民主制度の限界
(26)いろんな「グローバリゼーション論」
<旗振りのいない「グローバリゼーション」> 民主制度の特徴は、マルクス主義、キリスト教、イスラム原理主義などと違って「批判を許さない絶対的な教典はない」ということだ。選挙の度に気ままな有権者の投票結果によって、国の進む方向が変わってしまうこともある。 「愚衆政治」とか「国民はマスコミに洗脳されている」との批判があったとしても、多数決で決まったことには従わなければならないのがこの制度の特徴。経済も、労働者階級の権力構造である共産党という司令塔がある社会主義とは違って、市場で競争し合う企業の力関係で進む道が決まってくる。「グローバリゼーション」も指令経済か?自由競争経済か?で見方も違ってくる。自由貿易や資本の自由移動は各国政府も企業も、そして消費者にとっても基本的にはメリットがある。 それでいながらウルグアイラウンドで農業の自由化が進まないのは「総論賛成、各論反対」で、国民のためになるのだが、自由化によって被害を受ける一部の生産者が抵抗勢力として圧力をかける。選挙で票を獲得しなければならない国会議員は「不特定多数」よりも「特定少数」の意向を重視する。多くの有権者のためになる政策よりも、少数でも特定の圧力団体となる利権集団の代弁者になりやすい。 「グローバリゼーション」も特定のイデオロギーに基づいて進められているものではなく、政府も企業も消費者もその利益を受ける多くの人たちの支持を受けて進められている。従ってこれを批判するとしたら「しっかりとした理念もなく進められている」との批判が的を得ている。それだけに、どこかに圧力をかければ、グローバリゼーションの進行が止まるというモノではない。またどこかにグローバリゼーションの旗振りがいるわけでもないので、批判に対して強力な反論があるわけでもない。 つまり批判しても、それに対する反論もないので、批判しても自分が攻撃されるおそれがない、つまり無責任に批判しても大丈夫、ということだ。というのがTANAKAの捉え方。ではそうした「グローバリゼーション」、どのような見方があるのだろうか?いくつかの主張を引用してみよう。
<「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」> クリントン大統領の経済諮問委員会委員長から、世界銀行上級副総裁と経済政策の第一線で活躍してきた筆者だけにその文章には重みがあるだろう、とのことでよく売れた本から始めよう。
 1993年、私は学問の世界を離れ、ビル・クリントン大統領の経済諮問委員会に加わった。長いこと教師、研究者として働いてきたが、このとき初めて政策の立案、さらに言えば政治の世界に深くかかわることになったのである。そこから1997年には世界銀行に移り、チーフ・エコノミスト兼上級副総裁をほぼ3年間つとめ、2000年1月に職を辞した。
 政策の立案にかかわるにあたって、これほど魅力的な時期はなかっただろう。私がホワイトハウスにいたころは、ちょうどロシアが共産主義からの移行を進めている最中であり、世界銀行にいたころは、東アジアで1997年にはじまった金融危機が世界中に広がっていた。 私はつねに経済開発に関心を寄せていたが、このときの経験で、グローバリゼーションについての私の見方も、開発についての見方も根本的に変わった。
 私がこの本を書こうと思ったのは、世界銀行にいたときに、グローバリゼーションが発展途上国、とくにその国に貧困層におよぼしうる破壊的な影響を目の当たりにしたからである。私はグローバリゼーション──すなわち自由貿易の障壁を取り払い、世界各国の経済をより緊密に統合すること──が、かならずよい結果をもたらしうると確信するし、 グローバリゼーションには世界中の人びと、とりわけ貧しい人びとを豊かにする可能性が秘められていると確信している。
 だが同時に、もしそれが事実だとしても、そうした障壁を取り払うのに大きな役割を果たしてきた国際貿易協定をはじめとするグローバリゼーションの進め方、およびグローバリゼーションの過程で発展途上国に押しつけられている各種の政策は、根本的に再考を要すると確信するのである。
 ワシントンにいた7年間、私は長年の調査研究の経験をもとに、経済問題や社会問題と取り組んだ。問題を冷静に見つめ、イデオロギーを脇において、証拠をふまえてから、最善と思われる行動を決定すること──それが重要だと私は考えている。だが残念ながら、うすうす予想してはいたのだが、私が1メンバーとして、のちには委員長として経済諮問委員会(アメリカ政府の行政部にたいし経済に関する助言をするために大統領から指名された専門家グループ)にいたあいだも、また世界銀行にいたあいだも、イデオロギーや政治によって決定が下される場面に何度となくぶつかった。(中略)
 国際経済機関は、顔のない世界経済秩序のシンボルであり、現在、いたるところで激しい批判の的となっている。かつては発展途上国への融資額や貿易割当量といったありふれたテーマを議題とする無名のテクノクラートたちの平穏無事な集まりだったものが、いまでは猛烈なストリート・バトルと大規模な抗議デモの対象になっている。1999年の世界貿易機関(WTO)シアトル大会での抗議行動は、世界に衝撃を与えた。それ以来、抗議行動はますます激化し、人びとの怒りは広まっている。 国際通貨基金(IMF)、世界銀行、世界貿易機関の会議は、いまやすべてと言っていいほど衝突と大混乱の舞台となっている。2001年のジェノバでの抗議は1人の死者までだしたが、これから先は反グローバリゼーション闘争のなかで、さらに多くの犠牲者がでるかもしれない。(中略)
 これらの抗議行動で、権力者は自分の考えや行動を再検討することを余儀なくされている。フランスのジャック・シラク大統領のような保守派の政治家でさえ、グローバリゼーションの約束する恩恵を最も必要としている人びとの生活が、そのグローバリゼーションによって向上するとは言い難いのではないかとの懸念を表明している。何かがひどく間違っているの誰の目にも明らかである。ほぼ一夜にして、グローバリゼーションは今日の最も差し迫った問題となり、重役会議でも新聞の特集ページでも学校でも、世界のあらゆるところで議論の争点とされている。
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 きわめて多くの利点をもたらしてきたグローバリゼーションが、なぜこれほどの物議をかもす問題になってしまったのか?多くの国は国際貿易に門戸を開くことで、他のどんな方法でもなしえないほど急速な成長をとげてきた。輸出で国家の経済成長が促進されたわけで、国際貿易は各国の経済発展を助けたのである。「輸出による成長」はアジアの多くの国の経済政策の基本であり、これによって国は豊かになり、そこの住む数百万の人びとの暮らしぶりは格段によくなった。グローバリゼーションにより、世界の多くの人の寿命が延び、生活水準が大きく向上したのだ。 欧米人はナイキの低賃金労働を搾取と見なすかもしれないが、発展途上世界の多くの人びとにとって、工場で働くことは農村にとどまって米を栽培するよりもずっと望ましい選択肢なのである。
 グローバリゼーションは、発展途上世界の大半が感じていた孤立感を薄め、途上国の多くの人に、1世紀前にはどんな国のどれほど裕福な人間でも手に入れられなかったような知識を得る手段を与えた。反グローバリゼーションの抗議にしても、それ自体がこうした連帯の結果である。世界のさまざまな地域の活動家をつないであるリンク──とくにインターネット・コミュニケーションを通じて形成されたリンク──は大きな圧力となり、強国の政府の多くの反対を押し切って、国際地雷協定を実現させた。1997年にこの協定に調印したのは121ヶ国にのぼり、子供や罪のない人びとが地雷の犠牲になって手足を失う危険を減らしている。 同様に、大勢の一般市民の同意を集めた圧力が、国際社会にたいして最も貧しい国への債権放棄をせまっている。(中略)
 グローバリゼーションに毒づく人びとは、えてしてその利点を見過ごしている。だが、グローバリゼーションの支持者はそれ以上にバランス感覚に欠けているとも言えるだろう。彼らにとって、グローバリゼーションは進歩である。(これは一般に資本主義、すなわちアメリカ式の資本主義の勝利を認めることに結びついている)。発展途上国が成長を望み、貧困を軽減させるつもりなら、これを受け入れることが不可欠であると彼らは考える。だが、途上国の多くの人びとからすると、グローバリゼーション はそれが約束したはずの経済的な恩恵をもたらしていないのである。
 広がりつづける貧富の差は。ますます増える第三世界の貧困層に、1日1ドル以下の生活を強いてきた。20世紀の最後の10年間、繰り返し貧困の緩和が約束されてきたにもかかわらず、実際の貧困層の数は1億人増えていた。その一方で、世界全体の収入は年に2.5パーセントずつ上昇しているのだ。(中略)
 グローバリゼーションは貧困の軽減に失敗したが、それはまた社会の安定性を保持することにも失敗した。アジアとラテンアメリカにおける危機は、あらゆる発展途上国の経済と社会の安定を脅かした。経済危機は世界中に伝染する恐れがある。ある新興市場の通貨が暴落すれば、他国の通貨も下落する。1997年から98年にまたがるアジアの危機は、まさに世界経済に脅威をおよぼすかに見えた。
 ロシアをはじめ、共産主義から市場経済への移行を奨めているほとんどの国でも、グローバリゼーションと市場経済の導入は約束された結果をもたらさなかった。それらの国は欧米から、新しい市場システムが前例のない繁栄をもたらすと言われた。しかし、実際にそれがもたらしたのは前例のない貧困だった。ほとんどの人びとにとって、市場経済は多くの面で、かつて共産主義の指導者が予言したよりも悪いものだった。 (「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」から)
 アメリカ民主党の考えを代表する文章だと思う。共和党支持の学者が何と批判するか?いままで幾つかの著書を引用してきたので。ここではあえて批判する文章は引用しないことにする。日本では「リベラル」と言われる人たちが喜ぶ文章だろう。
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<「大転換」からグローバル自由市場への道程> 政治哲学のところで引用したことのある、ジョン・グレイ。こうした文章が好きな人もかなりいるのだろう。
 19世紀のイングランドは、社会工学における壮大な実験の対象だった。その実験の目的は経済生活を社会的、政治的支配から開放することだった。そしてそれは、自由市場という新しい制度を築き、何世紀にもわたりイングランドに存在してきた。社会にもっと深く根を持つ市場を破壊することによって、達成されたのである。自由市場は、労働を含むすべての財の価値が、それらが社会に持つ影響と無関係に変化するという新しいタイプの経済を作り出した。それまで、経済生活は社会的なまとまりを維持する必要によって制約を受けてきた。経済生活は社会的市場──社会に根ざし、多くの種類の既成や制約から逃れられない市場──で行われてきた。 ビクトリア朝中期のイングランドで試みられた実験の目標は、こうした社会的市場を破壊し、社会的必要事項とは独立して働く、規制のない市場に置き換えることだった。自由市場の創出によってイングランドの経済生活に起こったこの断裂は、大転換(Great Transformation)と呼ばれてきた。
 これと似た変貌を実現することは今日、世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、経済協力開発機構(OECD)などの多国籍組織の最大の目標である。この革命的な事業を進めるにあたって、これらの機関は世界最大の啓蒙思想体制、すまわちアメリカの指導に従っている。トマス・ジェファーソン、トマス・ペイン、ジョン・スチュワート・ミル、カール・マルクスなど啓蒙思想家は、世界のすべての国の将来は何らかの形の制度や価値を受け入れるかどうかにあることを少しも疑わなかった。彼らの見るところ、文化の多様性は人々が生きていく上でいつまでも続く状況ではなかったのである。 多様性は、普遍的な文明に至る一つの段階だったのだ。これらの思想家は、単一の世界文明の創造を唱えた。そこでは過去に存在した多様な伝統や文化が、理性の上に築かれた新しい、普遍的な共同体社会に取って代わられるというのである。
 現在のアメリカは、こうした啓蒙思想理論にその政策の基礎を置く最後の大国である。「ワシントン・コンセンサス」{世界の政治的首都であるワシントンで形成されるアメリカ主導の合意}によれば、「民主的資本主義」はすぐに全世界に受け入れられるであろう。グローバル自由市場が現実になるだろう。世界がつねに内包してきた多岐に渡る自由市場に併合されるだろう。
 この哲学に動かされている多国間機関は、世界中の社会の経済生活に自由市場を押しつけようとしてきた。これらの機関は、世界の多様な経済を最終的に単一のグローバル自由市場に統一することを目指す政策を実施してきた。これは決して実現することのできないユートピアである。それを追い求めることは、すでに大規模な社会的混乱と経済的、政治的不安定を生じさせている。
 アメリカでは、自由市場が他の先進国にはなかった規模の社会的崩壊をもたらす原因となっており、また他のどの国よりも家族が弱体化している。同時に、社会秩序は大量の人間を監獄に収容する政策によって保たれている。共産主義崩壊後のロシアを別にすれば、アメリカほどの規模で監獄への収容を社会的コントロールの手段にしている先進工業国は見あたらない。自由市場、家族とコミュニケーションの荒廃、そして社会の崩壊を防ぐ最終手段として警報による処罰を用いること──これらは並行して進行している。
 アメリカでは、社会的なまとまりを支えているこれら以外の制度も自由市場によって弱体化、あるいは破壊されている。自由市場は、アメリカ国民の多数があずかることのない長期的な経済的ブームを発生させた。アメリカにおける不平等の程度は、ヨーロッパのどの国よりもラテンアメリカ諸国のそれに似ている。しかし、自由市場がもたらすこうした直接的な結果にもかかわらず、自由市場への支持は弱まることがない。それはアメリカ政治の聖牛{神聖な原則}であり続けており、これこそ世界的、普遍的文明のモデルであるというアメリカの主張そのものになっている。啓蒙思想的企てと自由市場は決定的に結び合わさったのである。
 単一のグローバル自由市場は、普遍的文明という啓蒙思想的企てである。それは啓蒙思想的企ての最終的形態になるものと思われる。この1世紀というもの、誤ったユートピアがいくつも試みられており、自由市場が啓蒙思想的企ての唯一の変種というわけではない。旧ソ連は自由市場と対抗する啓蒙思想的ユートピア──市場が中央からの計画によって置き換えられるという普遍的文明──を体言していた。このユートピアは消滅したが、それは計算不可能なほどの人的なコストを伴った。数百万の命が全体主義の恐怖政治、蔓延する腐敗、破滅的な環境悪化によって失われた。この計り知れない人的苦難を強いたのはソビエト体制だったが、約束した近代化をロシアにもたらすことはできなかったのである。 それどころか、ソ連時代が終焉した時、ロシアはある面で帝政時代末期よりも近代化から遠いところにいた。
 グローバル自由市場というユートピアは、共産主義と同じようなやり方で人的コストを高めているわけではない。しかし、時間が経ってみれば、自由市場がもたらす苦しみは共産主義のそれと匹敵するものになる。すでにそれは、中国で1億人以上の農民が移動労働者になるという事態をもたらしている。先進国社会でも何千万という人々が仕事にあぶれ、社会から脱落している。旧共産圏の一部では、無政府状態に近い状況と組織犯罪による支配、そして一層の環境破壊という事態になっている。 (「グローバリズムという妄想」から)
