両首脳の英断と、その後の悲運
<バチスタ政権打倒>
1959年1月1日カリブ海の小さな島国キューバで革命が起こる。32歳の青年フィデル・カストロとアルゼンチン人の医者であるエルネスト・チェ・ゲバラが中心となって、バチスタ政権を倒した。革命後バチスタ政権と利益を共有していたキューバ人がアメリカへ亡命した。その数は当時のキューバ総人口650万人の約5%にあたる30万人位であろうと推定されている。
アメリカとの関係が険悪になり、経済運営の厳しいカストロにソ連が近づく。1960年2月にソ連とキューバとの間に「キューバ・ソ連貿易援助協定」を締結し、経済援助をソ連に仰ぐことになった。アメリカは直ちにキューバ糖の輸入を停止した。
1960年8月にカストロはキューバでのアメリカ資産を接収し、アメリカ系企業を国営化した。
これに対してアメリカは1961年1月キューバとの国交を断絶した。1962年1月アメリカは米州機構からキューバを除名し、2月3日にはキューバに対する全面的な輸出禁止を断行した。
<キューバ危機 (Cuban Missile Crisis) 1962年10月16日〜10月28日>
マクナマラ国防長官 「キューバを空爆したら、ソビエト人が数百人死ぬ、フルシチョフは猛烈に反撃するだろう。」
テイラー統合参謀本部議長 「全面戦争になる」
ケネディ大統領 「核戦争になるということか」
「全面戦争は核の惨劇に至るのか」と訪ねるケネディ大統領のあの声、この余りに直截な問いかけに、並み居る閣僚は思わず言葉を失って、誰ともつかぬ呻き声だけがテープに残されてる。
ケネディ大統領はキューバ危機の間、ホワイトハウスの極秘会議の模様を録音していた。それを知っていたのは弟のロバート・ケネディだけだと言われている。大統領がダラスで凶弾に倒れた数時間後、録音装置は秘書の手で取り外され、テープは密かに保管された。その後テープはジョン・F・ケネディライブラリーに移され、30年以上もの間、機密とされていた。
冷戦が終わって、秘密とされていたケネディ大統領が録音したテープの封印が解かれてみると、キューバ危機に対処するアメリカ政府首脳陣の苦悩が、これまでとは異なる姿で今に蘇ってきた。
1962年10月カリブ海の小さな島国キューバを巡って、アメリカとソ連が核戦争の危機にあった。ケネディとフルシチョフの両首脳がこの危機にどのように対処したか、ケネディ大統領側からの資料を中心に「軍事介入」「軍事不介入」という面から振り返ってみよう。
1962(昭和37)年10月16日 危機1日目
アメリカのU2型偵察機がキューバ上空で地上の異変を捕らえ、CIAは写真を分析した結果、ソ連がキューバに核兵器を搭載できる中距離ミサイルを持ち込んでいるという結論に達した。情報はケネディ大統領が目覚めるのを待って、ホワイトハウスの寝室に直接届けられた。ソビエトが攻撃用の兵器をキューバに持ち込むような事があれば、アメリカは対抗措置を躊躇わない、
この様に公約していたケネディは、フルシチョフから突きつけられた挑戦状と受け取った。直ちに国家安全保障会議の緊急執行委員会「EXCOM」が召集され、国務長官、国防長官をはじめとする要人が一同に会した。11時50分、ケネディは全員が集まったのを見定めて、録音スイッチをそっと押した。
CIA分析官 「中距離ミサイル発射場と野営地が見えます。布に覆われたミサイルが14基見えます。長さは22メートルです」
ケネディ大統領 「なぜ ミサイルだとわかる」
CIA分析官 「長さです。これはモスクワで行進している写真です。おそらくこんな感じでしょう」
ラスク国務長官 「2つの道が考えられます、1つは速やかにキューバを攻撃する事です。もう1つは、フルシチョフに対し警告を与える事です。ソビエトは戦争の危険を犯していると伝えるのです。
カストロに直接メッセージを送る事も考えられます。ソビエトはキューバを利用しているだけだ、キューバは裏切られるかもしれないと、揺さぶりをかけるのです」
マクナマラ国防長官 「ミサイル基地を攻撃するのであれば、そのスケジュールは、敵のミサイルが使用可能になる前でなければなりません。なぜなら、ミサイルが使用出来るようになった後では、それを取り除くのは、まず不可能だからです。
ミサイルが発射されれば、キューバから半径2000キロの東海岸は、
大混乱に陥るでしょう。空爆が必要であれば、数日、いや、数時間のうちに可能です」
テイラー統合参謀本部議長 「実際には、ミサイルがいつ発射可能になるかを知るのは難しく、確実なタイミングは測り兼ねます。ですから、更に偵察写真を撮って、攻撃目標を正確に把握し、一切の警告無しに奇襲に出るべきです」
国務、国防両長官、それに軍の最高首脳の3人は空爆の実施を唱えた。しかしそこには1つの落とし穴が潜んでいた。
もしミサイルに核弾頭が装填されていれば、空爆は核の報復を招く事になる。アメリカは懸命な偵察飛行によっても、核の存在を確認できずにいたのだった。
キューバに60基のミサイルと60発の核弾頭を配備する。極秘に立てられた計画は、ロシアの川の名前をコードネームとして、アナドゥイリ計画と命名され、フルシチョフ以下15名の最高幹部が署名した。
オレグ トロヤノフスキー(当時フルシチョフの外交顧問) 「私は、これは極めて危険な計画ではありませんか、とフルシチョフに尋ねました。するとフルシチョフはこう答えました。我々はアメリカ人と同じ事をしているだけだ
アメリカ側はトルコやイタリアやイギリスに、核ミサイルを配備したのだから、我々は、アメリカの例に従っているだけなんだ」
それから2ヶ月後、ソビエトがかつて試みた事のない、大掛かりな核輸送作戦が密かに始った。
遥かカリブの海まで9000キロ、出航した貨物船は85隻、将兵の数は4万4000人にのぼった。
中距離ミサイル基地の完成予定は10月の末だった。送り込まれたソビエトの将兵は、農業技術者を装って秘密のアナドゥイリ作戦を進めていた。
10月18日 危機3日目
マクナマラ国防長官 「フルシチョフと事前に話し合う事なくキューバを空爆したら、ソビエト人が何人死ぬだろうか、大規模空爆の場合、我々はナパーム弾を使う事になる。少なくとも数百人のソビエト人が死ぬかもしれない、我々の空爆で、多数の犠牲者が出た場合、フルシチョフはどう出るだろう、相当強く出るに違いない、空爆の代償は高くつくだろう。少なくともフルシチョフは、トルコやイタリアに配備した我々のミサイルの撤去を求めてくるに違いない」
