宗教問題へのご質問の回答欄


金哲顕

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下の「十字架と生贄」『マルコによる福音書の新考察』と書評ページの「批判的書評『イエスという男』」とでキリスト教の本質の全貌が見える三部作になっています。また「『マルコによる福音書の新考察』へのご質問の回答欄」もご参考ください。


(1) 「十字架と生贄」  高崎信徒HRFOさん

(2) 「キリスト教の土台はセックスなのでしょうか?」 KCHさん


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ご質問 (1) 「十字架と生贄」  高崎信徒HRFOさん
以前からキリスト教の十字架の救いが太古以来の血なまぐさい野蛮な生贄の観念に影響されたものではないかと思われ、自分の信仰に小さからぬ打撃となってきました。むろん人間が救われるには他者の犠牲による場合が多く、戦場でも職場でも家庭でも、誰かの犠牲によって救われたというケースは広く体験されているところです。他者の犠牲もしくは犠牲的協力は人間の生存に必要不可欠だと思います。これと『キリスト教の十字架贖罪論』とはどこかでつながっていて、だからこそ十字架贖罪論が人類社会で広く受け入れられたのだと私は推測していますが、それがどう「十字架の犠牲による贖罪」につながるかはよく分かりません。お教え願えれば幸甚です。(高崎信徒HRFO)

ご回答  「十字架と生贄」  高崎信徒HRFOさん
全文の構成は以下の目次をご参考ください。

               目次

● 初めに
● 「キリスト教信仰の隠れた本当の図式」
● 総論的批評
● キリスト教の「アガペー」の起源とその三つの根本的な性質
● なぜイエスが十字架(贖罪死)を目指して生きたのでないかがわかるか
● イエスの復活について
● イエスの系図の問題
● パウロ書簡から史実のイエスを傍証する
● 私の「史的イエスの実像」

● 直接的ご返答

初めに

キリスト教の本質はいうまでもなく「十字架贖罪論」です。どこの教会堂のてっぺんにも十字架があるのはそのためです。しかし十字架の贖罪そのものが目的ではなく、目的は十字架の贖罪による死からの復活です。キリスト教は「愛と希望の宗教」とされていますが、その「愛」は人類贖罪のためのイエス・キリストによる十字架の自己犠牲死に淵源し、その「希望」はイエス・キリストにおいて見られたとされる死からの復活に淵源します。

「愛と希望の宗教」とは「十字架と復活の宗教」という意味です。十字架と復活はキリスト教なる車の両輪で、この宗教が成立したのも、この両輪のおかげでした。十字架だけでも復活だけでもキリスト教は成立しませんでした。

とはいえ、そもそもこの両輪には根本的な問題が存在しています。『マルコによる福音書の新考察』のページに詳しく触れましたが、イエスは自ら意図して十字架への道を歩いたのではなく、これはイエスの死後、弟子たちが構築した架空のイエス像に過ぎません。また『使徒行伝』第1章に見られるイエスの昇天の情景描写からも分かるように、復活も史実ではありません。

イエスの歩んだ十字架への道が捏造に過ぎないものならば、十字架贖罪論が神の真理であるわけはありませんし、またイエスの十字架贖罪死による救済というのも人類の真実ではなくなるわけです。

ここではまず(1)から(9)に至る「キリスト教の隠れた本当の図式」をご紹介し、次にそれに関する「総論的批評」などを述べて詳しくご回答したいと思います。なお黒字の丸括弧内は私の説明です。

「キリスト教信仰の隠れた本当の図式」
(1)人間は製作者なる神の意図通り「自由」を得、それを行使して神に反抗し、罪を犯した。
   (神の自由と人間の自由とは不可避的に少しく拮抗するので)
(2)神はその人間の罪を「原罪」と呼んで重大視し、強くこだわっている。

(3)神はそのため人間を許せず「罪ある者」とし、死、あらゆる不幸、地獄を運命づけた。

(4)そういう神は「生贄(人身供養)の論理」に支配されている。 
(「神の子羊」は旧約聖書(ユダヤ教)の「過越の子羊」を新約聖書(キリスト教)が受け継いだものであるが、神はこの「神の子羊」という生贄なしに人間を赦せないのでそう言える)
(5)ところが、神は生贄の論理を倒錯的に本末転倒している。
(罪ある人間の方が自分の生贄を捧げるべきなのに、人間に反抗されて激怒している神の方が、自分で、自分の最愛の御子を、自分に対して、生贄として差し出している)
(6)この倒錯の結果、「神がこの世に送った御子の犠牲死による人類の罪の贖罪」という教理が生まれた。
(それが、「最後の晩餐」におけるパン(イエスのからだ)とぶどう酒(イエスの血)の話となり、また「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(『ヨハネによる福音書』第1章29節)という聖句となって表れている)
(7)つまり、「人間が自分自身で自分のものを生贄として捧げるべきところを、神が自ら最愛の御子を自分への生贄として差し出してまで人間の罪を贖い、死、あらゆる不幸、地獄から救い出してくれた」という信仰が起きた。 
(だが、イエスの十字架死後も人類から死、不幸はなくならず、この二千年の間、イエスの死が何でもなかったかのように、事実上「無効のまま」になっている)
(8)「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」(『ヨハネによる福音書』第3章16節)という聖句はまさにその表現であり、そこから「神は愛である」(『ヨハネ第一の手紙』第4章8節)と説かれ、キリスト教は「愛の宗教」とされた。
(しかし、たとえ人類の罪を贖罪するためだとはいえ、自分で、自分の最愛の息子を、自分に対して、人身供養の生贄にする神が「愛の神」だろうか?)
(9)それがついに「あなた方の敵を愛しなさい」という「愛敵の宗教」になった。
(キリスト教のこの愛敵倫理はある面では便宜的なものでしかない。というのも、神はイエスを受け入れた者(味方)のみを救い、そうでない者(敵)を滅ぼすからである。神はみずからの敵であるサタンを決して愛しはしないし、キリストとされているイエスも同様だ。

イエスを受け入れなかった者やサタンとその一党は最後の審判の時に地獄に落されると『ヨハネ黙示録』に書かれている。愛敵など神にもメシアにもできない。そんなものが本質的な意味でどうして人間にできるだろうか? 

この愛敵の倫理はもともと伝道効果の便宜をも考えたもので、愛を通して敵を味方のキリスト者にしうる点においても勧められているのである。したがってこの愛敵の対象である敵は形而上学的なあるいは制度的な敵でなく、今のところそれらの手先となってはいるがいずれ信者になるべき筈の民衆的な敵である。

迫害で殺されたキリスト者たちの、最後の審判のときにかけた復讐の思いは『ヨハネ黙示録』に満ち満ちている(例えば第6章9〜10節)。福音書にもしばしば不信者やその町に対するイエスの呪いの言葉が見受けられる。

確かにアガペー(親の子に対するような無償の自己犠牲的な愛)はエロス(性愛・知識愛・物愛などの欲愛)やフィリア(友愛)とは異なり、キリスト教の特質・本質をなす愛の形ではある。しかし本当のところキリスト教の本質ともいえる「愛」(アガペー)は以下で述べるある種の錯覚曲解から生まれたものである)

総論的批評

次に上の図式にしたがって総論的な批評をしたいと思います。

人間の製作者なる神は、その設計段階で、人間に与える予定の(人間の本質とでもいうべき)「自由」のその後の働きを熟知していたのに、人間を製作し、自由行使の不可避的な結果である製作者への一種の反抗を「原罪」として大罪視しました。その大罪はついには御子の生贄まで要求するほどのものです。

それは人間の罪とされたものに対する神の、不必要なまでの、全く愛のかけらもない執着の結果です。罪とされた人類も、その罪を贖うために殺されたイエスも、人間の罪へのいわゆる「愛の神」の度外れた執着のために、とんだ災難を受けたというべきでしょう。

しかし、そもそも製作物の欠点は製作者の落ち度でなければ一体何なのでしょう? 製作者が、自分の作った欠陥壷の傷に触れて指の先を少し切ったからといって、果たしてその壷に責任をなすりつけることができるでしょうか? そういう心の姿勢が「愛の神」に相応しいものでしょうか? 

だから、神が人間を「罪ある者」として責めるのは筋違いの誤りです。自由は人間の本質ですから、人間の製作者は自由の製作者でもありました。神は人間製作にあたって予め自由のことをなにもかも十分熟知していたわけです。

そもそも神は人間を製作するとき自分に似せて作ったのではないでしょうか? 両者の似たところがその「自由」そのもの(別の表現では人格)でなければ一体何なのでしょう? 神は人間を製作したとき、いわば小型の「神もどき」を製作したのです。「神もどき」が神の真似をしたり、少しばかり神に楯突いたりするのは当然でしょう。

だいたい人間がちょっと神に反抗したからといって、それが全能者なる神にとってどれほどのダメージなのでしょう。考えてみれば、神の不必要なまでの病的こだわり・執着さえなければ、こんなことは何でもないことではないでしょうか。この病的なこだわり・執着は「愛の神」に全く相応しくありません。

そもそも「愛の宗教」なるものは、原始キリスト教団を構成するイエスの弟子たちの「曲解」と、それによる「錯覚」から生み出されたものに過ぎないのです。キリスト教がいうように神が最愛の御子を生贄とするほどこの世を愛し人類を愛しているのなら、人間のちょっとした反抗を、「親への子供らしい可愛い反抗」程度に考えて、それを、死、不幸、地獄の原因となるほど大罪視してはいけません。

人間が親なる神に似たいという願望を持ったとして、それが神の地位にとってどれほど危険だというのでしょう? 実害ゼロの単なる願望にすぎないではありませんか。たいした罪でもないものを、神一人が大騒ぎして大罪化し、ついには自分の一人息子にまで被害を及ぼした格好です。なんと愚かで狭量な神なのでしょう

もし神が愛なら、御子を生贄にするなど、どんな理由があっても本来してはならないし、とりわけ製作者なる神自身への人間の罪(神への反抗)なわけですから、第三者の他者なる御子をその人間の罪の赦しのための犠牲になどしてはなりません。

神が愛なら、問題を自分の広い心の中で解決し、他者のいかなる生贄の犠牲もなく人間を赦すべき
なのです。それの出来ない神が愛であるなどは、全くなんかの「錯覚」に由来しているのです。この「愛の神」はなんと狭量な神なのでしょう! 「愛の神」は狭量と矛盾します。だからここにはこの矛盾を生み出したなにかの錯誤が潜んでいます。

そもそも太古以来の血なまぐさい野蛮な生贄の論理がキリスト教の「愛の神」を支配するようになったのは、キリスト教が「過越の子羊」の論理を発展させてそれを十字架贖罪論の「神の子羊」に仕立て上げたからに他なりません。それがキリスト教が十字架の宗教だということです。

キリスト教は、結局、生贄の論理として十字架の贖罪論理を絶対化したため、キリスト教の神は生贄の論理から抜け出せず、不可避的に「子羊の生贄』(イエスの場合は人身供養)によって罪の赦しや愛を表現せざるをえなくなったわけです。

それではなぜ「過越の子羊」が「神の子羊」となったのでしょうか? それはイエスの十字架の「敗北」を、その正反対の「勝利」に仕立て上げたためなのです。原始キリスト教団は人間の手になるイエスの十字架という「敗北」を、「神の手による人類の贖罪→この世の罪に対する十字架のイエスの勝利」として、「勝利」に仕立て上げようとしました。

つまり、神からの力をもとにローマの植民地支配を打ち破りイスラエルに独立と世界支配権をもたらすことを目指した「政治的メシア」としてのイエスの敗北を、刑死後すぐさま彼を贖罪の「宗教的メシア」に仕立て上げることで勝利に摺り替えたわけです。

しかしこの摺り替えはほとんど無自覚なかたちで行われました。「過越の子羊」は生贄として殺されて、はじめて機能します。イエスも同じく生贄として殺されてこそ、つまり敗北してこそ、はじめて贖罪の機能を果たすことができるわけです。

そこには敗北から勝利へのいわば自然な、したがって無自覚な移行があり得ました。とはいえ、敗北を勝利だとするためには、自覚的であろうと無自覚的であろうと、論理の捻じ曲げ・曲解が必要とされます。

その際、人類の罪の贖罪は、ちっぽけな、すでに罪に汚れてしまった人類自身には本質的に不可能で、神の子にしかできないゆえに、イエス・キリストは御子とされ、その結果、キリスト教の神は自分に対する相手の反逆・反抗罪を赦すのに、自分の側から・相手のために・自分自身に向けて・自分の御子を生贄として差し出す、というとんでもない主客転倒・倒錯・自虐行為までやらされる始末になりました。

むろんこうしたことの背後では「高貴な生贄ほど大きな贖罪効果をもたらす」という等価論理が働いています。つまり究極の贖罪効果のために生贄の「神の子性」が要求されたわけです。

もし生前のイエスが「政治的メシア」として自ら「神の子」であると主張していた場合は、「過越の子羊としての神の子イエスの生贄」という観念は、「過越の祭り」の最中にイエスの十字架死に遭遇した一部の弟子たちの頭のなかで、ごく自然に生じたといえます。

こうして、この「御子の犠牲」、つまり人間の側から神の側への、生贄対象の移転・転倒・倒錯が、結果として「神は御子を犠牲にしてまでこの世を愛する」となり、「愛の神の宗教」なるキリスト教を生んだのです。

自分で自分の御子を自分に向けて生贄にするなど、たとえそれが人類の罪を贖罪するためだとはいえ、一体これが「愛の神」のすることでしょうか? たとえば、普通の子羊を生贄にするならまだしも、人間イエスを生贄にするのでは、これはまさに「人身供養」に他なりません。

背筋に悪寒を覚えさせるこのような恐ろしい人身供養の論理になったのは、(イエスの直弟子たち自身は獣の生贄が日常である時代に生きたとはいえ)、無自覚に行われた彼らのあの捻じ曲げ解釈の無理や、それによる錯覚のためなのです。

こんなにおぞましくあれこれ矛盾し倒錯した方法で、果たして人類の罪を贖罪できるのでしょうか? 神はどうして生贄の法則に縛られているのでしょう? 生贄の法則に縛られているから御子まで生贄にしなくてはならないのでしょう? 

