趣味の経済学
死刑廃止でどうなる?
廃止論者は代替え案の提示を
(6)人の生命は、全地球よりも重いか
残酷な死刑は廃止したい、という感情論
今週は、日本評論社から出版された『死刑廃止を求める』からの引用を紹介します。この本には多くの人の主張が掲載されている。
その中から興味を引いたものをここに紹介しよう。
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<死刑はやはり廃止した方がよい=佐伯千仭
現在わが国において死刑の存続を肯定する側の理論的な代表者としては、まず畏友竹田直平博士の名をあげるべきであろう。
博士によると、苟(いやしく)も一国の立法が、人命の尊厳と平等を保全しようとする以上、それは当然に、「私はあなたを殺さないことを約束する。
若しこの約束に違反してあなたを不法に殺すことがあれば私の生命を提供する」という社会契約を土台とし前提としなければならない。
しかるに、死刑の廃止を主張する人達は、「私はあなたを殺さないことを一応約束する。しかし、この約束に違反して、恣意的にあなたを殺すことがあっても、あなた達は、私を殺さないことを約束せよ」と要求していることになるのであって、全く筋が通らないといわれるのである
(『刑法と近代法秩序』289頁以下、とくに319頁)。まことに説得的で、博士と同じ社会契約説の立場に立てば、これを論破することは難しい。
それでは、死刑という問題は、殺人という犯罪がなくならない限り、なくなる見込みは全然ないのかというと、そうでもないのである。
今日すでに多くの国で刑罰としての死刑が廃止されているし、とくに1988年12月15日に国連総会で採択された第2選択議定書──正確には「市民的および政治的権利に関する国際規約(1966年12月6日、わが国は1979年に批准)の死刑の廃止を目的とする第2選択議定書──
は多くの国によって批准されすでに発効しているのであって、現にわが国もその批准を求められているのである。国連までまったく筋の通らぬ矛盾をおかしているといってすますわけにはいくまい。問題は、もう少し別の角度から考えてみる必要があるように思われる。
まず、前述の竹田説では、現に裁判の結果死刑に処せられる被告人が、そのような死刑にあたる犯罪を犯し有罪であることが間違いなく真実であると証明されていることが前提になっている。
ところで、有罪の証明とは、裁判官が証拠に照らして被告人が被害者を殺したに相違なく、その点について合理的な疑問を入れる余地がないと確信するということである。
しかし、その裁判もしょせん有限な人間による判断であるから、裁判官自身は疑いの余地がなく、有罪と信じて判決を下したとしても、時にはそれが間違っていることもある。
竹田博士もこのことを否定はされないけれども、ただそんなことはきわめて稀は例外中の例外であるから仕方がないとされるようであるが(前掲書325頁)、これはいかがなものであろうか。
この誤判の問題は、死刑以外の懲役刑や禁固刑等の自由刑や罰金、科料等の財産刑の言渡についても生じ得る。しかし、それらの場合には、誤判とわかったところで、自由刑では前の有罪判決を取り消して受刑者の身柄を釈放して再び自由の身に立ちかえらせ、あるいは納めさせた罰金等を戻してやれば、何とか一応の取り返しがつく。
しかし死刑の場合には、いったん執行されれば、再び生き返らせることは不可能で絶対に取り返しがつかないのである。間違った、すまなかったといくら詫びたところで、処刑された人は生き返ってこない。
そんなことは滅多にない、まったく例外中の例外だし、秩序維持のためにはそれも止むを得ない犠牲として諦めろと突き離せる問題ではない。
竹田博士の死刑肯定論は、理論的にはまことに一貫しているけれども、この誤った裁判による不当な死刑の執行があり得るということに対しては少し冷たすぎるように思われる。(中略)
