趣味の経済学  死刑廃止でどうなる?  廃止論者は代替え案の提示を

(6)人の生命は、全地球よりも重いか
残酷な死刑は廃止したい、という感情論
 今週は、日本評論社から出版された『死刑廃止を求める』からの引用を紹介します。この本には多くの人の主張が掲載されている。 その中から興味を引いたものをここに紹介しよう。
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<死刑はやはり廃止した方がよい=佐伯千仭 現在わが国において死刑の存続を肯定する側の理論的な代表者としては、まず畏友竹田直平博士の名をあげるべきであろう。 博士によると、苟(いやしく)も一国の立法が、人命の尊厳と平等を保全しようとする以上、それは当然に、「私はあなたを殺さないことを約束する。 若しこの約束に違反してあなたを不法に殺すことがあれば私の生命を提供する」という社会契約を土台とし前提としなければならない。 しかるに、死刑の廃止を主張する人達は、「私はあなたを殺さないことを一応約束する。しかし、この約束に違反して、恣意的にあなたを殺すことがあっても、あなた達は、私を殺さないことを約束せよ」と要求していることになるのであって、全く筋が通らないといわれるのである (『刑法と近代法秩序』289頁以下、とくに319頁)。まことに説得的で、博士と同じ社会契約説の立場に立てば、これを論破することは難しい。
 それでは、死刑という問題は、殺人という犯罪がなくならない限り、なくなる見込みは全然ないのかというと、そうでもないのである。 今日すでに多くの国で刑罰としての死刑が廃止されているし、とくに1988年12月15日に国連総会で採択された第2選択議定書──正確には「市民的および政治的権利に関する国際規約(1966年12月6日、わが国は1979年に批准)の死刑の廃止を目的とする第2選択議定書── は多くの国によって批准されすでに発効しているのであって、現にわが国もその批准を求められているのである。国連までまったく筋の通らぬ矛盾をおかしているといってすますわけにはいくまい。問題は、もう少し別の角度から考えてみる必要があるように思われる。
 まず、前述の竹田説では、現に裁判の結果死刑に処せられる被告人が、そのような死刑にあたる犯罪を犯し有罪であることが間違いなく真実であると証明されていることが前提になっている。 ところで、有罪の証明とは、裁判官が証拠に照らして被告人が被害者を殺したに相違なく、その点について合理的な疑問を入れる余地がないと確信するということである。 しかし、その裁判もしょせん有限な人間による判断であるから、裁判官自身は疑いの余地がなく、有罪と信じて判決を下したとしても、時にはそれが間違っていることもある。 竹田博士もこのことを否定はされないけれども、ただそんなことはきわめて稀は例外中の例外であるから仕方がないとされるようであるが(前掲書325頁)、これはいかがなものであろうか。
 この誤判の問題は、死刑以外の懲役刑や禁固刑等の自由刑や罰金、科料等の財産刑の言渡についても生じ得る。しかし、それらの場合には、誤判とわかったところで、自由刑では前の有罪判決を取り消して受刑者の身柄を釈放して再び自由の身に立ちかえらせ、あるいは納めさせた罰金等を戻してやれば、何とか一応の取り返しがつく。 しかし死刑の場合には、いったん執行されれば、再び生き返らせることは不可能で絶対に取り返しがつかないのである。間違った、すまなかったといくら詫びたところで、処刑された人は生き返ってこない。 そんなことは滅多にない、まったく例外中の例外だし、秩序維持のためにはそれも止むを得ない犠牲として諦めろと突き離せる問題ではない。 竹田博士の死刑肯定論は、理論的にはまことに一貫しているけれども、この誤った裁判による不当な死刑の執行があり得るということに対しては少し冷たすぎるように思われる。(中略)
 天地自然の運行、あるいは神仏、全能者の摂理である因果応報には、このような間違いは有り得ないであろう。しかし、有限な人間の営みである刑事裁判──正確には警察や検察官の犯罪捜査、訴追から裁判官による刑事裁判の全過程を通じて──では、それにあたる人間達が主観的にはどのように誠実かつ勤勉であろうとも、このような誤判の発生する危険が至るところに孕まれている。 誤判など滅多にない例外中の例外だからやむを得ないものだといって黙殺し去るわけにはまいらないのである。むしろ人間は、人間としての有限性を自覚しその営みについて謙虚であるべきである。 絶対者あるいは神仏の摂理に属する「応報」の道理を人間が自らとり行うなどと思い上がるべきではない。誤りを犯しがちなわれわれ人間にはそんな資格はない。 それができると思うのは人間の思い上がりであるというのが、私の考えである。(中略)
 死刑制度の廃止に反対する人達は、自分自身はそんな死刑になるような犯罪など決して犯さないという固い信念の持ち主であろう。しかし、さきに引き合いに出した免田事件その他の再審で無罪になった人達も、事件に巻き込まれ刑事被告人にされるまでは、同じように自分は決して死刑になるような犯罪は犯さないし、そんな嫌疑を受けるようなこともないと信じていた人々である。 この人達は幸い再審で助かったが、そのように助からないで誤って死刑を執行されてしまった人が何人もいることであろう。同じような目に会わないという保障は誰にもないのである。
 このように間違えば取り返しのつかぬことになる死刑だけは、法の定める刑罰のリストから取り外しておくべきではあるまいか。
 [『死刑廃止を求める』・佐伯千仭(さえき・せんじん/立命館大学名誉教授)『死刑はやはり廃止した方がよい』から]
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<生命の尊重と死刑は両立するか=名和鐵郎> 「生命は尊貴である。1人の生命は、全地球よりも重い」。この言葉は、死刑の合憲性に関するリーディング・ケースとされる1948年の最高裁判決(最大判23年3月12日刑集2巻3号191頁)のなかで用いられたものである。 これを文字通りに解釈すれば、生命は無類の絶対的価値を有するから死刑制度も廃止すべきことになるはずであるが、結論的にはこの判決は死刑を合憲として死刑を容認している。 この判決には論理的な矛盾があることは明らかであるが、連続殺人・強盗殺人・強姦殺人・誘拐殺人など悪質な犯罪に直面する場合には、犯人の生命を尊重すべきか、死刑にすべきかという選択はたいへん困難な決断であろう。 それでは、今日における内外の動向に照らして、生命の尊重という理念と死刑制度とは両立し得るのであろうか。
