。

 合併前から4市町それぞれ、学校給食方式も給食費の保護者負担も違っていて、合併時に統一することができなかった。

 給食方式は、久喜地区が全面民間委託・大規模センター調理方式、菖蒲が市直営・中規模センター、鷲宮が市直営・中規模センター、栗橋が小学校や直営・自校調理方式、中学校が民
間の産業給食センターでの委託調理と、それぞれ異なっている。

 当然、いちばん理想的な形に近いのは、栗橋の小学校における自校調理方式であり、次善には鷲宮や菖蒲での直営の中規模給食センターの調理も望ましい形に近いことは、ほとんど異
論の余地はないだろう。

 しかし調理方式の統一は将来的な課題として、当面は「2年以内」に、給食費保護者負担を統一するというのが合併時の方針として決まっている。

 そこで、来年度から給食費保護者負担を統一することを目標として、1月の給食審議会に「学校給食費の保護者負担分をどのように決定するか」が諮問されて協議が行われている。  

しかし、市のホームページに掲載されている会議録を見たり、審議会の傍聴をしたりして経過を見る限り、どうもこれまでのところ、給食費の審議は教育委員会当局の思惑通りに進ん
でいて、旧4市町の給食費水準に比べて、いずれも引き上げという方向になっているようだ。

 しかも久喜市教育委員会の給食費値上げの意思は、審議会に諮問して検討してもらうという形よりも、審議会の検討過程と一定の結論を誘導しようとしているようで、それは7月に実
施した保護者へのアンケート調査にもうかがい知ることができる。

 アンケートは「学校給食費(保護者負担分)に関するアンケート調査」となっていて、質問は5項目ある。

          --------------------------------------------

 問1 現在、提供されている学校給食の内容について、どう思いますか。 ア.満足 イ.やや満足 ウ.やや不満 エ.不満

 問2 ご飯については週3日を実施しているところですが、回数についてはどう思いますか。 ア.今のまま週3回でよい イ.ご飯の回数を増やしてほしい ウ.ご飯の回数を減らして
ほしい エ.その他

 問3 ご飯以外の時の、パンと麺の組み合わせについて、希望する内容を選んでください。 ア.パンと麺はほぼ同じ回数 イ.パンの回数を多くしてほしい ウ.麺の回数を多くしてほ
しい エ.その他

 問4 副食については、基本的に全地区とも主菜・副菜・汁物の3品を提供していますが、献立により3品がそろわないこともあります。副食を提供することについてどう思いますか
。 ア.主菜・副菜・汁物は毎日提供してほしい イ.すべてを提供できない日があってもやむを得ない ウ.少なくとも2品は必ず提供してほしい エ.どちらとも言えない

 問5 学校給食の中で、特に重視してほしいものを、次の中から一つ選んでください。 ア.多彩なメニューなど、給食内容を充実してほしい イ.各地区とも、今より給食回数を増やし
てほしい ウ.給食費を抑えてほしい エ.その他

          --------------------------------------------

 これらの設問は、すべて「一つ選んでBをつけてください」という単一選択制であるが、その選択肢は適切に設定されていると言えるか。

 このアンケートは「学校給食費(保護者負担分)に関するアンケート」となっているのだが、給食費という語自体が、唯一1か所だけ、問6の「ウ」の選択しに出てくるのみで、他は
すべて内容の充実に関する設問である。

 しかも給食の内容の充実と保護者負担との関係に関する十分な説明もない。

 したがって回答に当たる保護者は、当然のことながら、給食内容の充実を望んで、その方向に沿って回答をするのだが、最後の問6で、内容を充実してほしいか、回数を増やしてほし
いか、給食費を抑えて(値上げしないで)ほしいかと聞かれて、しかも事実上その3つの中から1つだけ選べといわれれば、ほとんどの人が「内容の充実」を選択するのは、設問と回答
の流れからして、いわばあたりまえで自然のことと言える。

 実際、最後の設問で、内 容の充実を選んだ人が7割、内容の充実でなく給食費を抑えてほしいという回答にBをつけた人は1割に満たなかった。

 教育委員会は、このアンケート結果をもとに、給食審議会では、内容の充実を望む意見が大多数で、保護者負担を抑えてほしいという意見が少なかったと説明し、結果的に値上げの方
向へ審議を誘導したのであるが、私はこれほどに誘導的かつ恣意的なアンケートを見たことはこれまでになかったように思う。

食材料費だけを保護者負担とするのが原則である

 言うまでもないことだが、学校給食の保護者負担の原則は、給食の原材料費であって、給食費を算定する際に、老朽化した給食センターの建て替えに金がかかるからとか、人件費がか
かるからというようなことをいっしょに議論すること自体がおかしいと思う。

学校給食法で、調理施設や人件費は公費負担とすることに定められており、全国どこの自治体においても、光熱水費も除いて、原則として食材料費だけを保護者負担としているのであっ
て、それ以外にも多額の財政支出があるとか、費用がかかるから保護者に負担してもらうかのような議論は論外である。

 ところが今回の審議の中で、久喜地区や栗橋地区、鷲宮地区の米飯給食において、本来は米代だけを保護者負担とすべきはずなのに、光熱水費を含む炊飯費をまるごと給食費に上乗せ
していたことが明らかになった。

 これは事実上、食材料費を保護者負担という原則から外れていると言わざるを得ない。

 ましてやそれと均衡をとるためという大義名分で、自前で米版を炊飯している菖蒲給食センターの保護者負担に何らかの上乗せするという論議がなされたのであるが、これも給食費の
保護者負担の原則的考え方から踏み外すことにならないか。



2011年10月 7日 (金)
市議会最終日の空転(2)



議長の台本読み間違いで混乱した

 10月4日、9月議会最終日の本会議、午後は議案の討論・採決が行われたが、議案の最後、請願の採決でまたまたつまづいた。

 市長提出議案で、水道給水条例の改正(水道料金の値上げ)案は、猪股と共産党の杉野議員が反対討論、飛翔の松村議員が賛成討論に立ち、採決では猪股と4人の共産党議員が反対、
飛翔と公明党、政策会議の猪股を除く6人、無会派の田村議員が賛成、28対5で可決された。

⇒猪股の反対討論はこちら

 一方、市民から、「1市3町の水道料金の統一について値上げをしないことを求める請願」「水道料金の値上げを認めず値下げを求める請願」が提出されていて、すでに議案としては
水道料金の値上げは決定されたのだが、その後で請願の採決に入った。

 1本目の討論が終わって、岸議長が、「これより請願の採決に入ります。委員長報告は不採択であります。『1市3町の水道料金の統一について値上げをしないことを求める請願』に
ついて、不採択にご賛成の方はご起立ください」と述べた。

 原則として、議案の採決は、原案に対して、それを可決するか否かを決めるのであって、したがって請願の場合、その採択に賛成する議員の起立を求めることになっている。

 ところがこの場合、議長が「不採択に賛成の方」の起立を求めた、ということは、通常のやり方と逆に、請願に反対の議員が起立するということになってしまう。

 通常、議長は事務局が作成した原稿(台本)を読んでいるのであるが、どうやら岸議長はそれを読み間違えたらしい。

 しかし「採択」と「不採択」では正反対である。

 単なるヨミ間違いでも、許される間違いと許されない間違いがあるのであって、こと採決に関わる問題であればやり直しはきかないので、当然のことながら議事は大混乱に陥ったので
ある。

 正副議長や議会運営委員会委員長、事務局の職員、私も首を突っ込んでテープを聴き直したり、収拾方策を話し合ったりして、結局、2時間の空転の後にようやく再開することができ
たのであった。

 議会というのは、見方によっては形式を重んじているように見えることもある。

 しかしそれは民主主義の手続きを厳格に進めているということであって、そのためには議員のだれからも、また市民から見ても、誤った手続きがなされないように進めなければならな
いので、その過程では、小さな誤りが大問題に発展しかねない、議会は何が起こるかわからない。



2011年10月 6日 (木)
9月議会最終日の空転(1)



人権に関わる議員の発言の取り消し、あまりにも安易…

 9月定例市議会は10月4日に最終日を迎えた。

 8月30日に開会された定例会で、初日に上程されたほとんどの議案は、委員会審査を経て事実上の結論は出ている。
 他に、議員提出議案の意見書2件と、最終日に市長から、名誉市民の推挙など2件の追加議案が提出され、これを最終日に審議して、これらを含む全部の議案の討論・採決をして閉会
することになっていた。

 まあ、午前中にすべての日程を終わるだろうと見られていたのだが、議会は往々にして何が起こるかわからないもので、朝からいろんなできごとがあって議事の空転が続き、結局、終
わったのは午後3時半頃だった。

 朝の1時間の空転は、議員の「発言の取り消し」を巡ってだった。

 9月27〜29日に決算委員会が開かれたのだが、その中で、共産党の杉野議員が『市の人権教育に関わる講演会で、講師が人権に反するような発言をした。事前に講師ときちんと打
ち合わせをしたのか』という質問をしていたのだが、“実際にはその講演会で当該の講師からそのようなお話はなかった”ことが明らかになったので、杉野議員の該当の発言を取り消し
したいという申し出があった。

 本来、委員会での議員の発言の訂正や取り消しをする場合、委員会で承認すればできることになっているので、委員長の判断で委員会を招集して委員に諮ればいいので、ごく簡単な手
続きですむはずなのだが、決算委員長の戸ヶ崎議員はわざわざ議長に、「決算委員会を開かせてほしい」と申し出た。

 この場合、議長は本会議を休憩して決算委員会で協議する時間を計らってやればすむのだが、議長はこれまたわざわざ、代表者会議を招集して、「決算委員会を開いていいかどうか。
そのために、この日の本会議開会直後に議会運営委員会を招集する」ことの承認を求めたのである。

 本会議を休憩するかどうかというのは議長の議事運営上の裁量の範囲内だから、議会運営委員会は「決算委員会を開くために休憩を取ることになった」ことの報告を受ければいいだけ
のことである。

 本当は代表者会議や議会運営委員会を開くほどの問題でもないのだが、まあていねいに代表者会議や議会運営委員会の委員さんたちにこの日の段取りをお知らせしたということではあ
る。

 ここまでは議長が自分の判断で進めればいいことを、みずからの持っている権限で決められないで決定の責任を他者にゆだねようとしたことを意味する。

 しかしその後の経過は、これとは別に、今度は人権問題に対する安易な対応を露呈したと言うしかない。

 決算委員会では、最初、委員長が杉野議員の申し出を報告して、簡単に発言の取り消しを承認しそうになったのだが、しかし、そんなに簡単に決めていい問題ではあり得ない。

 政策会議の委員からの提案によって、杉野議員の発言の会議録を配布させて、どこの部分が“不適切”で、どのように削除するのかを確認してから判断することになって、間に休憩を
取って会派での相談も行われ、結論的には発言の削除を承認した。

 再開された本会議で、決算委員長が委員会の経過を報告して、すぐに議長が「決算委員会における杉野議員の発言の取り消し」の承認を求めようとしたのだったが、決算委員会以外の
議員には決算委員会の会議録も配られなかったから、ほとんどの議員にとっては、何が問題だったのかはわからない。

 ということは、発言の内容もそのどこの部分を取り消すのかも知らされないままで、承認できるはずはない。

 政策会議の新井議員が議長に対して、それらの資料を全議員に配布するよう求めて、ようやく発言取り消しの承認に至った。

 問題は、“人権”に関わって誤った事実に基づく発言がなされたのであるから、場合によっては当事者の名誉にも関わり、誹謗中傷にもなりかねない問題である。

 本人が「間違えたから取り消したい」と申し出てきたからといって、そんなに安易に認められることではなくて、事実関係を確認することは議会の最低限の責任であった。

 この問題の采配における議長のあまりにもの安易さは、人権問題に関して、あまりにも配慮が足りないという他はない。




2011年9月29日 (木)
柏崎刈羽原発を視察した地方議員の論理



 久喜市議会の保守会派・飛翔が17名の所属議員全員で、7月に柏崎刈羽原発の視察に行ってきたと、岸議長、梅田副議長、井上議員らのブログに掲載されている。

 久喜市議会の9月定例会の初日には、飛翔の大谷議員が本会議で視察報告を行ったので、その中で原発の「安全性」と今後の「再稼働」、「脱原発依存社会」に対してどのような見解
を述べるか注目して聞いていたのだが、「東電から安全確保対策について説明を受けた」と述べただけで、視察の結果、飛翔と大谷議員らが「脱原発依存社会」についてどのような認識
を持ったかは、残念ながらまったく述べられなかった。

 3・11福島第1原発事故以降、原発がいまだ基本的な安全性確保すらも保証されていない未完成技術であったことが暴露され、いったん事故を起こせば地域と住民の生活すべてを破
壊し、場合によっては国家の存立そのものを脅かしかねない危険を持った事業であることが、全世界の人々の眼前にあからさまになった。

 こういう事態の推移を見てきているはずなのにそれでもなお、今さら原発の視察にでかけて行くという神経も理解できないのだが、構成議員の中からはあっけらかんと『原発が安全だ
ということを説明してもらった』とおっしゃる人もいるくらいだから、もしかしたら議員の中ではまだまだ原発をやめさせたくない、今後もどうしても続けたい人たちが多いのかもしれ
ない。

 あるいは、原発を続けたい、続けなければならないと信じたい議員さんたちとしては、わざわざ新潟に出かけていってまで、東電から「原発は安全です」という説明をもらって安心し
たかったのかもしれない。

 柏崎刈羽原発は2007年の新潟中越沖地震で、運転中だった2,3,6,7号機の運転がストップし、放射能漏れを起こしていて、しかも建屋の破損で緊急時対策室に出入りができ
なくなったり、緊急時の運転操作に欠かせない変圧器火災の自力消火さえできないという事態のもとで、かろうじて安定停止の状態を維持することができた。

 震度5弱、マグニチュード6.8という、東日本大震災からすればきわめて小規模な地震であったが、それでも原子炉には設計値を大幅に上回る「想定外の」揺れ(加速度)がもたらされ
、2号機では耐震設計時の想定加速度167ガルに対してして実際の揺れはその3倍の606ガル、3号機タービン建屋では想定834ガルの約2.5倍の2058ガルを受けたとされている。

 東電は「設計値を超えた揺れを受けても原子炉を安定的に停止することができた」としてその安全性を強調するのであるが、しかしこうした説明が楽観的に過ぎることは言うまでもな
い。

 この程度の揺れで放射能漏れを起こし、運転室に出入りができなくなるという、一歩間違えば大事故につながる事態に陥ったのであって、もしも東日本大震災のような震度7、マグニ
チュード9.0という地震に襲われたとしたら、いったいどのような事態に陥ったかを想像すると、むしろこれは“運がよかった”と言うしかない。

 しかも柏崎沖の海底に断層の存在が確認されているにもかかわらず、東電はこの事実をひたすら無視するか軽視していて、すでに1号機を始め、これまでに4機が運転を再開している


 とすると、東電が今後、防潮堤の設置・強化や非常用電源車の配置などで津波対策を進めるといかに強調してみせても、それをもって安心するわけにはいかない。

 津波や電源確保の対策を講じたとしても、中越沖地震のマグニチュード6.8という中規模の地震で柏崎海岸の地盤が隆起してしまったという事実も考え合わせると、今後の「想定」され
る最大の地震の揺れに、原子炉設備と、原発の地盤そのものが耐えられるのかが問題になる。

 こう考えていくと、やはり柏崎刈羽原発の再開は中止して、停止させるべきだという結論に行き着く。

原発をやめさせたくない地方議員の論理

 飛翔の視察を踏まえて、岸議員はみずからのブログで次のような見解を明らかにしている。

 「やはり「脱原発」を目指していかねばならないでしょう。しかしやみくもにそれを行うことはとうていムリと言えます。他のエネルギー発電を1%増やせば原発のそれを1%減らす
、5%上げれば5%下げる、そうした計画的、長期的視点が大切だと考えます。」

 これは一見して素朴な「脱原発」論に見えるのであるが、しかしよく読むとこれがとんでもないまやかしの論理であることがわかる。

 この論理はまず、3・11以前の原発がフル稼働していた状態を前提として、原発を減らすためには他の発電を同じだけ増やすことが条件となる、それができなければ原発を減らして
はいけないと主張する。

 原発をやめる、あるいは減らすことに、いかにももっともらしい“条件”を付けることによって、今後も原発に依存せざるをえない、原発を維持していくべきだという論理構成になっ
ているのである。

 しかし現実にはどう進んでいるかといえば、そもそもの前提が間違っているのであって、岸議員の言うような「1%」とか「5%」とかのレベルをとっくに超えて、原発は全国の54
機の内、8月末の段階で15機しか稼働していなかったのであるが、それでも電力不足で停電という事態は起こらなかった。

 国民と企業の節電の努力によって、電力エネルギーを“浪費”や“むだ遣い”をしないで、いわば適切・適正に使っていけば、実際に半分以上の原発が停止していても電力は充足され
ていることが実証されたと言ってよい。

 とすれば、「他のエネルギー発電を1%増やせば原発のそれを1%減らす」という論理は、すでに現実に追い越されてしまっているのであるが、彼がそれに気づかないらしいことが不
思議ではある。

 これまで東電と政府がとってきたエネルギー政策は、原発の増設を進めながら火力や水力などの既設の使える発電所をあえて稼働させないことによって、原発の見せかけの発電割合を
増やしてきた、その一方で、風力や太陽光などの自然エネルギーの利用による発電の拡大を抑制してきたのである。

 ところが来年春にはすべての原発が定期点検で停止すると予測されているから、その時点では日本社会は否応なく原発なしでやっていかざるを得ないのである。

 今さら、「他のエネルギー発電を1%増やせば原発のそれを1%減らす」、これを言い換えれば「他のエネルギー発電が増えなければ原発は減らせない」などという悠長なことを言っ
ている場合でないことは、誰が考えたって明らかである。

 こう考えてくると、「他のエネルギー発電を1%増やせば原発のそれを1%減らす」という論理は、「脱原発」に賛成しているかのように装いながら、実は条件をつけて「脱原発」に
ブレーキをかけて、本音は原発を減らしたくない、できるだけそれを遅らせたいという論理であることがわかる。
 
 もう一つ、書いておかなければならないのは、岸議員はこれまでもこれからも、電力エネルギーの必要量は変わらない(または増えていく)という前提に立っているのであるが、過去
の日本社会は大量生産・大量消費社会で、エネルギーも例外でなくじゃんじゃん作ってじゃぶじゃぶ使うのがあたりまえであった。

 しかしエネルギーをムダに浪費していたのではないかという反省も踏まえるならば、エネルギー消費自体をいかに減らしていくかという立場に立つべきであって、その立場からすれば
、「他のエネルギー発電を1%増やせば原発のそれを1%減らす」という言い方で、これまで通りにエネルギーの大量消費を続けることを前提にした論理がいかに時代に合わないアナク
ロな論理であるかということわかる。

原発を存続するという選択肢はない

 もはや、私たちには従来通りに原発を存続し、これに依存し続けていくという選択肢はないことを、まず認めなければならない。

 その「脱原発」を前提として、いつを目標年次として、どのような段取りで脱原発を進めるか、さらに地球温暖化防止の立場からすれば、化石燃料による発電から自然エネルギー=再
生可能エネルギーによる発電に、いかに代替・移行させていくか、そうした論理の立て方をしていくべきではないか。

 実は岸議員らのブログ記事を見て、あまりにもの時代錯誤に、関わろうという気も起きなかったのであるが、市民の方から、どこがおかしいかきちんと批判を公にするべきだと言われ
て、改めて書くことにした。












2011年9月20日 (火)
【特別寄稿】 いまも継続する「原発震災」・5



「死の灰」は東電に送りつけるべきだ!
                           サトウ アトム

 私は、『人権と教育』446号から《原発震災》について書かせていただいている。それがシリーズのようになっているのは、東電福島第1原発事故が全く収束の目途が立っていない
からにほかならない。

 この半年間、原発を守るために、御用学者が大量動員され、経産省を始め文科省・厚生省などの官界、財界、政界、新聞テレビに至るまで、日本の社会的権力すべてが、原子力のため
に恥も外聞もなくたち振る舞った。
原発の安全チェックのための経産省原子力安全・保安院も、原発稼働のために奔走したことが暴露されている。
例の「やらせ」だ。
原子力安全委員会だって、北海道電力の泊原発を安全チェックせず知らん顔している。
それで、誰ひとり責任を取らない。
フクシマの事態は、日本の経済的・政治的権力があからさまに庶民の敵として出現した。