天地自然の運行、あるいは神仏、全能者の摂理である因果応報には、このような間違いは有り得ないであろう。しかし、有限な人間の営みである刑事裁判──正確には警察や検察官の犯罪捜査、訴追から裁判官による刑事裁判の全過程を通じて──では、それにあたる人間達が主観的にはどのように誠実かつ勤勉であろうとも、このような誤判の発生する危険が至るところに孕まれている。
誤判など滅多にない例外中の例外だからやむを得ないものだといって黙殺し去るわけにはまいらないのである。むしろ人間は、人間としての有限性を自覚しその営みについて謙虚であるべきである。
絶対者あるいは神仏の摂理に属する「応報」の道理を人間が自らとり行うなどと思い上がるべきではない。誤りを犯しがちなわれわれ人間にはそんな資格はない。
それができると思うのは人間の思い上がりであるというのが、私の考えである。(中略)
死刑制度の廃止に反対する人達は、自分自身はそんな死刑になるような犯罪など決して犯さないという固い信念の持ち主であろう。しかし、さきに引き合いに出した免田事件その他の再審で無罪になった人達も、事件に巻き込まれ刑事被告人にされるまでは、同じように自分は決して死刑になるような犯罪は犯さないし、そんな嫌疑を受けるようなこともないと信じていた人々である。
この人達は幸い再審で助かったが、そのように助からないで誤って死刑を執行されてしまった人が何人もいることであろう。同じような目に会わないという保障は誰にもないのである。
このように間違えば取り返しのつかぬことになる死刑だけは、法の定める刑罰のリストから取り外しておくべきではあるまいか。
[『死刑廃止を求める』・佐伯千仭(さえき・せんじん/立命館大学名誉教授)『死刑はやはり廃止した方がよい』から]
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<生命の尊重と死刑は両立するか=名和鐵郎>
「生命は尊貴である。1人の生命は、全地球よりも重い」。この言葉は、死刑の合憲性に関するリーディング・ケースとされる1948年の最高裁判決(最大判23年3月12日刑集2巻3号191頁)のなかで用いられたものである。
これを文字通りに解釈すれば、生命は無類の絶対的価値を有するから死刑制度も廃止すべきことになるはずであるが、結論的にはこの判決は死刑を合憲として死刑を容認している。
この判決には論理的な矛盾があることは明らかであるが、連続殺人・強盗殺人・強姦殺人・誘拐殺人など悪質な犯罪に直面する場合には、犯人の生命を尊重すべきか、死刑にすべきかという選択はたいへん困難な決断であろう。
それでは、今日における内外の動向に照らして、生命の尊重という理念と死刑制度とは両立し得るのであろうか。
この点について、死刑を肯定する立場からは、生命の尊重といっても、他人の生命を奪いながら、その本人に生命だけは尊重されるというのでは、生命尊重の趣旨が一貫せず、被害者やその遺族を含め社会の納得が得られないばかりか、人殺しなどの悪質な犯罪を抑止する観点からも不都合であるといったことが強調される。
[『死刑廃止を求める』・名和鐵郎(なわ・てつお/静岡大学教授)『生命の尊重と死刑制度』から]
<世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?──変わりやすく、また不完全な世論の数字=園田寿>
89年の総理府世論調査によれば、死刑存置66.5%、廃止は15.7%である。廃止は確かに少数であるが、調査における設問の内容的問題を含めて、国民が犯罪状況についてどの程度の知識をもって回答しているかが問われるべきである。
たとえば、殺罪と強盗によって命を落とす人は年間数百人であるが、実際の死刑判決は年間数件であること、犯罪の総量は史上最高であるが、大半は窃盗と交通関係業過であり、殺人等の凶悪犯は減少傾向にあること、日本は先進国の中でも治安が極めて良好であるにもかかわらず死刑を存置している数少ない国の1つであり、世界から強く死刑の廃止を求められていることなど。
このような情報は国民一般にはほとんど伝わっていないと思われる。与えられる情報量によって、世論の数字は劇的に変化する可能性がある。