また、他者への生贄ならともかく、自分自身への、自分の御子の生贄など、なぜ必要なのでしょう? 神は人間の罪を許すのになぜ自分の御子を自分の祭壇の生贄にしなくてはならないのでしょうか? なぜそのようなことが必要なのでしょうか?

もっとはっきりさせましょう。もしあなたが神の立場だとします。誰かがあなたを罵倒するなり殴りつけるなりの罪を犯しました。あなたは相手を赦したいと思いますが自分の狭量な心の内部では処理できず、そこで他者の犠牲に依存することにして、自分の最愛の一人息子を殺すか半殺しにすることにし、それを実行しました。

あなたならこういう発想が可能でしょうか? なぜここで最愛の一人息子の犠牲が必要になるのでしょう? これでは神の傷がさらに深まってしまいます。これはまさに気違い沙汰です。

そもそも弟子たちが無自覚のうちにではあってもイエスの敗北を勝利に捻じ曲げて解釈しようとしたために、生贄対象の移転・主客転倒・倒錯が起こり、この移転・転倒・倒錯が、今度は、「御子を犠牲にしてまでこの世を愛する神」という観念を呼び起こしたのです。

そしてその着想がついに『使徒行伝』に見られるような、ペテロ・パウロ・ステパノその他による熱狂的で自己犠牲的な「愛の宗教」なるキリスト教を生み出したのです。

その際、生前のイエス自身はみずからをダニエル書的な「栄光の人の子」と考え、決して十字架の死による人類の贖罪のために生きたのではなかったのに、「イエスは人類贖罪の十字架死を目指して自ら意図的にその生涯を生きた」ということにされ、後にそういう線上で四つの福音書も書かれ、ありもしなかったイエスのこうした十字架への意図的・計画的な自己犠牲が、キリスト教信仰者のあのような自己犠牲的な愛の模範となり、比類のない超人的ともいえる様々なキリスト教的愛の行為を信徒たちの中に生み出したのです。

しかし、本当は、自分に対する反抗を、死や不幸や地獄をもたらす「原罪」と定め、その原罪の贖罪のために生贄を要求し、御子まで自分自身への人身供養の犠牲にする神が、愛であるわけなどないのです。そもそも神が愛の神なら、たとえ相手に神に対する罪があっても、まず全面救済の行動を選ぶはずで、決して裁きの道には入らないでしょう。

たとえば神の存在を否定あるいは疑問視することから神に対する数々の罪が生じますが、そもそも神が愛なら無神論や唯物論があたかも科学的であるかのような環境を作らず、自らの存在を全人類にあからさまに開示して誰もが罪を犯さないようにするのが当たり前でしょう。自らの存在を曖昧にし人類を不信の海に突き落としておきながら、その存在を信じれば救い、信じなければ地獄に落とすという神は愛の神に値しません。

このような神はゲームの神、戯れの神にすぎません。神が愛なら、神は曖昧な中で自分の存在を信仰させるのでなく、誰も(どの科学者も)否定しようのない無数の物的証拠で自分の存在を知らしめるべきなのです。無神論や唯物論は人間の罪ではなく神の側の責任と言えます。不信者・無神論者・唯物論者を裁く神は愛の神とは言えません。

それはともかく、「愛の神の宗教」発生の全ては、原始キリスト教団の使徒たちの、十字架の敗北を贖罪の勝利だとした無自覚な捻じ曲げに発する生贄対象の移転・主客転倒の結果起きた「錯覚」によるものなのです。

無自覚だからむろん使徒たちはそれを捻じ曲げだとはいささかも思っておりません。それこそ神の真の意図・本当の計画だと信じています。つまり、まずイエスが「政治的メシア」として現われ、その結果、あのように十字架に架けられて受難することで今度は「神の子羊」に姿を変え、「宗教的メシア」として復活したことこそ、人知の及ばない、誰の予想をも超えた神の真意・真の計画だったと信じたわけです。だからこそ、この「錯覚」は根深くもあります。

キリスト教の「愛」は十字架贖罪論という(敗北を勝利とした)無自覚な捻じ曲げに由来する「錯覚」に基づきます。あの「愛」は虚しい「事実誤認」を根拠にしています。パウロの『コリント人への第一の手紙』第13章に見られるあの激しくも感動的なキリスト教の愛の全てが「事実誤認」や「錯覚」に起因するとは、実に不思議なことです。



キリスト教の「アガペー」の起源とその三つの根本的な性質

パウロに見られる愛は、おそらく聖書(旧約)という「神の言葉」と信じられたものへのユダヤ人特有の、言語に絶する帰属心・信仰心・忠誠心・実行心の現れと思われます。こうした尋常でないユダヤ人の特性こそが、祖国を失ってから二千年ものあいだ離散の状態にありながらも、なお存続し、ついにパレスチナの地にユダヤ人の国家を再建させました。

つまりこの民族はどこまでも「聖書の民族」であり、聖書に書かれた「文字の民族」なのです。文字が神の言葉と信じられているかぎり、その文字には、ユダヤ人にとって歴史の主体である神の絶対的な力が付与されます。

この民族は二千年の流浪の中にあっても民族的アイデンティティを失いませんでしたが、それはこの民族を取り巻く現実の変遷から、最後の最後のところで決定的な影響を受けなかったからです。というのも、この民族にとっては環境よりも聖書の方がリアリティがあるのです。現実世界より聖書の文字の方が一層リアルなのです。「聖書を軸として生き抜いてきたからこそ、環境の変遷に打ち勝った」ともいえます。このようなタイプの民族は他にないといえるでしょう。

そして、「文字なる聖書に現実よりも多くのリアリティを感じる」というこの民族の観念論的特性こそが、旧約聖書の「過越の子羊」と同一化したイエスを神の愛の自己犠牲なる「神の子羊」(この言葉自体はまだ存在していなかったので、そういう内実として)と信じたペテロ・ヤコブ・ヨハネなどの心の中に、激しいアガペーの動きを呼び起こし、ついにパウロのあの激しくも感動的な愛の吐露となったのです。

普通、キリスト教の愛なるアガペーはイエスの徳性や生き方に由来するとされていますが、アガペーはイエスに由来するものではありません。政治的メシアとしてのイエスにはアガペーを生み出すそういう素地はありませんでした。

生活言語としてアラム語を話したイエスは(彼の生前、性愛的な意味合いで使われていた)「アガペー」というギリシア語を使った筈はありませんし、さらに彼の死後に原始教会内で生じた「アガペー」の新しい用法も知りませんでした。

常識としては、ある非常に倫理性の高い特異な生き方が共同体や社会において営まれるには、そのような生き方をした誰かがまず存在していて、それを模範として広まるものでしょう。その誰かが教祖である場合は非常に強力に作用します。

しかしのちに「パウロ書簡から史実のイエスを傍証する」の節で詳しく触れますが、パウロは「肉のイエス」(史実のイエス)を徹底的に・積極的に拒否・拒絶しました。したがって史実のイエスとは全く無関係に愛なるアガペーをあのように説いているわけです。

そういうわけで、ユダヤ民族の場合、(このパウロに見られますように)、必ずしも誰かがなにかの生き方の模範になる必要はありません。文字なる聖書に基づけられてさえいれば、それは現実を凌駕する生き生きとした理念となって、その現実を支配し、現実そのものとして具現され、実行されていくのです。キリスト教のアガペーは、このようにしてイエスの生き方や徳性と全く無関係に現れたわけです。


ところで、ギリシア語の「愛」には、「アガペー」の他に、「エロス」(欲愛)や「フィリア」(友愛)などがあることはすでに述べました。「エロス」が欠乏・欲望を満たそうとする下からの愛、「フィリア」が友情を示す横への愛だとすれば、キリスト教の「アガペー」は上からの愛だと言えるでしょう。それは親から子への愛に似た性質のものです。

キリスト教の「アガペー」には(「上から」のほかにも)二つの根本的な性質があります。それは「一方的に」「値なしに」という性質です。「一方的に」「値なしに」、「上から」注がれる愛が親から子への愛に似るのも当然です。このように「アガペー」は「上から」「一方的に」「値なしに」という三つの根本的な性質を持っています。

それではアガペーのこの「一方的に」と「値なしに」という二つの性質はどこから来たものでしょう? それは実は十字架贖罪死の偶然性から来たものなのです。

イエスがたまたま「過越の祭」の直中で殺されるという偶然の出来事が起きなければ、(「政治的メシア」としての敗北を「宗教的メシア」としての勝利に捻じ曲げて解釈する機会はなく)、イエスが「過越の子羊」を引き継いだ「神の子羊」として発見・解釈・信仰されることはありませんでした。

ところがそのようなことは弟子たちには全く予想もできなかったことでしたから、イエスの死後、それに気づいた時、「過越の祭」の直中で殺されるという偶然の出来事が、その偶然性のゆえに、神の一方的な、弟子たちの方でなしたなにかの価値ある業績の対価でもなんでもない、出来事になったわけです。

その出来事が彼らによって「贖罪死」として解釈されたとき、これは、「上なる」神による一方的な値なしの愛、しかも神の自己犠牲の愛だ、という信仰になったのでした。

「値なし」という性質は愛の対象を区別しません。値なしであるがために、「アガペー」は愛の対象の価値や性質や属性に全く無頓着です。それでアガペーは、対象によらない・業績によらない・一方的な・値なしの・自己犠牲の愛となりました。そしてついには罪びとや敵をも愛する愛となったのです。

弟子たちは十字架贖罪死に対して、何も知らず、なんの準備もできずにいただけでなく、一度はイエスを裏切って逃げ去った罪や、結果として神に自己犠牲を強いた自分たちの罪を感じざるを得ませんでしたから、彼らの意識の中では自分たちこそ神の罪びとであり、神の敵だったわけです。

そういう自分たちを、神は、一方的に・値なしに、御子を犠牲にし自己を犠牲にすることによって、赦し、救ってくれた、と信じたことで、彼らが「自分たちも神に倣ってそうしなければならない」と決心するのは必然の流れでしょう。したがって敵をも愛するアガペーなる愛への発展あるいは受容は、たまたまイエスが過越の祭の直中で刑殺されたという出来事の偶然性にそもそも内在していたものと言えるでしょう。

とはいえすでに述べましたように、愛敵の対象である敵は、むろん形而上学的な敵(サタン)やユダヤ教社会制度支配層なる敵(祭司・律法学者)でなく、これらの手先的な敵であり、宣教対象とされる民衆レベルの敵のことです。

ところでこの愛敵の対象にならない敵にはイエスを刑殺したローマ人は含まれていません。もともと「敵を愛せよ」は「主イエスを刑殺したローマ人を赦し、愛せよ」に淵源し、アガペーによって命を吹き込まれて一般化したメッセージなのかもしれません。

ペテロやパウロを代表とする原始キリスト教会は容ローマで、この立場は、反ローマの政治的メシアだったイエスの政治的敗北(十字架刑死)によるローマとの妥協・イエス像の非政治化から生まれたものです。


(註)なぜイエスが十字架(贖罪死)を目指して生きたのでないかが分かるか


 まず第一に、それは「過越の祭」の直中で刑死するという「偶然」がなければ、直弟子たちの目にもイエスは「過越の子羊」のようには見えず、したがって「過越の子羊」の観念を引き継いだ十字架の「神の子羊」として発見されることもなく、結局、その血と肉が贖罪にならないからです。ところが、イエスをいつ捕らえ、いつ刑死させるかはユダヤ・ローマ側官憲の決定する事柄でイエスの自由にはならないのです。もしかすると取り調べの獄中で病死や事故死や虐殺されるということもありうるでしょう。何が起こるかは確実には分かりません。イエスは、自由にならない自分の死期を前提に「神の子羊」の十字架死を目指して生きたでしょうか? そんなことは決してあり得ません。

 第二に、当時のユダヤ神学の中には「複数の義人の犠牲によって民族の罪を贖う」という思想の発展として、苦難のメシアによる民族の贖罪という思想はあるにはありましたが、「過越の子羊」として屠られた誰かの死が、民族にしろ人類にしろ、それらの罪を贖うことができるという思想などどこにもありませんでした。つまりいくら「過越の祭」の直中で「過越の子羊」のように刑死しても、「神の子羊」になるための思想的受け皿が存在しませんでした。だからイエスが「神の子羊」を念頭におき十字架死を目指してその生涯を生きたというのはあり得ないことです。

 第三に、決定的なことには、ユダヤの律法では、「木に掛けられた者は神に呪われた者」(申命記第21章23節)なので、むしろ十字架刑はいかなる意味でも「神の子羊」を予想させるものではなかったのです。思想的受け皿がないだけでなく、反対に律法的に神に呪われてしまう方向へ向けて贖罪死を目指す者はおりません。

 つまり、死期の決定がイエスの自由にならず、思想的受け皿もなく、律法的にはかえって神に呪われてしまうのでは、十字架の「神の子羊」へ向けてイエスが自覚的・計画的に生きた筈はないのです。そもそも人間が一匹の羊に同化してまで生贄になろうとするでしょうか? 