 いま岩手県、宮城県などでは復旧活動が進みつつある。
だが、東電福島第1原発の地では人が踏み込むことも出来ない。
原発事故さえなければ、福島県だって復旧作業は進んでいただろうに、畜牛も農地も家もすべて放棄しなければならなかった。
原発がなければ、畜産家は自殺しなかったし、子どもたちも被曝なんてしなかった。

 政府は、数年後には戻れるようなことを言っているが、それはウソである。
欺瞞である。
今後数10年〜100年、フクシマでは居住できない。

 なんでそんなことがいえるのか。

 手に負えない「死の灰」

 原発は湯を沸かす機械である。
高温高圧の蒸気を作って、それでタービンを回し発電機を廻して電気を作っている。
だから原理的に火力発電と寸部も変わらない。

 ちがうのは燃料である。
火電の燃料は、石炭、石油、天然ガスなどであるが、原発では核分裂性物質ウラン235を使う。
このウラン235の原子核に中性子があたると、原子核は二つに分裂する。
そして膨大な熱を発生する。

 核分裂した物質が、「死の灰」。

 ヨウ素131、セシウム134、セシウム137、ストロンチウム90などの核分裂生成物は、すべて「死の灰」=放射性物質である。
ウラン235を核分裂させることは、「死の灰」を作ることである。
原子炉は、「死の灰」生産炉といっていい。

 核分裂生成物「死の灰」は、放射線を放出する。
放射線を放出しない安定した元素になるまで、それは続く。
ヨウ素131の半減期は8日。
放射能としての能力が半分になるのに、8日要するということである。
だが、さらに8日経てば、ヨウ素131がなくなるのではない。
8日で最初の半分、16日で最初の4分の1、24日で最初の8分の1、32日で最初の16分の1となる計算法なのだ。
したがって、生物に無害になる時間は、半減期のおよそ8〜10倍した期間になる。
セシウム134の半減期は約2年。
セシウム137のそれは、30年。

 福島第一原発から30q圏外の飯館村では、村の4分の1が1平方m当たり3000キロベクレルを超えている(セシウム134と147の合計値)。
チェルノブイリでは、旧ソ連の時1480キロベクレルで強制移住させた。
ソ連崩壊後、ベラルーシは550キロベクレルを強制移住の基準にした。
飯館村のほとんどが1000キロベクレルを超えているから、当然全村強制移住地域となる。
このデーターは文科省のものだから、これより低い値では決してないだろう。
飯館村の最低値1平方mあたり1000キロベクレルは、単純にセシウム134とセシウム137半分ずつだとして計算すれば、30年後セシウム137だけが250キロベクレル残っ
ている。
放射線管理区域は、37キロベクレル以下だから一般居住地になるには120年を要するのだ。

 飯館村のもっとも低い汚染地ですら、人が安全に住めるためには120年かかる。
飯館村村民は、もはや故郷に帰ることはできない。

 チェルノブイリ事故から25年が経過しているが、住民はいまだに帰ることができないでいる。
放射能汚染にまみれたフクシマには、人は戻れないのである。
これだけでも、原発は「諸悪の根源」と言っていいだろう。

 だが、原発の「悪」はこれだけではないのだ。

 原発からつくられる「死の灰」は、「核のゴミ」=核廃棄物である。
100万Kw級の原発は、1日に3sのウラン235を核分裂させるから、1年に約1トンの「死の灰」をつくる。
さらに原発は、この「核のゴミ」以外に猛烈な毒性を持つプルトニウムを作るのである。
原発は、ウラン235を核分裂させるのだが、核分裂しないウラン238に中性子がとりこまれると、それがプルトニウム239になる。
これは、すべての原発共通のことである。

 ウランを使った原爆が、ヒロシマの「リトルボーイ」、プルトニウムを使った原爆が、ナガサキの「ファットマン」であった。
そのプルトニウム239を原発は作る。
このプルトニウムを「死の灰」と分離して取り出そうとしているのが、青森県六ヶ所村の核燃サイクル再処理工場である。
この事柄はすごく大切なことであるが、指摘するにとどめる。

 かならず体内被曝がおきる

 飯館村に帰れない記述・数値は、大地に沈着した放射能からの被曝=体外被曝(外部被曝)から見た側面である。

 人は生きている以上、呼吸し食べ物を口に入れる。
だから放射能は、かならず体内に入り込む。
これは覚悟しなければならない。
体内に取り込まれた放射能は、どんなものでもDNAを損傷する。
これが体内被曝である。

 と、ここまで書いてきて、ふと中川恵一(東大)や山下俊一(長崎大)の御用学者の不快な顔が脳裏をかすめた。
彼らならセシウムは、「人体に影響はない」、と平気で断言するだろうなあ、と。
いまさら御用学者のでたらめにつきあう気はないが、いずれ悲惨な事実に私たちは向きあうことになるだろう。

 7月中旬、来日した欧州放射線リスク委員会の代表を務めるクリス・バズビー博士は、比喩的に「石炭の火の前で体を温めるのも、燃えた石炭のかけらを口に入れるのも、影響は違わ
ない」と主張する原発推進派が依拠してきた国際放射線防護委員会(体外被曝派)を厳しく批判した。

 7月4日、原子力安全委員会は、三月下旬に第一原発周辺の市町村に住む子ども約1000人を対象に行った放射線被曝調査で、45%の子どもが甲状腺に被曝していたことを明らかに
した(東京新聞、7/5)。
調査は、3月26日〜30日に行われたのだが、市民団体が調査発表したからやむなく公表したのだった。

 汚染土を埋めてはいけない

 福島県内の保育園、幼稚園、学校の庭の表土を削る「除染」が進められている。
子どもたちの被曝を最小限にする作業だから、誰でも賛成するだろうが、「汚染表土」を地中に埋めるとなれば話は変わってくる。

 表土の放射能「死の灰」は、かき集められて高濃度になる。
人工的にホットスポットを作っているわけだ。
それを校庭の片隅に山積みにしておくのはマズイ、というわけで1mほど掘って埋めてしまうというのだが、セシウムは水に溶けやすいから間違いなく地下水を汚染させるだろう。
ビニール袋に入れて埋めてしまうのも、放射能の半減期を考えれば、とうてい認められるものではない。
放射性物質は、移動はできても減らすことはできないのである。
家屋の洗浄も道路の洗浄も、放射性物質は下水となって流れていく。
下水はどんどん高濃度となって……。

 くどいけれど、原発は「死の灰」の製造工場である。
「起こらないはずの水素爆発」で漏れないはずの「死の灰」が漏れてしまった。

 学校の校庭表土削りも、家屋の除染費用もすべて東電に請求すべきである。
「汚染表土」は東電が責任を持って始末すべきこと。
だから、「汚染表土」は袋に入れて東電本社へ送りつけるべきなのだ。
もちろん運搬費は、着払いだ。 

         (9月3日)

掲載誌 「月刊・人権と教育」450号 2011年9月20日発刊





2011年9月16日 (金)
新久喜市の花と木の選考過程



 新久喜市のシンボルとしての「花・木」の制定作業が進んでいて、9月12日に選考委員会が開かれたらしい。

 これまでに市民のアンケートが行われて、10種の候補が選定された。

 アンケートによる上位10種は、それぞれ以下の通りである。
 花…(1)ラベンダー、(2)コスモス、(3)ナノハナ、(4)ナシの花、(5)レンゲソウ、(6)キキョウ、(7)アヤメ、(8)サクラ、(9)ヒマワリ、(10)バラ
 木…(1)イチョウ、(2)ケヤキ、(3)サクラ、(4)ハナミズキ、(5)ナシ、(6)アスナロ、(7)クスノキ、(8)キンモクセイ、(9)カシの木、(10)ゲッケイジ


 この結果をふまえて、選考会議で花と木、それぞれ5種を選定し、今後、第2回の市民アンケートが行われることになっているらしい。

 「らしい」と書いたのは、これらの情報を知ったのは岸議長のホームページによるからである。

 岸氏は選考委員会には、久喜市議会の代表として“あて職”で任命されているはずなのだが、議会にはまったくその報告はなくて、ご自分のホームページに経過や個人的感想をおもし
ろおかしく書き込んでいるということからすると、どうも岸氏は個人として選任されたと勘違いしているのかもしれない。

 実際、選考委員会でそれぞれ5種に絞り込んだことについて、岸氏は「秘密にしておきます」なんて書いているから、きちんと責任を持って報告する気はないらしいし、選考委員とし
ての岸氏や田中市長がどういう見解を述べたかについても、今のところ知ることはできない。

 さて、選考委員会で選考された上位5種…岸氏が「秘密」と書いた…が、市のホームページにすでに提示されている。
 花…ナノハナ、コスモス、アヤメ、レンゲソウ、ラベンダー
 木…ケヤキ、イチョウ、クスノキ、カシノキ、サクラ

 ちょっと不思議なのは、市民アンケートで花の4位に入った「ナシの花」(旧久喜市の花でもあった)、木の5位に入った「ナシの木」がいずれも5種の候補からあえてはずされてい
ることと、花で7位の「アヤメ」、木で7位の「クスノキ」、9位の「カシノキ」が抜擢されていることである。 

 もちろん、市民アンケートで上位に入ったから必ず候補にしなければならないという決まりはないし、組織的な人気投票があったりすると、それを考慮する必要もあるかも知れない。

 また、選考委員会では「特定外来種」をはずすべきというような議論もあったらしい。

 それぞれ5種の候補が、どのような経緯をたどって選考されたものかは、市民の第2回アンケートの判断材料にもなると思うから、その経過をぜひ明らかにしてほしいと思う。

 ちなみに、合併前の各市町の花と木は、久喜市がナシの花といちょう、菖蒲町がアヤメと桜、栗橋がサルビアとキンモクセイ、鷲宮がコスモスとゲッケイジュであった。

 第1回のアンケートはどうやら合併前の旧市町の花や木を、そのまま新市の花と木にしたいというそれぞれの地区の住民の思惑があらわれていると見て取れないでもない。

 しかし、新市の花と木の決定を単なる人気投票や地域間の競争にしないためには、選考委員会のみなさんの意見を明らかにしてもらうことが、これからの市民の第2回アンケートの参
考になるだろうと思うのだが、いかがだろうか。

 もっとも、第1回アンケートの応募はわずか371通であって、市民の関心というか、盛り上がりの低さはいかんともしがたいのであるが、これは合併後の新久喜市に対して市民が希
望を持てないでいる、将来への期待の低さの表れかも知れない。

 これらの新久喜市のシンボル発表会は来年3月20日に開催される予定で、231万円の費用が補正予算に計上された。

 これと別に、「市の歌」が600万円で製作委託に出されている。



2011年9月12日 (月)
市民の放射線量独自測定の活動



 9月11日(日)の午後、吉羽のAさんから「近所で放射線量が高い場所がある。どうしたらよいか」という電話があった。

 3.11以降、自分のお子さんを守るために、みずから放射線測定器を購入して、身の回りの放射線量を測定している市民が増えている。

 Aさんもその一人で、この日は自宅のまわりを測定して回っていて、偶然、自宅から20mほどしか離れていない空き地で、測定器を地面に置いて計ってみたら、[0.33μSv/
h(マイクロシーベルト毎時)] という数値が表示されてしまったという。

Aさんの測定器

 市で、学校や保育園、公園などを定期定期に測定しているが、だいたい [0.1μSv] 前後で、久喜市内のこれまでの最高値が学校などでは [0.16μSv] 、ひまわり保育
園近くの側溝で [2.1μSv] が最高値であるから、 [0.34μSv] というのは飛び抜けて高いのは確かだ。

 川口市では [0.31] 、吉川市では [0.35μSv] を学校などで児童の屋外活動を規制する独自基準として定めているから、それに匹敵する数値ということになる。

 Aさんが私のところに「どうしたらよいか」と電話をかけてきたのは、当然の心配と言っていい。

 私はすぐにその現地へ行って、Aさんといっしょにその数値を確認するとともに、その空き地の周囲でも測定してみたのだが、他は [0.1μSv] 前後であり、特に高い地点はな
いようだった。

 放射線量は、地形や気候、気流の影響などで、日によって結果が違ったり、少し離れた地点で数値が大きく違ったりするし、また測定器の機種によっても誤差のあることがこれまでも
指摘されているので、継続的に測定を続けてみる必要がある。

 そこでAさんと相談して、月曜日に市役所の環境保全課に連絡をして、改めて役所の測定器(一応、公的に信頼が置けるということになっている)で測定してもらうことにした。

 12日(月)10時頃に、Aさんが電話すると、市の職員はすぐに対応して現場へ来て測定をしてくれた。

 その結果、役所の測定器では、同じ地点で [0.42μSv/h] 、その周辺では [0.1] 前後という数値が測定されて、Aさんの測定とほぼ同じ傾向を示していることがわか
った。

上が市の測定器

 結局、その一地点だけが極端に放射線量が高いことがわかった。

 もしかしたらそこにはパイプが埋まっていて、ほぼいつでも水が溜まっていることから、側溝の土の放射線量が高いのと同じで、そこのたまり水で(いわば濃縮されて)放射能が高く
なっているのではないかという推測は成り立つが、本当のところはわからないとしか言いようがない。

 今回測定した限りでは、幸いにして、同じ空き地の他の地点では“通常”の放射線量であったことから、特にこの空き地全体や地域全体の放射線量を問題にしたり、心配する必要はな
いだろうと思われた。

 今回、市が迅速に対応して、直ちに市の測定器で測定してくれたことは、不安の中に置かれている市民の心配にこたえて、市の行政への市民の信頼を得るものであり、評価したい。

 これからもそうした対応を求めていきたい。

 Aさんは、これからもお子さんが散歩したり遊んで回る自宅近辺の放射線量測定を続ける考えだ。

 そのAさんの放射線量測定の活動で得た数値を、ぜひ私に提供してくれるように頼んでおいたので、情報が寄せられたら猪股のホームページやブログでお伝えしていきたいと考えてい
る。

 もしもその中でまた、高い数値が出た場合には市役所の環境保全課に依頼して、“公的に”測定してもらうことも必要だと考えている。

 市民の中にはご自分で放射線測定器を購入して、地域や学校の放射線量を、独自に測定する活動をしている方々がたくさん出てきている。

 今のところ、そうした市民の活動は個人個人バラバラに行われているのであるが、みなさんの思いは共通していると思われるので、それらの一人一人の活動をつなげていけたらいいと
思っている。





2011年8月27日 (土)
久喜市のホームページへの提言(2)



 2月に「久喜市のホームページへの提案(1)」という記事を掲載したのはいいが、市民の目から見た感想や建設的な意見を聞いてもらえるのかどうか、何だかむなしくなって、それ
きりになってしまった。

 9月3日には久喜市の防災訓練が開催される予定であるが、その防災訓練の記事が8月27日現在、久喜市のホームページに掲載されていないのはどういうわけか。

 かろうじて、9月のイベントカレンダーに、「3日 土曜日 久喜市総合防災訓練」と書かれてはいるが、会場や内容はどこにも書かれていなくて、もしかしたら担当のくらし安全課
のページにあるかと思ったが、そちらにもない。

 3・11を経て、これだけ『防災』が重視されているのに、久喜市において『防災行政』がいかに軽く扱われているかがわかろうというものだ。

 旧市町ごとに市内4地区で行われる防災訓練に、あらかじめ組織的に動員をかけた人たちだけが参加すればいい、それ以外の人たちには特に知らせる必要もないという考えか。

 事前のお知らせとしては、「広報くき」8月1日号に、『9月3日(土)防災訓練を実施します』というお知らせだけはあったのだけれど、日時は「予定」とあるだけで、内容は書か
れていなかった。

 8月15日の「広報くき」にもいっさい触れていなかったので、市民に詳しく知らせる手段としてはホームページしかないのだ。

 たとえ参加しない(できない)市民に対しても、どういう防災訓練が行われるのか、知ってもらう必要があるのであって、くわしい日程や内容をすぐに掲載してほしい。











2011年8月27日 (土)
定例議会中の海外旅行?



 韓国で開催される世界陸上の男子マラソンに、代表として出場する久喜の川内選手、市民ランナーとして健闘を期待したい。

(最初、川口選手、次に河内選手と書いてしまいました。日本代表の固有名詞を間違えるとは、お恥ずかしい限り。たいへん失礼しました。)

 久喜市のホームページ、「市長の部屋」に、市長の9月の予定表が出ているのを見て『あれっ』と思ったのは私だけではあるまい。

 8月30日(火)から9月定例市議会が開かれる予定で、2日(金)には一般質問があって、3日(土)は防災訓練が予定されている。

 その日の午後から韓国へ向かい、世界陸上を観戦、河内選手の応援をして、4日には帰ってくることになっている。

 5日の月曜日には議会の一般質問があって、当然、市長も出席しなければならないから、韓国に1泊だけという、ずいぶんあわただしい日程ではある。

 久喜市を代表する市長が、久喜市出身の日本代表選手の応援をするという“公務出張”の扱いらしいが、いかに近いとはいえ定例議会開会中に海外出張に出かけることに若干の違和感
がないでもない。

 それに議員の何人かもいっしょに行くことになっているらしいのだが、こちらは“公務”ではあるはずがなく、会期中に議員が個人的な応援のために海外旅行へ出かけてしまうという
のはもっと違和感がある。

 まさか、政務調査費を使うようなことはないと思うが…。



2011年8月26日 (金)
市民の傍聴の権利をどう保障するか



 9月定例市議会は9月30日から10月4日まで開かれる。

 久喜市議会の会議は原則的に朝9時から開会されることになっているのだが、その初日の9月30日、開会前の8時40分から議会運営委員会を開くことになったという。

 久喜市議会の会議はすべて公開が原則である。

 公開ということは、その会議日程も何らかの方法で事前に市民に知らされていなければならない。

 これまでだったら朝9時に本会議を開会して、その日の議会運営について協議が必要なことがあれば、その後に本会議を休憩して代表者会議なり議会運営委員会成りを開いて、市民が
傍聴できるようにしてきた。

 ところが、今回のように開会前に議会運営委員会を終わらせてしまうということは、9時に議会を傍聴しようとやってきた市民にとっては、その前に開かれた議会運営委員会での協議
の傍聴はできないということになる。

 もちろんその内容(結果の概要)は本会議で議会運営委員会委員長が報告するのであるが、協議過程を知ることはできない。

 以前だと、本会議を開会してからすぐに休憩して議運を開いていたから、時間がムダなように見えたこともあって、傍聴の市民から、『内部の会議なんか先にやっておけよ』という意
見が寄せられたこともあった。

 確かに事前に議会運営委員会をすませておけば、一見すると、9時に本会議を開会してそのまま会議が進行していくので能率的なように見えるのだが、はたしてそれでいいか。

 市議会は本会議だけがすべてではなくて、代表者会議や議会運営委員会その他の委員会も含めて全体が議会であって、特に代表者会議や議会運営委員会などの協議過程が重要な意味を
持っている場合もある。

 最近、岸議長になって“効率性”を重視してか、議会運営委員会を9時前にすませてしまうことが多くなったような気がする。

 本来、市民は議会のすべての会議を傍聴する権利を持っているが、これでは事実上、市民から見えないところで物事を決めてしまうことになってしまうのではないか。

 一見、“非効率”に見えても、いったん本会議を開いてから、休憩して議運なりを開くのがスジである。

 実際、久喜市議会では、本会議を休憩する際に、議長が「傍聴者のみなさんに申し上げます。これから○○について協議するために議会運営委員会を開くので、本会議は休憩になりま
す。議会運営委員会は傍聴できます」と宣言してから休憩に入ってきた。

 久喜市議会はそういう傍聴者への当然の配慮もしてきたのであって、議会のすべての会議は常に市民の目に見える場で開くというのは議会の原則であると言って言いすぎではない。

 他市の議会では、市民が代表者会議や議運の傍聴を希望すると、いちいち委員長や会議にはかって許可を必要とするとか、代表者会議や議運は傍聴を認めていない議会もあるらしいの
だが、そんな議会は市民の代表としての議会の本文を忘れてしまっているのではないかと言わざるをえない。



2011年8月22日 (月)
議場への「日の丸掲揚」を多数決で強行するか



 8月16日の代表者会議で、岸議長が「市議会本会議場への日の丸掲揚」を議題として持ち出してきた。

 合併前の久喜市議会で議場の正面、議長席の後ろに「市旗」が掲げられていたのだが、合併に伴ってはずされ、あらためて協議することになっていた。

 そこで、議会活性化について協議している「議会運営等検討委員会」において、政策会議が「市議会は市民のためにある。常に市民の声と市民生活を意識して審議に当たるよう、『議
場に市旗を掲げる』」ことを提案したのだが、8月に開かれた検討委員会では公明党と共産党が賛成したものの、飛翔が「反対」して、合意できなかった。