 この点について、死刑を肯定する立場からは、生命の尊重といっても、他人の生命を奪いながら、その本人に生命だけは尊重されるというのでは、生命尊重の趣旨が一貫せず、被害者やその遺族を含め社会の納得が得られないばかりか、人殺しなどの悪質な犯罪を抑止する観点からも不都合であるといったことが強調される。
 [『死刑廃止を求める』・名和鐵郎(なわ・てつお/静岡大学教授)『生命の尊重と死刑制度』から]
<世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?──変わりやすく、また不完全な世論の数字=園田寿> 89年の総理府世論調査によれば、死刑存置66.5%、廃止は15.7%である。廃止は確かに少数であるが、調査における設問の内容的問題を含めて、国民が犯罪状況についてどの程度の知識をもって回答しているかが問われるべきである。 たとえば、殺罪と強盗によって命を落とす人は年間数百人であるが、実際の死刑判決は年間数件であること、犯罪の総量は史上最高であるが、大半は窃盗と交通関係業過であり、殺人等の凶悪犯は減少傾向にあること、日本は先進国の中でも治安が極めて良好であるにもかかわらず死刑を存置している数少ない国の1つであり、世界から強く死刑の廃止を求められていることなど。 このような情報は国民一般にはほとんど伝わっていないと思われる。与えられる情報量によって、世論の数字は劇的に変化する可能性がある。
 刑罰制度が国民の支持を得ているこのは、刑罰の最も重要な条件の1つである。しかし、国民の多数が支持しているからといって、その刑罰制度が常に正しいとは限らない。かつてフランスが死刑を廃止した時(81年)には、存置62%、廃止33%であった。 変わりやすく、また不完全な世論の数字に、死刑存廃の議論は依拠すべきではないと思う。
 [『死刑廃止を求める』・園田寿(そのだ・ひさし/関西大学)『変わりやすく、また不完全な世論の数字』から]
<世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?──生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない=三島聡> 国民の多数が死刑存置を支持しているからという理由で死刑制度を維持することは、一見民主的なようにみえる。 だが、本当にそうだろうか。国家が一部の国民ではなくすべての国民の利益のために存在すること、そして国民ひとりひとりの持つ利益が国政の上で最大限尊重されなければならないということが民主主義国家の大前提である。 そうだとすれば、生命はその人の生存の基礎であり、すべての生活利益の根源であるから、民主主義国家はこれをすべてに先んじて保護すべき任務を負っているはずである。 したがって、民主主義を標榜する国家が国民の生命を剥奪する権限を持つというのは、この任務に矛盾するといわざるを得ない。そしてこのことは、国民の多数が死刑の存置を望んでいるか否かに左右されるものではない。 なぜなら、世論によって死刑制度の存否を決することは、生命の存続・剥奪を多数決によって決めることを意味し、これは先の前提に真っ向から反するからである。 もちろん、死刑の廃止にあたっては、十分な情報提供を行って、多くの国民の支持が得られるようのするのが望ましい。しかし、その努力が未だ不十分だからといって、死刑を存置すべきだという理屈にはならない。
 [『死刑廃止を求める』・三島聡(みしま・さとし/一橋大学)『生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない』から]
<死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない=白取裕司> 1981年のフランスの死刑廃止法は、わずか1箇条「死刑を廃止する」と規定するのみで代替刑や刑の均衡を図るための条項はなかった。 私が聞いたポワチェ大学(フランス)の刑法の講義では、死刑廃止法をこのようなシンプルなものにしたのは司法大臣パダンテール(当時)の卓見で、おかげで代替刑などの余計な議論を避けるころができた、と説明されていた。
 しかし、死刑復活論者からの攻撃は予想以上に強かった。1986年9月9日法律は、拷問を伴う殺人、15歳未満の少年や保護を要する者、司法官、陪審員、警官などに対する殺人に最大30年の保安期間(絶対仮釈放されない期間)を付すことを認めた。 さらに昨年12月、日本でも報道されたが、15歳未満の未成年に対し性的暴行などの残虐な行為を伴う殺人を犯した者に「真の終身刑」を創設する刑法一部改正案が成立し、本年3月から施行された。
 ここからが、私の意見である。私は、死刑廃止を主張する側から代替刑を提案する必要はないと考えている。理由は、そもそも一国の政策判断として死刑を存置すべきか否かという問題と、廃止と決定された場合の調整措置の問題とは、議論を混乱させないためにも区別すべきだからである。 日本が仮に死刑を廃止して、その後フランスのようにジリジリ後退を続けることになるか否かは、日本の社会ないし政治の成熟度合い次第といえよう。
 [『死刑廃止を求める』・白取裕司(しらとり・ゆうじ/北海道大学)『死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない』から]
<死刑に代わる刑の在り方や制度の模索・検討を=中川裕夫> 死刑の代替刑については、@仮釈放のない完全な終身刑、A安易な仮釈放は運用の問題として解決されるべきで、現行法の無期懲役・禁固(団藤)、 B絶対的無期刑ではなく、再社会化の希望を確保しつつ、人格の破壊に至らないように、判決確定後最低15年または20年間は仮釈放を認めない仮釈放と連動した無期刑(大原)、 C刑の執行後20年を仮釈放起算日として社会感情が仮釈放を承認されうる必要条件とした特別の無期自由刑(加藤)等の見解があげられる。(中略)
 死刑に代わる刑罰として終身自由刑の導入を考える。恩赦により無期の懲役・禁固への減刑を可能とし、人間の尊重、再社会化・社会復帰を目指して処遇する。 また、犯罪被害者補償法を整備・充実して被害者や遺族の応報感情の緩和・解消や物的・経済的援助を行うべきことをも構想するものである。
 [『死刑廃止を求める』・中川裕夫(なかがわ・さちお/龍谷大学)『死刑に代わる刑の在り方や制度の模索・検討を』から]
<刑罰であることを否定する死刑=西嶋勝彦> 刑罰の究極にあるものは、犯罪者の社会復帰である。犯罪者も変わる。そこに犯罪者処遇の原点がある。釈放を予定されない犯罪者は、刑罰においては背理である。
 死刑は、変化とも、社会復帰とも無縁である。そこにあるのは報復思想のみである。
 戦争犯罪=戦争責任者に対して、最高刑の死刑が用意されることとは次元を異にする。人道に対する罪、残虐な他民族支配に対する国際的制裁として何を用意するのか。 被害の甚大さ、正義の貫徹の観点から、戦争責任者に死を求めるのである。それは刑罰ではない。国債法秩序の回復手段とととして責任、ケジメなのである。革命においても、類似の現象がみられる。