 第四に、もし十字架贖罪死を目指して生きようとするならば、それは一種の自殺行為を目指すわけですが、自殺は当時も今もユダヤ人の倫理やユダヤ教の教えに反しています。その時代のヨセフスの「ユダヤ戦記」をみれば、ユダヤ戦争のとき、ローマ軍に敗北して包囲されたユダヤ人戦士たちは自殺を避けてやむなくお互いの刃で殺し合ったほどです。厳格な倫理性や律法遵守を強く求められるユダヤ人としては、一種の自殺である十字架贖罪死を目指す生き方を、みずから選択するということは、あり得ません。

 第五に、のちに触れますが、おそらくイエスはマグダラのマリヤと結婚し、たぶん子供もいたと思われますが、もし妻子があったならば、そういう者がこういう自殺行為を目指して生きようとすることは、まずあり得ないでしょう。

イエスの復活について

ところで、イエスの復活は事実ではありません。なぜなら『使徒行伝』第1章における「イエスの昇天」の情景が現代の宇宙像から見て全くナンセンスだからです。

そこには次のように記されています。

 「こう言い終わると、イエスは彼らの見ている前で天に上げられ、雲に迎えられて、その姿が見えなくなった」(第1章9節)

古代のこぢんまりした宇宙像では、上空は天国の直前まで雲のある大気圏です。イエスは雲に迎えられてそのまま天国へ直行することも可能です。しかし現代の宇宙像では、雲のあるのは地球の周りの薄い大気圏だけで、その上には無限ともいえる真空宇宙空間があり、雲に迎えられて昇天したイエスは、雲のない真空空間とのはざまに至ってその後どうしたのか、ということになります。

これは想像するだに滑稽ですから、イエスの昇天は非事実で、また昇天したとされる「復活体のイエス」も非事実だということになります。つまりイエスは復活していません。

それでもペテロ、ヨハネ、ヤコブなどイエスの直弟子たちが師の復活を固く信じたことは事実です。堅く信じたからこそ、キリスト教なる宗教が生まれ、彼らの殉教的な宣教活動があり、それによってその後の大きな発展が成し遂げられました。だが、なぜ彼らにはイエスの復活が信じられたのでしょうか?

強大な敵を持っていたイエスはおそらくまさかの場合に備えて、「たとえ殺されても、いずれ近いうちに神の力で戻って来る」というようなことを弟子たちに語っていたでしょう。これが大前提になります。

その大前提のもとでのことですが、一つは「空虚な墓」説です。福音書によれば「空虚な墓」の最初の発見者は(別の伝承でイエスの妻ともされている)マグダラのマリヤあるいは彼女を含む女性弟子たちです。彼女もしくは彼女たちが女性らしい思惑からイエスの死体を運び出して「復活」を演出したのかもしれません。

だが他の隠れたイエスの愛人や第二流の弟子たちの一部が、イエスの死体を他の弟子たちに無断でこっそり盗み出したかもしれませんし、たまたま墓地の番人が勝手に無断でどこかへ移してしまったのかもしれません。あるいは当時なんらかの理由で死体の要る者がいて、「どの死体でもいいから」とイエスのそれを盗んだ者がいるのかもしれません。

さらに、墓を提供したと福音書に記されているアリマタヤのヨセフが後で係わり合いになるのを恐れ、別の場所へ移して黙っていたとか、あるいはまた、イエスとの連座を恐れて逃亡しどこにイエスが葬られたか全く知らなかった直弟子たちが、マグダラのマリヤに他人の墓を「イエスの墓だ」と欺かれてイエスの復活を信じた可能性もあります。また最初の目撃者のマグダラのマリアが一時的に異常な精神状態になったとかで幻覚を見たということもあるでしょう。

ともかく意図的にしろ偶然にしろいわゆる「空虚な墓」の事態あるいはそういう話が生み出され、原始キリスト教団の、とりわけ男性の弟子たちなどはすっかり騙されて「復活の宗教」を打ち立てた、という説です。

主要な弟子たちは預言者あるいは自称メシアのイエスのもとで出世し、できればイスラエル12支族を裁く司になりたいと願っていましたから、師の惨めな十字架死による挫折と敗北は実に大きかったわけです。だから弟子たちは嘘でもイエスの復活を信じたかったに違いありません。そこに「空虚な墓」の出来事あるいはそういう話が起きれば、復活信仰は集団心理で生じ得ます。

たとえばその際、『ルカによる福音書』第24章にあるエマオ途上の話などのような曖昧模糊としたそれらしき出来事の報告なども積極的に信じられたことでしょう。悪魔や妖精や幽霊などの実在を信じている迷信深い古代では「事実」に関する理解が科学的な現代とは異なっていますので、ちょっとした錯覚や妄想や思い込みなども比較的簡単に「事実」として受け取られてしまうのです。

福音書で見るように「復活体のイエス」は霊的・幽霊的・観念的なもので、イエスの「復活」は初めのうち何か曖昧模糊としたこのような霊的・幽霊的・観念的なものでした。例えばパウロはダマスコ途上で眩しい光に襲われイエスの言葉を幻聴のように聞きますが、これを彼は「イエスとの出会い」と考えているのです。

時期的にこのイエスは復活して昇天した後のイエスなわけです。パウロの書いた『コリント人への第一の手紙』第9章1節に、「私は使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか」と記されていますが、これはそのダマスコ途上での体験のことです。

はじめのうち霊的・幽霊的・観念的だったものが集団心理の中で、「そうだ、そうだ」などと互いに確かめ合っているうちに変質を遂げ、現実的なものへと発展してきたとも考えられます。その過程で、
「イエスの十字架が『過越の子羊』の生贄になにもかもそっくりだったことは神の計画によるもので、決して偶然ではない」
と信じられるようになって「神の子羊」の着想が生まれるや、それがまた跳ね返って、
「イエスの復活は事実に違いない」
となったのかもしれません。

以上は「空虚な墓」の仮説です。

「空虚な墓」説以外の説もありえます。福音書によれば、イエスの遺体を引き取って立派な墓に納めたのはイエスの弟子のアリマタヤのヨセフです。この人物については本当に実在したのかどうか誰も分かりません。福音書は信仰からくる捏造が大部分で、この「空虚な墓」の話自体が非事実である場合、アリマタヤのヨセフの登場するこのくだりも全て非事実ということになります。

げんにイエスの敗北後、弟子たちが連座を恐れて逃げ散っているなかで、総督や大祭司の決めた重罪宗教政治犯死刑囚の遺体を引き取るというのは余程の人物でも大きな勇気が要るので、これはやはり捏造くさいといえます。

彼はユダヤ人に隠れてイエスを信じていたというぐらいですから、なおさらです。『ヨハネによる福音書』第19章38節には、「ユダヤ人をはばかって、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフ」とあります。実際、福音書に描写されているのとは違い、母マリヤやマグダラのマリヤなどの女たちさえ、連座を恐れて十字架刑の現場にはいなかったかもしれないほどなのです。

ローマ法による十字架の重罪人の刑死体は習慣上、十字架の上に放置されたまま鳥のついばむままにされました。その他の刑死体も親族や知人に下げ渡さず、官憲が決めたどこかの墓穴に放り込んで済ましてしまいます。

イエスの場合、「翌日の安息日に死体を曝したままではいけない」とユダヤ人たちがローマの官憲に陳情します(『ヨハネによる福音書』第19章31節)。おそらくそれで瀕死のイエスは足を折られわき腹を槍で突かれてしっかり刑殺され、その死体はどこかの墓穴に捨てられ、その結果、イエスの死体がどこに埋められたのか全く分からなくなった。

そうした中で、生存時のイエスの強烈な残像に支配されたある弟子が、たとえば「エマオ途上でそれらしき体験をした」などとペテロ、ヨハネ、ヤコブ、とりわけ感じやすい女性弟子たちに報告した。

そうした類の複数の実体のない報告が、「過越の子羊」と「十字架のイエス」との間のあたかも神の手になるかのような不思議な「偶然の一致」の発見によって宗教集団心理学的に増幅・強化された。

そして「過越の子羊」が「神の子羊」化する過程でイエスが真に御子化し、「イエスが御子なら復活もありうるし、エマオ情報などあれこれの得体の知れない復活情報にもやはり根拠があったのだ」とされ、ついに「イエスは復活した」と固く信じさせたのかもしれません。

そしてずっと後になって福音書が書かれる時にアリマタヤのヨセフの話が捏造され、師でありメシアでもあるイエスにはそれ相応の立派な墓があったとされ、またこの「空虚な墓」の話を捏造することによってイエスの復活を信じさせるための手っ取り早い一般的な便宜が図られた、以上の説もありうる説でしょう。


また墓の有無とは別の第三の説もありえます。私はこの説が正しいと信じています。「政治的メシア」としてのイエスは十字架上の死によって敗北したけれども、弟子たちの心の中で、十字架による贖罪の「宗教的メシア」(人類の罪に対する勝利者)として劇的な復活を遂げました。政治的敗北が逆転して一気に宗教的勝利に見えたのです。

それは敗北に打ちひしがれていた弟子たちにとって何よりも大きな勝利の喜びであったに相違なく、結果としてはもともと目指した政治的勝利より一層大きな奇しき神の業のように感じたことでしょう。その心の中の復活がのちに肉体の復活に転化してゆき、伝道上の都合から「空虚な墓」の物語という形になったのかもしれません。

つまりそのとき弟子たちの間で、「政治的メシア」だったイエスのこうした「宗教的メシア」としての復活をどのように人々に伝えようかという観点から、合意の上であの「空虚な墓」の物語が意図的に作り上げられた可能性もありえます。

十字架による政治的敗北が「死」だとすれば、十字架贖罪の宗教的勝利はいわば死の克服であり、「生」、すなわち「復活」でもあります。弟子たちにとって「空虚な墓」の話は心情的にはこうした「復活」の出来事の別の表現であって、捏造でも何でもなかったに違いありません。またそうした話の類を可能とする様々な幻覚や妄想体験なども、こういう勝利感で高揚した精神状況のなかであれこれ生じ、それらも積極的に信じられた可能性もありえます。

むろん「復活のイエス」を直接ちゃんと目撃したとする福音書の記事(たとえば復活したイエスの身体に触れる猜疑者トマスの物語やガリラヤ湖畔でイエスが焼き魚を食した物語など)は全て後の作り話にすぎません。

ともかく昇天描写の虚偽性からイエスの復活が全くの非事実だったと判定できます。

結局、いきさつはどうであれ、この捏造された「復活の宗教」は、イエスが「過越の子羊」が屠られる「過越の祭」の直中で十字架刑で殺されたため、「十字架のイエス」と「過越の子羊」の間のその不思議な「偶然の一致」から「神の子羊」をすぐさま着想し、それが「御子の死による人類の贖罪論」となり、ここに「十字架と復活の宗教」なる「愛と希望の宗教」が生まれ出たわけです。

どれもこれも無自覚な捻じ曲げや倒錯や錯覚に基づくものです。そのため、「神自身が・自分に反抗した罪ある人類を赦すために・自分の御子を・自分自身に対して・人身供養の生贄にする」という、矛盾し倒錯した、馬鹿馬鹿しくも、おぞましい自虐的論理が発生しました。

ところがイエスの弟子たちは、それを、「御子イエスは、神の御旨で、人類贖罪のため、十字架の生贄となった」と理解し、結局、「イエスの自己犠牲の愛」や「御子を犠牲にする神の愛」が前面に押し出されるに至り、その結果、弟子たちはその背後にあるあの矛盾し倒錯した、馬鹿馬鹿しくもおぞましい自虐的論理の存在に全く気づかないままでした。

そして、(イエス自身はいささかも意図して十字架の贖罪死へ向けて自己犠牲的に歩んだわけではなかったのに)、弟子たちの「敗北を勝利とする無自覚な捻じ曲げ→錯覚」に由来するそういう理解から、キリスト教は、(アダムとイブの原罪に起因するとされる)ありもしない人類の罪を、御子イエスの自己犠牲的な人身供養の十字架死で、わざわざ贖罪してくれる「愛の宗教」になったわけです。

結局、キリスト教の根幹を成す「十字架による贖罪」も「復活」も「昇天」も全て非事実だったわけです。むろん十字架贖罪論を前提にした全てが非事実で、したがって「最後の晩餐」も非事実になります。日常的な夕べの食事が、あの時のは最後の、それも過越の日のものだったため、弟子たちには生涯、記憶に残る記念すべき食事ではありました。

それが後に「過越の子羊→神の子羊」論が芽生えてからは、あたかもその食事でのぶどう酒とパンが十字架で流されるイエスの血と肉の予告であるかのように描かれ、共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では「過越の食事」として描写されました。