 飛翔の反対理由は「国旗とセットで掲げるべき。市旗だけでは反対」というものであった。

 日の丸の掲揚については今でもさまざまな思想信条、考え方の違いがあって、全体の合意を作るのはむずかしいと言わざるをえないが、「市旗の掲揚」なら全体で合意できるはずで、
本来なら少なくとも合意できる範囲で決めて実行していくべきではなかったのか。

 これとは別に、飛翔が「国旗の掲揚」を代表者会議に提案していたが、代表者会議の協議事項はすべて“合意”によって決めていくのがルールであって、こちらも当然のことながら合
意できず、実施しないことになった。

 そもそも議場の設営に関することや議会運営の基本的なルールについては、一部会派だけの賛成で、反対を押し切って多数決で決めてしまうのは、それ自体が民主主義のルール違反で
あって、議会全体の合意に基づいて進めていくのが基本である。

 だから代表者会議は合意が原則となっているのであって、今回の岸議長の「代表者会議絵は、国旗掲揚について合意できなかったので協議を終わりにします」という判断はあたりまえ
のことではあった。

 さて、問題はその後である。

 岸議長は「代表者会議での協議を終わりにする」と言ったのだが、どうもそれは“今度は別の場であらためて提案し、多数決で決める”という意思を言外ににじませたらしい。

 しかし、もしも最初から、議会運営委員会で多数決で押し通してしまおうということを決めていて、手順として代表者会議に提案したのだとすれば、それは『いちおうは全体の合意形
成のための努力はしたよ』というポーズをとりつくろったということになる。

 いったん代表者会議に提案して合意できないという結論が出たら、その問題はそれで終わりになるはずだが、それを、代表者会議で合意ができなかったら、次は議会運営委員会の場に
持ち出して多数決で決めてしまうというのでは、最初から合意を作る気などなかったことになるではないか。

 市民の目には、そのようなかけひきや策謀を巡らした議会の引き回しはとうてい理解できないのだが、岸議長はそんな話し合いのルール違反を容認するのか、議長の見識が問われてい
る。




2011年8月 4日 (木)
【特別寄稿】 いまも継続する「原発震災」・4



基本的生活権まで奪ったフクシマ

サトウアトム

 とうとうフクシマの子どもたちの尿から、放射性セシウムが検出された。
 断腸の思いで、私は放射能汚染された地から、子どもだけでも脱出されんことを願わずにいられない。
 市民団体(「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」)が、調査した子ども10人全員からセシウムを検出した(7月1日新聞発表)。
この報道があったからだろう、6日、原子力安全委員会は、3月下旬、福島県の子ども1080人を調査していたと公表した。
そして検出したセシウムは微量だから「精密検査の必要なし」と発表した。
 
 文科省は、3月15日福島県浪江町赤宇木(あこうぎ)近くで毎時240マイクロシーベルトを観測していたのに、1ヵ月も地名を公表しなかったという驚くべき事実が暴露された(7
月6日、東京新聞)。
 また、玄海原発の「安全性」が保安院で確認され稼働要請をした海江田通産相に、菅首相から「ストレステスト」(耐性評価)の指示が出て稼働がとん挫した。
参議院予算委員会で自公は、「菅首相の思いつきに振り回されて
いる海江田の辞任」を強く迫った。
「ストレステスト」なんて初めて聞く言葉だから、調べてみると、フクシマ原発事故を受けてEUでは6月から行われていた。
フクシマ原発事故をヨーロッパではきちんと教訓化していたのである。
これまで日本では、定期点検が行われ、保安院が確認すれば、知事・町長の了解で稼働となっていたのである。
玄海原発は、《フクシマ》後、初の稼働という段取りだった。首相菅は、寸前にそれをストップさせた。大英断であったといっていい。

根深い「安全神話」

 《原発震災・2》(本紙447号)でも記したが、政府・行政・メディアの情報に私たちは頼ってはならない。
彼らの情報の操作、隠ぺいは常とう手段であるが、日本という国にあっては事態を正確に伝えないどころか、「幻想」を与えるのが常態化している。
たとえば、官房長官・枝野の「直ちに健康に影響はない」がそうであった。
10年後、晩発性放射性障害が起こるだろうが、と含意させてはいたのだが。

 9日、細野原発事故担当相は、「警戒地域解除のために……」と福島で言っていたが、何10年先のことを言っているのだろう? 
細野がチェルノブイリを知らないはずはない、と思うのだが。

 電力量の30%が原子力によるという大宣伝。
原発が止まれば「大停電」になるという「計画停電」の恫喝に鉄道会社はいち早く反応した。
何のことはない、これほど簡単に稼げる方法はない。
「節電」を理由にした経費削減ができるのだから企業にとっては大もうけだ。
ここでも「節電」であって、《フクシマ原発事故》のためとは貼られていない。

――総発電量30%の原発停止が、かくも社会生活に影響するのだ、このことを国民に徹底的に叩き込まねばならない…――東電、日本経団連の意志である。

 右の図は、10年前のデーターだから、かなり古いけれど、当時も原発の必要性は同じ論拠で語られていた。
データーは一目瞭然、原発がなくても電力は十分足りていたのである。
今夏も原発なしで乗り越えるだろう。

 この辺の事情は、雑誌『人権と教育』53号(事務所にて取扱中、1,000円、送料会負担)で、佐々木俊二が詳細に報告している。

 東京新聞は、7月1日から「東電の電気予報」を毎日掲載するようになった。一見消費者のためのように見えるが、「原発停止がこうした事態を迎えたのだ」と言っていると私には見
える。
人びとが本当に知りたいことは、「放射能予報」である。

 10数年前、原子力安全委員会編の『原子力安全白書』に、「飛行機は便利なものだが、絶対墜落しない飛行機は作れない。
どんなものでもリスクはある」と書かれているのを読んで驚いたことを想起する。
原子力安全委員会は、列車事故、飛行機事故と原発事故を同列に見ているのである。
05年に起きた福知山線脱線事故は、107人の死者を出した悲惨な事故だったが、原発はそれらと同じ線上で語るべきではない。
と、ここまで書いている時、NHKスペシャルで安全委員会専門委員の奈良林が、全く同じことを言っているではないか(7月9日)。
チェルノブイリからもフクシマからも学ぶことのできない、《安全神話》にどっぷりマインドコントロールされているのは専門家であった。
壊れない機械や建造物などないのは、小学生でも知っている。
だが、原発は《壊れない》と信じている大人がいる。

生活権を奪ったフクシマ

 発電量100万Kw級の原発は、1日3sの燃料を核分裂させている。
ヒロシマ原爆は、800gのウランが核分裂したのだから、大ざっぱにいって、ヒロシマ原爆3個分を毎日「燃やして」いるのである。
言い方を変えれば、「死の灰」と呼ばれる核分裂生成物をヒロシマ原爆およそ3個分を、1日で生みだしている計算になる。
したがって、年間約1000sのウランが核分裂し、核分裂生成物(死の灰)が作られているわけである。
つまり1年間で、ヒロシマ原爆1000個分の「死の灰」が原子炉の中にため込まれていると、イメージしてもらえばいいだろう。

 福島第一原発の1〜3号機は、合計して200万Kwを発電していた。
さらに使用済み燃料もあるから、ヒロシマ原爆の3000個ぐらいの核分裂生成物があったとみてよい。
旧ソ連のチェルノブイリ原発4号炉の電気出力は、100万kwであった。
つまりフクシマは、チェルノブイリの3倍の放射能を抱えているのである。

 3月11日の大地震で、福島第1原発は圧力容器からタービンへ送る配管などが壊れた。
だから、厚さ2mの鉄筋コンクリート建屋が水素爆発で吹っ飛んだ。
これは私の想像。少なくとも、東電や保安院がいうような津波による電源喪失だけが水素爆発の原因にはなりえない。
いくら注水しても原発の心臓部、圧力容器の水位は上がらなかった。
それからおよそ4カ月が経過して、燃料は溶けて16pの鋼鉄製圧力容器を溶かし、格納容器を溶かし、建屋の底に達していると推定されている。
小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)は、「このままでは、溶けた燃料が地下水に達するだろう、地下水は高濃度放射能汚染水となって海に流れていくだろう、それを防ぐ取り組みを
今すぐやるべきだ」と訴えている。
原発がぶっ壊れるとこうなるのだ。
もちろん、放射性物質は、いまも放出し続けている。

 フクシマ原発震災は、生活権を奪った。

 この数日、汚染肉牛の行方が問題になっているが、この責任は酪農家にあるはずがない。
フクシマ原発事故は、全産業を壊滅させる。
それらの補償が、いつなされるか分からない。
原発避難仮払い補償金にしても、避難者に東電、行政から連絡はないのだから、知らぬ人がたくさんいるだろう。
新聞・テレビで東電・政府が「原発避難仮払い補償金について」連日報道し、衆知させるのが責務ではないのか。

 被災地の方々にはむごい言葉だが、チェルノブイリ事故は25年前であったけれど、まだ人々は帰宅できていない(帰宅を断行している人びともいるが)。
つまりフクシマの住民たちも帰れないと考えるべきであろう。
だから、全産業が壊滅させられるのである。これが原発事故のリスクである。

 13日、菅首相が脱原発を公言した。
社民党福島瑞穂が絶賛していたけれど、歴代首相にあって、財界の意志を退け国民の側に立った発言は初めてである。

(7月14日)

掲載誌 『人権と教育』449号 2011年7月20日号
筆者の了解を得て転載しました。







2011年7月30日 (土)
「100,000年後の安全」



 「100,000年後の安全」という映画を見たのは、5月12日、有楽町の映画館でした。

 その日、国会で原発の勉強会があって、その前に時間を取って見に行ったのでした。

 これは、2010年に完成して、世界各地の映画祭で受賞している映画ですが、日本では福島原発事故の後に公開され、“ひそやかな”話題になって、一部の映画館でロングランを続
けています。

          -----------------------------------

 原発から排出される使用済み核燃料・核廃棄物の最終処分場は、いまだに世界のどの国でも建設されていません。
 日本の六ヶ所村に「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」がありますが、これの位置付けはあくまでも中間保管施設であり、最終処分施設ではありません。

 その使用済み核燃料・核廃棄物の最終処分場として、世界で初めて建設が進められているのが、フィンランドの南部、ヘルシンキのの北西240キロ、オルキルオト島の“オンカロ”
です。
 “オンカロ”は洞窟という意味で、地表面から5キロメートルのトンネルを掘り進み、地下500メートル、18億年前に形成され安定した地層の岩盤の中に建設する貯蔵施設に、2
0〜30万トンの廃棄物を永久に閉じこめる、2004年から建設が開始され、2020年から核廃棄物の搬入、操業開始する計画になっているといいます。

 施設がいっぱいになった時点で2100年代に操業を停止した後に、すべてを埋め戻し入口も完全に封鎖して永遠に密閉する予定で、“10万年間は環境に影響のないように”設計さ
れています。

 放射性廃棄物の検査施設や貯蔵施設の中を淡々と撮影し続けた映像は、まるで近未来SF映画のようであり、物語はおもに関係者の“証言”によって展開されていきます。

 核廃棄物の最終処分の方法は。

 ロケットに乗せて太陽に打ち込む、… ロケットが爆発するかも知れない。

 海底処分は、… 絶対に安全とは言い切れない、海を汚染すれば生態系に影響を及ぼす恐れがある。

 水槽の中で管理する方法は、…地上の気象条件が安定している限りにおいては、100年は持つかも知れないが、1000年後はどうか…。

 水槽中での冷却保管のためには、電気と人間の保守管理が必要であって、人間社会が永遠に責任を持つことはできない…。

 したがって永遠の保管法、恒久的な解決法として、オンカロが計画されたのですが、はたして、10万年間、核廃棄物を人間や生き物から隔離できるのか、いや、隔離し続けなければ
ならない、… これがオンカロの計画者たちの使命と責任であり、この映画の主題でもあります。

 証言にあらわれた人々の関心は、以下のようなものです。

 はたして10万年後までにその安全が確保されるか、それを今の技術で保証できるのか。
 6万年後に予測されている氷河期を超えて、10万年後の地球とその人類に、我々がどうやって責任を持つことができるのか。

 そうした永遠の問いかけに対して、私たち現代の人類は、永遠の責任を持たなければならないのであって、その責任を果たすというのがその結論です。

 オンカロ建設者たちの心配は、オンカロの構造や技術的な問題よりも、将来、この施設を掘り返すものがいるのではないかということのようです。

 現在の人類が存在しているかどうかわからない(おそらくはいない)、10万年後の世界に、このような危険な廃棄物を残していいのか。

 10万年後に、現在とは異なった“人類”が存在するとして、その人々に、これが核廃棄物であり、危険な物質であり、近づいてはいけない施設であることをどうやって伝えるのか。

 そして、冗談交じりに(いや本気でしょう)、次のようなことが語られます。

 10万年後の“文明”を持った人類にとって、核廃棄物が宝物に映るかも知れない、かつて人類がピラミッドをあばいたように、オンカロを開こうとするかも知れない。

 そうさせないために、危険性をどうやって伝えるか、「危険だ」「掘るな」「入るな」という標識を立てるか、現代の文字が意味を持つか、絵で表したらどうか、いや、「掘るな」と
いうサインはかえって掘ろうという好奇心をかきたててしまうのではないか、いっそのこと、何のサインを残さないで、忘れ去られるようにした方がいいのではないか…。

 ここまで考えなければ、核廃棄物の最終処分場を建設することができない、映画を見ながら、暗澹たる思いにとらわれたのは、私だけではないでしょう。

 さて、日本ではこれまでのところ、廃棄物はそれぞれの原発施設構内に保管していて、最終処分場の問題は先送りして、とりあえずの“中間保管施設”としての六ヶ所村の施設に運び
込んですませています。

 フィンランドが10万年後の地球と人類と生き物に責任を持っていこうというのと比べて、日本の原発推進者たちの、政府も、東電も、原子力村の住民たちも、あまりにもの責任感の
貧困に慄然とさせられました。

 もう一度原点に立ち戻って考えてみれば、このオンカロの建設でさえもが、文字通り“永遠の実験”であり、保障と責任を実証したものとは言えないのです。

 したがって、私たちはこうした永遠の責任を負わされて、それを果たせるかどうかもわからないような、核の技術を、このまま使い続けていっていいのかという疑問に、何度でも舞い
戻ってこざるを得ないのです。

 なにしろ、プルトニウムの半減期は2万4000年ですから、10万年後でさえ、その放射能は16分の1にしか減少してはいないのです。

⇒「10万年後の安全」へのリンク






2011年7月11日 (月)
道路照明灯の“節電”は、電力不足とは関係ない



 10日のブログに書いた、ピースロードの道路照明灯が“節電”を名目に消灯された件について、今日(11日)市役所の道路河川課長、建設部長と話をした。
 結論から言えば、ピースロードの照明灯については全面的に消灯したのは間違っていたので、11日から点灯することにしたという。

 市は、たとえば久喜地区では青葉けやき通り、青葉中央通り、栗原のサルスベリ通り、吉羽のいちょう通り、市立図書館通り、東口大通りなどの大きな通りを、交差点付近などを除い
て道路照明灯をことごとく消すことにした。

 付近の商店や住宅の状況にお構いなしに消してしまった結果、多くの通りで“真っ暗”になってしまったのだが、そういう風に“一律に”消すのは間違いで、付近の状況を配慮する必
要があると判断した結果、青毛のピースロードは消灯をやめることになった。

 とまあ、こういう説明であるのだが、やっぱり、なぜ夜間の道路照明灯を消す必要があるのかはまったく理解できない。

 まず第一に、今回、久喜市内で消灯の対象となった地域が、ほとんど久喜地区の、それも久喜駅東側の地域であるというのはいかなるわけか。

 そして、市は、道路照明灯を消して「15%節電」に協力する必要があると言うのだが、電力不足を避けるために節電しなければならないのは、昼間の電力使用であって、夜間の“節
電”は電力不足とはまったく関係がない。

 確かに国の節電の指針によると、午前8時から夜8時までの節電が呼びかけられてはいるのだが、実際の電力使用のピークは14時から16時であって、100歩譲ってもせいぜい1
2時から18時くらいまでを節電すれば、電力不足は起きえない。

 にもかかわらず市は、「15%節電」の目標を数字上だけで達成させるために、電力不足とは関係のない道路照明灯の消灯を決めたらしい。

 あるいはまた、道路照明灯の消灯は電力不足を避けるための節電とはまったく関係なくて、単なる市の光熱水費節約のため以外ではありえないのに、それをストレートに言わないで、
電力不足回避のための“節電”に便乗しているに過ぎないのかも知れぬ。

 市民の安全安心のために道路照明灯を設置したのだから、意味のない節電を口実としての消灯は即時中止すべきである。

 建設部長が寄こした資料によると、国土交通省のホームページで「直轄国道の道路照明灯の内、交差点部等にある照明灯を除き、…消灯を行います」、埼玉県のホームページで、「電
力供給状況に対応するため、一部の道路照明灯を消灯し、節電に努めています」と書いてあるというのだが、そのホームページの記事は3月の計画停電時の話である。

 今も国道や県道で道路照明灯を消しているのかどうかは知らないが、また、国道や県道は道路照明灯が必要ないと判断したのかも知れないが、国や県に「右へならえ」というのは、自
治体としては誤りである。

 久喜市では市民の安全安心のために道路照明灯が必要であると判断して設置したのではあって、だとしたらそれらを消灯するのは市民の安全安心を犠牲にすることである。




2011年7月10日 (日)
議長の議事整理権とは何か



 6月21日のブログで、一般質問の通告のあり方と、議長の議事整理権について書いた。

⇒議会における発言通告制とは何か

 一般質問で、意図的にか成り行きか、「質問通告」があいまいな書き方になっていて、実際の質問が通告内容からとんでもなく広がっていったり、時にははずれたりして、答弁に立つ
執行部の職員が回答しようがなかったり、聞いている議員や傍聴者も何の質問だったかわからなくなったり、なんてことがあったりする。

 6月4日、一般質問の4日目にも、ある議員が、大震災被害の市内の被害の実情と今後の災害に強いまちづくり、地域防災計画の策定について、大上段に構えたたいへん大きな質問通
告をした。

 執行部は市政全般の大きな観点からかなりていねいに答弁したのであったが、再質問はその答弁に対してさらに突っ込んで聞くというよりも、多くが最初の質問からはずれた新たな質
問事項であったりした、…少なくとも議場で聞いていた他の議員にはそのように聞こえた。

 何回かの再質問、答弁、再々質問、答弁、…と重ねる内に、さすがに議場がざわつきだしてきて、何人かの議員から「質問通告と違うんじゃないの?」「通告と違う質問が続いてますよ
」「議長は整理してください」との声があがり始めたのだが、議長はいっこうに質問者に対して指導も整理もしようとしない。

 執行部も質問が思ってもいなかった方向へとんでいくものだから、答弁を準備もしていないし、だれが答弁するかで困ってしまって、だれも手を挙げない。

 ついにある議員から「議長、動議。休憩してください」の発言があり、数名が「賛成」と応じた。

 会議運営上、動議が提出されればそれは他のすべての審議や発言よりも優先して扱わなければならないとされていて、その中でも“休憩動議”などの議事運営に関する動議は他に1名
でも賛成者がいれば成立して、議長は直ちに休憩するかどうかを議会に諮らなければならない。

 これは議会運営の基本であって、議事運営に問題が生じて議会が混乱した場合などに、一呼吸置いて議会運営を本筋に戻す調整をする、そのための休憩でもある。

 ところがその休憩動議よりも一瞬遅れて市長が答弁しようと挙手をした。

 本来ならば議長は休憩動議を優先して、「ただ今の動議にご賛成の方はご起立ください」と言って、普通はそのまま休憩に入るところのだが、実際には議長は動議を無視して「市長」
と指名して答弁させようとしたのである。

 これは議会運営ルールの無視であるばかりでなく、すでに混乱しかけている議事をさらに混乱させることになりかねないから、議場からいっせいに、「議長、動議優先だ」「休憩して
ください」と声があがるにおよんで、議長もようやく議事運営のミスに気がついてあわてて「休憩」を宣した。

 休憩中に、議長と、動議を出した議員を含む何人かの議員、質問者と答弁者との間で何らかの調整があったらしく、再開後に一度だけ再度の質問、答弁があってこの人の質問は終わっ
た。

 さて、問題はどこにあったか。

 議員の全員の合意で決定された申し合わせ事項には、「通告書には、発言の要旨等を、内容が察知できるよう簡明かつ具体的に記載する」、一般質問で「関連質問は認めない」とされ
ているから、議長は通告書が提出された段階でそれをチェックする責任があり、もしも会議中にそれをはずれた発言があった場合には、整理する責任がある。