刑罰制度が国民の支持を得ているこのは、刑罰の最も重要な条件の1つである。しかし、国民の多数が支持しているからといって、その刑罰制度が常に正しいとは限らない。かつてフランスが死刑を廃止した時(81年)には、存置62%、廃止33%であった。
変わりやすく、また不完全な世論の数字に、死刑存廃の議論は依拠すべきではないと思う。
[『死刑廃止を求める』・園田寿(そのだ・ひさし/関西大学)『変わりやすく、また不完全な世論の数字』から]
<世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?──生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない=三島聡>
国民の多数が死刑存置を支持しているからという理由で死刑制度を維持することは、一見民主的なようにみえる。
だが、本当にそうだろうか。国家が一部の国民ではなくすべての国民の利益のために存在すること、そして国民ひとりひとりの持つ利益が国政の上で最大限尊重されなければならないということが民主主義国家の大前提である。
そうだとすれば、生命はその人の生存の基礎であり、すべての生活利益の根源であるから、民主主義国家はこれをすべてに先んじて保護すべき任務を負っているはずである。
したがって、民主主義を標榜する国家が国民の生命を剥奪する権限を持つというのは、この任務に矛盾するといわざるを得ない。そしてこのことは、国民の多数が死刑の存置を望んでいるか否かに左右されるものではない。
なぜなら、世論によって死刑制度の存否を決することは、生命の存続・剥奪を多数決によって決めることを意味し、これは先の前提に真っ向から反するからである。
もちろん、死刑の廃止にあたっては、十分な情報提供を行って、多くの国民の支持が得られるようのするのが望ましい。しかし、その努力が未だ不十分だからといって、死刑を存置すべきだという理屈にはならない。
[『死刑廃止を求める』・三島聡(みしま・さとし/一橋大学)『生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない』から]
<死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない=白取裕司>
1981年のフランスの死刑廃止法は、わずか1箇条「死刑を廃止する」と規定するのみで代替刑や刑の均衡を図るための条項はなかった。
私が聞いたポワチェ大学(フランス)の刑法の講義では、死刑廃止法をこのようなシンプルなものにしたのは司法大臣パダンテール(当時)の卓見で、おかげで代替刑などの余計な議論を避けるころができた、と説明されていた。
しかし、死刑復活論者からの攻撃は予想以上に強かった。1986年9月9日法律は、拷問を伴う殺人、15歳未満の少年や保護を要する者、司法官、陪審員、警官などに対する殺人に最大30年の保安期間(絶対仮釈放されない期間)を付すことを認めた。
さらに昨年12月、日本でも報道されたが、15歳未満の未成年に対し性的暴行などの残虐な行為を伴う殺人を犯した者に「真の終身刑」を創設する刑法一部改正案が成立し、本年3月から施行された。
ここからが、私の意見である。私は、死刑廃止を主張する側から代替刑を提案する必要はないと考えている。理由は、そもそも一国の政策判断として死刑を存置すべきか否かという問題と、廃止と決定された場合の調整措置の問題とは、議論を混乱させないためにも区別すべきだからである。
日本が仮に死刑を廃止して、その後フランスのようにジリジリ後退を続けることになるか否かは、日本の社会ないし政治の成熟度合い次第といえよう。
[『死刑廃止を求める』・白取裕司(しらとり・ゆうじ/北海道大学)『死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない』から]
<死刑に代わる刑の在り方や制度の模索・検討を=中川裕夫>
死刑の代替刑については、@仮釈放のない完全な終身刑、A安易な仮釈放は運用の問題として解決されるべきで、現行法の無期懲役・禁固(団藤)、