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<南北の不平等は、グローバリゼーションによるものか?> スーザン・ジョージとマーティン・ウルフの対談。市民運動家がまともなエコノミストと対談するのは珍しい。
スーザン・ジョージ 不平等の溝が18世紀から存在したことは明らかなことです。問題は、それがどれほどの速度で拡大したかということ、そしてこの格差が社会的・エコロジー的次元でどれほどまで歴然たる影響を与え始めているかということです。18世紀には、もっとも豊かな20パーセントと、もっとも貧しい20パーセントの格差は2対1でした。それが今では82対1なのです。このような不平等が大きな反乱を招かずにどこまで拡大していくことができるのでしょうか? そして、このような問題を前にして、われわれはどのように行動したらいいのでしょうか?現在の発展した諸国、つまり北アメリカ、ヨーロッパ、韓国、日本など、要するに、現実に成長を遂げた国々は、少なくとも部分的に保護主義を実践しながら、このような結果に到達したのです。つまり、部門に応じて政府が支出し管理するという政策をとったり、韓国や台湾のように、アメリカが膨大な食料援助をおこなったりした結果なのです。しかし、現在、そのような公的政策はもはや行われていません。各国はもはや選択的な保護主義を実践することはできないし、新興産業を保護することも、さまざまな活動あるいは消費財といったものに補助金をだすこともできません。 構造調整は人々が収入源の一部として頼りにしていた多くのものをより一層破壊することになったのです。そうである以上、収入の再分配しか見ないというのは常軌を逸しています。というのも、かつては無料であった財や食料品などの品物、つまり自然の恵みとして得ていたものや、社会的ネットワークからもたらされていたもの、あるいは政治的決定によって無料で配布されていたものなどが、今や姿を消しているのです。
 多くの人が、必ずしもお金によらず、みずからの労働で生き長らえていたのに、彼らは土地を失うことになったのです。何億人もの人がわずかな土地を失って、農村から都市周辺に大量に流れ込むことになりました。運のいい人たちはそこから脱出して、都市部に移り、その後、北の国(すなわち先進国)に向かって移民していくのですが、それでもこれら数億人もの人々が亡命者であることにかわりはありません。要するに、彼らは、かつて田舎で享受していた食料自給という大きなメリットを失ったということです。
 教育や医療の有料制は、わずかの例外を除いて、「経費の回収」という名目で世界銀行の要求のなかに組み込まれています。各国政府は、食用油やもっとも一般的な穀類、ガソリンといった基本的な産品に補助金を与えることを許されていません。厳然たる禁止が行われているのです。ボリビアのコチャバンバでは、水の分配を任された民間の会社が価格を3倍につりあげ、その結果、人々の収入が事実上50パーセントダウンするという事態が発生しています。彼らが街頭に出てデモをし、死者が出たりしているのは、意外なことでも何でもありません。したがって、われわれが議論しなければならないのは、単に量的な観点からの不平等だけではなくて、先進国がどのようなやり方で現在の状態に到達したのかということであり、 いま悪戦苦闘している国々がはたして先進国と同じやり方をすることができるのかどうかということです。おまけに、これらの国々は、大きな政治的決定をみずからの手で行うことはできませんでした。たとえば、インドは大きな負債を負っていたために、結局、IMFの要求に屈するしかなかったのです。問題は、世界が今日ほど富んだ時代はかつてなかった一方で、今日ほど多くの貧しい人々や絶望した人々がいた時代もなかったということです。それは数字がはっきり示していることです。1820年には状況はもっと悪かった、貧困は全人口の90パーセントに達していたと、あなたはあいかわらず仰有るかもしれませんが、北側の国々が現在の状況を得ることを可能にした方法は、もはや南側には適応不可能なのです。
 これは単に収入の問題ではなくて、人々に(個人レベルで)何が提供されているかという問題です。個々の人々にとって使うことができる資源(エコロジー的・社会的資源や共有財を含めて)は、いったいどれほどあるのでしょうか?子どもを学校にやるのにお金を払わねばならないのでしょうか?医療費についても同じことが言えるでしょう。
マーティン・ウルフ そういった問題は、あなたがお書きになった風刺的著作「ルガノ秘密報告」のテーマと関係なくないですね。それと、人口問題とも関係がありますね。私としては、構造調整についてくわしく立ち入る前に、2つの点を強調して置きたいと思います。
 まず、発展のプロセスは、排除─牽引という二重の現象から生じます。すべての発展した国において起きたこのプロセスの中心的様相は、全人口に占める農民の割合の現象、個人とその出自の土地との結びつきの喪失、都市化、工業化といったものでした。急速に発展したすべての国において、このプロセスは巨大な社会的断絶や極度の政治的緊張を生み出しました(たとえば19世紀のヨーロッパにおける人口の多さを考えると恐るべきもので、そこから多くの社会的混乱が生じたのです)。
 私は、とくに排除よりも牽引の現象の方が重要だと考えます。中国では、とくに毛沢東の死後、農民が土地を失ったと言うことは出来ないと思います。そのとき、農民をかつてないほど優遇する大きな農地改革が行われて、土地は農民に返されたのです。むしろ、農村から脱出できる可能性がほとんどなく、農業で生きていける可能性もゼロに近いような人々が、大量に農村を捨てて、都市に仕事を求めて流れ込んだのです。中国における不平等の増大の大きな理由は、このような移住を厳重に管理したために、いくつかの都市部だけが特権的な地位を得て、農村共同体を離れた多くの人々の可能性が縮小されたためと言えるでしょう。 これは排除ではなく牽引の現象だと私は考えます。というのは、人々はみずから農場から離れたいと願望したからです。彼らは工業と結びついた生活様式、工業が提供する金儲けの可能性の方を選択したのです。これは多くの損害を引き起こし、われわれからも好ましいとは思われないプロセスですが、奥深い人間の欲望によって引き起こされたものでもあるのです。
 第2の大きなポイントは、寿命とか食料事情の統計、読み書きできる人の割合といったような重要な指標から考えると、正しい成長を遂げた大抵の国では、利益が大半の人々に分け与えられているということです。収入の増大が貧しい人々にとくに損害を与えるものではないということは、まぎれもなく明らかなことだと思われます。
 さらに言うなら、構造調整が採用される以前に、各国政府の手でもたらされた補助金による財というものが、本当に貧しい人々のもとに届いたのかどうか、必ずしも明確ではありません。それは多くの国において明瞭ではありませんが、たとえば、インドでは(インドは私がもっともよく知っている国であるとともに、世界でもっとも極貧層の多い国でもあります)、無償教育の主たる特徴というのは、実際には誰もそれを受けることができないということでした。つまり、それは神話にすぎなかったのです。
スーザン・ジョージ あなたが「牽引」と呼ぶファクター、つまり人々が村を離れたいと思うようにさせるものについて、私の意見を述べたいと思います。もしあなたが収穫の半分を地主に与えることを義務づけられた小作人の立場に置かれたなら、そしてその地主が、たとえばインドにおけるような突然緑の革命(1960年代に品種改良によって小麦などの生産性が高まった農業技術革新)の技術を使うようなことにでもなったら(それによって地主は工業製品を手に入れることができるようになり、あなたの働いている土地がもっと価値を持っていることを発見することになる)、あなたでも村を離れたいとお思いになるのではないでしょうか。 そうして、都市に仕事を探しに行こうと考えるようになるのではないでしょうか。たしかに、都市の輝きに引きつけられる人はいるでしょう。しかし、排除のファクターは存在するのです。それは、土地の集中管理、真に農地改革と呼びうるような改革を決して実行しようとしない大半の国家、農村では当たり前の生活を送ることができないこと、といったような形でまぎれもなく存在するのです。しかし、インドのケララ州のように、すべての人のための教育や保険に重点を置くことによって、成功している地域もあります。これは何よりも生活の質の問題です。農村地帯で生活することが困難になれば、人々は当然のごとく他の場所を見に行こうと考えるでしょう。 しかし、あなたは、韓国や台湾のような、ずっと以前から農村に住む人々を配慮した措置がとられた国々を前提にしているわけです。
マーティン・ウルフ ケララ州のケースについて意見を述べたいと思います。これは低収入を背景にした社会政策の驚嘆すべき成功例ですね。しかし、それが人々の教育や養成において例外的な成果を得たことはたしかだとして、その経済的発展は極度に緩慢でありました。また、それでもって、湾岸諸国やインドの他地域への大量の労働力の輸出が減ったわけでもありません。したがって、そのすばらしい政治的措置のおかげで、排除のファクターを回避し得たというふうには言えないのです。
 もう1点。インドは独立後に農地改革を行いました。それ以後、緑の革命のせいもあって、土地の集中管理が始まりました。しかし、緑の革命によって発動されたテクノロジーがこの国を餓えから救う唯一の手段だったのです。あれがなければ、この国は運命に翻弄されるしかなかったでしょう。インドでは、土地はかなり広く分配されていますが、富裕な農民の権力が強いので、土地を再分配するのは政治的に不可能だと言えます。その結果、インド亜大陸全体が土地を持たない農業労働者を膨大に抱え込むことになっているのです。ここでは、大きな失敗と貧困の主たる原因は、うまく発展した他の諸国とは逆に、インドが多大の労働力を必要とする産業をつくらないという道を意識的に選択した(そしてなお選択し続けている)というところにあります。 そのため、ありあまる農業労働者が、たいへん低い給与水準で常に農村地帯にとどまり続けているのです。 (「徹底討論 グローバリゼーション 賛成/反対」から)
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<ペシミズムという勢力> 本のタイトルからわかるように、これはグローバリゼーション擁護派。内容はかなり抽象的な話。政治哲学に関心のある人向けのものと言えそうだ。
 悲観論(ペシミズム)が花盛りである。社会や家庭、環境、果ては世界の見通しに対する悲観論は慢性的に論じられている。地球規模で暗黒郷(ディストピア)をつくり出しつつある中、われわれが向き合っているこの悲観論は、われわれの間にしっかりとその根を張っている。悲観論は、はびこりやすく、もっともらしく見え、深く浸透するものだ。事実上どんな分野においても、どっぷりと悲観することができるし、ある人々にとっては悲観することがほとんど義務のようになっている。 われわれの時代は、グローバリズムが無秩序の嵐を巻き起こし、経済の舵取りは多国籍企業と狂乱状態の金融市場の手にゆだねられようとしている。発展途上国では何百万もの人々が果てしない貧困と不毛の地に暮らす一方、脱工業化社会に住む裕福な消費者はどのブランドを買おうかと迷っているありさまだ。いま人類は、地球の生態系を賭けた大博打の真っ最中である。すなわち、人口過剰、消費や工業化が進んだことによって、生態系は破壊寸前のところまで来てしまっているのだ。 われわれの子孫には荒れ果てた土地で生きることを強いることになるだろう。科学技術によって、しかとはわからぬリスクと危険がもたらされている。それは、遺伝子組み換え食品や微細なナノマシン(訳注:ウィルス程度の小さな小型ロボットで、生物に近い仕組みを使ってプログラムされた作業を行う。医療などで実用化されている)がわれわれの身も心も乗っ取るかもしれず、生物兵器が尋常ならざるテロリストの手に落ちるのではという脅威である。 こうした状況にあって、われらが政治の担い手たちは危機や混乱を現実的に管理するのがせいぜい、悪くすれば買収されて危機増長の手先になることさえある。民主的なディベートなど、いまやマーケティング業界とメディアの一道具に成り下がってしまった。政治家は広告マンたちの産物なのだ。彼らは、綿密な世論調査と市場調査のおかげで、とてつもない権力を手にしている。政党に資金を供給し、多くの見返りをもたらす大企業と、政治はますます結びつきを深めている。 政治の役割は、自分の生活は自分の好きなようにはできないものだという残酷な事実に人々を慣れさせることになりつつある。政治によってわれわれの運命をわれわれの手でコントロールすることは期待しがたくなってきているのだ。西欧の文化は、メディアに毒され、どんど底が浅くなり、軽薄になっている。(中略)
 革新性と創造性が、われわれの生活をよりよくする最大の推進力になるだろう。政治よりもテクノロジーの方がはるかに世界を変革する道を開いていくと思われる。政治の現実主義と広く結びつけば、それも悪いことではないだろう。20世紀初頭、集団的ユートピア幻想のもと、理論的で壮大な計画が立てられ、社会的流動化の実験──ファシズム、共産主義、ナショナリズム、都市計画、大量工業生産──がトップダウン式に次々と行われた。 前世紀期のこれら壮大なユートピアが惨憺たる結果に終わったことから見て、指導者たちが示す十把一からげのユートピア幻想より、確信と創造を社会的に進めることに、われわれは希望を託したほうがよさそうだ。テクノロジーは、もはやお上や専門家が制御しきれるようなものではなくなり、大衆の手へと移ってきつつある。それは、危険もある反面、創造性の種を広範にまき運ぶことも可能にする。国民には何も知らせずに暴君が君臨できる権力を保持し続けるようなことはいよいよ難しくなっていく。 民主的な考えが広まり、人々は為政者の一挙一投足を注視していくだろう。前世紀に比べ、権力の濫用は露見しやすく、やりにくくなるに違いない。20世紀のヨーロッパでは、およそ700万の人々が戦争、飢餓や強制移送によって、あるいはユートピアの名の下に命を奪われた。このようなことは今世紀にはもはや起こるまい。20世紀では可能だった、大規模な文化大革命や強制収容所がまたぞろ出てくることはないはずだ。グローバリゼーションの進行、民主主義、そして通信の発達がそれを許さないからだ。
 悲観論の急先鋒とユートピア信奉者は、未来を閉ざし、不可逆的な時流の当然の産物として未来を見たいという願いを共有している。しかし、ユートピア幻想と異なり、確信と創造は、変更され、改善され、批判され、新たなアイディアを与えられるために開かれたものでなければならない。革新とは、絶えず進み続けることである。閉ざされていることも完了することもない。反対に、絶えず新たな可能性と解釈に大して、つねに心を開けと訴えることだ。 だから、文化であれ科学技術であれ、革新こそが、ユートピア的でない力強い未来への希望の厳選をわれわれに与えてくれるのだ。
 希望は、単なる幸運以上に、人間のありようによって左右されるものである。どうしたらよりよい世界になるのか、一人ひとりは何をしたらいいのか、しっかりとした考えを持つことによってのみ、未来への希望は持つことができる。不合理で無秩序、混沌とした世界など、希望の生まれる余地はない。ペシミストにとっては、そんな姿が現在あるいは永劫の世界像なのだ。このような悲観論に異を唱えることで、テクノロジー・科学・政治・文化において力強さとなり、21世紀のわれわれ自らの生き方にもっとコントロールと選択を与え、そして生きる希望となる理由を与えてくれるはずである。 (「それでもグローバリズムだけが世界を救う」から)