 それを議長の“議事整理権”と言っていて、これは単に議長が整理する権限を持っているというにとどまらず、整理する責任を負っているのである。

 もしも議会において議長がこの責任を果たさない場合には、それはルールがあっても審判がその権限を行使しないサッカー試合のようになってしまう。

 議長はご自分のホームページで、「実際はどこまで通告内か、通告外か(関連質問か)の基準は一直線ではありません。議長の権限の一つに議事整理権がありますが、私は質問は最大
限尊重したい、とも思っていますので判断は難しいところです」と書いて、議事整理権を行使したくない心情を告白している。

 しかしそれでもやっぱり、議長は自分の責任で、「どこまでが通告内か、通告外か、関連質問か」の判断をしなければならないのである。

 もちろん議長が議事整理権を一方的に強制したり、乱用すれば議長の横暴と批判されるのは必至であり、同じ会派の議員であれば発言を“整理”して恨まれたくはないから甘くしてあ
げたい気持ちはわかるような気もするが、議長の責任を果たすのを避けて成り行きにまかせようというのでは、“無責任な日和見主義”のそしりを免れまい。

 現実には議長が議事整理権で調整しようとして、議員が素直に『わかりました』と納得するかどうかはその場になってみないとわからないが、議員との信頼関係があるかどうかにも関
わってくるかもしれない。




2011年7月 1日 (金)
原発から、エネルギー政策の転換を求める意見書・始末



 6月議会に「原子力発電から、省エネや再生可能エネルギーを中心としたエネルギー政策への転換を求める意見書」を提案して、思ってもいなかったのだが「全会一致」で可決された


 意見書の全文は、⇒こちら

 最初、この意見書案を6月6日の議会初日に正式に提出するときに、猪股が提案者として、賛成者に政策会議の春山、園部、公明党の岡崎、無会派の田村議員が署名してくれた。

 飛翔の山田代表のところへも協力依頼に行ったのだが、個人としては賛成するが、会派内に反対者がいるかも知れないから署名はできないと言ってきた。

 本会議での賛否のヨミとしては、政策会議の他、公明党、無会派、共産党の賛成は確約されていたから、もう可決は確実だったが、飛翔から何人かの「反対」が出ることは十分予想さ
れていたのであった。

 久喜市議会は本会議での議論をきちんとかみ合わせて深めることができるように、議員提出議案である意見書についても質疑は通告制をとっていて、23日までに、並木議員から質疑
通告が提出された。

 質疑内容は、以下のようである。

 ------------------
諸外国ではフランスは原発に依存している、ドイツもイタリアもフランスの原発の電気を買っている、東南アジアやサウジアラビアも原発推進である、これらをどう考えるか。
 東京電力福島第一原発事故の原因、今までの日本の原発推進政策についてはどう考えるのか。
 1970年代のオイルショックには、原発を増やすことにより対処することができた。温暖化対策等の効果もある、今までの実績についてはどう評価するのか。
 日本のエネルギー自給率はわずか4%であるが、どう考えるか。
 国内の電力供給の30%は、原発に依存している。原発を停止、廃止した場合に、今後の省エネ対策、代替電力エネルギーを増やす過程は。
 浜岡原発に対して、政府の突然の停止命令による混乱とその影響について。今後数年続くと予測される電力不足による節電対策により国内産業への影響、不便を被る市民生活に混乱が
続く。
 水力発電にはダムが必要となるが、環境問題等で建設に反対の意見もあるが、どう考えるか。地熱発電は、地元温泉と熱水の競合があるが。
 太陽光発電、風力発電は、電気の質が安定しないし、高コストだが、どうするのか。
 原発を停止し、代替エネルギー(火力発電・LNG発電)には、国内で年間2〜3兆円の負担増となるが、誰が負担していくのか。
 原発を廃止した場合に、依存している地域経済、自治体への影響がでるが、どう対処していくのか。
 ------------------

 意見書案と比べてみると、この質疑通告は意見書案に対する質疑にはまったくなっていなくて、「反原発」論に対する反論を想定したものであることがわかる。

 つまり並木議員は、この意見書案が「原発を直ちに廃止して、すべてを再生可能エネルギーに置き換えるべきだと主張している」と勝手に決めつけて、「原発を廃止をしたら、代替エ
ネルギーはどうなる」「自然エネルギーは不安定で、コストが高くて、とても代替はできない」「原発を停止することはできない」と主張したかったわけである。

 しかし意見書というのは本来、提出議員と賛成署名をした議員が、「個々までなら一致できる」「この文章で議員の大方の賛成を得て、久喜市議会の意志として議決しよう」という、
いわば“最大公約数”としてまとめて議案にしたものであって、それ以上でもそれ以下でもない。

 したがって私は並木議員の質疑に答えて、「書いてないことに質疑されても答えられない」と基本的な立場を述べた上で、それでも意見書案のスジをはずさない範囲で、次のように、
一つ一つの質疑項目に最大限の答弁を行った。

 世界各国それぞれの原発政策は、それぞれの国の国内事情や歴史的な経緯をもっており、それぞれの国民の意志によって選択されてきたものであること
 過去の日本の政府がエネルギー政策の中心に原発をすえ、温暖化対策やエネルギー確保を進めてきたことは事実としては確認できるが、それ以外の選択肢がなかったか否かは別問題で
あること
 浜岡原発は2009年8〜9月にも地震で全面的に停止しているが、中部電力の電力不足も混乱も起こらなかったこと
 この意見書で述べているのは、大規模なダムによる水力発電ではなくて、中小水力発電であること、地熱発電も(原発や他のすべての公共事業と同じように)住民や関係者との理解の
上に進められるべきものであること
 太陽光や風力発電が電気の質が不安定であることは免れないが、蓄電装置との組合早稲によって安定させることができるとされており、今後、整備されていくと考えられること、コス
トは電気の需要家、電力会社、政策的推進をしていく政府財政(国民の税金)によって負担していくことになるが、いずれにしろ国民の理解を得られることが前提となること
 原発を廃止あるいは減らしていった場合の自治体や地域への影響は、できるだけ影響が出ないような形で、政策的な配慮をするのは当然である

 とまあ、こんな説明をしたのであるが、質問者が納得したとは思えない。

 原発推進の立場に立つ方々は、これまで長年にわたる政府や電力会社の説明にしたがって、「脱原発」などというのは不可能なことと信じ込んできているし、世界が今や「脱原発」の
方向に向かっていることも、信じたくないであろうことは理解できなくもない。

 原発が、他のあらゆる科学技術と決定的に異なっている、その最大の点は、今回のような事故が起きたときに、自然環境と人間社会に“回復不可能”な悪影響を及ぼすことである。

 ところが並木議員はそのことすらも信じていないらしくて、こうも述べた。

 ------------------
 今までの、原発政策は、確固とした安全性の追求が不十分であったことは認めざるを得ない。形骸化した「安全神話」のもと、今回の事故では、原子力技術者の能力、電力会社の危機
管理能力、非常時の政府の指導力のなさを痛感した。これは技術の問題というより、それに携わる人材の問題であり、きちんと制御できなければ、原子力は安全な技術とは言えない。
 この度の、東京電力福島第一原発事故の完全な終息に成功すれば、日本は、今後より安全な原発政策を実施できると思う。
 ------------------

 つまり、並木議員の認識としては、事故の原因は「安全神話」に乗って安全性の追求が不十分であったことと危機管理能力や指導力のなさであって、「技術の問題というより…人材の
問題で」あるというのである。

 私はこれに対して、
「大規模な事故の対策ができていなかったということを見ても、原発の技術自体がいまだ未確立である」
ことを指摘しておいた。

 本当は私個人としてはさらに『原子力を人間は制御できない』と言いたいところであったが、そこまで言ってしまってはこの意見書の範疇を超えてしまうのでぐっと飲み込んだ。

 それにしても、「事故の完全な終息に成功すれば、より安全な原発政策を実施できる」と言うあたり、何と楽天的なことだろう。

 私は次のように答弁を締めくくった。

 「完全な終息」とは何を指しているのか、−−とりあえず冷温停止状態で安定したときのことか、原発を完全に遮蔽して外部への放射性物質の拡散がなくなったときのことか、これか
ら10年後か20年後かに福島第一原発を解体できたときのことか、20q圏内に再び住民が戻って事故発生前のような暮らしを取り戻したときのことか、放射能に汚染された土壌や水
を浄化できたときのことか、−−今はまだ、循環冷却装置なるものがやっと設置されて、毎日のようにストップを繰り返している状態で、「完全な終息」などはまったく見通せていない


 いったい「完全な終息」までに、これから5年かかるのか、10年かかるのか、20年かかるのか、まったく予測の付かない今の段階で、終息を語るのは時期尚早である。

 実際に避難生活をしている福島県の当事者の方々に対して、「完全な終息」論議を今することができますか。第一原発の現場で命をかけて先の見えない作業を続けている人々に対して
、まるで第三者的に、「完全な終息」なんていう話をすることができますか。
 私はできませんし、するべきでないと思います。

           -------------------------------

 採決の直前に、並木議員が議場から退席=棄権して、飛翔の残りの議員は全員が賛成に回って、結果として意見書は“全会一致”で可決されたのではあるが、私はいまだに腑に落ちて
いない。

 それにしても、“原発推進”の立場から、あれだけ強硬に質疑をしておきながら、はっきりと意見書に反対とも言わないで、結局は自分の態度を示さずにすませてしまうのはずるいん
じゃないの? こんなのあり? という感じである。

 議員は議論の場にあって、議案や政策に対して、みずからの考えをはっきりさせながら議論を進めるべきで、それは議員の責任であると思うのだが、いかがだろう。






2011年6月21日 (火)
議会における発言通告制とは何か



 議会は議論の場であり、おもに議員による質問・質疑と答弁、討論によって成り立っている。

 それらの発言はそれぞれが勝手に無秩序に何でも言っていいということにはなっていなくて、質問・質疑と答弁がかみ合うようにしなくては議論にならない。

 議論が長引いたり何度も質問・質疑に立ったりしていると、もっと“効率的”に進めるべきだという声が出たりもするが、時には、“短時間で結論を出す”というような意味での効率
性を犠牲にせざるを得ない場合もあるのだが、論点をかみ合わせて結論を導き出そうとする過程が、実は大切なのである。

 議会は議論をかみ合わせるための審議のルールを決めているが、「発言通告制」もその一つである。

 市議会会議規則51条は「会議において発言しようとする者は、あらかじめ議長に発言通告書を提出しなければならない」、2項には「発言通告書には、質疑についてはその要旨、討
論については反対または賛成の別を記載しなければならない」と定めており、52条では「発言の通告をしない者は、通告をした者がすべて発言を終わった後でなければ発言を求めるこ
とができない」としていて、通告発言の優位性を原則にしているが、久喜市議会では通告以外の発言は実際にはほとんどない。

 さらに市議会申し合わせ事項では「7−1 質疑、質問の通告書には、発言の内容を察知できるよう簡明かつ具体的に記載する」と定めているのも、質問・質疑に答える側が、質問・
質疑の内容を十分に検討して答弁を行うために、あらかじめ質問・質疑の論点を把握しておくことができるための大切なルールである。

 だから発言通告書を提出しても、その内容が「察知」できないような具体的でない記載であってはならないし、また基本的には、通告書に記載した項目や趣旨以外での発言はできない
というのがルールである。

 ところが、実際の一般質問通告を見てみると、このルールが必ずしも守られていないで、議員の側から通告の意味を失わせるような通告の仕方もあったりする。

 実例に基づいて具体的に書かざるを得ないのだが、たとえば以下のような記載である。

          -------------------------------------
1.東日本大震災関係
(1)南栗橋液状化問題
 ア.
   …(省略)…
 エ.市独自の被災者支援について。
(3)福島原発問題
 ア.当市における空中放射能汚染状況、その測定位置について。
 イ.学校、幼稚園等における測定位置。
 ウ.校庭、園庭等における放射線量は。
 エ.水道水の安全性について。
          -------------------------------------

 大きな項目の見出しは「…関係」「…問題」でまあ許容できるとして、細かい質問事項が「…について。」では、その内容が察知できるような具体的な記載と言えるか、はなはだ疑問
と言わざるをえない。

 「市独自の被災者支援について。」という通告は、支援をどのように行っているかの現状を聞く質問なのか、現在の支援策は問題があるから改善しろという質問なのか、もしかしたら
、市独自の支援策は必要ないという質問なのかわからない、質問者の質問意図がわからない、まったく具体的でないのだ。

 「…測定位置。」と書いただけの質問通告も、測定位置を教えてほしいというだけの質問なのか、測定位置が間違っているという質問なのか、測定位置を増やせという質問なのか、こ
の通告からは“発言内容を察知”することはできないから、答弁を検討する職員の側は、質問内容を推測して、どうとでも対応できるような答弁書を作成しておくことにならざるを得な
い。

 他の議員の通告にはたとえば、「独自支援策をもっと積極的に、○○、△△なども行うべきだ」、「これまでの市の測定による放射線量をどのように分析しているか」「今後、測定を
定期的に行うべきだ」「土壌検査も実施すべきだ」などというような質問内容が“具体的に”書かれているのである。

 実はもっと問題なのは、こうしたあいまいな通告の仕方をしておいて、実際の質問の場面で、どうとでも拡大できていくことであって、これではなかなか質問と答弁がかみ合うような
議論にするのは容易ではない。

 あるいはまた、同じ問題で質問通告した他の議員の答弁や、通告の具体的に書かれた文章を見て、自分の質問も変えているのではないかと思われるフシもないではない。

 通告書は議長に提出することになっている(事務局があて先ではない)から、本当は、議長が通告書を受けた段階で、内容が察知できないような通告の文章や具体的でない質問事項で
あった場合には、議長が質問者に対して再提出させなければならないはずであるが、そうした議長の職務責任が遂行されているのかどうか。









2011年6月12日 (日)
6.11脱原発アクション:新宿アルタ前



 6月11日、脱原発100万人アクションが全国各地で取り組まれた。
 東京では港区・芝公園や代々木公園の他、小金井市や国立市など都内9か所、埼玉でもさいたま市や越谷市で、さらには福島など全国各地の身近な場所で、集まれる人たちが集まって
「反原発」「脱原発」を訴えた。

 私は6時からの新宿アルタ前の集会に行ったが、広場や周辺の道路まで人で埋め尽くされていた。

 警官隊がずらっと並んで「立ち止まらないでください。歩いてください」と規制していたが、人々は風船やプラカード、「浜岡を廃炉に」と書いた傘など思い思いの方法でアピールし
、あちこちで楽器を演奏したり歌を歌ったり、「原発止めろ」と声を上げていた。

 この、実に色とりどりの人々のエネルギーが一つに向かうとき、原発は廃止される!



 マスコミがほとんど報道しないので、どれくらいの人々が集まったのかわからないが、東京都内で1万人以上、全国で数万人? フランス・パリやアメリカ・ニューヨーク、ドイツ各
地など世界中で数十万人規模のアクションになったと思われる。




2011年6月11日 (土)
仙台から石巻、そして南三陸町へ



東日本大震災は、福島、宮城、岩手各県の特に沿岸部自治体と住民生活に対して壊滅的な被害をもたらし、それらの被害の実情については、テレビや新聞報道、インターネットを通じて
知らされてきた。

 しかしその実情を、実際にこの眼で見てみる必要があると考えて、6月3日、政策会議の5名の議員(新井、内田、園部、富澤、猪股)で仙台市、石巻市、南三陸町の被災地を車で回
ってきた。

 テレビなどの報道で見るのと、実際にこの目で見るのとでは印象が大きく違い、その被害の大きさ、地震と津波の破壊力に圧倒された。
 それは驚いたとかいう形容では納まらない、がれきの山と廃墟を前にして声も出なかったと言うほかない。

◆東北新幹線はやぶさで仙台まで行って、レンタカーを借りた。
 仙台市内を抜けて、三陸自動車道を通ってまずは石巻市街地へ。旧北上川の河口付近、車から降りると魚の腐ったような強烈な匂いが立ちこめていた。



◆北上川を北上して、南三陸町へ向かおうとしたが、国道45号は「土砂崩れのため通行止め」となっていた。
 しかたなく北上川を下って海岸へ向かったが、河口付近に近づくと防波堤が流され、国道398号線も崩れて完全に通れなくなっていた。
 防波堤の内側にあったはずの集落は跡形もない。
 山の上に仮設住宅が建設中だった。



 つぶれた消防車…、最後まで避難を呼びかけていたであろう消防団の人々は助かっただろうか。
 集落の中に持ちこたえたように見える2軒の家だが、近づいてみると、残っているのは柱と屋根だけだった。

◆海岸線をあきらめて山の中の道を抜けて峠を越えて、JR気仙沼線に沿って海岸線へ向かったが、南三陸町の市街地(だったところ)に入ると、いきなり、線路も道路も水門も、すべて
の建物が流されてがれきだけが続く光景が飛び込んできた。



  市街地のメイン道路をいまだに海水が覆っている。
 志津川病院、そして防災センターの廃墟、延々と続くがれき、動いているものは、ところどころでがれきを片付けているショベルカーなどが見えるだけだった。


 南三陸町防災センター前に、小さな日の丸の旗が3本立っていた。

 一面の廃墟の中、がれきの真ん中に日の丸の旗はたいへん目立つので手で広げてみたのだが、そこには「久喜市青年会議所」の文字が記されていた。

 3月に市と共同で青年会議所の方々が支援物資を搬送してきたと聞いているが、いったい何のためにこんなものを残していったか、自分たちがここまで支援に来たという足跡を残して
おきたかったのだろうか。

 周りを見ても他にはこんなものはいっさいなくて、この旗の存在自体に違和感を禁じ得なかった。

 この例に限らず、被災地を訪問してがれきの前でポーズを取っての自分の記念写真をブログに載せている議員もいたりする。

 以前、がれきの山の前でVサインで写真を撮っていた人がいてひんしゅくを買ったという話があったが、私にはこういう人たちの行動心理はわからない。



市街地から1q、振り返ってみれば、海まで続くがれきの平原であった。



 実は3日に被災地をひたすら走り回って1週間が過ぎたが、ブログに写真を載せたものかどうか迷い続けていた。それは、もちろん単なる同情とは違うのだが、第三者的な写真だけを
載せて何になるのかという思いと、ここが数知れぬ人々が死んだ場所であり、もしかしたら、この下にまた住民の屍があるのかも知れないという恐れでもあった。

 それでもやっぱり、私の撮った写真は一つの記録ではあるし、ちゃんと残しておくべきだろう、見えるところに出しておくべきだろう、それは実際に見てきた者の責任であろうと、今
は考えている。






2011年5月27日 (金)
プール清掃に関わる、教育委員会の積極的判断を評価する



 福島第一原発からの放射能が東京にも神奈川にも、埼玉にも広がっていることが間違いない事実であり、埼玉県庁や久喜市役所における空中放射線測定によって、それが事故前の2倍
以上の数値が継続していることが明らかになっている。

 久喜市が事故後に購入した測定器を活用して、学校や保育園、市内の公園などで放射能測定を実施し、公表していることは当然の対応とはいえ行政の姿勢として評価してよい。

⇒久喜市のホームページ、放射能測定結果

 近隣では放射能測定器自体をいまだに購入しないで、ということは自前での測定を実施していない自治体も多いし、せっかく測定しても“簡易測定器だから参考値に過ぎない”という
おかしな理屈で公表しようとしない自治体もあるという。

 公表しない言い訳として、国の測定値と差があっては混乱をもたらす恐れがあるというのだが、むしろ自前で測定した数値を積極的に公表し、その数値に疑問があればさらに精緻な測
定を進めるというのが、市民の健康に責任を持つ自治体の立つべき姿勢ではないか。

 私はさらに、特に子どもたちの安全・安心を確保するために、保育課や教育委員会に対しては、校庭・園庭の土壌、砂場の放射性物質の検査を行うべきであるとお話ししてきたのであ
るが、残念ながら今のところそこまでは実施できていない。

 行政がやろうとしないのならば、自分でやろうという市民の方も出てくるのは、むしろあたりまえであって、久喜市内で、ある保護者が自分の子どもが通う保育園の園庭の土壌を採取
して放射性物質の検査をした。