財務長官 「ベルリンがやられるのではないか」
ケネディ大統領 「そうだ、フルシチョフは何としてもベルリンを取るつもりなのだ。アメリカが空爆をするなら、ソビエトはベルリンを取る。フルシチョフはそう言うだろう」
マクナマラ国防長官 「ソビエト軍がベルリンに侵攻するというのですか」
ケネディ大統領 「そのとおり」
マクナマラ国防長官 「ベルリンの米軍はやられますよ」
テイラー統合参謀本部議長 「全面戦争になる」
ケネディ大統領 「核戦争になるということか」
10月19日 危機4日目
朝、軍の首脳がホワイトハウスを訪れた。軍はその後の偵察によって、新たに2つのソビエトの長距離ミサイル基地が建設中である事を
突きとめていた。その射程は4500キロ、アメリカ本土の98%を攻撃できる能力を備えていた。
空からの奇襲を強く主張する空軍のトップ、ルメイ将軍は武力行使に首を立てに振らない大統領に詰め寄った。
ルメイ空軍参謀総長 「私は大統領とは違い、キューバを爆撃してもソビエトは、ベルリンで反撃する事はないと考えております。海上封鎖は、ミュンヘンの宥和主義と同じくらい悪しき選択です」
ケネディ大統領 「諸君の見解は尊重する。しかし、海上封鎖を我々が選択する理由は、全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ」
ケネディは、テープを回したまま退席した。将軍たちが大統領を悪し様に言う様子が録音されている。
シュープ海兵隊司令官 「ルメイよ、お前大統領の痛いところを突いたな。大統領がいうエスカレーションとは、言葉のあやだ。キューバに行って叩くだけだ。エスカレーションなんて起こらない」
10月22日 危機7日目
ケネディは、キューバで進行している危機を、アメリカ国民に初めて公表した。
「この1週間で、次の事実が判明した。キューバにソビエトの攻撃用ミサイル基地が準備されている」
「キューバへの攻撃兵器の海上輸送に対し、臨検・クアランティーンを実施する」
西側陣営が、フルシチョフの挑戦を受けている。ケネディは、キューバを海上から封鎖する事を
世界に明らかにした。この封鎖措置は国際法上の戦争行為に近いものだった。ケネディは、これがソビエトの反撃を呼ぶ事を
懸念して、「クアランティーン」、臨検と穏やかに表現したのだった。
10月24日 危機9日目
アメリカ大西洋艦隊の総力を挙げた封鎖作戦が発動された。
オレグ トロヤノフスキー 「フルシチョフに向かって、クズネツフ外務次官がこう発言しました。アメリカがキューバを巡り、私達に圧力をかけている、私達も西ベルリンに対し、行動を取るべきではないでしょうか、これを聞いたフルシチョフは、大変怒って言いました。我々は早くこの危機から抜け出すべきだ。君は我が国を、更にもう1つの冒険に陥れようと言うのかね」
アナトーリ グリブコフ(当時ソビエト軍参謀本部作戦作戦部長) 「クレムリンの命令はこうでした。攻撃を受けた場合、全ての武力を使って、アメリカの侵略に反撃せよ、しかし、スタチェンコのミサイルと、ベロボロードフの貨物は使うな、とね、スタチェンコは、ミサイル師団の司令官、ベロボロードフは、核弾頭を管理する大佐でした」
10月26日 危機11日目
フルシチョフはミサイルの撤去を決意、深夜、執務室に篭り、ケネディへの書簡を報執し始めた。
10月26日と27日の両日、ケネディはフルシチョフから2通の書簡を受け取った。1通目は、外交ルートで届いた9ページにわたる、長文の私信だった。
フルシチョフからケネディへの書簡 「大統領閣下、私の気持ちを貴方もお分かりの筈です。平和は誰にとっても重要です。もし、アメリカがキューバに侵攻しないと約束すれば、ソビエトの軍事専門家がキューバにいる必要もなくなります」
ケネディへの2通目の書簡は、モスクワ放送を通じて伝えられた。その中にフルシチョフはソビエト側の交換条件を忍び込ませていた。
モスクワ放送 「我がソビエトの安全を考慮して、トルコにあるキューバと同じ兵器を撤去していただきたい」
10月27日 危機12日目
ケネディ大統領 「フルシチョフの新しい提案の内容は間違い無いのだな、トルコ政府とどう話せば良いのだ」
ニッツェ国防次官 「トルコ政府はミサイルの撤去を断固拒否するでしょう。現政権の威信を傷つけ、政局にも影響を与えるからです」
マクナマラ国防長官 「こちらが回答する前に、提案を変えてくる相手と交渉などできるわけがない」
トンプソン前駐ソ大使 「昨夜の長い手紙は、フルシチョフが1人で書き、党のチェックを受けていなかったのではないでしょうか」
ケネディ大統領 「ソビエトとの取引を拒んで、キューバへの空爆を実施すべきだろうか、今、目先のトルコのミサイルを守って将来、愚か者とそしられるのは止めようではないか」
テイラー統合参謀本部議長 「大統領」
ロバート・ケネディ司法長官 「返事はこれで良いんじゃないか?2通目の手紙については、詳しく触れる必要はないだろう」
テイラー統合参謀本部議長 「大統領閣下、統合参謀本部は本日午後次の結論に達しました、キューバへの大規模な空爆を明後日、月曜の朝に実施すべきです。そして空爆実施の7日後には、キューバへ侵攻すべきです」
ロバート・ケネディ司法長官 「それは驚きだ」
ケネディ大統領 「その理由を聞こう」
テイラー統合参謀本部議長 「待てば待つほど、状況は悪くなります」
ケネディ大統領 「何かを見つけたのか?」
テイラー統合参謀本部議長 「いえ…」
ケネディ大統領 「もういい、ロバート、国連大使にフルシチョフ宛手紙の内容を伝えてくれ、次の問題はトルコとNATO同盟国だ」
モスクワとの交渉の糸口を探っている頃、U2型偵察機がキューバ上空に侵入し、その偵察機をソビエト軍の対空ミサイルが撃墜した。
マクナマラ国防長官 「決断を急がなければなりません。U2型機が撃墜されました。ミサイル基地を偵察中に撃たれたのです」
ケネディ大統領 「向こうのエスカレーションか?」