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<「グローバル経済の本質」> ニューヨーク・タイムスの記者が世界各地で起きているグローバリゼーションの現場からのレポート。現場主義の確かな説得力がある、おすすめ本。 チャールズ・ウェーランがその著書「裸の経済学」のなかで「トム・フリードマンが、反グローバリゼーション連合のことを「世界の貧しい人々を貧しいままにする連合」と呼ばねばならない、と示唆する」と言っているのはこの「レクサスとオリーブの木」のことだ。
 私は”グローバル主義者(グローバリスト)”なのだ。この学派に、私は所属する。つまり、国際情勢の説明を、権力地政学上の優位をめぐる争いですべて片づけてしまい、市場を無視する現実主義者でもない。また、環境という名のプリズムを通してしか運命を見られず、環境を守ることしか頭になく、開発の可能性に背を向ける環境保護論者でもない。歴史はマイクロプロセッサの発明に始まり、これからの国際関係を支配するのはインターネットだと信じて、地政学を無視するシリコンバレーのテクノおたく、つまりコンピュータ技術者でもない。国民の行動は、本質的な文化的特性またはDNA特性で説明がつくと信じて、科学技術を無視する本質主義者(エッセンシャリスト)でもない。 そして、世界のすべてを市場動向だけで説明し、武力外交も文化も無視する経済学者でもないのだ。(中略)
 グローバル化は冷戦システムに取って代わる国際システムだと認識したからといって、今日の世界情勢を説明するのに、じゅうぶんだろうか?とんでもない。グローバル化は新しいシステムだ。世界がマイクロチップと市場だけで成り立っているなら、グローバル化を語るだけで、おそらく世の中すべては説明できるだろう。しかし悲しいかな、世界はマイクロチップと市場と男と女から成り、しかもこの男と女は、それぞれ固有の習慣や伝統、願望、予測のつかない野心を抱いている。だから今日の世界情勢は、インターネットのウェブ・サイトのように新しいものと、ヨルダン川の両岸に立つ、節くれだったオリーブの木のように古いものとの相互作用としてのみ、説明が可能だ。 わたしがはじめてこのことに気づき、じっくり考えるようになったのは、1992年5月のある日、時速270キロで走る日本の電車に乗って、駅弁の寿司を食べながら移動している最中だった。
 記事を書くために東京に滞在していた私は、その日、東京の西に位置する、愛知県は豊田市郊外の高級車レクサス(日本名セルシオ。レクサス・ブランドで売られ、クーペやSUVも含めたシリーズとなっている)の工場を訪れたのだ。この上なく印象的な取材旅行だった。当時、その工場では、66人の人間と310台のロボットが、1日300台のレクサスを製造していた。見たところ、人間のやることといえば、ほとんど品質管理だけのようだった。実際にボルトをねじ込んだり、部品を溶接したりしている人間は、ごくわずか。ロボットが、すべての仕事をこなしていた。さまざまな材料を運んでフロアを走り回るトラックさえもロボット化されていて、進路に人間の存在を感知すると「ビー、ビー、ビー」と警告音を発する。 わたしの目を釘付けにしたのは、フロントガラスを固定するゴムの充填剤を、1台1台のレクサスに塗っているロボットだ。ロボットのアームが、フロントガラスの枠に沿って完璧な長方形を描きながら、熱く溶けたゴムをきっちり塗っていく。しかし、とくに目を引いたのは、ゴムを塗りつける作業が終ったとき、きまって、ロボットの指先から小さなゴムのしずくが垂れていることだ。歯磨き粉をチューブから絞り出して歯ブラシにつけたあと、たまにチューブの先に残る固まりのようなしずくが。ところが、このレクサスの工場では、作業の最後に、ロボットのアームが大きく弧を描いて、ほとんど眼に見えないほど短いワイヤーに指先をすりつける。 するとそのワイヤーが、真っ黒な熱いゴムの最後のしずくをきれいに削ぎ取る。アームの指先には何も残らない。わたしはこの工程を飽かずに眺めながら、ロボットのアームに作業させたあと、毎回それを正確な角度で回転させ、親指の爪ほどの長さのワイヤーで熱いゴムの最後のしずくを削ぎ取らせて、きれいな状態で次のフロントガラスに取りかからせるには、どれほど設計を重ね、どれほどの技術を要したことかと、ひとり感慨にふけった。正直言って、感動していた。
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 工場を見学したあと、豊田市に戻り、東京行きの新幹線に乗り込んだ。新幹線は英語で弾丸列車(ブレット・トレイン)と呼ぶが、ピッタリのネーミングではないか。姿かたちも弾丸そっくりなら、体感スピードも弾丸並みだからだ。日本の駅であればどこでも買える寿司の駅弁を広げてつまみながら、その日のインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に目を通していると、第3面の最上段右端の記事に目を奪われた。国務省が毎日行なう定例報告の記事だ。 国務省の報道官マーガレット・D・タトワイラーが、パレスチナ難民のイスラエル帰還をめぐる権利に関する1948年の国連決議を新たに解釈し直し、物議を呼んだという。評価は忘れたが、その記事は、タトワイラーの解釈がどんなものであれ、明らかにアラブ人とイスラエル人の双方に同様を与え、中東に動乱の火種をまいた、と伝えていた。
 こうしてわたしは世界最新の電車に乗って、時速270キロで快適な旅をしながら、世界最古の地域に関する記事を読んでいた。そのとき、ある思いが頭をよぎった。きょう見学したばかりのレクサスの工場を作り、今乗っているこの電車を作った日本人は、ロボットを使って世界最高級の車を生産している。一方、ヘラルド・トリビューンの第3面のトップには、わたしがベイルートやエルサレムで長年いっしょに暮らした人々、よく知っている人々が、いまだにどのオリーブの木が誰のものかをめぐって争っているとある。ふいに、レクサスとオリーブの木は、冷戦後の時代にじつにぴったりの象徴ではないかと思った。 どうやら、世界の国の半分は冷戦を抜け出して、よりよいレクサスを作ろうと近代化路線をひた走り、グローバル化システムのなかで成功するために躍起になって経済を合理化し、民営化を進めている。ところが、世界の残り半分──ときには、ひとつの国の半分、ひとりの個人の半分、ということもある──は、いまだにオリーブの木の所有権をめぐって戦いをくり返しているのだ。
 オリーブの木は大切だ。わたしたちをこの世界に根づかせ、錨を下ろさせ、アイデンティティを与え、居場所を確保してくれるものすべて、つまり家族、共同体、部族、宗教、そしてとりわけ故郷と呼ばれる場所を象徴する。オリーブの木は、第三者に手を差しのべ、知り合いになるために必要な信頼と安全な環境を与えるだけでなく、家族のぬくもり、自主独立の喜び、指摘な儀式に漂う親密さと私的な関係の持つ懐の深さを与えてくれる。ときには、一本のオリーブの木をめぐって激しい衝突が起こる。最良のときには、生きていくうえで食糧と同じくらい不可欠な、自尊心と帰属意識を与えてくれるからだ。だが、それが悪いほうに出て、行き過ぎてしまうと、オリーブのきへのこだわりが、他者を排除する思想に基づいたアイデンティティや絆や共同体の形成につながり、 最悪の場合、この強迫観念が暴走して、ドイツのナチやユーゴスラビアのセルビア人のように、他者を根絶やしにしようとする動きを生み出す。
 誰がどのオリーブの木を所有するかをめぐる、セルビア人とイスラム教徒、ユダヤ人とパレスチナ人、アルメニア人とアゼルバイジャン人の争いが熾烈をきわめるのは、それがまさに、どちらがその地域を故郷にして根を下ろし、どちらが下ろさないか、という問題だからだ。大もとにある理屈はこうだろう。私はこのオリーブの木を手中に収めなければならない。なぜなら、もしあいつの手に渡したら、わたしは経済的にも政治的にもあの男の支配下に置かれるばかりか、これぞわが家という幸福感を二度と味わえなくなる。もうけっして、素足になってリラックスできなくなるのだ。
 アイデンティティを、すなわち、これぞわが家という思いをはぎ取られることほど、怒りを駆りたてるものは、そうざらにはない。人々はこれのために命を捨てて、殺し合い、歌を歌い、詩を作り、小説を書く。なぜなら、故郷にいる、どこかに帰属しているという思いがなければ、寄る辺のない不毛な人生になるからだ。根なし草のような人生など、人生と呼べようか。
 では、レクサスは何を象徴しているのか?それは、オリーブの木と同じように基本的で昔からある人間の要求、つまりきのうと同じ生活を維持し、同時にきのうより進歩し、繁栄し、近代化したいという要求が今日のグローバル化システムのなかで具現されたものを象徴している。レクサスは、今日、わたしたちがより高い生活水準を追求するのに不可欠な、急速に成長を遂げる世界市場、金融機関、コンピュータ技術のすべてを象徴している。だが、発展途上国の何百万という人々にとって、いまだに、物質的向上を模索する道は、水を求めて井戸まで歩き、鋤を引く牛を素足で追って畑を耕し、薪を集めた後頭に載せて8キロの道のりを運ぶことなのだ。 こういう人たちはまだ、生活のためにデータやプログラムをダウンロードするのではなく、労力をひたすらアップロードしている。
 一方、先進国に住む何百万という人にとって、物質的向上と近代化への模索は、しだいに、ナイキの靴を履くことや、統合市場でショッピングすること、最新のネットワーク技術を使うことに変わってきた。グローバル化システムの特徴である新しい市場と技術へのアクセス方法は人によって異なり、そこから享受する利益もまちまちだが、それでも、新しい市場と技術が今日に特徴的な経済ツールであることや、誰もが直接あるいは間接的にその影響を被っていることは、紛れもない事実だ。
 わたしは、情報の鞘取りをすれば、今日の世界をのぞくのに必要なレンズは手に入るが、レンズを手に入れるだけでは十分ではない、と主張する。今、わたしたちが目にしているもの、探しているものは、はるか創世記の時代からいささかも変わらない人間の欲求、すなわち物理的向上を求める思い、個人や共同体のアイデンティティを求める思いが、今日を支配するグローバル化という国際システムのなかで発現したものなのだ。これが、レクサスとオリーブの木のドラマである。 (「レクサスとオリーブの木」から)
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<反グローバリズムの動き> グローバル化の進展は、世界中の人の生活を大きく変えつつある。モノの貿易から資金移動まで、ヒトの移動から企業の国際展開まで、そして地球規模の環境汚染から貧困の万台まで、グローバル化の動きはますます多くの人の関心を集めるようになっている。
 こうしたなかで、グローバル化の動きに警鐘を鳴らす「反グローバリズムの動き」が世界的な規模で盛り上がりつつある。そのことを有名にしたのは、1999年にシアトルで行われたWTO(世界貿易機関)の閣僚会議の場における反グローバリズムのデモンストレーションであった。貿易自由化をリードしてきたWTOを批判する形で、さまざまな反グローバリズム活動家がこのデモに参加したのである。
 反グローバリズムを唱える人たちの主張はきわめて多岐にわたる。グローバル化の進展によって貧富の格差が生じているという議論、地球規模の環境破壊を問題にする議論、多国籍企業が発展途上国の労働力を低賃金で搾取しているという議論などである。
 反グローバリズムの批判の矛先も多様になってきた。WTO関係の会議だけでなく、先進国首脳会議であるサミットや財務大臣・中央銀行総裁会議、さらには民間主催の国際会議であるワールド・エコノミック・フォーラム(ダボス会議)などにもデモが押しかける騒ぎになっている。
 これだけ急速に反グローバリズムの動きが広がったことにはいくつかの理由が考えられる。最大の理由は、グローバル化の進展が多様な形で大きな問題を起こしているといると考える人が増えてきたことだろう。そしてこれだけの規模で活動が盛り上がる裏には、インターネットの貢献が見逃せない。インターネットの普及で瞬時に多くの情報が世界中を行き交うようになった。反グローバリズムの活動は、その情報網によって広がり、支えられているのだ。
 ただ、本文中でも触れたように、反グローバリズムの人たちの主張をそのまま鵜呑みにはできない。あちこちで破壊活動を起こしているこの動きには、かつての日本の学生運動や反資本主義運動に近い部分も含まれているように思われる。もちろん、地球環境問題や途上国の貧困問題を真剣に考えている活動家も多くいるので、すべてをひと括りにはできない。
 あるいは、すべてをひと括りにできない多様な集団が含まれているところに、反グローバリズムの動きの特徴があるかもしれない。 (「グローバル経済の本質」から)
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<主な参考文献・引用文献>
『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』  ジョセフ・E・スティグリッツ 鈴木主税訳 徳間書店    2002. 5.31 
『グローバリズムという妄想』               ジョン・グレイ 石塚雅彦訳 日本経済新聞社 1999. 6.25  
『徹底討論 グローバリゼーション 賛成/反対』 S・ジョージVSM・ウルフ 杉村昌昭訳 作品社     2002.11.20 
『それでもグローバリズムだけが世界を救う』  チャールズ・レッドビーター 山本暎子訳 ダイヤモンド社 2003.10.30
『レクサスとオリーブの木』       トーマス・フリードマン 東江一紀・服部清美訳 草思社     2000. 2.25
『裸の経済学』                  チャールズ・ウェーラン 青木栄一訳 日本経済新聞社 2003. 4.23
『グローバル経済の本質』 国境を越えるヒト・モノ・カネが経済を変える    伊藤元重 ダイヤモンド社 2003. 5. 9
( 2004年10月25日 TANAKA1942b )
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民主制度の限界
(27)民主制度とグローバリゼーション
<「グローバル経済の本質」> 民主制度とグローバリゼーションとの関係を短く、そして的確に表現した文章があるのでここに引用しよう。
 「民主主義とはひどい政治制度である。しかし、いままで存在したいかなる政治体制よりもましだ」──このように発言したのは、第二次大戦時にイギリスの首相を務めたウィンストン・チャーチルであったと記憶している。大変に深みのあるコメントである。政治家として民主主義の難しさを体験し、その醜い側面をいくつも見てきたがゆえの発言であろう。だがそれでも、民主主義に代わる好ましい制度はないのだ。
 この「民主主義」は「グローバル化」に置き換えることができる。つまり「グローバル化は多くの問題を伴う。しかし、それに代わるものは考えられない」のだ。グローバル化と対峙し、グローバル化の問題点を抑え込みながら、グローバル化の恩恵を享受していく──それこそが、今日の私たちに与えられた大きな課題なのである。 (伊藤元重著「グローバル経済の本質」から)
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<ブローバル化に伴う成長通> スティグリッツは言う「グローバリゼーションに毒づく人びとは、えてしてその利点を見過ごしている。だが、グローバリゼーションの支持者はそれ以上にバランス感覚に欠けているとも言えるだろう」と。 そこでスティグリッツの文章をもう少し引用しよう。