 その結果、土壌中からヨウ素131やセシウム134、137が検出されたことが明らかになって、保護者らの間にすこしずつ不安が広がっている。

 私も検査機関に連絡を取って土壌検査を依頼しているが、全国各地の個人や団体からの依頼が急増していて、検査は今、10日先まで予約で埋まっているという。

 やはりこれは、市が早期にみずから検査機関に依頼して、校庭や砂場の土壌中の放射性物質がどれだけ存在しているのかの検査を実施すべきであって、そうすることが行政が市民の安
心と安全を確保し、市民の信頼を得ることにつながると確信する。

 これに対して、あまり「放射能、放射能」と騒ぐのは市民の不安を煽ることになるとか、風評被害をもたらす恐れがあると批判する人もいるが、それは逆であって、放射能の数値が高
くなっているのは“風評”ではなくて事実そのものであり、それを無視したり軽視したりすることの方が、水面下での不安を増幅させ、行政への不信を招くことになる。

 だいたい、事故当初にさんざんテレビで流された、「直ちに健康に影響を与えるものではない」という決まり文句を信じた国民がはたしてどれだけいたのか、むしろあの常套句が出る
たびにかえって「国は何か隠しているのではないか」と疑惑は増し、不安が増幅したのではなかったか。

学校のプール清掃に関する、教育委員会から各学校への“指針”

 学校のプールの放射性物質の調査もしないままで、例年通りにプール清掃を子どもたちにやらせていいのかどうかという疑問の声が上がっていることは、すでに書いた。

⇒いのまた和雄のホームページ

 5月23日、私は教育委員会に対して、「市内の小中学校のプール清掃は、たまった水の安全性も確認されていない段階で、子どもたちに清掃させるのはやめさせた方がいいのではな
いか」とお話しし、26日にも教育部長に「今年は特別な事情があるのだから、教職員や保護者の手で清掃すべきではないか」と検討を要請した。

 教育委員会はたいへん前向きに検討してくれて、27日に教育部長から、
 「担当の指導課などとも相談した結果、プール清掃の方法は、まず教職員が大まかな表面のよごれを落とした上で、子どもたちにやらせるなど、配慮するように、昨日(26日)、各
学校に電話で連絡した」
という回答があった。

 今のところ、校庭の土壌やプールの水についても、放射能濃度の基準もない。

 その一方で、成長期にある子どもたちは放射線にさらされるのが少なければ少ないほどいいのであって、学校や保護者ができる限りの配慮をしていく責任がある。

 その意味で、久喜市教育委員会が真剣に検討して、今の段階でできる最大限の配慮に立った判断をし、迅速に各学校に“指針”を流したことは前向きかつ積極的な取り組みとして高く
評価していい。

ある小学校の保護者らの取り組み

 なお、鷲宮地区のある小学校では、保護者らが「このまま子どもたちにプール清掃をやらせるのは不安だ」と学校と話し合いを進めた結果、いきなり子どもたちに清掃させるのではな
くて、保護者有志の手で表面のこびりついた汚れを落とす作業を行った後で、子どもたちにやらせようということになったという。

 27日の朝に10数人の保護者が集まり、さらに校長先生をはじめとして教職員のみなさんもいっしょに表面の汚れを落とす作業を実施したという。

 保護者らのこうした自主的な取り組みこそが、教育委員会の判断をも後押ししたのだと言っていい。










2011年5月23日 (月)
政務調査費の支出をチェックする



 5月18日に政務調査費審査委員会を開いて、各会派から提出された第4期分(1〜3月)の支出報告書の審査を行った 。

 市民の税金を使っているのだから、すべての支出について真に“政務調査”の目的に合っているかどうかを審査するの は当然のことである。

 今回は各会派の報告書にいくつかの記載ミスなどがあったので訂正するとともに、飛翔の2議員の議会報告書印刷代と 新聞折込み代などが政務調査費からの支出と認められずに、合計
約37万円が市に返還となった。

 飛翔所属の梅田、山田議員が1月に発行した「議会報告」の印刷代と新聞折り込み代であるが、これらは会派の政務調査活動の 一環としての発行というよりも、議員個人あるいは後援
会発行のチラシであったので、政務調査費からの支出とは認めら れなかった。

 梅田議員 議会報告印刷代 94500円 新聞折り込み代 70539円
 山田議員 新年のあいさつ 41400円 後援会会報 81900円

 久喜市議会では、政務調査費の支出に関する“留意事項”という申し合わせがあって、「議会報告」については会派の名前が記載されていて会派の発行と認識されれば認められること
になっているのであるが、なかなか議員全員に徹底されていない 。

 本来なら各会派の会計責任者や、各会派から1名ずつ選任されている政務調査費審査委員会委員が、会派所属の議員に対してその趣旨をきちんと周知しておかなければならないはずだ
が、合併後1年を経過してなお徹底されていなかったと すれば怠慢と言うほかない。

 実はこの他にも、政務調査費審査委員会でどうしても結論が出ずに、23日開催の代表者会議に協議が委ねられたもの もあった。

 1つは、やはり飛翔の盛永議員の後援会が発行した議会報告の印刷代・新聞折込代の支出の適否が問題になったが、こちら は昨年10月の発行で、いまだ趣旨が徹底されていない時点
であったとの理由から、政務調査費からの支出として認めていいのではないかとの結論になった。

 2つ目は、飛翔の鈴木議員が購入した書籍「疲れない体をつくる免疫力」が議会活動にあたるのかどうかであった。

 審査委員会委員で他の委員から『この本はなんのために買ったのか』という質問が出て、審査委員会委員でもある鈴木 委員は『自分が議員活動を続けていくために、疲れない体をつく
るために購入した』と答えたものである。

 しかしちょっと待ってほしい、『それじゃあ個人の趣味の本か料理本を買うのと変わりないではないか、政務調査費とは違うでしょう』ということで、委員会の大勢は『認めない』と
いう方向になったが、当の鈴木議員本人だけは『すべて 議会に役立つんだから認められていいはずだ』と強弁した。

 やむをえず代表者会議の議題にのぼらせることになったのであるが、そこに突然、鈴木議員からの弁明書(?)が提出 されて、飛翔の盛永議員から読み上げられた。

 そこには「(この本に書かれている免疫力については)、今後、時期を見て一般質問にも取り上げたいと考えています 。つまり政務調査費そのものです」と書かれていて、それなら政
務調査費と認めてもいいということになったのであった が、それならなぜ鈴木議員は審査委員会でそのことを主張しなかったのだろうか、不思議な話ではあった。

 いや本質的には、書籍「疲れない体をつくる免疫力」が議会活動の“政務調査”費であるとして、市民に納得してもらえるか否かが問題なのである。


2011年5月19日 (木)
住民投票を考える論理の道筋はいかにあるべきか(4)



『住民投票は金と時間のムダだ』という批判

 住民投票は金と時間がかかるからやらない方がいいという批判があるが、それではすべては市長と議会が決めればいい、市民はそれにしたがっていればいいということになるか。

 だれでも知っていて、あまりおおっぴらには言わないが、市長や議会多数派の意志が、市民の意思と一致しないことが往々にしてある、こんなことは言うまでもないことである。

 だから地方自治には、国政と異なって直接請求や、市長や議会に対する解職請求(リコール)という直接民主主義の制度が一部で取り入れられているのであるが、しかし直接請求を行
っても結局は議会にその可否の判断を委ねることになるが故に有効に機能しないことも多い。

 したがって、住民投票はそれをさらに補完して、住民の意思を行政の政策決定に直接に反映するするための制度であり、市民と市長・議会のねじれをただす、ほとんど唯一の最後の手
段であるともいえる。

 もしも、直接請求の制度があるから、リコールの制度があるから、金と時間と労力(行政の手間)がかかるから、あるいは議会があるからなどという、さまざまな口実を作って、住民
投票は必要ないというとすれば、それは「常設型」であれ「個別型」であれ、住民投票そのものに対する否定以外ではない。

 また時代遅れにも、『直接民主主義の住民投票は議会制度の否定だ』と批判するとすれば、それは住民投票制度の必要性を否定して、たとえ「個別型」であっても認めない論理である
のだが、彼らは自治基本条例に住民投票制度を記載することにも反対するか。

住民投票について考える際の論理の道筋

 最後に、私たち地方自治に関わる者が、住民投票について考えるべき論理の道筋を整理しておこう。

 まず最初に、「住民投票の必要性を認めるのかどうか」について、お互いに確認し合うことであるが、軽重の認識に差はあっても必要性そのものについて否定する人はあまりいないの
ではないか。

 第2には、住民投票が必要な場合があるとしたら、必要なときに必ず実施することができる仕組みを作っておかなければならない。

 どんな時、あるいはどのような状況で必要になるかについての議論もしなければならない。

 第3に、必要なときに必ず実施できて、なおかつ乱用されないための仕組みを作っていくにはどうするかである。

 こうした論理を筋道立てて議論し合うことで、「常設型」か「個別型」かというようなイデオロギー的な消耗な議論の堂々巡りを免れることができるのではないか。




2011年5月18日 (水)
住民投票をできるだけやりたくない人たちの理屈(3)



住民投票が“乱用”される心配は無用である

 「常設型」にしておくと、住民投票が乱用されるという批判があるが、これは正しいか。

 私自身は「常設型」の住民投票を規定している自治体で、乱用された例を聞いたことがない。

 もしもそういう批判をするのであれば、その人は“乱用”の実例をあげる責任があろうし、もしも実例がないのに『乱用される恐れがある』とことさらに言いつのるとすれば、それは
脅しかデマ宣伝以外の何ものでもない。

 たとえば広島市の住民投票制度では、住民投票を請求しようとする人は市長にその旨を届け出るのであるが、その際に「市長は、その事項が市政運営上の重要事項であるかどうか」の
確認を受ける。

 その上で住民投票を求める署名を行って、市長に提出することになるが、その署名の成立要件は、たとえば政令指定都市である広島市では有権者数の「10分の1」の署名であり、普
通の市では「6分の1」とか「8分の1」、人口の少ない町であれば「3分の1」というところもある。

 15日の市民ワークショップで、住民投票検討グループでは「5分の1程度」という基準で意見が一致したが、これは現在の久喜市でいえば有権者数おおよそ10万人として「2万人
」がそれにあたる。

 しかもこの書名は、通常、有権者名簿登録者に限られて、代筆はダメ、印鑑か拇印が必要、署名収集人はあらかじめ登録が必要、署名簿は収集後に一定期間の縦覧(公開)に供して異
議申し立てもできるという厳格なものであり、請求人にはたいへんな時間と労力、強い意志がなければできることではない。

 こうした厳格な手続きのことを知っているなら、市政のいろんな事案について、何回も何回も住民投票を求めるなどという、“乱用”が不可能なことはだれにでも理解できよう。

 いわば、“A”か“B”かが市政にとって決定的に重要であると判断した市民が、市民意志を実現する手段として、住民投票以外に方法がない、しかも市長も議会多数派もそれに耳を
傾けないという状況に陥ったときに、最後の最後の手段としての住民投票なのである。

 もう一つ、常設型の住民投票を制度化している多くの自治体で、住民投票の対象とならない事案を明記していることも付記しておかなければならぬ。

 たとえばある市の住民投票条例では、特定(一部)の市民や地域が対象となる問題、市の組織や人事、財政、財務などに関わる事案などで、その他、市長や議会のリコールなどの他の
法令によって規定されている事案も当然ながら対象外である。

 このようにして、「常設型」の住民投票を制度化していても、乱用されないような仕組みになっている。

住民投票は市民を二分するという危惧

 住民投票をすると、市民が二分されて、隣近所や親戚同士で対立が起こるからやらない方がいいという人もいる。

 しかしこれは順序が逆であって、すでに市民世論を二分するほどの事案があって対立があるからこそ、住民投票によってはっきりと結論を出すのであって、もしそれをせずに市長と議
会多数派だけの意志で、市民の半数を超えるかも知れない意見を無視するとすれば、その方が市政にしこりと禍根と、市政に対する二度と修復できないほどの不信を残すのである。

「直接請求」は、議会が決めてしまう仕組みである

 住民投票を求めるなら「常設型」にしておかなくとも、直接請求で求めればいいという人たちもいるが、これは本当か。

 直接請求というのは、有権者数の「50分の1」の書名をもって市に条例の制定などを求めるものであるが、この場合、「○○についての住民投票条例の制定を求める」という直接請
求を行ったとして、その請求を採択するか否かは議会が判断するのである。

 請求がなされたら、市長が「この請求は妥当である」あるいは「必要ない」という意見を付けて議会に送り、議会が多数決で決定するのであるが、実際に即して考えてみるがいい。

 そもそも市長が自ら進んで住民投票をやろうとしないから、住民が「50分の1」(久喜市の場合2000人)の署名で請求するのであるが、それを受けて、市長が自分に反対の意見
が多数を占めるかも知れない住民投票を実施するという市長はあまりいないであろう。

 市長は多くの場合、「この直接請求の住民投票は必要ない」という意見を付けて議会に送り、議会多数派は否決してしまえばそれっきり、住民投票は行われない。

 直接請求をすれば住民投票が実施できるわけではなくて、実施するか否かの判断はやはり議会に委ねられているわけだから、議会が伯仲しているならともかくとして、徒労に終わるこ
とがわかっていて時間と労力をかけて直接請求の運動を行う人はあまりいない。

 地方自治法で直接請求という住民の権利が規定されていながら、実際には直接請求の運動が少ないのは、こうした理由による。



かつて、住民投票はどのようにして行われたか(2)



「個別型」、「常設型」とはどういう意味か

 市民ワークショップで、久喜市自治基本条例に「住民投票」の規程を盛り込むことについては、基本的に異論はないらしいが、それを「常設型」とするか「個別型」とするかで、考え
方が大きく異なる。

 「個別型」は、市長が、市政に関わる重要な事項について住民投票を実施することができるという規程であって、住民投票を実施するかどうかについては、事件に応じて“個別に”市
長が判断することになる。

 「常設型」は、市政に関する重要な事項について、市民から住民投票の実施請求があった場合に、市長は住民投票を行わなければならないという規程を、自治基本条例あるいは市民参
加条例などにあらかじめ条文として設けておくという制度である。

どういう場合に住民投票が必要となるか

 住民投票が求められる状態というのはどのような場合であるか、現実にありうる状況に即して考えてみる。

(1)市民の多くに関わるような事案で、A・Bの相対立する方針があって、
(2)市民の意見がほとんど二分されていて、どちらの世論が多数を占めるかにわかには判断が付きにくい、
(3)市長と議会の多数派は、その一方の“A”の方針で突き進んでいて、
(4)他方の“B”の方針を支持する市民が、市にその方針を実現させる手段を持たない、
 このような時に、“B”の方針を求める市民が住民投票の実施を求めることになる。

 市長と議会の多数派にとって、“A”の方針を支持する市民が多数であると自信をもって判断できるときには、住民投票の実施に踏みきって、堂々と市民の多数の支持を明確にして、
自らの方針を推進することになる。

 しかし“A”あるいは“B”のいずれの方針を支持する市民が多いか判断が付かない、または市長と議会多数派とは逆の“B”の方針を支持する市民が多いかも知れないと判断した場
合には、市長と議会多数派は住民投票をやりたくない、できれば住民投票をやらないで“A”の方針で突っ走ってしまおうと考えるのは自然な成り行きであろう。

 さて、この場合に住民投票を実施するためにはどうしたらよいか。

 “B”の方針を支持して住民投票を求める市民が、いくらけんめいになって市長や議員を説得しようとしても、あるいは議会内で少数派の議員が議会で主張しても、市長は、住民投票
をやれば“A”の方針はできなくなってしまうかも知れないから、住民投票をやらないでそのまま逃げてしまうのが得策であり、議会多数派もそれを後押しする。

 “B”の方針を支持する市民が多ければ多いほど、優勢であればあるほど、市長と議会多数派は恐怖心を抱いて、住民投票を避けることになるのだが、もしも住民の多数意見を無視す
るこのようなやり方で通ってしまうならば、それは住民の意思を尊重する民主主義の否定であり、住民自治の自殺以外ではありえない。

市長が住民投票を避けたいこともある

 旧久喜市で2004年に、自治基本条例がない中で住民投票が行われて『合併反対』が多数を占めたのであったが、あの時には市長と議会多数派は『合併賛成』が多数を占めるであろ
うと判断し、住民自治を尊重する理念を当時はまだ持っていたことから、住民投票を実施したのであった。

 しかし当時の市長と議会多数派にとって不幸なことに、その読みははずれて、市長の合併方針は住民投票で少数の支持しか得られなかった。

 市長と議会多数派はその苦い経験から、2009年の合併協議においては、またまた市民の多数は『合併反対』であるかも知れないという恐怖心を抱いて、住民投票から徹底して逃げ
たのであった。

 この時点では自治基本条例で「住民投票」が規定されていて、市にとって合併以上に重要な事案があろうはずもないのに、自治基本条例における住民投票の規定が「個別型」であった
がゆえに、市長は住民投票をやらないですませることができたのである。

 つまり、「個別型」の規程であれば、住民投票をやるかやらないかは“市長の胸先三寸”で決めることができるのであって、ということは、「市長が、住民投票を行うことができる」
という「個別型」の規程は、市長がやりたくないと思えばやらないですませることができる規程なのである。

 市政にとって重要な問題であって、市長が、市民の多数の支持を得ているかどうか自信が持てない事案であれば、「市長が住民投票を行うことができる」という「個別型」の規程は、
市長が住民投票を「行わないこともできる」、と解釈できて、結局は、市長が住民投票を行わないことを正当化できる規程であるといって過言ではない。



2011年5月17日 (火)
自治基本条例で、住民投票はどう扱われるか(1)



 5月15日に、「久喜市自治基本条例策定 市民ワークショップ」が開かれたので、参加してきた。
 このワークショップは、自治基本条例策定に向けて、市民が直接に意見を出すことができる参画の場として設置されていて、昨年からすでに6回開かれていて、この日が7回目であっ
た。

 これまでは市民の意見交換の場として行われてきたが、そろそろ最終局面に近づいていて、一方では市民ワークショップからの提言書のまとめにも取りかかっている。

 この段階で、議員との意見交換も行いたいということで、3月に議員への参加呼びかけがあったのだが、大震災の影響で、2か月間延期されていた。

 この日の議員の参加は、猪股、石川、春山(以上、政策会議)、無会派の田村の他、共産党の4名(木村、杉野、石田、渡辺)、公明党からは2人(戸ヶ崎・岡崎)の10名で、飛翔
からはたいへん残念ながらだれも参加していなくて、終わりごろに梅田議員がちょっと顔を見せただけだった。

 自治基本条例の策定作業としては、今後、市の庁内の検討会議や、自治基本条例策定審議会で検討を進め、9月議会に議案として提案される予定になっている。

 市民ワークショップはテーマごとに5つの検討グループが設定されていて、(1)「参加・協働」グループ、(2)「コミュニティ」グループ、(3)「行政」グループ、(4)「議
会」グループ、(5)「条例の実効性担保・運用、住民投票」グループで、それぞれ検討を続けてきた。

 この日は、参加した10人の議員もそれらの5つの検討グループに分かれていっしょに議論に加わったのであるが、私は第5グループの「条例の実効性担保・運用、住民投票」グルー
プに入った。

住民投票をどのように規定するか

 この日までに「提言書」の起草委員会によって「提言書 素案」が提示されており、その記載にしたがって検討をしていった。

 条例の実効性担保・運用についての論点は、検証および見直しの組織の設置とその運用で、学識経験者の位置付け、また「年1回の定例会」で実質的な検証が可能かどうか。

 また住民投票に関わる論点は、自治基本条例に住民投票の規程を盛り込む場合、「常設型」とするか「個別型」とするかである。

 「個別型」は、市長が、市政に関わる重要な事項について住民投票を実施することができるという規程であって、住民投票を実施するかどうかはその都度市長が判断する。

 「常設型」は、市政に関する重要な事項について、市民から住民投票の実施請求があった場合に、市長は住民投票を行わなければならないという規程である。

 すでにこれまでのワークショップにおいて、「住民投票グループ」からは「常設型」の規程を盛り込むべきという結論が出ていたので、当然に提言はその方向になるものと考えられて
いたが、実際にはそうもいかないらしい。

 提言書起草委員会の中で、「住民投票」グループの出した結論である「常設型」に対して異論が出されたり、第5グルー以外の他のグループの意見を聞くことにされたりして、「提言
書」の表現としては「個別型」や「両論併記」にしてはどうかという方向性が提示されてきているという。

 実際、この日に全部の5つのグループで検討の俎上に載せた結果、2つのグループが「常設型」でいくべきという結論だったのに対し、1つのグループは「個別型」、1つのグループ
は「両論併記」、1つのグループは結論に至らずという報告がされたのであった。

 どうも久喜市自治基本条例の規定としては“常設型危うし”という感じになっているように見えるのだが、私はこの日の議論を聞いていて、その議論の経過そのものに疑念を抱かざる
を得なかった。

 というのは、市民ワークショップの中で、住民投票について専門的に時間をかけて調査研究を進めてきた検討グループが「常設型にすべき」という結論に至ったのにもかかわらず、こ
れまで主にはその議論をしてこなかった他のグループからの異論によって、専門的検討グループの結論が否定されるかもしれないという“違和感”である。

 市民ワークショップとしては、提言書の作成を進めるに際しては、グループごとの検討経過と結論を“尊重”するというのが普通ではないかと思ったからである。

 もちろん市民ワークショップの結論が出たからといって、それをそのまま条例案に乗せるかどうかはまったくの別問題であって、条例化にあたっては「提言書」を受けた市長(行政)
と策定審議会の判断に委ねることになるのだが、その前の段階で、市民ワークショップの提言書を作成している過程で、検討グループの検討経過と異なった方向になってしまうというの
はなぜなのか。

コンサル会社の役割は?

