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2010年12月28日 (火)
指定管理者制度を、久喜の福祉にどう活かすか



 共産党が、菖蒲東学童保育所の指定管理者に保護者会を指定する議案と、久喜市の全部の学童保育を来年度には指定管理に移行させるための条例改正に反対したことはすでに書いた。

 共産党は「指定管理制度」そのものに基本的に反対であるらしいのだが、しかし、同時に提案された市営釣り場の指定管理(シルバー人材センター)や、総合文化会館および総合体育
館と有料運動施設の指定管理をそれぞれ民間企業に指定することには“賛成”している。

 また2006年に最初に指定管理者制度を導入したときには、障害者施設のいちょうの木を社会福祉協議会に、けやきの木を啓和会に指定する議案に賛成していたから、私にはどうも
賛成と反対の判断基準がよくわからない。

 どこかの時点からか、福祉行政に関わる指定管理者制度には“断固反対”するようになったらしいが、その理屈は“民間=悪”という固定観念にあるらしい。

 昨年11月議会で、養護老人ホーム「偕楽荘」を社会福祉法人・同仁会(鶴寿荘)に、また心身障害児簡易通園施設「のぞみ園」を社会福祉法人・啓和会(啓和寮)に、指定管理者の
指定を行う議案が提案されたが、共産党の渡辺議員は反対討論の中で、以下のように述べたものだ(会議録から発言の核心部分を抜き出してみる)。

 『久喜市偕楽荘の指定管理者を、久喜同仁会に指定するものですが、公の財産で設置され、住民の社会福祉増進のために進められてきたこの施設が、利益を目的とする民間に管理運営
されるということは大きな問題です』

 のぞみ園についても、『今回の啓和会の新しい提案の日中一時支援や家族へのサービスや時間延長サービスなど、今後どのように組まれるのか、利用者の負担増になるようなことはな
いのか、よく見えてきません。教育や福祉の現場を、利益を目的とする民間の指定管理者へ移行する新自由主義の推し進めはするべきではないと断固反対し、…』

同仁会と啓和会が久喜市の地域福祉を牽引してきた

 はたして氏は、社会福祉法人・同仁会、および啓和会を指して、“利益を目的とする民間”と言うのであるが、これはなぜか!?

 同仁会は1980年に鶴寿荘を開設して、久喜市の高齢者福祉の基礎を築いてきたし、啓和会は知的障害者らの親が中心となっている組織で1988年に啓和寮を開設して、“障害者
が地域で生きる場”を作ってきたのであった。

 この高齢者と障害者福祉に関わる2つの社会福祉法人の、関係者の利益を度外視した献身的な活動があってこそ、久喜市の高齢者福祉や障害者福祉行政を切り開き牽引してきたという
ことに、異論を差し挟む余地はない。

 社会福祉法人を、利益目的の株式会社と同一視するのも基本的な認識の誤りであるが、なかんずく、久喜地域におけるこれらの2つの団体を名指しで「利益を目的とする民間」と規定
するのは、いったいどういう視点にたっているのか。

 もしかして渡辺議員は、行政はすべてに公平公正で、民間はたとえそれが社会福祉法人であっても利益目的の“悪”であって、福祉を行うに値しないという観念にとらわれているのだ
ろうか。

自由な発想と柔軟な対応が、指定管理者のメリット

 私はむしろ、官僚的体質とお役所的な対応は往々にして福祉の現場にそぐわないことが多いのであって、福祉の現場にこそ自由な視点に基づく柔軟な対応が必要であるということを、
同仁会や啓和会の30年間の実践は証明してきたと考えている。

 したがって、けやきの木、いちょうの木、のぞみ園などの障害者施設、また学童保育所もそうだが、民間の“営利”ベースに乗りにくいこうした事業こそ、行政が設置して民間の福祉
団体やNPOに施設の管理運営を委ねるという、指定管理者制度に向いているのではないか。






2010年12月27日 (月)
農家支援の意見書は賛成多数で可決したけれど



 11月議会に、共産党が「『彩のかがやき等』品質不良に対する農家支援を求める意見書」を提案して可決された。

 昨日のブログ ⇒ こちら にも書いたとおり、今年の猛暑による稲作への被害は甚大であり、農家の多くが大幅な収入減を免れない異常事態となってしまったという。

 共産党が最初に久喜市議会に提出した意見書案の文面は、埼玉県知事に対して「この非常事態に対し、販売の促進をはかるとともに、米農家への特段の援助を強く要望いたします」と
いうものであった。

 農家へのできる限りの支援を行うことにだれも異存のあろうはずはないのだが、しかし実は、この意見書案が出される以前にすでに、埼玉県や久喜市行政は農家への支援対策の方針を
確定し、実行されているのである。

 たとえば、災害対策補助金の支出方針も決まっていたし、「規格外」とされた「彩のかがやき」の白未熟米を学校給食に使用する方針も11月上旬には久喜市教育委員会で決定してい
たし、県や市の職員などによる大量購入も、県内の小売店の協力を得ての販売活動も、すでに11月中に取り組みが開始されていたものであった。

 12月7日に、共産党が意見書案を久喜市議会に提案した段階では、すでに「彩のかがやき」の被害農家に対する支援策はもうほとんど出そろっていて、一定の成果をあげつつあった
のであって、“残念ながら”その意見書は遅きに失したと言わざるをえなかった。

 だから議会で他の会派からも、「すでに埼玉県や久喜市行政が実施していることを、今から意見書を出して要求するというのは、スジが通らない」という批判が出たのは当然であった
し、共産党はやむをえず、当初の意見書案のあて先は「埼玉県知事」であったものを、12月22日の最終日になって「農林水産大臣」に訂正してきたのだった。

いったん出したものはひっこめられない、共産党のメンツ

 本会議で、「それでは国に対して何をやって欲しいと要求するのか」という石川議員の質疑に対して、共産党の議員は「具体的には考えていない」「技術的な研究支援とか、あるので
はないか」と口ごもり、「この意見書を出すことで農家を元気づけることができる」とも言ったものだ。

 本来であれば、当初のあて先(要求先)であった埼玉県がもうすでに対策を十分に講じていることが明らかになった時点で、この意見書はいったん取り下げるか、国に対して出すので
あれば、国への要求事項を書き加えるなどして内容を変更すべきであったのだが、あて先を変更しただけで出すというのはいかにも安易だ。

 すでに決まっていることを要求してみせて、「我が党が要求して実現しました」みたいな宣伝に使いたいのだとしたら、市議会を政党宣伝の道具に使う、市民向けの一種のパフォーマ
ンスではないか。

反対しにくい議員の心理…

 また各会派の中にも“すでに決まっているんだから出す必要はない”“意見書を取り下げるべきだ”などの意見が多かったのであるが、共産党がどうしても引っ込めない以上は“反対
はできない”ということになったようだ。

 議員はだれもが、この意見書を出す必要のないことはわかっていても、「農家支援を求める」という文言に反対するわけにはいかぬ、『○○議員は農家支援に反対した』と誤解されて
はたまらない、という議員心理に陥るのも、まあ理解できないでもない。

 そんなこんなで、12月22日の議会最終日の採決では、ほとんどの議員がこのパフォーマンス意見書に賛成して、スジを通して反対したのは、政策会議の新井、猪股、無会派の田村
議員の3名だった。

 共産党は彼らの宣伝紙「久喜新聞」(12月24日)で、「『彩のかがやき等』品質不良に対する農家支援を求める意見書は、……国に援助と販路拡大を要望したもの。結果は賛成多
数で可決」と書いて配ったが、議会でもめたことには触れなかった。

 もしも仮に否決されていたら、“共産党以外は農家支援に反対した”とでも書いたのだろうか。

 さて、年明けにこの意見書を受け取る農林水産省の担当者は、“すでに埼玉県で取れるだけの対策は取ったと聞いているが、久喜市議会は今さら国で何をやれと言うのだろう”と不思
議に思うだろうか。




2010年12月26日 (日)
「彩のかがやき」の支援対策



 今年夏の酷暑は農業に対しても大きな被害をもたらしました。

 特に、埼玉県の稲作では、コシヒカリに次ぐ主力品種である「彩のかがやき」が、高温障害によって「白未熟粒」となって品質が低下して、「規格外」になってしまうという事態に陥
りました。
 このままでは農家の収入が大幅減となり、農家によっては壊滅的打撃となりかねないため、埼玉県や久喜市を含む各市町村が農家の支援対策を講じています。

○埼玉県農業災害対策特別措置条例に基づいて、“特別災害"として指定しました。
 埼玉県の補助基準に基づいて、県1/2、市1/2の負担で、10アールあたり6540円の補助をします。
 県の補助対象にならなかった農家についても、市での単独補助を検討しています。
  市の単独補助分を含めて、1990万円の補助(県負担680万円)

○県内のJA、スーパー、小売店などと協力して、「彩のかがやき」の特別販売を行っています。

○市の職員などに呼びかけて、「彩のかがやき」の特別販売を実施しました。
 11月、12月で、職員だけで1490キロ、学校職員も合わせると2205キロを購入してもらいました。

 埼玉県職員や、県内の多くの自治体で、同様の取り組みをしています。

○学校給食の米飯給食への購入
 久喜市では米飯給食を週3回実施していて、すべて久喜産米を使用してきました。
 これまでは「彩のかがやき」とコシヒカリとのブレンド米や日本晴れなどの品種も使っていましたが、緊急に被害農家への支援対策の一環として、平成22年12月〜23年10月ま
で、100%を久喜産の「彩のかがやき」を使うことになりました。
 久喜市内の来年10月までの学校給食での米使用量は約102トンで、久喜市内産の「彩のかがやき」出荷送料776トンの約13%を、学校給食で使用することになります。
 市立保育園の給食にも使用していく予定です。

○県や市の広報・ホームページなどでも、「彩のかがやき」の支援、購入を呼びかけています。

「彩のかがやき」の支援についての、久喜市のホームページ
「彩のかがやき」の支援についての、埼玉県のホームページ





2010年12月17日 (金)
政務調査費からの夕食代の支出を削除



 11月19日のブログで、久喜市議会の政務調査費の使途報告(第2期分)について書いた。
 ⇒ こちら

 そこで、飛翔と共産党が会派視察や研修のときの“夕食代”を、政務調査費から支出していることについて、疑問を呈しておいた。

 その後、12月中旬に、共産党市議団は夕食代1万2000円を計上していたのは“誤り”であったとして、使途報告書を訂正し、夕食代の項目を削除、領収書も撤回してきた。

 まあ、研修に出かけた際の交通費や宿泊費といっしょに、食事代の領収書も間違って入れてしまったということらしいが、普通の市民感覚に沿ったものと言えよう。

 一方、飛翔の16名の視察旅費(8月30日〜9月1日)に計上された夕食代、1日目5万2500円(1人あたり3280円)と2日目3万7500円(1人あたり2340円)の
支出はそのままである。

 現行の政務調査費の使途基準では、確かに、宿泊の際の夕食代を支出してはいけないという規程はなくて、各会派の考え方にまかされてはいるから、これ以上は言えない。
 ⇒ 各会派の使途報告書の概要




2010年12月16日 (木)
議員による「寄付」の禁止



 『広報くき』12月15日号に「寄附禁止のルールを守りましょう」という記事が掲載された。

          ------------------------------

○政治家、後援団体の寄附の禁止
 政治家や後援団体、立候補の意思がある人が、選挙区内の人や団体(政党などは除きます。)に対し、お金や物を贈ることは禁止されています。また、有権者が政治家に対し、寄附を
求めることも禁止されています。
 寄附禁止の対象となる例
 入学祝・卒業祝・出産祝などのお祝い、お歳暮やお年賀、病気のお見舞い/結婚式でお祝い金を出したり、葬式で香典を出すこと/会費制でない会合でお金を支払うこと
○あいさつ状の禁止
 政治家が、選挙区内の人や団体に対し、年賀状などの時候のあいさつ状(答礼のための自筆によるものは除きます。)や電報などを出すことは禁止されています。

          ------------------------------

 政治家が祝い金や香典をだすことは禁止
 忘年会や新年会に呼ばれて、会費以外のお金や寸志、お酒などを出すことも禁止
 年賀状を出すことも禁止

 この記事を見て、「えっ、ホント!?」と思った人は多いと思う。

          ------------------------------

【公職選挙法】

(公職の候補者等の寄附の禁止)
第199条の2  公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者は、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない。

(公職の候補者等の寄附の制限違反)
第249条の2  第199条の2第1項の規定に違反して当該選挙に関し寄附をした者は、1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。
2  通常一般の社交の程度を超えて第199条の2第1項の規定に違反して寄附をした者は、当該選挙に関して同項の規定に違反したものとみなす。
3  第199条の2第1項の規定に違反して寄附をした者で、次の各号に掲げる寄附以外の寄附をしたものは、50万円以下の罰金に処する。
一  当該公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者が結婚披露宴に自ら出席しその場においてする当該結婚に関する祝儀の供与
二  当該公職の候補者等が葬式に自ら出席しその場においてする香典の供与又は当該公職の候補者等が葬式の日までの間に自ら弔問しその場においてする香典の供与

          ------------------------------

 199条の2では、祝い金や香典などのいかなる名目であっても「寄付」を禁止し、249条の2では結婚式や葬式で、本人が出席しないで祝い金や香典を出した場合には罰則(罰金
刑)を課すと規定されているのである。

 たいへんうかつな話だが、私はこれまで、本人が葬式に出席して香典を出すことに対しては「罰則は課されない」から、問題はないと思っていた。

 実態として、多くの議員が香典や祝い金を出しているのだが、知人、友人、近所付き合いなどで出すのまで禁止するのは行き過ぎという気もするのだが、どう考えたらいいのだろう。

 昔は議員が地元の葬式に花輪を出すことがよくあったらしいが、今はさすがにこんなに堂々と選挙違反承知の売名行為をやる人はいなくなった。

 それでも、今でも、議員が特に付き合いのない人の葬式に顔だけ出して香典だけ置いていったり、あるいは顔も出さずに香典を届ける人もいるというから、こういう一見、厳しいと思
われる禁止規定も必要なのかもしれない。

 また議員が選挙区内の有権者に印刷された年賀状を出すこと自体が違反だから、私はもう何年も親戚や知人(もちろん久喜市以外)宛て以外には年賀状を出していないが、いまだに年
賀状を出している議員もいるらしい。

 今年、議員からの年賀状はどれくらい飛び交うだろうか。
 (ただし、年賀状の場合、答礼=返事を出すために自筆で書いたものは違反にはならない)。




2010年12月13日 (月)
「郵便局の一元化」は何を意味するか−9月議会−



 3か月前の話であるが、会議録を確認する必要があったので、書き込みが遅くなった。。

 9月議会で、並木議員が、郵便局の“管轄”を久喜市の市域と一元化すべきだと要求していた。

 そもそも郵政事業は“民営化”されたから、昔の郵政省の時代の“管轄”という言葉自体が似合わないのだが、まあ、郵便事業株式会社(栗橋支店)の郵便物の集荷・配達の“営業担
当区域”という意味だと理解しておこう。

 総務部長は「久喜郵便局に問い合わせたところ、一元化や統合の予定はないということでした」と答弁したのだがが、それでも並木議員は「郵便事業は新久喜市で一体化、一元化」を
強く求め、総務部長が「そういう要望があったことを郵便局に伝える」という答弁で終わった。

          ------------------------------------

 他の議員が要求したことについて、疑問を差し挟むのは少々気が引けないではないけれど、もしも郵便局の営業担当区域が変更になれば住民生活に影響を及ぼしかねない問題である。
 おそらくは郵便局の営業区域はそう簡単に変更にならないと思うのだけれど、本当に議員が求めたように一元化が必要なのかどうか、やっぱり疑問点を指摘しておく必要があるだろう


 現在は久喜郵便局が久喜地区と菖蒲、鷲宮地区、さらに白岡町の区域の郵便物の集配を担当し、栗橋郵便局が栗橋地区と加須市の大利根地区の集配を担当している。

 現状で、何が不都合か

 並木議員が質問の中で指摘していたのは、市議選の時に選挙はがきを久喜郵便局まで持っていかなければならなくって、栗橋地区への配達が一日遅れになると言われたということだっ
た。

 もう一つ付け加えれば、「配達区内特別郵便」という割引制度を使うと、一度に100通以上を出す場合に封書80円が65円に割引されるのであるが、現在は久喜郵便局の配達区域
は「久喜・菖蒲・鷲宮地区と白岡町」であり、「栗橋地区と大利根地区」が栗橋郵便局の配達区域で配達区が別々だから、たとえば新久喜市内全部で100通以上であっても、久喜・菖
蒲・鷲宮で80通、栗橋で20通という場合には割引は適用されない。

 もし久喜郵便局が新久喜市全体の集配を担当することになれば、両方の区域合わせて100通になれば割引が適用されて「65円」で出すことができる。

 これは確かに企業などが大量に発送する場合などには有利だけれど、一般市民にはあまり関係のないことではある。

 逆に、一元化するとどんな困ったことが起こるか

 現在は、栗橋地区の郵便ポストの集荷は栗橋郵便局が担当しているが、全部を久喜郵便局が担当することになれば、当然ながら栗橋郵便局が集配をやらなくなるということである。

 そうすると、久喜郵便局が栗橋地区の郵便物の集荷を一手に引受けることになるのだが、距離が遠いから集荷に時間がかかることになって、郵便を投函してから相手先への配達までに
かかる日数が増えることになる恐れがある。

 同様に、配達もこれまでは栗橋郵便局で担当していたが、一元化すれば久喜郵便局が担当することになって、地域によっては配達に今までよりも時間がかかることになる恐れがある。

 特に、留守などでいったん持ち帰りとなった書留や配達証明付きや小包みなどの郵便物は、配達する郵便局に保管されることになるから、栗橋地区の住民は、これまでは栗橋郵便局に
取りに行けばよかったが、一元化されると久喜郵便局まで取りに行かなければならなくなる、「再配達」を依頼することもできるが翌日以降の配達になる。

 結論的に言って、栗橋地区に住む住民にとっては、郵便局の統合や、集配を久喜郵便局に一元化されてしまうと不便になることの方が多くて、あまりいいことはないのではないか。

          ------------------------------------

 さて11月議会に、同じ並木議員が今度は「警察の管轄を久喜警察署に一元化」させるよう求める意見書を提案しているのだけれど、これは住民にとってのメリット・デメリットはど
うだろう。




2010年12月10日 (金)
議論と相互批判が議会の質を高める



 梅田議員が自身のブログに、12月6日付けで「最近思うこと」という文章を書いている。
 ⇒ こちら

 そのまま全文引用するわけにもいかないが、“概要”はこういうことだ。

          --------------------------
 久喜市議会の中に、ホームページやブログで他の議員の質問や議会対応を批評したり批判したりする議員がいる。
 議員はそれぞれの立場で活動しているのだから、こうしなければいけないというものはない。それぞれのやり方がある。自分は他の議員のことを取り上げることはしないし、その必要
はない。
          --------------------------

 「ホームページやブログで他の議員の質問の批評や批判をしている」とあるのは、猪股のことを指しているのは明らかだが、梅田議員は要するに、“ホームページやブログで他の議員
のことを取り上げるべきではない。他の議員に対して批評や批判はしないでほしい”と言いたいらしい。

 そう言えば、12月3日に梅田議員の一般質問について書いたばかりである。
 ただしこの文章は梅田議員の質問(執行部に対する政策要求)を聞いて、その政策について私の感想と疑問を書いたものであって、間違っているとか、こちらが正しいとかの決めつけ
をしたものではないのは、読んでいただければわかる。
 ⇒ こちら

(1)

 さて本題であるが、議員同士はお互いの批判は控えた方がいいだろうか。

 私たち議員の立場はいうまでもなく、《非常勤特別職の公務員》である。

 同じ公務員でも市の職員とは選ばれ方やその任務と役割、“仕事”の形態は異なるのだけれど、市民の代表(代理人・代弁者、言い方は他にもある)であると同時に、市民のパブリッ
クサーバント(公僕・召使い・全体の奉仕者)でもある。

 これを憲法にはこう書いている。
          --------------------------
 第15条 公務員の選定及び罷免の権利、普通選挙と秘密選挙の保障
 (1)公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
 (2)すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
 (3)公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
 (4)すべての選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
          --------------------------

 議員は有権者から選任された公務員であり、全体の奉仕者としてよりよい議会活動を行い、市民の声を市政に反映させる責務を負っている。

 であれば、議員それぞれがいっしょうけんめいに活動していればそれでいいということにはならないのであって、市民全体の声と利益を議会に反映し、よりよい市政を実現するために
はどうしたらいいか、大いに議論することと、議会と執行部との間で、また議員間の“善政競争”こそが必要なのではないか。

 ともすれば議員はみんな市民の代表なのだから、それぞれの立場を尊重してお互いの批判を差し控えた方がいいかのように言われるのだけれど、議論をしない議会、相互批判のない議
会はセレモニー化し、微温湯的な馴れ合い関係の中でよどんでいくしかない。

 私の所属している政策会議の中でもよく議論をするのだけれど、会派の中でもまた会派を超えても、お互いの議論を避けたり遠慮したりすべきではなかろう。

 ましてや、議会における議員の発言は、多かれ少なかれ“市政に関わる政策提起”であるはずだから、そうであればなおさら、他の議員が提起した政策について、自分だったらこう考
える、その政策はこうした方がいいのではないか、等々の議論と相互批判を大いにした方がいい、そしてお互いに切磋琢磨をしていくことが、議会を活発化させ、市政を前進させていく
ためには欠かせないであろう。

(2)

 また梅田議員は同じブログで、市職員が議員のブログをチェックすることを批判して、「議会対応よりも、市民の目線で久喜市に必要なものを探すことが重要だ」とも書いているが、
これはおかしい。

 私たち議員もそうだが、すべての公務員(パブリックサーバント)は、常に市民の声を恐れ、真摯に市民の声を聞くべきである。

 市職員にとっては、議員のホームページやブログの記事も市民の声のひとつであって、市民の代表・代弁者としての、あるいは多様な市民の中の一定の人々の声として、また市民の目
線による行政批判のひとつの現れでもあるのだから、市職員が議員の書き込みをチェックしてその意見を受け止めるのは、むしろあたりまえではないか。

 もしも梅田議員の主張が、市職員に対して、議員のブログ等の記事のチェックをするなという意味だとしたら、議員を通した市民の声を聞くなと言うに等しいではないか。

     ---------------------------------------------------------

(3)

 「専業議員ではありませんので24時間議員活動をやっているわけではありませんが…」とも書いているのだが、ひとつ機会があれば聞いてみたいことがある。

−−議員報酬の手取りが25万円では「議員専業」はたいへんだし、私も含めて24時間議員活動なんて大それた事は言えないのだが、それでも彼にとって、議会が「主」であるか、(
他の仕事を持っているとしたら)どちらが「主」であるか、あるいは議会は「片手間」であるか。
 (答えは決まり切っていると信じるが…)。

     ---------------------------------------------------------

(4)

 猪股のホームページ、ブログは、批判は批判としてはっきりと書くが故に、往々にして反発を招き、敵視されることもある。

 もっともホームページに他の議員への批判を書き込むのは私だけではなくて、飛翔(梅田議員の会派)の岸代表さんのホームページでも、他の議員の一般質問や議案質疑の内容に自分
のコメントを付けて書きこむなんてことをよくやっているのであって、私みたいにはっきりと書くのではないけれど、“ちくちくと”という感じで批判していたりする。

 今年の5月の岸議員のホームページでは、猪股のホームページについて、
 「議会報告、ホームページ、ブログ等を通じ、無いこと・無いこと、おもしろおかしく、センセーショナルに書きつづり、…」
と書いて、自分に都合の悪い記事はすべて、“無いこと”=ウソであると決めつけた。

 これをもって岸議員はみずからへのいっさいの批判を受け入れない“独善”を宣言したのであったが、議員間の議論や批判を拒否する態度は議員としていかがか。

     ---------------------------------------------------------

※「善政競争」…昨年視察した北海道福島町議会の議長さんが使っていた言葉で、合議体である議会と首長とで政策を競い合っていくことが住民福祉を向上させ、自治体行政を前進させ
ていくという意味であるが、私はさらに議会内の議員や会派間の関係にも当てはまると思う。




2010年12月 7日 (火)
議場で寝ている議員たち



 久喜市議会では、傍聴された方に「感想」を書いていただいて、少しでも議会運営に役立てようと、それを議員に配布するとともに、一部は『議会だより』にも掲載している。

 市民の目は本当に鋭く怖いもので、12月2日の本会議(一般質問の3日目)にはこんな文章が寄せられた。

          -------------------------------------

朝から寝ている人が複数います。
どうしてかわかりませんが、寝ている場合じゃないと思います。
○○議員は午前中も寝ていました。
午後も1時30分までは起きていましたが、1時30分からは寝ています。
起きていられないのでしょうか。
□議員も午前中はぐっすりのように見えました。
午後も寝ていたのではありませんか。
そのほかにも午後には寝ている人が増えました。
上から見た感じでは20%を超えています。
ゆゆしき問題です。市議会全体の問題としてとらえていただきますようにお願いします。

(以下、略)
          -------------------------------------

 私もこれは事実だと思うし、確かに毎日毎日、居眠りしている議員が本当に多い、いや、“居眠り”というよりも、ずっと眠っている議員さんもけっこういる。

 正確を期して書けば、「眠っているらしい議員」「眠っているように見える議員」だが、朝9時半くらいにはもう寝始めて、休憩時間を挟んで昼休みまで寝続けて、午後はまた1時半
から寝始める、よくもまあそんなに眠れるものだと思うくらい…。

 中には堂々と背もたれに頭を付けて上を向いて大口を開けて寝ている人もいるが、うまい人は目立たないようにやや前方に首を傾けて身じろぎもせずに目をつぶっている人もいる、そ
れでもボールペンを握った手はまったく動かないし、時々、小さくこっくりするので議席で横から見ているとよくわかる。

 さてどうしたらいいのだろうか。

 私たちとしては、傍聴者の感想のように、このブログ上に固有名詞を書き込むわけにはいかない。

 “あの人は絶対に寝ている”と思えても、「証拠」はないので、だから、上の「傍聴者の声」の ○○議員や □議員のところには固有名詞が名指しで入っていたのだが、ここにその
まま書くわけにもいかないのが残念だ。

 以前、ある議員に『寝てたでしょう』と聞いたら、「いや、目をつぶって聞いてたんだ」、『こっくりしてたじゃないか』と言ったら、「いや、頷いたんだ」と反論された。

 市民のみなさんに議会の現場に来てもらって、だれが議会をマジメにやっているか、どの議員が寝ているのかをしっかり見てもらうしかない。

 上の感想文が3日に議員の配布されて、当人たちも恥ずかしいと思ったか、その後は、眠っている議員が少しは減ったような気がする。



2010年12月 5日 (日)
市民の権利を「許可」するとはどういうことか



 11月6日のブログにも、審議会等の会議の公開について書いた。 ⇒こちら

 市のホームページに12月の審議会等の予定が出ている。
        ----------------------------

久喜市立図書館協議会
12月10日(金)午前10時から(所要時間約2時間)
開催場所 久喜市立中央図書館 2階会議室
会議の議題
1 平成22年度事業中間報告について
2 平成23年度事業計画(案)について
3 平成23年度予算(案)について
4 第2次久喜市子ども読書活動推進計画(案)について
5 その他
        ----------------------------

久喜市学校給食審議会
12月13日(月)午前9時30分(所要時間 約2時間30分)
開催場所 鷲宮第2学校給食センター 2階会議室
会議の議題
鷲宮地区の学校給食の現状について
栗橋南小学校北校舎改築工事期間中の学校給食運営方法について
        ----------------------------

久喜市立小・中学校学区等審議会
12月14日(火)午前9時30分(所要時間 約2時間)
開催場所 鷲宮総合支所3階 庁議室1、2
会議の議題
久喜市通学区域の弾力化について
        ----------------------------

 本当は、市民に開催予定をもっと早く知らせた方がいいと思うのだが、現在は1週間前までに公表することになっている。
 ⇒ 会議開催情報はこちら

会議の傍聴に「許可」は必要ない

 ところで、この会議開催情報の記述には間違いがある。

 各審議会の会議のお知らせの下に「傍聴手続き」が記されているのだが、それには次の2通りの記述がある。

 ある会議は「傍聴を希望される方は、事務局の指示に従って入室してください」と記され、ある会議については「傍聴を希望される方は、会場において許可を受けてから入室してくだ
さい」と、2通りの手続きが書かれているのだが、後者の「許可を受けて」は間違いである。

 「久喜市審議会等の会議の公開に関する条例」第3条には会議公開の「原則」が明記され、例外として「非公開とすることができる会議」は5条に記されている。

 さらに第7条には「何人も、審議会等の会議が非公開とされたときを除き、審議会等の会議を傍聴することができる」と明記されている。

 つまり「何人も」、会議を傍聴する「権利」を持っていると規定しているのであって、条例のどこにも「許可」が必要だなどという規程も、許可手続きについての規定も、いっさい存
在しないのである。

 そもそも考えてみれば、市民がみずからの「権利」を行使するのに、「許可」が必要なはずはないではないか。

 公開とされている会議を傍聴しようとして「許可しない」などということもありえないし、したがって、「許可」の手続き自体がないのである。

 それなのになぜ、会議開催情報の中に、「許可」などという言葉……それは「官」が上から目線で市民を規制する行為に他ならない……が入ってくるか。

 合併前の旧久喜市においてすでに、公開の原則が確立し、市民の傍聴の権利とともに十分に確認されてきていたはずで、したがって「市民参加条例」も「会議の公開に関する条例」も
そのまま引き継がれた。

 しかし合併してから、その運用に関わる職員の意識の中に、条例の解釈あるいは認識の誤りとあいまいさが生じてきているらしい。

 問題は、単に条例の条文解釈が間違っているというだけでなく、会議の原則公開と市民の権利という住民自治の基本に関わることであって、職員の意識または認識を早急に改めさせな
くてはならぬ。



2010年12月 4日 (土)
「事件・事故発生マップ」って、ご存じ?