 1997年7月2日にタイ・バーツが暴落したとき、これがあの大恐慌以来の世界的な経済危機のはじまりだとは誰も認識していなかった。この危機は、アジアからロシア、ラテン・アメリカへと波及して世界中を脅やかしたのである。過去10年間、1ドル=25バーツ前後で取引されていたが、それが一夜にして約25パーセントも下落した。通貨危機が広がり、マレーシア、韓国、フィリピン、インドネシアをも襲った。 その年の終わりには、為替相場の災厄としてはじまったものが、東アジアの多くの銀行、株式市場、さらには経済全体にマイナスの影響をおよぼした。 (「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」から)
 この第4章は<「東アジアの危機」──大国の利益のための「構造改革」>と題されている。スティグリッツは別の本でもグローバル化の負の部分を書いている。
 振り返ってみると、アメリカによる外国の経済政策運営はおよそ成功したとは思われない。われわれのバブル経済がアメリカ国内で崩壊の種を蒔いたように、国外での政策は多数の問題を諸外国に引き起こす下地をつくった。 90年代後半には、開発政策の失敗が、主にIMFを通じて発展途上国に押しつけられていたイデオロギーにたいする批判を招いた。各地でつぎつぎと危機が起こるにつれ、世界中で経済的な不安感が高まった。貿易交渉への不満とともに、アメリカは不公平だという感覚も生じた。この感覚は90年代を通じて大きくなる一方だったが、やがてそれだけではすまされなくなった。 ブッシュ・ジュニア政権の一国主義は、海外にまた新たな怒りと反米感情を呼び起こした。問題は、世界の貧困層に利益をもたらすだけの力がグローバリゼーションにあるかどうかではない。勿論、それだけの力はある。しかし、それには適切な運営が必要なのに、実際は適切に運営されていないのである。 (「人間が幸福になる経済とはなにか」から)
 よく読んでみると「総論賛成、各論反対」と言っているようだ。「きわめて多くの利益をもたらしてきたグローバリゼーションが、なぜこれほどに物議をかもす問題になってしまったのか?」と言っている。さらに 「多くの事例に見られるように、グローバリゼーションの恩恵はその提唱者が言うほど多くないとするならば、その代価はあまりにも大きすぎる。環境は破壊され、政治のプロセスは腐敗し、変化の急速なためにその国の文化は適応できなくなるだろう。その過程で、大量の失業者がうまれ、やがてはもっと長期的な、社会の崩壊という問題が生じてくる。 そのあらわれがラテンアメリカにおける都市部の暴動や、インドネシアなどに見られる民族同士の衝突である」
 本当は「グローバリゼーションは良くない」と思っているのか、あるいは、グローバリズム反対派から批判されたとき「自分はグローバリゼーション賛成派ではありません。この通りそのマイナスの面を書いています」との言い訳ができるように、どちらにも取れるような文章を書いて自分の立場を守ろうとしているのか?学者が政策実行担当者になって、保身術を身につけたのだろうか? たしかにグローバリゼーション反対派から一番批判される立場にいたので、その批判の厳しさを一般人以上に実感したろうし、自分を守るための方法を考えたろうが、この本からTANAKAは、「立場の曖昧さ」あるいは「常に逃げ道を作っておく論法」ということを感じた。
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<バブルよ、大きくふくらめ、最貧国で!> アジア通過危機はたしかに大きな出来事だった。しかし、単なる悲惨な出来事だと見るのではなく、TANAKAはアジア経済が子どもから大人になる過程での「成長痛」だと見る (アジア通貨危機は経済の「成長痛」▲を参照)。 経済が成長するに伴って必要とされる「成長通貨」以上の通貨が供給されたためにバブルがふくらみ、それをヘッジファンドの投資家・投機家が察知し、バーツの売りを仕掛けた結果、バブルがはじけた、と見る。大きな経済的な動揺はあったが、その後アジア経済は成長している。 (東アジア諸国の実質経済成長率▲を参照のこと) このことから分かるように、アジア通過危機はそれほど悲観的に考える必要はない。このことから関連して考えるのはアフリカのこと。サハラ以南の「サブ・サハラ」と呼ばれる国々の経済だ。この地区では経済が停滞していて、人口が毎年2パーセント増加している。と言うことは人々は毎年2パーセントずつ貧しくなっていくのだ。アジアでは必要とされる成長通貨以上の通貨が増加したが、サブ・サハラでは通貨が増加しない。日本では、「インフレ・ターゲットは有効か?無効か?」が議論されている。これはデフレを脱却させるためには通貨流通量を増やせ、ということで、問題点ははたしてその政策で本当に通貨流通量が増加するかどうかということだ。 サブ・サハラでも経済を刺激するのに通貨を増加させる政策が考えられる。その方策は、外国からの投資を増やすことだ。アジアでは将来を展望して、さらに経済が成長すると見て民間の投資が必要以上に殺到したためにバブルがふくらんだ。サブ・サハラでは外国からの民間投資は期待できない。なぜなら、不良債権になり回収不能になる恐れがあるからだ。アフリカのどこかの国に「借りた金は返しなさい」と請求すると「最貧国の債権は放棄せよ」とジュビリー2000が呼びかける。これをリベラルなエコノミストが支援する。 heartだけでbrainのない主張をする。その結果がどうなるのか理解していない。交換の正義が守られないところに経済成長はない。
<100万ドル企業>
最貧国の経済を成長させるためにできることはどのようなことだろうか?TANAKAのアイディアは「100万ドル企業」ということだ。世界には裕福な人が沢山いる。100万ドルを最貧国経済のために寄付出来る人も多いはずだ。 先ず最貧国で、資本金100万ドルの企業を設立する。オーナーは先進国のお金持ち。この企業が将来発展して株式を上場出来るようになったら、株価は10倍、20倍いや50倍にもなるかも知れない。と言っても可能性は少ない。そこでオーナーは100万ドル出して宝くじを買ったと考える。もしかしたら上場会社になるかも知れない、という夢を買ったわけだ。
 この「100万ドル企業」には先進国の、証券会社と監査会社の協力が必要になる。もちろん有償での協力だ。「100万ドル企業」の業種は特に定めないが、企業行動としていくつかの規範を定める。@軍需産業は認めない。A人種差別、宗教差別などの差別に荷担しない。Bケシの栽培など禁止されている薬物に関する生産・流通・販売には関与しない。C不正経理・公務員への汚職に金を使わない。 などを定め監査会社が目を光らすことだ。
<日本へのコメ輸出企業>
ではどんな企業が考えられるのか?将来世界市場で先進国の企業と競争できるような業種とは?先ず考えられるのは、「比較優位」ということから人件費の安さを売り物にする業種、となると農業か?日本の農家の指導によって「コシヒカリ」や「あきたこまち」を栽培し、日本に輸出したとする。日本の消費者が喜ぶ価格で輸出できれば、生産国の農民は大喜びだ。これなら将来株式を上場できるかも知れない。 受け入れ国の日本ではどのような対策を採るか?コメの関税率を次のように定める。自由化初年度は500%の関税率、2年目は400%、3年目は300%、4年目は200%、5年目は100%。そして6年目からは少し工夫する。5年目の輸入実績に従ってその国からの輸入に関する関税率を変える。例えば、5年目の輸入実績が、全輸入量の40%だった国からの輸入に関しては40%、実績が少なく、全輸入量の5%だった国は5%の輸入関税、とする。 このように前年の実績によって次年度の関税率が決まる制度だ。これで特定の国が日本のコメ市場を支配するおそれはなくなる。 「コメの輸入自由化は食料安保上危険だ」との考えは、「特定の国からの輸入に頼ると危険だ」ということだから、多くの国からの輸入であれば食料安保の懸念はない。プライス・テーカーばかりの自由競争市場か?独占企業がプライス・メーカーとして価格を支配している独占市場か?の違いをイメージすれば理解しやすい。
 そして、もう一つTANAKAのアイディアは、この関税に加えてコメ輸入に関しては、全ての場合に10%の関税をプラスし、この関税収入を国連に贈与する、という政策だ。最貧国のインフラ整備に使って貰う。豊かになった日本国民、そろそろ「ノブレス・オブリージュ」を意識してもいいと思う。
<「ゾウ狩り企業」>
アフリカならではの企業としては「ゾウ狩り企業」が考えられる。これは政府・国際機関から認可された企業が、ハンターから金をとって「ゾウ狩り」を斡旋する事業だ。「ゾウ狩りを企業目的としたら、すぐにゾウが絶滅する」との批判は当たらない。ゾウはその企業にとって金儲けの資源なのだから、枯渇させたら企業は経営が成り行かない、金儲けの資源は大切に保護・育成しようとする。この考えはガレット・ハーディンの「共有地の悲劇」をイメージすると理解できる。 ゾウが人類の共有財産であると考えると密猟するものが出て、枯渇するおそれがある。私有化することによって資源を保護・育成しようとする。この考えはクジラにも応用できそうなのだが、ブタやウシを食べる人たちもクジラを殺すことは許さない。
 日本の例で考えると、「入会権」とか「漁業組合」を考えると理解しやすい。江戸時代の資本主義社会では「株仲間」を考えるといい。 商法も整っていなくて、幕府は小さな政府で民間の金銭上のトラブルまで裁定する人員がいなかった江戸時代、株仲間が商業上のトラブルを解決する組織でさえあった。 (この株仲間の機能に関しては、宮本又次著「株仲間の研究」と岡崎哲二著「江戸の市場経済」がおすすめです)
<看護婦養成・派遣会社>
フィリピンでは日本への人材派遣が緩和されるのを狙って、人材派遣会社が活発に活動している。アフリカではすでにアメリカなどへの看護婦派遣が進んでいる。 斡旋会社が利益をあげ、人材育成のための教育機関を充実させ、さらにコンピュータ関係から、建設、設備技術など業種を広げていければ、人材面でのインフラ整備になる。 問題は受け入れ国だ。輸出入の自由化、資本の自由化と進み、人材の自由化を受け入れるかどうかだ。「WTO反対」「グローバリジェーション反対」の主張が「労働人口移動反対」「産業の空洞化反対」と結びついて「受け入れ反対」の運動になるだろう。最貧国の成長へのきっかけを潰してしまう。 トーマス・フリードマンやチャールズ・ウェーランならずとも「反グローバリゼーション連合のことを『世界の貧しい人々を貧しいままにする連合』と呼ばねばならない」と言いたくなる。
<企業が破綻しても多くの経験が残る>
「100万ドル企業」は将来上場会社に成長する可能性は低い、とはじめから覚悟しておくことだ。それでも、たとえ破綻しても多くの物が残る。一つは企業経営の経験だ。「失敗は成功の母」「倒産経験は成功への勲章」と考えることだ。そして、残された設備、資材はムダではない。 日本で第一次資本の自由化(対内直接投資自由化)が始まった頃、ある座談会で松下幸之助は次のように言っている。「ひとたび外国の会社が日本に工場を建てれば、もはや簡単に本国に持って帰ることはできない。売ろうとしたら、値を安く売らないかんことになる」「外国企業が日本にやってくれば、それはもう日本のもんや、こうなるわけやね(笑)」(「東洋経済」1967年9月28日臨時号) ケインズは1924年の論文で「外資系企業の進出失敗・撤退は、その事業資産が本来の価値以下で処分されるので、受入国にとって有利」と言っている。 「100万ドル企業」は破綻しても、次のチャレンジに続くものを残していく。初めからそのように考えていれば、破綻を恐れる必要はない。
<失敗して賢くなる>
「100万ドル企業」はいっぱい失敗するだろう。そのことは貴重な経験になる。トーマス・フリードマンは次のように言っている。
 設計者は、破産に関する法と裁判のシステムを持つ国を考えたことだろう。そのシステムは、ベンチャー・ビジネスに失敗した者が破産を宣告したのち、ふたたび挑み、ひょっとするとまた失敗してまた破産を宣告し、さらに三たび挑んで、ようやく成功してアマゾン・コムとなることを促す──出発点での破産という汚点を、残りの人生で引きずらなくてすむのだ。シリコンバレーでの有名なベンチャー・キャピタリスト、ジョン・ドエールは「失敗しても大丈夫。それどころか、他人の金に頼る前に失敗しておくことは、重要だろう」と語っている。 シリコンバレーでは、破産は、技術革新にとって欠くことのできない必然的な代償と見なされている。そういう考え方が、人々を思いきった賭けに向かわせている。失敗しなければ、始まらない。ハリー・サールは、何度もベンチャービジネスの立ち上げにかかわっては潰れたのち、とうとうシリコンバレーでも屈指の成功したソフトウェア診断システムを立ち上げたのだが、その彼が以前よりよくなり、賢くなっていくという見方がある。だからこそ、何かに挑戦して失敗したとき、たいていは、そのあとの方が簡単に資金調達できるんだ。 みんなが『へえ、あいつは最初の事業で破産したんだって?それできっと何かをつかんだろうから、おれはあいつにまた資金を提供するよ』と言う」
 ヨーロッパでは、破産は、一生涯引きずる汚点となる。ドイツでは、何があろうと、破産の宣告だけはしてはならない。ドイツで破産を宣告するこらいなら、国を離れた方がはるかにましだ(バロアルトへ行けば、心から歓迎を受けることだろう)。 (「レクサスとオリーブの木」から)
<「正義論」支持者は「100万ドル企業」に反対する>
この「100万ドル企業」のアイディアは、100万ドルも最貧国に寄付できる金持ちがいる、ということを前提にしている。「平等こそ正義だ」と信じ、「所得格差を少なくしよう」との政策を実行していたらこうした篤志家・投機家は出てこない。 先に豊かになれる者から豊かになり、その豊かな人の中から「100万ドル企業」への投資家が出てくる。累進課税を厳しくして、高額所得者からいっぱい税金をとって、所得再分配をしたら篤志家は現れない。 カーネギー・ホールやロックフェラー財団、あるいは大原美術館や松方コレクションは生まれないし、人々は「福祉とは個人が自主的に行うものではなくて、政府が行う事だ」と思うようになる。そうすると「政府とは、他人に金を払わせ、自分だけが得をすると誰もが信じている虚構の制度である=Government is the great fiction through which everybody endeavors to live at the expense of everybody else.」が常識となる。 「メセナとかフィランスロフィーとは政府や企業が行うことで、個人には関係がない」との考えが広まるより、個人の資金が期待される方が健全な社会だと思う。
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<魚の取り方を教えれば一生飢えることはない> 「自らのやる気で生産者として自立できるように後押しをさしあげるお手伝いをするのが、フェアトレードです」メイリオ;であり、「恵んでくれなくていい、トレードをしてほしい。自ら力をつけて立たなければ、この国は変わらない」に応えていくのがいい援助だと思う。 「100万ドル企業」の構想は一方的な援助ではない。投資者も見返りを期待できるかも知れない、つまり投資する者とそれを活用する者は平等の立場なのだ。こうした「援助」ということについて興味深い文章があったので引用しよう。
高校で経済学を教えるサム・ゴードン同僚の女性教師のローラ・シルバーの会話
「貧者のための無料サービスに反対しているからと言って、貧者のための医療そのものに反対しているわけではない。食料配給に反対しているからと言って、飢餓を支持しているわけではない」
「うんざりするくらい同じに聞こえるけど」