B絶対的無期刑ではなく、再社会化の希望を確保しつつ、人格の破壊に至らないように、判決確定後最低15年または20年間は仮釈放を認めない仮釈放と連動した無期刑(大原)、
C刑の執行後20年を仮釈放起算日として社会感情が仮釈放を承認されうる必要条件とした特別の無期自由刑(加藤)等の見解があげられる。(中略)
死刑に代わる刑罰として終身自由刑の導入を考える。恩赦により無期の懲役・禁固への減刑を可能とし、人間の尊重、再社会化・社会復帰を目指して処遇する。
また、犯罪被害者補償法を整備・充実して被害者や遺族の応報感情の緩和・解消や物的・経済的援助を行うべきことをも構想するものである。
[『死刑廃止を求める』・中川裕夫(なかがわ・さちお/龍谷大学)『死刑に代わる刑の在り方や制度の模索・検討を』から]
<刑罰であることを否定する死刑=西嶋勝彦>
刑罰の究極にあるものは、犯罪者の社会復帰である。犯罪者も変わる。そこに犯罪者処遇の原点がある。釈放を予定されない犯罪者は、刑罰においては背理である。
死刑は、変化とも、社会復帰とも無縁である。そこにあるのは報復思想のみである。
戦争犯罪=戦争責任者に対して、最高刑の死刑が用意されることとは次元を異にする。人道に対する罪、残虐な他民族支配に対する国際的制裁として何を用意するのか。
被害の甚大さ、正義の貫徹の観点から、戦争責任者に死を求めるのである。それは刑罰ではない。国債法秩序の回復手段とととして責任、ケジメなのである。革命においても、類似の現象がみられる。
たしかに社会には極悪犯罪もある。変化を期待することに躊躇を覚える殺人犯もいる。社会復帰のない刑罰、つまり仮釈放なき無期懲役刑を対置することによって死刑を回避することはできる。
それは妥協ではあるが、誤判を考えたときは、この刑罰も許容され得るであろう。(誤判の場合に「社会復帰」が可能となる点において刑罰の範疇に止まりうる)。
[『死刑廃止を求める』・西嶋勝彦(にしじま・かつひこ/弁護士)『刑罰であることを否定する死刑』から]
<合意が得られる代替刑を=林田丞太>
代替刑を導くためには次の2点が重要と考える。第1に、受刑者を社会生活に適応できるよう改善し、彼らに社会復帰を期待する以上、受刑者に希望を失わせる刑罰であってはならない。
代替刑として説かれる終身刑はこの点から認め難い。第2に、凶悪犯罪の累犯者など改善困難な受刑者が存在するという事実である。
これらの点を考えると不定期刑を導入すべきであろう。現行法の無期刑は運用上、受刑者の改善度合いにより、その多くは比較的短い期間での仮釈放が認められている。
このことは、無期刑が実質的に不定期刑としての内容をもつことを示している。
そして不定期刑をとり入れた代替刑を簡略に示すと、無期刑の廃止に伴う次の案となる。
・死刑→25年以上の不定期刑。
・無期刑→15年以上25年未満の不定期刑。
[『死刑廃止を求める』・林田丞太(はやしだ・じょうた/神奈川歯科大学)『合意が得られる代替刑を』から]
<終身刑も残酷だ=前野育三>
(前略)死刑と無期懲役との落差があまりのも大きいので、死刑廃止時に、仮釈放の可能性のない文字どおりの終身刑で代替すべきだという意見もある。
私は、それには反対である。どんなに前非を悔いても、どんなに社会適応への能力をしっかりと示しても、刑務所から出されることがないというのは、やはり耐えられない残酷である。
受刑者が生きていて、日々その苦悩が観察できるだけに、その残酷さは耐えられないものとな、るであろう。観点を変えれば、殺してしまって、この苦悩を表現する機会さえ奪ってしまい死刑が、一層残酷であるのは、言うまでもない。
犯罪事件に関連して最も気の毒なのは被害者であるが、加害者に残虐刑を科したからといって救えるものでもない。
[『死刑廃止を求める』・前野育三(まえの・いくぞう/関西学院大学)『終身刑も残酷だ』から]
<終身懲役刑の提唱=宮野彬>
死刑に代わる刑罰として「終身懲役刑」を提唱したい。これによれば、生涯、刑務所暮らしということになる。その実態は、(1) 仮釈放はない。(2) 恩赦の適応はない。