 11月3日の一般質問で、井上議員が「防犯について」を取り上げて、「地域に情報を落とすべきだ」「地域で起きている犯罪の状況などを、市職員が把握し、市民に情報を知らせる
べきだ」と質問した。

 警察だけでなくて、市役所や市民が地域の犯罪の情報を共有することが大切であるのは言うまでもない。

 ただ、今までそうした取り組みがされていないのかと言えば、そうではなくて、すでに埼玉県警がインターネットに、犯罪情報を知らせるページを作って提供している。

⇒ 埼玉県警による事件・事故発生マップはこちら

 地図上の、たとえば久喜市の自宅付近をクリックすれば、その近隣で起きた過去の犯罪や交通事故の状況が表示されるようになっている。

 たとえば私の住まいの近所、青毛、青葉、栗原地区の地図上には、8〜10月の3か月間に、車上ねらいが6件、不審者情報が1件、それらの発生日と場所が表示されるというぐあい
である。

 質問者は、このページについてどうも知らなかったようで、「地域の犯罪発生情報を警察に求めるべきだ」と何度も強調していたのだったが、こういう警察の取り組みを踏まえて質問
すればもっとよかったのにと思った次第。

 もっとも私も偉そうなことは言えなくて、仲間の議員から教えてもらって最近知ったのではあるが、警察が市民との情報共有を重視していることがわかったのと、地域の防犯対策を考
える上で非常に参考になるページだと、興味深く見ている。

 ただし問題もあって、この「事件・事故発生マップ」では、久喜市はいまだに合併していなくて、旧1市3町が別の自治体として表示されていることであるが、これは市役所で直ちに
県警に訂正を要請すべきであろう。



2010年12月 3日 (金)
ゆるキャラパフォーマンス



 12月2日の一般質問で、梅田議員がゆるキャラの“活用”、新たなゆるキャラの“開発”、B級グルメの“活用”と“開発”、ゆるキャラ・サミットやB級選手権の久喜市への誘致
、観光大使、フィルムコミッションの登録について質問した。

 “久喜市”を外部に向けて宣伝していくためには、いずれも有効なツールであることが間違いないと思う。

 ただ、この質問と環境経済部長の答弁を聞いていて、いくつか気になる点があったので、私なりの感想を書いてみる。

 もしかしたら、私の感覚の方が違うのかもしれないが、いちばん引っかかったのは、ゆるキャラやB級グルメの活用と開発は、はたして議員が要求していたように行政が主導で行うべ
きものなのかということである。

 むしろこれらは、お役所的な考え方ややり方とは対極にある、市民の自由な発想と遊び心、若者たちのわいわいがやがや、型からはずれた盛り上がりがあってこそ、みんなに受け入れ
られ広がってきたのであって、お役所にそういう発想を期待するべきではないのではないか。

 2つめは、議員が取り上げたゆるキャラ、B級グルメといい、観光大使、フィルムコミッションといい、県内やら全国で取り組まれてきて成功してきたものの、いずれも二番煎じにな
らないかということである。

 こういうものに集まる人々の感覚は鋭いものがあって、マネごとかホンモノか、宣伝臭のふんぷんとした売名行為やパフォーマンスはすぐに見抜かれて敬遠されてしまうのがオチでは
ないか。

 3つめは、これまで久喜市で生まれたゆるキャラは菖蒲地区の“しょうぶパン鬼ー”、久喜地区の“ライクちゃん”があるのだが、議員は、鷲宮や栗橋地区でも新たにゆるキャラを作
ってはどうかと質問したことである。

 行政主導でゆるキャラを作ってほしいと議会で頼むという行為も首をかしげるところだが、それ以上に、これまですでに鷲宮地区では“らき☆すた”、栗橋地区では“栗橋みなみ”と
いうアニメキャラが育っているのに、それと別にゆるキャラを作ろうという発想がよくわからない。

 世間でゆるキャラがはやっているから、「どこでもゆるキャラがいい」、「ウチの方でもゆるキャラを作らなければ」、「ゆるキャラを作れば売れるぞ」という発想だとしたならばい
かにも貧困ではないか。

 むしろ、“らき☆すた”や“栗橋みなみ”の方が、新参のゆるキャラなんかよりもすでに大いに盛り上がっているのだから、今さら、ゆるキャラを人工的に作り出す必要があるのだろ
うか。

 もう一つ。

 この日、議員の質問を応援するために(?)、あるいはもしかして議員が呼んだのかは知らないが、“しょうぶパン鬼ー”の着ぐるみをかぶったヒト(菖蒲地区にお住まいの方らしい)
が傍聴席に座っていた。

 久喜市議会は「何人も」傍聴できる定めなので、着ぐるみをかぶっているからといって断られることはないのだが、ただ、これもだれが呼んだのかわからないが新聞記者さんがたくさ
ん来ていて、会議中にもかかわらずストロボをたいて写真をパチパチ撮りまくっていた。

 事前の代表者会議で、写真撮影はしないということになっていたはずだったが、これでは着ぐるみをかぶった市民の「傍聴」ではなくて、やっぱり議会をパフォーマンスの場に利用し
たことになってしまうんじゃないか。

 何となくそのやり方に違和感を感じたのだったが、これは私の感覚が古いせいか。




2010年12月 2日 (木)
合併したらすべてよくなるか



 市議会の一般質問で、特に旧町地区の議員から、地域環境整備などの要求が多く出されている。

 たとえば、「私道を舗装整備してほしい」、「県道に通じる市道が幅が4mしかないので、拡幅してほしい」、極め付きは「生活道路で砂利道が多い。一つの市になったのだから舗装
してほしい」「住民は合併したら舗装してもらえるとガマンしてきた。舗装してほしい」、などなど…。

 これまで町の行政でできなかった、あるいは取り残されてきた生活環境整備を、市になったんだから舗装するのが当然だ、住民は合併しさえすればやってもらえると期待してきたんだ
という、あまりにもあけすけなお話しに、他の議員も苦笑まじりに聞いているのだが、そう簡単な話ではない。

 実際、新久喜市内の市道舗装率は全体で71%だそうだが、地区別に見ると、菖蒲地区の市道舗装率は確かに55%と低いものの、久喜地区も平均よりも低い68%であって、鷲宮地
区84%、栗橋地区89%とたいへん高く、旧町だったから舗装率が低いというわけでもなくて、要は町行政の考え方の違いと言えるかもしれない。

 当然ながら行政執行部の答弁も、いい答弁ばかりではなく、「旧町地区の道路の舗装を急いで進めます」みたいな答弁にはならない。

 それにしても、議員が住民に対して、“合併しさえすれば何とかしてもらえる”“市になればよくなる”という期待感をあおり、広めながら合併を推進したとすれば、住民は大きな失
望感を味わうことになるのではないか。

 それが議会(議員)や市政そのものへの“裏切られた”という思いにつながらなければいいのだが…。  








2010年11月29日 (月)
決まってることをわざわざ質問してみせる議員



 今や、多くの市民の方々がメールをやっていて、情報伝達ツールとしてこれを使わない手はない。

 すでに近隣市でも、加須市、春日部市、越谷市など県内の多くの自治体で市政情報のメール配信を実施しているのに対して、久喜市の取り組みがいかに遅れていたか、市民に積極的に
情報を提供していこうという姿勢が欠けているのではないかと思っている。

 市議会でも私や園部市議が何度も、市の防災無線で放送した内容を、市民にメール配信するシステムの導入を求めてきて、昨年には「合併後に実現したい」という答弁を引き出し、市
は当初予算に計上して準備作業を進めてきていたのだが、ようやく来年1月から実現されることになっている。

⇒ いのまた和雄のホームページ・情報化のページを参照

 ところで、今回の議会の一般質問で、公明党の斉藤議員がこの問題を取り上げて、「防災無線の内容をメールで情報発信できないか」と質問したのにはびっくりした。

 一般質問は、議員が市民からの要望や自分の研究をふまえて、市に政策提案をしていくものであるから、それぞれの発想によって何を取り上げていってもいいのだが、それにしても、
他の議員が何度も取り上げて実現の道筋を付けて、すでに当初予算にも計上され、実施が決まっていることを改めてわざわざ要求してみせるというのは、いったいどういうことだろう。

 念のために市民安全課長に確認したら、やっぱり2010年度の一般会計当初予算で、委託料や情報発信料97万円が予算化されていた。

 それを知らないで(確認もしないで)質問したのだったら議員としては怠慢だし、逆に、もうすぐに実現することを知っていて質問したのだったら、自分は何もしないで甘い柿だけを
かっさらっていった“さるかに合戦”のサルの行為に近い。

 まさか、今回ちょこっとだけ質問して、ご自身のブログや「議会だより」紙上で、「私がやった」と宣伝に使うなんてことはしないだろうと思うが…。

          -----------------------------------

 もう一つ、変なことを思い出してしまった。

 去年の12月に、斉藤議員の大先輩である角田元市議がブログで、「議員が議会で取り上げた問題は、その取り上げた議員に権利が発生する取り決めがあって、それは暗黙の了解であ
る。それなのに最近、自分が取り上げた問題を、他の会派の1年生議員が質問した。最近の議会は“仁義なき闘い”だ」と書いたことがあった。

⇒ こちら

 角田議員の教えによれば、猪股や園部議員が積み重ねてきた政策提起を、実現の寸前になって、斉藤議員が最後にちょこっとだけ質問してみせるなんていうのは、まさに“仁義なき闘
い”ということになる。

 本当のところ、そんな取り決めは存在しないし、私も園部市議も、一般質問は基本的に自由であって、他の人と重なっても、だれがどのようにやってもいい、それが議会の活性化につ
ながると思っているから、「私の質問を取られた、けしからん」なんてことは言わない。

 ただし、すでに決まっていることを、パフォーマンスで質問だけしてみせるっていうのはやめた方がいいと思う。

⇒いのまた和雄のブログ こちら






2010年11月25日 (木)
議員バッジの「佩用」



 11月24日は11月定例市議会の開会日だった。

 その初日に、9月議会から継続審査になっていた、合併前の4市町と合併後の新久喜市の各会計決算の採決が行われ、私は最初の「2009年度久喜市一般会計決算認定」の賛成討論
に立った。

 演壇に立って口を開こうとしたところで、前列の真正面に座っている鈴木精一議員が私の方を指さしながら何事か言っているのに気がついた。

 どうも『議長…』とか何とか言っていたようだが、聞き取れなかったので、気にしないでそのまま討論を終えた。

 討論を終えて自席へ戻ったときに、仲間の議員から「鈴木さんが『バッジがない』とかって言ってたようだ」と聞かされて、自分の襟元を見たら、確かに議員バッジをつけ忘れていた


 さて午後にすべての日程が終わった後で、議長が控室の私のところへやってきて、「猪股議員がバッジを付けてなかった。他の議員から指摘があったので、今度からしてほしい』と言
われて、“ああ、朝、議場で鈴木議員はそれであんなに騒いでいたのか…”と思った次第…。

 しかしそれなら、議場のその場でもっとはっきりと声を出して指摘するか、直接言ってくれればいいのに、わざわざ議長に言いつけて、議長から注意させるというやり方は、何だか昔
、学校で先生に“告げ口”されたみたいでイヤ〜な感じではあった。

 久喜市議会申し合わせ事項の第18章1には「議員は、議員章を任期中佩用(はいよう)する」とある。

 私は普段から、日常のまちの中で議員バッジをつけているのは、「私は議員です」とひけらかしているみたいで、私の信条に合わない、というか、どうも好きではない。

 バッジなんて付けていても付けてなくっても、私が議員の猪股本人であることに間違いはないし、これまで別に不都合もなかった。。

 市民のみなさんと話していて、「バッジがないけど、あなたは本当に猪股さんですか」なんて聞かれたこともない。

 国会では危機管理とかセキュリティの問題でバッジや通行証は必須かもしれないが、市議会はそれとは違うだろうと思うのだが、申し合わせに載っているのであれば仕方ないのかな。

 それで、上着のポケットに入れておいて、必要なときに付けることにしているのだが、やっぱりホンネでは好きじゃないから、どうしても忘れてしまうことも多い。

 これからはできるだけ忘れないようにしようと思う。

 ところで、申し合わせ事項「議員は、議員章を任期中佩用する」とあるのは、文字通りに解釈すれば、議員は議場の中だけでなく、議会内であるか議会外であるかを問わず、昼間でも
夜でも、プライベートの場でも遊びに出かけているときでも、4年間の任期中はずっとバッジを付けていなければならないということになって、実にばかばかしい。

 久喜の議員さんたちの中で、まちの中でも襟元に議員バッジをつけたまま闊歩している方もいることはいるが、実際には、多くの議員は“公務”のとき以外でははずしていると思う。

 さて、「佩用」とは何か。

 大辞林で「佩用」をひくと、[身におび,用いること。 「勲章を ─ する」]とある。

 よく昔の軍人が勲章をいっぱいぶら下げて偉そうにしている写真を見たことがあるが、あれが「佩用」だとすると、任期中ずっと議員バッジを「佩用」するっていうのは、やっぱりひ
けらかしか見せびらかしに近い感覚になるのではないか。




2010年11月19日 (金)
夕食を政務調査費から支出する感覚?



 久喜市議会は議員1人あたり月2万円の政務調査費が会派に支給されていて、各会派は4半期ごとに使途報告書を提出する義務を負っている。

 今日、政務調査費審査委員会が開かれて、久喜市議会の各会派から提出された第2期分(7月〜9月)の使途報告書と領袖書類の点検を行った。

 使途明細の報告書の一部に日付が抜けていたり、領収書の金額の転記ミスがあったりしたが、ほとんどが訂正ですむものばかりで特に問題は見受けられなかった。

 今までに、たとえば各議員が議会報告を発行してその用紙購入費や印刷代を計上する際には、領収書に「枚数」を記入するとか、かなり細かいことまで話し合いで申し合わせを作って
きて、まずまず市民から見ても明確な報告書になっていると思う。

 今日はさらに、議会報告の用紙代や印刷代、新聞折り込み代の領収書には、今後は議会報告の現物を添付することも申し合わせた。

 そういうわけで、久喜市議会の政務調査費の使途や報告のあり方については、かなり厳格な基準で運用してきているので、その使途基準や申し合わせ事項には反していないのだが、私
には以前からどうしても気になっている支出がある。

 視察に出かけたり、研修会に宿泊で参加したときなどの「夕食代」についてである。

 昔は視察というと温泉旅館に泊まって、宿泊費は1泊2食付き(込み)が普通だったから、旅費条例では「宿泊料 1夜14,800円」となっていて、今でも委員会の視察などでは
この金額を上限として適用される。

 ただし、今ではほとんどの宿泊はビジネスホテルで、夕食はホテルや外のレストランか料理屋で取ることが多いのだが、ホテルの純然たる宿泊料と食費を合わせて14,800円以内
でおさめればよいという運用をしている。(本当は実態に合っていないのだから、見直すべきだろう)。

 政務調査費で視察や研修会に出かける際にもこの旅費条例の規定を準用しているのだが、私はまずこれに引っかかりを感じていて、宿泊料は宿泊料であって、それと別に「夕食代」を
出していいというのはおかしいのではないか、夕食代を政務調査費から支出するのはやめた方がいいのではないかと思っている。

 それにビジネスホテルの宿泊料はだいたいが5000円から高くても朝食付きで9000円であって、私はそれ以上に高いところに泊ったことはないのだが、そうすると14,800
円との差額を全部夕食代に使ってもいいのかという疑問が出てくるではないか。

 というわけで、私の会派では、以前の大地の時も現在の政策会議でも、飲食代はすべて自分持ちにして、政務調査費からは支出していない。

 しかし他の会派のみなさんは、必ずしもそういう考えではないらしい。

 今回の報告書の中にも、飛翔が1人あたり3300円の夕食代を16人分、共産党が3000円の夕食代2人分を2回、政務調査費から支出していたのだが、3000円の夕食という
のは通常の食事代としては非常に高額だから宴会料理ではないか(飲み代は入っていないにしても)と推測されるのだが、こういう支出を政務調査費から負担して、はたしていいものか


 いや、私たちは特に出かけなくたって夕食は自分持ちで食べるんだから、たとえ特に高額な食事でなくて、たとえ500円のラーメン代だって、税金である政務調査費から支出すると
いうのは感情的に納得いかない。

 問題は市民の目から見てどうかということである。




2010年11月15日 (月)
質問時間を短くしようとするのはなんのため?



 14日のブログ記事にも書いたのだが、議会多数会派の議員さんは、なぜあんなにも強硬に質問時間を短くしたがるのだろうか。

 まさか議会審議は短い方がいいとか、執行部との間での政策的な議論はあまりしない方がいいと思っているわけではあるまいが、議員みずからが質問時間を制限しようというのは“二
元代表制の一翼たる議会”が自分で自分の手足をしばり、口をふさぐ行為であると言わざるをえない。

 9日の代表者会議では飛翔で、正式の代表者会議のメンバーではなくてこの日だけの代理で出てきた松村議員がいちばんよくしゃべったのだが、彼の論理によると、『議会はおのずか
ら時間制限の枠があって、その枠の中で質問するのは当然だ、その中でいかに効率的に質問するかは、議員の技術であり、工夫であり、議員の質に問題だ』というのである。

 もちろん議会の日程は事前に決まっていて、それでも審議が終わらなければ日程の変更や時間延長は可能なのだが、一応はその日程と時間の中で審議を尽くすべきであることに異論の
あろうはずはない。

 実際、私たちは旧久喜市議会の時においても、以前は質問時間は「50分」の制限で、それが「40分」に短縮されて、その時間制限の中で政策議論を積み重ねてきたのであって、ま
さに時間の枠の中で工夫しながら質問をしてきた。

 私たちは「40分」以内でも政策的な議論を深め、また効率的に質問しようといっしょうけんめいに工夫し努力してきたのであるが、それに対してさらに時間短縮を押し付けようとし
ておいて、『時間が足りないなどと言うのは工夫が足りないんだ。もっと工夫しろ。議員の質の問題だ』などと言われてはたまったものではない、「あなたに言われたくない」と言いた
くなるではないか。

 ましてや、「7項目の質問をした議員もいた」(猪股のことだ)と、“質問項目が多すぎるから時間が足りないんだ、もっと質問事項を減らせばいい”と言わんばかりの批判も、問題
のすり替えである。

演説や“うんちく”みたいな質問もあったりはする

 それでは、時間を引き延ばしている質問はどのようなものがあるか。

 たとえば、質問内容に直接つながらない“前置き”、自分の知識や知っていることを開陳する“うんちく披露”、自分の主張をとうとうと述べる“演説”…。

 往々にして話が広がりすぎて質問に具体性がなくなって「その辺について答弁をお願いします」なんてやって、執行部も何を聞かれたかわからなくって“その辺”について適当に話を
広げて答えることになる。

 知っていることや自分の主張を延々としゃべったあげくに、「答弁はけっこうです」なんて言って引っ込んでしまう議員もいたりした。

 期待したような答弁が返ってこない場合、答弁に対して論点を整理して議論を深めればいいのだが、1回目の質問と同じ持論を述べて「もう一度お願いします」とやる人もいるが、執
行部はさっきと同じ答弁を“もう一度”繰り返すことになる。

 事前に執行部と打ち合わせているんじゃないかと思えるような質問や、ただ「○○の事業はどうなっているか」と聞くだけの質問などは、わざわざ本会議でやらなくてもいいんじゃな
いか。

 11月定例議会の一般質問が29日から4日間にわたって行われるので、こんな“ムダ”な質問がないかどうか、市民のみなさんの目で質問の“仕分け”をしてほしいものだ。



2010年11月14日 (日)
質問時間の制限は「試行」を継続へ



 11月9日に市議会代表者会議が開かれました。

 この日の中心の議題は11月定例市議会の日程の確認であったが、その後に6月から懸案になっていた“一般質問の時間制限”についての話し合いに移りました。

 もともと合併前の旧久喜市議会では、一般質問は「質問時間のみ1人40分」で、事実上の一問一答方式で行われてきていて、合併後の新久喜市議会でもその方式を引き継ぐことで、
合意していました。

 ところが選挙後の5月に開かれた最初の代表者会議で、いきなり飛翔と公明党が一般質問の時間短縮を主張してきたのでした。

 彼らの理屈は「30人の議員が一般質問をすると仮定して、1人が質問と答弁で1時間を使ったと仮定すると、30時間が必要になる。一般質問の日程を4日間とっても1日8時間、
夜遅くまでやらないと終わらない。だから1人40分の時間を30分にしよう」というものでした。

 この論理自体が、仮定に仮定を積み重ねた架空の話であって、要するに議員がみずからの議会質問を制限して、議会の機能を縮小しようということに他なりません。

 飛翔と公明党が多数で押し切ろうとしたのですが、話し合いの末に、「6月議会と9月議会で、1人35分で試行し、その後に改めて検討する」ことになりました。

 6月議会では28人が質問に立ち、22人は30分未満で質問を終え、6人が30〜35分、つまりほぼ35分の枠いっぱいまでかかりました。
 1日7人ずつで4日間の内、1日は3時15分、2日間は4時半前に終了、1日だけが5時4分に終了しました。

 9月議会は29人が質問に立ち、22人は30分未満、7人が30〜35分かかりました。
 1日目は7人で終了時間は5時9分、2日目は7人で4時18分に終了、3日目は7人で5時1分に終了、4日目は8人でちょうど5時に終了しました。

 結局、6月と9月議会の一般質問にそれぞれ28〜29人が質問に立って、8日間の内、5時を過ぎたのは3日間、5日間は5時までで終了したことになります。

 質問制限時間を40分とした場合、30分以上かかった6〜7人があと5分ずつ長くなったとして、答弁時間は質問とほぼ同じか2〜3割増ですから「7分」と仮定して、4日間合わ
せて最大1時間半、1日当たりでは20分くらい伸びるという計算ですが、そんなに大幅に議会の開会時間が増えることにはなりません。

 いや、それ以前に、質問を短くして“議会を早く終わらせること”が、議会として、また市民にとってはたして“いいこと”でしょうか。

 むしろ議会に求められていることは、できるだけ多く審議時間を確保して、市民の意見や市政の課題について十分にしっかりと議論を深めることであって、議員がせいいっぱいしっか
りと働くことこそが市民の負託に応える道であるはずです。

 実際にはこれまで、多くの議員が30分未満で質問を終わっていますが、それは質問と答弁がかみ合って、しかるべき答弁を得てのことであればいいのですが、必ずしも質問と答弁が
かみ合って適切な答弁が行われるとは限りません。

 そうした場合、できるだけ時間を多く取ってかみ合うような議論を追求するべきですが、質問の制限時間を短くすればするほど、執行部にとっては“あいまい答弁やゴマカシ答弁、不
適切な答弁でも、逃げやすく”なってしまいます。(意地の悪い言い方になってしまいましたが、実際にそういう答弁を繰り返して時間切れ、オシマイなんてことがよくあるのです)。