「僕は『政府が』こういう問題を解決することに反対しているんだ。でも、利己心の長所を信じ込んでいるわけでもない。資本主義という試練がすべての傷を癒してくてるとも思っていない。それが片時も休まず、あらゆる人の生活水準を上げてくれるとも思っていない。 僕は、政府の助けなしに貧困に対処したいと思っているんだ」
「でも、仮に食糧スタンプ制度が中止されたとして、リッチな生活を送る有名人たちが突然良心に目覚め、貧しい地区に車で乗りつけて、そこの人たちをディナーに誘ったりするかしら?」
「そういう人は多くないだろうね。でも、貧乏な人々に食事を提供する慈善団体に寄付する人はいるだろうし、飢えた人に食糧を与えるだけに留まらない慈善活動に寄付する人も出てくるだろう。マイモデスという人を知っている?」
「知らないわ」
「13世紀のユダヤ人哲学者だ。ヘブライ学校では、僕にとって一番のお気に入りだったな。マイモデスは、慈善行為を行うばあい、そのやり方には2つの面があることを理解していた。与える側と受け取る側だ。彼はその双方を気にかけていた。彼は、与える側は純粋な心を、受け取る側は尊厳を持つよう願っていた。 マイモデスが言うには、ユダヤ法に則って考えれば、最高水準の慈善行為というのは、受け取る側が経済的に自立することを助けるような形で、贈与や融資その他の支援を行うことらしい」
「人に魚を与えれば一晩で食べてしまうが、魚の取り方を教えれば一生飢えることはない」
「それだ、それと、マイモデスは尊厳と心の純粋さを維持する手段として、匿名性を非常に気にしていた。慈善行為として最低なのは、与える側と受け取る側が双方の素性を知っていて、物惜しみする心が伴う場合だ。僕が思うに、マイモデスは、受け取る側が、自分が誰から恵んでもらっているのか知るのは屈辱的であると感じるとともに、与える側も、自分が誰を支援しているのか知るのは不健全だと感じていたんだ。 僕がマイモデスから学んだことは3つある。まず、自立を目標とすべきであること、それから、受け取る側の尊厳を忘れてはならないということ。そして最後に、忘れてしまいがちなんだけど、与える側の心も大切だということ。まったく与えないよりは与える方がいいけれど、理想は、物惜しみしながら与えるのではなく、喜んで与えることだ。頼まれる前に与えるのが理想だね。 誰かを自分に依存させるというエゴゆえにではなく、共感ゆえに与えるのが理想だ。だからマイモデスは、与える側・受け取る側双方の匿名性を気にしていたんだと思う。だから、乞食を家に連れていって夕食を与えるのも悪くはないけれど、一番いいのは、彼が自立するのを助けることだ。民間の慈善団体が食糧スタンプ制度を肩代わりできるとは思わないけど、人々が自立するのを助ける方法は見つけられるんじゃないかな」 (「インビジブルハート」から)。
「人に魚を与えれば一晩で食べてしまうが、魚の取り方を教えれば一生飢えることはない」 については同じようなことを言っている人がいた。
 飢えた者に一匹の魚を与えるよりも、魚を釣る方法を教えるほうがずっと効果的で価値があるのではないかな。飢えに苦しむ国の人々が、いつまでも他国の援助を求めず、自力で増産に取り組めるようになることが肝心だ。そのお手伝いをすることを、われわれの目的にすべきではないだろうか。 (「よみがえれアフリカの大地」から笹川良一の言葉)。ラッセル・ロバーツと笹川良一、二人の共通点は見あたらないが、言っていることはまったく正しい。このように「日本も顔の見える援助をすべきだ」との主張は正しくはない。インフラを整備し、自立を支援するという日本のODAの基本姿勢の方がよりよい援助の姿勢だと思う。
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『グローバル経済の本質』 国境を越えるヒト・モノ・カネが経済を変える    伊藤元重 ダイヤモンド社 2003. 5. 9
『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』  ジョセフ・E・スティグリッツ 鈴木主税訳 徳間書店    2002. 5.31
『人間が幸福になる経済とはなにか』     ジョセフ・E・スティグリッツ 鈴木主税訳 徳間書店    2003.11.30
『株仲間の研究』                              宮本又次 有斐閣     1958. 3. 5
『江戸の市場経済』                             岡崎哲二 講談社     1999. 4.10
『レクサスとオリーブの木』       トーマス・フリードマン 東江一紀・服部清美訳 草思社     2000. 2.25
『インビジブルハート』                ラッセル・ロバーツ 沢崎冬日訳 日本評論社   2003. 4.30
『よみがえれアフリカの大地』                       山本栄一著 ダイヤモンド社 1997. 4.17
( 2004年11月1日 TANAKA1942b )
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民主制度の限界
(28)市場における競争と適者生存
<政治経済学と進化論> 「民主制度の限界」と題されたこのシリーズ、視野狭窄にならないようにと、話題を広げてきて、先週は「グローバリゼーション」について考えてみた。いろんな反対意見のうち、感情的なものや凝り固まったイデオロギー、宗教的信念に基づいたものは別とすると、その主要な懸念とは「グローバリゼーションは世界中に<弱肉強食>を広めるものだ」ということになりそうだ。 そこで「弱肉強食」とか「自由競争」とか言われることについて、例によって「好奇心と遊び心」をもって、多方面から考えてみることにする。
 しかし「エコノミストは、人々にこうすべきだと告げることはできない。しかし、民主社会における市民がより良い政策選択をなしうるよう、さまざまな代替案(選択肢)を課し、その結果どれぐらいの便益をもたらすかという点を明らかにすることはできる」 (「経済学で現代社会を読む」から)との考えもあるので、それなりの節度を持って書くことにしよう。
<市場での「弱肉強食」とは?> 「市場経済は弱肉強食の経済で、強い者だけが生き残る非情な社会だ」との見方がある。この場合の「弱肉強食」とは実際はどのようなことなのだろうか?日本の自動車業界ではトヨタのカローラとホンダのフィットが販売台数を競っている。「市場でトヨタとホンダが競争している」との表現は間違っていない。だがその実態とは? 「トヨタとホンダが互いに相手を攻撃している」とか「足を引っ張り合っている」というわけではない。実際は宣伝活動とセールス活動によってユーザーを獲得しようとしているのだ。製造部門はユーザーに気に入られる車を造り、営業部門は自社製品の良さをユーザーにアピールする。ユーザーの好みはなかなか分からないし、変化もする。 それを判断し、適切に対処した会社が売上げを伸ばす。大きな会社が勝つとは限らないし、大人数で長い時間営業したから勝つ、とも限らない。「お客様は神様です」の精神に徹して、神様のハートを掴んだ方が勝つ。従って「強いから勝つ」のではなく「勝った方を強いと呼ぶ」のが正しい。
 三菱自動車が経営不振に陥っている。何故だろうか?強いメーカーに攻撃されたのだろうか? トヨタ、ホンダ、日産などに原因があるのだろうか?違う、三菱自動車の経営不振の原因はハッキリしている。度重なる「クレーム隠し」によってユーザー=消費者=神様に嫌われたのが原因だ。日本の社会が「消費者を裏切ってヤバイことすると、結局は損する社会」になったことに気づかなかったのが原因だ。 当世、大企業も、中小企業も、零細企業も、製造部門も、営業部門も担当者は誰もが消費者に学ぼうとする。それが市場で勝つための戦略だ。三菱自動車では経営者も従業員も消費者を甘く見ていた。一部の業界でよく言われる「消費者教育が必要だ」と同じ思い上がりがあった、と考えるのが正解だろう。
 2004年11月8日の新聞のトップ見出しに「三菱自、本社移転白紙に」、1000人「京都なら退社」とあった。三菱自動車が経費節減から、東京にある本社を京都に移転しようと、5月末に打ち出した「再生プラン」、しかし社員は「京都に移転するなら生活の見通しが立たないから退社する」と言い出した。 社員はユーザーの気持ちを知ろうとしなかったし、役員は社員の気持ちを知ろうとしなかった。社員にとって「お客様は神様です」であり、経営者にとって「従業員は神様です」が理解されていない。消費者主導の市場経済が分かっていない。これでは三菱自動車の再建への道は厳しいものになるに違いない。
 消費者を裏切ってヤバイことして結局は損した例として、食肉偽装事件がある。「利潤追求第一にしたために起こった」との意見もあるが、それは違う。発覚する確率が1割程度と考えても、損得を勘定してみてば、やらない方がいい、ということが分かる。 「利潤追求第一にしたために起こった」のではなくて、「損得勘定が出来なかった」と考えた方が正解だ。つまり「利潤追求第一に徹すれば、あのような消費者を裏切り結局は損をするようなバカなことはしなかった」と言える。
 市場で「強者」と「弱者」を決めるのは、競争する企業同士ではなく、消費者=神様がそれを決める。
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<消費者に利益をもたらす者が強者となる> 市場で、消費者=神様はどのような基準で「強者」と「弱者」を決めるのだろうか?そのような疑問に対してここではルートヴィヒ・フォン・ミーゼスがなんと答えているのか?ちょっと聞いてみよう。
 市場経済の特徴の一つは、人間の生物的・道徳的・知的不平等がもたらす問題の特殊な取り扱い方にある。
 前資本主義時代には、優秀な者、すなわち他人よりめざとく有能な者が、自分よりも劣っている大衆を服従させ奴隷化した。身分社会では、主人と従者というカーストがあった。すべての問題はただ前者のために運営され、後者は主人のためにあくせく働かなければならなかった。
 市場経済では損益制度が働いて、多数の劣っている人々を始め、すべての人々の利益のために、優れた人々が奉仕せざるを得ないようにしている。この制度の下では、すべての人々に利益を与える行為によってのみ、最も望ましい状態に到達することができる。消費者としての立場で大衆は、すべての人々の収入と富を究極的に決定する。 彼らは彼ら自身、すなわち大衆を最も満足させるために資本財を使用する方法を知っている者へ、その支配を委ねるのである。
 優れた判断の持ち主から見れば、最も栄えている者が、人類の中で最も傑出した人物だと言えないことは、もちろん事実である。不器用な多数の凡人は、自分の悲惨な状態をカバーしてくれる人々のメリットを正当に価値評価するには適していない。彼らは、自分の欲望の満足を基準にして人々を価値評価する。 したがって、ボクシングの選手や探偵小説の作家は、哲学者や詩人よりも高い名声を博し、収入も多い。この事実を悲しむのは確かに正しいことだが、天才のインスピレーションを欠く人々が、以前には誰も知らなかったので、始めは拒否するようなアイディアを人類にもたらす、イノベーターの功績に対して公正な報酬を与えることができる社会制度は、誰にも考え出すことはできないだろう。
 いわゆる市場民主主義がもたらすものは、大衆が製品購入によって承認を与えた企業の生産活動を促進する仕組みである。消費者は、そのような企業に利益を与えることによって、自分たちに最もよく奉仕する者の手中へ、生産要素の支配権を移す。消費者は、不手際な企業者の企業に損失を与えることによって、自分が賛成できないサービスを提供している企業者から支配権を取り上げる。 政府が利潤に課税して人々のこのような決定を妨げるのは、言葉の厳密な意味で反社会的である。純社会的立場から言えば、利潤に課税するよりも欠損に課税した方がもっと「社会的」であろう。 (「経済科学の根底」から)
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<自然界での「適者生存」とは?> 地球温暖化が危惧されている。地球の平均気温が上がることによって、自然界ではそれに適応できず絶滅する種があるだろう。地球温暖化が進むと、現在熱帯の猛暑の中でわずかに生息している生物が、その繁殖地域を広げ、地球上の多くの地域で生息するようになる。現在、温帯、寒帯で広く生息している生物が、その温暖化に適応できなくて死滅することになるだろう。 ところで、温暖化に適応した生物は「強者」で、適応出来なくて死滅した生物は「弱者」だったから死滅したのだろうか?これは少し違う。「強者」だったので生き残り、「弱者」だったから死に絶えたのではない。たまたま変化した環境に適応出来た生物が生き残ったのであり、その生物が「強者」であったわけではない。 むしろ熱帯の極狭い地域で細々と生きていた「弱者」だったかもしれない。原因と結果が違う。生き残った生物を「強者」と呼び、死に絶えた生物を「弱者」と呼ぶのだ。
 自然界にあっての「弱肉強食」とは必ずしも、強い生物が弱い生物を食べる、という意味ではない。進化の過程で絶滅するのは、「強者」に食べられる「弱者」という意味ではない。 「強者」ライオンが「弱者」トムソンガゼルを食べるからといって、それによって「弱者」トムソンガゼルが絶滅する訳ではない。
 自然界での生存競争とは「弱肉強食」と表現するよりも「適者生存」との表現のほうが、より正確に表現している。絶滅する種=弱者は強者によって滅ぼされるのではなく、自然環境の変化に適応できずにその生息地域を狭め、やがて絶滅する。 ある時期地球上で繁栄している種は、その環境に最も適した種であるから、その環境が変化すれば、変化した環境に適さない種になる。このときそれまで地球上のどこかで、目立たない寂れた地域で細々と生息していた「弱者」が、変化した環境に適応して一気に繁栄し「強者」になることもあるだろう。
 自然界で「強者」と「弱者」を決めるのは、食肉動物とそれに捕獲される動物とではなく、自然環境の変化がそれを決める。
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<人間社会での「強者」と「弱者」とは?> 「弱者に対するきめ細かな政策が必要だ」と言われると反論する人は少ない。「ではどのような、きめ細かい政策が必要なのか?」との議論は、ここでは横へ置いておいて、ここでは「弱者」について考えてみる。
 「正義論」は「最も恵まれない人の便益を最大化することが正義だ」と主張する。そこでTANAKAは「では、最も恵まれない人とはどういう人だ?」と問いかける。 「恵まれない人」と言っても幾つかに分類できる。例えばその責任が誰にあるのか?本人か?家族か?他人か?企業か?政府か?台風・地震・異常気象などの自然現象か?本人の責任によって「恵まれない人」になったのに、社会が面倒を見なければならないのか?本人でも政府でもなく他人の犯罪による被害者を政府が面倒をみるべきか?そうした「恵まれない人」と政府の責任による「恵まれない人」とはどう区別すべきか? 恵まれない人が多数か?少数か?でも対処の仕方が変わってくる。全国に数人しかいない難病患者と沢山いる交通事故被害者。
 このような捉え方と、「先天的」「後天的」との捉え方ができる。つまり、生まれつき「弱者」であった人と、生きていくうちに「弱者」になった人がいる。生まれつき「弱者」である人を税金を使ってでも支援しよう、との主張には反対意見は出ないだろう。生きていくうちに「弱者」になった人については、本人の責任がどの程度あるかに、によって対処の仕方が違ってくる。 本人に責任がある場合の多くは、本人がハイリスク・ハイターンを狙って失敗した場合が多い。そこで、ハイリスク・ハイターンである、投機などを制限しようとの考えも出てくるが、これはあくまで本人の責任なので、社会で制限するのは違っている。 つまり「自己責任」をハッキリさせることが大切だ。例えばタバコ、有害であることを承知の上で喫煙するなら、それを禁止する必要はない。