 たしかに社会には極悪犯罪もある。変化を期待することに躊躇を覚える殺人犯もいる。社会復帰のない刑罰、つまり仮釈放なき無期懲役刑を対置することによって死刑を回避することはできる。 それは妥協ではあるが、誤判を考えたときは、この刑罰も許容され得るであろう。(誤判の場合に「社会復帰」が可能となる点において刑罰の範疇に止まりうる)。
 [『死刑廃止を求める』・西嶋勝彦(にしじま・かつひこ/弁護士)『刑罰であることを否定する死刑』から]
<合意が得られる代替刑を=林田丞太> 代替刑を導くためには次の2点が重要と考える。第1に、受刑者を社会生活に適応できるよう改善し、彼らに社会復帰を期待する以上、受刑者に希望を失わせる刑罰であってはならない。 代替刑として説かれる終身刑はこの点から認め難い。第2に、凶悪犯罪の累犯者など改善困難な受刑者が存在するという事実である。
 これらの点を考えると不定期刑を導入すべきであろう。現行法の無期刑は運用上、受刑者の改善度合いにより、その多くは比較的短い期間での仮釈放が認められている。 このことは、無期刑が実質的に不定期刑としての内容をもつことを示している。
 そして不定期刑をとり入れた代替刑を簡略に示すと、無期刑の廃止に伴う次の案となる。
 ・死刑→25年以上の不定期刑。
 ・無期刑→15年以上25年未満の不定期刑。
 [『死刑廃止を求める』・林田丞太(はやしだ・じょうた/神奈川歯科大学)『合意が得られる代替刑を』から]
<終身刑も残酷だ=前野育三> (前略)死刑と無期懲役との落差があまりのも大きいので、死刑廃止時に、仮釈放の可能性のない文字どおりの終身刑で代替すべきだという意見もある。 私は、それには反対である。どんなに前非を悔いても、どんなに社会適応への能力をしっかりと示しても、刑務所から出されることがないというのは、やはり耐えられない残酷である。 受刑者が生きていて、日々その苦悩が観察できるだけに、その残酷さは耐えられないものとな、るであろう。観点を変えれば、殺してしまって、この苦悩を表現する機会さえ奪ってしまい死刑が、一層残酷であるのは、言うまでもない。 犯罪事件に関連して最も気の毒なのは被害者であるが、加害者に残虐刑を科したからといって救えるものでもない。
 [『死刑廃止を求める』・前野育三(まえの・いくぞう/関西学院大学)『終身刑も残酷だ』から]
<終身懲役刑の提唱=宮野彬> 死刑に代わる刑罰として「終身懲役刑」を提唱したい。これによれば、生涯、刑務所暮らしということになる。その実態は、(1) 仮釈放はない。(2) 恩赦の適応はない。 (3) 一生、刑務作業に従事する。(4) 刑務所から出られるのは獄死か自殺か再審による無罪のときのみ、ということで、「絶対的無期懲役刑」と呼んでもよい。 これに対して現行の無期刑は、仮釈放や恩赦などが認められるために、「相対的無期刑」と呼べるような内容のものとなっている。 「人を殺したら死刑になる」という意識に代えて、「人を殺したら一生刑務所から出られない」というのも、かなり犯罪の抑止力になるのではなかろうか。(後略)
 [『死刑廃止を求める』・宮野彬(みやの・あきら/明治学院大学)『終身懲役刑の提唱』から]
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<主な参考文献・引用文献>
『死刑廃止を求める』 佐伯千仭+団藤重光+平場安治・編著 日本評論社  1994.12.20
( 2007年4月30日 TANAKA1942b )
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(7)法曹界の死刑廃止論を聞いてみよう
誰も銀行強盗事件は予想もしていない
<死刑廃止論のイロイロ=『死刑廃止を求める』から> 先週、取り上げた『死刑廃止を求める』には、「私の死刑廃止論(意見集)」として多くの死刑廃止の意見が掲載されている。 先週取り上げたのはその一部なので、この他にどのような意見があるか、見出しと著者だけを抜き出して引用しよう。一部先週に引用した文章もあるので、それは先週分を参照のこと。
T 死刑廃止を目指して
「死刑はやはり廃止した方がよい」=佐伯千仭(さえき・せんじん/立命館大学名誉教授)  「死刑廃止論の出発点」=団藤重光(だんどう・しげみつ/東京大学名誉教授) 「死刑廃止を目指して──なぜ、今」=平場安治(ひらば・やすはる/京都大学名誉教授)
U 死刑廃止論の現在
「刑罰制度の本質を考える」=山中敬一(やまなか・けいいち/関西大学教授) 「生命の尊重と死刑は両立するか」=名和鐵郎(なわ・てつお/静岡大学教授) 「被害者(遺族)感情=応報=死刑に疑問がある」=高橋則夫(たかはし・のりお/東洋大学助教授) 「科学的証明がない死刑の犯罪抑止効果」=葛野尋之(くずの・ひろゆき/静岡大学助教授) 「死刑の存続は世論で決まる問題か」=平川宗信(ひらかわ・むねのぶ/名古屋大学教授) 「世界では死刑をどう考えているか」=辻本義男(つじもと・よしお/中央学院大学教授) 「誤判の可能性と死刑制度」=大出良知(おおで・よしもと/九州大学教授) 「「三重の残虐性」をもつ死刑の現実」=村井敏邦(むらい・としくに/一橋大学教授) 「死刑廃止論の現状と課題」=内藤謙(ないとう・けん/創価大学教授)
A−Q1 死刑は正義を守るという観点から必要か?
「近代自由刑の「正義」とギロチンの「正義」」=赤池一将(あかいけ・かずまさ/高岡法科大学)  「正義の意味も考えよう」=荒木伸怡(あらき・のぶよし/立教大学)   「正義を守るための刑罰としては、危険で不完全」=石原明(いしはら・あきら/神戸学院大学)  「正義を守るためにこそ死刑は不要である」=井戸田侃(いどた・あきら/大阪国際大学)   「死刑は廃止すべきである」=井上裕司(いのうえ・ゆうじ/名古屋経済大学)  「アルトゥール・カウフマンの批判」=上田健二(うえだ・けんじ/同志社大学)   「加害者と被害者(遺族)との共生」=岡田久美子(おかだ・くみこ/一橋大学)  「同害報復の理論は破綻している」=笠井治(かさい・おさむ/弁護士)   「応報的正義理念だけでは死刑を正当化できない」=島倉隆(しまくら・たかし/中央学院大学)  「死刑によって守られる正義とは?」=真鍋毅(まなべ・たけし/佐賀大学)   「正義の実現としての死刑は許されるか」=平田元(ひらた・はじめ/三重大学)  「人間の本質から正義と死刑を考える」=船山康範(ふなやま・やすのり/日本大学)  
A−Q2 他人の生命を尊重しない者に対しては、死刑によって生命の尊重を知らしめる必要があるか?