それでは時期的に不都合があるというのでしょうか、『ヨハネによる福音書』では過越の祭の前夜とされました。とはいえ、共観福音書も、『ヨハネによる福音書』もともにイエスの十字架上での絶命を「第9時」(このときエルサレム神殿で子羊が屠殺される)とする点で、イエスを「過越の子羊」と見立てています。

イエスの系図の問題

思えばガリラヤのイエスの話は、星に導かれた東方三博士の訪問(マタイ)や天使のお告げを聞いた羊飼いたちの訪問(ルカ)など神々しいその誕生譚からして非事実でした。

誕生関係の非事実といえばその代表格がイエスの系図でしょう。イエスの系図の記録はただ二つあり、それぞれマタイ福音書第1章1節〜16節ルカ福音書第3章23節〜38節に見られますが、この二つの系図(むろん男系)を一人一人見比べても、両者に相当な違いが見受けられます。つまり本当のところはどちらの系図も非事実なわけです。

しかしキリスト教そのものの本質や存立に関してもっと甚だしい系図上の問題点は、この二つの系図ではともにイエスが父ヨセフの血統としてダビデ王に繋がるとしながらも、母マリヤは聖霊によってイエスを処女懐胎したとしている点です。

たとえば、

マタイ福音書第1章18節では、「母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった」とあり、

ルカ福音書第1章27節以下では、天使ガブリエルが「ダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっている処女マリヤ」を訪れ、「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい」と告げます。そして、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」というマリアの疑問に対して、天使ガブリエルは、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう」と返答しています。

つまりマタイ福音書もルカ福音書も、系図ではイエスはダビデ王の子孫であるヨセフの子だとしながらも、処女懐胎論を展開することでそれに全く矛盾したことを述べているわけです。自明なように、イエスの父がヨセフなら、それは聖霊による処女懐胎などではありえませんし、聖霊による処女懐胎なら、イエスの父はヨセフではありえません。

これほど大きな自己矛盾は新約聖書のどこを探しても見当たらないでしょう。どうしてこうなったかといえば、当時も今もユダヤの民衆の信じるところでは、旧約聖書の預言によってメシアはダビデの子孫でなくてはならなかったからです。

ダビデの子孫ということについては、イエスはヨセフを父とすれば自己主張できます。しかしそうしますと「聖霊による処女懐胎を通したイエスの神の子性」は成立しません。

むろんそのときでも「聖霊による死者からの復活を通したイエスの神の子性」(パウロ)は成立しますから、キリスト教という宗教の成立のためには必ずしも処女懐胎説が必要というのではありませんが、キリスト教のその後の民衆的大発展のためには、できれば聖霊によるイエスの処女降誕説があった方がいいわけです。こうして互いに矛盾する両者がそれぞれの必要性からともに取り入れられました。

「父ヨセフを通してダビデの子孫であること」と「聖霊による処女降誕」は明らかに矛盾しますが、マタイとルカを記した聖書記者たちも、当時の原始キリスト教会の信徒たちも、この矛盾に気づかなかったか、でなければあまり頓着しなかったようです。しかし本当のところ、この矛盾は聖書に基づくキリスト教にとって致命的な欠陥・欠点といえるものでしょう。どうしてこの決定的とも言える矛盾が見過ごされてきたのか、ただただ不思議と言うほかありません。



ちなみにイエスの直弟子たちもパウロも処女降誕について触れていません。処女降誕説は使徒たちの死後に教義として成立したということです。パウロは『ローマ人への手紙』(1:3)で、「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」と記しており、したがってパウロは聖霊とイエスとの関係を、イエスの誕生の時(つまり「聖霊による処女降誕」)にみるのではなく、イエスの復活の時の「聖霊による御子化」にみています。

たぶん彼の生前には処女降誕説など存在していなかったか、存在していたとしても、彼のいう「作り話」、それもまだ小さな「作り話」として、使徒たちには無視されていたのかもしれません。

パウロはいわゆるイエスの家の系図やその他の「作り話」について批判しています。たとえば『テモテへの第一の手紙』(1:4)で、「作り話やはてしのない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」と記しています。

むろんそういうパウロも、(血統上)「御子は肉によればダビデの子孫だ」とは主張しています。しかし彼にとってイエスのメシア性のためには「ダビデの子孫」という信心だけで十分だったので、当時いくつか現われたイエスの家の詳しい系図について巻き起こった不毛の論争に警戒を呼びかけているわけです。

一般の信徒たちのなかでイエスの家の詳しい系図が必要と感じられたのは、イエスがダビデの子孫だということがハッキリしていなかったからでしょう。だがパウロにとっては、あくまで個人的な体験だったとはいえ、十字架上での死の後、ダマスコ途上で自分に眩しい光として現われ語りかけてきたイエスが、まさにその奇跡の出来事によって「復活のキリスト」であることは確かでしたから、疑う余地なく、なんの論証の必要もなく、系図に全く関係なく、イエスはダビデの子孫である「筈」だったのです。

「御子は肉によればダビデの子孫だ」と主張しているパウロは、(そういうものがすでに存在していたとすれば)、おそらくイエスの処女降誕説も「作り話」として否定していたと想像できます。というのも、すでに見ましたように、彼が警戒し否定し排撃したイエスの家の詳しい系図が二種類、処女降誕説とともに、彼の死後、それぞれマタイ福音書とルカ福音書に記されるようになったからです。

パウロにとって、イエスの生まれは肉(父ヨセフ=ダビデの子孫)であり、聖霊はイエスの死後の復活と関係しているわけです。聖霊が関わるのはイエスの誕生のときではありません。

ともかくイエスの系図も処女降誕説も後からの作り話であって、聖書はこのように非事実・作り話だらけですが、神が非事実・作り話だらけのキリスト教を最大方便、最高戦略としてこの世界史を経綸してきたことは確かです。

パウロ書簡から史実のイエスを傍証する

ちなみに、パウロ書簡は現存する最古のキリスト教文書ですが、新約聖書の約3分の1を占める膨大な量であるにもかかわらず、そこには史的イエスの描写が「一切」といっていいほど存在しません。唯一つの例外は『コリント人への第一の手紙』(11:23〜26)で、そこに、

「主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」

という記述があります。たったこれだけです。

これでさえ、死の影にほとんど包み込まれたイエス、生身のイエスの消滅を前提とした最後の晩餐でのイエス、それもその教義的解釈の枠内でしか史実のイエスを記述していません。これを史実のイエスへの言及と言っていいかどうか?

パウロがイエスに触れるのはキリストとしてだけ、つまりその十字架の死と復活と栄光の来臨についてだけであり、それもそれぞれについての神学的意味づけに関してだけです。

パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、

  「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」

と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。げんにすでに見ましたように、肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。



しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。

なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか? 

この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。

とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。

その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。

これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか? 

そのようなことは人間として100%ありえません。ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。


もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。

むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。



パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。 

それはイエスが自覚的に十字架贖罪死へ向けて生きたのでなかったこと、言いかえれば、イエスはこうした彼岸的・肉否定的な「宗教的メシア」でなく、本当はダビデ王の子としての、此岸的・肉肯定的な、栄光の「政治的メシア」を目指した者であったことを意味しています。

当時の主なメシア像には、

 (1)ローマの植民地からユダヤを独立させる軍事闘争をやっていれば、必ず神からの助けがあるとする戦闘的で自力本願的なもの
 (2)神の定めた時が来れば宇宙的な変動が起きて一切が転覆され神の国が到来するという待望的で他力本願的なもの

とがありましたが、積極的か非積極的かの違いはあるものの、ともかくどちらも直接的にはローマ支配の終焉によるユダヤの解放を意味していたわけですから、ともに政治的でした。



事実、ヨハネとヤコブなどイエスの直弟子たちは生前のイエスに、近く地上に建設される神の国でイエスの左と右の座を占めさせてほしいと頼み(マルコ10:35〜40)、あるいは、神の国では自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議もしています(マルコ9:33〜37)。『マタイによる福音書』(21:20〜21)では彼らの母も同伴して頼み込んでいます。

福音書にあるような自己犠牲的な贖罪死を目指す「宗教的メシア」のもとでは、弟子たちのこういう世俗的野望は辻褄が合いません。だから十字架の贖罪死を目指す「福音書のイエス」は彼らを強くたしなめます。しかしこれは史実のイエスがもともと「政治的メシア」だったことの痕跡なのです。

また四つの福音書全てに、処刑時、十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状の札があったことが記されていますが、「ユダヤ人の王」を決めるのはローマ皇帝の専権事項であったため、これはイエスが「政治的メシア」として「ユダヤ人の王」を僭称して活動したことで処刑されたことを示すもう一つの痕跡です。

また、イエスは自分を「人の子」と呼んでいますが、これは旧約聖書の中の「ダニエル書」7章13〜14節にある次のような預言を根拠にして使っている自称です。

  みよ、人の子のような者が、
  天の雲に乗ってきて、
  日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
  彼に主権と光栄と国とを賜い、
  諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、
  なくなることがなく、その国は滅びることがない。

その他にもイエスが「政治的メシア」だった証拠としては、

 ・ガリラヤの海の漁夫ペテロとアンデレ兄弟に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と述べている
 ・幹部弟子のなかに軍事戦闘派の熱心党員がいる(マルコ3:18 マタイ10:4 ルカ6:15 行伝1:13)

などもあります。

したがって、

 神の力によって神の国を打ち立てローマの植民地支配からユダヤを独立させようとしていた「政治的メシア」としてのイエス

これが史実のイエスであり、そのためにローマ兵に捕らえられて、ローマ総督ピラトから「ユダヤ人の王」という罪名の死刑宣告を受け、ローマの処刑法である十字架に掛けられ、ローマ兵によって刑殺されたのです。

イエスが十字架贖罪死を目指して生きたのでないことが、すでに上記の五つの理由や史的イエスに対するパウロの徹底的な無視から明らかになっていて、しかもローマの官憲によって刑死した以上、彼は「政治的メシア」だったということです。むろんこの「政治的メシア」はその独自の律法解釈やそれによる破戒行動を行なうため、必然的に既存のユダヤ教権力層とも宗教的対立関係に入ります。



イエスが軍事戦闘型の「政治的メシア」だったのか、それとも待望型のそれだったのか、福音書の捏造があまりにも甚だしいためどちらであるか決定するのは難しいですが、

弟子たちの中に軍事戦闘型の熱心党員のシモンがいることもあり、またイエスが逮捕される際に弟子たちのうちのある者(ルカ22:50では弟子たちのうちの誰か、ヨハネ18:10ではペテロ)が剣を抜き、イエスを捕らえに来た祭司長あるいは大祭司の僕(しもべ)の右耳を切り落としたとあるように、

私は闘争型の要素を持つ待望型だったのではないかと想像しています。つまり戦闘性も多少持つが主に納税拒否などさまざまな反ローマのサボタージュを行なう非軍事的な性格のものです。熱心党員の弟子はシモンの他にも幾人かいたかもしれません。

「政治的メシア」としてのイエスは十字架死によって敗北しました。これを弟子たちは「宗教的メシア」に仕立て直してイエスを勝利者とし、みずからも勝利者としたわけです。そのとき史実のイエスは直弟子たちからも見捨てられ放棄されたわけです。

イエスが逮捕された後、直弟子筆頭とされているペテロが官憲などに三度尋ねられて、そのたび「自分とは関係ない」と告げ、雄鶏が鳴くまでに三度イエスを裏切ったという福音書の話も、ひとつはそういう事情を反映したものでしょう。キリスト教は史実のイエスとは何の関係もありません。それは直弟子たちの創作物です。



パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。

彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。

パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。

パウロはもともとイエスと出会ったこともありませんから、「肉のイエス」に一切触れなくても済ませることができたでしょうが、直弟子たちは新たにキリスト教を受け入れた人たちに、「主はどのような生活をされたのか?」などのような質問をいつも投げかけられたことでしょう。その場合、当然「政治的メシア」性に直結するような部分は削除、あるいは多少l歪曲などして話した筈です。

むろんイエスを直接知っている者たちが数多く生存している時代では、誰にしろあからさまな非事実は言えません。四つの福音書が大々的に非事実を言えたのは、そうした生存者がほとんど全て死亡した後に書かれたものだからです。

とはいっても、福音書記者たちが大嘘つきだったというわけではありません。過去の信者の主張した非事実がのちに事実や真実と信じられて、それが時の経つうちに数多く積み重ねられ、そこに福音書記者による多少の非事実も付け加えられて、ついに福音書という大きな非事実の塊になったということです。

現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。



ところで、ついでですが、パウロが肉のイエスに触れなかった理由には、史実のイエスが十字架贖罪死など決して目指さすことのない「政治的メシア」だったことのほかに、実はもう一つマイナーな理由があったのかもしれません。

重度の障害者でない男子は若いうちに結婚する「早婚」が当時のユダヤ人の風習でしたから、おそらくイエスはマグダラのマリヤと結婚していたでしょうし、その場合、子供も数人いたかもしれません。「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても」という言葉でパウロが否定した「肉」という言葉は、実はそういう意味も含んでいたのかもしれません。

(独身者だったパウロは自分の「肉体のとげ」について触れ(「コリント人への第二の手紙」 12:7)、またそれを人々に卑しめられるべきものとして述べています(「ガラテヤ人への手紙」 4:14)が、これは結婚できない重度の肉体的欠陥を示しているのではないかと考えられています。ちなみにパウロとは違い、ペテロは妻帯していました)