 しかし、「何もかも自己責任にするのは良くない。社会的に規制し、危険に近づかないような制度にすべきだ」との考えもある。個人の自由を大切にしようとする人たちは、こうした考え方を「リーガル・パターナリズム」と呼び、「お節介主義」ととらえて批判する。
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<政界での「多数派」と「少数派」とは?> 人間社会ではいろんなところで「勝った負けた」の競争が行われている。勝者が出れば、敗者も出る。競争が始まる前から勝ち負けが予想できる場合もあれば、終わってみて初めてどちらが強かったのか分かる場合もある。この場合は「強い者が勝った」のではなくて「勝った者を強者と呼ぶ」ことになる。 さて、政治の世界での「強者と弱者」、「勝者と弱者」とはどのようなことだろうか?民主制度では多くの有権者の支持を獲得した者が勝者になる。このため国会議員は選挙に望み、自分を有権者にアピールする。それはちょうどメーカーが自社製品を広告等でアピールするのに似ている。 民主制度はこうした点で市場経済との類似点が見出される。しかし民主制度には市場経済にはない弱点がある。国会議員選挙での立候補者は有権者の支持を得ようと政策を訴える。その政策は多くの有権者にアピールするものであるはずだ。ところがちょっと違う場合がある。立候補者は多くの票を獲得したい。しかし同時に、政治献金してくれる支持者も大切にしたい。 たとえ少数意見でも、多くの政治資金を提供してくれたり、強力に選挙活動を支援してくれる人・団体・業界の意見は政策に反映しようとする。こうして「族議員」が誕生する。
 こうした点についてロバート・バローは次のように言っている。
 民主化が経済成長に与える影響は、よくわかっていない。ミルトン・フリードマン(『資本主義と自由』)など、政治と経済の自由は相互にプラスの影響を与えると主張する人たちもいる。 政治的な権利が拡張すると、すなわち民主化が進むと、経済的な権利が確立され、経済成長が刺激されるという見方である。
 しかし、民主主義には、経済成長を阻害する性質があることも、しばしば指摘されている。民主主義においては、富める者から貧しい者に所得の再分配する政策を、多くの人が求める傾向がある。累進課税、身体障害者などの特別利益団体が強い政治力を持つことである。こうした団体は、自分たちの利益になるような政策をとるよう政府に圧力をかける。政府が圧力に屈すると、経済に歪みが生じ、経済成長が阻害され、結局、そのしわ寄せは弱者にいく。 (「経済学の正しい使用法」から)
 「国会議員は一部の人の利益代表ではなくて、全国民の利益代表であるべきだ」と言うのは建前論で、実際は一部の人たちの利益代表・意見代表である場合が多い。しかし、程度問題で、あまりにも国全体の利益を無視していたら、有権者が次の選挙で落選させるだろう。 有権者はそうした力を持っている。「国民はマスコミに影響されて、正しい情報を得ることが出来ず、そのため公正な評価ができない」との批判もあるかもしれないが、日本の有権者は結構優れた政治的センスを持っていると思う。 あまり悲観的に考えることはない。悲観的に言う人は「有権者はどうして私の主張を理解しないのだろう?それはマスコミに誤った考えを植え付けられたからだ」と八つ当たりしているのだ、と考えると分かりやすい。
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<「競争的市場の擁護」> 自然界で、人間社会でいろんなところで、いろんな競争が行われている。全く競争のない社会など考えられない。この競争ということ、経済学では「市場での自由な競争は資源の最適配分をもたらす」と言って「良いことだ」と評価する。 それはどういうことなのか?「競争はなぜ必要か」と題された本から一部引用しよう。
 生産および分配という経済の基本問題を処理する方式には市場システムから計画化(または指令)までいろいろあるが、自由の培養基でありうるようなシステムは競争的市場ただ一つである。伝統的経済、封建制、計画経済(指令経済)では人々はなすべきことを命じるルールや慣習的規制が自由な選択を許さない。 家(オイコス)の経済には自然とのゲームにおける創意工夫や選択の余地は残されているが、基本的な戦略は「自然に服従する」という形をとらざるえを得ない。人間がつくる社会システムの中で自由を最大限に保存できるのは市場システムを措いてないのである。
 競争的市場擁護論はこの非功利主義的理由をまず第一にあげるべきであろう。すなわち、
@競争的市場は経済的自由を実現し、保存するために必要なシステムである。
A競争的市場は、経済を担当して生産および分配を遂行することができる。これは市場システムの「自己調整機能」と呼ばれている。簡単に言えば、経済に関する大概の問題は市場システムだけで自動的に解決できる、ということである。ただしこれに対する異論があることはすでに見た通りである。
B競争的市場は、資源の最適配分をもたらす。すなわちそれは、与えられた条件の下で(例えばゲームに参加するプレーヤーの出発点における持ち分は与えられており、それ自体が好ましい分配状態であるかどうかは別にして)、これ以上誰かの状態を改善するには、他の誰かの状態を改悪せざるをえないような最終状態の一つに到達することができるのである。 経済学者はこの最終状態のことを「パレート最適」と呼んでいる。出発点における条件が変われば、パレート最適の状態は無数にありうる。しかしその中のどれがもっとも好ましいかは、何らかの主観的評価基準によらない限り、一般に判断することはできない。
 このBは、一口で言えば競争的市場の「効率性」を主張するものである。競争的市場擁護の理由としてよく持ち出されるのもこの効率性ということであり、しかもこれはどのプレーヤーにも肩入れしない立場にある人間──アダム・スミスのいう「公平無私の観察=インバーシャル・スペクテーター」──の支持を得るであろう基準であると言ってよい。 (「競争はなぜ必要か」から)
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<自由貿易は弱肉強食なのか?> グローバリゼーションについて考えて、「弱肉強食」とか「競争」について考えてみた。こうしたことを踏まえて「グローバリゼーションは弱肉強食を強いるのか?」について考えてみよう。 「自由貿易こそが国民を豊かにする」は経済学の常識なのだが、それが常識であることが分からない人たちがいるようだ。そこで貿易が国民を豊かにする、ということについての文章を引用しよう。
<貿易は、我々を前より豊かにする> 貿易は、経済学上の最も重要な考えの一つであるとともに、直観で最も分かりにくい考えの一つでもあるという特質を持っている。エイブラハム・リンカーンが、大陸横断鉄道を完成させるのにイギリスから安い鉄道レールを買ったらよい、と勧められたことがあった。 彼はその時「もしレールをイングランドから買えば、レールは手に入るが、お金は彼らのものになるではないか。しかし、レールをこの国で作れば、レールも我々のものになるし、お金も我々のものになる」と答えた。 貿易の利益を理解するには、リンカーン氏流の経済学の考えが誤っていることに気づかなければならない。彼の論点を分かりやすくして、論理的欠陥が明らかになるか見てみよう。もし私が肉屋から肉を買うならば、私は肉を受け取り、肉屋は私からお金を貰う。 しかし、私が裏庭で雌牛を3年間飼って、自分の手で畜殺するならば、肉は手に入るし、私のお金はかからない。それなら、なぜ私が裏庭で雌牛を飼わないのか。それがとんでもない時間の浪費になるからである。それだけの時間があれば、はるかにもっと生産的なことをするのに利用できただろう。 我々が他国と貿易するのは、こちらがより得意なことをする時間と資源を貿易が与えてくれるからである。
 ポール・クルーグマンはこう述べている。「貴方ならそう言うだろうし、また、私もそう言いたいが、人間の善意ではなく利潤を動機に推進されるグローバリゼーションの方が、善意の政府や国際機関から提供されるすべての対外援助や穏やかな条件の融資よりも、はるかに多くの人々のために、はるかに大きく貢献している」。 それから、沈んだ調子で「しかし、こんなことを言うと、経験から分かっているが、間違いなくいっせいに抗議の手紙が舞い込んでくる」と付け加えている。 (「裸の経済学」から)
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<「比較優位」をマスターしよう> 「グローバリゼーション反対」を主張する人たちは「比較優位」を知らないのだろう。貿易によって消費者が安い外国製品を買うことができたり、外国へ製品を輸出して会社が利益を上げたりすることはわかっても、結局「強い者が勝つ、弱肉強食の世界だ」と思ってしまう。 自由貿易でこそフェアトレードがうまくいく、と分かっていても、それでも「比較優位」を理解しないと、「グローバリゼーション反対」になってしまう。そこで「比較優位」を経済学の初歩の初歩の本から引用しよう。 本の題はズバリ「はじめての経済学」だ。
 貿易が一国の経済に非常に大きな影響を及ぼすことは、経済学の歴史の中でも長い間、議論されてきました。既に上巻1章で少し触れたのですが、現代の経済理論はその出発点で、実は貿易の問題を議論する過程で発展してきたと言っても過言ではありません。 重商主義を批判するために『国富論』を書いた、アダム・スミスの議論は、市場経済の価格メカニズムを分析する上で大変大きな貢献を果たしました。それを受けて比較優位の議論を展開したリカードの議論は、経済学の発展に更に大きな影響を及ぼしたのです。
 リカードの比較優位の理論は、現在の国際貿易を考える上で最も基本的なものになります。その考え方について簡単に説明してみましょう。リカードの比較優位の理論は比較的簡単な数値式で説明されることが多いのですが、本文では複雑になるので、数値式の議論は次のページにコラムとして整理しましたのでそちらを参考にしてください。 本文中ではごく簡単に、数値式を使わずに比較優位の考え方について述べたいと思います。
 比較優位の考え方は、簡単にまとめると次のような内容から構成されます。
@さまざまな財やサービスを生産するには、労働や資本、土地といった生産資源を利用することが必要となります。しかし、どの国でも生産資源の量には限りがあるので、一国ですべての財をつくろうとすると、生産量に限界が出てくることになります。
Aそれぞれの国には自然、環境条件、技術条件、あるいは土地や労働といった経済資源の量の大小を反映して、得意な産業と不得意な産業があります。したがって、できるだけその国が得意とする産業に集中することで、その国はより多くの生産価値を生み出すことが可能になります。ただし、生産が得意な産業に生産資源を集中すると、それ以外の産業の生産量が少なくなります。 それを補うためには、どうしても海外から輸入しなくてはいけないことになります。
Bそれぞれの国の得意・不得意、つまり比較優位のパターンを反映して、それぞれの国が得意な産業に集中していくことが必要になるます。ただ、政策担当者が計画経済的にそうした生産パターンを実現しようとしなくても、ただ貿易障害を撤廃し、自由に貿易ができるようにしてあげれば、市場メカニズムに導かれて、結果的に各国は自分にとって得意な産業に生産を集中させることになります。 その結果、世界全体としてみると、より多くの生産がより効果的な資源配分の下で実現することになります。
 以上が比較優位の考え方の基本的な特徴です。ここから出てくる政策的な含意は、各国はできるだけ貿易の障害を撤廃すべきであるというものです。貿易にいろいろな形で規制をかけないで、市場の自律的な取引に任せておけば、世界全体としても調和的な形で貿易が実現することになります。こうしたものの考え方が、アダム・スミスやリカードに原点を置く、国際貿易の基本的な考え方になっています。
 その後、いろいろな形でこの考え方は拡張され、たとえばヘクシャー=オリーンの定理として知られているように、比較優位の成立パターンには各国の技術だけでなくその国にどのような生産資源がたくさんあるかということも重要な意味を持っていることが知られています。
 ヘクシャー=オリーンの定理によれば、各国はその国にたくさん存在する生産要素を集中的に利用するような産業に比較優位を持つようになります。たとえば日本とアメリカを比べると、アメリカには土地が豊富にあり、日本には勤勉な労働者が相対的にたくさんあります。アメリカは土地を集約的に利用する農業生産に比較優位を持ち、日本は勤勉な労働者がたくさん生産する機械産業に比較優位を持つことになります。 (「はじめての経済学」から)
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<競争は市場の活力> 市場でも競争が必要であることは、いろんな経済学者がいろんな言い方で主張している。ここでもう一人登場してもらうことにする。これも「やさしい経済学」と題された、本当にやさしい本からだ。
競争はなぜ必要なのか 「市場競争はなぜ必要なのか」と聞かれれば、大部分の読者は「そんなことは当然だ。今更議論する必要もないのではないか。競争がなければ、人々は現状に安住し、技術革新も起こらない」と答えるのではないだろうか。
 実際、このことは歴史的に証明されている。例えば、市場メカニズムを否定した社会主義諸国の多くは破綻し、市場経済に移行し始めた。また、日本の産業を見渡しても、早い時期から国際的な競争をしなければならなかった自動車やエレクトロニクス産業は国際的にも強い競争力を誇っているのに対して、建設、流通、農業、薬品など、規制や保護などに依存してきた産業の競争力は総じて弱い。 大学などの知識創造分野でも、多くが当局の規制下にあったらめ、十分なインセンティブがなく、根本的な改革が必要になっている。
 しかし、一般論として市場競争は肯定しても、具体論になると、市場競争に対する拒否反応は非常に強いのも現実である。競争は「弱肉強食」を容認することであり、それは共存共栄の理想社会を目指す人間社会にとって望ましくないという考え方である。このような考え方からは、競争制限への強い主張が出てくることになる。
 厳しい競争にさらされている企業が生き残りをかけ、雇用に手をつけるという段階になると、競争は善だと考えている人でも、そのようなリストラは好ましくないと考えるかもしれない。多くの企業は、このような世論に配慮し、雇用調整の手をゆるめ、結局はぬるま湯的なリストラ策でお茶を濁してしまう。その結果、企業業績が長期にわたって低迷することになる。
 また、銀行が、借金を返せなくなった企業向けの不良債権を放棄する例が増えている。これは、「競争に敗れた効率の悪い企業は市場から退出する」という市場競争の大原則からの逸脱である。競争に敗れた企業を救済し、市場から退出させないという「反競争的」イデオロギーが日本社会では非常に強い。このことが実は、非効率な分野に資本や人材を押しとどめ、日本経済全体の効率性を損なう結果になっている可能性が大きいのである。
 市場競争は必要だという一般論には賛成でも、個別具体的案件になってくると、多くの人は「反競争的」な解決策(救済策)に頼ろうとする。このような市場競争を巡る人々の矛盾した対応に対して、我々はどう考えるべきなのか。以下で。この点を論理的に明らかにしていきたい。
