「マルコによる福音書の新考察」へのご質問の回答欄


金哲顕

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(ご質問  「イエスに対する神の啓示の有無」  for exampleさん)

あなたは神の存在を証明しようとしているわけですから、神の存在を認めているわけですし、また個人的にもいくつかの不思議な体験を持っているわけですから、奇跡現象も容認なさっているわけです。とすれば、どうしてあなたはガリラヤのイエスが神の啓示を受けて、初めから意図して「神の子羊」として十字架の死への道を生きたという可能性を排除できるのでしょうか? (for example)


(ご回答  「イエスに対する神の啓示の有無」  for exampleさん)
ご質問は、ガリラヤのイエスに、神から、「あなたはわたしの子で、いずれ『神の子羊』になるのだから、十字架の刑死に向かって歩みなさい」という内容の啓示があったというケースですね。

仰るとおり私は神の存在もその働き(奇跡)も認めています。だからイエスに一切啓示がなかったとは断言しません。何らかの啓示はあったかもしれませんし、なかったかもしれません。ただし、もしその神が真実の神であれば、「神の子羊」の啓示は、イエスにも誰にも与えられた筈はなかったでしょう。

第一に、その理由としてまず、キリスト教の「神の子羊」は旧約聖書の「過越しの子羊」を前提にしているわけですが、「過越しの子羊」はアラビア砂漠の民ベドゥイン族に見られた「生贄の祭儀」の一形態です。

ヘブライ人はこのベドゥイン族から出たといわれています。マックス・ウェーバーは『古代ユダヤ教』(内田芳明訳)の第一章「イスラエル誓約同志共同態とヤハウェ」の第二節「ベドゥイン」で、

「ただ一つ重要なベドゥインの名残がある。それはもろもろの悪魔から保護されるために門柱に血を塗るという習慣であって、これはアラビア人の間にひろくおこなわれているということである」

と述べています。この呪術的な習慣は『出エジプト記』に記されている過越しの出来事にそのまま見られます。

映画「十戒」でその情景を見られた読者も少なくないと思われますが、そこではエジプトにおける人と獣の初子を殺す神の災厄を、一才の傷のない子羊を殺して、その血を門柱に塗ることによって過ぎ越しています。これが「過越しの子羊」であり、それがのちにキリスト教における「神の子羊」となりました。

ところで、太古、地球上のいたるところで生贄の人身供養が行なわれ、その大部分がのちに「獣の犠牲」などに置き換えられていったというのは周知の事実ですが、こうした生贄の祭儀は宗教というよりはむしろ呪術です。

呪術にはある一定の呪文や行為と、それによる一定の結果があります。それは一種のメカニズムであって、もともと人格的な神の自由な介入を許さないものなのです。人格神信仰と呪術崇拝とはこのように根本的に異なる質のものです。

しかしどの宗教も過去の呪術世界から多少は前宗教的な呪術的側面を受け継いでおり、その生贄思想の側面が、聖書宗教では「過越しの子羊」や「神の子羊」となりました。

だからそこには人格神信仰と呪術崇拝の一種の融合が見られるわけです。それは「ある呪術行為を人格神が命じて行なわせる」という形態です。それが『出エジプト記』には「過越しの子羊」の犠牲として記され、のちにそれを記念するためだという名目で「過越しの祭り」が制定されました。

ただし「過越しの祭り」においては呪術そのものは行なわれず、過去に行なわれた呪術行為が単にその出来事の記念として、形だけ繰り返されるのみだという点で、相当その呪術性は薄められています。

もともと旧約聖書も新約聖書も呪術や占いや占星術の類をきつくタプー視しています。『申命記』18章には、

「占いをする者、卜者、易者、魔法使、呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである」

と禁止しています。

しかし「過越しの祭り」の中で生贄にされる「過越しの子羊」にも見られますとおり、聖書宗教においても呪術的側面の全てがきれいに払拭されたわけではありませんでした。当時のユダヤ教では、罪祭や愆祭(けんさい)などで、さまざまな動物犠牲が贖罪と絡めて呪術的に行なわれていました。

聖書的な人格神宗教の中で呪術的なものが、「生贄の思想」である「過越しの子羊」や「神の子羊」として色濃く残ったこと、これが結局のところ決定的な問題を残すことになりました。つまり呪術の持つメカニズム的な力に全能の人格神さえ屈服するという結果です。

これは、「人類の罪を贖うために、神自身が、自らの御子を、生贄として、捧げざるを得なくなった」という論理として現われています。でなければ、なぜ神は人類の罪を赦すために自分の御子さえ生贄に捧げなくてはならないのでしょうか? いやそれ以前に、一体全体どうして神は人間の罪を赦すために自分の御子を生贄として捧げなくてはならないのでしょう? 