 だからといって、質問時間を無制限に延々と長くしろとは言いませんが、これまでの経験からして、「40分」というのはぎりぎりの時間だといえます。

 この日の代表者会議で、飛翔と公明党は「35分で十分で、これ以上時間のばすことはできない」と主張し、それに対して政策会議と共産党は「35分では時間が足りない、できる限
りの時間を取るべきで、40分に戻すべき」と主張しました。

 そもそも合併時の申し合わせでは「40分」と決まっていたのですから、試行が終わって、差し支えさえなければ元の40分に戻すのが当然の理屈です。

 最終的には、これまでの試行によってははっきりとは結論が出せないので、さらに11月議会で「35分」、2月議会で「40分」で試行を継続し、その後に来年度へ向けて協議する
ことになりました。



2010年11月 6日 (土)
市の審議会等はだれでも見ることができる



 市の審議会等は原則としてすべて公開で開催されているが、残念ながら、意外と知っている人が少ない。

 知りあいで関心のありそうな人に話してみても、「えっ、傍聴できるんですか」と驚かれたりすることも多いのだが、本来、市の会議はすべて市民のものであり、市民の見えるところ
でやるのが当然なのだ。

 10年くらい前までは、行政が公開すること自体に難色を示し、「傍聴者がいると自由な議論ができない」と言われたりしたものだが、審議会等の委員は「非常勤特別職の公務員」で
あって、市民の税金の中から報酬も支給されているのだから、発言には責任を持ってもらわなければならない。

 市民に聞かれたらまずい(かもしれない)ような無責任な発言は、審議会の場では許されない。
 いや、そういう人を委員に選任することが間違っている。

 いまでは公開があたりまえ、会議録も全文記録(テープ起こししたそのまま)でホームページに掲載されていて、時々「こんな発言が…?」というのも見かけるが、事実は事実として
公開して、発言の評価は市民が行うわけだからそれでいい。

 それと2年くらい前までは、受け付けで氏名と住所を書かなければならなかったけれど、そうした必要のない個人情報を市が収拾すること自体が間違っているので、今は名前も何も書
かずに番号札をもらうだけで自由に入ることができる。

 もちろん、会議の途中であっても出入りは自由だ。

 そういう審議会等では、行政が正式決定する前の、あるいは議会に議案として提案される前の検討段階の課題が提示されて、市民の意見を求めているものが多いので、これからの市行
政の方向性を見極める上で貴重な場であり、大切な情報源でもある。

 だから私もできるだけ傍聴に行くようにしているのだが、なかなかすべてを見るわけにもいかないのだが、関心のある会議は後で担当課に行って資料だけもらったり、ホームページで
会議録を確認することにしている。

 残念ながら、こうした審議会等の傍聴に、他の議員が来ることはほとんどない。

 市民のみなさんももし都合がよければ傍聴してみてはいかがだろう。
 当然、会議で配布された資料ももらうことができる。

     ---------------------------------

◇久喜市食育推進会議
 平成22年11月8日(月曜日)午後1時30分(所要時間約1時間30分)
 場所 久喜市役所 4階 大会議室 
 議題 1.久喜市食育推進会議について
    2.久喜市食育推進計画の策定について
   3.市民意識調査の実施について
  4.その他
 傍聴の定員 10人
 問い合わせ先 久喜市 健康増進部 健康医療課 健康企画係
 電話 0480-22-1111 内線3422

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◇久喜市学校給食審議会
 平成22年11月9日(火曜日) 午前9時30分(所要時間約2時間30分)
 場所 栗橋西小学校1階会議室
 議題 ・栗橋地区の学校給食の現状について
     ・栗橋南小学校北校舎改築に伴う
      工事期間中における学校給食の運営方法について
傍聴の定員 5人
問い合わせ先 久喜市教育委員会 教育部 学務課 保健給食係
電話0480-22-1111 内線(4244・4245)

     ---------------------------------

 会議録は、1か月後くらいに、市のホームページに公開される。
 この他の審議会等の日程は、市のホームページで見ることができる。  ⇒こちら

---------------【委員の募集の情報】 ⇒こちら ---------------

◇久喜市男女共同参画審議会委員
 (1)男女共同参画に関する行動計画の策定等について調査審議をします。また、行動計画の実施状況について、意見を述べます。
  (2)市の男女共同参画の施策に関する苦情について調査し、意見を述べます。
 応募資格    18歳以上の市内在住・在勤・在学者
 募集人数   3人
 任期   2年
 会議開催の予定   年3回程度
 報酬   日額6,000円
 応募期限  平成22年11月25日(木曜日)消印有効












2010年10月28日 (木)
市立図書館の事務事業評価は適切か



 久喜市の決算審査で、市立図書館の市民1人あたりの貸し出し冊数が県内最下位レベルであることを指摘した。

 ⇒ 市立図書館の利用実態調査の記事

 それによると、合併後の平成21年度、久喜市立図書館の人口1人あたりの蔵書購入費はわずか「56円!」で、下から4番目(40市中では最下位)、人口1人あたりの貸し出し冊
数は「3.6冊」で県内では下から12番目(40市中では下から2番目)という状況にある。

 合併前からずっと、市立図書館の状況はほとんど変わっていないので、これは図書館の事業の取り組みの何かが足りないか、取り組みの仕方が間違っているか、いずれにしろ大幅な事
業の改善が必要ではないかと考えるのが当然であろう。

 ところが、久喜市立図書館で実施した20年度の事務事業評価によると、同じ指標を使いながら、総合評価結果は「A (よい)」であり、今後の方向性は「現状のまま継続」となってい
て、その判断理由の欄に書かれているのは、「利用者ニーズに沿った多様な図書館資料の整備、充実、提供が図られている」と自画自賛しているのである。

 人口1人あたりの図書購入費も貸し出し冊数も県内最低ランクという状況は、合併前の20年度と合併後の21年度とでほとんど変わっていないにもかかわらず、どうしてこういう「
A」「現状のまま継続」という評価ができるのか。

 どうしてそういう評価の結論になるか、市立図書館が作成した事業評価シートに従って見ていこう。

 評価シートの中で、「図書資料提供事業」(平成21年7月31日)の欄には、以下のような「評価指標」の数値が書かれている。

(1)図書購入冊数
平成18年度 2188冊
       19   2188冊
       20   2464冊

   雑誌購入タイトル数、CD、DVD購入数(省略)

(2)久喜市立図書館の人口1人当り平均蔵書冊数
     平成18年度 久喜 2.14   県下平均 2.82
       平成19     久喜 2.18    県下平均 2.86
       平成20     久喜 2.22冊  県下平均 2.92冊

(3)久喜市立図書館の人口1人当り平均貸出冊数
    平成18年度 久喜 3.61   県下平均 5.17
       平成19     久喜 3.30    県下平均 5.09
       平成20     久喜 3.22冊  県下平均 5.56冊

(4)久喜市立図書館の人口1人当り平均図書購入費
    平成18年度 久喜 58     県下平均 181
       平成19     久喜 60      県下平均 168
       平成20     久喜 65円    県下平均 165円

 これらの指標から、
 「事業の有効性」は、「図書については前年度より上回って購入し、提供しており、視聴覚資料のCD、DVDについても、平成19年度から館外貸出を実施したことにより、前年度を上
回って購入し、利用者に提供している」から「大変有効である」とされる。

 「事業の効率性」は、「県下市町村立図書館人口1人当りの平均図書購入費は、指標の計算式の「市町村図書館活動調査結果」が所収されている平成21年度「埼玉の公立図書館」によ
るものであり、埼玉県全県平均には及ばないが、人口1人当りの図書等購入費は微増している」から、「非常に良い、良い、改善を要する」の中の「良い」にチェックが付けられている


「結論ありき」の事務事業評価か

 評価指標として蔵書冊数や貸し出し冊数、図書購入費の県内比較をしているのにもかかわらず、事業の効率性を判定する際には、「全県平均には及ばないが、人口1人当りの図書等購
入費は微増している」から“効率的であった”という評価になっているのだ。

 つまり、その評価にあたっては、貸し出し冊数の指標や、図書購入費の指標…それらのいずれもが県内平均よりも著しく低いという事実はまったく無視されているのである。

 なぜこういう判断になるか。

 貸し出し冊数や図書購入費が県内平均よりも著しく低いということが明白になれば、当然、事業の有効性も効率性も“改善を要する”という結論が導き出されるのであって、結論は“
手段等の見直しが必要”という総合評価になるであろう。

 この場合の手段等の見直しとは、図書購入の拡大(あるいは購入図書の選定の多様化や購入費用の増額)、司書の増員、レファレンスサービスの拡大と多様化、市民=お客さまへのよ
り懇切な応対を意味する。

 いずれにしてもこれは市立図書館への予算の増額を意味するのであるはずだが、財政当局としてはそれでは困る。

 図書館への財政支出を増やしたくない財政当局の意を体して、すでに今のままでも図書館事業は有効であり、効率的に遂行されているという結論を強引に引き出しているのではないか


 もしかしたら市立図書館の事務事業評価に限らず、久喜市の事務事業評価は、財政支出を増やさないという結論が先にあって、そのために恣意的な判断が組み立てられているのではな
いか。







2010年10月 9日 (土)
子宮頸がんワクチンの意見書の賛否



 9月議会に、公明党から「子宮頸がんの予防措置実施の推進を求める意見書」が提案された。

 子宮頸ガンの予防対策を実施することを政府に求めるものであるが、国の制度として子宮頸がんワクチンの「いっせい接種」を進めること、請願提出者は『特定年齢』と呼んでいるの
だが、12歳前後の女子児童にワクチン接種を進めることが柱になっている。

 何年か前に久喜市議会で、このワクチン接種を求める意見が出されたときなどに、すべての子宮頸ガンを予防できて、一度接種すれば“半永久的に有効”であるかのような言い方をさ
れて、『ホントかな?』と思ったこともあった。

 しかしこの子宮頸がんワクチンが、今の段階でさまざまな問題点を持っていることは否定できないし、小学生や中学生の子どもたちに接種を大々的に進めることには、大いに疑問があ
る。

 以前に指摘しておいた猪股のブログ ⇒ こちらを参照

 そこで、提案者の矢崎市議に対して、次のような質疑をした。

 1.子宮頸がんワクチンを進めるに当たっては、それが子宮頸がんに対する半永久的な万能ワクチンではないことをきちんと踏まえる必要があるのではないか。
 ワクチンが、一部の子宮頸がん(12の型中2つの型60%程度)に有効であるが、すべての子宮頸がんに効果があるわけではないことについての見解。
 子宮頸がんワクチンは製造元のグラクソ・スミスクライン社によると、現在のところ持続効果は6〜7年とされている(臨床試験では6〜7年しか実証されていない)ことについての
見解。

2.特定年齢層とは12歳・小学校6年生を想定しているか。
 12歳でワクチン接種したとすると、6年後に再接種を想定しているか、その後は定期検診を想定しているか。

3.子宮頸がんの予防に当たっては、ワクチン接種や細胞診が一定の有効性を有しているものの、HPV(ヒト・パピローマ・ウイルス)検査が最も有効で大切であるとされているが、
どう考えるか。

4.子宮頸がんワクチン接種に当たっては、性教育及び、HPVと子宮頸がんの関係についての、以下の啓発が大前提とされているが、どう考えるか。
 HPVが性交渉によって感染するウイルスであること、ワクチン接種で安心というわけではないこと、HPVはいわば常在菌であって、7〜8割の女性が一生のうち一度は感染するも
のの、たいていはがん化しないが、その一部の危険除去のためのワクチンであること、予防にはワクチンだけではなく、定期検診が欠かせないこと、さらに性教育を含めた啓発が前提と
なること

5.「特定年齢層への一斉接種」とあるが、どういう意味か。あくまでも任意接種であるべきだが、どう考えるか。

 1から4までの答弁は、私の考えとそれほど大きな見解の違いがあるとは思えなかった。

 ワクチンは、子宮頸ガンの『2つの型、70%くらい』に対して予防効果があるが、他の方については効果がないこと
 12歳前後での接種後、20歳以降は定期検診による予防を想定していること
 “ワクチン接種しさえすれば安心”ではなくて、定期検診が不可欠であること
 特に、私が《4》で指摘した性教育や啓発の重要性については、意見書提案者からもほぼ同意していただけたと理解している。

 ただ、《5》の『特定年齢層への一斉接種』について、提案者は(個人的見解と断りながらも)、『学校での集団接種が望ましい』という見解を示したのである。

 しかしこれには絶対に同意できない。

 特にこのウイルスは性交渉によって感染するので、性交渉経験後にワクチンを接種しても効果はないとされている。
 したがって、接種前に性交渉とウイルスの関係、ワクチンの効果について啓発することが前提となるから、その女子児童が性交渉経験をしているか否かが問題になり、問診で明らかに
せざるを得ない。

 さてその場合、たとえば性犯罪などのさまざまな事情によって、既に性交渉経験済みの児童とその保護者はどうしたらいいか、医師に告知するのかしないのか、ワクチン接種をするの
かしないのか。

 児童や保護者に対してきわめて微妙な、しかしきわめて深刻な人権上の問題につながっていかざるを得ない。

 したがって私は、一定程度の効果を認め、その限界を認識した上でワクチン接種を進めるとしても、あくまでも“任意の個別接種”であるべきであって、提案者が言うような『学校で
の集団接種』は容認できないと考える。

 そこで、その後の休憩中に、もう一度提案者の見解を確かめてみたところ、討論・採決の直前になって、提案者が発言を求めて、『一斉接種は集団接種ではなくて、任意接種を意味す
る』と発言を修正してきたので、採決にあたっては、私たちも賛成することとした。

「均てん化」って何?

 意見書では「接種機会の均てん化」という言い方が2か所も使われている。

 大辞林を引くと「均霑」というむずかしい漢字が出てきて、「等しく利益にうるおうこと」という説明があるのだが、意見書になぜわざわざこんな「均てん化」などという一般的には
けっして使われない語を使うのかについても聞いてみた。

 、提案者は『雨露が等しく地にしみこむように」と説明したので、さらに「別の平易な語では何と言うか」と突っ込んでみたら、「平等化」と言い換えてくれた。

それでもやっぱり「反対」した議員の反対理由は?

 採決では、公明党と共産党、政策会議、飛翔の中の10人が賛成、飛翔の中で、井上、鈴木松蔵、大谷、梅田、上條、田島の6議員だけが反対した。(井上、鈴木は久喜地区で、あと
は鷲宮地区の4人全員が反対したわけだ)。

 意見書に対する質疑で、井上議員がワクチンの安全性について質問したのだが、矢崎議員が『安全である』と答弁して、井上氏は再質問もしないで引き下がったから、納得したかに思
えたのだが、それでなぜ反対の態度を取ったかはわからない、…井上氏からも他の5人からも反対の理由は述べられなかった。

 ただインターネットを検索してみると、『子宮頚がん予防ワクチンは「民族根絶やしワクチン」です!』というたいへん過激な記事が出てきたりする(子宮頸がん ワクチン 民族な
どのキーワードで検索)から、そこら辺が論拠なのだろうか。



2010年10月 8日 (金)
修正案を出すことの意味



9月29日の議会最終日に、「男女共同参画推進条例」の修正案を提案した。
 その内容と、飛翔と公明党の多数によって否決された経過は、すでにホームページに掲載した。 ⇒ こちら

 彼らは、総務財政市民委員会で政策会議の新井議員が同じ内容の修正案を提案した際には、理由にもならないいわば難癖を付けて反対していた。
 そのことを踏まえて、本会議で私が彼らの述べた反対の理屈に対してきちんと説明したことに対しても、もはやいっさいの反論をしなかった。

 要するに彼らは、市長が出してきた議案はそのまま通すことをみずからの役目と思っているのであろうか。

 執行部が提案してきた内容に対して、議会としての検討・審議を通じて、よりよい政策にしていくことが議会の責任であるということなどは考えもしないらしい。

 ところで、岸議員がみずからのホームページで次のように書いた。
          -----------------------------------------
 討論・採決では、案123号「久喜市男女共同参画の推進に関する条例」に委員会同様修正案がだされましたが修正案否決、原案全員で可決されています。委員会・本会議共に2度も修正
案を出し(否決され)、かつ原案に賛成するというのは余りよく解りません。
          -----------------------------------------

 市長(執行部)が提案してきた議案に対して、議会が修正案を出すというのは、市民の視点からその議案や政策をよりよいものにしていく営みであるのだが、その場合の「修正案」に
は2通りのケースがある。

(1)原案が容認できない欠陥を持っていると判断して、原案の一部を変更することが必要だと考えた場合には、「修正案」を原案に対置して、議会の他の議員に対して、原案と修正案
のどちらかの選択を迫る。

 たとえれば、原案のままでは「40点」で不合格だが、修正すれば合格点の「60点」に達すると言えばいいだろうか。

 その場合には、修正案が可決されて、修正部分を除く原案の残りの部分が可決されれば、一部を修正された原案が成立することになる。

 もしも修正案が否決されれば、原案の全体が採決に付されることになるが、その場合、修正案を提案した議員は原案に反対することになる。

(2)それに対して、原案全体を評価する立場であっても、しかしその一部を修正することによって原案がよりよいものになると判断した場合には、「修正案」を提案して、他の議員に
対して原案を少しでも改善をしようと呼びかける。

 原案のままでも一応は合格点の「60点」に達しているが、修正することによって「70点」になるというたとえになるだろうか。

 その場合には、修正案が可決されて、修正部分を除く原案の残りの部分が可決されれば、一部修正の原案が成立することになるのは、上の(1)と同様である。

 しかし修正案が否決された場合でも、修正案を提案した議員も、原案そのものも“次善”の政策として評価する立場だから、原案の採決でも賛成する立場である。

 今回の男女共同参画推進条例の採決にあたって、私たちが、修正案を提案して、それが否決されたあとに原案にも賛成したのは、この(2)にあたる。

 岸議員のホームページの記述からは、“修正案を出しておいて原案にも賛成するのはおかしい”、修正案を出した議員は原案に反対するものだと思いこんでいるらしい。

 どうも彼は、議会における原案と修正案の関係、いやそもそも修正案を出すことの意味からして理解できていないようなのだが、4期も議員をやっているベテランとも思えない。




2010年10月 2日 (土)
決算審査が始まったけれど…



 10月1日に決算常任委員会の1日目が開かれた。

 今回の決算認定議案は、合併前の旧久喜市が一般会計と6特別会計、旧菖蒲町、旧栗橋町、旧鷲宮町のそれぞれの一般会計、特別会計、栗橋鷲宮衛生組合や栗橋大利根土地区画整理組
合などの決算、それに合併後の新久喜市の各会計会わせて全部で46件にのぼる。

 9月議会で決算常任委員会に付託されて、12月議会までの継続審査になっている。

 10月1日から始まって、旧久喜市の決算が2日間、旧3町が各1日ずつ、少し伸びても、予備日の1日を確保して、何とか6日から7日で終わるのではないか、終わらせたいという
希望的観測で進めている。

 決算委員は、政策会議/猪股、石川、春山、新井、飛翔/青木(副委員長)、井上、大谷、上條、並木、柿沼、松村、公明党/岡崎(委員長)、足立、斉藤、共産党/木村、石田の全
部で16人である。

 初日の10月1日の質疑は、石川、春山、猪股、木村、石田がほとんど切れ目なく発言していたが、他には足立が少し、井上、上條が1〜2回たまに、といった程度だった。

 最初は旧久喜市の一般会計の決算審査から入ったから、旧町の議員さんたちが質疑しにくいのはわかるけれども、せっかく決算委員に選任されているのに、16名の委員の半数が発言
もしないで座ったきりというのはどういうわけか…、特に飛翔から8人も出ているのに2人だけしか発言しないというのはいかにもさびしい。

 合併したばかりで、部課長は大幅に代わっているし、昨年の久喜市の行政に関わっていない部課長も多くて、質疑に対してまともに答えられずに、「保留にさせてください」「保留し
ます」がやたらと多くて、あれも保留、これも保留という具合で、審議を停滞させる原因になった。

 また、議員の側からは、それぞれの政策執行について、事業を執行しての成果や政策的評価、判断基準、政策そのものの意義などを問う質疑がたくさん出されるのであるが、答弁する
執行部の課長たちの方は、事業費用の内訳とか単価、人数とかしか用意していなくて、質疑となかなかかみ合わない。

 旧久喜市の決算委員会では政策的な議論も行われていたから、そうした質疑があることはわかっていたはずだが、新しい課長さんたち、特に合併後に旧久喜市以外から新しく課長にな
った人たちは政策的議論には慣れていないようだ。

 こんな状態では、旧久喜市の決算審査だけでも2日間では終わりそうもなくて、いったい何日間かかることか、思いやられるけれど、議会は議案を審議するのが仕事だから、何日かか
ろうがやるしかない。

 合併前の旧久喜市議会では毎年、決算審査は4日はかかっていたから、今回も旧久喜市分だけで2日で終わるはずはなくて、3日、あるいは4日はかかるだろうというのが大方の予想
である。

 そんなこんなで、初日は少しでも先へ進んでおこうということで、夜の8時か9時くらいまでは残業してでも審査しようと、議員の方は覚悟していたのだけれど、意外にも委員長が午
後6時を少し過ぎたところで打ち切ってしまった。

 なぜかと不審に思って聞いてみたら、実はこの日に就任した副市長の歓迎会を夜の6時から入れてしまったので、早く終わらせて欲しいと求められたらしい(そんなこと、われわれ議
員は聞いてないよ!?)。

 よりによって決算委員会の初日、議会側も執行部側も(?)遅くまででもがんばってしっかりと審査しようと臨んでいた日に、執行部の懇親会(宴会?)を入れるというのはどういう感
覚か、「懇親会の都合に合わせて、議会審議も配慮して縮めてくれるだろう」と甘えているとしか思えない。



2010年10月 1日 (金)
『いかなる増税にも反対する』誓書とやらの真偽



 昨日、久喜市議会で、「消費税増税に反対する意見書」が否決された記事を書いた。

 その中で、消費税増税に真っ向から反対して参院選で躍進した「みんなの党」公認議員である鈴木精一氏が、「消費税増税に反対する意見書」に反対、つまりは消費税増税に“賛成”
の態度を取ったことを記した。 ⇒ こちら

 実はもっと変なことがある。

 「JTR日本税制改革協議会」という、議員の間では比較的有名な団体があって、政治家に対して、増税反対を自分の政策の中心に据え、立場を明確にするよう求めるとともに、『い
かなる増税にも反対する』立場を表明し、『子供にツケをまわす議決に反対します』と明記した「納税者保護誓書」 への署名を推進している。

 久喜市議会では唯一、鈴木精一議員がこの「納税者保護誓書」を提出していて、JTRのホームページにも公表されている。

    http://www.jtr.gr.jp/020signer/000603.html

 鈴木氏が、「消費税増税反対の意見書」に反対したり、過去には国民健康保険税の増税にも賛成していたのは、この「納税者保護誓書」にも違反しているのではないかと思うのだが、
本人の弁明を聞きたいものだ。






2010年9月30日 (木)
市議会で、「意見書」は政党方針を反映する



 9月議会最終日の29日、公明党や共産党から「政府に対する意見書」が4件提出された。

 今回提出された意見書案は、公明党が「子宮頸がんワクチン接種の制度化」についてであったり、共産党が「消費税増税反対」や「UR(以前の住宅公団)賃貸住宅の継続を求める」
、「児童虐待防止の態勢強化と予算措置を求める」、「生活保護の老齢加算の復活を求める」であったり、各政党が全国的に展開している政治テーマに関わって、全国各地の議会にいっ
せいに提出されることが多い。

 つまり、それぞれの政党が国政の課題について全国的な運動を進めていて、「地方自治体議会からもこんなに政府に意見書(要求)が出ているんだから、政府はそれに応えるべきだ」
という形で“世論形成”に利用しているわけだ。

 このことはある意味では、地方自治体の議会を、その自治体の政策形成の場とするよりも、全国的な政党活動の一手段と位置づけて、政府への“圧力”として利用していることになる
ので、誤解を恐れずにあえて言えば、私としてはこういうやり方はあまり好きではない。

 もちろん、地方自治体の政策も基本的に国政に規定される部分がたいへん大きいから、地方から国政に対して“もの申す”ことは重要だし、政治課題について意見書という形で要求を
提出する意義を否定するつもりはないことは付け加えておく。

 意見書への賛否によって、各議員の政治的スタンスを計ることもできる。

「消費税増税反対」の意見書

 今回の意見書の中で政治課題として最もわかりやすいのは、共産党が提出した「消費税増税に反対する意見書」である。

 直接的には国政の政治課題であるから議員個人個人の政治的立場によって態度が違ってくることになるのだが、当然ながら政党所属議員たちは、それぞれの政党の方針を直接に反映し
て、意見書への賛否を表明することになる。

 久喜市議会では、共産党市議団4名と、政策会議では私1人が意見書に賛成(消費税引き上げに反対)した他は、公明党市議団5名、飛翔に所属している自民党議員と民主党議員、政
策会議に所属している自民党議員と無所属議員、無会派議員は、意見書に反対して『消費税引き上げに賛成』の立場に立った。

 私自身は、政府の財政の危機的状況を考えれば、特にこれから膨張していかざるを得ない(拡大させていくべき)社会保障の財源として、また安定的な税収を確保するという意味で、
将来的・長期的に見て、消費税の引き上げはやむを得ないと考えている。

 しかし、現在の税制構造を維持したままでの消費税率引き上げはとうてい容認できない。

 まず第1には、税収の落ち込みや国債発行の穴埋めのための消費税増税であってはならない。

 現状で消費税率を引き上げるとすれば、それは高所得者層の減税や法人税の落ち込みを埋めるだけであって、いわれているような「福祉の財源」には回らない。

 本来、税は社会的な「所得の再分配機能」を果たすのが役割であるから、極端に弱められている所得税の累進構造を強化して、高所得者への最高税率を引き上げること、法人税におけ
る租税特別措置などの見直しを進めることが前提でなければならない。
 それと同時に、これは参院選の前の管首相の消費税引き上げ発言の中でもあったことではあるが、消費税の「逆進性」を緩和するためには食料品や生活必需品の軽減税率を新設するこ
とも大前提となる。

 そういう立場から、私は今回の「消費税増税反対の意見書」に賛成した。

 結果としては、賛成5、反対28でこの意見書は否決されたのであるが、わかりにくかったのは「みんなの党」所属の鈴木精一議員が、この意見書に反対の態度を取ったことである。

 その「みんなの党」は、夏の参院選で「増税の前にやるべきことがあるだろう」と、共産党と同じくらい「消費税増税反対」を大々的に叫んでマスコミにアピールし、有権者の支持を
得た。