マクナマラ国防長官 「そうです、これはタイミングの問題です、これからは我々も空爆を考えなければなりません」
ケネディ大統領 「昨夜のフルシチョフの手紙をどう説明する、向こうは態度を変えて攻撃に踏み切ったのか?」
マクナマラ国防長官 「わかりません」
テイラー統合参謀本部議長 「向こうは、今、攻撃すべきだと考えたのです、問題はこちらがいつ報復すべきかです」
この瞬間、ケネディ兄弟は閣議室を抜け出して、別室に姿を消した。ケネディは弟のロバートに、極秘交渉の相手である、ソビエトのドブルイニン大使と接触を始めるよう命じた。
ロバート・ケネディ司法長官は、ソビエトのドブルイニン駐米大使を司法省に呼び出した。
アナトーリ・ドブルイニン(当時ソビエト駐米大使) 「ロバート・ケネディは、私にこう言いました。これは、大統領の最後通牒ではありませんが、どうか、明日中に回答してください、軍は大統領に圧力をかけてきています。このまま行くと、大統領は軍を抑えきれないかもしれません。
トルコとキューバの取引の話し合いは可能です。ただ大統領はNATOと相談せずに、1人でトルコのミサイル撤去を決定しなければなりません。我々が取引した事を、秘密にしたいのです」
ケネディは、ドブルイニン大使に、トルコのミサイル撤去を約束した事を伏せたまま、EXCOM会議を召集した。
ケネディ大統領 「もし明日も、我が方の偵察機に攻撃があり、ロシアからの回答が無かったら、月曜日に声明を発表しよう、ソビエトがU2型機を撃墜した事を、今後アメリカは、キューバに対して行動を起こす用意がある事を、世界に伝えるのだ」
フルシチョフは、ドブルイニンの報告を受けて、ミサイル撤去を決断し、それをロバート・ケネディに伝えるよう指示した。
この時フルシチョフは、ドブルイニン大使にケネディ宛の極秘書簡を託していた。国家の最高機密とされていたその書簡が、このほど公開された。
フルシチョフ 「大統領閣下、トルコのミサイル撤去はデリケートな問題であり、秘密とする事を承知しました。これが平和への第1歩であると信じます」
10月28日 危機13日目
フルシチョフがキューバからのミサイルの撤去を発表 ここにキューバ危機、米ソ両超大国の全面的な核戦争の危機はなくなった。
10月29日
ケネディは、フルシチョフとの密約を側近や軍幹部にも明かす事無く、キューバ危機の幕を引こうとしていた。
シュープ海兵隊司令官 「気になる事が1つあります。もしキューバにある核兵器が、あのカストロの手に渡ったらどうなりますか?」
ケネディ大統領 「ソビエトはキューバに核を渡さない。我々がトルコに核管理を任せないのと同じだ。誰も核管理を手放しはしない」
この会話を記録して間もなく、キューバ危機の録音は終わっている。
11月9日
ミサイルを搭載したソ連の船舶がキューバを出港。アメリカの艦艇が併走し、ミサイル撤去を確認。
これをきっかけに米ソ間では冷戦解消への歩み寄りが進み、1963年7月には両国間にホットラインが敷かれ、また8月には米英ソ3国による部分的核実験停止条約が調印され、10月10日から発効した。
<指導者のその後>キューバ危機のケースは「軍事介入」なのか「軍事不介入」と言うべきか、ケネディの決断は少なくとも「とにかく戦争はいやだ」の宥和策ではなかった。フルシチョフの決断は強硬派軍部を押さえての勇気ある選択であった。
そして両首脳の決断は、相手側との密約を隠して、政府内の反対意見を無視して、トップの独断によるものだった。それは危機に際しての「デウス・エクス・マーキナ」と言うべき決断であった。
これだけの歴史的決断を下した首脳たち、これで燃え尽きたのだろうか、ケネディ大統領は1963年11月22日凶弾に倒れ、ロバート・ケネディは1968年6月6日ロス・アンジェルスで銃弾を受け翌日死亡、フルシチョフは1964年10月解任され同年末にはすべての役職を解任された。
農業政策の失敗と発表されたがキューバ危機に対しての軍部強硬派の動きがあったことは間違いない。
( 2003年5月26日 TANAKA1942b )
<補足>キューバ危機に関して、参考になる文章があったので引用しよう。
キューバ危機と北朝鮮の外交の似たところ ゲーム理論を利用した瀬戸際外交(brinkmanship)についての分析の古典的な事例は、1960年代初めのキューバ危機だ。当時、冷戦下にあったソビエト連邦(ソ連)は、キューバにミサイル基地をつくろうとしていた。
これに対して、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は、米ソ間で核戦争になる危険があるのを承知しながら、非常に強行な姿勢を示し海上封鎖をした。幸いなことにソ連が譲歩して基地建設を断念したにで最悪の事態にはならなかったが、一つ間違えば大変なことになるところだった。
ただ、ケネディの脅しをソ連に通用させるためには、そこまで危機的状況にもっていく必要があったとも解釈できる。もしケネディ大統領の脅しが偽物であれば、ソ連もそれを見透かして基地を建設してしまっただろう。
しかし、いったん海上封鎖を大統領が命じた後は状況が異なる。ソ連が基地建設を続けようとし、その時点でケネディ大統領が危機的な紛争が起きないように止めようとしても、現場の暴発などで紛争が大きくなることもありうる。軍隊はいったん命令が下れば、大統領でも止められないことがあるからだ。これがソ連には脅しとなって、基地建設を止めることにつながったと考えられる。
さて、北朝鮮の場合はどうだろう。
核開発やミサイル実験などで脅しをエスカレートさせていくのは、まさに瀬戸際戦略である。日米韓が譲歩しなければ、最悪の事態になりかねない。暴発するようなことがあれば、北朝鮮政府のトップにも止めれれないかもしれないという脅しが効いている。
こうした国際紛争や戦略交渉なども、ゲームの理論的な手法で分析が可能である。外交や安全保障の分野では、ゲームの理論が幅広く利用されてきている。
(伊藤元重著「経済学的に考える」日本経済新聞社 2003.9.22 から)
(5)不法行為の機会費用
ヤバイことすると、結局は損するよ
<汚職の被害者はどこに居る?>
1998年の初め、大蔵省金融検査部幹部職員の接待汚職に非難が集まっていた。ところで接待汚職の被害者は誰だろう?