「生命への畏敬を否定しつつ生命の尊貴を知らしめようとは矛盾」=大國仁(おおくに・じん/海上保安大学)  「死刑はヒューマニズムに反する」=大嶋一泰(おおしま・かずよし/岩手大学)   「非難の対象そのものの抹殺より生涯かけての贖罪(悪の善用)を!」=恩田紀治(おんだ・のりじ/大阪府立岬高校)  「生命の尊重と死刑」=甲斐克則(かい・かつのり/広島大学)   「生を否定し死を無価値とする死刑制度」=河田英正(かわだ・ひでまさ/弁護士)  「三つの問題」=楠本孝(くすもと・たかし/中央大学比較法学研究所嘱託研究員)   「殺した者は殺されて当然か」=小西吉呂(こにし・よしろ/沖縄大学)  「死刑廃止を主張するということ」=高内寿夫(たかうち・ひさお/白鴎大学)   「死刑は生体の構造を否定する」=都築廣巳(つづき・ひろみ/東京電気大学)  「生命を尊重しない思想からのみ死刑は正当化される」=中村義孝(なかむら・よしたか/立命館大学)   「人間の尊厳を無視する死刑」=松原昌樹(まつばら・まさき/愛知医科大学)  「生命尊重のこころは、教育活動によって得られる」=山岸秀(やまぎし・しげる/立正大学)  
A−Q3 被害者(遺族)の問題をどのように考えるか?
「殺伐とした社会と死刑制度」愛知正博(あいち・まさひろ/中央大学)  「被害者感情は死刑を正当化するか」=安部哲夫(あべ・てつお/北陸大学)   「被害者(遺族)の救済を考えたい」=稲垣清(いながき・きよし/弁護士)  「死刑と被害者感情」=上田信太郎(うえだ・しんたろう/香川大学)   「死刑は被害者感情を癒していない」=菊田幸一(きくた・こういち/明治大学)  「「被害者感情」が可哀想だ」=酒井安行(さかい・やすゆき/国士舘大学)   「被害者(遺族)との連帯のために」=金澤文雄(かなざわ・ふみお/岡山商科大学)  「「仇討ち」を復活しよう」=佐藤直樹(さとう・なおき/福岡県立大学)   「被害者遺族救済の重要性」=佐藤美樹(さとう・みき/宮崎産業経営大学)  「遺族のためにこそ死刑廃止を」=沢登佳人(さわのぼり・よしと/白鴎大学)   「法制度としての刑罰」=城下祐二(しろした・ゆうじ/札幌学院大学)  「物質的・精神的救済が必要」=竹内正(たけうち・ただし/松山大学)   「二つの疑問」=立石雅彦(たていし・まさひこ/京都学園大学)  「現在の死刑制度は被害者感情を満足させるものではない」=立山龍彦(たてやま・たつひこ/東海大学)   「人の生命は、もっと尊い」=野々村路子(ののむら・みちこ/岐阜女子大学)  「死刑と被害者感情」=三井明(みつい・あきら/弁護士)   「被害者危機援護事業の必要性」=山口幸男(やまぐち・さちお/日本福祉大学)  「法そのものの自己矛盾」=鷲尾祐喜義(わしお・ゆきよし/立正大学)  
A−Q4 死刑は凶悪犯罪の予防に役立つか?
「死刑の威嚇力は迷信」=大野真義(おおの・まさよし/摂南大学)  「死刑を廃止しても凶悪犯罪は増加しない」=佐々木養二(ささき・ようじ/東北工業大学)   「「死刑」が削ぎ取る人権意識」=斎藤義房(さいとう・よしふさ/弁護士)  「死刑を廃止すれば凶悪犯罪は増加するのか」=前田忠弘(まえだ・ただひろ/愛媛大学)   「死刑のパラドックス」=増田豊(ますだ・ゆたか/明治大学)  「死刑の威嚇力は、一つの神話」=横山実(よこやま・みのる/国学院大学)  
A−Q5 世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?
「死刑存続は「日本の為政者の方針」」=五十嵐二葉(いがらし・ふたば/弁護士)  「世論の中身は何か」=上口祐(かみぐち・ゆたか/南山大学)   「自己の信念に基づいて廃止決議を」=神山敏雄(かみやま・としお/岡山大学)  「変わりやすく、また不完全な世論の数字」=園田寿(そのだ・ひさし/関西大学)   「世論調査の結果は「市民の意見」か」=田村章雄(たむら・あきお/大学院生)  「主権者の良心に訴える」=福田育子(ふくだ・いくこ/甲南大学)   「世論の前提条件」=松原芳博(まつばら・よしひろ/九州国際大学)  「生命の剥奪を国民の多数意志によって決することは許されない」=三島聡(みしま・さとし/一橋大学)  
B−Q1 死刑は残虐な刑罰ではないのか?
「死刑の執行待ちの苦痛」=秋葉悦子(あきば・えつこ/富山大学)  「「人間の尊厳」を否定し、刑罰の目的を超えた残虐な刑罰」=石橋恕篤(いしばし・ただあつ/富山大学)   「残虐な刑罰であることを正しく認識」=石松竹雄(いしまつ・たけお/弁護士)  「今世紀中に終わらせたい」=覚正豊和(かくしょう・とよかず/明治大学)   「実効性のない刑罰法規」=北原康司(きたはら・やすのり/佐賀女子短期大学)  「「積徳」国家に向けて死刑廃止を」=門田成人(かどた・しげと/島根大学)   「死刑ほど血なまぐさい残虐な刑罰はない」=佐藤多美夫(さとう・たみお/駒沢大学)  「時代とともに変遷する残虐性の基準」=平野泰樹(ひらの・やすき/國學院短期大学)   「憐れみの情」=松生建(まついけ・はじむ/海上保安大学校)  「死刑は本当に合憲か」=吉利用宣(よしとし・もちのぶ/九州工業大学)
B−Q2 誤判の危険があっても死刑制度は許されるのか?