 今年の市議選で、ただ1人「みんなの党公認」を名乗ってトップ当選を果たした鈴木議員が、どうして「消費税増税反対の意見書」に賛成しなかったか、採決に当たって、飛翔の議員
たちの中にまぎれるように着席したままだったのはなぜか。

 みずからの所属政党の最大の公約を自分の政治活動の場である市議会の中で反映しようとしないなら、政党「公認」議員とはいったい何か。









2010年9月18日 (土)
間違った発言



 17日の総務財政市民委員会の男女共同参画推進条例の審議の際に、私は委員ではなかったが、傍聴席から一つだけ質問した。

 その際に、間違った質問をして総務部長を困らせてしまったので、ここに反省の弁を書いておく。

 “間違った発言”というのは、「市民参加条例」が、第7条 付属機関の委員の選任について 「(3)男女の構成比率 男女いずれの委員数も委員総数の30%以上とする」と規定
しているのであるが、私はこれを『女性委員の数が30%以上でなければならない』と規定していると発言してしまったのである。

 市民参加条例が制定される以前、久喜市では審議機関の女性委員の割合を15年前は「各審議機関ごとに20%を目標とする」としていて、私は議会の一般質問や議案質疑で何度も何
度も、その目標比率を高めるよう求めてきて、ようやく10年くらい前になって「30%」に引き上げられた。

 その後、この目標数値を市民参加条例に盛り込むに当たって、女性委員の割合ではなくて、また目標数値ではなくて、「男女いずれの委員数も30%以上でなければならない」と明確
に規定されたのである。

 20年くらい前の段階では、女性委員や公募委員の目標数値を明記するよう提案し、次の段階ではその割合を引き上げるよう求めてきた。

 そしてはじめは目標値であったのを守られるべき数値へと転換させ、さらに女性委員の割合の表記から「男女いずれの委員も」という現在の規定へと転換してきたのであったが、ずい
ぶんと長い時間がかかったものだ。

 ⇒ 1997年「久喜市の審議会等への女性の登用を進める決議」
 ⇒ 政策審議機関における女性の割合 2005年以前  2009年

 昨日の質問の際、私の頭の中にはその古い古い規定がよみがえっていて、久喜市がいまだに“女性委員の目標比率”を決めているかのように決めつけて、男女共同参画条例における「
男女いずれか一方の委員の数は、委員総数の10分の4未満にならないように」との違いを質問してしまったのであった。

 質問している最中に、『あっ、しまった。もしかしたらすでに転換していたっけ』と思い出したのだったが、その場で市民参加条例の条文を確認しないままに、思いこみにしばられて
の痛恨のミス発言であった。



男女構成比をあいまいにしておきたい人の詭弁



 17日の総務財政市民委員会で、男女共同参画推進条例が審議されて、政策会議の新井・内田議員が修正案を提案した。

 第20条(審議会の組織)に規定する男女共同参画推進審議会(委員10人以内)の男女構成についてである。

            -----------------------------------
《原案》
 第20条3 男女いずれか一方の委員の数は、委員総数の10分の4未満にならないように努めるものとする。

《修正案》
 第20条3 男女いずれか一方の委員の数は、委員総数の10分の4未満であってはならない。
            -----------------------------------

 結果的には賛成少数で否決されて、原案が可決された。

 ⇒ 委員会の経過についてはこちら

 修正案に対する他の委員からの質疑は、何が何でも修正案に反対するためのむりやりの理屈付けとしか言いようがないものであった。

 結局のところ、鈴木精一議員による『修正案反対』の理論は次のようなものである。

 男女いずれもが必ず40%以上でなければならないとすると、委員数10人の中で[6人:4人]か、[5人:5人]となる。
 男女のいずれかが4人であった場合、もしも1人でも自己都合で辞職すると、審議会が開けなくなってしまう。
 だから男女いずれもが40%以上というのを“義務”として規定すると、会議が開けない場合が出てくる。
 それを防ぐためには、“努力規定”で「努めるものとする」にしておけば、1人欠けて3人(30%)になっても審議会が開けるから、『あいまいな規定にしておいた方がいい』とい
うのである。

 仮に委員が欠けた場合は当然に、急いで後任を選任することになるのだが、鈴木議員は、緊急に審議会を開かなければならない場合に間に合わない恐れがあるからダメだともいうので
ある。

 この理屈はどうして間違っているか

 第1

 久喜市には「市民参加条例」というのがあって、その7条で付属機関の委員の選任について規定していて、次のような規定がある。
 (1)公募による委員の比率 付属機関の委員総数の30%以上とする。
 (2)男女の構成比率 男女いずれの委員数も委員総数の30%以上とする。

 こちらは“義務規定”であって、“努力規定”ではない。

 だから、まず公募の委員は30%以上でなければならないのだが、実際にはどの委員会もちょうど30%を公募するのが通例であって、委員数10人であれば、公募委員が3人である


 また男女のいずれもが30%以上となっているから、10人の委員の内の3人が女性または男性であったとする。

 もしも公募委員の内の1人でも、あるいは女性または男性が3人しかいない内の1人が何らかの理由でやめたとするとどうなるか。

 鈴木議員の理屈に従えば、その瞬間に当該の審議会は成立しなくなってしまうことになる。

 これは30%だろうが、40%だろうが、関係ないのであって、市民参加条例では「30%以上」を義務付けているのに、男女共同参画推進条例では「40%以上」を義務付けること
ができないというのはおかしいではないか。

 第2

 実は、市民参加条例における公募委員および男女構成比率「30%以上」の規定も、男女共同参画推進条例の男女構成比率「40%以上」の規定も、どちらも委員を選任する際の基準
を定めたものであって、会議の成立要件を規定したものではない。

 男女共同参画推進条例の場合、21条2で「審議会の会議は、委員の過半数の出席がなければ、開くことができない」と規定されている。

 つまり在籍している委員の過半数が出席していれば会議を開くことはできるのであって、その時点で審議会の委員の男女構成比がどうなっているかは会議の成立には関係ないと解する
べきである。

 したがって、委員が自己都合で辞めてしまって男女いずれかが「40%以上」の構成要件を満たさなくなってしまった場合であっても、会議の開催自体は定足数さえ満たしていれば開
けるのだから、鈴木議員の仮定の話における心配はまったく意味のない杞憂である。

 ただしあえて断っておくが、これは条文の解釈上は、委員選任の構成要件が欠けても会議自体が開けないとか無効になるわけではないということを説明したものである。

 仮に委員が欠けた場合には、行政の政治的責任として、後任者を選任してから審議会を開く、または審議会の開催までに急いで委員の後任を選任して、条例に規定された男女構成比や
公募委員の割合を早急に充足させるように“努める”べきことは言うまでもない。

 結論

 鈴木議員が、「40%以上」を義務規定にすると委員が欠けたときに困るからあいまいにしておいた方がいいという理屈は、むりやりにひねり出した“反対のための理屈付け”の珍説
であり、“詭弁”であると言うほかない。



2010年9月16日 (木)
久喜市副市長は決まったけれど



 副市長の選任は、普通は新しい市長が就任したら最初の議会に提案されるのであるが、久喜市では5月18日の最初の臨時議会にも、6月3日からの定例議会にも提案できなかった。

 ⇒ 6月議会の記事を参照

 久喜市が3月23日に合併してから6か月、選挙で田中市長が誕生してから5か月弱の間、久喜市の副市長は不在のままだった。

 それが、9月2日から開かれている定例市議会のちょうど真ん中に当たる15日に、突然、田中市長が追加議案として「久喜市副市長の選任について」の人事を提案し、即日採決が行
われて可決された。

 久喜市の初代副市長に就任したのは、さいたま市にお住まいで、これまで久喜市とも旧3町とも何らの縁もゆかりもなかった埼玉県の職員、東松山にある埼玉県平和資料館の館長を務
めている方だそうである。

 普通は年度途中での異動はないのだけれど、県職員をいったん退職しての“天下り”であり、将来に副市長を退任することになれば、県への“天上がり”復職は保障されている。

 私にとっては、その人とはこれまでまったく会ったこともない知らない方だから、経歴とか資質とか能力とか個人的にも政治的にもどうこう言うことはない。

 ただ情けないのは、合併して人口15万人となった久喜市民の中にも、1000人を超える職員の中にも、副市長の職をまかせられる人材がいないと露呈したようなものではないか。

 なぜこういうことになったか。

 実は、5月の初議会の段階で、まわり中が認める“適任者”がいて、議会へ提案の直前まで行ったのだが、正式に提案もされない段階で最大会派から『ノー』が出されてしまって、市
長は議会への提案を断念したのだった。

 本来、行政の人事は市長の専権事項であって、市長にしか提案権はないのであるから、もしも議員が『この人ではふさわしくない』と考えるのであれば、議会に提案されてから反対す
るのがスジである。

 それを、提案されもしない前の段階で『あの人ではダメだ。取り替えろ』と人選に口をはさむ行為は、議会による行政介入に他ならず、市長の行政執行を歪めることになるのであって
、厳に慎むべきこととされている。

 今回はまさに、議会で多数の力をバックにした一部の議員が、この市長に対する人事介入を行ったと言うしかない。

 そして田中市長はその介入に対して、みずからの人選と判断を貫き通すことなく、内々に名前のあがっていた副市長候補者を差し替えて、県に職員の派遣を要請して“天下り”を受け
入れたのである。

 議会を牛耳る一部の議員も市長も、政治家として、また行政責任者のモラルの一線を越えてしまったのではないか。

 私としては、人事が市長の専権事項であることと、その県職員である候補者自身に問題があるわけでもないから、反対はしなかったのだけれど、田中市長の今回の議会対応の政治判断
はどうにも納得いかないでいる。

 議会と市長が政治的政策的に対立したり、市長が“少数与党”の元で市政運営に心を砕くことはよくあるのであって、春日部市では、現在の市長が就任以来1年も副市長の選任ができ
ないで苦労したそうだし、和光市でも1年以上も副市長席は空いたままである。

 この2市の例はそれぞれの特殊な経緯や事情はあるようだが、いずれも市長がみずからの政治的立場を貫き、スジを通した結果ではあろう。

 (あえて断っておくが、阿久根市長の、議会を無視して副市長を専決処分で選任したやり方は地方自治法違反の独裁であって、まったくの別問題である)。

 さて、多数で市長に言うことを聞かせた人たちが、次はどのような行動に出てくるだろうか。



2010年9月 3日 (金)
議会基本条例には着手しないことになった!?



議員の“やる気”が問われている

 7月に、会派・政策会議から、「久喜市議会基本条例」の策定作業への着手を議長に申し入れ、各会派で検討することになっていた。

 9月2日に開かれた代表者会議で、各会派の検討結果が報告され、政策会議と共産党が「策定作業への着手」を求めたのに対して、飛翔と公明党が反対して、「議会基本条例」の制定
は見送られることになった。

 旧久喜市議会では2009年に「議会基本条例」を制定したが、合併で“失効”し、新久喜市議会としての議会基本条例の制定が必要であること、それ自体についてはだれも否定でき
ないはずだ。

 一方で、久喜市ではやはり合併時に失効していた「自治基本条例」について、9月から策定作業を開始することになっている。

 私たちは、久喜市の住民自治の基本を定める「自治基本条例」と「議会基本条例」の策定作業を同時に進めることが必要であると考えてきた。

 本来、議会は久喜市の住民自治の重要な要素であるのだから、理想的には「久喜市自治基本条例」の中に『議会』の章を設けて一本化した形での自治基本条例を制定することも、当然
検討されていい。

 したがって、自治基本条例の策定作業と同時並行的に、議会基本条例の策定作業に着手して検討していくのが望ましいのだが、久喜市議会の多数を占める飛翔と公明党はそうは考えな
いで、議会基本条例の策定作業の開始に反対したのである。

議会基本条例の策定に反対の理由は何か

 飛翔の岸代表は反対の理由をこう説明した。
 合併して議会は1市3町の議員で構成することになった。
 久喜市議会では長い時間をかけて議会活性化の上に議会基本条例を策定してきた。
 しかし(旧町の議員は)新久喜市の議会運営にまだなじまないところもあるから、今この時点で議会基本条例の策定に取りかかるのは時期尚早である。
 必ず近い将来に取り組まねばならないが、調査・研究・検討の課題としたい。

 公明党の戸ヶ崎代表はこう説明した。
 議会基本条例の策定を進めることに基本的に反対ではない。
 ただ、旧久喜市の議員はいっしょうけんめい勉強してきたが、旧町の議員や新人議員はこれから研究したり勉強していかなければならないので、今すぐに策定作業に取りかかるのでは
なく、その前に研究・勉強することが必要だ。

 2人の反対理由はまるで打ち合わせたように一致していて、要するに、旧町議会議員の人たちは市議会のやり方にまだ慣れていないし、議会基本条例についてもこれから勉強してもら
わなければならないから、策定作業に着手するのは時期尚早であるというのである。

 一見、旧3町の議員さんたちに配慮したかに見えるのだが、はたしてそうか。

議会基本条例は「町議会」から始まった

 現在、全国の議会で議会基本条例の制定が大きなうねりになっているが、実は議会基本条例を最初に制定したのは、北海道栗山町議会(2006年)であり、2番目は神奈川県湯河原
町議会(2007年)、3番目が三重県議会、4番目が三重県伊賀市議会と続き、2008年までに策定した31議会の内、実に13議会が町や村の議会である。

 埼玉県でも最初に議会基本条例を制定したのは、ときがわ町であって、つまり議会基本条例について言えば、市議会が進んでいて、町議会が遅れているわけではなくて、むしろ全国各
地の町議会からこそ、議会活性化と議会基本条例制定への問題意識が噴出し先行してきたのであった。

 したがって、“合併前の旧3町では議会活性化の取り組みもしてこなくて、町の議員は市議会のやり方になじんでいないとか、これから議会基本条例の勉強をしていかなければならな
いから、まだ策定作業にかかれない”などと、まるで意識や認識が遅れているかのように言うのは、一見、町の議員さんを尊重しているように見えて、実は逆にたいへんばかにした言い
草なのではないか。

一関市議会は合併後すぐに策定に着手した

 合併してまだ間がないから、これから研究・検討していく期間が必要で時期尚早という言い方も、実は策定を先送りするための口実でしかないのであって、全国各地には合併してすぐ
に議会基本条例の策定作業に着手した議会も多い。

 全国で6番目に議会基本条例を策定した岩手県一関市は、2005年9月に合併して11月に議員選挙が行われてすぐに議会基本条例の策定作業に着手して、1年半後の2007年6
月に制定した

 数年前に一関市議会に視察に行った際に、合併して、これまでそれぞれの議会運営のやり方を取ってきた旧市・町の議員さんたちが、議会の位置付けや運営について同じ認識を持って
共通理解のもとに進めていくためにこそ、議会基本条例が必要と考えたので、合併後直ちに策定を進めたという説明を受けた。

 出雲市では2005年に合併して2007年に議会基本条例を制定、北名古屋市は2006年に合併して2007年に制定するなど、合併後2年以内に議会基本条例の策定を実現した
議会は多い。

 これらの議会は合併して議員の認識が一致していないからといって先送りするのではなく、逆に議会基本条例の策定作業を進めていく中で、議会とは何か、議員の役割と責任とは何か
、議員としてどのような行動が必要なのかという議論を行っていった。

 議会基本条例の策定作業を通じて、合併後の議員間の一体性と議会に対する理解を深め、議会の存在価値自体を高めるのに成功したわけだ。

 これらの議会の積極的な取り組みに比べて、久喜市議会における岸議員らの姿勢は何と後ろ向きで、議会基本条例の策定自体に消極的であることか。

 岸議員らは「必要だ」「策定に反対ではない」と繰り返し言い訳しながら、実際には議会としての検討を始めることにさえ躊躇し、結局は議会基本条例の議論を行うことに反対し先送
りを図ろうとする姿勢がミエミエではないか。

早急に策定作業に入る必要がある

 石川議員が「それではいつごろまでに着手するのか」と真意を確かめようとしたのに対しても、岸議員は「時期についての考えはない。(議会基本条例の)条文にまとめるべきものも
見あたらないので、自治基本条例が制定された後で考えよう」「調査研究のための組織を作ることについても考えていない」「できるだけ早くとも言えない」と、当面、議会基本条例の
策定を進めること自体について、まったく考えていないことをあからさまに述べた。

 仮に、議会基本条例の策定作業に着手しても、直ちに(たとえば半年間で)条例を制定できるわけではありえない。

 議会全体の勉強会も当然必要だし、議員みんなの理解を深めながら、議会内に検討のための組織を作り、どのように策定作業を進めるかの合意形成を進めなければならない。

 検討組織で研究・検討を進めながら、その過程では市民の意見を反映する場も必要で、草案ができたらそれから何度も何度も練り直していって、ある程度まとまったら、最後に市民の
意見を聴取する機会を設けていかなければならないわけで、今すぐに取り組みをはじめても、おそらくは1年はかかる作業になるはずだ。

 だからこそ、早急に議会としての検討、策定の作業に入る必要があるのだ。

 飛翔の並木議員からは「町の議会になかったので、共通の認識に立つ時間が欲しい」という発言もあったのだけれど、議会基本条例が旧町になかったから町議会議員の認識が遅れてい
るというわけではなくて、議会のあり方に関する基本的な認識の違いであろう。

 実際、飛翔所属の17名の内、旧3町出身の11名の議員の中に、本当に議会基本条例について『わからない』という方がはたして何人くらいいらっしゃるのだろうか。

 飛翔の旧久喜市出身の6名の内では、議会基本条例は『必要ない』、あるいは『わからない』という方は何人いるのだろうか。

 合併前に久喜市議会で議会基本条例を制定した際に、「二元代表制に反対」という地方自治に関する根本的な認識の欠如から、議会基本条例にただ1人反対した鈴木議員が、今は飛翔
から推されて副議長だから、むしろ旧久喜市議会の議員の“理解”の方に問題もあって、それでひたすらブレーキをかけているのではないか。

 8月18日には議会運営委員会で会津若松市議会基本条例について視察研修をしてきたはずだが、今回反対の立場に立った会派の議会運営委員さんたちから、ぜひその研修で得たもの
や感想をお聞きしたいものだ。

 というわけで、現在のところ、いつまでにというような目標はいっさい立てられないのだが、今後、久喜市議会で議会基本条例の勉強を行っていくということだけは合意できたので、
私たちとしては地道にねばり強く策定へ向けた働きかけを続けていくしかない。










2010年8月30日 (月)
「青毛」の読み方に関する考察(2)



固有名詞としての「青毛(あおげ)小学校」

(4)陳情書では「青毛小学校」の青毛を「あおげ」と読むのは地方自治法違反であるというのだが、これは全くの法律解釈の誤りあるいは曲解と言うしかない。

 地方自治法第3条には「地方公共団体の名称は、従来の名称による」とあって、恣意的に名称を変更してはいけないことを定めているが、これは地方自治体、つまり市町村の名称のこ
とを指しているのであって、つまりは「久喜市」の名称のことであり、大字名や学校の名称の決め方を定めたものではない。

 第260条には「市町村の区域内の…(略)…町若しくは字の区域若しくはその名称を変更しようとするときは、市町村長が当該市町村の議会の議決を経てこれを定め、都道府県知事
に届け出なければならない」と定めていて、陳情書はこれにも違反していると言うのであるが、久喜市が行政行為としてこれまで「青毛」の名称を変更したことはなく、地名としての青
毛の発音を「あおげ」と定めたこともないから、この批判も当たらない。

 実は、私は大字名も旧来の伝統的な地名を尊重すべきであると考えている立場だが、そもそも大字名の発音(ふりがな)については行政行為として決定するべきものではないし、決定
したこともない。

(5)結局、最後に行き着いた問題は「青毛小学校」の読み方ということになるが、これは地名に由来するものではあっても地名そのものではなく、一つの小学校のいわば固有名詞とし
ての青毛をいかに読むかを定めたものであるから、青毛を「おうげ」と発音してきた、その語源的な大元が「あおげ」にあり、それが音韻変化で「おうげ」と変化してきたと考えられる
のであれば、大元の方を取って「青毛(あおげ)小学校と定めることの方が自然ではないか。

 昭和55年当時、教育委員会はその正式会議で「青毛小学校」(あおげ しょうがっこう)と読み方も含めて議決している。

 「青毛小学校」に「おおげ しょうがっこう」とふりがなを振らせることの方がムリがあり、新たな混乱を持ち込むことになりかねないと言わざるをえないのである。

(6)しかし実は、これまで自治体が古来の地名を破壊してきた例はたくさんある。

 久喜市の身近な例で見ても、隣の「青葉」という町名は、高度成長期に新しく開発された団地や住宅地の名前として全国あちこちで付けられた当時の流行の名前であって、もともとこ
の地域にはありもしない名前であった。
 「青葉」の地域は元は小字名「平沼」と呼ばれていたのであったが、その名前は今は「平沼落とし堀川」に残るのみであって、地名としては完全に消滅した。

 幸手市との境の葛西用水沿いの「弁天島」を開発した住宅地も、今は「けやき台」というしゃれた名前に変えられた。

 久喜市内のもっと古い例をあげれば、「東」「南」「上町」「中央」「北」だって、もともとの久喜にはなかった名前を行政が勝手に付けたものであって、全国どこの町にもあるのっ
ぺらぼうのような地名ではないか。

 市街地で最も広い地域を占めている「本町(ほんちょう)という名前こそが、久喜市内の地名破壊の元祖でないかと思っている。

 もともと江戸期には久喜の地域は「久喜本町」「久喜新町」という名前で呼ばれていたのだが、今、その大部分の地区は本町、南、中央などに変えられてしまって、市街地の周辺部の
一部にわずかながら「久喜本」「久喜新」という大字名で残るだけである。

 それと祭りの時には山車の提灯に「本一」「本二」「本三」「新一」「新二」という昔の町内会の町名が復活する。

 伝統的なこれらの地名が破壊されて現代的な名前に変更された、それを近代化とか、町の発展と見る向きもあるのかも知れないが、それは伝統文化としての地名の破壊以外ではあるま
い。

 もう一つ、地名とは異なるが、「太東中学校」の名前はその通学区域である「太田小学校」と「東小学校」の一字を取ってつなげたものであるが、これももともと久喜の地域にありえ
ない名前を作ったものであった。

 その名称が提案されたとき、私は議会の場で「2つの頭文字をつなげて新しい名前に作るのは安易な発想であって“地名破壊”と同じだ。「太田東中学校でいいではないか」と主張し
たのだが、受け入れられなかった。

 「青毛」の読み方の“揺れ”は地域の開発や人口急増の中で、住民の発音の微妙な変化がもたらしているいわば自然的なものであるが、むしろ行政が歴史的な地名を行政行為として破
壊して、元々はありもしない地名を勝手に作ってきたことの方が問題なのであって、そちらをこそ問題にすべきなのではないか。

(7)蛇足。それにしても、である。

 5年前の久喜市、鷲宮町、幸手市の合併騒ぎの時に、田中市長が提案してきた「桜の宮市」などという恥ずべきみょうちきりんな名前にならなくて本当に良かった…、ということを思
い出した。

 当時、みどり市とか、桜川市などの新市が生まれたが、それらの市がいったいどこにあるのだか、今もってわからない。






2010年8月29日 (日)
「青毛」の読み方に関する考察(1)



ふりがなは「あおげ」、発音は「おうげ」

 6月議会に、「教育偽称化した「青毛(おおげ)」の地名を古来のオオゲ読みに戻す件について」という陳情書が提出されて、議会の総務委員会に送付して検討されたが、委員からは
何らの意見も出ずに終わった。

 陳情者は納得できずに、自身のブログで9月議会に請願を出すと予告していたのだが、8月24日の請願締切日までに提出されなかったのは、請願を提出するために必要な「紹介議員
」の署名を引き受ける議員がいなかったらしい。

 請願の趣旨は、「青毛」の地名の読み方は「オオゲ」が正しいので、「青毛(あおげ)小学校」の名称を「青毛(オオゲ)小学校」に変更するべきだというのである。

 私としては、自身が青毛1丁目に住んでいて、「青毛」の読み方についてはそれなりに考えてきたこともあるので、請願が議会に提出されたらその段階で、十分に審議する必要がある
と考えていたが、結局提出されなかったので、この際、論点を整理しておこう。

(1)まず、「青毛」が、地元と周辺の人々によって「おうげ」と発音されてきたことはおそらく間違いない。

 私が久喜に来た30数年前にも、その後、20年前に青毛に住んだころも、地元の人々と話をしていて、音声による呼び方は「おうげ」であって、青毛を「あおげ」と呼んだのでは話
が通じなかった。

 しかし一方で、この40年間は青毛と隣接の青葉、栗原地区は久喜市内で最も人口が急増した地区であって、それ以前に比べれば人口はおそらくは数十倍に増えているであろう。

 その流入人口の多くは久喜市外からの転入者であり、その人々にとっては青毛はしばしば漢字音通りに「あおげ」と発音されてきたのであって、いわゆる新住民と話をしていて、青毛
を「おうげ」と発音したのでは逆に話が通じなくて、わざわざ「あおげ」と言い直さなくてはならないこともよくあった。

 こうして見てくると、「青毛」をどう発音するか、青毛地区の中でもまた周辺地域の住民にとっても、ある意味での“混乱”が続いてきたのであるが、ある側面から見れば、それは地
名の読み方の“揺れ”であったと言える。

 現在が変化や揺れの中にあると言うことは、青毛を「あおげ」と呼ぶか、「おうげ」と発音するか、町名としての「青毛」にふりがなは振られていないのだから、どちらも正しいので
あって、元々の住民と新しい住民との間で「こちらが正しい」と言って排除し合う関係ではないはずだ。

 地名というのは地元や周辺地区に現に住んでいる人々がどう発音するかで決まってくるものであって、いかに「古来」の伝統的な発音であってもそれが実際に人々によって使われ続け
なければ残ってはいかないものだ。

 自治体の中の大字名や町名は、行政が「公認の読み方」を決定して住民に押し付けてくるものではないのだから、明らかに異なった読み方でもない限り、住民がそれぞれに発音しやす
い読み方を使っていればいいのではないか。

 似たような例として、久喜市内でも北青柳は昔は「きたあおやなぎ」と呼んだそうだが、最近は「きたあおやぎ」でほとんど定着し、北中曽根は「きたなかぞね」か「きたなかそね」
かは、今でも揺れている。