2001年には外務省の裏金つくりが問題になった。この外務省を改革しようと国民の期待を担って登場した田中真紀子大臣の戦いは、道半ばで足を引っ張られて挫折した。
この外務省の裏金つくりの被害者は誰だろう?業者が政治家に賄賂を贈り公共事業を受注したとしよう。受注した業者は言うかもしれない、「それだけ努力して情報を集めて金も使った。ただ見積書作成だけに時間をかけた業者とは違う」と。
こんな考えもあるだろう。「贈収賄は多くの場合、贈賄側も収賄側もそれぞれに得をしている。それでいて第三者に具体的な損害は与えていない。賄賂によっては結果的にはよい決定が行なわれることさえありうる。したがって、賄賂は必ずしも悪質な犯罪ではない。
賄賂をもらう立場にない一般庶民の非難は、要するに嫉妬にすぎないのではないか。「賄賂に対する庶民の怒り」、その正体は嫉妬であり、もしも賄賂を提供されるほどの高い地位にいて、賄賂を受け取っても発覚しなそうだ、となればほとんどの人はその誘惑に負けるだろう」
声高に公務員の汚職を非難する人、しかし立場が入れ替わったらどうなるか?賄賂を断固拒否できるのだろうか?そして、だからそのことが贈収賄を禁止するルールが必要となる。つまり、誰でもチャンスさえあれば受け取る賄賂、これを無制限認めたらどうなるか?
それを考えると贈収賄罪の必要性が分かってくる。
贈収賄に似た例として、スピード違反、カンニング、インサイダー取引がある。これらは必ずしも第三者に損害を与えるわけではない。しかしこれらのルールは、個々のケースについて実害がなければいい、というのではなく「例外なしに一般的な禁止をする」ことに意味がある。
これらのルールは、それがある方が、ない場合に比べて明らかに全体の利益になる。このような判断の原則が「ルール功利主義」と呼ばれている。これに対して、個々の行為を、それがもたらす利益・不利益に応じてその都度判断する立場を「行為功利主義」と言う。一般に、ルールの是非を考えるのに、この行為功利主義を持ち出してケースバイケースで判断する、というのは間違っている。
ルールを話題にするともうひとつの分類に気がつく。それは「法治主義」と「人治主義」だ。われわれの住む「民主制度」の社会(Democracy)では「ルール功利主義(「ルール原理主義」ではない)」や「法治主義」と相性が合う。ところで「軍事不介入の政治経済学」、先週まで4回にわたっていろいろな事例を見てきた。
今週から後半、少し違った観点から話を進めて行こうと思っている。そして「ルール功利主義」の社会であることを前提として話を進める。しかし、そうでありながら緊急時・危機の時・有事には日常のルールは適応できない場合がある、つまりこうした非日常時には通常とは違った基準によって行動することがある、民主制度の国にあってもルール功利主義ではなく「デウス・エクス・マーキナ」と言うべき、指導者の独断が行き止まりに見えた道を切り開くこともある、というような話に持って行こうと思っている。
どこまで筋の通った論理になるか?精一杯知恵を絞ります。ご期待ください。
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<不法行為とその機会費用の大きさ>
いたずらっ子が悪さをしている。周りの人たちは「とにかく戦争はいやだ」「争いごとは起こしたくない」と誰も注意しない。いたずらっ子はいい気になって悪さを続ける。その内に取り返しのつかない犯罪を犯してしまう。いたずらっ子を思い上がらせ不良少年にしてしまった、感情に溺れ「宥和策」しか選択しなかった国民・政府にも反省の余地はある。ではどうすれば良かったのか?答え=早い内に「そんなことをしては、いけないよ」「結局自分が損するよ」ということを分からせる事。
経済学でよく使う言葉「機会費用」(Opportunity cost)を使えば、「不法行為とその機会費用の大きさ」を知らしめること、となる。
1998年1月26日東京地検特捜部は大蔵省金融証券検査室長宮川宏一(53)と金融検査部管理課課長補佐谷口敏美(48)を収賄容疑で逮捕。あさひ・第一勧業・三和・北海道拓殖銀から高額の接待を受け、検査日程を事前に漏らした疑い。宮川容疑者が約700万円、谷口容疑者が約227万円の接待と利益供与を受けたとされる(現金は受け取っていない)。
ここでは、倫理とか「うらやましい・憎らしい」といった「感情」の問題を損得「勘定」の問題に置き換えて考えてみることにする。
まず、この職員が接待を受けずにこのまま仕事をしていたらどうなるか?大蔵省を退職し、どこか天下り先を渡り歩くだろう。そうすると大蔵省の給料・退職金、天下り先の給料・退職金をもらう。これらの合計は一億円を軽く超えるだろう。つまり接待汚職が発覚して1億円以上将来の収入を失ったわけだ。汚職の発覚する確率がたったの2割程度と考えても、その機会費用は2000万円。さらにいつか発覚するのではないかと常に心配し、有罪になった場合の罰金をも考慮すれば損益分岐点はもっと上がるだろう。
日本では大蔵官僚にとって接待汚職は割に合わない仕組みになっている。マスコミが非難を集中させる「天下り」が不正行為を防ぐ抑止力になっているのだ。
このように考えると、あの二人は大蔵官僚のなかにあって珍しく計算の不得意な二人だったのだろう。接待を受けるのが得か?受けないのが得か?将来の収入を計算すれば簡単に分かることなのだから。したがってこのような汚職を減らすには、1)検挙率を上げる、2)損得勘定で考えても割に合わないことを周知徹底すればいい。
詳しくは「接待汚職の経済学」でどうぞ。
<米国同時多発テロを経済学する>
2001年9月11日テロリストが民間航空機4機をほぼ同時に乗っ取り、ニューヨークの世界貿易センタービルなどに激突。約3,000人が死亡した。翌12日、ブッシュ大統領は「戦争行為」と非難し、報復を宣言。10月7日、米英軍がアフガニスタン空爆を開始。11月13日、タリバンが首都カブールから敗走、事実上の政権崩壊。2002年3月2日、米軍がアフガン東部でビンラディン氏率いるテロ組織アルカイダに対する大規模な掃討作戦を開始。
テロリスト集団アルカイダを守ってきたタリバン政権は崩壊。
米軍の作戦を報復行為として捉え「罪のない一般市民が犠牲になる」との非難があった。TANAKA1942bの論理は「テロは割に合わない事業だと悟らせることが大切だ」となる。
詳しくは「テロは割に合わない事業だと悟らせる 」でどうぞ。
<偽装表示の損益計算書>
牛肉偽装事件を起こした食肉最大手の日本ハム(本社・大阪)は20日、03年3月期の業績予想を下方修正し、連結当期損益が10億円の赤字になる、と発表した。赤字になれば51年の創業以来初めて。不祥事発覚前の5月に発表した当初予想は190億円の黒字だった。一連の不祥事で、連結子会社の牛肉販売自粛や、店頭での製品撤去が広がったことによる売り上げ高減少が響いた。来期は黒字転換する見込み。(2002年9月21日 朝日新聞)
この記事から、日本ハムの発覚による損失は200億円となる。1000万円の不正利益のために200億円失ったわけだ。発覚する確率がたった 0.1%(1000件の不正行為の内発覚するのが1件)としても、その機会費用は2000万円。「悪いことをした」と非難するより、「バカなことをしたもんだ」と笑う方が合っている。
日本ハムがせめてもの罪滅ぼしとして、「食肉偽装事件の損益計算書」と題した詳しい経緯と数字を発表したら、他の会社でも「あんなバカなことはやらないようにしよう」「ルール違反すると結局は損をする」と、社員に周知徹底することになる。
詳しくは「偽装表示の損益計算書」でどうぞ。
<いたずらっ子が不良になる>