「誤判によってとり返しのつかないものは死刑である」=安里全勝(あさと・ぜんしょう/山梨学院大学)  「絶対的刑罰と相対的人間」=安藤博(あんどう・ひろし/茨城キリスト教大学)   「死刑存廃議論を契機に」=飯尾滋明(いいお・しげあき/松山東雲短期大学)  「刑事弁護の「空白」と一人の「いのち」」=石塚伸一(いしづか・しんいち/北九州大学)   「誤りをなさない人間はいないし、誤判のない裁判はありえない」=大久保哲(おおくぼ・さとし/筑紫女子学園短期大学)  「誤判にもとづく死刑は「生命の尊厳」に反する」=大塚祐史(おおつか・ひろし/海上保安大学)   「再審制度があるにしても、それが絶対的なものとはいえない」=大橋昭夫(おおはし・あきお/弁護士)  「死刑は絶対的回復不可能性を特徴とする刑罰」=川崎一夫(かわさき・かずお/創価大学)   「現実を直視して死刑廃止を」=川崎英明(かわさき・ひであき/東北大学)  「救済回復の道はない」=桑原洋子(くわばら・ようこ/龍谷大学)   「誤判の可能性と被害者・国民感情をどう考えるべきか」=繁田實造(しげた・じつぞう/龍谷大学)  「やり直しがきかない」=下村幸雄(しもむら・さちお/弁護士)   「死刑制度自体が、不要な死刑を創出していないか?」=田淵浩二(たぶち・こうじ/静岡大学)  「誤判の危険は死刑廃止の決定的論拠」=中田直人(なかた・なおと/茨城大学)   「人間の限界を超える死刑の廃止を求める」=長田秀樹(ながた・ひでき/創価大学)  「回復可能性がない死刑」=庭山英雄(にわやま・ひでお/専修大学)   「遺族の感情、死刑こそ残虐」=原田香留夫(はらだ・かおる/弁護士)  「誤判救済と死刑執行」=久岡康成(ひさおか・やすなり/立命館大学)   「死刑廃止は不正義か」=福井厚(ふくい・あつし/法政大学)  「生命刑としての死刑の特異性」=丸山雅夫(まるやま・まさお/南山大学)   「誤判の危険性こそが死刑廃止の理由である」=道谷卓(みちたに・たかし/関西大学)  「免罪を生む構造が未解体のままでの死刑制度は許されない」=三原憲三(みはら・けんぞう/朝日大学)   「制度として許容されるのは、「終身刑」とすべきである」=村上健(むらかみ・たけし/福島大学)  「誤判の危険がある裁判では、死刑制度を廃止する方向で考えるべきだ!」=山内義廣(やまうち・よしひろ/敬愛大学)   「裁判所に誤判の危険を回避しようとする真摯な態度が見られない」=山本正樹(やまもと・まさき/近畿大学)  「誤判と死刑は切り離せるか」=吉弘光男(よしひろ・みつお/かごや経済大学)  
B−Q3 死刑制度の実際の運用をめぐる問題は?
「議論を回避する姿勢」=指宿信(いぶすき・まこと/鹿児島大学)  「否定できない運・不運」=岩井宜子=(いわい・よしこ/専修大学)   「法相の義務とは」=新村繁文(にいむら・しげふみ青森大学)  「名古屋アベック殺人事件の傍聴席からみる死刑制度」=服部郎(はっとり・あきら/愛知学院だいがく)   「死刑制度の運用にも問題あり」=ホセ・ヨンパルト(José  Llompart/上智大学)  「偏見・不公平の介在を避けられない死刑制度」=松岡正章(まつおか・まさのり/甲南大学)   「死刑の「執行を待つ間」の非人間性」=水谷則男(みずたに・のりお/三重短期大学)  
B−Q4 死刑に代わる刑罰は?
「死刑廃止運動の一歩前進のために」=浅田和茂(あさだ・かずしげ/大阪市立大学)  「死刑廃止の実現を求めるなかで、これに代わるべき刑罰の探索は必要か」=上野達彦(うえの・たつひこ/三重大学)   「新に特別に重い無期刑を制度化する必要はない」=斉藤豊治(さいとう・とよじ/甲南大学)  「死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない」=白取祐司(しらとり・ゆうじ/北海道大学)   「死刑に代わる刑の在り方や制度の検索・検討を」=中川祐夫(なかがわ・さちお/龍谷大学)  「刑罰であることを否定する死刑」=西嶋勝彦(にしじま・かつひこ/弁護士)   「合意が得られる代替刑を」=林田丞太(はやしだ・じょうた/神奈川歯科大学)  「終身懲役刑の提唱」=宮野彬(みやの・あきら/明治学院大学)   「死刑の法的正当性とは何か」=宗岡嗣郎(むねおか・しろう/久留米大学)  「新しい教育系の模索を」=水野益継(みずの・ますつぐ/琉球大学)  
B−Q5 死刑をめぐる国際的動向は?
「死刑廃止への着実な国際的歩み」=非嘉康光(ひが・やすみつ/立正大学)  「司法判断における国際的動向の注視」=山口直也(やまぐち・なおや/一橋大学)  
B−Q6 死刑廃止のとって今後の課題は?
「今や、決断のとき」=足立昌勝(あだち・まさかつ/関東学院大学)  「死刑廃止立法は国民の義務」=生田勝義(いくた・かつよし/立命館大学)   「権利(人権)のための闘争」=大野平吉(おおの・へいきち/専修大学)  「被害者感情をのりこえて死刑廃止を!!」=田中肇(たなか・はじめ/高知短期大学)   「死刑廃止は政治的決断」=寺島健一(てらしま・けんいち/創価大学)  「死刑問題の検討委員会の設置を」=中山研一(なかやま・けんいち/北陸大学)   「刑罰制度の矛盾と死刑廃止」=平澤修(ひらさわ・おさむ/中央学院大学)  「死刑廃止への実現方法」=八木國之(やぎ・くにゆき/中央大学) 「教科書の中の死刑問題」=吉田卓司(よしだ・たかし/西宮市立西宮高等学校)  
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<これだけ多くの人が発言して、銀行強盗事件は思いもつかないらしい> TANAKAの主張は、銀行強盗事件@ABの<人を殺さなくても実質的な死刑⇔人を殺してもシャバの畳の上で大往生>のようなことが起こるとしたら、死刑制度は存続させるべきだ、ということだ。 死刑が残虐だとしても、死刑が殺人事件の抑止力になるかならないか、いろんな意見があるとしても、現実に実質的な死刑が行われる現在、法体系として矛盾があってはいけない、ということだ。
 死刑廃止を主張し、それを正当化しようと、目標に向かってまっしぐらに理論を進めた結果、気配り半径が狭くなり、視野狭窄になっているのだろう。 育種学での用語、「雑種強勢」とか「自家不和合性」という言葉をイメージすると、法曹界の閉鎖性が感覚的に理解できる。