 自治基本条例の策定にあたって、市はその検討過程をコンサルタントに委託していて、ワークショップの司会や各グループの進行役もコンサルタントの職員が担っていたのだが、その
進め方で実はもう一つ“違和感”があった。

 それは住民投票について5つのグループで検討する際に、4通りの選択肢が示されて、
 第1パターン 「常設型」
 第2パターン 「個別型」
 第3パターン 「両論併記」
 第4パターン 「住民投票の必要性だけを記載する」
の中から一つを選ぶことになった。

 それぞれのグループが4つのパターンの内から『一つを選択する』というやり方自体、討論によって煮詰めていくよりも、グループ間の多数決によって結論を出すということになりか
ねないから、ワークショップという手法に似合わないのではないかという、これも私の感じた素朴な違和感である。

 そして先にも書いたように、2つのグループが第1パターン、1つのグループが第2パターン、1つのグループが第3パターン、残る1つのグループは結論に至らなかったと報告され
たのであるが、最後のまとめの発言をしたコンサル職員は、“結論に至らなかった”グループに対して、「住民投票の必要性は認めたということでいいですね」と何度も念押しをしてい
た。

 そのグループは4つのパターンのいずれの結論にも至らなかったのであって、第4パターンとは明らかに異なるはずだが、それを第4パターンの表現に誘導しようとしているように見
えたのであるが、はたしてどうなのだろう。



2011年5月10日 (火)
議会は短い方がいいのか? (3)



「職員の議会対応で、市民サービスに支障が出ている」って?

 2月議会最終日に副議長になった梅田議員が、自分のブログで「久喜市役所は職員の議会対応の負担が大きすぎ、市民サービスの提供に支障が出ていると考えます」と書いている。

 これはいったいどういう意味か、これが事実かどうかあやしいものだが、本当に、職員が議会に対応するために市民サービスを犠牲にしているとしたら、重大な問題であると言わざる
をえない。

 まずは梅田議員が言う「職員の議会対応の負担が大きすぎ、市民サービスの提供に支障が出ている」の事実関係と、仮に、そのような事実があるとしたら執行部がその原因と責任をど
う考えているのか、その見解を明らかにしていただかなくてはならぬ。

 もしかしたら梅田議員が「職員の議会対応の負担」と書いているのは、職員が一般質問や議案質疑の答弁を調整するための負担が大きいということをいっているのだろうか。

 しかしそもそも議会は市長と行政に対するチェック機関として存在しているのだから、議員からの質問や質疑の通告に対しては執行部(担当課)内部で十分に検討するのは当然である
はずで、そのことで市民サービスの支障が出ているというのとはまったく別問題である。

 それらの議会対応のために、「市民サービスの提供に支障が出ている」などということはあってはならないし、もしも本当に支障が出ているとすれば行政内部の仕事や人員の配分が悪
いか、あるいは管理職の能力に問題があるといわざるをえないのであって、支障が出ないようにするのは執行部の責任である。

 本当に市民サービスの遅れや停滞があって、その口実として市民に対して「議会対応が忙しいから」という言い訳が使われているとしたら、これは久喜市行政の許しがたい怠慢あるい
は市民に背を向けた行為というしかない。

 あるいは本会議や委員会がある日に、担当課の職員が総出でかかりきりになってしまうとかいうことがあるとしたら、市民に対応できないほどにカラッポにしてしまうことの方が問題
だし、そうしなければ議会に対応できない管理職の資質に問題があるか、あるいは職員の人事配置に問題があるということになろう。

 別に議会が開かれているときでなくても、たとえば、税金の申告時期には税務課や収納課は大忙しであるが、それだからといって通常の税務行政や相談に対応できなかったり後回しに
するなどということは許されまい。

 また課長が国や県との折衝で出かけていてすぐに判断できなかったりすることがあったとしても、そうした場合に通常の業務が確保できる体制を作っておくのがあたりまえではないか


 いかなる場合であっても市民に対して、「議会対応が忙しくてできない」とか「○○の対応で忙しいからあなたへのサービスはできません(遅れます)」などというような言い訳をし
て、サービスの停滞を正当化するなどというのが許されるはずはなかろう。

 梅田議員が、会期が長いから職員が議会にしばられて市民サービスが低下していると言いたいのだとしたら、それは間違いで、久喜市議会は通算の会期は長いが会議開催の日数は他の
議会とほとんど同じなのだから、各課の職員が議会によけいにしばられているなどということはない、−−これについては昨日の「久喜市議会の会期が長いのはなぜか(2)」で書いた


 それにしても議員の中から、議会が長すぎる、もっと短くしろと言う声が出てくるということは、議員が議会にしばられる時間をもっと短くしてほしい、議員は片手間仕事で副業程度
で十分にできるという認識に立っているのだろうか。

会期が長いこと自体が悪いわけではない

 久喜市議会の会期が長すぎるという苦情をいう議員は、しかし長いことで何が問題なのか、会期が長いことが悪いことなのかの説明はできない

 久喜市議会の通算の会期が長いとしても、実際に本会議を開いている日数、委員会の述べ開催日数は他の市議会とあまり変わらないのだから、それで行政の負担をいたずらに増してい
るわけではありえない。

 むしろ、議員が行政に対して政策提案などを行う場合、個々バラバラに担当課に出かけていって交渉したりするよりは、議会の会議の中で取り上げて正式に答弁してもらうやり方の方
がよっぽど効率的であろう。

 中には市長に直接に話をして、「部下に検討させます」という言質を取って議会の場では取り上げないというようなやり方をとる議員もいると聞くが、それは市民に見える公開の場で
政策論議を深めるという議会のあり方とは異なる。

 したがって、議員はもっと議会での質疑・質問の場を活用して、市の政策を前に進めることを追及すべきであるから、そのための本会議や委員会などの議会の場は保障されなければな
らない。

議会改革の方向性は

 久喜市議会も他の多くのほとんどの地方議会も、年4回の定例議会制になっているが、全国的な議会改革の流れとしては、議会を短くしていくのではなくて、“通年議会”という方向
性が出てきている。

 たとえば1月に開会して、翌年の12月末に閉会する、その間にこれまで通り4半期ごとに議案を提案して審議を求め、一般質問の機会も年4回を保障するという仕組みで、さらにこ
れまでのような臨時議会の手続きを取ることなしに、市長はいつでも議案を提案して審議を求めることができる、議員はいつでも招集に応じなければならないという制度である。

 これまでだと議員は年4回の議会にだけ対応して、後はいわば“お休み”であったのだけれど、それでは議員の責任は十分には果たせないという問題意識が、そこにはある。

 一つだけ、議会の会議が長すぎる、短時間にして、会期ももっと短くした方がいいという人は、議会なんてものはあまり議論しないでさっさと終わらせた方がいいということになるの
だろうか、素朴な疑問である。




2011年5月 9日 (月)
“久喜市議会は会期が長い」って? (2)



 久喜市議会は「議案調査」の日程を確保している

 久喜市議会の通算会期が長くなっているもう一つの理由は、日程を余裕を持って取っていることである。

 議会は政策論議を深め、議案審議を十分に行うことがいわば“使命”であるから、本会議の合間には休会日を設けていて、普通はこれを「議案調査日」と呼んでいる。

 久喜市議会の日程の基本的な組み方は、定例議会初日に議案の上程と説明が行われたら、その後に1〜2日の議案調査日を置いて、市政に対する一般質問に入る。
 一般質問終了後に1日置いてから議案に対する質疑を行い、さらに1日置いて委員会を連続して開催する。

 議員は定例議会ごとにまず一般質問に全力投球するから、その前にせめて1日は調査活動や原稿作成に集中する日を置くことと、その後にも日を置いて議案についての十分な調査を行
った上で質疑を行う必要がある。

 同じことは執行部にも言えるのであって、執行部の職員も一般質問前にはその答弁原稿づくりに集中していて、その後で議案質疑の答弁原稿づくりに入るから、1日くらいは空けてほ
しいというのが執行部の希望でもあった。

 委員会が終了した後、最終日の本会議を開くまでに5日間〜1週間を空けることになっているのであるが、これは委員会のテープ起こし(民間業者への委託)にかかる時間である。

 議案の採決を行う最終日までには、会議録のアラ原稿くらいは整理しておいて、議員はそれに基づいて賛成・反対を決める、実際にはほとんどの賛否はすでに決まっているとしても、
細かい委員会の審査記録を確認した上でないと判断できない問題もあるし、委員会の審査報告を見た上でその議案に対する修正案や付帯決議を提出した経験もある。

 ある市の議員さんと話した際に、その市では委員会は同じ日に同時開催していて、なおかつ委員会が終わって2日後くらいに最終日の本会議を開いて採決を行う、議員が他の委員会に
おける議案審査を把握していないと聞いて、それで議員が市民に対する責任を果たすことができるのかと疑問を持ったものである。

 「1日1委員会制」や「議案調査」の日程を確保して議案審査や政策審議をできるだけ深めていこうという久喜市議会の日程の取り方に対して、『議会会期は短い方がいい』と言う人
たちは、議案調査の日程を切りつめてかまわない、議案審査の充実よりも“議会の効率性”の方を重視するのだろうか。

 それを議会の側から言い出すとすれば、市長のチェック機関としての議会、政策審議・立案機関としての議会の自己否定ではないか。

議員の一般質問を保障している

 もう一つ、あえて書いておくとすれば、久喜市議会では「市政に対する一般質問」をする議員がたいへん多くて、合併後はほぼ毎議会とも30名前後であったから、そのために本会議
4日間は必要である。

 春日部市議会では久喜市議会と同じく4日間確保しているけれど、他市の議会では人数制限をしている議会もあるが、それは本来の議員の権利としての議会での発言をしばることにな
るから、そのような方法をとるべきではあるまい。

 近隣の町議会などでは4〜5人というところも多いらしい、久喜市と合併前の3町の議会ではやっぱり少なくて、毎議会の一般質問をする議員は数人で、1日ですんでしまうことも多
かったらしい。

 合併して新久喜市議会では議員の質問権を保障して、そのために4日間の一般質問の日程を確保しているのだから、その分、会期が長くなるのはいわば当然と言える。

会期の検討の余地はある

 ただし、会期日程の組み方に改善すべき点がないかと言えばそうでもない。

 たとえば、2月議会は2月7日に開会して、初日に市長が施政方針演説をして、20日の日曜議会の日まで約2週間を「議案調査日」とした。

 20日には施政方針に対する各会派の代表質問が予定されていて、その質問通告の締め切りが10日だった。

 その後の10日間は議員の調査活動を保障するためにではなくて、執行部内部で市長の答弁原稿を調整するために、担当課に質問事項を割り振って答弁の素案を書かせてから幹部会議
で検討して答弁原稿を完成させるのに要した日数が10日間だったということになる。

 私の感覚としては、予算編成方針や市長の施政方針演説を作成する過程で、各会派の代表質問に答えられるだけのものを、市長と執行部は十分に持っているはずであって、施政方針演
説から代表質問までの間隔は1週間くらいで十分ではなかったかと思っている。

 こうした日程を一つ一つ検討していけば、久喜市議会の会期をもう少し短くする余地はあるかも知れない。



2011年5月 8日 (日)
“久喜市議会は会期が長い”のはなぜか(1)



 これから久喜市議会の活性化を目的とした議会運営についての検討協議が始まることになっている。

 その話し合いで問題にされそうなのが久喜市議会の会期の長さであるが、以前から、一部の議員たちから「久喜市議会の会期は長すぎる」という、文句というか苦情というかの声が漏
れ聞こえてきていた。

 久喜市議会の昨年11月議会の会期は11月24日〜12月21までの31日間、その内、本会議7日間、委員会5日間であった。
 今年の2月議会は2月7日〜3月18日までの40日間、その内、本会議8日間、委員会7日間である(実際には震災の影響で委員会が1日増えた)。

 ここでは春日部市議会と比較してみる。

 春日部市議会の昨年11月議会は11月29日〜12月17日までの19日間、その内、本会議8日間、委員会1日間、今年2月議会は2月21日〜3月18日までの26日間、本会
議が9日間、委員会は2日間である。

 議員が全員出席しなければならない本会議の開催日数はほとんど変わらない(春日部市議会の方が1日多い)が、大きく違うのは春日部市議会では委員会を1〜2日間しか開いていな
いことである。

 実は多くの市議会や町議会などでは委員会を1日とか、せいぜい2日間しか開いていないところが多いのだが、これは通常は3つか4つくらい設置されている常任委員会を1日で同時
に開催しているからである。

 久喜市議会では4つの常任委員会が設置されていて、10年以上前までは1日に2委員会ずつ開いていたのだが、現在では1日1委員会を原則にしている。

 つまり、本会議と委員会の述べ開催日数はあまり変わらないのだが、春日部市議会などは委員会を同時にいくつも開いているから、短くてすんでいるということになる。

なぜ久喜市議会では委員会を同時開催しないのか

 市議会で審議される議案はすべて、本会議で“大綱的”な質疑を受けてそれぞれの議案の基本的な問題について審議された後で委員会に付託され、より細かく専門的な審査を行って、
最終日の本会議に報告されることになっている。

 その際、個々の議案について、付託された担当委員会の委員だけで完全十分な審査ができるとは限らなくて、その委員会に所属していない議員の中にもその議案に精通している議員が
いることもあるから、これまで久喜市議会では委員会の所属していない議員の発言もいわば“補足的に”認めてきた。

 他市などでは委員会に所属していない議員の発言はいっさい認めないという市議会も多いのであるが、久喜市議会では、それぞれの議案について、議論を深め、より充実した審査を進
めるためには、できるだけ多くの議員の意見を取り入れた方がいい、そのためには委員会を別々の日に開催して、関心のある議員が全部の委員会を傍聴できて、必要があれば発言もでき
るようにしておこうという考え方である。

 また最終日の本会議で各常任委員会の審査報告が行われた際に、以前は、他の委員会を傍聴できなかった議員から、審査内容について事細かく質疑があったりもしたのだが、1日1委
員会で全部の委員会を傍聴できるようになってからは、そのような質問をする議員もいなくなった。

 もう一つの理由は、市民の傍聴者への配慮であって、以前は市民も1日に1つの委員会しか傍聴できなかったのだが、現在では関心のある議案が審査される複数の委員会を傍聴できる
ようになった。

 数年前から全国で進んできた議会活性化、開かれた議会への取り組みの中で、この“1日1委員会制”や、委員会の所属委員以外の議員も発言を認める議会が増えてきているのである







2011年4月23日 (土)
久喜市の防災メール配信の姿勢



 久喜市では防災無線の放送内容をメールでも配信しているが、3月11日の大震災以降1か月間、どのようなメールが配信されたか。

 3月11日から1か月間の防災無線の放送=メール配信の件数が全部で44件であった。

 その内、12日までの2日間で、地震発生、水道の断水、ガスの停止、停電のお知らせ、それらの回復や復旧のお知らせ、さらに鉄道不通のお知らせなど、震災そのものに関わるメー
ル配信が13件。

 その後、1週間くらいの間に、屋根瓦の崩落に対してブルーシートの配布と終了、停電に関わる水道断水のお知らせ、ごみ出しのお知らせ、医療機器の注意等が7件。

 計画停電のお知らせは17件あったが、これは3月25日で終了した。

 その他に、大震災に直接関係はないが、火災、行方不明者のお知らせ、振り込め詐欺の注意などは7件あった。

 私はお隣の加須市の防災メール配信「安全安心メール」に登録して受信しているが、同じ1か月間で、久喜市の防災メール配信との姿勢の違いを痛感させられた。

 まず大きく違ったのは加須市からは計画停電に関するものだけで48件のメールが届いたことである。

 加須市における計画停電の予定地区、時間、計画停電の中止などについて、実にきめ細かくお知らせがされていて、市民にとっては本当に安心できるように感じた。

 また計画停電が予定されていても、実際には中止されて停電しない日も多かったのであるが、加須市ではその場合には必ず前日か当日朝に、「計画停電は中止されました」というお知
らせを流していた。

 それに対して、久喜市の防災メール(防災無線)では“中止”のお知らせはいっさい流されることはなかった。

 それともう一つ、計画停電は4月8日で終了となったのであるが、加須市の安全安心メールではその日に、
 「今後は東京電力が計画停電を実施する場合にのみ安全安心メールを配信することといたしますので、引き続き安全安心メールの情報にご注意いただきますようお願いいたします。
 なお、可能な限り情報が入り次第配信いたしたいと存じますが、電力の需給状況によっては、直前になることも想定されますのでご承知おきください。」
というメールを配信していた。

 久喜市ではどうだったかというと、計画停電に関するお知らせはすでにとっくの以前、3月25日でおしまいになってしまっていて、その最後のメールは、
 「これから第2グループの計画停電が実施されます。なお計画停電の放送は、今回をもって中止します。今後は、テレビ、新聞などでご確認ください。」
というのであった。

 加須市の安全安心メールが計画停電の最後の日まできちんと市民に知らせていることと、その最後のメールで“今後は計画停電が実施される場合にお知らせします”と、市民にできる
限りていねいに情報を流そうという姿勢が見られるではないか、これは情報提供を通じた市民生活へのきめ細かい配慮でもある。

 それに対して、久喜市ではまだ計画停電が続いていた3月25日に市民へのお知らせをやめてしまって、“今後は自分で確認してください”というのである。

 市民への情報提供に関わるこの姿勢の違いは、どう考えたらいいのだろう。









2011年4月 7日 (木)
謀略的デマ宣伝、そこまでやる!?