いたずらっ子が悪さをしている。周りの人たちは「とにかく戦争はいやだ」「争いごとは起こしたくない」と誰も注意しない。いたずらっ子はいい気になって悪さを続ける。その内に取り返しのつかない犯罪を犯してしまう。いたずらっ子を思い上がらせ不良少年にしてしまった、感情に溺れ「宥和策」しか選択しなかった国民・政府にも反省の余地はある。
フセイン政権が続いていたらどうなったであろう?国連の査察団に適当に対応しながら、「わが国は十分制裁を受けた。これからは主権国家として自国の平和と安全に責任を負うことを宣言する」と、大量破壊兵器を開発した時点で表明したに違いない。
拡散した核を元に戻すのは不可能、まるでエントロピーのようだ(熱力学の第2法則)。かつて一部のマスコミが「地上の楽園」と呼んだ彼の国、核保有国となったらアジア軍事情勢はどう変わるだろうか?1962年10月16日からのキューバ危機 (Cuban Missile Crisis)が思い起こされる。「とにかく戦争はいやだ」との市民感情では対応できない危機になることは間違いない。
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<言霊の国、日本での強行論>
井沢元彦著「言霊」に興味を引く文があったので引用しよう。
たとえば、日本の航空機がハイジャックされたとしようか。テロリストたちが乗客何百人かを人質に取って、何らかの要求をしたとする。この場合、解決策はまず2つ考えられる。1つは全面屈伏であり、テロリストの要求にすべて従うことだ。そしてもう1つは強行突破であり、特殊部隊を突入させ、犯人全員を射殺し人質を解放する。そして、この両極端の方策の間に無数の折衷案がある。
日本では「人命は地球より重い(?)」ということで、強行突破など論外だという空気が強いが、対応策というのは、本来テロリストの要求によって違ってくるべきものだ。
相手の要求が金ならいいが、たとえば「イスラエルはパレスチナから出て行け」というような、とても従えないような要求だったらどうするのか。金では片はつかない。かといって、相手は要求が通らなければ人質を皆殺しにすると言っている。だとすれば、作戦は強行突破を中心に考えるしかない。イスラエルが特殊部隊をよく突入させるのは、こういう背景があってのことである。
そして、こういうことを続けていれば確かに乗客側に犠牲者も出るが、犯行自体も減ってくる。テロリストにしても必ず強行突破されるなら、メリットがないから止めておこうということになる。逆に、常にテロリスト側の要求を全面的に聞き入れていれば、あそこの国は必ず金を出すから狙ってやれ、ということにもなる。もしそういう事が続けば、その国のエアラインは、世界中のテロリストに狙われることにもなりかねない。
現に1977年(昭和52年)の日航機ダッカ空港ハイジャック事件の際、日本政府が犯人側に600万ドルを支払ったうえ、奥平純三、泉水博らを「超法規的処置」で釈放した時も、実は強行突破論もないではなかった。特に外国のマスコミには、そういう意見も堂々と載った。
そこで問いに戻るが、仮にあなたがハイジャック問題の専門家だとする。そしてまた同じような事件が起こり、あなたが専門家としての知識と経験をフルに生かして冷静に客観的に検討した結果、「今回は犯人の要求に従うべきではない。人質に多少の犠牲者が出ても強硬突破も止むを得ない」と結論が出たとする。あなたはそれをテレビで発表できるだろうか?
できると答えた人は、よほど信念のある立派な人か、さもなくば相当なウソツキだろう。私にはとてもそんな勇気はない。仮に勇気を奮って発表したとしよう。その瞬間からテレビ局には非難・抗議の電話が殺到することになる。曰く「それでも人間か?」「家族の気持ちを考えろ」「なぜあんなことを言わせた」・・・・。
そしてたまたま政府が同じ方針で強行突破を行い、人質に死者が出たとしよう。すると、あなたはますます非難されることだろう。曰く「おまえがあんなことを言うからこうなったんだ」「お前の責任だ」「遺族にあやまれ」・・・・・。
(井沢元彦著「言霊(ことだま)」祥伝社 1991(平成3)年2月1日から)
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<最大の機会費用は死刑制度>
「悪事を働いて、いい思いをしようとしても、結局は損をするよ」ということを周知徹底することが犯罪の抑止力になる。失敗する確率がたったの2割(成功率80%)としても「やったら損する」と思えば抑止力が働く。そうして最大の抑止力が死刑制度だ。死刑制度のあることが人殺しをしそうになった時の抑止力になる。量刑を「犯した犯罪から決める」考え、もうひとつは「犯そうとする犯罪の抑止力効果として決める」考え。
「正義と法の経済学」として「抑止力効果としての量刑」も考えるといいだろう。この場合「発覚する確率」がポイントになる。そして、もうひとつ、死刑制度を廃止したら?「懲役100年とか200年、仮釈放なし」としたらどうなるか?どんなに真面目に模範囚となっても仮釈放なし、どんなに不真面目で、たとえ刑務所で人を殺しても懲役200年が300年になるだけ。模範囚へのインセンティブはなし、自分では自分の運命を良くも悪くも変えられない。ムゴイ刑だと思う。
( 2003年6月2日 TANAKA1942b )
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(6)G・ハーディン「救命艇に生きる」状況
民主制度と機械仕掛けの神
<共有地の悲劇=The Tragedy of the Commons>
誰にでも開放されている牧草地を想像してもらおう。牧畜をしている人は誰でも、共有地にできるだけ自分の家畜を放牧しようとする。そして自分に問い掛ける。「自分の家畜をもう1頭増やしたら、自分の利益はどうなるだろうか?」と。
答えははっきりしている。「もう1頭増やすことにしよう」となる。
今、この共有地が広大であるか、利用する人がごく少数であれば特に問題は起こらない。「希少性」の制約が事実上現れてこないからだ。しかし、そうでない場合は、やがてこの共有地が養うことのできる家畜の数を超えて家畜が放牧され、牧草は不足し始める。
それでも人々は、「自分の家畜くらいはなんとかなるだろう」と考えて、過密化した土地に家畜を放つことを止めない。その結果、牧草は食い尽くされて裸の土地になる。表土が流れ去ったりすると、この土地は不毛の砂漠となる。こうして放牧できる共有地は永久に失われることになる。
現代日本の世相に合わせて翻訳するとこうなる。町の中に所有者不明、あるいは管理者不明の空き地があると、そこはしばしばゴミ捨て場になる。誰かがゴミを捨てると、次々とあとに続く人が出て、やがて悪臭を放つゴミの山ができる。すべての環境汚染問題はこれと同じ構造をもっている。「自分ひとりくらいはいいだろう」との意識で便利な生活を追及し、フロンガス、生活廃水、産業廃棄物などの「ゴミ」を捨てて、その結果環境を破壊している。
<その解決方法>
いったいどうしたら良いのか?いろいろなやり方がある。私有財産として売り払うこともできよう。それを公共財産として維持して、そこへ出入りする権利を分配することもできよう。そして分配は競売に付して金銭によることもできよう。ある協定された規準に基づいて、功績によって分配することもできよう。また抽選によることもできようし、整然とした長い行列を作らせて、先着順によることもできよう。
どれも、合理的な可能性を持っているとも言えるし、不満なものとも言えよう。しかし、選ばなければならない。そうでなければ、共有地を砂漠にしたり、町中をゴミ捨て場としてしまうからだ。ではどうしたらいいのか?