 「B−Q4 死刑に代わる刑罰は?」「死刑廃止側から代替刑を提案する必要はない」ということは、「とにかく今の制度はよくないから壊してしまえ」との主張になる。 「その後どのような制度になるのかは責任を持たない」ということは「暴力を使ってでも現政府を倒してしまえ。その後、誰がリーダーになろうとも──スターリンでも、ヒットラーでも、フセインでも構わない」。日本ではかつて、日本赤軍とか京浜安保共闘とかいうグループがあった。 今でもその考え方は法曹界の中に生きている。
 「A−Q5 世論の支持を根拠に死刑を存置してよいのか?」 ということは、「世論の支持を根拠にしてはいけない」と言いたいのだろう。では何を根拠にするのか? 「われわれ法曹界の専門家は物事を正確に判断できるが、一般人はそうではない。だから多数決原理は採用しない。われわれ専門家が集団を作って、あるいは政党=前衛党を結成して、無知な一般人を指導・教育しなければならない。 そうでなければ<愚衆政治>になってしまう」という主張になってくる。
 TANAKAは、<<デモクラシーとはひどい政治制度である.しかし,今まで存在したいかなる政治制度よりもましな制度である ウィンストン・チャ−チル   デモクラシーとは熱狂的な崇拝の対象になるような完全無欠な主義などではなく,政治的・経済的な個人の自由を保証するための 功利的な制度なのである フリードリッヒ・A・ハイエク>>との考え方を支持し、それが民主制度だと考える。 民主制度では、皆で十分討議し、最終的には多数決で結論を出す、というシステムになっている。その多数決での結論が必ずしも公平でない場合もあるかも知れない。 「六本木あたりのクラブで朝まで踊っていて、社会のことなんかまるで考えていないお姉ちゃんと、日本のこと真剣に考えているオレと同じ一票なのか?」との不満があっても、「稼ぎが悪くて、最低の税金しか払っていない人と、オレのように人の何倍もの税金を払って、日本社会に貢献している人間と同じ一票なのか?」と言っても、選挙では同じ一票。これが民主制度の基本だ。 たとえ「愚衆政治」と非難される可能性があるとしても、隠れコミュニストの描く前衛党が人民を指導する社会 よりも健全だと思う。
 この点に関してもう1つの見方がある。それは「死刑存廃を決めるのは世論ではなく、立法府=国会=国会議員である」ということだ。世論調査で死刑は存続さすべきだとなっても、日本では直接民主主義を採用しているわけではない、国民投票を行うわけではない、国会で刑法を改定すれば死刑廃止はできる。 本当は「国会議員が死刑は存続すべきだ、と考えている」からなのだ。ではなぜ世論調査が問題になるのか?それは、「国会議員は死刑廃止論者と議論をしたくない」からだ。「自分はこのように思う」とは言いたくなく、「世論が死刑廃止を望んでいない」と責任を世論にすり替えていると考えると分かりやすい。 なぜか?答えは「新興宗教の信者と神学論争はしたくない」。
 「死刑執行停止法の制定」という主張がある。これは、「法律を変えずに既成事実を積み重ねて実態を変えよう」ということだ。 日本では、「憲法で軍隊は持てないことになっているので、警察予備隊をつくろう」「反対が余りない。それならこれを保安隊に変えよう」「大丈夫。軍隊ではない、自衛隊をつくろう」 「野党の反対は少ない。自衛隊を海外に派遣しよう」「防衛庁では不満だ。防衛省に昇格しよう」と同じ考え方。
 かつてヒットラーもフランス・イギリス・アメリカの顔色を窺いながら東欧諸国に侵略を始めた。ムッソリーニも関東軍も同じ行動をとった。法曹界の中に同じ行動を取るべきだ、との主張がある。
 「死刑廃止への具体的な道筋」と題された項目はこの本にはない。そこで、TANAKAが廃止論者たちの意見をまとめてみた。
 法務大臣が就任したら「死刑執行命令書にサインしないで欲しい」と訴える。もしサインしそうなら「法務大臣は非人道主義者だ」と非難する。死刑判決が出ても執行されない死刑囚が増える(現在100人を超えた)「実際に死刑は執行されないのだから、死刑判決を出さないように」と世論に訴え、特に民間の裁判員を意識して訴える 裁判で、民間裁判員は死刑判決を出さなくなる「死刑執行停止法」という名の法律を制定し、死刑執行に厳しい条件を付ける「実際に死刑は行われないのだから、法律を現実に近づけて、刑法を改正し、死刑を廃止しよう」と訴える。
 簡単に言えば、「規制事実を積み重ねて、法律を現実に合わせる」こと。 法律というルールよりも既成事実を重視するやり方。これが死刑廃止論者たちの主張を要約した「死刑廃止への具体的な道筋」だ。 こうしたやり方、日本では政治の分野で行われていた。
 憲法9条に次のようにある。
 日本国憲法 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 (2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 このように、日本では軍隊を持つことができないことになっている。そこで、「警察予備隊」をつくろう。これなら反対者も少ないだろう。 警察予備隊に対する反対は少なかった。これなら、「保安隊」に名前を替えても野党の反対は国民に支持されないだろう。思った通りだ。これなら一気に、軍隊ではない「自衛隊に変えよう」。 せっかくアジアでも有数な強力な戦力になったのだから、海外へも派兵できるようにしよう。海外でも活動も定着した。これを機会に「防衛庁」から「防衛省」に昇格させよう「国民のみなさん、自衛隊はこのように日本に定着しました。 憲法を現実に合わせて「改正」しましょう」
 日・独・伊の軍指導者たちは先進国の顔色を窺いながら、植民地政策を拡大していった。政府自民党は国民の顔色を窺いながら、憲法9条を既成事実を積み上げて改定しようとする。 死刑廃止論者も、法律を軽視し、既成事実を積み上げて「死刑廃止」を実現しようとする。法曹界の業界人が法律を軽視し、既成事実の積み上げでルールを変えようとしている。
 いたずらっ子が悪さをしている。周りの人たちは「とにかく戦争はいやだ」「争いごとは起こしたくない」と誰も注意しない。いたずらっ子はいい気になって悪さを続ける。その内に取り返しのつかない犯罪を犯してしまう。いたずらっ子を思い上がらせ不良少年にしてしまった、感情に溺れ「宥和策」しか選択しなかった国民・政府にも反省の余地はある。 法曹界はどうなのだろう?誰も、「法律を軽視し、既成事実の積み重ねで、世論とは違う結果をつくろう」との、いたずらっ子に対して「法律は尊重しなければいけませんよ。たとえ、悪法だと思っていても、国民みんながそれに従っているのだから、法律を守る業界の人間ならなおさら、法律を尊重しなさい。既成事実を積み重ねてルールを変えようなんて姑息な手段はやめなさい」と忠告はしないのだろうか?