むろん「神の御子」なるイエスが妻帯してこの世の肉に塗(まみ)れていては絶対にいけませんし、もし妻子があったのなら、そのような男が自殺行為である十字架贖罪死へ向けて歩もうとするわけがありません。

神の御子の十字架贖罪死への道は、この世での生の自己否定・肉の自己否定への道、聖なる独身者だけに可能な道ですし、妻子を持つイエス像とは結びつきません。つまり霊と肉・聖と俗があい矛盾するわけです。そういうわけでイエスに妻子があったことは原始教会内で絶対のタブーになっていったと思われます。

イエスが刑死してほぼ三十年後、最初の福音書である『マルコによる福音書』が書かれる頃にはもうすっかり、(現在もそうであるように)、イエスが妻帯者だったことを仮に耳にしても、「そんな馬鹿なことが」と、誰も信じることができない程になっていたことでしょう。




さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。

しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。

キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。

また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。

イエスはもしかするとメシアとしての「しるし」をユダヤの民衆から求められて奇跡行為のようなことを少しは行ったかもしれませんし、もしかすると「神の国」の宣教目的でみずからいくらかは奇跡行為を行なったかもしれませんが、福音書はまるで「そればかり」とでもいわんばかりに奇跡行為を極端に頻繁化し、巨大化したわけです。

イエスはここでは魔術者や呪術者であって、これは魔術や呪術を否定する旧約聖書の律法や伝統にいたく反するものです。福音書としてはまず『マルコによる福音書』がその先鞭を垂れ、マタイ、ルカ、ヨハネなどの福音書がそれに従い、今日に伝わるこのような福音書のイエス像(十字架贖罪死への道を意図的に歩む魔術的奇跡行為者イエス・キリスト)になりました。そして今ではイエスが「政治的メシア」だったということを聖書の中から証明するのはほとんど不可能に近いものとなってしまいました。

したがって、福音書段階での全ての非事実の事実化の始まりは、残存する書物としては『マルコによる福音書』にあります。むろん、『マルコによる福音書』の著者は紀元60年代当時、すでにキリスト教団内で定着していた奇跡行為者としてのイエス像のもとで捏造された様々な逸話などを、あるいは非事実だと知りつつ、あるいは真実だと信じつつ、あれこれ動員し、編集し、みずからもなにがしかの奇跡物語の捏造を行いながら『マルコによる福音書』を著したわけです。

一般に宗教信者たちは、どの宗教であれ、教祖の神的権威を高めるための非事実を、非事実として感覚できない傾向があります。宗教の分野では途方もない非事実の事実化が大真面目で実行され、教祖の言行が様々な捏造された奇跡の後光で飾られるに至ります。福音書だけでなく、これはあらゆる宗教の聖典にも言えることでしょう。


 

私の「史的イエスの実像」

以上の全てを考慮した上で現われてくる史実のイエスの像をここで描くとすれば、それは以下のようになるでしょう。


まず彼は、北の辺境ガリラヤ地方のナザレで大工をしていた、ダビデの子孫かどうか定かでない、貧しいヨセフを父として、母マリヤから生まれ、その後、両親は彼の弟たちと妹たちを数人産んだ。たぶんイエスが成人するずいぶん前に父ヨセフは死に、(この当時、重度の障害者でないユダヤの若者は二十歳になるずっと前に両親、とりわけ父親の薦める相手とほとんど結婚したので)、おそらく若くしてすでにマグダラのマリヤと結婚していたイエスは父の大工の仕事を継いだ。

イエスは一時エッセネ派の在家信者だったことがあるかもしれない。その後、以前からローマ支配に対する反乱で騒がしかったこのガリラヤ地方における、メシアを自称する者たちによるいくつかの反ローマ独立闘争の騒ぎなどに影響され、純宗教的なエッセネ流の倫理や純待望型のメシア観に不満を感じ、おそらく社会正義の実現にいっそう積極的な同派系の洗礼者ヨハネの弟子になり、そのヨハネが逮捕・殺害されたあとは、その遺志を発展的に継承していったと思われる。

そして30歳になるころ、比較的小規模の、どちらかといえば納税拒否などローマ支配に対する非軍事的なサボタージュ闘争型の側面を持つ「待望型の自称メシア」として、独自の「人の子」の宗教組織を構成し、来るべき自分のメシア王国での高い地位を約束して、ガリラヤ地方一帯で弟子・部下を募った。

イエスはやはり一時はエッセネ派・洗礼者ヨハネと関わりのあったガリラヤ湖の漁夫、ペテロ・ヤコブ・ヨハネ・アンデレなどを弟子・部下として受け入れた。とはいえガリラヤ湖の漁夫たちは最初期でなくのちに組み込まれた中堅クラスだった可能性が大きい。おそらく最初期からの弟子・部下たちのリーダー層(その中に熱心党員もいたかもしれない)はイエスとともに逮捕されて処刑されたと思われる。

むろんイエスが福音書にあるような十二弟子システムを構成していたというのは後の捏造だが、上記のような弟子・部下たちを引きつれてイエスはガリラヤ地方を中心に「神の国」の近い到来を告げる宣教活動を展開した。

イエスは「政治的メシア」を目指したので、政治的勝利・政治的栄光を求めていた。それは自己犠牲の道でなく自己実現の道であり、人に仕える道でなく人を自分に仕えさせる道であった。むろん貧しい者・虐げられた者の救済や植民地統治からの解放への強いやみ難い希求はあった。とはいえ、やはり新たな支配者となる野心に満ちてもいた。

そして活動開始の数年後、神の黙示録的介入を信じ、ついに、「過越の祭の時にエルサレムで騒動を起こしてそのきっかけを作ろう」と決心し、密かにエルサレムの町に潜入した。だが、弟子・部下の一人イスカリオテのユダの密告によって、リーダー格の弟子・部下たち数人と共にローマ兵に捕らえられた。

反ローマの政治犯としてローマ総督ピラトから死刑を宣告された彼は、奇しくもたまたま過越の祭の直中で、エルサレムの神殿で「過越の子羊」が屠られるちょうどその時に、十字架に架けられて殺された。その十字架の横にはおそらく数人のイエスの弟子たちも十字架に架けられていた。イエスの十字架の上には、詐称したとして「ユダヤ人の王」という罪名が記されていた。

夫の生と死に何らかの意味づけをしたかったイエスの妻だったマグダラのマリヤは、

「過越の祭の直中で、エルサレムの神殿で『過越の子羊』が屠られるちょうどその時に刑殺された夫イエスの死は、『出エジプト記』にあるあの「過越の子羊」と同じ死ではないか」

と思うに至り、そこに「贖罪の子羊」のアイディアが生まれ、それがイザヤ書53章の「苦難のしもべ」の有名な段落と結びつき、直ちに「神の子羊」(言葉としてではなくそうした内容の着想として)の発見に繋がった。そのイザヤ書53章5〜11節には次のようにある。


  彼はみずから懲らしめを受けて、われわれに平安を与え、
  その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
  ・・・・・
  主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
  彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。
  ほふり場にひかれて行く子羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
  彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
  その代の人のうち、だれが思ったであろうか。
  彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
  ・・・・・
  彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
  義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。


「政治的メシア」だったイエスはまずマグダラのマリアの心の中で十字架贖罪死の「宗教的メシア」として復活を遂げ、政治的敗北者から宗教的勝利者へと劇的に変貌した。

このときのマリアの心がどれだけ歓喜に満ちたものだったかは想像するに余りある。彼女は復活したイエスの姿を見た思いだったに違いない。むろん幻聴や幻視もありえただろう。これが「イエスの復活」信仰の原点になった。

彼女は直ちにその事情を、ローマ兵の逮捕を免れた同じガリラヤ湖出身のペテロ・ヤコブ・ヨハネなどに伝え、同じく敗北感に打ちひしがれていた彼らを歓喜せしめた。そしておそらくその際この「神の子羊」はついに「神の子」「神の独り子」と考えられるに至った。

このとき彼らの心の内にマリアと同様、「イエスの復活」が起きた。異常な精神の高まりの中で、イエスの声も幻聴として聞こえ、イエスの幻影さえ見たかもしれない。そうした体験がこれらの数人の合意の上で「空虚な墓」の物語となり、それが伝道において効率的に利用された。




以上が私の「史的イエスの実像」です。これはいわばシルエットにすぎず非常に大まかですが、実体は浮き彫りになってはいます。

キリスト教はこのときに「十字架贖罪死と復活の宗教」として発生したわけですが、それによって直弟子たち自身の手によってイエスの実像も歪められ始められることになりました。「政治的メシア」だったイエスのあれこれの政治的活動も「宗教的メシア」に都合の良い別の表現に置き換えられ、あるいは全く無視され、それが時とともにますます積み重ねられました。

自己の栄光を自民族の栄光と重ね合わせ自己実現を目指した「政治的メシア」だったイエスに代わって十字架贖罪死の「宗教的メシア」とされたイエスは、既述のように「過越の子羊」を引き継いだ「神の子羊」となったわけですが、キリスト教はそれに応じてペテロなどの直弟子たちやパウロを通して「愛の宗教」となり、愛の神学体系が確立してゆきました。

そこからまた少し時が経つと、第二世代のキリスト教徒たちの間で、イエスはひたすら人類の救済のために十字架贖罪死への道を歩む、愛の、自己犠牲の、人に仕える、突出して徳性の高い人物として想い描かれるようになりました。

時が進み、イエスを直接目撃した者がだんだん少なくなってゆくにつれ、すでに「神の子羊」「神の独り子」となったイエスは、マグダラのマリアとの性的関係(夫婦関係)を剥奪され、「聖なる」童貞の独身者・非妻帯者とされました。(ずっと以前から彼女は、史実のイエス・肉のイエスを拒否する独身者のパウロとその派の台頭とともに、原始教団内で無視・軽視・拒絶され続けてきたことでしょう。イエスとの夫婦関係の剥奪はその流れの結果だといえます)

そしてそれに応じて父ヨセフもダビデの子孫と位置づけされてその系図がさまざまに考案され、母マリアも「聖母」とされ、次第に処女降誕説が説かれるようになりました。

そしてそれだけでなく、そこにイエスの魔術的な奇跡活動も数多く付け加えられ、史実のイエスの生活や活動内容は、「政治的メシア」だったことを明示しないほんの断片的なもの以外はほとんど姿を消して、ついに、「みずから十字架への道を自覚的に歩む独身の魔術的奇跡行為者イエス・キリスト」というイメージに転化してしまいました。

そういう作り上げられた「宗教的メシア」としての「イエスの語録」「譬話集」「奇跡物語集」「行跡物語集」のようなものさえいくつか書き記されるようになりました。そしてパウロも死に直弟子たちもほとんど死に絶えた紀元70年頃になって、それらを利用して「マルコによる福音書」が書かれました。

またそのあと80年代になって「マルコによる福音書」を主資料、Q資料lを副資料lとして利用し、かつ系図や誕生譚等々を付け加えるなどしてそれを敷衍しつつ、それぞれが属する宗派の独自な神学的解釈のもとに、その解釈に都合の良い話に作り変えたり、古い作り話や新しい作り話を付け加えたりして、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」が書かれました。

そうした線上で、アレクサンドリアのユダヤ人哲学者フィロンの影響を受けて、最後にイエスを形而上学的な「言葉」(ロゴス)としてのキリストとして描いたのが、「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」という壮大な宇宙論的聖句で始まる「ヨハネによる福音書」です。この四つの福音書が完成すると、もはやこれらからはイエスがそもそも「政治的メシア」だったことをうかがい知ることはほとんど不可能になりました。



史的イエスは「政治的メシア」であったため、みずから意図して十字架贖罪死への道を歩むことはありませんでした。いやこの時代に十字架贖罪死への道を歩む者などどこにも存在しませんでした。そもそもそれを可能にするユダヤ神学が存在しなかったからです。つまりもともと過越の祭の直中で「過越の子羊」のように誰かが殺されても、その者が人類の罪を購う「神の子羊」になる当てはなかったわけです。

ユダヤ神学のなかにそういう神学的受け皿など存在しませんでした。むしろ逆に「木に掛けられた者は神に呪われた者」(申命記第21章23節)という旧約聖書の言葉さえ存在していましたし、何よりも過越の祭の直中で刑殺されるという「偶然の一致」がなければ「過越の子羊」を引き継いだ「神の子羊」になる当てはありませんでしたが、その死期の予測あるいは死期の決定が原理的に不可能な中では、そもそもイエスが十字架の贖罪死へ向けて生きることなど全く不可能だったわけです。

ペテロやヨハネなどイエスの直弟子たちから史実のイエスについて数多くの実話を聞いていたパウロは、それらが全て「政治的メシア」のそれであって、みずから信仰する(ペテロなどから受け継いだ)十字架贖罪死の「宗教的メシア」のそれでなかったため、あれほど大部の文書を新約聖書の中に残しながらも、一切、史実のイエスについて触れず、むしろ「肉のイエス」に触れないのを正当化さえしました。

史実のイエスについて一言も触れようとしなかったパウロは、一切黙するという形で史実のイエス(政治的メシア)を完全に否定しましたが、これは「政治的メシア」を明示する部分に関してはイエスの直弟子のペテロ・ヨハネ等なども同じことで、このときイエス像は全体像としてはいわば完全に空白になったわけです。