(1) 罰則を伴う環境利用のルールをつくる。
(2) 管理者を定めて管理させる。
(3) 共有地を売却し、私有地とする。その管理は所有者の責任となる。
(4) 環境利用料金をとる。環境が悪化する恐れがあれば、その料金を「禁止的な」高さに引き上げる。
こうした解決案のうち、(1)(2)は海洋資源、大気、森林など、地球規模の環境保全に不可欠なもの。問題はそのルールの内容とその管理者だ。1国レベルではあまり問題にならないが、国際的共同管理となると、責任の所在が曖昧になる。
対象となる環境が小さければ、(3)(4)のような解決も可能になってくる。資本主義嫌いの人は反発するが、自分の土地となれば、そこが荒廃しないように知恵を絞って管理するだろう。ホームレスが生活する都会の公園、私有地となれば様子が違ってくる。
(4)のような「市場的解決」も場合によっては効果がある。管理者がはっきりしていて、環境保全に費用をかけている場合は、その利用者から料金をとる方法が合理的であり、たとえば「入漁料」「入山料」「プライベート・ビーチ」などが考えられる。そしてこの場合は「価格弾力性」に影響される。
「首都高速道路の料金は2000円に値上げを」は似た例と言える。
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<救命艇に生きる=Living on a Lifeboat>
船が沈没し、救命艇が下ろされた状況を想像してみよう。この救命艇の定員60名で、今50名乗っている。周りには100名以上の人間が海上を泳ぎながら、救命艇に乗ろうとしている。すべての人間を乗せれば救命艇が沈没するのは目に見えている。こうした状況ではどうしたらいいのだろうか?
(1) 全員を助けようと努力する。キリスト教の理想「われわれの同胞の守護者」によって、また「各人が自分の能力に応じて、必要に応じて他人へ」というマルクス主義の理想に従って彼らを助けたいのは山々だが、全員を救命艇に乗せると収容能力をオーバーし救命艇はひっくり返り全員が溺れてしまう。完璧な正義と完全なカタストロフ。
(2) 定員いっぱいまで乗せる。この場合誰が、誰をどのようにして選ぶか?が問題になる。「真に生き残るに値する人間は?」などど議論している余裕はない。恐らく早いもの勝ちで救命艇に這い上がろうとして混乱状態に陥るだろう。すでに乗っている人は、定員を超えて乗ろうとする人を阻止するために射殺することも辞さない、という覚悟が必要になる。
(3) 利他主義の立場、あるいは全体の利益という立場から、人々の良心に訴える。つまり、生き延びるに値する人を助けるために、そうでない人は譲って犠牲になってくれるように、と訴える。そしてこの方法が最も愚劣な方法。この通り実行されたら、良心的な人が諦めて死んで行く一方で、良心など持ち合わせていないに人間が生き残ることになる。こうした危機的状況で利他主義は通用しない。
(4) これ以上1人も乗せない。まだ定員に余裕があっても、現在乗っている人だけでも生き延びる可能性は一番大きくなる。この方法を採る決断ができないでいると、混乱の内に救命艇も転覆して全員が死ぬ、という最悪のケースが起こる危険が大きくなる。
「共有地の悲劇」と「救命艇に生きる」は「ガレット・ハーディン著 松井巻之助訳「地球に生きる倫理」佑学社 1975年7月10日」を参照のこと。
<日常と緊急時の倫理>
「共有地の悲劇」を持ち出したのは、「扶養能力」という概念を意識したかったから。そしてそれが「救命艇に生きる」を扶養能力という面から理解し易くなると考えたからだ。それでも「救命艇に生きる」の解決方法に納得できない人は多いだろう。日常生活の常識で考えればあまりにもクールな考えだ。と思いながらも、「緊急時になればこれしか方法はない」と頭では分かる。ここでのポイントは日常生活での倫理基準と、緊急時の倫理基準では違いがある、ということだ。
実際に救命艇ではどういうことが起きるだろうか?「まだ定員に余裕がある。できるだけ多くの人を乗せてあげよう」「そんなことをしていたら、定員オーバーでこの救命艇も沈没してしまう。せめて自分たちだけでも助かるべきだ」と議論し合うだろう。民主的な議論では結論が出にくい。誰かが独断的に「これ以上乗せない。われわれだけでも助かるべきだ」と宣告する。
この場合救命艇に乗った者が助かっても、リーダーに対して非難する人が出るだろう。特に助からなかった人の関係者は裁判に訴えるかも知れない。それでもこうしたリーダーが出てこなければ、全員溺れ死んだに違いない。
この場合のリーダーは独断で決定し、後に悲運に合うかもしれない。このように考えていくと、キューバ危機のケネディ兄弟とフルシチョフが頭に浮かんだ。「とにかく戦争はイヤダ」の雰囲気に溺れ、ヒトラーの暴走を許した英仏米の政治家とは違う。周りの人たちが予想しなかった意外な決断、それは「デウス・エクス・マーキナ」と表現すべきなのかも知れない。
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<デウス・エクス・マーキナ=Deus ex Machina>
「機械仕掛けの神」と訳す。元はラテン語で英語としても使われている。ギリシャ語では「テオス・アポ・メーカネース」(theos apo mechanes)という。カタカナで書く場合は「デウス・エクス・マーキナー」か「デウス・エクス・マキナ」が正しいとの意見もあるが、ここでは多数派「デウス・エクス・マーキナ」と表示する。古代ギリシャの演劇で、神に扮した俳優を舞台に登場させるクレーン、または天井から登場させる装置のこと。そして劇の終わりで筋が行き詰まったとき、無理やりに「神」を登場させて「めでたし、めでたし」と劇を終わらせてしまう芝居の最後に現れるご都合主義的な救い主のこと。
このことから転じて、事態が行き詰まったとき超法規的な、または「天の一声」のような解決方法を「デウス・エクス・マーキナ」と表現する。
( 2003年6月9日 TANAKA1942b )
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(7)人の命は地球より重いのか?