 法曹界の専門家であっても、銀行強盗事件を想定することはできない。脇目もふらずに「死刑廃止」を唱えていると、視野が狭くなり、法律家から宗教家になる。専門家以外ではユニークな見方をする人たちがいる。 裁判員制度に関して「陪審員は忠臣蔵をどのように裁くか?」とか、「死刑が廃止されると、必殺仕事人稼業が栄える」とか、「仇討ちが合法化されるとどうなるか?」など、法曹界の匂いのしないところからユニークな発想が生まれている。 規制を緩和して、ロースクールなど止めて、新規参入を促した方がよさそうだ。
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<主な参考文献・引用文献>
『死刑廃止を求める』 佐伯千仭+団藤重光+平場安治・編著 日本評論社  1994.12.20
( 2007年5月7日 TANAKA1942b )
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(8)殺人犯でなくても、実質的な死刑は必要 
銀行強盗以外のケースを想定する
 TANAKAは「死刑制度は存続させるべきだ」と主張する。その根拠として、銀行強盗の例を挙げた。けれども「このような銀行強盗はめったに起きない。 (このように書いたけれど、2007年5月1日、名古屋で大阪国税局の職員が、とても成功しそうもない銀行強盗を働いた。これを例外として扱う) そうした、めったに起きないことを例に主張するのは説得力がない」と反論するかもしれない。確かに、最近はこうした銀行強盗は起きていない。 金融機関への強盗事件は、@特定郵便局への強盗事件。A現金輸送車への強奪事件。この2つのようだ。そこで、初めに挙げた銀行強盗とは違った例を挙げて、「死刑制度存続論」を主張しようと思う。 ただしこれらはすべてフィクションです。「死刑制度存続」を主張するために考え出した作り話です。
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<小学校乱入殺傷事件@> 2001年6月8日午前10時過ぎ、大阪市の小学校に男(当時37歳)が車で乗り付けて乱入した。 男は包丁を振り回しながら、1・2年生の教室に乱入し、1・2年生の児童8人を包丁で切りつけて死亡させ、児童13人と教員2人に重軽傷を負わせた。
 午前10時半頃、事件を聞いて駆けつけた教諭2人が男を取り押さえ現行犯逮捕し、駆けつけた警察官に男の身柄を引き渡した。
 大阪地検は2001年9月に殺人・殺人未遂・住居侵入・銃刀法違反の容疑で男を起訴。 男は、公判では遺族感情や世論を逆なでするような暴言を繰り返し、反省の弁などを述べることはなかった。 2003年9月、被告人宅間某への死刑判決が確定した。
(T注)これは死刑制度が存続していた時代のできごと。その後、死刑廃止論者の活躍や市民運動の活発化によって死刑が廃止された。
<小学校乱入殺傷事件A> 現在小学校の校門に警備員が立哨しているところが多い。これは小学校に暴漢が乱入して児童・生徒が被害を被った事件が起きたからだ。 小学校が児童・生徒にとって安全な場所ではない、というショッキングな出来事が各地で起きた。ここで取り上げる事件はこうした事件の多発から学校・警察が神経質になっているときに起きた。
 まだ警備員が配置するなどの対策が取られていないときのこと、授業中に男が小学校に入ってきた。先生・生徒があっけにとられて見ているうちに、男は1年生の教室に入ってきた。 先生が「授業中です。出ていって下さい」と言うと、男はいきなり刃物を取り出し、子どもたちに斬りつけてきた。アッという間の出来事で、逃げる間もなく数人が斬りつけられ、血を流し始めていた。 騒ぎを聞きつけて職員室から教師が集まってきた。放っておく訳にはいかない。若い先生が暴漢に飛びかかっていった。倒れながら暴漢は先生を斬りつけた。他の先生も飛びかかって暴漢を取り押さえる。 ここに暴漢は先生たちに逮捕された、しかし、児童3人が死亡し、最初に暴漢に飛びかかって行った若い先生は、暴漢に斬りつけられ救急車で病院に運ばれる途中で息を引き取った。
 死刑制度が廃止されたために、先生たちに逮捕された暴漢に対し、検察は無期懲役を求刑した。世間では、「無期懲役が宣告され、真面目にやっていれば、15年ほどで仮出所になり、最後は畳の上で大往生を遂げるだろう」と噂した。
 教訓 民間人は現行犯逮捕に協力するよりも、兎に角「三十六計逃げるにしかず」をモットーとすべし。こう考えるようになってしまう。
<小学校乱入殺傷事件B> 上記事件があってからしばらく後のこと、別の地方で、同じような事件が起きた。この時は、警察官が小学校を回って、状況調査をしていた。 この学校では、不審な動きは感じられないか?もしもの場合の対策はどうなっているのか?警察への通報体制はできているのか?などを調査に来ていた。 そうした状況の下で事件は起きた。
 今度の暴漢は6年生の教室に入ってきた。刃物を振り回す暴漢に対し先生・生徒は抵抗した。机の上の、文房具、カバン、椅子などを暴漢に向かって投げ始めた。 先生は「危ないから、逃げるように」と指示したが、生徒の抵抗は続いた。騒ぎを聞きつけて、職員室にいた警察官も到着した。そのとき生徒の1人が暴漢に捕まった。警察官が「生徒を放しなさい」と言いながら、空に向かって威嚇射撃をした。 一瞬ひるんだ暴漢だったが、別の生徒を捕まえた。警察官は暴漢の足を狙って拳銃を発射する。足に当たって、暴漢は手を離したが、また別の生徒の腕を掴んだ。 警察官は、これっかぎりと、暴漢を狙って撃つ。ここに日頃の訓練の成果が発揮された。一発で暴漢は倒れた。暴漢は実質的な死刑になった。
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<ストーカー殺人事件@> 1999年10月26日午後12時53分頃、S県O市のJRのO駅前の路上で自宅から乗ってきた自転車に鍵をかけようとしていた女子大生(21才)が、突然男に背中と胸部の2ヵ所を鋭利な刃物で刺された。 通行人らが女子大生を介抱したが即死状態だった。目撃者の証言によると犯人は女子大生を刺した後、ニタっと薄笑いしながら逃走したという。
 この事件は、女子大生とつき合っていた男が、だんだん異常な行動を見せ暴力を振るうなどしたことから、女子大生は別れ話を切り出すが、男は家族に危害を加えるといった脅迫をし交際の続行を強要。 その後も女子大生に対する脅迫・ストーカー行為が続いた。警察署に相談に行ったが、「民事不介入」を理由に、O署は全く取り合わなかった。女子大生とその家族に対する脅迫は続いた。そうした状況での殺人事件であったので、犯人はすぐに特定できて逮捕された。 裁判では犯人が無期懲役になり、見張り役の共犯者は懲役15年の刑が確定した。遺族は警察の怠慢を訴え裁判を起こした。 このS県(S県警)に対する国家賠償請求訴訟の判決で、S地裁は、「捜査怠慢」を認め計550万円の支払いを命じた。
<ストーカー殺人事件A> ストーカー殺人事件後、民間の警備会社にボディーガードを依頼するケースが増えた。このケースでは、ガードマンがほんのちょっと油断した隙に、女子大生がストーカーに刺された。 警備員が大声で「ストーカーだ」と叫び、犯人を追いかける。通行人が気づき犯人に飛びかかった。しかし、犯人は飛びかかった通行人を斬り、さらに逃走する。 しかし、人通りの多い道で、多くの人が犯人を捕まえようと取り囲んだ。犯人はさらに1人を切ったが、多勢に無勢、警備員に逮捕された。