規制と保護は「野生動物をペット化する檻」 野性の動物を捕まえてきて、ペットとして飼いならすことを考えてみよう。動物は死に物狂いでえさを探す必要はなくなり、楽な生活ができるようになる。しかし、鎖でつながれたり、檻の中で生活しなければならず、自由に野山を駆け回れない。やがて筋肉がなえ、俊敏性など本来的能力がなきなっていくだろう。そして、この動物は厳しい自然の中では生活できずに、鎖や檻という「規制」を好むようになり、本来の動物としてのすばらしさを失うことになるだろう。
 市場競争を野性の動物界に例えることが適切かどうか分からないが、競争のエッセンスはとらえられるのではないだろうか。市場競争にさらされている企業は常に新製品を開発しコストを引き下げ、顧客の満足を得る努力をしないと生きていけない。だから、あらゆる知恵を動員して、マーケットでの生き残りを図ろうとする。その結果、こうした企業は変革に向けたダイナミズムを持ち続けることができる。他方、規制と保護で飼いならされた企業は、ペット化した動物と同じことで。競争市場に出ていくことを怖がり、何かと規制が撤廃されないようにと政治家に働きかける。 規制緩和をはじめとした競争促進政策に対する業界の抵抗が強いのは、競争で勝ち残るだけの自身を喪失しているからにほかならない。
 規制が温存されると、ますます競争する能力が落ち、人材や資本を無駄遣いすることになる。こういう規制や保護の対象になる産業が多ければ多いほど、国全体としての経済効率が低下する。
 このような現実世界から離れて、すべての分野で競争的な市場が成立している状態を考えてみよう。経済学ではこういう状態を「完全競争」と呼ぶが、完全競争のもとでは、どの企業も市場に対して支配力を持たない。また、他企業よりも非効率でコストの高い企業は存続できない。
 企業が生き残るためには、努力によって、経営コストを他の競争力のある企業と少なくとも同じレベルにまで引き下げる必要がある。従って、完全競争下では、非効率な企業は淘汰され、効率の良い企業だけが生き残ることができるので、資本や労働力も無駄に配分されることがなくなる。
 もっと言えば、競争下にある企業は技術革新の能力についても常に競争してういる。他企業に負けないように新製品を出し、コストを削減するための絶えざる努力をしないと、いつ市場から退出させられるかわからないからである。(中略)
競争がない国立大学で何が起こったか 競争がない世界ではどのようなことが起こるのか。そのことを端的に示す一つの例が、日本の国立大学である。
 国立大学の最大の問題は「インセンティブの欠如」という問題だ。大学における研究や教育のパフォーマンスが悪くても、国が講座数など固定化された基準で財政支援しているため、「倒産」の危険がなく、研究水準の向上や教育サービスの充実に向けたインセンティブが機能しない。
 このことは個々の教官についても同様である。実際、頑張ってすばらしい業績をあげた研究者も、何もしないで長年論文を書いたこともない人も殊遇は変わらない。教育に情熱を傾け、学生たちから尊敬され人気の高い先生も、十年来の講義ノートを棒読みにして生徒に見向きもされない先生も同じ待遇である。これでは研究や教育の水準向上は見込めない。
 もちろん、教育者のやる気は金銭的な待遇だけに左右されるわけではない。現在のシステムでも研究や教育に情熱を燃やしている人はいる。だが、残念ながら、それは全体のごく一部に過ぎない。だからこそ、何らかの評価とそれに連動した処遇の仕組みが教育機関にも必要なのである。
 教育の場に競争原理を導入することには批判的な意見が多いが、学校を活性化するのに一定の成果を上げる可能性は十分にある。大学については2000年4月に第三者評価機関である大学評価・学位授与機構が発足した。第三者による評価制度がスタートしたこと自体は大いに評価すべきだ。研究や教育の質をどうやって測るかという根本的問題はあるが、それが困難だからという理由であきらめていては、事態は何も改善しないだろう。
 重要なのは、国立と私立の区別をなくし(国立大学の民営化)、第三者機関による評価をもとに、教育・研究の予算配分を決定するという競争的仕組みの導入である。国立大学であるというだけで、自動的に膨大な予算が割り当てられるという仕組みを廃止し、私立大学でもパフォーマンスが良ければ国からの支援が期待できるような予算配分を実行するのである。
 もちろん、大学を完全に市場競争にゆだねてしまうことは不可能である。基礎研究のように民間企業では十分にできない研究には、国が予算を付けなければならないし、特定分野の振興のために政治的な配慮も必要になるかもしれない。
 このような配慮をすることと、教育の場に可能な限り競争原理を持ち込むことは矛盾しない。いずれにせよ、競争が欠如したところにダイナミックな発展はないからである。
「効率」あっての「公正」 競争は弱肉強食の世界を生み出すから反対という「反競争」イデオロギーにたいしては、どのような答えが可能だろうか。
 競争が淘汰を生むことは自明であるが、淘汰される企業や失業の憂き目にあう労働者に同情しない人はむしろ少ない。しかし、目の前で苦しむ企業や労働者を救済するために競争を否定すれば、経済社会全体の停滞を生み出す。このミクロ的視点からくる「同情論」とマクロ的視点からくる「停滞論」という対立はどのような論理で解消できるであろうか。
 この点について経済学の世界では、50年近く前に1つの理論的解決を得ている。これはノーベル経済学賞を受賞したケネス・アロー教授が証明した「厚生経済学の基本定理」として知られている。この理論のポイントは「社会全体の厚生水準を最大化するためには、まず競争原理の貫徹により経済効率を最大限に引き上げ(国内総生産を最大にする)、その後、望ましい所得分配を実現するための所得再分配政策を実行せよ」ということである。
 つまり、倒産や失業を恐れて競争を制限するのではなく、徹底的に競争原理に従って経済効率を引き上げ、経済のパイを最大にすることを優先する。その上で、競争の結果発生した所得分配の不平等を、社会保障政策、税政などの所得再分配政策によって是正すれば、社会にとって最適な資源配分が実現するということである。
 ここでは考え方の順序が重要である。弱者救済のための競争制限から入るのではなく、効率を最大にするために競争原理の貫徹から入る。その後に、最大化されたパイを活用して、競争の結果生じた不平等を社会政策によって是正する、という順序である。このような観点から見ると、日本の経済政策の最大の欠点は、「救済」(競争制限)から入るケースが非常に多かったという点である。
 「総論賛成・各論反対」や、痛みを恐れて規制緩和などの競争政策を先送りするという日本政府のこれまでの取り組みは、その典型例である。改革に伴う痛みを恐れた先送り政策で景気が回復しないことは、90年代の日本経済の長期停滞が証明している。小泉純一郎首相は「構造改革なくして景気回復なし」という考えを打ち出し、多くの支持を得た。 郵政事業の民営化など競争原理の貫徹から始めないと、日本経済を本格的に立ち直らせることはできないという市場競争に対する正しい認識が、ようやく日本でも根づき始めたことを示しているかもしれない。 (「やさしい経済学」から 中谷巌著「競争は市場の活力」から)
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<市場原理主義はダメなのか?> 経済成長のためには競争が必要だ、と頭で理解しても、それでも「市場原理主義は良くない」という人がいる。こうした批判に経済学者は何と答えるのだろうか?
 2001年から2002年にかけて、アメリカで起きたエンロンやワールド・コムの粉飾決算事件は、情報開示が不十分だたり、開示された情報の真偽を監査する制度に不備があったりしたため、企業の情報操作を許したケースである。こうした事件が起きると「市場原理主義」は駄目だとか、「アメリカ資本主義はグローバル・スタンダードなどといわれて、はやしたてられていたが、実は、ろくで、おない代物だ」などと批判されがちである。 しかし、市場とは資源の配分や人々の間の所得の分配を決める手段なのであって、規制やルールのあり方によって、その性能は良くも悪くもなる。性能に問題のあることが判明した場合には、性能が悪かった原因を徹底的に追及し、性能が良くなるように、規制やルールを変えることが重要である。情報の非対称性が存在する限り、人々が嘘をついて利益を上げようとしたり、責任を逃れようとすることを根絶することはできない。 しかし根絶できないからと言って、市場を否定して、社会主義のように、他の手段で資源の配分や所得分配を達成しようとすれば、一層悪い状況に陥る。市場の欠陥をあれこれ見つけ出して市場を否定することは、自動車事故がなくならないからと言って、自動車交通を禁止し、徒歩と自転車にすべて頼ろうとするようなものである。 (「スッキリ!日本経済入門」から)
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<日本は経済戦争で勝っているのか?> 恋愛小説に似たスタイルで好評を博した経済学入門書「インビジブルハート」を書いたラッセル・ロバーツが以前に書いた「寓話で学ぶ経済学」から、 日本とアメリカとの経済競争とか「日本株式会社」に関する部分を引用しよう。
「金の成る木の話は分かりましたが、それとアルゴンキン・ホテルとの関係は?」
「まだ分からんかね!アルゴンキン・ホテルや他の資産はいうならば金の成る木そのもので、金の成る木同様に一定期間収入をもたらす。だから、資産の価値は将来にわたってその資産がいくらの収入をもたらすかによって決まるのだ。 アメリカ人オーナーがアルゴンキン・ホテルを売りに出すとき、彼は将来にわたって受け取ることができる利益と同額程度の価格を要求するだろう。実際には売り手はその間金利収入があるからその分は割り引かなければならないがね」
「ということは、日本人がアルゴンキン・ホテルを所有し、そこから利益を得ている時点では、売った方のアメリカ人は既にその額と同等のお金を手に入れている、と?」
「その通り。不確定要素がなければ、日本人の買い手がホテルから得る利益はアメリカ人がホテルの売却から得る利益とその後そのお金から得る金利との合計と同じ額になるはずだ。では、実際はどうなったか? 先ほども話したように、金の成る木の収穫にはいつも不確定な部分がある。1980年代、日本はペブルビーチ・ゴルフコースやロックフェラーセンターなど、アメリカで特に名の知れた物件を次々に買収した。しかし、幸か不幸かそれらの資産は日本人が予想していたよりずっと低い利益しか生み出さなかった。 結局日本の買い主はアメリカの売り主から高く買いすぎた。一見、日本が得をしたように見えたが、アメリカの売り主が日本の買い主に比べて実際よりたくさんのお金を手にしたというのが本当のところなのだ」
「日本人はなぜ何回も皮算用を間違えたのでしょう?」
「理由は二つ考えられる。一つは、買収した時期に土地の価格がピークだったということ」
「運が悪かったということ?」
「そうだ、しかしもう一つの理由として、彼らがあまり将来の収益そのものを気にしていなかったことがあげれれる。日本人はプレミアムを払っても所有する目的でそれらを持ちたかったようだ。金の成る木を所有するために1000ドル以上払うのと同じ心境だな」
「非合理的ですね」
「そうとも言えない。金銭的には損でも、所有の喜びを考えれば、得をしたと言うこともできる。全くの非合理とも言えまい」
「それでも、ロックフェラーセンターが日本人の手に渡ることに不満を持つアメリカ人がいるのはうなずけますね。僕も息子と娘を広場でアイススケートをさせに連れに行きましたから」
「しかし、ロックフェラーセンターを売ったアメリカ人オーナーは一番高い値段で買う気のある人に売りたいと思ったのではないかな?売り主にしてみれば、日本人がアメリカを駄目にするという議論には納得がいくまい。売り主にとって損な話ではないしね。 それにエド、君は日本人がスケートリンクを管理していると分かったら、そんなに困るかね?」
「いや、そう言われると……」
「ついでに話すと、1980年代の日本による資産買収がアメリカ世論で騒がれていた時、日本は資産取得高ではイギリス、オランダについで3番目でしかなかった。しかし、誰もオランダ人による買収については騒がなかった」
「それなら日本はアメリカでダンピングして豊かになったわけではなく、しかも外国製品を自国から締め出して豊かになったわけでもなく、またアメリカの資産を買収して豊かになったのでもないとしたら、どうやって豊かになったのですか?第二次大戦で負けて、何もないところから始めたので最新の技術が導入しやすかったからですか?」
「それは違うな。どうして他人に工場を壊されることが良いことだと言えるかね。最新の技術が古い技術より優れていれば、自ら古い技術を捨てて新しい技術を導入すればよいだけのことだろう」
「しかしそれにはお金がかかります。古い技術にせっかくつぎ込んだ多くの資産を、無駄にするのはもったいない」
「もったいないだって?そのお金は使ってとうになくなってしまったのだよ、エド。既に使ったお金は返ってこない。古い技術に資金をつぎ込み続けても、過去につぎ込んだ資金は戻ってこないのだ。 『最新技術にかかる費用とそれにより入る収益』、この二つを比較してどちらかを選択するのが筋というものだ。アメリカも日本も新しい技術を導入するのに有利も不利もないのだよ」
「では、日本が成功した秘訣は何だったのですか?」
「産業界と政府との独特のつながりを挙げる人もいた。日本には通産省という行政機関があり、通産省が日本に奇跡を招いたと彼らは言った」
「彼らの説は正しかったのですか?」
「確かに通産省は勝ち組を選んで、政府援助や手助けをした。その一方で負け組も選んだ。ホンダが自動車産業に参入することを拒み、ソニーが電子産業で成功する足を引っ張った。それでもホンダとソニーは成功した。私は通産省が大きな影響を及ぼしたとは思っていない。日本は通産省が存在する以前やその影響のまだ小さかった時代にも、経済的には十分成功していたからね」 T注 ホンダとソニーに関しては「官に逆らった経営者たち」▲を参照)
「それでは日本が成功した秘訣とは一体何なのですか?」
「秘訣など何もないよ。国の富への道は至って簡単。自国の資源を賢く使うこと。私の言う資源とは田畑、石油や鉱物など天然資源だけでなく、ノウハウ、教育、創意工夫、そして人々のやる気も含んでいる。 自国の資源を賢く使うということは、人々に働く意欲を与え、改革や進歩のための動機づけをし、より大きい収益のために積極的にリスクを採らせることを言うのだ」
「日本はそれをどうやって実現したのですか?」
「まず、教育システムを挙げることができる。日本は子供のために厳格な教育システムを全国に築いた。アメリカ人にとっては堅苦しいものだったが、日本ではそれはうまく生かされた」 (「寓話で学ぶ経済学」から)
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<好奇心旺盛な経済学者> 「趣味の経済学」と題されたHPが「民主制度の限界」と題して政治の問題を扱って、進化論やゲームの理論も取り扱ってきた。「経済学者は好奇心と遊び心が必要だ」がTANAKAの考え。そのようなことをジョージ・スティグラーが書いているので、それを引用しよう。
 私がこれまで経済学者たちが侵略した新分野をあげるたびに、政治学であれ、社会学であれ、法学であれ、その分野の専門家たちに経済学者は歓迎されざる客であったと言ってよかった。おそらくそのことは予想されることだろう。これまで親しんできた問題に対する方法を学べとか、新しい言語を学べと命じられて喜ぶ者がいるだろうか。 たいていの経済学者も、少なくとも最初のうちは、乗り気ではなかったことはもっと驚きである。研究分野が広がり、自分たちの仕事に対する需要が増大することは、彼らにとって歓迎すべきことではないだろうか。私は、経済学者にとっても政治学者や社会学者にとってと理由は同じであると思う。 年輩の経済学者も耳慣れない問題、新種のデータ、おなじみのない法律制度や社会制度について研究するよう要請されているのである。すなわち、学者たちはみな少しばかり時代遅れの存在となったのである。研究はその分野の老教授が死ぬことによって進歩するという、マックス・プランクの言葉についてはすでに触れたところである。 (「現代経済学の回想」から)