個の利己主義、種の利己主義
<日本赤軍事件>
日本赤軍が起こしたテロ事件、ハイジャック事件を列挙してみよう。
よど号事件(1970.3.31) 羽田発福岡行き日本航空ボーイング727(JA8315)「よど号」が、名古屋近郊上空を飛行中、日本赤軍の学生9名にハイジャックされ福岡空港と、韓国の金浦空港を経由して、北朝鮮の美林空港に着陸して犯人は北朝鮮に亡命した。日本で初めてのハイジャック事件となった。
ドバイ事件事件(1973.7.20) パリ発東京行きの日航機を、丸岡修と4人のパレスチナゲリラがハイジャックし、アラブ首長国連邦のドバイ空港を経てリビアのベンガジ空港に着陸させた事件。
ハーグ事件(1974.9.13) 西川純、奥平純三、和光晴生の3人が、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠してフランス当局に拘禁中の日本赤軍メンバーを釈放させた事件。
クアラルンプール事件(1975.8.4) 奥平純三、日高敏彦、和光晴生ら5人がマレーシア・クアラルンプールのアメリカ大使館等を占拠し、米総領事らの人質と交換に、日本で拘留中の西川純、戸平和夫ら5人を釈放させた事件。
ダッカ事件(1977.9.28) 丸岡修ら5人が、日航機をハイジャックし、バングラデッシュのダッカ空港に着陸させ、乗員・乗客151人の人質と交換に、日本で在監・拘留中の奥平純三ら6人と現金600万ドル(当時約16億円)をダッカに移送させた事件。 福田内閣のハイジャック事件に際して犯人の要求を受け入れた、その大義名分は「人の命は地球よりも重い」というもの。全地球よりも重いものを何よりも優先して救うのは当然ではないか、というものであった。
ジャカルタ事件(1986.5.14) インドネシア・ジャカルタの日米両大使館に爆発物が打ち込まれ、同地のカナダ大使館前で車が爆破されるという同時テロ事件。日米捜査当局は、城崎勉を犯人の1人と断定。
ローマ事件(1987.6.9) ベネチアサミット開催中の6月9日、イタリアのローマにおいて発生した、米・英両国大使館に向けた爆発物の発射等のテロ事件。イタリア当局は、奥平純三らを犯人と断定。
ナポリ事件(1988.4.14) イタリアのナポリで米軍クラブ前に駐車中の車が爆破され、米軍人1人を含む5人が死亡した事件。イタリア当局は、奥平純三及び奥平(重信)房子を犯人と断定。
<日本政府相手なら、ヤバイことしても損しない>
日本赤軍のテロリストは日本政府・評論家・世論の動きを的確に把握していた。日本は「言霊」の国であり、強行突破論は支持されないことを知っていた。普段正論を言う評論家も現実にハイジャックが起こると、世論・市民運動・マスコミの批判を恐れて「人命尊重」を主張する。政治家も同じように批判されないように「人の命は地球より重い」と言うようになる。
犯人側の要求を受け入れても、実質的な被害者は出ない。そこで「行為功利主義」が支持され、テロリストの思う壺にはまる。テロリストに対して「ヤバイことすると、結局は損をするよ」と知らしめることができなかった。このことがテロリストをますます思い上がらせることになった。日本政府の「ミュンヘン宥和策」が日本赤軍を勇気付け、ハイジャックから更なる犯罪、拉致事件へと進むきっかけを作ってしまった。
こうしたハイジャック対策に疑問をもつと、「人の命は地球より重い」との主張も怪しく思えてくる。本当に「人の命は地球より重い」のだろうか?