そしてこの空白を、上記の四つの福音書成立への動きが正反対のイエス像(宗教的メシア)で埋めたのでした。全体像としてのイエス像が正反対になりえたのも、その前にそれが一度完全に空白になったからです。言ってみれば、全体像のデッサンのない画布には任意の絵が描けるわけです。

史実のイエスが持っていた政治性を失い、いまやひたすら宗教的になったキリスト教は、ローマ帝国と妥協可能になり、その帝国内部で大きな成功を収め、ついに世界宗教となりましたが、その際、十字架によるイエス殺害の主犯としての罪がローマ人からユダヤ人へ転嫁され、それが物語として福音書に記され、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の最大の原因を作りました。

直接的ご返答

ご質問については間接的ではありますが以上でご返答できたものと思います。「直接的なご返答」は以下をご覧下さい。

さて、なるほど人間は他者の犠牲的協力なしに生存できませんが、それは死や病や社会的生存を避けられないこのような遺伝子を持つ生物体として創造された人間の立場によるもので、これは神に対する人間の自由意志による罪とはそもそも無関係です。人間に他者の犠牲的協力が必要だとしても、それと贖罪とはもともと無関係です。

しかし「原罪によって人間が死や病やあらゆる社会的不幸に侵されるこのような生物体になった」という思想のもとでは、贖罪と犠牲的協力とが結びついてもおかしくありません。実はそこに自己犠牲的な十字架贖罪論の生じた根拠があります。むろん、この思想は明らかに古代神話的な誤りで、キリスト教は一古代宗教としてこのような古代神話的な誤りの上に築かれたわけです。

古代神話的発想においては(神と人間の間のギブ・アンド・テイクの一種として)犠牲による災厄の回避が広く信じられ、太古以来それが人身供養→獣の犠牲などとして行われてきたものですから、それがキリスト教では「御子の人身供養による人類の贖罪によって死や病やあらゆる不幸を克服する」という具合になりました。

「他者の犠牲的協力なしに人間は生存できないという点が十字架贖罪論を広く受容させた」とあなたが仰るのは確かに的を得ています。もし人間社会に犠牲的協力なるものがそもそも存在していなかったとすれば、十字架贖罪論は生まれることもなかったでしょう。

しかし、そうだとしても、贖罪と犠牲的協力とはそもそも無関係なので、それはキリスト教の贖罪犠牲論の普遍的真実性を示すものではあり得ません。人類社会における他者の犠牲的協力の普遍的必要性が十字架贖罪論と結びついたのは、あくまで古代神話的な誤りによるものです。

砂漠の民ベドゥイン族の犠牲の習俗がどうイスラエル民族の過越の祭になり、それがさらに旧約の「過越の子羊」を経てどのように新約の「神の子羊」へと発展していったのかにつきましては、「聖書から」の(4)「過越の祭」とその前後の節をご参照ください。(了)





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ご質問 (2)  「キリスト教の土台はセックスなのでしょうか?」 KCHさん
キリスト教の土台はセックスなのでしょうか? キリスト教の根本をセックスと関係させて理解するカルト宗派が少なくありません。これはセックスをアダムとイブの原罪と結びつけ、罪の贖いを、セックスを通して入ってきた原罪の浄化とし、そのような宗教としてキリスト教を理解したためだと思われます。その結果、「教祖とのセックスあるいは教祖の精液や血によって罪を浄化する」という奇妙なキリスト教系カルト諸宗派が生み出されたのだと思われます。

教祖とのセックスやその精液や血で罪が浄化されるとするカルト諸宗派の考えは非常に特殊な行き過ぎだとしても、こうした理解は一般に広くキリスト教世界に見られるもののようです。たとえばカトリックの「マリアの無原罪のお宿り」は聖母マリアそれ自体がイエスと同じくそもそも無原罪であるという信仰ですが、その「無原罪」というのは「セックスを通さない懐胎・出生」という意味です。

キリスト教正統派の信仰でさえこのようにセックスは罪だという観念をキリスト教の土台としているようです。だからエデンの園での堕罪がセックスによるものだと解釈され、それが統一原理教会などに代表される性的なキリスト教カルト宗派を生み出す背景になった思われますが、あなたはこの問題についてどうお考えでしょうか?(KCH)


ご回答 「キリスト教の土台はセックスなのでしょうか?」 KCHさん

私はエデンの園やアダムとイブの原罪神話を事実とは認めていません。これは人類進化学に著しく矛盾します。だから人間に原罪があるとは認めていませんし、人間の原罪を贖うイエスの十字架が必要だとも思っていません。エデンの園の物語はその全ての文章が事実ではありません。したがってそこに記述されている文章に付き合う必要は全くありません。

お尋ねの問題は進化論でも現代聖書神学でも簡単に解決します。『旧約聖書概論』や『新約聖書概論』などが手っ取り早いですが、旧約聖書や新約聖書の文献批評学を参照すれば、創世記などに記された数々の聖書神話の歴史的な成り立ちも科学的に判明し、単なる神話に振り回されることもなくなります。たった一冊の聖書概論でも、こうした問題に全ての答えを与えてくれるでしょう。

さて、仰るとおり確かに一部のキリスト教カルト宗派にはセックスに偏(かたよ)るものがあって、ご質問のような問題が存在します。ここでは進化学とは無関係に、また聖書の文献批評学とも関連させずに、「聖書そのものから、こうした性的カルト宗派が成り立たない」ということを示すことにしたいと思います。



一般に性的なキリスト教カルト宗派はエデンの園での堕罪を性的な堕罪だと思い込んでいます。たとえばサタンとされている蛇は男根の象徴であるとし、イブはそのサタンなる蛇との性的交接によって汚され、そういうイブがアダムをそそのかし、善悪を知る知恵の木の実を食させ、神への反逆行為を呼び起こしたと解釈するわけです。

しかし蛇は男根の象徴としてそこに登場するのではなく、知恵やずる賢さの象徴としてそこに描かれているのです。

創世記3:1に、「さて主なる神が造られた野の生き物のうちで、へびが最も狡猾であった」とあります。いうまでもなく「狡猾」とは「ずる賢い」という意味で、知恵や知識が前提になっている概念です。蛇は「ずる賢さ」や知恵・知識と結びついたものとして描かれています。

そもそも砂漠や野山の蛇はどう考えても狡猾とかずる賢いとか言えません。創世記において蛇が狡猾とされたのは、蛇がサタンの仮の姿として描かれているためですが、そうした蛇がずる賢く狡猾なのは、サタンが悪の誘惑者だからです。

誘惑者の特技は知識に裏付けられた狡猾な知恵です。エデンの園での堕罪物語が「善悪を知る知恵の木の果実を食する」という内容になっているのも、そのためなのです。

創世記3:2〜5には、

「女はへびに言った、『わたしたちは園の木の実を食べることは許されていますが、ただ園の中央にある木の実については、これを取って食べるな、これに触れるな、死んではいけないからと、神は言われました』。へびは女に言った、『あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです』」

とあります。

創世記に記されている人間の原罪は、「神の様になれる」という蛇=サタンの誘いに乗って善悪を知る知恵の木の実を食べたことに由来します。つまり罪はセックスが原因で発生したのでなく、人間の傲慢が原因で発生したことになっています。だから原罪は肉の罪でなく、心の罪なのです。

したがってイブが蛇に唆(そそのか)されたというのは、イブがサタンと性的交接を持ったという意味ではないわけです。もしエデンの園での堕罪がセックスと関係があるのであれば、蛇は「ずる賢い」というよりは「淫らだ」という性質を与えられたことでしょう。




それにしても蛇に象徴された霊的存在のサタンがどうして肉的存在であるイブと性的交渉を持ちえて堕落しうるのか、さっぱり理解できません。「霊的存在の性的堕落」という概念がどうして成立するのか大いに疑問です。

もし天使が人間の女性と性的交渉を持ち得るなら、これを「霊的存在」と呼ぶことは不可能です。このような天使は超常現象を駆使する人格的な地球型DNA生物でなくてはなりません。天使を霊的存在としながら人間の女性と性的交渉を持たせるような解釈は、決定的な誤りです。そのような堕罪論の上に築かれた全体系は空中楼閣にすぎません。



しかしなお、キリスト教において「セックス=罪」という観念は存在し、エデンの園での堕罪が性的堕落であることを証明する記述が創世記にあるとして、堕罪後にアダムやイブがイチジクの葉で性器を隠していることを挙げる人がいます。

これに関してまず強調しておかなくてはなりませんが、そもそも創世記においてセックスは決して罪ではありません。なぜなら神は「産めよ、ふえよ、地に満ちよ」と男女一対の人間を創造したからです。

創世記1:27〜28には、

「・・・・神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、『産めよ、ふえよ、地に満ちよ・・・・」

とあります。

このように「サタンとのセックスから罪が入り、そのセックスが恥なので前を隠した」とする考えは、正しくありません。しかしそうだとすると、なぜアダムとイブは堕罪後に陰部を隠そうとしたのでしょうか? 言い換えれば、創世記を書いた記者たちはどういう考えでアダムとイブに陰部を隠させようとしたのでしょうか?

そのいきさつはこういうことでしょう。創造直後の人間は完全に無垢・無反省のいわば幼児状態です。無垢はなんの瑕疵(かし)もないという意味で、そこには恥ずべきことも何一つないわけです。

その後、原罪が発生して自分に瑕疵が生まれ、同時に無反省の幼児状態も消滅し、その瑕疵と反省状態によって恥という感情が発生し、具体的にはまず自分の身の中の性器の露出が恥として自覚されたということです。

詳しく言えば、人間の原罪は「神の様になれる」という蛇=サタンの誘いに乗って善悪を知る知恵の木の実を食べたことに由来します。 善悪を知る知恵の果実を食べるということは、「知恵を得る」ということ、知恵は自分と環境を知ることです。

だから、いずれ「自分の姿のありのままを知る」→「丸裸である事実を知る」という意味になり、結局、「丸裸の意味が分かる」ということになって、「恥だ」ということになったわけです。つまり恥の感情は善悪を知る知恵の果実を食べたことからくる知恵・知識から来ているのであって、セックスから来ているのではありません。

そもそも旧約聖書においては、性器を見られるということは非常に恥ずべきことでした。たとえば洪水後、酒で熟睡していたノアは息子のハムに陰部を見られ、ハムだけがそのせいで呪われるという話が創世記9:20〜27にあります。

性器を隠蔽するというのはむろん文明世界全体に普遍的な現象です。それは文明の秩序が、公然化した性的興奮によって乱されるからに他なりません。だから文明社会ではどの文明においても性器は衣服によって隠蔽されます。

エデンの園の神話はそれ自体が人類最初の話ですので、罪とか死とかを含めて、どれそれがどうして生じたのか、という起源論の話にもなっています。だから創世記が書かれるとき、罪の起源の話と関連させて、このように性器隠蔽の起源の説明が書かれたわけです。エデンの園におけるこの性器隠蔽は、セックスが罪だから起きているのではなく、あくまでも善悪を知ったその知恵・知識から起きています。



ところで、一匹の蛇が木に絡みつき、その左右に男女を配するという図像は、印章の形でメソポタミヤ地方で発掘されています。つまりこうした思想・観念はメソポタミヤ文明から来たもので、それが旧約聖書の創世記に転用されたわけです。

この印章における木と蛇はおそらく農耕・豊穣・多産・セックスとしての意味が大きかったと思われます。しかしそうした農耕社会における性的な意味合いが創世記のエデン神話にそのまま反映しているわけではありません

メソポタミヤ文明のこの印章では、セックスや蛇は農耕・豊穣・多産に結びついて肯定的評価を受けるべきものですが、創世記のエデン神話では農耕・豊穣と結びつかず、罪という否定的なものの起源を説明するストーリーの素材として記述されているからです。つまり両者の使用目的が全く違うのです。



ところで蛇はいつもサタン的な意味合いで語られていたのかといえば、そうではありません。蛇は毒蛇としてはイスラエルでも古くから恐れられていて、その毒の力の強力なさまが旧約聖書や新約聖書でさまざまに表現されました。

創世記のエデン神話におけるサタンなる蛇はヘブライ語原文では「ナーハーシュ」です。これは「へび」という普通名詞なので、毒蛇とはかぎりません。

蛇を意味するヘブライ語は他にもいくつかありますが、民数記21章の「火のへび」(ナーハーシュ・サーラーフ)は毒蛇です。民数記21:6〜11には、神の送った「火のへび」が不従順な民を噛んで殺し、モーセが「青銅のへび」を作って、さおの上に掲げ、それを悔い改めた民に見させて救ったというストーリーが見られます。

ここでは神がへびを送っていますので、必ずしもへびが悪と結びついていないことが分かます。キリスト教徒は、『ヨハネによる福音書』3:14の「ちょうどモーセが荒野でへびをあげたように、人の子もまたあげられなければならない」という句に基づいて、さおの上の「青銅のへび」は十字架の上のイエスの予兆だと見ています。だからへびはサタンと直接つながるものではありません。ちなみに「サーラーフ」は「燃える」の意です。