(2)ただし、青毛の音声による発音は「おうげ」であるが、文字による記載はかなり以前から「あおげ」であったようだ。

 県道幸手久喜線にかかる天王新堀川の橋の欄干にはめこまれた銘板には、ひらがなで「あおげばし」 ⇒こちら と書かれているのだが、この橋は幸手新道と呼ばれたその道が開通した
100年以上も前に架橋された橋らしいので、その当時から地元住民の間ではふりがなを振るときには「あおげ」と書いて、音声としては「おうげ」と発音していたことを証するものと
考えられ、つまり地元住民にとって、かな文字での表記「あおげ」と音声による発音「おうげ」両立に矛盾も違和感も感じていなかったということになる。

 そして30年前に青毛小学校が開校にあたって、その学校名を当時の教育委員会で「青毛(あおげ)小学校」と命名することに決定されたのだが、それも地元でのかな文字表記「あお
げ」読みを踏襲したものと言えよう。

 実際、かな文字での「あおげ」読みは広く普及して一般的になっていると言えるのであって、日本郵便の郵便番号検索を調べてみても、「久喜市青毛」は「くきし あおげ」と記され
ている。

(3)それではかな文字表記の際には「あおげ」と書いておきながら、発音する際には「おうげ」と読むのはどういうわけか。

 青毛は明治期の「埼玉県各郡町村名」「武蔵国郡村誌」等においては、「アヲゲ・アオゲ・アフゲ」、さらには「オヽゲ・オーゲ・オオゲ」などと記されることもあったようだが、い
ずれにしろ当時この読み方を記した地元出身でない人々の耳には「青毛」の発音は「アオゲ」とも「オウゲ」とも、さらに「オオゲ」とも、人によっていずれにも聞こえるあいまい音で
あったと考えられる。

 それにしてもこうしたいくつかの読み方が記されているということは、漢字の読み通りの「アオゲ・アヲゲ」から、「アフゲ」「アウゲ」→「オウゲ」と発音が変化してきていたこと
を示すものではないか。

 似たような音便変化の例は、扇ぐ(アフグ=アオグ)から転嫁した名詞・扇(アフギ・アオギ)→(オウギ)、会うて(アフテ・アウテ)→(オウテ)などがその類と考えられる。

 これらの読み方のいずれにも、変化の過程に「アフグ」「アフギ」「アフテ」の表記が見られるのは、もともとが語頭に「ア」の音があって、それが「アフ…」→「アウ…」→「オウ
…」と変化してきたことを示しているのであって、もともとが「オウ…」「オオ…」であったのではない。

 明治期の文書に、青毛=アフゲ、上青毛=カミ-アフゲ、下青毛=シモ-ヲウゲのルビが見られるというのも、「アフゲ」「ヲウゲ」を区別していたことを示すものであって、両方が同
じ「オウゲ」ではなく、「オオゲ」でもありえないのであって、「アフゲ」は「アオゲ」から変化した「アウゲ」であり、「シモヲウゲ」は shimo の o に影響されて 次の
 ao が ou に変化したものである。

 なお、青梅(オウメ)や「淡海(オウミ)」も同じという指摘もあるが、青梅はもともと漢字音の「アオウメ」の「オ」にアクセントがあって、その結果、語頭の「ア」の音が無声音
化して「(ア)オウメ」→「オウメ」と変化したものであろうし、淡海も、「アワウミ」の「ワ」にアクセントがあるので、「ア」が無声音化して「(ア)ワウミ」→「ワウミ」→「ア
ウミ・アフミ」→「オウミ」と変化したものではないかと考えていて、青毛(オウゲ)の例とは変化の仕方が違うのではないかと思っている。
 
 もう一つ、「大毛(おおげ)」なる表記についても触れておこう。

 16世紀の古文書『三戸文書』中の一通の書状(1570年)に「大毛、吉場、上高野、下高野」などの地名が出てくるので、青毛の古名は「大毛」であるから、発音は本来「おおげ
」である。その表記のみが青毛に変化したのであるから、読みは「おおげ」とするのが正しいと主張するのだが、にわかには信じがたい。

 もしも「大毛(おおげ)」が本来の表記・発音でその表記が変化していくとしたら、「おおげ」と発音が同じか近い漢字に変化していくのが自然であって、本来の発音が異なる「青(
あお)」の漢字に変化したとは考えにくい。
 「青」の和語読みは「アヲ」であって、「おう」とは読まないからである。

 古文書での「大毛」の表記は三戸文書の一例のみであり、1644年の文書にはすでに「青毛」となっていて、それ以降変わることはなかったので、古来、青毛が本当に「大毛」の漢
字を使っていたのかどうかという疑問は当然出てくる。

 書状の主である梶原政景は地元の人ではなかったので、地元での「青毛」表記を知らないまま、オウゲの発音から『大毛』と連想して書いたのではないかという推測もありうるのでは
ないか。








2010年7月27日 (火)
議会の仕事、議員の活動



                          久喜市議会議員  猪股和雄

 市民から時々、「議員さんは普段、何をしてるんですか」と聞かれたりします。

 普通の市議会では定例会が2月、6月、9月、12月の年4回あって、1回の定例会が20〜30日間、その間に本会議が5〜6日、委員会が4〜6日です。毎日ではなくて、本会議や委員
会の間にけっこう休会日が入ります。

 こう書くとかなりヒマかと思われそうですが、休会日は『調査日』と言っている議会もあって、つまり議員が議案や市政の課題、政策について調査し勉強する日であって“休日”では
ありません。
もっともそうした休会日にも毎日のように市役所などに出かけて活動している議員もいれば、そうでもない議員もいます。

 そうした活動量は本会議や委員会でどれだけ発言するかの差となって現れてきます。

 地方自治は「二元代表制」と言われるように、市長が市民の絶対多数の意志を体現し、議会は市民の多様な意志を反映します。
そして、予算執行権と行政権を握る市長に対して、議会はチェック機能の発揮が期待されていて、議案審議は議会の柱の一つです。

 しかし現実には、政策の専門家である行政職員が練り上げた予算案や条例案に対して、議員の調査能力には限界があって、多くの議会で質疑自体の件数も議案質疑をする議員も少ない
のはたいへん残念です。

 もう一つの議会の柱である一般質問は、自分の問題意識で何を質問してもよいので、こちらの方は活発に行われています。
6月の久喜市議会では34人中28人が一般質問を行いました。

 ただしこれもやっぱり事前の調査や勉強がものを言います。
行政に対して「○○はどうなっていますか」と説明を求めたり、「□□地区の下水道の敷設を」などと要求するだけならともかく、たとえば障害者政策の問題点を指摘して新しい政策を
提言するとか、方針変更を求めて執行部と論争をするとなると、相当の調査と論理性が求められます。

 もし議会を傍聴する機会があったら、議員さんの質問を比較してみてはいかがでしょうか。

 議会での質疑や質問は普段からの調査活動、市民との対話、行政との議論、さらには研修会などに参加しての勉強の蓄積に支えられています。
議員の活動は議会以外でも、市の公的な行事や地域・市民活動への参加もありますが、議員活動は自分次第、やればやるほどいくらでも忙しくなるのです。

                   (社)春日部法人会久喜支部 会報 「Economy」 依頼原稿
                      37号 平成22年7月15日発行に掲載






2010年7月25日 (日)
利根斎場組合の初議会から



から 7月16日に、「広域利根斎場組合議会」が開かれた。

 この一部事務組合は、久喜宮代衛生組合や久喜地区消防組合と同じように、近隣市町で共同で設立し、斎場である「メモリアルトネ」・火葬場の運営がその主たる任務である。

 3月までは10市町で構成していたが、加須市も久喜市も合併して、現在は加須市・久喜市・幸手市・宮代町の4市町で構成している。

 他の一部事務組合と同じで、4市町の議員からなる議会を持っていて、この日の臨時議会の第1の仕事は正副議長選挙であった。

 慣例により、議長は加須市から、副議長は久喜市から選出されることになっている。

 久喜市議会から出ている議員は、政策会議の春山、新井、飛翔の井上、大谷、盛永、松村、山田、公明党の斉藤、共産党の渡辺、無会派の田村の10名が選出であるから、当然5人を
出している飛翔が副議長を握るものだと、だれもが予想をしていた。

 実際、飛翔の某有力議員から『副議長に(飛翔の)○○議員をお願いしたい』という話が事前になされていたのだが、別の女性議員が『こんなに女性がいるんだから、女性から選んだ
らどう?』なんてやりとりもあったという。
 (久喜の10人の内、女性議員が春山、大谷、盛永、斉藤、渡辺、田村と6人もいた)。

 ところがその後に久喜の10人で協議した場で、政策会議の春山議員に対して飛翔の方から推薦があって、“青天の霹靂”で春山議員が副議長に決まったという。

 後日、政策会議の何人かのメンバーで話し合ったのだが、なぜこうなったかは今もってわからない。

 その後に斎場組合議会の運営方法などについて協議するために“検討委員会”を設けることになって、やる気のある人にやってもらおうということで、春山、松村、井上、田村の4人
が手を挙げて決まった。

 とりあえず課題になっているのは、現在は26名もいる議員定数の削減も検討することである。

 それと合わせて、斎場組合議会はこれまで、一般質問の制度がなかったり、議運も設置されていないなど、他の一部事務組合の議会に比べても、議会の体をなしていないと思うので、
それらも議論してもらいたいと思う。

 もう一つ、メモリアルトネのホームページがあるのだけれど、組合議会へのリンクがない(組合議会の記事がない)し、斎場組合の例規集(条例や規則など)を見ることもできない。

 市民がいつでも、こうした情報を見ることができるようにしておくのは、基本的な行政の責任だと思うので、これらも整備してほしいものだ。



2010年7月24日 (土)
学校選択制の議論に求められること



 市議会文教委員会で、「小中学校学区の弾力化(学校選択制)について、調査を実施」の記事を書いた。 ⇒こちら

 旧栗橋町や鷲宮町で実施してきた「小中学校の通学区弾力化(学校選択制)の制度について、合併後1年以内に統一する」という方針はすでに既定方針である。

 「統一する」というのは、1市1制度にするということであって、つまりは学校選択制の制度を、久喜地区や菖蒲地区にも拡大して新久喜市全体に広げるか、それとも栗橋・鷲宮地区
で実施している学校選択制の制度を廃止するか、どちらかに決めるということになる。

 もちろん仮に、廃止すると決めた場合であっても、現にその制度を利用している子どもたちがいるわけだから、一定の経過措置(配慮)が必要になることは言うまでもない。

 いずれにしろ、久喜市における学校教育行政について責任を負うべき教育委員会は、今後、内部の研究会や学区等審議会の審議を踏まえて、半年後には、現にある制度・政策をどちら
かに変更する決定を下さなければならない。

 そして実は、市議会も同等の責任を負うのである。

 議会は、市長と行政が結論を出し政策提案してきたものに対して、受動的に「賛成」「反対」を唱えれば良いわけではないし、ましてや市長と行政当局の政策決定をそのまま容認して
お墨付きを与えれば良いというものでもない。

 議会が議決機関であると同時に立法機関でもあるというのは、議会として政策形成をしていくべき責任を持つことを意味する。

 学校教育行政において当面の重要課題となってくる学校選択制の制度・政策について、市議会としても調査研究、議論を経て、政策判断をしなければならない責任を負うのである。

 なぜ今さら、こんなあたりまえのことを書くか。

 7月20日に開かれた文教常任委員会で、この学校選択制について発言した議員が少なかったのがちょっと気になったこと。

 そして、文教委員会の委員の中には、学校選択制をとっている栗橋地区・鷲宮地区の議員も、実施していない久喜地区・菖蒲地区の議員もいるし、議員の出身地区に関わりなくても学
校選択制についてはさまざまな評価や考え方があるであろうということ。

 しかし必要なのは、議会(文教委員会)が、学校選択制について第三者的・傍観者的にあるいは評論家的に解釈を並べることではなくて、また「ああでもない」「こうでもない」とお
しゃべりし合うことでもない。

 議会(文教委員会)が、現に実施されてきた制度・政策の評価を見極めた上で、この制度を政治課題としてどうするかの議論と、政策判断が求められているのである。

 「地域と学校の関わりはいかにあるべきか」といった抽象的な理念だけ陳べていればいいというものでもなく、「賛成の人もいるし反対の人もいるから簡単に結論が出せない」と言っ
て結論を出すのを避けたり、市長と行政、この場合は教育委員会から方針が示されるのを待っているような態度では、“政治の役割”を果たすことはできない。

 もしも自分で政策判断をして責任を負いたくないのであれば、その人は議会ではなくて、別の場所でおしゃべりだけしていればいい。

 当面の重要政策課題として課題学校選択制をどうしていくべきか、その方向性を示すのは、政策審議機関としての議会の責任であり、合議制機関としての議会の役割であり、今この問
題を通じて、議会が政策形成能力を持つことができるかどうかが問われていると言えよう。



2010年7月18日 (日)
周辺地区住民への“迷惑料”をどう考えたらいいか



 八甫清掃センターは旧栗橋町と鷲宮町の境界付近、鷲宮側に設置されていて、そこは幸手市との境界にも近いのですが、周辺地区住民に対する“迷惑料”が、久喜宮代衛生組合の一般
会計予算に計上されています。

 事務局の説明によると、建設当初から幸手地区と栗橋町、鷲宮町の住民に対する“迷惑料”として毎年支払ってきているもので、2010年度予算では、「幸手関係地区住民環境衛生
負担金」105万円、「鷲宮栗橋生活環境保全協議会負担金」350万円となっていて、内容は住民団体の運営費や研修にあてられているといいます。

 周辺地区住民としては迷惑施設の建設には、当初は当然反対が強かったでしょうし、受け入れるに当たっては、周辺への還元施設や“迷惑料”の支払いを求めるのも当然とは言えるで
しょう。

 ただし、これも事務局の説明によると、最近では“研修会”への住民の参加は減ってきているとのことで、今後もこれまで通りでいいのかどうか検討が必要という考え方もあるようで
す。

 一方で、久喜宮代衛生清掃センターの周辺地区住民に対しては、これまで還元施設はおろか、“迷惑料”の支払いもまったくなされてはいません。

 一方の地域は周辺住民に累積で数千万円のお金が支払われているのに、一方の地域は何の配慮もなされていないというのは、どう考えたらいいのでしょうか。

 久喜宮代清掃センターの周辺住民のみなさんは、『お金の問題ではない。迷惑をかけない対策を充実させてひしい』とおっしゃるでしょうか。

 いや、さらに進んで、『究極的には焼却炉という迷惑施設そのものを撤去してほしい』というホンネを主張されるでしょうか。



2010年7月16日 (金)
役職獲りはすべてが成功するわけでもない



 7月16日、久喜宮代衛生組合議会が開かれて、「予定通り」に議長選挙が行われ、議長には宮代町選出議員の中から飯山、副議長には久喜市の大鹿(栗橋地区・飛翔)が選出された


 議会運営委員会には久喜市から、猪股(政策会議)、木村(共産党)、鈴木(飛翔)、宮代町側から角野(公明党)、加藤(共産党)、宮原の3人が選出され、委員長には猪股、副委
員長に宮原が選出された。

 最初、宮代からの議長選出の慣例を破ってまで、飛翔で獲得しようとした、彼らの役職獲りにかけるエネルギーには感心するものがあるのだが、主要役職は自分たちで獲ってしまおう
というもくろみは、残念ながらどこでも必ずしも思惑通りに運ぶものでもない。

 圏央道特別委員会の設置はなぜ見送られたか

 それで思い出したのだが、6月議会中の一般質問3日目、21日の終了後に開かれた代表者会議でのやりとりを書いておこう。

 その日の代表者会議の議題が終わった後で、飛翔の岸代表が突然、「圏央道対策特別委員会を設置しよう。6月議会中に追加議案として出したい」と言い出して、他の会派の同調を求
めたのだったが、政策会議の石川代表が『今の段階では特に必要ない』と発言して、その問題はそれで終わりになった。

 特別委員会を設置するためには、議員が本会議に「議案」として提案して可決しなければならないのだが、久喜市議会では、議会開催中に議員提出議案を追加で提案するには“全会派
の一致”で共同提案でやるというルールがある。

 議会開会前に提案されていれば、その議案について各会派が十分に検討する時間があるのだが、議会途中で急に議案を出すのであれば、それはそれなりの緊急性と重要性があるはずだ
し、それに対する“全会派の賛同”が求められるという理由から、こういうルールができている。

 さてそれでは、今回の「圏央道特別委員会の設置」の議案にはどんな緊急性があったのだろうか。

 まず、特別委員会をこの時期に設置することが本当に必要と考えるのであれば、6月議会開会前に正式な議案として整えて提出することは十分にできたはずだが、飛翔からそういう動
きはまったくなかった。

 議会途中になって、圏央道建設問題について、久喜市議会でどうしても対応しなければならない何か緊急の課題が持ち上がっていたわけでもない。

 それに、議会途中のこの段階で特別委員会の設置を議案として提案しても、委員会を構成するのは最終日の7月9日になってしまうから、6月議会中には審議はできない。

 そもそも、議会の原点に戻って考えてみるとどうだろうか。

 “圏央道対策”は、本来は市議会の環境建設水道常任委員会の所管事項に含まれている。

 だから、6月議会の中で圏央道建設問題に関して調査や検討をする必要があるのならば、わざわざ緊急に特別委員会を設置しなくても、環境建設水道常任委員会で「所管事務調査」と
して取り上げることができるはずである。

 その環境建設水道常任委員会は10日後の7月1日に開かれる予定で、委員長は宮崎議員、副委員長は鎌田議員でいずれも飛翔所属であったが、委員長からも他の飛翔所属の委員から
もそういう提案はなかった。

 さらに、環境建設水道常任委員会を6月議会閉会後に開催して、“所管事務調査”として圏央道建設現場の現地調査や国交省の役人を呼んで説明させることだってできるのだが、そう
いう提案もなかった。

 そうすると彼らは、6月議会中や9月議会までの間に圏央道問題について特別に調査や審査しようとする考えもないのに、わざわざ特別委員会を設置しようとしたということになる。

 なぜ特別ルールを使ってまで、緊急性もない圏央道特別委員会の設置をしようとしたのか、狙いがよくわからないのだが、もしかしたら彼らは特別委員会を設置すること自体が目的だ
った? ということは“特別委員会委員長”という役職を増やしたかっただけなのだろうか。

 やっぱり6月議会途中で、圏央道特別委員会を緊急に設置しなければならない理由がないとしたら、次の9月議会に向けて協議すればいいというのが自然な結論である。




2010年7月14日 (水)
一部事務組合でも役職獲りは続く



 久喜市議会における最大会派・飛翔の結成は、当然ながら一部事務組合の役職にも関係してきます。

 というよりも、関係議員から漏れ伝わってくる話によると、久喜市議会での4年間の正副議長の交代や、2年ごとの各委員会の役職、一部事務組合の正副議長などを配分していくこと
について、すでに決まっているのだそうです。

 久喜地区消防組合議会の議長選挙

 7月13日、久喜地区消防組合の合併後初めての議会が開かれて、合併に伴う条例の改正や正副議長の選挙などが行われました。

 消防組合議会は定数12名で、久喜市から9名、宮代から3名となっています。

 議長には飛翔の田島議員(鷲宮地区)、副議長にも飛翔の並木議員(栗橋地区)、議会運営委員会委員長にも飛翔の青木議員(菖蒲地区)と、いずれも飛翔が獲得しました。

 宮代町選出議員には議会運営委員会副委員長と監査委員が割り振られました。

 久喜宮代衛生組合議会の議長は宮代から選出へ

 16日にはやはり合併後初めての久喜宮代衛生組合議会があるのですが、9日に議案の事前説明会が開かれ、終了後に議会の役職配分についての協議が行われました。

 久喜宮代衛生組合は1961年に当時の久喜市と宮代町とで設立して、処理場の位置は両市町の境界に近い宮代町側に置くことになりました。

 その当初から、管理者は久喜市長、副管理者は宮代町長が就き、両市町の人口構成に関わりなく議会議員は同数(当初は10人対10人、その後7人対7人)で構成、議長は久喜市か
ら、副議長は宮代町から、議会運営委員会委員長は久喜市から、副委員長は宮代から選任と、すべてについて両市町のバランスをとってきていました。

 衛生組合の処理場自体が迷惑施設であり、現実に宮代側の住民に対してより多くの負担をかけてきたわけですから、宮代町側の議会にも同等の発言権を保障するというのが、その考え
方でした。

 久喜市の合併前は久喜市と宮代町の人口比はほぼ2:1だったのが、久喜市が合併して人口比で言えば5:1になりましたが、それでも議会構成については両市町の協議によって、定
数14名、久喜市から9人対宮代町から5人としたのも、宮代側の住民に対する当然の慎重なる配慮であったといえます。

 そうした経過からすれば管理者に久喜市長、議長は宮代町からという振り分けもそのまま引き継がれてしかるべきものでした。

 ところが、こうしたいわば“紳士協定”も無視して、飛翔は議長獲得を狙って、内部で人選まですませて6日の話し合いに「議長は久喜市から」と主張してきたのでした。

 しかしそうした主張は飛翔の内部だけにしか通じるものではありませんで、当然のことながら宮代町議会から選出されている5人の議員は「議長はこれまで通りに宮代から」を主張、
久喜市議会から選出されている9名の内、政策会議(猪股・内田)と共産党、公明党の4人の議員も宮代町側からの選任を支持しました。

 仮に、飛翔が議長職の獲得にこだわっても、衛生組合14議員の「投票」になれば、とうてい無理なことはわかっていたはずなのですが、それでも飛翔は議長職に固執して、6日には
話し合いがつきませんでした。

 その後、久喜市の9人の議員で日を改めて協議した結果、ようやく飛翔もあきらめて、議長は宮代から、副議長を久喜市(飛翔)から選任することになりました。

 議会の役職獲得や配分というのは、一つの議会の内部だけの問題ならば、ある意味で単純な“数の力”で決着がつくのですが、他市町と共同で構成する一部事務組合のような場になる
と内部の論理だけでは通用しません。

 時には歴史的な経緯や政治的な配慮も必要になってくるということでしょう。

 実は、消防組合議会の正副議長選挙は投票で決着したのですが、やっぱりいろいろな経緯があってすんなりと進行したわけではなく、それぞれ白票が3〜4票あったそうです。



2010年7月 4日 (日)
4月以降の議員報酬



 久喜市議会の議員報酬はこうなっている。
  --------------------------
 議長  月額 44万5000円
 副議長    38万5000円
 委員長    37万0000円
 議員     36万0000円
 --------------------------

 いのまた和雄のホームページ「議員報酬のページ」参照

 旧久喜市議会でも同じ金額だったが、合併しても引き上げはしなかった。

 公民館使用料などの市民負担のいくつかは“合併のどさくさ”で引き上げしてしまったものもあるが、本来はこういうものは合併後の行政で改めて検討して議会で審議して決めるのが
スジであり、議員報酬についてもそういう手続きをとるのがあたりまえだと思う。

 それにしても、4月以降、報酬振り込み明細書を見るたびにびっくりしている。

 4月の議員報酬支給手取額は、何と! 2400円!

 25日が投票日だったから、議員の在籍日数は26日から30日までの5日間で、久喜市議会の議員報酬は日割り計算で支給することになっているので、[36万円×5/30]で支
給額は6万円である。

 ところが議員共済(議員年金)の掛け金の控除(天引き)額が5万7600円となっているのは、こちらの方は在籍日数に関係なく、報酬月額を1か月分36万円が支給されたものと
して計算するのだという。

 全国的には、1か月の内の何日かしか在籍しなくても、1か月分まるまるの議員報酬支給している非常識な市議会もあるので、そういう市議会と同等に扱われているらしいのだが、そ
っちの方がおかしいだろう。

 したがって私たちにとっては、実際にはもらってもいない報酬に対して共済掛け金を天引きされるという、何ともばかばかしい、詐欺みたいなお話しで、したがって実際に通帳に振り
込まれたお金は、2400円!!

 5月分は額面では36万円が支給されたものの、共済掛け金が5万7600円、所得税が5万2400円も差し引かれて、振り込まれた額は25万円だったが、支給額の30%にもあ
たる11万円も差し引くなんて、ちょっとひどすぎるんじゃないの!? と文句も言いたくはなる。

 そして6月の夏期期末手当も振り込み通知を見て、またまたびっくり…。

 支給額額面25万2720円から共済掛け金や所得税などが差し引かれて、結局の振込額は17万7056円となっている。

 去年は額面86万5800円から差し引かれて、手取額は64万0740円だったから、一瞬、「今年はなぜこんなに少ない?」と思ったが、考えてみれば、私たち久喜市議会議員は
選挙翌日の4月26日から、今までまだ1か月余しか在籍していないのだから、昨年と同じといかないのもまた当然ではある。

 規定では [2.3か月分]の支給となっているが、合併前の旧久喜市議会の3月22日までの在籍日数は、今回の夏期期末手当の計算には算入されないで、切り捨てられてしまった
ことになる。

 だが実質的にはずっと議員を続けてやっているのと同じことなので、何とも割り切れない気持ちは残る。








2010年6月24日 (木)
子宮頸がんワクチンの「有効性」?