 最近、近所に議会報告『声と眼』を配布していたら、市民から「幸手県道の車止めの石を撤去させたのは猪股さんだって聞いたけど、本当ですか」と聞かれた。

 以前は歩道に大きな石が設置されていたのが、2009年5月に撤去された。
 あの時もちょうど『声と眼』を配っていて、住民から「いま、撤去工事してるけど何ではずしてしまうのか」と聞かれて、行ってみたら、すべてはずされた後だった。
 あの石があったおかげで、歩道や店舗に車が突っ込むのを免れたりしたこともあったし、信号待ちのお年寄りがちょっと腰掛けたり、けっこうあの石は役立っていたのだが、それを一
方的に撤去されたので、住民からは不信の声もあがっていたものだ。
 私も、「なぜ撤去してしまったのか」と、市役所に問い合わせに行ったりした。

⇒ 2009年5月、猪股のブログ記事

⇒ 石があったときの状態

 それが逆に、“猪股が撤去させた”という話になっていたとはうかつにも知らなかった。

 教えてくれた方によると、昨年の市議会議員選挙の頃に、旧久喜市のある議員から「猪股さんが圧力をかけてはずさせた」と聞かされたという。
 実はその後、他の人からもそれらしい話を聞いたから、かなり組織的かつ意図的に猪股の悪口を言いふらして回っていたものらしい。

 昨年の市議選の前という時期を考えれば、選挙で猪股の評判を落とすことを狙った卑劣な“謀略”的戦術であったろう。

 それがある程度はウワサとして広がり一部の市民に信じ込まれてしまっていたようで、効果はあったわけだ。

  “そこまでやる!?”って感じで、普通の市民の感覚、普通の議員の感覚ではとうてい考えられないことではある。




2011年4月 1日 (金)
『市民が見ていると発言しにくい』から非公開にした



 3月16日に久喜宮代衛生組合議会が開かれて、一般質問が行われた。
 私と宮代選出の1人の議員と、共産党の久喜と宮代2人の議員が質問に立った。
⇒猪股の質問内容はこちらをご覧ください。

 共産党の宮代の議員が質問の中で、「ごみ減量化推進審議会の会議が秘密会で行われたと“ウワサで聞いた”が本当か」と聞いた。

 私は思わず「秘密会でなんてあるわけがないだろう」とヤジを飛ばしてしまったのだが、執行部が「非公開で行われたのは事実です」と答えたので、絶句してしまった。

 執行部の説明によると、「合併前の地区によって異なっている粗大ごみの収集手数料を統一する諮問をしたが、委員の中から公開では発言しにくいという意見が出て、非公開で審議を
進め、手数料の金額を決定した」という。(その日の議事録も非公開)。

 この日は共産党の議員もそれ以上追求しないで、そのまま終わってしまったが、こんなことを放置しておくわけにはいかないので、29日に開かれた衛生組合議会の2日目、議案質疑
の中でこの問題を取り上げた。

 久喜市には合併前から「審議会等の公開に関する条例」があって、個人情報に関するものなどを除いては原則としてすべて公開とすることになっていて、合併後も引き継がれている。
 宮代町や衛生組合にはこの条例はなかったが、当然のこととして、審議会等は原則公開であった。

 現に、今久喜市で開かれている水道審議会や国保運営協議会なども、水道料金や国保税の額を審議しているが、当然ながらすべて公開で傍聴者の前で審議が進められていて、市民の前
では発言しにくいから非公開にしたなどという例を未だかつて聞いたことはない。

 市民の負担をいくらにするかを審議するのに、市民がいては意見を言いにくいからという理由で非公開(秘密会)にすることが許されると思う思考方法がおかしい。

 あからさまに言えば、非公開を要求した委員さんたちは、市民に知られさえしなければ市民負担を高くしろと主張できるけれど、自分がそれを言った事実を市民に知られたくないとい
うことである。

 そもそも、審議会の委員の身分は“非常勤・特別職の地方公務員”として報酬を受け取って、行政の政策に係わる意見を言い、行政はそれを政策決定に反映させるのであるから、審議
会委員は市民生活に責任を負う立場である。

 非公開にして市民に見えないところで無責任に何でも言ってよいというものではないのであって、その発言については市民に対して責任を負っていただかなければならない。

 執行部からは、非公開を求めたい員さんたちをかばって、「委員の中には気の弱い人もいて、傍聴者が見ていると意見が影響されかねない」というような説明もあったが、この答弁に
は議場からも失笑が漏れていた。

 ごみ行政に関する自分の意見を市民の見ている前で堂々と言えない、市民に対して責任を負えないような人は委員就任を引き受ける方がおかしいし、そのような無責任な人を選任した
方が間違っている。

 そのような人たちを委員に委嘱し、非公開にしてほしいという要求を唯々諾々と容認してしまって、「それはできない」とはっきりと指導しなかった事務局、ひいては管理者(久喜市
長)の責任と見識さえ問われると言わざるをえない。





2011年3月31日 (木)
議長職は単なる名誉職でいいか



 最大会派である飛翔は、人事を分け合うことを手段として会派のまとまりを保っているように見える。

 3月18日に行われた議長交代の茶番劇などはその一つのあらわれに過ぎないのであるが、4年間で議長と副議長を会派の中の地域割りと年功制で順番に回すことになっているという


 順番に回ってくるしくみだから、後の方に議長や副議長に就く約束になっている議員は会派の統制に当然のこととして従うわけで、実にうまい方法だと感心するほかない。

 地方自治法104条では議長は「議会を代表する」と規定していて、その任期は103条で「議長及び副議長の任期は、議員の任期による」、つまり議会の解散や議員辞職がない限り
「4年」と明確に定められていることなど、議員はだれもが知っている(はずだ)。

 しかし最大会派にとっては地方自治法の規定などお構いなし、たとえ1年(今回の山田議長と鈴木副議長の場合はわずか10か月)でも議長という役職に就ければそれで満足、たらい
回しの大量生産して恥じないほど議長という役職には魅力があるらしい。

 そうしてその議員心理を利用して、会派をまとめるメリットもまたあるということになろう。

 しかしいま問われているのは、地方自治の「二元代表制」そのものである。

 日本国憲法に基づいて、日本の地方自治は首長と議会がともに住民を代表する「二元代表制」であって、直接選挙によって選出される一人の首長と、やはり住民から直接選挙された複
数の議員で構成する議会が、相互の抑制と均衡によってある種の緊張関係を保ちながら、議会が首長と対等の機関として並立する。

 二元代表制の下で議会は、自治体の運営の基本的な方針を決定し、その執行を監視し、また政策形成を進めていく、大きな権限を持っているのであって、そのためにも議長は名実とも
に議会の代表者でなければならない。

 それに対して、議長の1年交代、たらい回しで大量生産ということは、現実の議長は単なる“オカザリ”の“名誉職”にすぎないことをみずから吐露するものと言うしかない。

 実際、合併前の旧久喜市議会で、当時2年を経過した議員に対して、別の“適齢期”を過ぎた議員を立てて交代を求めた議員グループは、「事務局さえしっかりしていれば、議長なん
てのはだれでもできる」と言い放った。

 そんなふうにして大量生産された議長では、二元代表制の一翼であるところの議会を代表して市長と対峙する、なんてことはできるわけもないし、二元代表制を口にすることさえ恥ず
かしいではないか。

 新しい議長さん、新しい副議長さん、来年、再来年に順番が回ってくるのを待っている議長候補や副議長候補のみなさんに、議長職は単なる名誉職でいいと思っているのか、ご自身が
1年交代の名誉職としての議長や副議長で満足なのかと問うてみたい。

⇒関連記事 猪股のホームページ「1年交代たらい回しの発想」







2011年3月27日 (日)
お祝いのことば−−久喜東中学校卒業生のみなさんへ



 3月15日に行われた久喜東中学校卒業式でも、私が「お祝いのことば」を述べさせてもらった。
 24日に行われた青毛小学校の「お祝いのことば」を掲載したので、やはり中学校のお祝いも掲載しておこう。
 なお、東中学校の学区内には私を含めて3人の議員がいて、卒業式、入学式、運動会など交代でお祝いを述べさせてもらうことになっている。
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 紹介いただきました、猪股です。
今日は、宮崎議員、斉藤議員といっしょに出席しておりますが、私が代表してごあいさつさせていただきます。

 久喜東中学校の卒業生のみなさん、保護者のみなさん、卒業おめでとうございます。
 178名の卒業生を送り出そうとしている校長先生、先生方、おめでとうございます。

 みなさんの、中学校3年間はあっという間に過ぎたでしょうか。

 ここで生き、成長してきて、勉強、部活動、友情、そして受験勉強、楽しかったこと、苦しかったこと、みんながそれぞれの思い出を持つことができたと思う。

 人間が生きるということは、人間と人間の関係の中で自分を磨き発展させていくということです。中学校の3年間を糧にして、さらに自分自身を磨いていってください。

 いま、皆さんは、青春時代のまっただ中に生きています。
 青春時代を精一杯に生きることで、、この世に一人しかいない自分を、磨くことができる。
 今を精一杯に生きることで、後で振り返ったときに、後悔しない人生を送ることができる。

 時々は、自分を振り返ってみてほしい。
 自分はこれまでに何をしてきたか、この3年間に何を得たのか、自分はいま何者であるか、どこへ向かおうとしているのか、立ち止まり立ち止まり、振り返り振り返り、自分の歩いて
きた道と、行く先を見つめ直しながら、その時々に、後悔しない、自分のできる精一杯のことをしていってほしい。

 皆さんの進路の道筋は、これから大きく分かれていくことになる。

 しかしその先に、それぞれの価値観に基づいた、一人一人の青春を開くことができるのだということを、信じて歩み続けてください。

 今 ……、東北の地で、大震災の中で、苦闘している人々がいます。
 望まずに命を落としていった人々がいます。
卒業式を迎えられなかった仲間がいます。その人たちの今に思いを馳せて欲しい。
 
 みなさんは生きている。生きているからこそ、こうして卒業を喜び合うことができる。生きているということは、未来がある、未来に希望を抱いて歩いていくことができる、その喜び
をかみしめて欲しい。

 もう一度、卒業おめでとうございます。
 皆さんのまっすぐな顔に、心からのお祝いを申し上げます。




2011年3月24日 (木)
お祝いのことば−−青毛小学校卒業生へ−−



 3月24日、地元の青毛小学校の卒業式に、来賓として出席し、議員としてお祝いのことばを述べさせていただきました。
 以下は、私のお祝いのことば(原稿)です。
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 青毛小学校の卒業生のみなさん、保護者のみなさん、卒業おめでとうございます。
 87名の卒業生を送り出そうとしている校長先生、先生方、おめでとうございます。

 卒業生のみなさん。
 みなさんは、6年間、一つ一つの階段を上ってきて、今日はその最後の段に立って、今、大きな扉を開こうとしています。

 人間が、動物と違って、人として生きるというのはどういうことか、成長するというのはどういうことか。
 人間は自分でものを考えて行動する生き物ですから、自分なりの目標を立てて、その目標に向かって計画を立てて、自分の意思で、一歩一歩進んでいくことができるんです。

 ただ、自分の目標を立てて、計画を立てて進んでいくといっても、始めから目標がはっきりしている人はいません。
 自分の目標は何だろうか、自分は何をしたいんだろうか。
 自分はどこへ向かって進むんだろうかと考える、それを考えることができるのも人間だからこそですなんです。

 今、みなさんは青毛小学校を卒業して、4月からは中学生になる、大人になっていく、その一つの扉を開こうとしています。
 この目の前の、大きな扉の向こうに飛躍して、それからまた、みなさんは一歩一歩、歩んでいきます。
 しかし、みなさんの一歩一歩は、みんなそれぞれに歩幅も違う。速さも違います。
 全速力で走ったり、歩き続けると疲れてしまうから、時々休みたくなったら立ち止まって休んでもいいですね。

 今、一つだけ忘れないでほしい、考えてほしいことがあります。
 それは、東北地方で、大震災と津波でたくさんのお友だちが苦しんでいることです。卒業式どころではない、そんな状態にあるお友だちがたくさんいることです。
 みなさんは、こうして生きている。こうして卒業式を迎えることができた、これはそれだけでもう、本当にうれしくて、ありがたいことなんだと思います。
 みなさんがこれから、何ができるのかを考えてほしい。

 今、この大きな扉を開こうとして、手をかけて、一歩を踏み出そうとして、ちょっと緊張している、みなさんの顔。
 新しい世界に飛び込もうとして、しっかり前を向いている、みなさんの顔。
 希望に向かって進んでいく、みなさんの笑顔、とってもまぶしく感じます。

 その顔を持ち続けられたらいいですね。
 もう一度、卒業おめでとうと言います。



2011年3月11日 (金)
3月11日東北太平洋沖大地震による被害



 地震後、電話もなかなか通じないで、被害の把握も十分にできなかったので、午後6時頃、市役所に設置された災害対策本部に言って状況を聞いた。

 市役所では災害対策1級の対応を取っており、5階に災害対策本部を設置、庁舎では建設部などで全職員、その他の事務部門などで半数の職員が詰めており、手分けして市内の被害状
況把握に走り回っていた。

 市議会事務局から議員あてに送信された19時45分現在、久喜市内の被害状況は以下の通り。

 財政部 職員避難を実施…本庁舎被害なし
     集会所6か所…人的被害なし

 教育部 小中学校では人的被害なし
     上内小で建物被害
     はるみ保育園…一部損壊
 福祉部…人的被害なし
 建設部
  久喜地区 ブロック倒壊2か所
       橋段差2か所
       瓦・屋根損壊 27か所
  鷲宮地区 ブロック倒壊1か所
  栗橋地区 南栗橋で地盤液状化により、道路の隆起・通行止
    南栗橋12丁目、11丁目、4丁目などで6か所

 JRが全面的に不通のため、乗客が駅にあふれる状態

 火災 0件
 救急 5件

 避難場所で、自主的避難者を収容
  久喜北小 50〜60人
  桜田小・東鷲宮小 新幹線が東鷲宮駅付近でストップしたため、乗客600人を受け入れ、また東鷲宮駅の在来線乗客50人を鷲宮東コミュニティセンターへ受け入れる予定
  栗橋公民館、中央公民館、菖蒲公民館、久喜総合体育館などで避難者、帰宅困難者を受け入れ、久喜市商工会でも帰宅困難者を受け入れ

 水道は県水の供給がストップ、減圧しながら送水
  (にごり、量不足がある)
 あちこちで水道管の破損があるため、水道の出が悪い

 久喜地区 古久喜付近で断水

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なお、これと別に、

 介護福祉課長の話では、市内の高齢者入所施設に確認したところでは、ケガなどの被害はなしとのこと。

 午後8時頃、ふれあいセンターに立ち寄ったところ、社会福祉協議会の情報では、社会福祉協議会で独自に把握している“要援護者”について、1人ずつ確認に回った結果、被害はな
いとのこと、ただし不安のある2〜3人がふれあいセンターに避難しているとのことであった。




議員はパソコンで何を見ているか(2)



 傍聴席から見ていると、いつも会議中にパソコン操作をしている議員が何人かいて、いったい何を見ているのか、まさか会議に関係ない画面を見ているわけじゃあるまいか、と考えて
、自分で確かめてみようと思い立った市民はどうしたか。

 2月23日、ある市民の方が、自ら望遠鏡を持参して、本会議開会中に件(くだん)の議員たちが開いているホームページを確認しようとし始めたものだ。

 それでどうなったか、その市民の方は『傍聴者の声』にこう書いている。

          -------------------------------------------

  昨日も何人かの議員がパソコンを作動させており、何をしているのかと、何人もの傍聴の方が問題視しておりました。
今日は朝からパソコンを動かしておりましたが、後ろから見ているせい?で、久喜市のホームページの画面でした。
また○○議員と●●議員の両名は9時50分からパソコンの電源を落としており、操作をやめていました。
しかし議長から、傍聴席から“望遠鏡”をしようしないようにとの指示が出ました。
さっそく、11自20分から●●議員のパソコン操作が始まりました。
 議席にいる議員は公務であります。
傍聴席から写真を撮ることを許可している議会もあります。
見られて困ることを公務中、しかも本会議場の会議中にする方が問題なのだと考えます。

(原文の通り。○○議員、●●議員のところには実名が書かれているが、引用にあたって伏せ字としました。)、

          -------------------------------

 さて、件の議員はいつも、どんなページを見ていたのだろうか。
(議会が貸し出している議員用パソコンだから、インターネット履歴を見ればすぐにわかるのだが、勝手に見るわけにもいかぬ)。

 なお、この日は私も本会議場の議席で自分のパソコンを開いてはいたが、一般質問のやりとりを聞くのに集中していて、そんなひと悶着があったとはまったく気付かなかった。

 なお、傍聴席に“望遠鏡”(双眼鏡?)を持ち込んではならないという規則はどこにも存在しない。

 《久喜市議会傍聴規則》を参照してみる。

第9条 傍聴者の責務には、「傍聴者は、会議の進行の妨げになる行為をしてはならない。傍聴者は、他の傍聴者の迷惑となる行為をしてはならない」とあるが、望遠鏡の使用は会議の
進行の妨げにもならないし、他の傍聴者の迷惑となる行為でもありえない。

 また第10条には 撮影及び録音等の承認には、「傍聴者は、傍聴席で撮影又は録音を行うときは、あらかじめ撮影又は録音承認申請書を提出し、議長の承認を受けなければならない
」とはあるが、望遠鏡はただ“よく見るための道具”であって、撮影や記録の手段ではありえないから、これに該当するわけでもない。

 第12条 係員の指示には「傍聴者は、すべて係員の指示に従わなければならない」とあり、13条には「この規則に定めるもののほか、必要な事項は、議長が別に定める」とある。

 議長は市議会において絶対的な議場整理権を保有しているのではあるが、しかしその権限はあくまでも法律と条例・規則に則った、その範囲内のものでしかありえない。

 また傍聴規則の別表には、「人に危害を加えるおそれのあるものを所持し、又は携帯している場合…棒、プラカード及び杖(疾病その他正当な理由がある場合を除く。)並びにこれらに
類するもの、人に迷惑を及ぼすおそれのあるものを所持し、又は携帯している場合…拡声器、はちまき、腕章、たすき、ゼッケン、垂れ幕、のぼり、はり紙及びビラ並びにこれらに類す
るもの、その他 (1) 携帯電話、携帯用音楽プレーヤー及び携帯用ゲーム機並びにこれらに類するもので電源を切っていないものを所持している者、酒気を帯びている者、飲食をしよう
とする者等」は議場に入場させない、または退場させることができるとなっているが、望遠鏡を所持、または使用してはいけないということとはまったく結びつかない。

 したがって、議長が、傍聴者に対して、“望遠鏡を使用しないように”という指示を出したのは間違いであって、そのような法令にも条例にも基づかない恣意的な指示に従う必要はな
かったのだと考える。

 その時、傍聴の市民の方は、職員に次のように問い返せばよかったのである。

 「望遠鏡を使用してはならないというのは、強制ですか。だとしたらそれはどのような法令・条例・規則に基づくものですか?」と。




2011年3月10日 (木)
議員はパソコンをどう使っているか(1)



 久喜市議会では10人くらいの議員が本会議場にパソコンを持ち込んでいる。

 私もその1人だが、たとえば会議中に条令を確認する必要が出てきたときなどに、インターネットから久喜市のホームページに接続して、久喜市の条例・規則・要綱集を開いて読んだ
りする。

 久喜市の条例集は印刷すると厚さ20センチにも達するものであるが、数部を印刷して図書館などに置いてある他は、データとしてしか存在しない。

 議員や職員はもっぱら市のホームページから「久喜市の条例・規則・要綱等」を開いて検索をかけて読むしかない。

 議員の重要な仕事である条例審査などは、この条例集を見ずしてはできないから、議員にとってパソコンは手放せないのであって、本会議場でもひんぱんに活用している。

 また、執行部の答弁を聞きながら、過去の市議会の会議録をインターネットで検索して、以前に質問したときの答弁と引き比べたりもするのだが、これもパソコンあってこそできるわ
ざだ。

 その他にも、法務省のホームページから法律を確認したり、国の各省庁の政策を確認したり、市の地図を開いて、審議対象になっている公共施設の位置を確認したり、久喜市のお知ら
せや『広報くき』の記事を確認したりもする。

 同じ政策会議の石川議員などはタッチタイピングが得意だからすでにパソコンをノート替わりにも使いこなしているようだ。

 私はそれほどタイピングが早くないのでノート替わりとまではいかないが、それでも重要な答弁をパソコンに記録しておいたりするのにも使っている。

本会議中にパソコンで何を見てるの?