全能の神が生贄の論理に支配されているということは許されざることです。それでは全能の神とはいえません。

それにまた、神が捧げる御子の生贄は誰に対して捧げられているのでしょう? それは、(本当は全能の神をも支配する生贄の思想、あるいはそれを神にも強いるものに対してなのですが、)一応論理上、形式的には全能の神自身に対してなのです。つまり「全能の神が、自ら、自分の御子を、自分に対して、生贄として捧げている」という形です。

とはいえ、目的が何であれ、どうして神は、自分の御子を、自分に対して、生贄として捧げなくてはならないのでしょう? これがどれほど馬鹿げた論理であるかは誰にも明白なことでしょう。

ともかく自分に対してであれ何であれ、「神が自分の御子を生贄として捧げている」ということは、「他に選択肢はなく、神はそうせざるを得ないのだ」ということを示しています。それは生贄の思想に神が支配されているということの表れなのです。

そしてその生贄が、生贄の論理(あるいはそれを強いるもの)に対してでなく「自分に対して捧げられる」という形にともかくもなっているのは、神が「全能の神」で、何ものにも支配されてはならないからです。神が「全能の神」である限り、この神が生贄の論理(あるいはそれを神に強いるもの)に支配されているということは背後に隠されざるを得ません。

だから本当のことを言うとすればこう言うべきところです。すなわち、

「全能の神は、人間の罪を赦すため、自ら、自分の御子を、生贄の論理(あるいはそれを神に強いるもの)に従って、生贄として捧げている」と。

全能の神が生贄の論理(あるいはそれを神に強いるもの)に従わざるを得ないというのは、やはり論理的におかしいといわざるをえません。自分の御子さえ生贄にせざるを得ないわけですから、生贄の論理の支配力は絶大です。この「全能の神」は生贄の論理の奴隷と言っていいでしょう。

どうして「全能の神」ともあろう存在がこういう自虐的な有様になったのでしょうか? それは自由な人格神が呪術のメカニズムに屈したからなのです。

むろんこうなったのは全能の神自身のなせる業の結果ではなく、人格神信仰と呪術崇拝とを(変な姿で)融合させた人間の業の結果なのです。

それはともかく、全能の神が生贄の論理に支配されているために起きた「過越しの子羊」やそれを受け継いだ「神の子羊」思想の中には、他にも到底容認できない幾重もの馬鹿げた矛盾が存在します。その代表格として以下に三つを挙げます。


(1)生贄は、本来、罪ある側が、自分のものを、罪の被害を受けた相手に犠牲として捧げるのですが、キリスト教の「神の子羊」の場合、人類によって罪を犯された全能の神の方が、罪ある人類のために、自分のものを、犠牲に捧げています。つまり罪を犯された方が、犯した者の罪を赦すために、自分のものを犠牲として捧げている、という矛盾です。これは、「相手に頭を殴られたのに、その相手に自分の財産を与えて、それで相手の罪を赦してやる」といった類の論理です。

(2)「神の子羊」から来るその奇妙な論理のため、神はアダムの原罪に由来する人類の罪を贖うのに自分の御子を生贄として捧げなくてはならなくなってしまいました。神に対する根源的な罪(原罪)は神レベルのもの(神の御子)でないと贖えない・支払えないという思想の結果です。これは、「相手に頭を殴られたのに、今度は自分の息子を殺して、それで満足して相手の罪を赦してやる」という類の論理です。

(3)ところがさらに「神の子羊」においては、神が自分の御子を生贄として捧げる相手が、その御子の父である自分自身なのです。これは、「相手に頭を殴られたのに、今度は自分の息子を殺して、それをみずから己への祭壇に捧げ、それで納得して相手の罪を赦してやる」という類の論理です。


(1)も(2)も(3)もどれほど気違いじみた馬鹿げた論理か、こうして分析してみれば誰にも分かるでしょう。どうしてこんなに馬鹿馬鹿しくも矛盾に満ちた奇妙な「神の子羊」を信じる宗教が発生したのかにつきましては、「宗教問題へのご質問の回答欄」の最初の項目(十字架と生贄)に詳しく記しましたのでご参考ください。そこには人格神信仰と呪術崇拝とを(変な姿で)融合したいきさつが具体的に述べられています。