 旧久喜市議会の一般質問で、子宮頸がん予防ワクチンに対して公費の助成制度を設けるべきだという要求を、公明党の女性議員が何度かやってきていたが、合併後の市議会で、今度は
共産党の女性議員も同様の一般質問を行っている。

 「子宮頸がんは唯一予防できるがんである」 「このワクチン接種によって100%予防できる」 「一度接種すれば効果は一生続く」 「子宮頸がんを引き起こすヒトパピローマウ
イルスは性交渉によって感染するので、女性が性交渉を経験する前の中学生までには接種しなければならない」 「ワクチンは高価なので公費助成すべきだ」というのがその趣旨である


 私自身はあまり専門的な知識もなくて、ばくぜんと「ああ、そういうワクチンがあるのか」と思ってきたが、最近、知り合いの地方議員と話していて、市民派・無党派の議員の中には
、むしろそのワクチン接種に批判的な意見の人が多いのに、気がついた。

 政党に所属する議員さんたちは、「党の方針」に従って推進の論拠を仕入れて、それを正しいと信じて議会で主張することが多いのだろう。

 それに対して、無党派の議員の場合は、すべては自分の判断で賛成か、反対かを決めなくてはならないから、ある政策に対して、インターネットなどで自分で賛成、反対、慎重、推進
、積極論、消極論、さまざまな説や意見を探して読み比べ、比較検討して、あるいは知りあいの専門家の意見も求めて、自分の頭で判断しなければならない。

 だから、一方の意見だけによらずに、さまざまな観点から判断できることになると思う。

 この子宮頸がんワクチンについても、インターネットで検索をかけて、政党関係の政策解説や公的な機関の論文を読むと、圧倒的に推進の意見が多いのだが、注意深く探してみると、
その問題点を記した論文も意外とたくさんあることがわかる。

 子宮頸がんワクチンの絶対的有効性ばかりを宣伝するような記事に対して、その疑問や危険性の指摘が、医学的根拠をもって記されている。

 それらの記事を読んでいて、特に記しておくべきことは、このワクチンが「すべての子宮頸がん」に対して100%の予防効果を持つものではなくて、ヒトパピローマウイルス16・
18型に対しては有効だが、日本人に多い52・58型には有効でないらしいということ、また有効である場合でもその予防期間は6年間ほどだということである。

 かつての“効かない、危ない”インフルエンザワクチンもそうだったし、昨年の新型インフルエンザ騒動も結果的にはまったく必要のないワクチン狂想曲に過ぎなかった。

 それらは、パニックを煽ることによって、ワクチンを宣伝して製薬会社のお先棒を担いだのだった。

 私の立場は、薬害エイズ、薬害肝炎、古くはサリドマイドなど、過去の薬害の歴史を見れば、科学(医学)に絶対的信頼性を置くことには懐疑的であり、ましてや“薬”には必ず副作
用などのカゲの部分=“毒”が付いてくるのだから、常に批判的見地が必要であると考えている。

 そういう立場から、今回の子宮頸がんワクチンは絶対的に信頼できるのか。

 今のところ、私自身が医学的正当性を判断して結論を出すまでには至っていないのだが、「子宮頸がんワクチン推進論」に対して、問題点を指摘した論点があることを紹介することも
必要であると考えて、この記事を書いた。

 その問題点を明らかにしたウェブの一つ
 http://www.thinker-japan.com/hpv_vaccine.html

 国立がん研究センターがん対策情報センター「がん情報サービス」 http://ganjoho.ncc.go.jp/public/pre_scr/prevention/cervix_uteri.html






2010年6月 4日 (金)
役職を分け合うという発想



 市議会に設置された「政務調査費審査委員会」は、各会派から1名ずつ、政策会議/猪股、飛翔/鈴木(精)、公明党/矢崎、共産党/渡辺と無会派の田村議員の5名が委員になって
いる。

 実は委員長の選任の際に、最初に鈴木が、「旧久喜市議会で、鈴木、猪股、渡辺の3人が政務調査費審査委員会の委員をやっていた経験があるから、3人で話し合って委員長を決めよ
う」と言い出したのだったが、他の2人を最初から除外して3人で決めるなんてやり方はありえない。

 当然ながら5人で話し合った中で、猪股と鈴木が立候補し、ほかの3人の意見で猪股が委員長に就いた。

 次の打ち合わせは6月3日、本会議終了後に5人の委員が集まって、この日は「内規」について話し合った。

 事務局の作った「内規案」では審査委員会の任期が4年となっていて、委員長と副委員長の任期については特に定めはなかったのだが、これは旧久喜市議会における政務調査費審査委
員会の内規にならったということと、委員の交代があればそこで改めて選任すればいいという、ゆるやかな規定になっているからでもある。

 これに対して、鈴木が「委員長と副委員長の任期を2年と明記しよう」と提案してきて、「役職はいろんな人がやった方がいい」「みんなでやった方がいい」とひたすら「2年」にこ
だわり続けた。

 私も他の委員も、「内規」にあえて任期を定める必要があるのか、鈴木のこだわりが何を意味するのか、よくわからなかったが、特にその問題だけで対立して時間を費やす必要もない
ので、「2年」を内規に明記することになった。

 しかし今考えても、どうしても気になっているのは、「役職はいろんな人がやった方がいい」「みんなでやった方がいい」というその発想である。

 サークル活動などで「役割をみんなで分担する」のは、みんなで仲良く、仕事も責任も一部の人の負担にならないようにするための運営上の配慮であるわけだが、そうした配慮を議会
にも適用するべきなのかどうか。

 たとえば、市役所の仕事や役職は職員みんなで分担しよう、いろんな人に交代でやってもらった方がいいと言ったら、これは市民から「ふざけるな」と言われるのではないか。

 なぜなら市役所の仕事は税金でやっているのだから、第一義的に効率と効果が求められ、各部署の仕事上の責任は課長−部長というタテのラインに位置する管理職がすべて負うのであ
って、仕事上の責任や管理職などの役職を職員みんなで分け合うなんてことにはならない。

 議会でもよく、「議員みんなが生きなければならない」「みんなを活かしていくべきだ」と言って、「役職をみんなで分け合おう」とか、「1人の人が長く続けるのでなくて、みんな
で交代でやるべきだ」と主張する人がいて、それが他の議員の共感を集めたりする。

 具体的には、議長を1年交代にしてたらい回ししたり、役職をできるだけたくさん確保してみんなにまんべんなくばらまいて、仲間への目配りや配慮をうまくできる人がいい指導者と
いうわけだ。

 しかしこれは、仲良しクラブか趣味のサークル活動の中で、あるいは百歩譲って自分たちの会派の人事ならまだわかるけれど、税金を使った議会の公職について、まるで議員たちの共
有財産のように「みんなで分け合う」という発想は認められない。

 たとえば、“やりたい人がたくさんいるからみんなを活かすために、市長は1期で交代しよう”とか、政府や国会で“首相や大臣はみんなで分け合ってどんどん交代しよう”なんて言
う政治家がいたら、その人は有権者から総スカンを食うはずだが、地方議会の内部では役職が欲しい議員心理を突いて人を引きつけるのである。

 そう言えば以前、久喜市議会である会派の団長さんは、「団のみなさんにたくさんの役を持ってくるのが団長の仕事だ」というのが持論だった。







2010年5月26日 (水)
質問時間を短縮するのは何のためか



質問時間短縮、“35分”で試行へ

 5月10日の市議会全員協議会・代表者会議の場で、いきなり公明党と飛翔が一般質問の質問時間の短縮を持ち出してきたのには、正直ビックリした。 ⇒「さっそく議員の発言制限
へ突き進むか」を参照

 旧久喜市議、もともとは時間制限なし、回数制限3回(質問、再質問、再々質問)で行われていたのだが、議会活性化の取り組みの中で、回数制限を撤廃して時間制限を導入した。

 最初は質問時間のみ60分で試行したが、その後、50分になり、40分にとだんだん短くされた。

 質問時間を短縮してきたのは、けっして全部3日間を取っている一般質問の日程が不足したからではない。

 実際、私を含め数人の議員は制限時間をめいっぱい使って、それでも足りないこともあるのだけれど、ほとんどの議員は30分以内におさまっているし、だいたいが5時までには閉会
している。

 今回、公明党が言い出したのは質問時間と答弁の時間を合わせて1時間以内にしようという案だったが、もしこんなことをやったら、答弁がもたついたり(よくある)、引き延ばされ
たりしたら、質問時間がなくなってしまうから、絶対に認めることはできない案だ。

 次に最大会派の“飛翔”は、「議会の日程を考えたとき何らかの形で「制限」を加えざるを得ない。質問時間のみ30分に内にしよう」と主張してきた。

 なぜ「何らかの制限を加えざるを得ない」かと言えば、仮に34人の議員中、30人の議員が一般質問したとすれば、質問と答弁合わせて1人1時間として30時間かかる、一般質問
の日程を4日間とっても1日8時間かかるので、とうてい終わらなくなるという論理である。

 これまで旧久喜市では22名中の20名が一般質問に立っていたが、旧町では半分くらいの議員だったから、30人が一般質問に立つという仮定の話はムリがある。

 これまで旧久喜市議会では平均して1人1時間かかったから、その30人がみんな1時間かかるという話も、“ありえない”とまでは言わないが、実際には考えにくい、可能性を最大
限にふくらませた仮定の話である。

 合併前の議会同士の協議で「40分以内」ということで合意していたのであるから、当面はそれでやってみて、本当に時間が足りなかったらその後で、一般質問の日程を増やすか、時
間短縮をはかるかの協議をしていくのがスジというものではないか。

 それを、実際にはどうなるかわからないのに、仮定に仮定を積み重ねて最初から時簡短縮を主張してくること自体、最大会派が議会の権限自体を縮小して、議会審議を形骸化しようと
いう立場に立っていることを示している。

最大会派は“数の力”を振りかざすか

 代表者会議の場では、議長が途中で「協議がまとまらなければ議会運営委員会で協議しよう」と言い出して、話し合いを打ち切ろうとしたり、飛翔のメンバーから「多数決はあたりま
えだ」という発言が飛び出したりする場面もあったのだが、これらは、多数の数の力で時間短縮を強行してしまおうというに他ならない。

 議会は、お互いに議論して一致点を見いだしていくべき、“議論の場”“討論の場”であるはずだが、議長が就任3日目の最初から、議論を早々に打ち切って“数の力”にモノを言わ
せようとしてきたことには本当に驚いた。

 結局、40分と30分の間を取る形で、「質問時間“35分”で、6月、9月議会を試行してみて、その後に改めて協議する」ことで、この日は合意した。

質問・答弁合わせて、平均1時間の内実

 事務局の計測によると、旧久喜市議会の昨年1年間の一般質問の平均は1人56分だというが、その内実はどうか。

(1)明らかに執行部と完全に打ち合わせていて、答弁を先にもらっている議員、甚だしくは、再質問の答弁までもらっている議員がいたりもしたが、こんな“やらせ質問”は質問自体
が無駄な時間と言えるかもしれぬ。

(2) もう一つ、再質問などで延々、蕩々と持論をしゃべりまくる議員もいる。
(これをカゲで『また演説が始まった』とか、『うんちく議員』と言っていたりする)。

 さんざん話し続けたあげくに質問がどこかへ行ってしまって、何を聞いていたのかわからなくなってしまったり、自分の意見をしゃべっただけなので「答弁はけっこうです」と言って
、いっしょうけんめい聞いていた他の議員をガックリさせたりする議員もいるが、これも大いなる時間のむだ遣いである。

(3)これも自説をとうとうとしゃべる議員に多いのだが、さんざんしゃべった後で「その辺について、答弁をよろしくお願いします」とやる議員も困ったものだ。

 質問事項が具体的でなくて、「その辺について」といわれても、執行部は“どの辺”なんだかよくわからないから、あたってるかはずれてるかはわからないけれど適当に“その辺”に
ついて長々と答弁せざるを得ないことになるのだが、これも質問(答弁)時間を長引かせるだけで成果は少ない。

(4)質問して、自分の望むような答弁が返ってこない場合、その答弁の論点に対して反論していくならわかるが、往々にして、持論(さっきの質問と同じ)を述べて「もう一度お願い
します」とやる議員もいる。

 当然、執行部は同じ答弁をもう一度読み上げることになるから堂々巡りで、他の議員や傍聴者はうんざりする。

(5) “質問は自分の意見を言う場ではない”というのは議員発言の基本なのだが、こういうことから整理していけば、ずいぶん短くなるのではないかと思うのだが、どうだろう。





2010年5月25日 (火)
216本の条例の一括審査



初議会(3)

 5月18日に開かれた久喜市議会臨時会に、216本の条例が一括提案されたことはすでに書いた。 ⇒おもな議案はこちら

 合併後1か月間は市長も議会も不在であったから、その間に必要な条例等については、市長代理である職務執行者が、暫定的対応として議会の議決を経ずに条例を執行する(専決処分
)ことができるのだが、それらの専決処分された条例は次の議会に報告して議決しなければならないとされている。

 そうした自治法の規定に基づいて、新久喜市の業務を開始するに必要な216本の条例を専決処分で執行して、議会にその承認を求める手続きが取られたわけである。

 それらの条例の内容については、合併前の4市町の協議で決まっていたものであるが、議会に対しては、これまで大まかな内容や制度・政策の概要は報告されていただけで、細かい内
容までのすべてが明らかにされていたわけではない。

 条例そのものについては、私たち議員は、選挙後の4月27日に970ページにも及ぶ分厚い「久喜市条例集」を渡されて初めてそれを見て、その後、5月7日に140ページ近い「
専決処分条例概要説明書」が配布されていちおうの説明を受けた。

 しかしその説明だけではとうてい216本の条例を十分に理解するには至らなかったし、その後に旧久喜市の条例と引き比べたりして勉強した限りでも、合併前の久喜市の条例からか
なり異なっている部分があることを知った。

 多くは旧久喜市の条例に基づく制度・政策がベースになっているのであるが、それでもかなりの部分で異なってきている、また旧久喜市にはなかった条例もある、ということは、実質
的に216本の条例を一括して改正したり、新設したりしたのと同じことになる。

 通常の議会で1件の条例改正案が提案されただけでも、その改正内容や問題点を研究するのにたいへんなエネルギーと時間を要するのに、それが216本の条例の“実質的な改正や新
設”となれば容易なことではない。

 ましてや、旧久喜市以外の3町出身の議員たちにとっては、はじめて知る条例や制度・政策が多いのであるから、これらを勉強し理解するのに、このわずか10日あまりの期間で十分
であったかどうか。

 18日の本会議で執行部から概要のそのまた概要が説明され、翌19日の昼までに質疑を通告し、19日の本会議で質疑が行われて、朝9時から質疑が開始されて、すべての質疑が終
わったのは夕方5時過ぎまでかかったのは当然ではあったろう。
(いや、よく1日で終わったものだと言うべきかもしれない)。

 しかし、それでも、これは書いておかねばならぬ。

 驚くべきことは、34名の議員の中で、質疑に立ったのがわずか9名の議員にすぎなかったことである。

 私などは216本の条例の一括提案の議案に対して、少ない時間で勉強しただけで、膨大な疑問や問題点が浮かんできたのであるが、しかしその中で“問題点”とまでは確証が持てな
いものや今後の議会でただしていこうと考えたものは今回は切り捨てて、しぼりにしぼって10件の質疑を行った。

 質疑に立った他の8人の議員もおそらくは、同じように、先送りした質疑も多かったと推測される。

 それなのに、質疑しなかった議員が25名もいて、議会の半数を占める巨大会派“飛翔”からはただの1人も質疑に立たなかったというのはどういうわけか。

 1人も質疑に立たなかった17名の“飛翔”の議員さんたちは、216本の条例の“実質改正や新設”に対して、それらの条例、制度・政策のすべてを理解した上で、何の疑問もなく
、何の問題点も見つけることもなかったのだろうか。

 政策会議(7名) 質疑した議員4名(猪股、春山、石川、富澤)
 共産党(4名) 質疑した議員4名(木村、渡辺、石田、杉野)
 無会派(1名) 質疑した議員1名(田村)
 公明党(5名) 質疑した議員ゼロ
 飛翔(17名) 質疑した議員ゼロ

 なお、私は10件の条例に対して質疑した結果、答弁には大いに不満が残っているし、それらの疑問や問題点が解消されるには至らなかったけれども、だからといっていくつかの問題
点があることを理由として216本の条例すべてに“反対”というわけにもいかない、それらについては今後の議会の中で改善を求めていく立場に立って、専決処分の一括提案には賛成
した。

 共産党は216本の条例一括提案の全体に対して「反対」の態度を取ったが、それは合併そのものに反対であり、条例の内容に問題点の方が大きいと考えたということらしい。


2010年5月23日 (日)
人事議案に対する質疑を認めることになった



初議会(2)

 臨時議会2日目の20日に、教育委員会委員の任命が議案として提出されることになって、教育委員会の定数5名に、久喜地区から吉田前教育長ら2名、菖蒲、栗橋、鷲宮の各地区か
ら1名ずつの委員が選任されることになった。 ⇒議案の一覧はこちら

 教育委員などの人事議案は、市長だけが提案権を持っていて、議会は他の議案のように修正権は持っていないので、賛成(同意)か反対(同意しない)しかない。

 旧久喜市議会では人事議案については、委員会に付託して詳細な審査を行うこともしないで、本会議での質疑も討論も慣例として省略してきた。

 それは、人事という“微妙な問題”なので、個人のプライバシーに関わるような質疑が出てはまずいから、最初から質疑も討論もやらないことにしておいた方が無難だというくらいの
配慮であって、私たちも『まあ、やむをえないかな』と思いこんできた。

 まあ、議員なんて話し出すと何を言い出すかわからない、個人に関わるような発言がとびだすかもしれないというのは杞憂であるが、心配するのはわからないでもない。

 しかし、人事議案も議案である以上は議会として審議する責任があるから、他市町では本会議での質疑、討論を行っている議会がたくさんあるのだということを、つい最近知った。

 合併した栗橋町議会では人事議案について本会議で質疑も討論も受けていたというし、鷲宮町議会では本会議でなくて全員協議会で質疑をやっていたという。
(なぜ本会議でなくて全員協議会で質疑を受けていたのかわからないが、本来は全員協議会も公開であるから、これは本会議で質疑を受けるのと違いはない)。

 近隣市町の議会を聞いてみると、春日部市、越ヶ谷市、草加市、蓮田市、宮代町などの議会では、本会議で質疑も討論もやってきているし、吉川市や三郷市、八潮市では討論は省略し
ているものの質疑は認めているという。
(聞いた限り、人事議案の質疑を認めないという議会はなかった)。

 もちろんそれは、個人のプライバシーに触れるような質疑ではなくて、市長が選任を進めた基準であるとか、人事に対する市長の考え方といった質疑である。

 それで久喜市議会において、人事議案に対する質疑を認めるか否かについて、18日に代表者会議が開かれて協議が行われた。
 (討論については省略することで、すでに合意が成立している)。

 政策会議としては「人事議案についても基本的に質疑を認める」という立場だが、会派によって、また旧町議会では「やっていた」という話も出たりして、代表者会議では「認める」
「認めない」と意見が分かれた。

 協議の中では、飛翔の岸代表が「人事案件に質疑はいらない」と述べたので、政策会議の石川議員が「なぜですか」と聞いたのに対して、岸議員は一瞬言葉に詰まった後に「人事案件
だからです」と答えたものだ。

 これは議員の発言としては珍答迷答に属するが、こんな答が返ってくること自体、“人事議案に対して質疑を認めない理由はない”ということを示していると言えよう。

 代表者会議の結論としては、人事議案に対する質疑を受ける、ただし個人のプライバシーに関わる質疑は認めない、質疑に問題があればその場で“議長の整理権”で対応するというこ
とで合意した。

 結果はどうだったかというと、20日の本会議で議長が、他の議案と同様に、この教育委員の任命の議案についても「質疑をお受けします」と述べたのだが、今回はだれからも質疑は
出なかった。



2010年5月22日 (土)
巨大会派は、市議会の役職をいかに独占したか



初議会(1)

 5月10日には議会全員協議会と代表者会議で議会の構成について協議が行われ、18日の本会議で議長選挙をはじめとして、委員会の配分や議会の役職が決定された。

⇒市議会の構成と役職

 各委員会の正副委員長などの役職は、事前の予想通りに、“飛翔”の中でそのほとんどを分け合って、福祉健康委員会と決算委員会は、飛翔だけでは委員会の半数に至らなかったため
、公明党を委員長につけることで調整が行われたという。

 旧久喜市議会では最近10年くらいは、議長と副議長は別々の会派から選出されることが多かったし、また議会運営委員会の委員長と副委員長については20年以上、・・・おそらく
は旧久喜市議会の最初から、同じ会派から選出されることはなかったと思う。

 これは言うまでもなく、議会運営にあたる役職については単一の会派で占めて、一会派による引き回しなどが行われないようにしようという配慮であり、慣習であったわけだが、今回
はこれらも飛翔が一会派で独占した。

 しかもそれらの飛翔の内部での委員会や役職の配分を少し立ち入ってながめてみると、俗に言う“議会4役”の議長、副議長、監査委員、議会運営委員長は旧4市町で分けられている
し、その他の常任委員会や議会役職についても旧4市町にみごとなまでにきれいに配分されているから、そのためには議会役職のほとんどを飛翔で占める必要があったということだろう


“議長は1年交代”って? ホント? ウソ!

 今回は、議長に栗橋出身の山田議員、副議長に久喜出身の鈴木議員をあてることで飛翔の内部の調整がついたわけだが、関係者から漏れ伝わってくる話だと、4年間で旧4市町に順番
に回す、つまり正副議長は1年交代とする取り決めがされているのだという。

 以前、旧久喜市議会の保守系会派の中で2年交代が長いこと続いていたが、これとて“たらい回し”の批判を免れ得なかったのであるが、それを1年交代というのは、いかに役職争い
を円く納めるためとはいえひどすぎないか。

 以前、久喜市議会で『議長なんて、事務局がしっかりしていれば(台本を読むだけだから)誰でもできる』と言い放った議員がいたが、議会の役割、議長の責務をみずから否定して単
なる“肩書き”“名誉職に貶めるものと言わざるをえない。

 “1年交代の取り決め”なるものについて、私はいまだに半信半疑で「まさか」という気持ちを持っていて、それは来年になればわかることであるのだが、もしも本当であれば、議員
という生き物がこれほどまでに役職に執着するものだということを、市民の前に証明することになってしまう。

 そんな恥ずかしいことにならないように願いたい。


2010年5月10日 (月)
さっそく議員の発言制限に突き進むか



 5月10日、市議会全員協議会が開かれました。

 今日の議題は、それぞれの会派結成届けを受けて、久喜市議会の構成や委員の配分等を決めることと、今後の議会運営を進めるために、「申し合わせ事項」を確認しておくことでした


 議会の半数を占める17名の最大会派「飛翔」が、久喜市議会でどのような役割を果たそうとするのか、注目していたのですが、「ああ、やっぱり。案の定…」でした。

 議長、副議長、監査委員などの議会の役職は、だいたいを最大会派で握る方針であるのは予想していましたが、この際、議会運営についても、議会における議員の自由な発言を封じる
方向で、しかもそれを最大会派の“数の力”で進めていく行動が早くも現れてきたのです。

 「市政に対する一般質問」は、議員が自分の問題意識で、質問、要求、提案する機会なのですが、旧久喜市議会では質問回数の制限なしに、質問時間40分で何回でも質問できること
になっていました。

 制限時間40分と言っても、実際には5分で終わる人もいれば、私などは30〜40分近くかけることが多かったのですが、20〜30分くらいで終わる人がほとんどでした。

 この質問方法は一問一答でわかりやすい、かみあう質問を実現して、また政策の推進という面でもかなりの成果をあげてきたと思っています。

 ところが、これまでも時々、質問時間をもっと短くするべきだと言い出す人もいたりしたのですが、私たちはそれに対して、議員の質問を制限すべきではないと主張して、これまでは
議員の発言を保障する基本が守られてきました。

 ところが今回の新久喜市議会が始まる、最初の会派代表者会議で、公明党の戸ヶ崎代表が、これまで「質問時間だけで40分」となっていたのを、「質問と答弁を合わせて1時間」に
してはどうかと提案してきて、最大会派「飛翔」もさっそくそれに乗っかって、「時間制限を短くするのに賛成。その方向で進めよう」と言ってきました。

 今日のところは決定まで至らずに、6月議会までに協議することになりましたが、どうも、「飛翔」のみなさんは、議員の発言制限を強めることも、“数の力”で決定していいのだと
考えているようです。

 「飛翔」の代表の岸議員はみずからのホームページで、「よりよき議会活動」を求め会派結成をしたときれいなことを書いているのですが、現実の行動は逆に議員の発言封じに突き進
んでいるわけです。

 議員の自由な発言を最大限保障してこそ、二元代表制の一翼としても議会の役割が果たせるはずですが、合併後の新久喜市議会で、それも危うくなっています。

発言時間を短くしても“議会の効率化”にはつながらないのに

 発言時間を短くしようと主張する人たちは、「現在の40分の発言時間を30分にすれば、1人10分短くなって、30人では5〜6時間短くなって、議会が効率化する」と言います


 また、これまで40分の質問で、答弁を合わせると2時間近くかかる人もいたので、それを1時間に制限すれば大幅に短縮できると言うのですが、これは完全な錯覚です。

 実際には多くの議員はこれまででも30分以内で終わっているし、1時間以内で終わっている人が多くて、1時間以上かかっていた人は2〜3人くらいしかいませんでしたから、今さ
ら「1時間以内」に制限しても、質問時間を短くできる効果はせいぜい1〜2時間程度にしか過ぎません。

 もっと大きな問題は、「質問と答弁を合わせて1時間以内」に制限するとなれば、質問の時間が短くても、仮に答弁がだらだらと長引けば、その後の質問はできずに中途半端で終わっ
てしまうことになりますから、一問一答の意味は事実上失われていかざるを得ません。

 結果として、かみ合わない、核心に迫らない質問と答弁になってしまって、議会のセレモニー化に拍車をかけると言わざるをえません。


2010年5月 6日 (木)
会派結成の日付と政務調査費の関係



 5月6日、私たちは合併後の久喜市議会議員選挙を受けて、久喜市議会の新しい会派「政策会議」の結成を届け出ました。【会派の規約はこちら】

 メンバーは、合併前の旧大地の石川、春山、猪股に菖蒲地域選出の富澤議員を加えた4人、それに旧新政議員団から新井、内田、園部の3名が合流して7人、代表には石川議員、副代
表に富澤議員、会計に園部議員が就き、私は政務調査費の処理を担当することになりました。

 実は政務調査費は会派に対して支給することになっていて、毎月1日を基準日として、所属人数1人あたり月2万円が支給されます。

 したがって会派結成の日付が重要な意味を持ってくることになります。

 今回の場合、5月1日の時点で会派が結成されていれば、5月分から[人数×2万円]が出ますが、結成が2日であれば5月分は支給されず、6月分からの支給となります。

 すでに選挙当選後の4月26日から議員活動は始まっていて、さっそく政務調査費を使って資料購入や調査活動を使いたいので、どの会派もできれば会派結成を5月1日に間に合わせ
ようとするのは当然と言えるでしょう。

 私たちも最初、5月1日に4人(石川、春山、猪股、富澤)で新会派を立ち上げる予定でいましたし、一方、新政議員団の方も5人(新井、内田、園部と、“他2人”)で発足する手
はずになっていました。

 ところが5月2日から3日にかけて、新政議員団に参加していたはずの“他2人”が急にやめて、新しい最大会派「飛翔」に行ってしまったため、急遽、5日になって7人が合流して
、「政策会議」を発足することに方針を変更しました。

 それは、これまでも合併前の旧久喜市議会において、旧“大地”と新政議員団は“議会活性化”の推進ではいっしょに行動してきたことが多かったので、活性化や政策形成などを進め
るために、7人が共同して行動した方が得るものが大きいだろうと判断したからです。

 ただそれであれば、新会派の届け出を5月1日までさかのぼらせるわけにはいきませんから、新会派“政策会議”結成の日付は5月5日として、当然、私たち7人の会派“政策会議”
の5月分の政務調査費は申請しないことにしました。