(3) 一生、刑務作業に従事する。(4) 刑務所から出られるのは獄死か自殺か再審による無罪のときのみ、ということで、「絶対的無期懲役刑」と呼んでもよい。
これに対して現行の無期刑は、仮釈放や恩赦などが認められるために、「相対的無期刑」と呼べるような内容のものとなっている。
「人を殺したら死刑になる」という意識に代えて、「人を殺したら一生刑務所から出られない」というのも、かなり犯罪の抑止力になるのではなかろうか。(後略)
[『死刑廃止を求める』・宮野彬(みやの・あきら/明治学院大学)『終身懲役刑の提唱』から]
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<主な参考文献・引用文献>
『死刑廃止を求める』 佐伯千仭+団藤重光+平場安治・編著 日本評論社 1994.12.20
( 2007年4月30日 TANAKA1942b )
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(7)法曹界の死刑廃止論を聞いてみよう
誰も銀行強盗事件は予想もしていない
<死刑廃止論のイロイロ=『死刑廃止を求める』から>
先週、取り上げた『死刑廃止を求める』には、「私の死刑廃止論(意見集)」として多くの死刑廃止の意見が掲載されている。
先週取り上げたのはその一部なので、この他にどのような意見があるか、見出しと著者だけを抜き出して引用しよう。一部先週に引用した文章もあるので、それは先週分を参照のこと。
T 死刑廃止を目指して
◎「死刑はやはり廃止した方がよい」=佐伯千仭(さえき・せんじん/立命館大学名誉教授) ◎「死刑廃止論の出発点」=団藤重光(だんどう・しげみつ/東京大学名誉教授)
◎「死刑廃止を目指して──なぜ、今」=平場安治(ひらば・やすはる/京都大学名誉教授)
U 死刑廃止論の現在
◎「刑罰制度の本質を考える」=山中敬一(やまなか・けいいち/関西大学教授)
◎「生命の尊重と死刑は両立するか」=名和鐵郎(なわ・てつお/静岡大学教授)
◎「被害者(遺族)感情=応報=死刑に疑問がある」=高橋則夫(たかはし・のりお/東洋大学助教授)
◎「科学的証明がない死刑の犯罪抑止効果」=葛野尋之(くずの・ひろゆき/静岡大学助教授)
◎「死刑の存続は世論で決まる問題か」=平川宗信(ひらかわ・むねのぶ/名古屋大学教授)
◎「世界では死刑をどう考えているか」=辻本義男(つじもと・よしお/中央学院大学教授)
◎「誤判の可能性と死刑制度」=大出良知(おおで・よしもと/九州大学教授)
◎「「三重の残虐性」をもつ死刑の現実」=村井敏邦(むらい・としくに/一橋大学教授)
◎「死刑廃止論の現状と課題」=内藤謙(ないとう・けん/創価大学教授)
A−Q1 死刑は正義を守るという観点から必要か?
◎「近代自由刑の「正義」とギロチンの「正義」」=赤池一将(あかいけ・かずまさ/高岡法科大学) ◎「正義の意味も考えよう」=荒木伸怡(あらき・のぶよし/立教大学)
◎「正義を守るための刑罰としては、危険で不完全」=石原明(いしはら・あきら/神戸学院大学) ◎「正義を守るためにこそ死刑は不要である」=井戸田侃(いどた・あきら/大阪国際大学)
◎「死刑は廃止すべきである」=井上裕司(いのうえ・ゆうじ/名古屋経済大学) ◎「アルトゥール・カウフマンの批判」=上田健二(うえだ・けんじ/同志社大学)
◎「加害者と被害者(遺族)との共生」=岡田久美子(おかだ・くみこ/一橋大学) ◎「同害報復の理論は破綻している」=笠井治(かさい・おさむ/弁護士)
◎「応報的正義理念だけでは死刑を正当化できない」=島倉隆(しまくら・たかし/中央学院大学) ◎「死刑によって守られる正義とは?」=真鍋毅(まなべ・たけし/佐賀大学)
◎「正義の実現としての死刑は許されるか」=平田元(ひらた・はじめ/三重大学) ◎「人間の本質から正義と死刑を考える」=船山康範(ふなやま・やすのり/日本大学)
A−Q2 他人の生命を尊重しない者に対しては、死刑によって生命の尊重を知らしめる必要があるか?