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<個の利己主義・種の利己主義 >
ヒューマニズム(humanism)とか人道主義(humanitalianism)の立場に立つと、「人の命は地球より重い」となる。へそ曲がりの筆者の少し違った方から考えてみる。それは自然科学の生物学とか動物学の立場からだ。
結論を先に言うと、「自然界にあっては、個の利己主義よりも種の利己主義が優先される」となる。別の言い方をすると、「個体が生き延びることよりも、種の保存の方が優先される」となる。自然界にあって一見利他主義に見える行為も、本当は種の利己主義に他ならない。一見利他主義や自己犠牲に見える行為、「地上に巣を作る鳥が傷ついたふりをしたり、つかまる危険を冒したりして、捕食者を巣から遠ざけるように誘導する」「オスのクモはメスとつがいになって確実に子孫をつくるためにはメスに食われることも辞さない」
「アメリカ南部から南米にかけて棲息するコオロギの一種の母親は、自分の体をその子に食わせて、よりよい生涯のはなむけにする」これらは個体が生き延びることよりも、その種が子孫を残すことの方が優先されるようなメカニズムが個体の遺伝子に組み込まれている、と考えられる。
野生動物の世界で父親がいなくなるとその家庭はどうなるか?コマドリの一種を使っての実験がある。つがいの一方がいなくなると、まわりの独身の鳥の中から新しい相手が選ばれてただちに空きを埋めるのが普通だが、もしもヒナがいるときにこの交替が行なわれたら、新しいパートナーは自分の子でないヒナの面倒を見るだろうか?つがいのオスかメスを取り去ってこのようなパートナーのペアを10組作って実験した。普通、オスの親鳥はヒナに餌を与え、巣を掃除し、巣に危険が迫ったと思われると警報を発してなく。
ところが観察したオスの新しいパートナー8羽のうち、1羽として自分の子でないヒナに対してこの種の行動をとったものはいなかった。同じような例は多く知られている。メスを奪うオスのライオンは、自分が打ち負かした「前夫」の子を殺してしまう。ハムマンラングールのオスも同じ行動をとる。ハツカネズミではブルース効果というものがあって、同じ結果がもっと非暴力的な形で現れる。つまり新しいオスの匂いを嗅いだだけで妊娠中のメスに流産が起こり、メスは新しいオスによる受胎が可能な状態になる。
これらの例は、「個体を犠牲にしても種の繁栄をはかるようなメカニズムが遺伝子に組み込まれている」と考えられる。
<自然界に福祉主義はない>
植物は太陽光により光合成をする。そのために葉があるのだが、そのためだけなら樹木が高くなる必要はない。なぜ高く伸びようとするのか?それは他の植物と争っている、と考えられる。植物の世界も弱肉強食なのだ、まして動物の世界では当然。それは種と種の争いであり、同一種での争いでもある。上にあげたコマドリやハツカネズミの例は「強いものだけが子孫を残せる」例だ。結婚適齢期のオス同士な争いは、強いオスだけが子孫を残すためのシステムと考えられる。
狩をするライオン、しかし失敗することが多い。キリン、シマウマなどを狙って逆に蹴飛ばされて顎の骨をくじくこともある。そうするとそのライオンは狩ができずに、餌をとることができずに餓死することになる。他のライオンが助けることはない。病気の動物はどうか?野生動物はいずれ子孫も残さずに死ぬことになる。こうして強いものの遺伝子だけが伝えられて行く。悪い遺伝子はこうして淘汰される。
<個体の命より、種の繁栄>
こうした野生動物の世界とは違って、人類は個の命を大切にするようになった。野生動物の世界では子孫を残せないような弱い個体も、人道主義では大切に保護する。これに対しての反対意見はない。医療の発達と福祉主義の普及によりこの傾向はさらに強くなる。
自然界では、個体の命より種の繁栄が優先される。しかし人類は人の命を地球より重く見るようになった。文明が発祥したとき、人類は「自給自足」を神話として、「分業」という効率のいい制度を見出した。しかしこれはそれまで以上にエネルギーを消費し、環境を破壊する生き方であった。今そのことに気がつき始めたが、後戻りはできない。そしてこのことと同じくらい反自然界的なのが、「個体の命より、種の繁栄」という自然界の法則に逆らった人道主義なのだ。
そしてこの人道主義も分業によるエネルギー消費と環境破壊が避けられない、と同じように歴史を逆戻りすることはできない。ただ違うのは、リベラル、ヒューマニズム、人道主義などは環境破壊には警告するが、個体の命を重く見るあまり、種の繁栄に注意せず、人類の動物としての進化を阻害することに対しては危機感をもっていない。
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<沈黙の春=Silent Spring >
「現代人は自然を支配しようとしている」「科学技術を盲信し、思い上がり、自分が自然の一部であることを忘れている」「市場原理主義者が拝金主義を広めている」。こうした感想が一般受けしている。そして、これは確かに当たっているかも知れない。「人類が自分では自分の食料を作らない人が現れたとき、文明が発祥した」
(これに関しては「自給自足の神話」を参照)「そして、文明が発祥したということは、今まで以上にエネルギーを消費し始めた、ということ」「農業を始めたのは、自然環境を破壊し始めたこと」。このように考えると、確かに「人類は自然界の摂理に逆らい始めている」。
環境問題に深い関心を持つ人なら一度は読んだことのある本、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」、あの読後感を思い出してみましょう。感動?驚き?頭をゴツンと殴られたような衝撃?内容を紹介するスペースはありません。始めの部分「明日のための寓話」を少し引用します。声を出して読んで、あの読後感を思い出してください。ハートを熱く燃やし「リベラル」になってください。
アメリカの奥深く分け入ったところに、ある町があった。生命あるものはみな、自然と一つだった。町のまわりには、豊かな田畑が碁盤の目のようにひろがり、穀物畑の続くその先は丘がもちあがり、斜面には果樹がしげっていた。春がくると、みどりの野原のかなたに、白い花のかすみがなびき、秋になれば、かしやかえでや樺が燃えるような紅葉のあやを織りなし、松のみどりに映えて目にいたい。丘の森からきつねの吠え声がきこえ、鹿が野原のもやのなかを見えつかくれつ音もなく駆け抜けた。(中略)
アメリカでは、春がきても自然は黙りこくっている。そんな町や村がいっぱいある。いったい何故なのか。そのわけを知りたいと思うものは、先を読まれよ。
(レーチェル・カーソン著 青樹簗一訳「生と死の妙薬」(原題=Silent Spring 沈黙の春) 新潮社 1954.6.22 から)
<人間幼稚化の構造 >
人類が自然界の摂理に逆らっていることの一つ「自然破壊」。もう一つが「個体の命を大切にして、種の繁栄を軽く見ている」こと。しかし個体の命を大切にしている割には、個体が強くなる道を塞いでいることもある。
進化とは環境の変化について行ける強いものだけが子孫を残すシステム。しかし人道主義は弱いものも子孫を残せるようにしようとする。それに関係して次のような指摘もある。
博愛主義者や自由主義者(リベラリスト)は無力な子供に必要なものを用意してやる親の役割を自ら買って出る傾向がある。それによって彼らは面倒を見てもらう側の幼稚化を助長しているのである。(中略)
こうして博愛主義的機構やひとつの姿勢としてのリベラリズムは、面倒を見てもらう方の人間から、本来ならばあったはずの補償的能力を発展させる性質を事実上奪ってしまう。
そして現実に起こることはこうである。すなわち、恩恵をほどこす方は、保護者である親の役割を引き受けることで、ほどこされる側に、自分では何も努力しなくてもその気まぐれを何でもかなえてもらえるという、子供の態度を助長するだけのことである。(中略)
だが今日では、自分の面倒は自分で見よとか、過剰補償とかいった生物学的見解は反動的だと見なされる。その反対に、全面的な保護や扶助の必要を説くリベラル派の反生物学的見解が進歩的だとされるのである。このこと自体が人類の進む方向をまことによく示している、と言えよう。
(「マン・チャイルド」(Man-Child: A Study of the Infantilization of Man )人間幼稚化の構造 ダビッド・ジョナス、ドリス・クライン共著 竹内靖雄訳 竹内書房新社 1984.7.10 から)
( 2003年6月16日 TANAKA1942b )