 さて、もう一つの新会派“飛翔”の方はどうしたでしょうか。

 5月6日の朝に、“飛翔”の代表である岸議員は、5月1日に17人で結成したという会派結成届けを議会事務局に提出したのですが、そうすると、5月2日から3日にかけて新政議
員団から抜けていった2人が、すでに5月1日には“飛翔”に加わっていたというつじつまの合わないことになってしまいます。

 しかも“飛翔”の代表に就いた岸議員のブログには、彼らは5月4日に結成総会を開いたと書かれていますから、そうすると、5月1日に結成したという届け出を出して、[5月分、
1人2万円×○○人]の政務調査費の支給を受けるのはムリがあると思われます。

 政務調査費支給の基準日である5月1日よりも後にメンバーの異動があって、基準日には会員は確定していなかったはずなのですが、会派代表である岸議員は、それでも“飛翔”の5
月分の政務調査費17人分の支給をこのまま受けるのでしょうか。


2010年5月 1日 (土)
巨大会派が久喜市議会をどう牛耳るか



 市議選が終わったのが25日で、26日が当選証書の附与、27日には全議員34名が議員控室で初顔合わせがあった。

 連休を挟んで5月6日までに会派の結成届けを出して、7日に代表者会議、翌週には全員協議会で議会の構成を決める話し合いが持たれていくことになる。

 したがって選挙直後から、34名の議員は一つでも多くの有利な役職獲得をにらんだ多数派工作に突入している。

 合併前の久喜市議会で私が所属していた“大地”は、5人の内、川辺、矢野の2人が落選してしまったのだが、何とか「議会活性化」の流れを引き継いで、志を同じくする議員と連携
していきたいと思っている。

 ここ2、3日の議員間の動きを見ていると、旧町ごとにまとまって会派を構成していこうとする動き、あるいは旧3町出身議員で連合していこうとする動きもあったが、そこに合併前
の旧久喜市議会の一部の会派も加わって、どうやら34名の議員の内の半数近くを占める大会派ができるらしい。

 それによると、旧久喜市議会の市政(3名)、改進(2名)と、旧鷲宮、栗橋、菖蒲の議員のほとんどが参加して、15名の規模にまでふくらんだという。

 他の会派は、公明党5名(旧久喜3,鷲宮1、栗橋1)、共産党4名(旧久喜2,鷲宮1、栗橋1)が議員団を構成しているから、それを除く25名の中の6割の議員が一つの会派に
まとまったことになる。

 さてこれは、20年くらい前まで旧久喜市議会で過半数を占めて人事を牛耳った新政議員団(現在の新政議員団とは異なる)の再現か。

 その15名の中には「みんなの党」の鈴木(精)氏、民主党の井上氏、唯一の自民党公認の鈴木(松)もいっしょに加わっているらしいのだが、役職の獲得や課題によって協力し合う
関係を超えて一つの会派になってしまうというのは、ちょっと私の理解を超えている。

 この巨大会派をまとめた中心人物が、10年くらい前に私に、「一つの会派で牛耳ってしまうような大きな会派ができるのは良くない。中くらいの会派、小さな会派がいくつかできた
方がいい」と語っていたことがあったのだが、その同じ人が、実際に大きな会派ができそうな状況になれば考え方も変わってくるものなのだろう。






2010年4月29日 (木)
病休の代替え教員が配置されない



 市内の、旧久喜市の地域に属する中学校で、理科の先生と国語の先生が3月から体調を崩されて病気休暇を取っていて、そのために新年度になってから、3年生の理科の授業と2年生
の一部の国語の授業がまったく行われずに、ずっと他の教科に振り替えられたり自習となってしまっているという。

 特に受験を控えた3年生の生徒たちにとっては切実な問題であるから、保護者たちからどうなっているのかという苦情や問い合わせが、私のところにも来たし、学校や教育委員会にも
寄せられているらしい。

 こういう場合、保護者としては当然ながら早急に代替え教員を配置してほしいと思うし、それは校長や教育委員会の責任であろうと考えるが、実際の問題としてはなかなか代替えは配
置されないで授業に穴が空き、どんどん遅れていってしまっているのが現実である。

 なぜこのようなことになってしまっているのか、いろいろと調べてみてわかったことを、今のところの私の理解の範囲内で問題点を指摘してみたい。

 一つには、病気休暇の診断書で最初から『“1か月以上”の休暇が必要』と明記されて提出されないと、短期間の病気休暇では代替えは置かれないことになっているらしい。
 しかも教育委員会では、診断書が提出されてから臨時の教員に当たっていくわけだが、結局、代替え教員を確保できるまでに1か月や2か月はかかってしまうことが多い。

 いやそれどころか、これまで半年以上もかかってしまうこともあるのが実態だというのだが、それではとても子どもたちの教育を優先した行政とは言えまい。

 もう一つの問題は、旧久喜市では、教員の長期の病気休暇があることを想定して、代替え教員の予算をあらかじめ確保するというやり方を取っていないできたらしいのだ。

 実際に病気休暇が長期にわたることがわかってから、代替え教員の配置のための“県の予算措置”を申請して、それが決定してから臨時教員を探してきたものだから、実際の代替え教
員の配置はますます遅れることになる。

 ところが現実には教員の長期の病気休暇は毎年しばしばありうることである。

 だから旧鷲宮町ではこういう場合に備えて、従来から町の予算の中で代替え教員を配置するための予算措置をしてきていて、今年度の旧鷲宮分の暫定予算の中にも代替え教員を想定し
た予算が確保されていたので、当該の中学校は旧久喜市地域にあるのだけれど、それを使ってやっと4月下旬に3年生の理科の教師だけは代替えを確保することができたのだという。

 一方、2年生の国語の教員の方は、県費で対応するしかなくて、代替え教員の配置は5月中旬になるという。

 これまで先生が長期の病気休暇を取った場合、なかなか代替え教員が配置されないことが多くて、それはこういう場合に代替えとして入ってくれる臨時の先生の登録が少ないか、条件
が合わないせいかと思っていたが、そもそもこういう場合に備えての市費での予算措置がされていないのだとは気付かなかった。

 1か月以上の休暇でないと代替えを配置しないという基準もおかしいと思うし、もっと機動的に配置できるような仕組みを考えるべきではないか。

 今後、合併した新久喜市で、1か月以内でも柔軟に臨時教員を配置するなど、子どもたちの教育を最優先するという原則を確立していけるだろうか。

 少なくとも、旧鷲宮町が臨時教員を確保するために、旧来から町で予算措置していたということを知って、なぜそれが久喜市でできてこなかったのか、素朴な疑問を抱いている。

 また旧鷲宮町での代替え教員の予算措置を、旧久喜地区の学校にいわば“流用”するというのは、合併して同じ久喜市内になったんだからいいのだろうが、やっぱり少々複雑な思いも
しないでもない。





2010年4月17日 (土)
久喜市のホームページでの選挙の扱い



 17日の午後、いのまた和雄のホームページに、「久喜市のホームページで、選挙の記事がどう扱われているか」と書いた。

 表紙には選挙の「選」の字もなく、奥の方にやっと選挙のお知らせが掲載されているが、17日告示ということも期日前投票のことも書いてないのはどういうわけかと批判したのだっ
たが、夕方に気がついたら、担当者も直ちに対応したらしい、もう久喜市のホームページの掲載が改善されていた。

 表紙から市議会議員選挙のページへのリンクがはられていて、投票方法についても詳しく掲載されていた。
 職員も明日の告示、立候補受け付けの準備で大忙しなのに、たいへんだったろうと同情はする。

 さっそく私のホームページから、件(くだん)の記事は削除した。
 明日になったら、法の規制によって、候補者になる者はホームページの更新も削除もできないから、投票日を過ぎるまで直せないところだった。
 危ないところだった。


2010年4月16日 (金)
選挙目当ての自己宣伝、ウソ! ホント?



 いよいよ市議選告示も目の前だから、まちの中を歩いていると、たくさんの“予定候補者”に出会う。

 戸別訪問している人や、きれいなカラー刷りの後援会パンフをポストに投げ込んでいる人。
 市内全戸への配布をポスティング業者に頼んでやらせている人もいるようだが、1枚につき5〜7円はするから、金もかかるだろう。

 選挙が間近になったからといって、急に「議会報告」を作って配っている人も多いし、これまでたまにしか出してなかったのに、今年に入ってから急に何号も配り始めた人もいる。
 たとえば私の地元の青毛や青葉、栗原地区には、これまで1度も見たこともなかった人の議会報告が入っていたりする。

 新興住宅地は浮動票が多いと思ってのことだろうが、こういうやり方でいいのかなあと思う。

 こんな、選挙間近になったからといって急に動き始めるような議員さんたちを、本当に信じる市民がどれほどいるのだろう。
 市民をあまりにバカにしていないか??

 もう一つは、選挙向けに作った後援会パンフや「議会報告」に、「これまでの実績」とやらをたくさん掲載しているのだが、その中身たるや、他の議員さんが見たら怒りだしそうな内
容で、
 「おいおい、この議員は、議会でこんな要求しちゃいないだろう!?」
 「これは別の○○議員がいっしょうけんめいやって実現したことじゃなかったかい!?」
 「議会では一度も触れなかったくせに、“課長に頼んでいたんだ”とでも言い訳するのかな?」
とまあ、明らかに他の議員の質問や提案の『パクリ』記事が何と多いことか。

 「何人もの議員が同じ内容を“実績”といって書いているけれど、どれが本当なの?」というのもある。

 何でもかんでも“私がやった”“私の実績だ”と、言った者が勝ち、自己宣伝のためなら何でもやる、どうせ市民にはわかるまい…。

 知らない市民は、そんな宣伝を信じて、本当にその議員の「実績」だと思ってしまうのだろうか。
 いやいや、そんなこともあるまい。
 そんなウソは、結局は逆に、議員に対する信用を失わせるだけではないか。

 選挙前の議員の“ウソ”は、会議録に当たればすぐに明らかにすることができるのだが、今は忙しくて、私もそこまでやってるヒマはない。



2010年4月 9日 (金)
きわめて不愉快な商法に出会ってしまった



 私は書籍を購入するのによくアマゾンを利用していて、1500円以上だと自宅に直接に配送してくれて送料もかからないし、書名の明記された領収書も添付されてくるから、議会の
政務調査費をあてる場合にもたいへん重宝している。

 インターネットで注文して普通で3〜5日くらいかかることもあるが、それくらいは仕方あるまい。

 1月に、やはり書籍を注文しようとして「Amazonプライム」の無料お試しキャンペーンをやっていたので、申し込んだ。

 Amazonプライムというのは、年会費3900円で、1500円以下の購入でも送料がかからない、通常は有料で翌日配送の「お急ぎ便」でも送料無料というサービスである。

 それが無料で1か月間お試しキャンペーンをやっているというので、申し込んで、その1回だけプライムサービスを利用して、その後は使うこともなくすっかり忘れていた。

 ところが3月末になって、クレジット会社から引き落としの通知が来て、アマゾンプライム年会費として3900円が引かれているのを見てびっくり!!

 あわてて、アマゾンプライムお試しの通知を確認してみると、確かに下の方に小さい小さい文字で、お試しキャンペーンに申し込んで、そのまま30日が経過すると自動的に年会費が差
し引かれると書かれていた。

 つまり、「お試し」に申し込んだ後で、1か月以内に、こちらから改めてアクセスして「お試し」をキャンセルするという意思表示をしない限り、自動的に正式契約に移行してしまう
仕組みになっていたわけだ。

 しかしそんなことは、少なくともアマゾンプライスのキャンペーン説明ページにはまったく書かれていない。

 したがって私はてっきり、30日のお試し期間は当然のこととして1か月を過ぎると打ち切られるものだと思っていたので、お試しの打ち切り手続きをする必要を認識していなかった


 「お試し」期間が過ぎたら改めて正式契約するかどうかを確認してきて、希望者が移行するというならともかく、何もしない場合に自動的に正式契約に移行してしまうというやり方は
私には理解できない。

 インターネットで『アマゾンプライム』で検索をかけてみると、アマゾンのこのやり方で年会費を引き落とされてしまった人たちの、異議申し立ての記事がたくさん出てきた。

 私以外にも多くの人たちが、お試しから自動的に正式契約に移行させられてしまって年会費を引き落とされた“被害”を受けていたのであるが、さらに調べてみると、その人たちの多
くが、アマゾンにメールを送ったり、電話をかけたりして抗議した結果、キャンセルに応じてもらって、いったん引き落とされた年会費を返還してもらったという。

 私もすぐにアマゾンのサービスセンターに電話して、抗議してキャンセルの意志を伝えた上で、会費の返還を申し入れたところ、すぐにキャンセルの手続きをし、会費の全額を返金し
てもらえることになった。

 これはいわゆる“悪徳商法”とは違うのかもしれないが、それでもきわめて不愉快な商法であるには違いない。





2010年3月21日 (日)
合併のどさくさの話と、匿名ブログでの誹謗中傷の話



 「れいちゃん」という議員さんが匿名ブログで、私や他の議員の悪口を書き散らしていることは、すでに書いた。

     こちら⇒

 それからしばらくはおとなしかったのだが、ほとぼりが冷めたと思ったのか、春の虫とともにまたまた出てきた。

久喜宮代衛生組合の減量推進員謝礼の引き下げ

 18日に開かれた衛生組合議会で、新年度予算の中で「廃棄物減量等推進員謝礼」がこれまでは月2000円だったのを、半減して月1000円とするという。

 引き下げる理由は、久喜市が合併する相手の栗橋町や鷲宮町の推進員謝礼が年間2000円、菖蒲町は区に年間5000円を出しているだけだったなので、久喜宮代衛生組合の謝礼金
額を引き下げる形で統一することにした。

 推進員は住民の中から選任されて、地域でごみ減量、分別の徹底のために住民への指導・協力依頼の活動をしてもらうとともに、年4回の報告書を提出することが義務となっている。

 もちろん、地域によって人によってその力量や活動量に差はあるだろうが、これまでの「ごみげんりょう化(減量・原料)大作戦の推進にも力を発揮してきてもらってきたのはだれも
が認めるところだ。

 それを一方的に、しかも“合併のどさくさ”で、謝礼を半減させることをあらかじめ決めてしまっておいて、住民や自治会や区長や、当の推進員には『予算で決まったから今年はこれ
だけの金額ですよ』と知らせるだけというのは、これまでごみ行政を住民参加で前進させてきた久喜宮代衛生組合のやり方としては、いささかというか、たいへん乱暴すぎないか。

 議案質疑でそうした疑問を呈したのだが、行政当局は「これまでも何人かは謝礼を辞退してボランティアでやっていただいている人もいるので、引き下げてもいい、理解は得られる」
と答弁したものだ。

 推進員が自主的に謝礼を辞退するのと、行政側から一方的に謝礼金の金額を下げるのとは話の筋が違うし、謝礼を出してそれを自主的に辞退する人がいるから、全体の金額を引き下げ
てもいいという話にはならないだろう、中には推進員さん個人では受け取らずに自治会に入れている地区もあるという話も聞く。

 しかも久喜市の合併によって栗橋や鷲宮や菖蒲の事情に会わせて引き下げるわけだが、宮代町の推進員にはまったく関係ない理由で久喜に会わせて引き下げるというのも理に合わない


「れいちゃん」議員さんはどんな難癖をつけたか

 まず、『猪股は自分でもボランティア活動をしているのだから、推進員謝礼の金額引き下げに反対するのはおかしい』と、何だかわけのわからない理屈を付けて、私の質疑に難癖を付
ける。

 そもそも今回の合併で、久喜宮代衛生組合は菖蒲、栗橋、鷲宮地域のごみ処理行政の全体を管轄することになるのだが、しかし合併時には久喜地域、菖蒲地域、栗橋鷲宮地域でごみ収
集も処理方式も統一できずに、「合併後3年以内」の統一まで先送りすることになっている。

 したがって現在もこれから当分の間も、減量推進員の人口あたりの選出基準も違うし、仕事の内容も違う。

 にもかかわらず推進員の謝礼だけは統一してしまおう、この際、久喜地区と宮代町の推進員謝礼もいっしょに引き下げてしまおうというのはムリな話であって、したがって少なくとも
仕事の内容が統一されるまでは謝礼金の金額が違ってもいいではないか。

 私がそう言ったら、「れいちゃん」議員さんは、『猪股は早期の統一と言っているのに、謝礼金の金額は違ってもいいというのは矛盾だ』と書いてきた。

 要するに、「れいちゃん」議員さんは、当局がすでに決めてしまった問題について、猪股が疑問を呈したのが気に入らないので、難癖を付けているだけだから、どちらがおかしいか、
これを読んだ市民の皆さんに判断してもらうのがいちばんいい。 

 それにしてもこの人は、匿名ブログで他の議員を非難するということが、それ自体で誹謗中傷であり、議員としてやってはいけない卑怯で恥ずかしい行為だということが、いまだにわ
かっていないらしい。

 「れいちゃん」議員さんは今回で議員を引退するらしいが、引退した後も、今度は一市民として、あるいは政党の看板を担いだ元議員として、“自由かつ無責任に”、匿名ブログでの
誹謗中傷を続けるのだろううか。

 彼女の後継とされている方が、こんな卑怯で恥ずかしい活動スタイルを見習ったりすることがないように願いたいものだ。






2010年3月20日 (土)
最後の議員報酬は日割り計算



 久喜市議会の3月分の議員報酬が口座に振り込まれた。

 額面26万2580円から、共済掛け金5万7600円や所得税源泉徴収が2万1700円が差し引かれて、結局、18万3280円也で、ちょっとショックな数字ではある。

 本当は月額36万円(委員長は37万円)で、毎月の手取り額は25万円くらいになるのだが、今月は合併で3月22日で久喜市も久喜市議会もなくなってしまうので、その分は日割
り計算になっている。

 22日をもって私たちは議員を失職して、4月25日の選挙まで議員でなくなるわけだけれど、議員には退職金もなく、選挙で当選するまでの1か月間は“無給”である。

 一方、市長も22日で失職するのは同じだが、あちらには退職金の制度があって、昨年の任期切れの際に推定1700万円くらいの退職金を受け取っていて、市長選挙後半年間の任期
の退職金がいくらになるのか、まだ計算はしていないが、しっかりと保障されているわけだ。

 3月23日に合併して発足する新・久喜市に1か月間、「市議会」は存在しないことになる。

 市長も不在だが、こちらは市長職務管理者(市長代理)が置かれることになっているのだが、議会は全くの空白となって、本来は議会の議決が必要な事案が出てきても、すべて市長職
務管理者の「専決処分」で執行される。

 はたしてそれでいいのかという疑問はあるが、自治法上、そうなっている。

 さて、久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町の議員はすべて22日で失職する、それはあたりまえのことだと思っていたが、そんないさぎよい、さっぱりした議会ばかりではないらしい。

加須市議会は1年間の任期延長

 お隣の加須市、騎西町、大利根町、北川辺町も、久喜市と同じ3月23日に合併するのだが、あちらの4市町の議会は、合併後もそのまま来年の4月30日まで54人(欠員1)の全
員が新・加須市議会の議員として居座るのだという。

 報酬額はさすがに全員を引き上げることはできないで、現在のそれぞれの市町の報酬額で据え置くらしいが、それでも1年間の議員の居座りで多く支払われる議員報酬は2億6300
万円にのぼるという。

 合併と同時に議員数を削減していれば、2億円もの無駄な税金の支出はしなくていいはずだが、議会が自分たちで任期延長を決めてしまったのだから、これはもう何と言っていいか…
、加須市民はそれを容認するのだろうか。

 どこの市だったか、やっぱり以前に合併して、議員のお手盛りで任期延長を決めた市で、合併直後に議会のリコール運動が起こって、結局は解散せざるをえなくなって、定数を減らし
て選挙をやったところがあったけれど…。









2010年2月19日 (金)
議員の質問は自由です



 議員の中にはとんでもない思いこみをしている人がいる。

 ある女性議員が自分のブログで、「議員が議会で取り上げた問題は、その取り上げた議員に権利が発生する取り決めがあって、それは暗黙の了解である。それなのに最近、自分が取り
上げた問題を、他の会派の1年生議員が質問した。最近の議会は“仁義なき闘い”だ」と書き込んだ。

 結論から言って、そんな取り決めなどはありえない。

 議会での質問は全くの自由であって、だれかが一つの問題を取り上げらたからといって、その質問に「権利」が発生して、他の議員は質問してはいけないみたいな「取り決め」も「暗
黙の了解」もあるはずがない。

 本当はこんな非生産的な議論などしたくはないが、このような「取り決め」が存在するなんて誰かが信じて本気にしてしまうといけないので、それは間違いだということを明確にして
おくためにこの記事を書いておく。

 そもそもこの女性議員は、そんなでたらめな「取り決め」だか「暗黙の了解」だかの与太話を、いったいどこで仕入れてきたのか、あるいは彼女の先輩議員から聞いた話を何か大きく
勘違いしてしまったのだろうか。

 同じ問題であっても立場が違えば視点も違う、切り口も違う、質問していちおうの答弁をもらってそれで満足という議員もいれば、「それでは不十分だ」と思う議員はさらにつっこん
で質問する場合もある。

 多くの議員が、いろいろな立場からいろいろな角度で質問したり要求したりすることで、行政にも他の議員にも理解が広がって、政策が進んでいくこともある。

 たとえば以前、私が「久喜弁」を記録して地域の文化として残すように提案して質問したことがあって、その後に公明党の 故柿沼議員が同じ質問をして、その後に教育委員会が「久喜
ことば」の本を作成した。

 私はそのことで柿沼氏に文句を言ったことはないし、むしろ「地域の民俗的文化としての“話しことば”の保存」について、他の議員も関心を持ってくれて広がったからこそ、行政を
動かすことができたのだと思っている。

 ただ私は、「久喜ことば」を文字だけで残しても生きた文化とは言えないと考えたので、その後、これをさらに発展させて、会話そのものをCDに録音して残すようにという提案をし
て、それも実現した。

 学校に洋式トイレの設置・改修を進めるようにと、最初に取り上げて提案したのは共産党の砂川元議員であって、議会で何度も何度もねばり強く主張していたものだ。

 その後、公明党の戸ヶ崎議員や他の会派の多くの議員さんも取り上げるようになった。

 数年かかってようやく改修が進んできたのだけれど、砂川さんは「この質問は自分の権利だ」などとは言わなかった。

 市街地に公園が少ないから借地で建設するという政策も砂川さんの提案で実現したが、その後に他の会派や議員も取り上げるようになった。

 公共施設の障害者用駐車場の設置やバリアフリーの問題で質問するのは、ずっと以前は私1人くらいしかいなかったけれど、今は多くの議員があたりまえのように取り上げている。

 議会での質問も行政への政策提案は、1人の議員の専売特許や所有物ではありえない。

 にもかかわらず、自分が質問したことのある問題を他の議員が取り上げたからといって、それを「手柄を取られた」ように思う感覚は、質問や政策提案を自分の名声のためにやってい
るということだろうか。

 逆に、自分が先駆者で、他の多くの議員が取り上げることで社会的関心がそれだけ広がったことを喜ぶべきではないか。

 もっとも、中には人のまねだけで二番煎じの質問をする人もいるのかもしれないが、そんな質問は勉強不足だったり心がこもっていないからすぐに底が割れて、かえって恥をかくのが
落ちだろうから、やらせておけばいい。





2010年2月11日 (木)
合併のどさくさで、公民館有料化



 合併後に、久喜市の公民館の利用は原則としてすべて有料となることが決定された。

 公民館の利用料金制度は、久喜市ではこれまでは基本的には有料なのだが、運用として生涯学習団体などが利用する場合は免除することができるという規程を適用して実質的に無料で
利用してきたのだが、菖蒲や栗橋、鷲宮ではこれまでも利用料を徴収していたので、そちらに合わせて有料化することになった。

 4市町を比較すると、多くの施策や制度で久喜市の方が負担が低い、あるいはサービスがよいものが多くて、それらについて多くが「久喜市の例によって統一」することになったのだ
が、公民館の利用料金徴収は、負担の重い方に合わせた数少ない例である。

 久喜市もいずれは有料化したいという思惑が先にあったことと、他の町をいったん無料にしてしまうと後で再度有料化するのには抵抗が予想されるということで、この際、合併のどさ
くさでいっぺんに有料化してしまえという判断であろうが、これはかなり乱暴なやり方である。

 利用団体にも事前に説明することもなく、意見を聞くこともなく、7月1日には有無をいわさず実施することに決めてしまった。

 しかし2月に全世帯に配布した「新・久喜市 暮らしのガイドブック」には、公民館の有料化については何も記されていなくて、これは評判の悪そうな施策は市民になるべく知らせず
に実行に移してしまおうという、行政のきわめて姑息なやり方と言うしかあるまい。

 たとえば中央公民館のいちばん広い大集会室は午前中が800円、1時〜3時、3時〜5時が500円、夜間は1200円となる。

 いちばん狭い「研修室1」は午前中は400円、午後1〜3時の2時間で200円、夜は600円となっているが、午後1時半〜3時半で使おうとすると400円だから、活動時間を
変更せざるをえない団体も出てこよう。

 実はこれまで、公民館の利用マナーの悪さがたびたび指摘されてきた。

 たとえば、事前に会場を確保するために、団体の会員で手分けしてあちこちの部屋をたくさん押さえてしまっておいて、いらなくなってもキャンセルしない、活動がお休みになったの
に会場の予約を取り消さないなどの行為が多い。

 公民館の玄関の会場案内のところには全部の部屋がふさがっているように書かれているのに、実際には空いているなんてこともたびたびである。

 使用料が無料だから、安易に部屋を押さえておいて、取り消さなくても痛くもかゆくもない、他の団体に迷惑がかかろうがお構いなしという、モラルの問題であるが、有料化すればこ
うしたことはなくなるだろうと“期待”されてはいる。

 しかし本来はこれは公民館の職員がきちんとチェックして、予約しているのに使われない部屋があったら確認し、当該の団体に注意したり指導してなくすべきことであったはずだが、
公民館の職員がそういう責任を果たしてこなかったことの方が問題ではないか。

 春日部市の中央公民館などは、利用するときに事務室に申し出て、職員がカギの開け閉めを管理しているから、予約しておいて使わなければすぐにチェックが入るのであって、久喜市
もそういう方法をとるべきであると思う。

 さて、久喜市でも公民館は否応なく有料化されてしまうわけだが、それならそれで“貸し館事業者”としては当然の責任として管理をきちんとするように要求しなければならない。