第二に、「神の子羊」の啓示がイエスにも誰にも与えられた筈はなかったと言える進化論的な理由があります。イエスの十字架贖罪死によって贖われる筈の原罪はアダムとイブのエデンの園での堕罪に由来するとされていますが、『創世記』にあるこの堕罪の話は進化論的に見て歴史的事実ではありません。したがって人類にはそもそもそういう原罪などはなく、結局、その原罪を贖うための「神の子羊」などいささかも必要でないわけです。

だとすれば、いやしくも真実の神がガリラヤのイエスに、「あなたはわたしの子で、いずれ『神の子羊』になるのだから、十字架の刑死に向かって歩みなさい」という内容の啓示をした可能性は万に一つもないわけです。


第三に、聖書に対する文献批評学的研究などの成果からも、イエスに対してそういう啓示がなかったと判断できます。そのことについて次に述べてみます。

まず最初に、もしイエスが初めから自覚的に十字架贖罪死へ向けて自己犠牲的に生きたのであれば、そういう生き様を髣髴させる数多くの感動的なイエスの言動が存在したことでしょう。ですが、そうなりますと、そのまさに同じ十字架贖罪死論を熱心に展開するパウロが意図して徹底的に史実のイエスの生涯について語ろうとしなかったことが全く理解できないことになります。

自らの師でもあり主でもあり救済者でもあり人類贖罪のキりストでもある者の生涯を徹底的に意図的に無視するというのは、とうてい尋常なことではありません。そのことは読者がパウロの位置に自分を置いてみられれば明らかと思われます。師の生き様について少しでも多く人々に伝えたいというのが普通で、意図的にそれを全部隠そうとする弟子はいません。

これは「史実のイエス」がパウロの信じた「信仰のキリスト」とずいぶん違っていたからだと想像する他ありません。聖書神学者たちはこれを「信仰のキリスト」と「史実のイエス」との乖離として示しています。

これまでの数百年にわたる共観福音書研究を通して、福音書は「事実の書」でなく「信仰の書」であることが実証されています。「史実のイエスを探求する唯一の資料である福音書を通じては、もはや史実のイエスにたどりつけない」というのが、聖書の文献批評学的研究によって得られたいわば「最終結論」です。

現在では史実のイエスがどういう存在だったのか誰も分からないとされています。私は「マルコによる福音書の新考察」などにおいて「イエスは政治的メシアだった」と相当な自信を持って主張していますが、この目でじかに目撃したわけではないですから、それもまたやはり厳密にいえば推測の域を出ません。つまり反論の余地はいつも残されています。

先の「最終結論」はつまりは「史実であるかのようにあれこれイエスの行跡について語っている福音書は実は非事実のかたまりだ」ということの表明でもあります。「マルコによる福音書の新考察」において、とくに「三つの理由」を挙げて詳しく示されましたように、とりわけ十字架贖罪死への道を意図して歩むイエス像についてはそう言えます。

「マルコによる福音書」の記者など初期の教会信徒たちがそういうイエス像を描き出す点でどのように非事実を事実らしく描いていったのか、その過程を少したどるだけでも、福音書がいかに人間の手によって捏造されたものであるかが判明します。

ここで今度は逆の視点から見てみましょう。もしイエスが神の啓示を受けて初めから意図して「神の子羊」として生きたとすれば、「信仰のキリスト」と「史実のイエス」との乖離は起きず、福音書は初めから多かれ少なかれ「事実の書」として現われたことでしょう。イエスの生涯を描くことは、そのままイエスの歩む十字架贖罪死への道を描くことになった筈だからです。

しかし現実には福音書は「事実の書」からは距離の遠い、いやその正反対ともいえる「信仰の書」として現われました。それはすなわち信仰内容の中心である受難と復活、(受難がなければ復活もないわけですから)、とりわけ受難、つまり「イエスみずから意図して十字架贖罪死へ向けて生きた」という部分において事実性・史実性が存在しないということなのです。

福音書が事実を離れた「信仰の書」となったのは、「信仰のキリスト」(宗教的メシア)が「史実のイエス」(政治的メシア)と正反対だったからです。


以上の第一第二第三の理由から言って、真実の神がガリラヤのイエスに、「あなたはわたしの子で、いずれ『神の子羊』になるのだから、十字架の刑死に向かって歩みなさい」との内容で啓示した可能性は一切ありません。(終わり)