こうしてキリスト教においては、蛇もセックスもそれだけでは罪と結びつくものではありません。



次に、「キリスト教においてセックスの重要度は、旧約聖書において割礼が神との契約であることに現れている」と言う人々がいます。割礼とはいわば一種の包茎手術のことであって、太古から全人類的に見られ、古代エジプトや古代パレスチナでも行われていました。

むろん割礼習俗のない部族や民族も多くあります。たとえばギリシア人やローマ人にそういう習俗はなく、割礼を野蛮だとみています。イスラエル人はこれを砂漠の民ベドウィンだった頃から受け継いできたとされます。

割礼の目的は民族や部族によって様々ですが、たとえばイスラエル民族の場合、神との選民的な契約の「しるし」となっています。つまり民族の標識という役割です。そこにはまた特別に、聖なる神による民族的聖別からくる「清浄」という観念も伴っていました。「割礼なき者は不敬虔者・不浄者である」という思想がそうです。

しかしそれは「セックスが罪で、それで不浄」という意味では決してありません。この不浄はセックスと関係なく、単に聖なる神による選民的聖別の裏返しにすぎません。

割礼はその他にも様々な部族や民族で、部族や民族の記号、個人命名式での正式メンバー化の儀式、、結婚資格や結婚準備、衛生、生産の女神への供物で子孫繁栄を願うなどの目的で行われてきました。

こういうわけで、イスラエル民族において割礼は決して「セックス=罪」の関連で行われているものではありません。たとえば割礼によって「性的な罪」の浄化が行われるというのではありません。 なにもセックスが罪だから割礼をするのではありません。

それはある面では「産めよ、ふえよ、地に満ちよ」の延長でもあるのです。包茎を取り除くことによって性的快感が得られ、それによって子孫の繁栄が約束されるという側面もあるわけです。

誰でも旧約聖書を読まれれば強い印象を受けるように、各氏族の子孫繁栄というのはイスラエル民族の大きな関心事です。それがこのような割礼の儀式にもなって現れているという隠れた側面もあるのです。

割礼が神との契約の「しるし」となっているのは、単に民族の標識というだけでなく、将来、子孫繁栄を得られる保証が、生物学的には割礼だったという側面もあるからなのです。ここからも旧約聖書においては「セックス=罪」だという観念は生まれません。

割礼はパウロにおいて観念論的に発展して、これまでの「ユダヤ人=律法を守る者=肉の割礼者」が、「律法を守る者=心の割礼者=異邦人でも真のユダヤ人」という思想に変化しました。それに応じてこれまでの「肉の割礼」が「霊による心の割礼」(ローマ人への手紙2:29)となりました。

パウロは「キリストの割礼」という表現でキリストとの特別な聖別的関係を示しました。「コロサイ人への手紙」2:11には、「あなたがたはまた、彼にあって、手によらない割礼、すなわち、キリストの割礼を受けて、肉のからだを脱ぎ捨てたのである」と記されています。むろんこの「肉のからだを脱ぎ捨てた」は決して「セックスしない体になった」という意味ではありません。



ところでキリスト教をセックスと結びつける人々の中に、「イエスは丸裸で十字架に架けられた」と解釈する人々がいます。イエスの「過越の子羊」としての贖罪死がセックス起源の罪を贖罪するためだったからこそ、イエスは丸裸で十字架上に刑死したというのです。

こうした見方は、「エデンの園での原罪はセックスに起因する」という見方と呼応しています。エデンにおけるアダムとイブの原罪を贖罪するのがそもそもイエスの十字架ですから、この呼応関係は強く求められることになります。

しかしこれまで見てこられましたように、キリスト教には「セックス=罪」という思想など存在しません。したがってイエスの十字架とセックスの間になんの関係もありません。

「マルコによる福音書」15:20には、イエスが十字架に架けられた際の記述として、

「こうして、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣をはぎとり、元の上着を着せた」

とあり、15:24には、

「それから、イエスを十字架につけた。そしてくじを引いて、だれが何を取るかを定めたうえ、イエスの着物を分けた」

とあります。後者の記述をもってイエスは真っ裸にされたと考えているわけです。



ところで、後者の文章は、「マルコによる福音書」のギリシア語原文では旧約聖書(詩篇22:18)からの引用文扱いになっており、その詩篇22:18には、

「彼らは互いにわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引きにする」(以上、太字は筆者による)

とあります。つまり旧約聖書の予言がイエスの十字架において成就した、という書きぶりですが、その事実性はうすいといえましょう。

それはともかく、15:20の「元の上着」と15:24の「イエスの着物」は、ギリシア語原文によれば全く同じ語句(タ ヒマティア アウトゥ)で、直訳すると「彼の着物」の意味です。したがって15:20が「上着」なら、15:24も「上着」でなくてはなりません。つまり「イエスは下着さえ剥ぎ取られた」という意味で記述されているわけではないのです。

詩篇22:18のヘブライ語原文では「衣服」(ベゲド)と「着物」(ルブーシュ)が違った単語で記されていますので、「マルコによる福音書」を日本語に翻訳する際に、もともと(タ ヒマティア アウトゥ)という同じギリシア語句なのに、「わたしの衣服」→「元の上着」、「わたしの着物」→「イエスの着物」というように、別々の単語に訳したのでしょう。

むろん「ベゲド」にも「ルブーシュ」にも特に下着という意味はありません。どちらかと言えば、「ベゲド」は仕事着などに、「ルブーシュ」は体裁や外観などに使われます。ちなみに米国標準訳では15:20/15:24ともに 「his garments」です。

そもそも十字架刑はローマ帝国の正規の死刑法なので、ローマ帝国のどこにおいても反乱者などに対して行われたわけです。公衆の面前での十字架刑の執行ですから、性風俗紊乱の観点からも、おそらく下着を剥ぎ取っての性器露出などはなかったでしょう。




最後に、「罪はセックスから入ってきたという考えは正しい」とし、「げんに広く新旧のキリスト教会では、『聖霊によって身ごもったイエスは父母のセックスを通して生まれたのでないので原罪がない』と考えられているではないか」という反論があります。カルト的な宗派だけでなく新旧キリスト教でもこのように考える人たちが多いので、この問題が一番やっかいです。

むろんこの問題もたとえば人類進化学を持ち出せば簡単に解決します。アダムとイブの存在やエデンの園での堕罪などただの神話で、原罪などなんの根拠もない作り話であることが判明するからです。それによって、アダムとイブ以来のセックスによる原罪の継続という思想そのものがナンセンスであることが明らかになります。しかしこの問題も、これまでどおり、できればキリスト教の聖書の枠内で解決するのが望ましいでしょう。一般の信者には、その方が有意味かと思われます。



さて、たしかにカトリックではマリアが聖霊によってイエスを処女懐胎したのを「無原罪」としています。多くのプロテスタント教派でも、(「無原罪」という言葉ではないですが)、概ね同じように理解しています。

ここに言う「無原罪」とは「人間のセックスによらない」という意味ですから、セックスが罪と関連して見られているわけです。

この世の誰もがセックスで生まれてくる。全人類が罪を免れないのは原罪に堕ちたアダムとイブに始まるセックスを通して生まれてきたからである

こういう理解です。


しかしこの思想はキリスト教的ではありません。もしアダムとイブの原罪がセックスによるものだったのなら、そういう理解も可能かもしれませんが、すでに見たように彼らの原罪はセックスからでなく、知識において神と等しくなろうとする傲慢から来ているのです。

「原罪に堕ちたアダムとイブの子孫は、人類始祖である彼らの原罪を引き継ぐ」という思想は、(近現代では無理があるとはいえ)、古代社会や封建社会では「父の罪は子の罪なり」として、それなりになんとか通じるところはあります。しかしそこにセックスを関係づけるのはキリスト教的ではありません。これは「産めよ、ふえよ、地に満ちよ」という基調で記されている旧約聖書の思想とは正反対です。



イエスはその肉が十字架で否定されました。否定されることで「過越の子羊」「贖罪の子羊」「神の子羊」となりました。そのためキリスト教という宗教は肉否定の禁欲宗教になったのです。だから十字架贖罪信仰を掲げるキリスト教において、肉欲・セックスは罪と関連するようになります。そういういきさつが聖霊によるマリアの処女懐胎という思想の背後にあります。

しかし新約聖書のキリスト教においても、セックスそのものが罪とされているのではありません。パウロは妻帯しませんでしたが、ペテロなど他の使徒たちの多くは妻帯しています。

もしセックスそのものが罪だとすれば、キリスト教徒はセックスできないため子孫を残せず、当代限りで全て滅んでしまわざるを得ません。独身者のパウロはなるほど「できれば結婚しない方が良い」とは言いましたが、それはセックスが罪だからでなく、もうすぐ終末が来ると固く信じていたことによります。

ちなみにパウロが独身者だったのはいわゆる「肉体のとげ」(「コリント人への第二の手紙」12:7)のため、つまり一種の性的不能者だったからで、そもそもユダヤ人は誰でも結婚して子孫を繁栄させるのが義務でした。創世記の「産めよ、ふえよ、地に満ちよ」はその反映です。しかしその後のキリスト教会が禁欲思想を強化してゆくのは、パウロのこうした独身状態にも大きな原因があると思われます。



キリスト教以外でも、物欲のこの世は罪の世界であり、性欲や金銭欲はその代表だから、それを必然的に伴う妻帯を求めてはならないという宗教思想は存在します。出家を掲げる仏教などはその良い例でしょう。

そもそもキリスト教において性欲や金銭欲が否定されるのは、セックスや富が神より大事にされてしまう傾向があるからです。本当はセックスや富を求めることも、神のもとでの営為であれば、なにも罪とはならない性質のものなのです。つまりセックスそのもの、富そのものが罪なのではありません。

セックスと富はこの世の本質的な部分をなします。だからセックスと富はこの世性を示すものとなります。この世は物の世界、物欲の世界、罪の世界、あらゆる不幸が避けられない世界であるという思想がある場合、セックスと富は罪の代名詞のようなものになりやすくなります。それと対比して、神から来るものは霊の世界、非物欲・非性欲の世界、罪のない世界、あらゆる幸福を享受できる世界から来ると考えられることになります。

当然、罪の世界であるこの世を救う者は、罪のない世界、非物欲・非性欲の世界、霊の世界から来る者によってなされざるを得ません。そこからセックスによらない神の子としてのイエス、つまりイエスの処女降誕という信仰が(あとになって)生まれてくるのです。




ところで、新約聖書のうちで最も古い文書であるパウロ書簡には、イエスの処女降誕とか聖霊による受胎などという思想はどこにもありません。つまりペテロやパウロの段階ではこうした聖霊による処女懐胎信仰など存在しなかったということです。

それはまたペテロやパウロ段階では罪はセックスと結び付けられていないということを意味します。なぜなら聖霊による受胎という思想がないかぎり、イエスもまた肉の両親のセックスを通して生まれて来ざるを得ないからです。

ペテロは生前のイエスと歩みを共にしました。一緒に食事をし、野山でともに大小便を垂れたのです。当然の事ながら「自分の横を歩いている大工の子のイエスは聖霊による受胎によって生まれた」とは思っていないわけです。

またパウロは「ローマ人への手紙」1:3〜4で、「御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」と記しています。つまりパウロにとってイエスの肉の父は(ダビデの家系の)ヨセフであり、肉の母はマリアでした。

このようにイエスはペテロやパウロの段階、つまり原始キリスト教会発足のときには、肉の父と肉の母によるセックスで生まれてきたとされていました。ところがペテロやパウロなどの使徒たちが死に、世代が替わって「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」が書かれる頃になると、このことが無視され、否定されて、イエスは聖霊によって身ごもり、処女降誕したという思想が生まれて主流となり、ついに定着しました。

もしキリスト教を創始し発展させたペテロやパウロなどによって代表される初期原始教会時代のイエスの誕生観をより重視するなら、マタイとルカの両福音書の方を後世の改ざんとして否定しなくてはなりません。

当然のことながら、使徒たちの信仰と福音書記者たちの信仰とが矛盾する場合、キリスト教徒はイエスとともに生きた使徒たちの信仰の方を支持しなくてはならないでしょう。そうなればイエスの処女降誕という概念と深く結びついた「セックス=罪」という思想から自由になれるわけです。キリスト教をセックス宗教化することも防げます。

ちなみに新約聖書中の最古の福音書である「マルコによる福音書」にも最新最後の福音書である「ヨハネによる福音書」にもイエスの処女降誕は言及されていません。

「マルコによる福音書」段階ではまだ教義として確立しておらず、「ヨハネによる福音書」段階ではイエスはもはや一切の肉を超越し、処女降誕さえ超え出て、「初めに言(ロゴス)があった。・・・すべてのものはこれによってできた。・・・この言に命があった。そしてこの命は人の光であった」というように、「神のロゴス」として現臨しているからです。イエスの処女降誕説はイエスの誕生譚を記しているマタイとルカの両福音書にしかありません。



結論を言えば、セックスは富と並んでこの世性を示すものとして、この世の罪と関連させられやすいですが、「セックス=罪」という思想は旧約聖書の「産めよ、ふえよ、地に満ちよ」という思想にも合致せず、またペテロやパウロの思想とも合わないもので、本来キリスト教的でないものです。

しかしペテロとパウロの死後、マリアの処女懐胎説が提唱され、それを通して「セックス=罪」という観念がキリスト教会で成長し、最後にマタイとルカの両福音書にマリアの処女懐胎話が記されて、定着し始めました。