◎「生命への畏敬を否定しつつ生命の尊貴を知らしめようとは矛盾」=大國仁(おおくに・じん/海上保安大学) ◎「死刑はヒューマニズムに反する」=大嶋一泰(おおしま・かずよし/岩手大学)
◎「非難の対象そのものの抹殺より生涯かけての贖罪(悪の善用)を!」=恩田紀治(おんだ・のりじ/大阪府立岬高校) ◎「生命の尊重と死刑」=甲斐克則(かい・かつのり/広島大学)
◎「生を否定し死を無価値とする死刑制度」=河田英正(かわだ・ひでまさ/弁護士) ◎「三つの問題」=楠本孝(くすもと・たかし/中央大学比較法学研究所嘱託研究員)
◎「殺した者は殺されて当然か」=小西吉呂(こにし・よしろ/沖縄大学) ◎「死刑廃止を主張するということ」=高内寿夫(たかうち・ひさお/白鴎大学)
◎「死刑は生体の構造を否定する」=都築廣巳(つづき・ひろみ/東京電気大学) ◎「生命を尊重しない思想からのみ死刑は正当化される」=中村義孝(なかむら・よしたか/立命館大学)
◎「人間の尊厳を無視する死刑」=松原昌樹(まつばら・まさき/愛知医科大学) ◎「生命尊重のこころは、教育活動によって得られる」=山岸秀(やまぎし・しげる/立正大学)
A−Q3 被害者(遺族)の問題をどのように考えるか?
◎「殺伐とした社会と死刑制度」愛知正博(あいち・まさひろ/中央大学) ◎「被害者感情は死刑を正当化するか」=安部哲夫(あべ・てつお/北陸大学)
◎「被害者(遺族)の救済を考えたい」=稲垣清(いながき・きよし/弁護士) ◎「死刑と被害者感情」=上田信太郎(うえだ・しんたろう/香川大学)
◎「死刑は被害者感情を癒していない」=菊田幸一(きくた・こういち/明治大学) ◎「「被害者感情」が可哀想だ」=酒井安行(さかい・やすゆき/国士舘大学)
◎「被害者(遺族)との連帯のために」=金澤文雄(かなざわ・ふみお/岡山商科大学) ◎「「仇討ち」を復活しよう」=佐藤直樹(さとう・なおき/福岡県立大学)
◎「被害者遺族救済の重要性」=佐藤美樹(さとう・みき/宮崎産業経営大学) ◎「遺族のためにこそ死刑廃止を」=沢登佳人(さわのぼり・よしと/白鴎大学)
◎「法制度としての刑罰」=城下祐二(しろした・ゆうじ/札幌学院大学) ◎「物質的・精神的救済が必要」=竹内正(たけうち・ただし/松山大学)
◎「二つの疑問」=立石雅彦(たていし・まさひこ/京都学園大学) ◎「現在の死刑制度は被害者感情を満足させるものではない」=立山龍彦(たてやま・たつひこ/東海大学)
◎「人の生命は、もっと尊い」=野々村路子(ののむら・みちこ/岐阜女子大学) ◎「死刑と被害者感情」=三井明(みつい・あきら/弁護士)
◎「被害者危機援護事業の必要性」=山口幸男(やまぐち・さちお/日本福祉大学) ◎「法そのものの自己矛盾」=鷲尾祐喜義(わしお・ゆきよし/立正大学)
A−Q4 死刑は凶悪犯罪の予防に役立つか?
◎「死刑の威嚇力は迷信」=大野真義(おおの・まさよし/摂南大学) ◎「死刑を廃止しても凶悪犯罪は増加しない」=佐々木養二(ささき・ようじ/東北工業大学)
◎「「死刑」が削ぎ取る人権意識」=斎藤義房(さいとう・よしふさ/弁護士) ◎「死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増加するのか」=前田忠弘(まえだ・ただひろ/愛媛大学)
◎「死刑のパラドックス」=増田豊(ますだ・ゆたか/明治大学) ◎「死刑の威嚇力は、一つの神話」=横山実(よこやま・みのる/国学院大学)
A−Q5 世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?