 犯人は女子大生を含め3人を殺害した。この被告人に対する判決は死刑ではなく無期懲役であった。 判決が言い渡されたとき、傍聴席には被告に殺された犠牲者の遺族が涙を流して判決に聞き入っていた。 そして裁判官専用の出入り口から裁判官たちが退廷し始めたその時、 「裁判長!あなたは人殺しの味方なのですか?」という声が法廷中に響いた。罵声だった。裁判官たちが罵声を浴びせられたのであった。
<ストーカー殺人事件B> 上記ストーカー事件と同じような事件が起きた。警備員の「ストーカーだ!」の叫び声に多くの通行人が気づき、犯人を取り囲んだ。 犯人はそれでも通行人の1人を掴んだ。手には刃物を持っている。通報により警察官が到着した。「近寄るな!」犯人の叫びで警察官の動きが取れない。「無駄な抵抗は止めなさい」との警察官の声は無視された。「近寄るな!近寄ると殺すぞ!」。 そのように叫びながら、捕まえた通行人の腹を刃物で刺した。通行人はもがくが逃れられない。警察官は銃を構えているが撃つことはできない。後ろから若い男が犯人に近づいた。「近寄るな!」と叫び、犯人は別の刃物をその若い男に投げた。刃物は足に刺さった。 通行人を捕まえたまま、犯人は車道の方に行く。そこには大型バイクがエンジンかけっぱなしのまま、置かれていた。それで逃げようとするに違いない。 ここで逃したら捕まえられなくなる。その時、通行人は思いきり犯人をけ飛ばし、犯人から逃れた。その時警察官の銃口が火をふいた。 ストーカーは実質的な死刑になった。
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<世田谷一家4人殺人事件@> 警察は事件が起こるまでは、「民事不介入」を理由に、事件を未然に防ぐことはしない、ということがハッキリした。 そこで、ストーカー殺人事件以後に民間の警備会社にガードマンを依頼するケースが増えた。この事件も、民間のガードマンが登場する。
 中堅企業社長宅が正体不明の人間に脅迫され始めた。長女の女子大生がストーカーにつけ回され、嫌がらせ・脅迫電話がかかるようになった。この家では民間の警備会社に夜間、自宅を見張って貰うよう「私邸警備」を依頼した。
 高級住宅街・世田谷区上祖師谷の社長宅の玄関先に警備会社の乗用車を停め、警備員2人が夜間警備に当たることになった。2人の警備員は交代で仮眠し、警戒に当たった。2000年12月30日の夜、警備員Aは社長宅の異変に気づいた。 夜中の11時半頃、あちこちの部屋の電気がついたり、消えたりした。警備員Aは仮眠中の警備員Bを起こして家を調べに行った。正面玄関の鍵は掛かっていたが、裏口・勝手口の鍵は掛かっていない。すぐに車に戻り、警備員Bに「コントロールセンターに連絡するように」と言い、 再び勝手口に向かう。静かに扉を開ける。電気がついている。そっと入ると、居間に人が倒れている。よく見ると血を流して死んでいる。そこに警備員Bも入ってくる。 2人で家の中を調べると、台所に男がいた。見つからないように見ていると、男は冷蔵庫にあったアイスクリーム3個とメロンを手づかみで食べ、ペットボトル2リットルを一気飲みした。
 警備員Bはコントロールセンターに事情を連絡し、110番通報するよう要請した。男が気づいた。警備員Aは大声で「こらー、何者だ!」と怒鳴る。血の付いた出刃包丁を振り回す男に対し、警備員は警戒棒で応戦する。 警備員Bが足を切られた。警備員Aの動きが鈍くなる。そこに連絡を受けた警察官が到着した。「無駄な抵抗はやめろ」との警察官の声に男はひるんだ。そのとき、警備員AとBが飛びかかり男を押さえつけた。しかし、若い警察官が手錠をはめようとした一瞬に、犯人の刃物が若い警察官を刺した。 すぐにもう1人の警察官が手錠をはめ、現行犯逮捕した。刺された警察官は救急車で運ばれた病院で息を引き取った。
 室内を調べると、社長は、首や腕など数個所刺され階段の下で死亡。妻の泰子さんと女子大生は2階の階段近くで、数箇所刺されて死亡。礼ちゃんは3階の屋根裏部屋の寝室のベットで窒息死していた
 4人を殺害した男は、無期懲役の判決を受け、その後仮釈放になり、刑務所を出て、最期は畳の上で大往生を遂げた。
 2人の勇敢な警備員のお陰で、男は実質的な死刑にならずに済んだ。そして、若い警察官は自分の命と引換に犯人が実質的な死刑になるのを助けたのだった。
<世田谷一家4人殺人事件A> 上記、世田谷の1家4人殺害事件、最期の警察官が到着してからが違っていたらどうなるか?
 警備員Bが足を切られた。警備員Aの動きが鈍くなる。そこに連絡を受けた警察官が到着した。「無駄な抵抗はやめろ」との警察官の声に男はひるんだ。 しかし、男は警備員Bの足をさらに刺し、警備員Aの足も狙う。警察官は威嚇射撃をする。男はかまわず警備員Aに向かい、警備員Aの足を刺した。「離れろ!」警察官が叫んだ。 警備員Aは倒れながらも男から離れた。その瞬間、警察官は狙いを定め引き金を引いた。男は実質的な死刑になった。
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<9.11同時多発テロ以後> 2001年9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起きた。これ以後テロ対策が強化された。 もし旅客機がハイジャックされ、テロリストが政府重要施設に向かうことが推定されるようになったら、その旅客機は撃墜されることになる。 国家権力は殺人犯を死刑にするし、殺人未遂犯をも実質的な死刑に処することがあるし、そうして、全く罪のない民間人をも殺さなくてはならない時が来るかも知れない。 こうしたルールから目を逸らして「死刑制度」を論じることはできない。
 日本政府が「1人の生命は、全地球よりも重い」と言って日本赤軍の要求を受け入れたために、以後どのような事件が起きたかについては <人の命は地球より重いのか?>を参照のこと。
<国家権力は犯人を殺さなければならない> 死刑廃止論の主要な論点は「人を殺すのはよくない。国家権力が人を殺すのはよくない」ということだ。 しかし、見てきたように、「国家権力は、その権力故に、人を殺さなければならないときがある」ということに気づかなければならない。 死刑が廃止されると、法体系として大きな矛盾が生じる。ありとあらゆるケースを想定して法体系を整えなければならない。素人がいろんな意見を言うことは大切なのことであるけれど、専門家である法曹界の人は、それらを聞きながらも、法体系として矛盾のないものに整えなければ、専門家とは言えない。 法曹界の業界人が素人のレベルで発言するのを見ると悲しくなる。
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<主な参考文献・引用文献>
( 2007年5月14日 TANAKA1942b )
死刑廃止でどうなる
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-2.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-3.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-4.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-5.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-6.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-7.html
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~tanaka1942b/sikei-8.html