したがって、この世の誰もがセックスで生まれてくる。全人類が罪を免れないのは原罪に堕ちたアダムとイブに始まるセックスを通して生まれてきたからであるという思想は、ペテロとパウロの思想でもなく、エデンの物語における旧約聖書の思想でもありません。



もしキリスト教をこういうセックスを主軸にした宗教と考えるなら、いくつかのキリスト教系セックス宗教の同類として、セックス論が中心の宗教になってしまうおそれがあります。しかし旧約聖書と新約聖書の全分量のうち、セックスが論じられているところがどれほどあるか調べれば、ほとんど目に付かないほど少量であることが分かります。

こういうものがキリスト教という世界宗教の土台だとするのは全くの見当違いです。聖書にはアガペーなる愛や神の義や人類の希望が高邁に語られています。イザヤ書やエレミヤ書やヨブ記をひもとけば、その高邁な思想に誰もが心打たれることでしょう。

これはつまりキリスト教はセックスを主軸とした宗教で「ない」ことの証です。それはモーセの十戒の中でセックス関連は「姦淫するなかれ」ほどしかなく他の九つの戒は(第十戒の一部を除き)セックスと無関係であることからも分かります。

またイエスの山上の垂訓をはじめイエスの大多数の説教やたとえ話もセックスと関係がないことからも分かります。むろんパウロ書簡にもキリスト教の主軸とセックスとを結びつける記述はありません。



ちなみに、マリアの処女懐胎説も、(そもそもは新旧のキリスト教信徒が誤解して信じているようには)、「セックス=罪」という視点から生じたものではありません。それは、「罪に汚れたこの世のものでは救われない。罪のないあの世の神の子によってしか救われない。あの世から来る者はあの世に種があるべきで、その種が聖霊による種なのだ」という視点がそもそもの中心だったのです。

力点は「あの世から来た」というところにあり、この世のセックスで生まれたかどうかに関心があったのではなかったのです。はじめはセックスのことなど眼中にありませんでした。

ところがのちに、キリスト教がヘレニズム化するにしたがって、(そのヘレニズム思想の新プラトン主義的な霊肉二元論の影響を受けて)、大きく変化し、いつの間にか、「この世は罪の世界であり、セックスによって全ての人間が生まれてくるが、神の子はあの世からセックスによらずに生まれてくる」となり、セックスによるかよらないかが焦点となって、ついに、「この世=セックス=罪、あの世=非セックス=無垢無罪」という図式が生まれてきたのです。

そしてそれがカトリックではついに1854年に至ってイエスの処女降誕だけでなく、「マリアの無原罪のお宿り信仰」(聖母マリアもセックスによらずに無原罪で生まれたとする)にもなりました。これらは誤ってキリスト教とセックスとを深く結びつけた結果によるもので、キリスト教の本来の姿からはいささかズレていると見るべきでしょう。

「マリアの無原罪のお宿り信仰」のそもそもの起源は、聖霊によってイエスを懐胎したという「マリアの処女懐胎説」ですが、この「マリアの処女懐胎説」はペテロとパウロの認めないところです。

もしマタイとルカの二つの福音書にある「マリアの処女懐胎説」がなければ、むろん「マリアの無原罪のお宿り信仰」などは生まれなかったことでしょう。マタイとルカの「マリアの処女懐胎説」はのちに「聖母マリア崇拝」を生み出しましたが、その「聖母マリア崇拝」がついには「マリアの無原罪のお宿り信仰」に発展しました。つまり、「マリアの処女懐胎説」→「聖母マリア崇拝」→「マリアの無原罪のお宿り信仰」といった流れ全体が、そもそもキリスト教信仰にとって誤った道筋であるということを示しているといえましょう。

それはまたキリスト教において、「エデンの園での堕罪・原罪はサタンとのセックスによる」とみる考え方や「セックス=罪」とみる考え方が間違っていることを示しているものでもあります。


ところで、マタイとルカの二つの福音書にある「マリアの処女懐胎説」のそもそもの発想には、現代風に言えば、「聖霊という名の精子がマリアの卵子と結合した」という含意がどこかあります。つまり結果として、マリアの遺伝子はイエスとなるべき受精卵の母方の遺伝子に当たるわけです。神の子キリストなるイエスの遺伝子の半分がマリアに由来するとなれば、いずれマリアが聖母化してもおかしくはありません。

しかしこれは現代医学でいう「代理母」(他人の受精卵を子宮に移植)の発想が全く不可能な古代的・前現代的な着想であって、もし現代であれば、神は御子なるイエスの遺伝子の半分を人間マリアに依存するやり方でなく、イエスの遺伝子全体が神から来た「代理母」形式とすることでしょう。

となれば聖母マリア崇拝というものもあり得ず、したがって「マリアの無原罪のお宿り信仰」など生まれる筈もなかったことでしょう。つまり聖母マリア崇拝もその無原罪のお宿り信仰も、すべて古代的な発想に由来するものと考えて良いと言えます。



以下に統一原理教会の経典である『原理講論』に対する批判をほんの少し試みてみましょう。

『原理講論』では、六日間にわたって被造物が創造されるときにそれを見て「神は善しとされた」とあるように、被造世界はそもそも善なるものです。

問題なのは、被造世界が善なのは神がそのつど「善しとされた」からだ、と主張しているところです。『原理講論』(第一章 創造原理:第三節 創造目的:一 被造世界を創造された目的)には、

「被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て善しとされたと、記録されている創世記のみ言葉をみれば(創1:4〜31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる」(日本語訳 光言社 64頁)

とあります。被造世界が善であってこその、そこからの堕罪であり、堕罪による原罪からの蕩減復帰過程が『原理講論』でいう神の世界史ですから、この「善し」という神の言葉の上に『原理講論』の全てが構築されています。

さて、そもそも創世記のその箇所を「神は善しとされた」と翻訳するのはヘブライ語の本義ではありません。「善し」はヘブライ語原文では「トーブ」ですが、これは時計工が時計を組み立てて「よし」と言うときの「よし」、すなわち「うまく動いている」という機能的な意味の「よし」なのです。

だからこれを道徳的な「善し」と翻訳するのは誤りです。この「よし」は被造世界が「優良装置」「優良生産物」であるという意味なのです。

日本語訳聖書でも「良し」と訳されています。韓国語訳聖書でも「チョアットラ」(良かった)です。しかし韓国語原典の『原理講論』は(全ての引用を韓国語訳聖書から行いながらも)そこだけは独自にわざわざ韓国語で「ソナヨッタ」(善かった)と訳しています(成和社 51頁)。それだけ「ソナヨッタ」(善かった)と訳すのが『原理講論』の全体系にとって根本的に重要だったということでしょう。

むろんどの国の言語でも「良し」はいずれ「善し」にも拡大していきます。げんに創世記3:5の「神のように善悪を知る」の「善」と「悪」はそれぞれ「トーブ」と「ラア」です。ここの「トーブ」は「良し」ではなく「善し」です。とはいえ被造世界に対する「トーブ」はそもそも「善し」ではなく、「良し」なのです。

したがって「良し」を「善し」と誤読したことだけでも『原理講論』の根本が揺らぎます。第一章にあるこの決定的な誤解によって、それ以後の全ての章はほとんど空中楼閣にすぎなくなり、この性的キリスト教はしっかりとは成立しません。



聖書の逐語霊感説(聖書は聖霊によって一字一句の誤りもなく記された)を信じるキリスト教各宗派の人々に、「旧約聖書概論」や「新約聖書概論」などを通して聖書編纂の歴史的な成り立ちを勉強するようお勧めしたいと思います。聖書がヘブライ語やギリシア語でどう書かれているかという視点と関心が必要です。

そうすれば聖書が歴史の中にかつて生きた人間たちの手による歴史文書として、数千年にわたるそれぞれの時代の方言や単語や文法や思想や文化の産物であることが判明します。そのことによってあらゆる神話的迷妄から自由になり、聖書を「人間に対する神の言葉」としてだけでなく「神に関する人間の言葉」としても新しく理解できる道が開けるでしょう。

たとえば創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記の五書を「モーセ五書」と呼び、モーセが神の声に従って一字一句間違いなく記したものと信じているキリスト教徒は非常に多いですが、これは異端といわれる「統一原理教会」や「エホバの証人」(ものみの塔)や「モルモン教」だけでなく、正統派の信条でもあります。また「モーセ五書」をそれぞれ「トーラー」/「タウラー」と呼ぶユダヤ教やイスラム教でも一般にそう信じられています。

しかし旧約聖書を原典のヘブライ語で読むと、時代語や方言などもあり、(日本語で言えば、或る文書が、枕詞のある万葉集の言葉で書かれた部分と、徒然草の「こそ」「けれ」言葉で書かれた部分と、「ござる」「候」など江戸さむらい言葉で書かれた部分と、現代の「です」「ます」語で書かれた部分で構成されていれば、それぞれの時代に書かれた文書が後世になって一つに集められたということが一目瞭然になるように)、聖書もそういう各時代、各地方、各集団、各思想によって書かれた文書の集まりであることが一目瞭然になるわけです。

そうすれば「モーセ五書」が一字一句神の霊感を受けたモーセの手になる文書で「ない」ことが疑問の余地なく判明します。具体的には「モーセ五書」は書かれた時代も地域も思想も異なるJEPDと呼ばれる四種類の文書の混合体です。

ギリシア語で書かれた新約聖書についても、(四つの福音書の間に見られる無数の相違点や、イエスの受胎についてペテロ・パウロの立場とマタイ・ルカの立場の相違に見えるように)、逐語霊感説は誤りです。聖書やキリスト教については、逐語霊感説を克服することから本当の理解が始まるのです。



むろん「聖書のなにもかもが人間の手になるだけのものだ」というわけではありません。そこには神の手になるものも多くあります。しかしそれは聖書が人間の手になるものでもあることをしっかり把握したあとで受け入れるべき考えでなくてはなりません。でないと、容易に聖書の神話に振り回されてしまいます。

「神は真実であり、神の言葉は無謬である」というのは、なるほどそうではありますが、それは最後の最後に実現する現実です。人間の歴史の中では神の真実も人間の歴史を通して実現する他ありません。そこには時代・地方・民族・言語・文化・習慣などなどによる実現の違いがあるわけです。

その際むろん必然的に歪みも誤謬も伴います。たとえば言語ひとつとっても 「god」 と「神」は厳密には一致しません。翻訳不可能な言葉も無数にあります。歪みや誤謬のない歴史発展などありません。



最近、インターネット上で「場の量子論」など高度な物理学を数々の本格的な数式で講義する知識人が、その同じサイトでなんと聖書の記述を「神の言葉」としてまるごと鵜呑みにし、宇宙が六千年前に創造されたと主張しているのに出会いました。

たとえば超新星爆発の第三段階の産物がまだ何一つ発見されていないということで、この宇宙は創造以来六千年ほどしか経っていないと主張するのです。

超新星爆発の第三段階の産物の発見というのもいわば宇宙的な化石発見の問題ですので、地上における化石発見の問題でいくらでも代用できるわけです。たとえばエベレスト山頂付近から貝や魚の化石が層を成して発見されますが、どれほどの時間が経てばエベレスト頂上付近にそういう化石層を形成できるのでしょう? 

六千年では到底無理なわけです。だからこれだけでも宇宙は六千年以上の歴史を持っていることが判明します。なにも超新星爆発第三期の産物がどうのこうのと言う必要はありません。

おそらく彼は、パウロが「コリント人への第一の手紙」1:18〜20に記した、

「十字架の言葉は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。すなわち、聖書に、『わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする』と書いてある。知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を愚かにされたではないか」

に基づいて、みずから「愚かさ」を演じているのだと思われます。



ある種の偏狭な宗派に属すると、人間や歴史や科学に対するせっかくの知識も無意味になるということです。異端・正統にかかわらず、こういう逐語霊感説を信じる各宗派のキリスト教徒に対しては、せめて共観福音書研究に関する書物の一冊でもお勧めしたいところです。

「共観福音書」とは「マルコによる福音書」と、それを資料にして記された「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の三つの福音書のことです。マタイとルカの両福音書が「マルコによる福音書」を頻繁に引用しているのは、ギリシア語原文を見れば一目瞭然です。逐語霊感した者が他の福音書の文章を引用する筈はないので、このことだけでも逐語霊感説は否定されてしまいます。

ちなみにマタイとルカの両福音書は「マルコによる福音書」からあれこれの文章を引用するだけでなく、ストーリーそのものも「マルコによる福音書」を土台にして展開しています。こうした文章の引用やストーリー展開の借用などの性質が、この三つの福音書に大きな共通性を与え、「共観福音書」と呼ばせています。



最後に、これまで「統一原理教会」を含む性的なキリスト教カルト宗派の信仰を聖書そのものによって批判しましたが、実は私は「どの宗教を信じても罪にはならない」と考えています。私の考えでは、全ては神によって予定され、実行されているからです。

宗教的な意味では性的カルト宗派の信仰も罪とは言えません。真実にも虚偽にも神の定めた役割があるのです。無神論や唯物論でさえ歴史を経綸する神の手段に過ぎませんから、それらを主張しても罪にはならないと信じています。したがって、どの宗教・どの宗派の信仰でも、それが罪かどうかは社会的見地(人間どうしの立場)から判断するべきものと思います。
(了)