◎「死刑存続は「日本の為政者の方針」」=五十嵐二葉(いがらし・ふたば/弁護士) ◎「世論の中身は何か」=上口祐(かみぐち・ゆたか/南山大学)
◎「自己の信念に基づいて廃止決議を」=神山敏雄(かみやま・としお/岡山大学) ◎「変わりやすく、また不完全な世論の数字」=園田寿(そのだ・ひさし/関西大学)
◎「世論調査の結果は「市民の意見」か」=田村章雄(たむら・あきお/大学院生) ◎「主権者の良心に訴える」=福田育子(ふくだ・いくこ/甲南大学)
◎「世論の前提条件」=松原芳博(まつばら・よしひろ/九州国際大学) ◎「生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない」=三島聡(みしま・さとし/一橋大学)
B−Q1 死刑は残虐な刑罰ではないのか?
◎「死刑の執行待ちの苦痛」=秋葉悦子(あきば・えつこ/富山大学) ◎「「人間の尊厳」を否定し、刑罰の目的を超えた残虐な刑罰」=石橋恕篤(いしばし・ただあつ/富山大学)
◎「残虐な刑罰であることを正しく認識」=石松竹雄(いしまつ・たけお/弁護士) ◎「今世紀中に終わらせたい」=覚正豊和(かくしょう・とよかず/明治大学)
◎「実効性のない刑罰法規」=北原康司(きたはら・やすのり/佐賀女子短期大学) ◎「「積徳」国家に向けて死刑廃止を」=門田成人(かどた・しげと/島根大学)
◎「死刑ほど血なまぐさい残虐な刑罰はない」=佐藤多美夫(さとう・たみお/駒沢大学) ◎「時代とともに変遷する残虐性の基準」=平野泰樹(ひらの・やすき/國學院短期大学)
◎「憐れみの情」=松生建(まついけ・はじむ/海上保安大学校) ◎「死刑は本当に合憲か」=吉利用宣(よしとし・もちのぶ/九州工業大学)
B−Q2 誤判の危険があっても死刑制度は許されるのか?
◎「誤判によってとり返しのつかないものは死刑である」=安里全勝(あさと・ぜんしょう/山梨学院大学) ◎「絶対的刑罰と相対的人間」=安藤博(あんどう・ひろし/茨城キリスト教大学)
◎「死刑存廃議論を契機に」=飯尾滋明(いいお・しげあき/松山東雲短期大学) ◎「刑事弁護の「空白」と一人の「いのち」」=石塚伸一(いしづか・しんいち/北九州大学)
◎「誤りをなさない人間はいないし、誤判のない裁判はありえない」=大久保哲(おおくぼ・さとし/筑紫女子学園短期大学) ◎「誤判にもとづく死刑は「生命の尊厳」に反する」=大塚祐史(おおつか・ひろし/海上保安大学)
◎「再審制度があるにしても、それが絶対的なものとはいえない」=大橋昭夫(おおはし・あきお/弁護士) ◎「死刑は絶対的回復不可能性を特徴とする刑罰」=川崎一夫(かわさき・かずお/創価大学)
◎「現実を直視して死刑廃止を」=川崎英明(かわさき・ひであき/東北大学) ◎「救済回復の道はない」=桑原洋子(くわばら・ようこ/龍谷大学)
◎「誤判の可能性と被害者・国民感情をどう考えるべきか」=繁田實造(しげた・じつぞう/龍谷大学) ◎「やり直しがきかない」=下村幸雄(しもむら・さちお/弁護士)
◎「死刑制度自体が、不要な死刑を創出していないか?」=田淵浩二(たぶち・こうじ/静岡大学) ◎「誤判の危険は死刑廃止の決定的論拠」=中田直人(なかた・なおと/茨城大学)
◎「人間の限界を超える死刑の廃止を求める」=長田秀樹(ながた・ひでき/創価大学)