・カギの管理と部屋の開け閉めは職員が行うべきである。
・その際に、施設や備品の管理も職員がきちんと行うべきである。
 ……越谷中央公民館では、部屋の前に使用団体名を明記し、使用前と後に机やいすの状態の確認(元の状態に戻す)、ホワイトボードのマーカーの管理なども職員がきちんとやってい
る。

 なお、公民館の有料化を「受益者負担」という観点から評価する向きもあるが、この論理は間違っている。

 「受益者負担の原則」とは、その利用によって利益を受けるもの(受益者)がその利益に応じてその経費を負担することをいう。

 したがって「受益者負担の原則」を言うのなら、公民館の費用のどの部分を受益者に負担させるか、明確な基準を作るのが何よりも先決だ。

 もしも公民館の利用者に、たとえば維持管理費について「受益者負担の原則」を適用するとどうなるか。

 久喜市の2008年度の「公民館費」は約1億5000万円で、その内、人件費や公民館主催で実施する事業の費用を除く「維持管理費」は中央公民館、東公民館、青葉公民館、西公
民館の合計で約4000万円である。

 08年度の公民館利用数はのべ2万4000団体であるから、公民館の維持管理費を利用団体数で割ると、1回当たり約1600円となって、現在の利用料の3倍から4倍のお金を徴
収しなければならないことになる。

 そうするとその使用料負担が活動費を圧迫して、市民の生涯学習や社会活動を抑制することにならざるを得ないから、市民活動の推進に矛盾するのであって、公民館のような公共施設
における「受益者負担」の適用ははじめから不可能である。

 公民館の利用料を徴収するとすれば、それは「受益者負担」の論理によってではなくて、公民館を借りることによって得られる市民活動団体の利益の程度と、市民活動の推進を損なわ
ない程度の負担とのかねあいによって決められるべきである。

 たとえば個人の教養や趣味的なサークルの活動、カルチャークラブや娯楽的なサークルの活動、指導料や講師料を支払っての講座などはその利益に応じて利用料を支払うとか、あるい
は冷暖房費と光熱費だけをいただくことなども考えられる。

 少なくとも、市民活動を推進する政策的な責務を負っている行政としては、今回のように公民館の使用すべてに対して一律に有料化すべきではない。

 田中市長はそうした政策判断ができぬか。


2010年2月 9日 (火)
「久喜市における医療体制のあり方」とは何か (2)



久喜の地域の医療ネットワークとは何か (1)の続き

 1月28日に開かれた久喜市医療体制等推進協議会で審議された「久喜市における医療体制のあり方について(中間答申)」の案を読んでいて、これは本当に地域の医療体制の推進に
ついての報告書なのだろうかと、違和感を感じざるをえないのだ。

 答申案は大きく3つの節に分かれていて、第1が「市民の責務」、2番目が「医療機関の責務」、3番目に「行政の責務」となっていて、それぞれに「課題」と「方向」が記されてい
る。

 医療体制のあり方をどうするかについての答申なのだから、どのような医療体制を整備していくのか、そのためにまずは行政の責務が最初にあって、次に医療機関の役割がくるのが当
然ではないのかと思うのだが、この答申はそうはなっていない。

 「市民の責務」の中の「方向」にはこう書かれている。

 「市民は、医療機関の特性及びその機能について十分に認識し、かかりつけ医を持ち、みずからの健康管理に努めるなど、限りある医療資源を有効に活用できるように努める。
 特に、夜間、救急にかかる医療資源を疲弊させないように努める。」

 つまり、市民は自分で健康管理をしてやたらと医者にかからないように、特に夜間や救急をできるだけ使わないようにしなさいと言うのである。

 確かに最近、軽症なのにすぐに救急病院に駆け込んだり、甚だしくは救急車をタクシーか何かのように安易に呼んだりする人が多くなっているという話はよく聞くし、それが救急を担
当する医師を疲弊させている一因になっているというから、患者の側が救急に行くべきか、明日の朝まで待つべきか、見極めることは大切なことだと思う。

 しかし特に子どもの場合、夜中に高熱を出して、親があせって病院に駆け込みたくなる気持ちも当然であろう。

 我が家でも経験があるが、このまま寝かせておいていいものかどうかの見極めはむずかしいし、医者に電話すると「すぐに連れてきてください」と言われて、親としてはついついそれ
にすがってしまうものだ。

 実際に医者に連れて行くと、点滴とポカリスエットだけで翌朝には熱も下がって帰ってくることが多いのではあるが…。

 そうした場合に救急に連れて行くかどうかの相談をしてアドバイスをしてくれる場所があればいいとは思うけれど、現実には不十分な地域医療体制の中で不安を抱える市民に対して、
自分の健康は自己管理、救急をできるだけ使うなというのが、医療体制の整備についての答えなのか。

 2番目の「医療機関の責務」の項には、
 「診療所と病院における連携(病診連携)については、診療所から病院への紹介は広く行われているものの、病院と診療所の相互連携(患者の情報の共有、逆紹介等)は十分とは言え
ないことから、この充実を図る。
 また、(仮称)久喜総合病院と本市を中心とする地域における病院との、それぞれの特性を往かした連携(病病連携)の充実を図る」
と書かれていて、しかしこれに対しては、委員の中の医師の方々から、『いや、これはすでに行われている』という意見も出た。

 しかも、「久喜総合病院と本市を中心とする地域における病院との」連携については、これまでも地域医療ネットワークはすでにあって機能しているのだから、この文章は必要ないと
して削除されることになったのは、前回書いた。

 とすると、「医療機関の責務」の項の「方向」は、これまでの「病診連携」「病病連携」を再確認するにすぎなくて、新たな医療体制の推進・整備をうたうものとはなりそうもない。

 最後の「行政の責務」には何が書かれているか。

 「かかりつけ医の重要性や医療機関のかかり方、緊急時の対処方法などについて、市民への周知をはかる。
 また、病診・病病連携が複合的かつ有機的に結実し、医療資源が効果的かつ切れ目なく活用できるような、的確な医療情報を得られるシステムの構築を目指す。そのために、埼玉県や
医療機関などと調整を測る。」

 行政の責務として2つの事項が書かれているのだが、その前段は、結局ここでも行政は、市民に「やたらと救急医療を利用しないように」という啓蒙啓発を行うのである。

 後段に、「病診連携・病病連携」で、どこの病院・診療所の専門医が対応できるか、ベッドが空いているかなどの医療情報のネットワークシステムの構築が出てきて、やっと行政の果
たす役割の一つが明記されるのだが、これさえも具体的な施策まで構想されているとは言い難い。

 久喜地域でこれから医療体制を整備していくための「中間答申」にしては、あまりにお寒いのではないか。

 「久喜市医療体制等推進協議会」は、次回は3月3日に最後の会議を開いて、「中間答申」をまとめ、市長に提出することになっている。



2010年2月 5日 (金)
最後の「議会だより」の発行を取りやめ



久喜市議会は有終の美を飾れなかった

 来週2月8日から3月5日まで、2月定例市議会が開会されて、これが久喜市議会としては最後の議会となる。

 1月25日に市議会広報委員会が開かれて、その最後の市議会の内容を市民に報告する「議会だより・最終号」の編集方針について協議したのだが、その結論は何と! “最後の『議
会だより』は発行しない”ことに決まってしまった。

 発行しないと主張したのは新政議員団から出ている広報委員の岡崎氏で、他の会派から出ている委員はみな、最後まできちんと出すべきだと主張したが、岡崎氏1人だけが出さないと
いう意見を曲げなかった。

 公明党から出ている戸ケ崎氏が委員長としての積極的な判断をすることなく、「全会派一致にならないので発行しない」と結論を出して終わってしまったのだという。

 普通だったら、1人だけが異論を唱えた場合は話し合いで妥協して折れるか、委員長の判断で大勢を尊重することになるものだと思う、…それは多数の横暴とは違うだろう。

 しかしこの場合はスジ論を掲げた多数が、1人のわがままに屈した構図となってしまうではないか。

 2月1日発行の「議会だより」編集後記には、戸ヶ崎委員長自身が『あと1回発行を予定しています』と書いていたのだが、この約束は果たせないこととなったわけだ。

 どんなに議会の場で立派なことを言っても、市民に報告しなければその価値は半減する。

 3月5日に議会が閉会して、合併前日の22日までに発行しなければならないから、議員も事務局も忙しいのはわからないでもないが、早くから編集作業を始めておけばすむ話ではな
いか。

 広報委員の中からは、久喜市において議会の果たしてきた役割と活動の総括を載せて、委員会の報告を載せて、一般質問については質問項目だけでも掲載するという案が検討されてき
ていて、さらに、記事は事務局職員に任せるのではなく、できるだけ広報委員が自分たちで書いていこう、委員会報告も各委員会で相談して委員長さんたちを中心にまとめてもらって…
、という話も出ていたと聞いている。

 これまでだって4年ごとの任期切れの際にだって、次の市議選挙を前にして忙しい中であっても最後の「議会だより」を発行してきていたのだ。

 それなのになぜ今回だけ、しかも最後の「議会だより」を発行できないか、その理由はまったく思い当たらないので、議員や事務局が忙しいからできない、あるいはやりたくないとい
うにすぎない。

 本来、市民の税金を使って議会が開かれれば、何を審議したのか、その結果がどうだったのかを報告するのは議会の最低限の責任であり義務であるはずだが、「議会だより」の編集を
委任されている広報委員会はその責任を果たさずに終わらせてしまうつもりか。

 かえりみれば、久喜市議会の「議会だより」は、全国で最も早い昭和25年ごろ、町議会の時代から発行してきた。

 それは先人の、議会審議の経過を市民に知らせるのは最低限の義務であり責任であるという自覚から始まったものであって、それから60年間にわたって年4回の定例議会ごとに1度
も休むことなく「議会だより」を発行して議会の経過を報告し続けてきたのであった。

 今回、最後の久喜市議会定例議会の報告を掲載すべき「議会だより」を発行しないで終わらせてしまうということは、60年間の久喜市(町)議会が途切れることなく続けてきた市民
への説明責任を、最後の最後で断ち切ってしまうことを意味する。

 久喜市議会は議会として“有終の美”を飾れなかった。

 とすれば、1人1人の議員がみずからの責任で報告するしかないのだが、議員の中にはこれまで議会報告を出したことのない人もいる。






2010年1月28日 (木)
久喜の地域の医療ネットワークとは何か (1)



 1月28日に「久喜市医療体制推進協議会」が開かれたので、傍聴に行ってきた。

 この協議会は、久喜総合病院が来年(平成23年)4月に開院する予定であることから、この総合病院の開院に合わせて、“久喜市地域の地域医療ネットワーク”を構築することを目
的に、昨年7月に設置されたものである。

 久喜市地域で構築する医療体制ネットワーク、総合病院に求める医療などを検討するため、医師会の代表、市民の公募委員など13名で構成していて、これまで4回の会議を重ねてき
ている。

 久喜市の合併にともない、この協議会はいったん解散となるため、3月に「中間答申」を出すことになって、今回の会議は、その中間答申の「案」の検討が議題であった。

 行政当局はこれまで協議会の中でも、また議会でも、「久喜総合病院を中心とした医療ネットワークの構築」を進めるためにこの協議会を設置したと説明してきていて、そのことは中
間答申の中にも記載されている。

 それは久喜市の医療行政の前提であると、皆が信じてきたのだが、しかし本当のところはそうでもないらしい。

 医師会の皆さんの意見を聞いていると、たとえばこんな論である。

 「現在すでに済生会を中心に、新井病院や高木病院や鷲宮の病院や、地域の診療所などで、地域医療のネットワークがあって十分に機能しているのであって、これから久喜総合病院を
中心に新しいネットワークを作るわけではない。すでにあるネットワークを中心に、そこに久喜総合病院がどう関わってもらうかだ」
 「久喜市の地域医療ネットワークは総合病院と地域の病院や診療所との間で作るのではなくて、済生会や周辺地域の病院と診療所、場合によっては県内の医療ネットワークや自治医大
まで含めてのネットワークで考えなくてはならない」
 「久喜市の医療体制のあり方は市の中だけで完結するものではないから、久喜総合病院を中心に考えなければならない理由はない」

 「既存の医療ネットワークを中心として、そこに久喜総合病院がどう関わっていくのか。既存のネットワークに足りないところを、久喜総合病院に補ってもらえる部分があるのかどう
か」

 「現実には久喜総合病院はほとんど救急ができないのではないか。医者が集まらない。消化器や循環器の医師が集まらない。小児科も婦人科もない。救急が2人しかいなくてどうやっ
て夜間やるのか」

 結局、中間答申案にあった、「久喜総合病院の開設に合わせて、地域医療のネットワークを構築していく」とか、「総合病院と本市を中心とする地域における病院との連携」とかの文
章は削除することになった。

 以前に議会でこの医療体制推進協議会の設置を議論したときに、私は「久喜地域の医療ネットワークを考えるときには、済生会もいっしょに考えていかなければならない。済生会にも
協議会に入ってもらわなければならないのではないか」と疑問を呈したことがあった。

 その時には、久喜市の行政としては、久喜市の中のネットワークを検討するという考え方で協議会が始まったのだが、それがほとんど意味をなさないことが、今、改めて明らかになっ
たわけだ。






2010年1月26日 (火)
「国歌斉唱」



 私の新聞記事ファイルにこんな記事を挟み込んでおいたのを思い出した。

 昨年8月18日付の朝日新聞、見出しは「修正重ね『義務』消えた 99年の国旗国歌法草案」とある。

 「ちょうど10年前、99年に成立した国旗国歌法の政府草案が成案になるまでの経緯が情報公開で入手した資料や関係者の証言から明らかになった。『国民は、国旗及び国家を尊重
しなければならない』。そんな義務規定が国会に提案される前に削除されていた。なぜか」とある。

 国旗国歌法は、第1条で国旗を「日の丸」と定め、第2条で国家を「君が代」と定めているだけのシンプルな法律であるが、最初の案では第3条に国旗と国家の尊重義務が明記されて
いたという。

 99年3月の1次草案は、
「3条 国民は国旗及び国家を尊重しなければならない。
2 国及び地方公共団体は、政令の定めるところによりその管理する建造物において国旗を掲揚しなければならない。
3 国民は、祝日に国旗を掲揚するよう務めるものとする。」
となっていた。

 4月16日の第2次案では、2項、3項が削除されて、
「3条 国民は国旗及び国家を尊重しなければならない。」となった。

 4月19日の第3次案ではさらに「国民」の主語が削除されて、
「3条 国旗及び国家は尊重されなければならない。」となった。

 4月27日付の第4次案では、
「3条 国旗及び国家は、尊厳が保たれるように扱われなければならない。」となっている。

 最後の5次案(28日)では3条そのものが削除されて、それがそのまま法案となり、8月9日に成立したという。

 国会審議では、「国民に尊重の義務を課すものではない」という答弁もあった。

 記事中に、当時の政府関係者の証言で、3条を削除した理由が書かれている。

 当時の官房長官だった野中広務は「3条は火種になる、政争の具にすべきではないと思ったからだ」と述べている。

 他の証言では、「尊重義務などを書けば、罰則がなくても『義務を守らないのはけしからん』などと言い出す人がいるかもしれない。そうした余地はない方がいい」
 「君が代を歌わないととやかく言われたり、国旗に敬礼しなければいけなかったりする社会は窮屈だ。歌いたくなければ歌わずにすむ社会が私はいい」という政府関係者の証言も書か
れている。

 ところがまさに今、「国歌斉唱。一同ご起立ください」と促されて、君が代を歌うことが強制され、歌わないと罵倒されたり、公務員の場合は「罰則」を課され、処分されたりする社
会になっているではないか。

 あらためてこの記事を探したのは、今年の成人式のことを書こうと思ったからだ。

 毎年のことながら、成人式では当然のように「国歌斉唱。一同ご起立ください」と起立を促され、事実上、斉唱が義務付けられているのだが、私は来賓席でいつも起立もしないし歌わ
ないでずっと座り続けている。

 来賓席で座っている議員は他にも2〜3人いるが、昨年などは新成人たちの中から「いのまたー、立てー」と怒鳴られたりもした。

 今年も座ったままの議員が2〜3人で、会場でも座っている新成人もいたようだが、式は淡々と進んでいって罵声を浴びせられることもなかった。

 してみると、久喜では強制的ではあっても、まだ今のところ強制されない自由もあると言うことができるのかもしれないが、やっぱりいろいろな考え方があると認められる社会がいい
と思う。

 一つ知りたいことがある。

 君が代を強制する立場の人たちがよく、“外国(この場合、アメリカが例に出されることが多い)でも国歌を歌うのはあたりまえだ”と言う。

 確かにテレビなどで、アメリカの学校や何かの式典などで、みんなが胸に手を置いて「星条旗よ永遠なれ」を歌っているシーンはよく見るのだが、はたしてアメリカでも国歌を歌わな
いと日本のように罰則を科されたり、処分されたり、あるいは罵倒されたりするのだろうか。

 関連記事(2005年2月7日)

 「なぜ君が代を歌わないか」1999年11月の記事


2010年1月17日 (日)
合併後の久喜市の「市長職務執行者」を決定



 1月14日に、1市3町合併後の「久喜市長職務執行者」として現菖蒲町長の中山登司男氏が選任された。

 久喜市、菖蒲町、栗橋町、鷲宮町の合併は3月23日だから、その前日の22日に田中市長も含めて4市町の首長は全員失職して、4月25日の新久喜市の市長選挙投票日までは市長
は不在となる。

 その間、3月23日には職員の辞令を交付し、すべての条例を公布・施行して、新市の行政をスタートさせなくてはならないし、約1か月間の市長不在期間の行政を運営していかなけ
ればならない、その役割を果たすのが「市長職務執行者」である。

 通常は合併する市町の首長の中から、新市の市長選挙に立候補を予定していない人が選任されることが多いのだが、その人選はかなり微妙でもある。

 他の合併した自治体では、合併前の旧市町の首長がみんな立候補する予定なので、たとえばいちばん大きい市の副市長が「職務執行者」に就いたなんて例もある。

 今回、中山菖蒲町長が「職務執行者」に選任されたということは、中山氏は新市の市長選挙には出ないと“予想”されるのだが、フリーの立場に残った本多鷲宮町長や斉藤栗橋町長は
立候補する“可能性”がまだあるということになる。

 いまだに田中市長以外には新市の市長選挙への立候補を表明した人はいないので、無投票で決まるのか選挙戦になるのか、うかつに予想はできない。

 しかし昨年の久喜市長選挙では、万全の体制を作った4期目の田中市長に対して、2年前の市議選で落選していた星野氏が突然立候補したにもかかわらず、事前予想を大きく上回る8
000票も獲得して、田中氏へのかなりの批判票の存在を示したのだから、今度もし選挙戦になればかなりの激戦になることだけは間違いない。



2010年1月11日 (月)
久喜の新成人は809人



 10日の午後に総合文化会館で、久喜市の成人式式典が開催された。

 今年、久喜市で成人式を迎えた人(昨年4月2日〜今年4月1日生まれ)は809人で、これには当然、外国人登録の人数も入っているが、少子化で年々減少していて昨年に比べると
65人少い。

 久喜市の成人式には、市外に住所を移しているけれども久喜の式への参加を希望した人31人も含んで、全部で約500人くらいが出席した。(もう少し少なかったかな?)

 毎年、来賓として出席していて、今年の成人式は今までにない静かさだった、といっても、別に騒がしいのを期待していたわけではない。

 もちろん会場の最前列には赤や青や金色の袴をはいて酒を飲みながら座っている若者たちも並んでいるのはいつも通りだったし、式の最中に堂々と歩き回る人や会場を出たり入ったり
する人、ケータイをのぞき込んでいる人、写メを取り合う人もたくさんいて、会場はずっとざわついていた。

 それでも去年よりもずっと静かだったように思えたのだが、若者が一般的におとなしくなったのか、今年の新成人の皆さんが節度をわきまえていたのか、運営がよかったのか。

 文化会館前の広場と入口脇にはパトカーが2台、私服警官らしい人も何人か配置されていたようで、騒がせないような規制や監視がきつかったせいもあるのかどうか…。

 新成人の誓いの言葉は、『自立といっても、まだ親の世話になっているのが現実』で、『何をやろうとしているのかまだよくわからない』けれども、『これからもう少し時間をかけて
本当に自立して、自分たちのやりたいことがはっきりさせていく』、『その時にもう一度お会いしましょう』みたいな話だったが、飾らぬ率直な現実を自分の言葉で語っていて“ちょっ
といいな”と思った。

 今まではどうしても『大人になったことを自覚して』とか、『社会のために尽くす』とか、型通りの期待される人間像みたいな内容のタテマエ的な文句の羅列が多かったようで、何と
なく物足りなさを感じてはいた。

 一方、田中市長の祝辞は相変わらず、合併の話が中心で、昨年来の合併協議の経過を延々と述べていたのだが、はたして新成人に“合併後の新久喜市への夢や期待”を持ってもらうこ
とができたかどうか…。



2010年1月10日 (日)
次第に選挙モード



 1月8日に開かれた市議会代表者会議で、議長から「合併後の公の行事に、前議員として出席しない、あいさつもしない」ことが提起され、だれからも異論なく全員で合意した。

 市長も議員も3月23日の合併前日に失職することになっている。

 当然、4月の選挙までの間は市長や議員の肩書きはなくなるから、小中学校の入学式や市の団体の総会などで「市長」とか「議員」の肩書きで招待されて出席したり、あいさつするこ
とはありえない。

 そんなことはあたりまえだから、「何で今さら改めて申し合わせしなけりゃならないの?」とは思ったが、学校の校長先生や団体側が気を使って「前議員」として招待状を出したり紹
介することがあるかもしれないからということらしい。

 紹介されてあいさつするだけならば公職選挙法違反ということにはならないが、選挙前のことでもあるから、議員の性(さが)で「前議員」として紹介されれば喜んであいさつに立っ
て「選挙をよろしく」と口走ってしまうかもしれない。

 それは事前運動になるし、現職議員でない新人候補者と不公平になるから、あらかじめ自粛を申し合わせておこうという、議長の配慮であったようだ。

 こんな話も出るくらいだから、いよいよ議会も選挙モードに入りつつあって、議員の間でも「○○さんは出るらしい」とか、「××議員があいさつまわりしてる」「急に街頭演説を始
めた」というような情報が飛び交うようになった。

 もっとも2月定例議会が、2月8日から3月5日まで開かれるから、現職議員としては合併前の最後の市議会に集中しなければならないわけで、みんな内心穏やかではないものの浮き
足立つわけにも行かぬ。

 新久喜市の市議会議員選挙は4月18日告示、25日投票の日程がすでに決まって、定数34名に、4市町の現職議員のほとんどが立候補して候補者数は50名くらいになるんじゃな
いかという予想もある。

 市長選挙の方は、今朝の埼玉新聞1面に、田中市長に加えて、合併相手の3町長の動向に注目という記事が掲載されていた。




大阪行き夜行高速バスのメリット



 1月7日に下の記事を書いて、友人達と話していたら、「ちょっと違うんじゃないか」と言われてしまった。

 夜行高速バスの最大のメリットは“安さ”であるが、実際には、新幹線で大阪往復にホテル代まで込みで2万円とかのパックは普通に販売されているから、必ずしも安いとは言えない
という。

 そういえば私自身、京都で開催された勉強会に参加するのにそうした格安パックを利用したことがあったのを思い出してしまったのだけれど…。

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2010年1月 7日 (木)
大阪行きの夜行高速バスが久喜駅を通る

 5日の朝日新聞埼玉版に「大阪行き高速バス 久喜駅東口を経由 3月中旬に第1便」の記事が載ったので、市の企画政策課に問い合わせて、以下のことがわかった。

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・宇都宮の関東自動車(関東バスではない)と近鉄バスが、現在、宇都宮から京都大阪へ運行している夜行高速バスを、久喜インター〜久喜駅を経由することになった。

・首都高速山手トンネルが3月に開通して20分ほどの時間短縮が図られるので、その時間の余裕分を久喜駅経由に振り向けることになって実現した。

・夜行高速バス「とちの木号」は現在毎日運行している。
JR宇都宮駅発21:20〜栃木駅22:13〜(ノンストップ)〜京都駅5:50〜梅田6:46〜大阪あべの橋7:27、所要時間10時間27分
 料金は、宇都宮〜大阪 10,400円(往復18,660円)

 これが以下のように、久喜駅経由となって所要時間が24分伸びる。
JR宇都宮駅発21:20〜栃木駅22:13〜久喜駅23:02〜(ノンストップ)〜京都駅6:09〜梅田7:05〜大阪あべの橋7:46、所要時間10時間51分

 久喜駅〜大阪の料金は、8,900円(往復16,000円)の予定で、新幹線利用の半額程度だからずいぶん安い。

 バスは1人掛け3列シートで36人乗り、トイレ、リクライニングシートだそうだ。

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 私は以前、夜行バスで名古屋まで行ったことがあるが、隣で他人が寝ているとやっぱり気になって眠れなくて、たいへん疲れたのだが、今の夜行バスは乗り心地は全然違うらしい。

 大阪に出張に行くのに、1日の仕事が終わってから夜に久喜駅前で乗り込んで、翌朝に大阪に着いて、1日仕事を済ませてその日の夜に帰りのバスに乗り込んで、3日目の朝に久喜に
ついて仕事をする、なんてこともできるわけだ。

 あるいは、金曜日に仕事を終えてから久喜駅前で乗り込んで、土曜日の朝に京都について、土曜日の夜は1泊だけホテルに泊まって、2日間まるまる遊んで日曜日の夜のバスに乗り込
んで、月曜日の朝に久喜に着いて仕事、なんてこともできるけれど、いくら安上がりだからってそんな強行軍ができるのはやっぱり若い人向けだろう。

 すでに国交省には路線認可を申請済みということであるが、3月から運行開始して、ずっと継続して営業できるかどうか、問題は、利用率ということになるらしい。

 もう一つ気になるのは駐車場だ。

 夜行バスの乗車場所まで自分の車で行って、帰ってくるまで車を置いておければいいのだけれど、そのためには出発地点が久喜駅前というのはかえって不便かもしれない。

 いっそのこと、夜行バスの乗車地点を久喜インターチェンジに持ってきて、その付近に広い駐車場を確保して、そこに自分の車を置いていけるようにするなんてことも考えられるんじ
ゃないか。

 それとも、合併後は現在の各町役場はほとんど空くわけで、菖蒲総合支所とか鷲宮総合支所を高速バスの乗車場所にすれば、その広〜い駐車場に車を置いて出かけられるじゃないか、
パーク・アンド・ライドに使えてとても便利になる、なんて話も出たんだけれどどうだろう。