 ところが、議場にパソコンを持ち込んでいる議員のすべてがそのような使い方をしているわけではないらしい。

 以前から時々、傍聴者から、『本会議中にパソコンで、議会に関係ないページを開いている人がいるのではないか、動画とか、関係ないと思われる写真とかが見えるんだけど…』と言
われたりすることはあった。

 なにしろ、傍聴者のみなさんは議員の後からみているのだから、議員が会議中に開いている画面も見えてしまうわけで、“何を見てるんだろう”と疑問に思われることがあるのだろう


 それでもその議員が開いているページが、議案や審議に関係あるものかどうかまではなかなか判断がむずかしい。

 それで業を煮やした市民がどういう行動に出たか。

                               《続く》






2011年2月28日 (月)
総合支所長の権限を拡大すべきか



 市議会で、「総合支所長の役割と責任は適正か」という質問があった。
 質問者の意図はよくわからないところもあるのだが、旧3町役場に置かれている総合支所長の権限を拡大するべきだという趣旨のようだ。

 総合支所は菖蒲地区、栗橋地区、鷲宮地区をそれぞれ管轄区域とし、総務管理課、市民税務課、環境経済課、福祉課、建設課、出納係、教育委員会分室、農業委員会分室などが置かれ
ている。

 ただし総合支所長の管理下に入るのはそれぞれの総務管理課だけであって、それぞれの市民税務課、環境経済課、福祉課、建設課は、本庁の市民税務部、環境経済部、福祉部、建設部
の管轄下にある。

 質問者は、「総合支署長の部下は総務管理課だけになっているが、支所長は部長級なのに、部下の数が課長並みに少ないのはおかしい。支所におかれている課は全部支所長の管理下に
置くべきだ」と主張するのである。

 しかし、たとえば福祉行政は久喜市内全域で統一的な対応・手続き・判断決定・行政処分・措置が行われなかればならないから、各支所の市民税務課、福祉課、建設課などの事業を行
う課は直接に(本庁の)部(部長)の管理課に置いているのは、考えてみればあたりまえではないか。

 もしも総合支所の各課を総合支所長の管理下に置くとすると、総合支所長はそれぞれの地区において、市民税務行政、環境経済行政、福祉行政、建設行政など部の枠を超えた総合的な
行政権限を持つことになってしまうが、それはもはや合併前の旧町長の権限に近いか、地区担当の副市長並みということになってしまう。

 またもしそうなると、本庁に置かれているたとえば市民税務部長や福祉部長の権限は久喜地区だけに限られることになってしまって、他の3地区における福祉行政や環境行政の具体的
な行政判断や行政処分がそれぞれの地区ごとに、総合支所長の判断で独立して行われることになってしまうから、市全体の、他の3地区との間で市民税務、福祉、建設行政などとの統一
が損なわれる怖れさえ出てくるではないか。

 そうならないために、総合支所長の権限を拡大しながらなおかつ久喜市全体の行政の統一性を確保しようとするためには、総合支所における各課は、総合支所長の管理監督下にありな
がら、同時に本庁の各部長の判断をもお伺いを立てなくてはならなくなるのだが、それでは総合支所の各課の行政に支持命令、管理監督の二重の系統ができてしまう。

 総合支所長に、各地区bの行政執行にあたって部の枠を超えた権限を持たせるとすれば、二重行政になって混乱を招くことは必至である。

 ひるがえって考えてみれば、合併にともなって総合支所を設置した意味というのは、旧町の行政が軽んじられるのではないかという心配に配慮したことと、市民に身近な行政処分につ
いては、その手続き等が身近なところでできるように、いわば本庁の市民課や福祉部の社会福祉や障害者福祉課、介護福祉課、建設部の道路河川課などなどの出先機関として設置したの
であるから、本庁に直接につながっていていいのではないか。

 総合支所の市民税務課、福祉課、建設課などなどの管理権限と責任は、市全体の各分野の行政を一体的に管理するたとえば市民税務部長、福祉部長、建設部長のもとにあるのはむしろ
当然であると言うべきではないかと考えるのであるが、いかがだろう。






2011年2月27日 (日)
久喜市のホームページに提案(1)



 久喜市のホームページにいろいろな注文がある。
 今後、具体的に指摘しながら、
「このページのここを改善して欲しい」
「こういう情報をここに載せて欲しい」
というような提案をしていきたい。

 全体的な構成の問題もあるのだが、一つ一つ気がついたことを、その都度、お願いしていくというのが、結局、改善の早道ではないかと思うからである。

 ただし、これはあくまでも私なりの個人的な提案であって、プロの目から見れば「?」と思われることもあるかもしれぬし、市行政の視点からも容れられることも容れられぬこともあ
ろうかと思うのだが、市民の一つの視点として受け止めていただければいいと思う。
          ----------------------------------

(1)久喜市のホームページのトップページの目立つところに、「防災情報無線のメール配信」のPRを常時載せておくべきではないか。

 現状では、「お知らせ」は新着情報として掲載された後はそのまま下の方に埋もれてしまう。

http://www.city.kuki.lg.jp/kurashi/bosai/bosai/joho.html

 しかし本来は、市民に継続的に見てもらう必要がある記事は、トップページの目立つところに常に見える状態にしておくべきであろう。

 防災情報無線のメール配信は、1月からの1か月間でまだわずか436件しか登録されていないそうだ。

 ということは職員もほとんど登録していないということになるが、それはまた別の問題として取り上げたい。

 市民のみなさんには、これからどんどん登録してもらうために呼びかけをしていく必要がある。

 とろくするためには、 「防災・防犯」のページからも行けるのだが、やっぱりすぐにわかるように、トップページの左上、「緊急情報」の下あたりに、お知らせと登録のお願いを掲
載しておいた方がいいと思う。

(2)同様に、「安全でおいしい久喜の水」も11月にお知らせを載せたっきりだら、今はまったく見えない。

http://www.city.kuki.lg.jp/section/suido-gyomu/news/petbottle.html

 これも市民のみなさんに買って欲しいわけだから、常に宣伝を見えるところに載せておくべきである。
 上の方の「おすすめイベント」の下あたりに、「おすすめ情報」(仮称)のような欄を作って、常に載せておくべきではないか。

(3)学校や公共施設の場所を簡単に探せるようにして欲しい。
 トップページの「子育て・教育」から「学校教育」をたどっていくと、学校名の一覧が載っている。
 この学校名をクリックすると各学校のHPにリンクされているのだが、学校の場所がわからない。

http://www.city.kuki.lg.jp/kyoiku/gakko/gakko/gakko.html

 同様に、「子育て・教育」から「保育所」を開くと、保育所の一覧と定員が載っているが、住所も地図もなし、どこにあるのかがわからない。
 「子育て・教育」から「生涯学習・スポーツ」の中の、「スポーツ施設」や、「公民館」をクリックしても、地図はなし、場所がわからない。
 他の公共施設も同様である。

 実は、トップページの「施設案内」をクリックすると、こちらにも公共施設の一覧が載っていて、こちらから地図情報が出くるのだが、てっきり「子育て・教育」からたどれると思い
こんでいるこちらからすれば、『何だ、これは』と思ってしまう。
 公共施設は市民にとって、いちばん探す必要が高いものだと思うが、ホームページの中の一つの方法でしかたどれないというのでは、インターネットの利点を生かしているとは言えな
いだろう。

 「子育て・教育」のページから学校や各公共施設のページへ行って、こちらからも地図情報へのリンクをはっておけば済む話なので、すぐに改善して欲しいものである。

 とりあえず、今日の提案はこれだけだが、ホームページ担当者のご努力をお願いしたい。



2011年2月24日 (木)
『どうでもいいんですけど』



 私は、議会のことや他の議員のことを書く場合、基本的に実名で書くことにしているのだが、これはあまりにもばかばかしく恥ずかしくてお名前を書いてあげる気にもならぬ。

 2月22日の一般質問でこの議員は、県が造成している権現堂公園の管理について質問した中で、『幸手の権現堂堤にお茶屋さんがありまして、最近評判になっていて、地元のNPO
が管理していて、そこの名物で桜アンパンというのが出されていて、最近、幸手市長やそのNPOの代表と誰それが、その人は…(何タラカンタラ、ウンヌンカンヌンで)…自分がよく
知っている方なんでけれど、そのお茶屋さんの前で桜アンパンを食べている写真が新聞に載ったけれど、見たでしょうか』てな調子で新聞記事から仕入れた話を延々とした後で、『まあ
、その桜アンパンの話はどうでもいいんですけれども…』と続けて、次の質問に入ったものだ。

 聞いていた人たちは桜アンパンが質問にどう結びつくのかとガマンして聞いていたのだけれど、質問に直接関係ない“駄話(ダバナシ)”だったわけで、この瞬間、がくっと来て失笑
が漏れた。

 さらにその後、語学教育についての質問の中で、どういうわけかキューリー夫人の話を延々とした後でまたまた『ま、キューリー夫人はどうでもいいんですけれど』と続けて、またま
たみんなをがくっとさせたのであるが、こちらはご自分の博識を開陳するためのうんちく話だったらしい。

 ふだんからこの人の一般質問はノー原稿で脱線が多く、話がはずれてしまって、以前にもさんざんしゃべったあげくに自分で質問から離れてしまったことに気がついて『これは答弁は
けっこうです』とやることも多かった。

 議場に座ってこんな駄話を強制的に聞かされる議員たち、傍聴者の皆さんもたまったものでないが、質問に答えるために居並ぶ執行部の部長たち、その後ろに控えている課長たちは、
いつどんな質問が向けられてくるか緊張しながら聞き耳を立ているのに対しても、これほどばかにした話もあるまい。

 よく講演会の冒頭のフリで、笑える話が述べられることはあるが、よほど話術のうまい講師が聴衆を引きつけて放さぬ流れの中ならともかくとして、話者みずからが認める“どうでも
いい話”が挟まれて時間を浪費したりしたら講演料を返せと言いたくなるではないか。

 久喜市議会では今、一般質問の時間制限が一部会派から持ち出されているのだが、こんな駄話やうんちく話をなくせばずいぶん時間が節約できるのではないか。




2011年2月22日 (火)
本来、議長の任期は4年である



 昨年4月に市議会議員選挙が行われてからもうすぐ1年が経とうとしている。

 初議会は5月18日に開催され、議長選挙が行われてから1年ということになる。
 会派・飛翔が議会のちょうど半数にあたる17名を占めたので、議会のほとんどの役職を飛翔で獲得したわけだが、議長・副議長は飛翔の中で“旧4市町の各地区の議員が1年交代”
で回すことになっているという。

 最初の議長には栗橋地区の山田氏、副議長は久喜地区の鈴木氏が就いたのであるが、この2人がいつ辞表を出して交代するのかが注目されている。
 2月議会最終日に辞表を出すと任期は実質10か月にしかならなくて月足らずだが、後の議長候補者にとっては喜ばしいことであり、6月議会の初日に辞表を出すとなると13か月と
なって、後の人たちの任期がそれだけ短くなる。

 もちろん飛翔の中では、会派の中の役職のたらい回しのために、どのタイミングで議長を交代するのがいいかは計算されているのだろうが、他の会派の議員には彼らの都合はわからな
い。

 本来、議長任期は4年である。

 地方自治法には議長の任期についての規定は書かれていなくて、したがって当然、議員任期と同じ4年であるとされる。

 それを1年とか2年で交代している議会が多くて、これを勘違いして議長の任期は1年とか2年とかと思っている議員さえいるのだが、これは会派の中で議長や副議長をたらい回しし
て大量生産するための人事の都合を優先した便法でしかない。

 旧久喜市議会では議長はだいたい2年で交代していたが、2年目で辞表を出して再任され、結局は4年やった人もいた。

 私は、だれであれいったん議長になったら、1年で機械的に交代するのではなく、4年間は続けていただきたい、少なくとも2年くらいは続けるべきだろうと考えている。
 それはたとえ私とは政治的見解を異にする議員(山田議長もそうであるが)であっても、1年でやめるなどということは認められないのであって、地方自治の基本としての議会制度を
ばかにした行動であると言うしかない。

 1年交代では議長の権威も何もありはしないで、みずから“議長は議会のお飾りで、誰でもできる単なる役職の一つに過ぎない”と吐露するようなものではないか。



2011年2月 8日 (火)
 「久喜市議会基本条例」を先送りしたい(?)人の論理



 12月議会以降の代表者会議に、議長から議会運営の見直しに関する提案があったことを、ホームページに書いた。
 ⇒ こちら

 それらの議長からの提案は今回は一応見送りとなったものの、今後、議会に各会派の検討機関を設けていく方向になった。

 それらには議会活性化に逆行しかねないような内容のものも含まれているのであるが、むしろ議会活性化の方向性を明確にした上で、久喜市議会活性化の検討・協議、さらに久喜市議
会基本条例の策定へ向けた協議をこそ進めていくべきであることは言うまでもない。

 さて、飛翔の岸議員のホームページに、黙過できない記載がされている。

 予算委員会のみなさんで小田原市議会に視察に行ったときに、小田原市議会では議会基本条例の策定が先送りになっているという話しを聞いたらしいのだが、それをもって「いいこと
を聞いた」「思わぬ拾いものをした」とうれしそうに書き込んでいるのである。

 岸議員は、合併前には「議会基本条例は合併後に策定すべきだ」と言っていて、合併後には「検討を進めることには賛成」と言ってきたのであったが、今度は「急ぐことはない。長い
時間をかけて」と言い出したわけだ。

 今の久喜市議会に求められているのは、まずは議会基本条例の策定方針を決めて、着実に取り組んでいくことが大切なのであって、難しい問題が出てきたときにどのように合意を作っ
ていくか、長い時間がかかるかどうかはその結果である。

 検討にも入らない内から、「急ぐ必要はない。長い時間をかけて」などと言うのは、あまりにも露骨な、単なる先送りの論理にしか過ぎないことは明らかではないか。

 しかも、たまたま別の視察ででかけたよその市議会で時間をかけているのを聞いて、「いいことを聞いた。久喜もそうしよう」と言うのは、議員としての自分の考えも、久喜市議会と
しての主体性もまったくないのか。

 その時々の風向きを読んで、調子のいい方に話を合わせて、自分にとって都合のいい方に態度を変える生き方を“日和見主義”という。






2011年1月28日 (金)
エイム代表・荒井伸男容疑者の逮捕



 1月21日の朝刊各紙に、エイム代表・荒井伸男の逮捕が報じられた。

 障害者への介護給付費29万円を不正請求して詐取していた容疑であるが、この記事を見て疑念を抱いた人も少なくない。

 有限会社エイム・NPO法人エイムとその代表である荒井伸男は、2006年頃から障害者自立支援給付費と介護給付費の架空請求・水増し請求を続けて、久喜市分だけで5912万
円、12市町(当時)全体では1億1702万円にのぼる巨額の税金を詐取した。

 これに対して、各市町は不正に支給された税金に対して加算金を加えて1億5000万円の返還請求をしていて、昨年(2009年)3月には荒井伸男の破産宣告が行われて、破産管財
人の手によって債権整理の手続きが進められている。

 一方、久喜市は同じ2009年2月4日に、エイムの荒井代表と事務担当者の2人を告訴していたのであるが、それから10か月過ぎた今になってようやく本人逮捕、警察による強制
捜査が開始されることになったわけだ。

 不可解なのは、久喜市だけで6000万円、総額で1億円を超える詐欺が行われたのにもかかわらず、その逮捕容疑が、久喜市からの刑事告訴に基づく「29万円の詐取」とされてい
ることである。

 ⇒ 久喜警察署の発表文書はこちら

 2月に刑事告訴した当時、市では『被害事件が多人数に関わり金額も膨大なので、障害者1人分(1件)にしぼって告訴した』『警察側から全体の告訴は受け付けられないので事件を
“特定”するようにという移行である』と説明していた。

 ⇒ 刑事告訴に関する記事(猪股のホームページ・2月6日)

 そうすると、久喜市からの「1件・29万円の詐欺」の告訴に基づいて、警察は「1件・29万円の詐欺」で捜査し、逮捕に至ったということになる。

 障害者自立支援に関わる不正としては全国でも最大の1億円の詐欺事件が、なぜ29万円の告訴なのかという疑問に対しても、市では、29万円の1件を端緒として事件の全体が追及
されると説明していたのであるが、実際にはこの件だけでの刑事責任追及で終わってしまうのではないかという懸念が現実になってきた。

 このような事件の矮小化がどうして許されるのか、いや、市は刑事責任の矮小化を許すのか。

市長は市民に対して説明し、見解を明らかにする責任がある

 もう一つの疑問は、容疑者逮捕という新たな段階に至りながら、久喜市からも市長からも、市民への説明がまったくなされていないことである。

 1月21日に新聞各紙が「容疑者逮捕」を報じた中で、埼玉新聞に田中市長の「福祉の制度を悪用したきわめて悪質な事件であり、司法によるさらなる事件の全容解明と厳正な判断が
下されることを期待しています」というコメントが掲載されている。

 しかしこのコメントがまるで他人事のようだという印象は置いておくとしても、市と市長はマスコミへのコメントだけでなく、市民にこそ事件の現状を説明した上で見解を明らかにす
べきではないのか。

 それは市の広報、すぐに対応できる場としては市のホームページ上であろうし、また市議会の全員協議会を緊急に開催して、議員を通じて市民に説明するという形をとってもよい。

 今のところ、市からは何の動きもないことが不可解といわざるをえない。






2011年1月 9日 (日)
白杖や手話通訳は障害者の“権利”である



 埼玉県内の聴覚障害者の会が発行している広報紙(2010年12月)に、次のような文章が掲載された。

 昨年に国会で成立した障害者自立支援法改正案の採決を、聴覚障害者や視覚障害者のみなさんで傍聴に行ったときのことである。
 (障害者自立支援法およびその「改正」案の問題点については、今ここでは触れない)。

国会における、白杖、手話通訳の扱われ方

 Yさんの傍聴記
 「・・・(前略)・・・ 議場に着くまでには、物々しく警備員が配置され、迷路のように張り巡らされた通路と段差の高い階段を通り、エレベーター3回だったか乗り換え空港以上
にきびしいセキュリティ検査を受け議場に着いたわけですが、議員面会室を出てから10〜15分はかかったかと思います。
議場に入るとAさんは白杖を取り上げられ、手話通訳も禁止(立っての通訳ではなく座席に座っての通訳なら内々で認めましょうとのこと)で、盲ろう者や聴覚・視覚障害者にとっては
バリアだらけの議場でした。
このバリア議場で、これまで障害者自立支援法案(バリアフリー)が論議されてきたという矛盾を感じました。・・・(後略)・・・」

 Aさんの感想
 「・・・(前略)・・・ 国会の建物は段差と階段が多いので歩いて大変でした。
会議場では、白杖を使ったらダメ。私は白状を警備の人に渡したけど、白杖を使えなくて不安でした。
・・・(中略)・・・ ろう者の人も傍聴に参加していました。立ったまま手話通訳をするのもダメなのでした。
警備職員が「座って手話をするなら持別に認めましょう」と言ったので、手話通訳者には椅子に坐ったまま通訳をしてもらいました。
通訳者は椅子に斜めに腰掛けて通訳をしました。手話通訳者もおかしな姿勢でたいへんでした。・・・(後略)・・・」


 国会において、障害者が白杖を持っての傍聴を認めないという規程があるらしいというのは、とうていにわかには信じられない話である。

 国会では、「杖」はたとえ障害者の白杖であってさえも「凶器になりうるもの」で、国会審議に怒った視覚障害者が白杖を振りかざして殴りかかってくるかもしれないとでも思ってい
るのだろうか。

 また、聴覚障害者への手話通訳をするのに、「手話通訳は認めない」「座ってするなら“内々に”、“特別に”認める」というのも、いまだに国会が、手話通訳に対するこのような認
識にとどまっていることに驚くほかない。

 聴覚障害者にとっては、国会における議論や議員の発言を“聞く”ために、手話通訳を受けることは当然の権利として認められなければならないし、その手話通訳は傍聴者に見えなけ
れば意味がないのだから、傍聴者の方を向いて、立って行うのが、これまたあたりまえでないか。

 それを、「座ってなら“特別に”認める」というのは、国会が(国会議員あるいは衛視が)、手話通訳自体を“私語”だとでも考えているか、そもそも、傍聴者は会議中は座ったまま
動いてはいけない、前を向いて、動かないで、じっと聞いているべきものだと考えているのだろうか。

久喜市議会ではそんな人権侵害は許されない

 久喜市議会傍聴規則では、
 「人に危害を加えるおそれのあるものを所持し、又は携帯している場合」
は入場を禁止するとしていて、具体的には、
 「 棒、プラカード及び杖(疾病その他正当な理由がある場合を除く。)並びにこれらに類するもの」
を所持している場合と規程しているが、障害者の所持する白杖がこれにあたらないことは明白である。

 障害者、なかんずく視覚障害者にとって、白杖は“身体の一部”とも言いうるものであって、メガネや補聴器や車いすと同じに、たとえ議場内であろうとどこであろうと所持を禁止し
て取り上げるのは人権侵害以外の何ものでもない。

 また、久喜市議会傍聴規則第9条には、
 「傍聴者は、会議の進行の妨げになる行為をしてはならない。
2 傍聴者は、他の傍聴者の迷惑となる行為をしてはならない。」
とあるが、手話通訳がこれにあたらないことも言うまでもない。

 なお、旧久喜市議会では「議会活性化」の一環として、2000年7月に《手話通訳は、聴覚障害者からの要請があれば、議会側で手話通訳者を依頼して配置する。通訳者の位置は、
本会議場の演壇の脇に立ってもらう》ことで合意している。

 それ以前にも手話通訳者が傍聴席の通路で立ったままで通訳したことはあったのだが、「見にくい」との意見に応えて、演壇のわきの発言者の横で行うことになったのである。

 これは、議場の権威とか秩序の維持とかよりも、市民の権利をこそ優先されるべきであるという、人権の思想が根底にある。

 残念ながらその合意後には手話通訳の要請がなかったので適用はされなかったし、合併後は手話通訳に関する新たな協議はされていない。

 合併後の久喜市議会において、今後もし要請があれば、当然に検討することになるだろうが、その際、久喜市議会では国会のようなばかげた人権侵害の対応はないだろうと思う。(本
当は、要請される前に検討して対応を決めておくべきかもしれない)。

 以前、車いすの国会議員がいたし、現在も全盲の国会議員もいるはずだが、その方たちは、そのような障害をもった傍聴者に対する人権侵害の規則あるいは対応をどうして放置してき
たのだろうか。

 もしも多くの国会議員や国会職員のみなさんが、“障害者にとって白杖や手話通訳が何であるか”を知らないのだとしたら、そちらの方が問題なのだが、いずれにしても即刻、規則を
改めるべきである。