 こうした経済学者に対する攻撃は厳しく、経済学者は悩んでいる。とバックホルツは言っている。
 経済学者という職業もなかなか難しいものだ。企業経営者たちは経済学者が費用と利益とを少しも正確に計算していないと非難するし、愛他主義者は彼らが費用と利益についてうるさ過ぎると訴える。 政治家にとっても嫌な奴である。ジョージ・バーナードやトーマス・カーライルといったこの世でもっとも辛辣な文章家の中には、これまで時をとらえては経済学者に侮辱的な言葉を浴びせてきた人がいる。事実、かつてカーライルが経済学を「陰鬱な科学」と名付けて以来、経済学者への攻撃はまったく解禁になった。 (「テラスで読む経済学物語」から)
(^o^)                  (^o^)                  (^o^)
<主な参考文献・引用文献>
『経済学で現代社会を読む』            ダグラス・C・ノース他 赤羽隆夫訳 日本経済新聞社 1995. 2.20
『経済科学の根底』            ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス 村田稔雄訳 日本経済新聞社 2002. 6.28
『経済学の正しい使用法』──政府は経済に手を出すな ロバート・J・バロー 仁平和夫訳 日本経済新聞社 1997. 7.14
『競争はなぜ必要か』──市場システムの論理                 竹内靖雄 日本経済新聞社 1978. 6.15 
『裸の経済学』──経済学はこんなに面白い     チャールズ・ウィーラン 青木栄一訳 日本経済新聞社 2003. 4.23 
『はじめての経済学』 下                          伊藤元重 日本経済新聞社 2004. 4.15
『やさしい経済学』                         日本経済新聞社編 日本経済新聞社 2001.11. 1 
『スッキリ!日本経済入門』                        岩田規久男 日本経済新聞社 2003. 1. 6
『寓話で学ぶ経済学』──自由貿易はなぜ必要か    ラッセル・D・ロバーツ 佐々木潤訳 日本経済新聞社 1999. 7.12
『現代経済学の回想』             ジョージ・J・スティグラー 上原一男訳 日本経済新聞社 1990. 9.20 
『テラスで読む経済学物語』             T・G・バックホルツ 上原一男訳 日本経済新聞社 1991. 6.13
( 2004年11月8日 TANAKA1942b )
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民主制度の限界
(29)商品価格はどのように決まるのか
<『資本論』の価格の決まり方> 商品価格はどのように決まるのか?普通の経済学では「商品価格は需要と供給とのバランスによって決まる」と言うのだが、マルクス経済学では違う。「商品価格は、それを作るのに費やされた労働の量による」と言うのが「資本論」での価格の決まり方だ。つまり「商品価格は、費やされた労働の量を考慮した原価に、適正な利潤を上乗せしたのもであるべきだ」となる。 そこで、先ず「資本論」ではどのように表現しているのか?ということで「資本論」を少し読んでみよう。「商品価格の決まり方」というところから社会主義の考え方が見えてくる。「資本論では商品価格はこのように決まるべきだ」と主張していることと、普通の経済学では「商品価格は需要と供給のバランスで決まっている」と説明することとの違い、この違いについては、後ほど改めて考えてみることにする。 そして、そのことと「民主制度の限界」についても後ほど書くことにする。
<価値を形成する実体の量は「労働の量」> 資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本的形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。
 商品は、まず第一に、外的対象であり、その諸属性によって人間のなんらかの種類の欲望を満足させる物である。この欲望の性質は、それがたとえば胃袋から生じようと空想から生じようと、少しも事柄を変えるものではない。ここではまた、物がどのようにして人間の欲望を満足させるか、直接に生活手段として、すなわち受用の対象としてか、それとも回り道をして、生産手段としてかということも、問題ではない。
 このように始まる「資本論」、この少し先の所から引用しよう。
 使用価値としては、諸商品は、なによりもまず、いろいろに違った質であるが、交換価値としては、諸商品はただいろいろに違った量でしかありえないのであり、したがって一分子の使用価値も含んでいないのである。
 そこで商品体の使用価値を問題にしないことにすれば、商品体に残るものは、ただ労働生産物という属性だけである。しかし、この労働生産物も、われわれの気がつかないうちにすでに変えられている。労働生産物の使用価値を捨象するならば、それを使用価値にしている物体的な諸成分や諸形態をも捨象することになる。 それは、もはや机や家や糸やその他の有用物ではない。労働生産性の感覚的性状はすべて消し去られている。それはまた、もはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の一定の生産的労働の生産物でもない。労働生産物の有用性といっしょに、労働生産物に表されている労働の有用性は消え去り、したがってまたこれらの労働のいろいろな具体的形態も消え去り、これらの労働はもはや互いに区別されることなく、すべてことごとく同じ人間労働に、抽象的人間労働に、還元されているのである。
 そこで今度はこれらの労働生産物に残っているものを考察してみよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性のもかにはなにもなく、無差別な人間労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりない人間労働の支出の、ただの凝固物のはかにはなにもない。これらの物が表しているものは、ただ、その生産に人間労働力が支出されており、人間労働が積み上げられているということだけである。このようなそれらに共通な社会的実体の決勝として、これらのものは価値──商品価値なのである。
 諸商品の交換価値そのもののなかでは、商品の交換価値は、その使用価値にはまったくかかわりのないものとして我々の前に現れた。そこで、実際に労働生産物の使用価値を捨象してみれば、ちょうどいま規定されたとおりの労働生産物の価値が得られる。だから、商品の交換関係または交換価値のうちに現れる共通物は、商品の価値なのである。 研究の進行は、われわれを、価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値に連れ戻すことになるであろう。しかし、この価値は、さしあたりまずこの形態にはかかわりなしに考察されなければならない。
 だから、ある使用価値または財貨が価値をもつのは、ただ抽象的人間労働がそれに対象化または物質化されているからでしかない。では、それの価値の大きさはどのようにして計られるのか?それに含まれている「価値を形成する実体」の量、すなわち労働の量によってである。労働の量そのものは、労働の継続時間で計られ、労働時間はまた1時間とか1日とかいうような一定の時間部分をその度量標準としている。
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 一商品の価値がその生産中に支出される労働の量によって規定されているとすれば、ある人が怠慢または不熟練であればあるほど、彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので、彼の商品はそれだけ勝ちが大きい、というように思われるかもしれない。しかし、諸価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。 商品世界の諸価値となって現れる社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成っているのであるが、ここでは一つの同じ人間労働力とみなされるのである。これらの個別的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力という正確をもち、このような社会的平均労働力として作用し、したがって一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間だけを必要とするかぎり、他の労働力と同じ人間労働力なのである。 社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的に性状な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である。たとえば、イギリスで蒸気機関が採用されされてからは、一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前に半分の労働で足りたであろう。イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが、彼の個別的労働時間の生産物は、いまでは半分の社会的労働時間を表すにすぎなくなり、したがって、それの以前の勝ちの半分に低落したのである。
 だから、ある使用価値の価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だけである。個々の商品は、ここでは一般に、それが属する種類の平均見本とみなされる。したがって、等しい大きさの労働量が含まれている諸商品、または同じ労働時間で生産されることのできる諸商品は、同じ価値量をもっているのである。一商品の価値と他の各商品の価値との比は、一方の商品の生産に必要な労働時間と他方の商品の生産に必要な労働時間との比に等しい。「価値としては、すべての商品は、ただ、一定の大きさの凝固した労働時間でしかない。」 (「資本論」から)
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<価格の決まり方、いろいろ> 「資本論」は「価格は、それを作るのに費やされた労働の量による」と主張し、これに従って、社会主義国では「商品価格は、費やされた労働の量を考慮した原価に、適正な利潤を上乗せしたのもであるべきだ」を実行しようとした。 そのため政府内に商品価格を決定する部門を設置し、この部門が全商品の全国での価格を決めていた。このため販売現場から消費者の好みなどの情報が、価格決定機関である政府当局までの距離が長くなり、消費者需要に生産および価格がマッチせず、品不足や売れ残りが続出した。また、販売現場では販売ノルマを達成すればそれで十分なので、もっと多く売上げを上げようとのインセンティブが働かず、販売部門での生産性向上が望めなかった。
 こうした社会主義経済に対して、資本主義国ではそれぞれの商品をばらばらに、そして商品の種類によっては地域別に価格を決定している。たとえば生鮮食料、東京都では築地や太田などの市場で、競りで卸売り価格が決まる。卸売り市場は各県に幾つかあり、同じような商品でもそれぞれの市場によって価格が違う。だから、例えば三陸沖でとれた魚を、首都圏へトラックで輸送中に、各地の市場関係者と無線で連絡を取りながら、一番高く売れそうな卸売市場へ輸送する、ということもある。 これは日常生活の生鮮食品。東京穀物商品取引所では,とうもろこし、大豆、コーヒー豆などの取引、オプション取引が行われている。家電製品はメーカーと卸売問屋や量販店との相対取引で卸売り価格が決まり、それぞれの商品の売れ行き次第で小売価格が販売店の裁量で決まる。
 江戸時代、大坂では「堂島の米市場」「雑喉場(ざこば)の鮮魚市場」「天満の青物市場」が三大市場と言われていたし、そのほか「北浜金相場会所」では大坂での通貨=銀と江戸での通貨=金の取引が行われていた。そして、そこでの為替取引の結果を江戸とのやりとりのための為替取引=現代で言えば、コルレス契約が実行されていた。このように、江戸時代の経済は決して中央集権的なものではなく、むしろ当時としては世界的にかなり進んだ市場経済そのものだった。このため「資本主義は江戸で生まれた」との表現も的外れではない。
 さて、こうした市場経済は社会主義経済と幾つかの点で違った特徴がある。その第1点は商品価格の決まり方であり、それを支える制度が「市場での自由な取引」と言える。従って自由貿易こそが市場経済を支える重要な制度ではあるが、その市場経済を信頼せず、社会主義に未練を持つ人たちは自由貿易の象徴であるWTOを批判する。 では、「市場での自由な取引が資源の有効利用に役立つ」とはどのようなことなのだろうか?経済全体をコントロールする司令塔がなくても、各人が自分の利益を追求することによって、「見えざる手」によって経済がうまく回るとはどのような事なのだろうか?そのような「市場経済の基本的な仕組み」をやさしく説明した文章があるので、少し長いのだがここに引用しよう。
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<自発的交換を通じての協同> 『わが輩は鉛筆である』と題する愉快な物語がある。この物語は、自発的な交換のおかげで、何百万人といった人々がどんな具合に相互の協同することができるかを、生き生きと描き出している。物語の作者レオナード・E・リードさんは、「鉛筆──読み書きできる人なら、大人でも男の子でも女の子でも、みんながよく知っている普通の木の鉛筆」の口を借りて、この物語を書きつづっている。 その書き出しが途方もない。物語の冒頭で、鉛筆君は、「私をどうやってこしらえるのか、知っている人は一人もいない」と、われわれにはとても信じられない宣言をする。その上で、1本の鉛筆をこしらえる過程において、次かから次へと発生していくすべてのことを、リードさんは説明している。まず最初に、「カリフォルニア州の北部やオレゴン州に生えている1本の真っすぐなヒマラヤ杉」が、材料の材木となる。 この木を伐採して、鉄道の引き込み線があるところまで材木を運んでいくためには、「のこぎりやトラックやロープや、その他にも数えきれないほど多様な道具や用具」が必要となる。「のこぎりやおのやエンジンをこしらえるためには、鉱石を採掘し、鋼鉄をこしらえ、これらをさらに精錬し精製しなければならない。 重くて強いロープをこしらえるには、麻の繊維をつくり、その他あらゆる必要な過程へと、これを通過させていかなくてはならない。材木切り出し小屋のためベッドも必要になるし、食事場もこしらえなければならない。………それどころか、働いている人々がそこで飲むコーヒーのどの一杯でも、これをこしらえるためには、まったく知られるこのがない何千人もの人々が、いろいろな形で関係しているのだ」とリードさんは説明する。 そのように、材料となる材木の切り出しのためだけでも、実に多くの人々の数えきれないほど多様な技術やウデが、入り込んでくる。
 リードさんはさらに、材木が山から製材所へと運ばれて製材され、さらに産地のカリフォルニア州からこの鉛筆君が製造されたウィルクスバリーへと運搬されていく過程も、説明している。ところでここまでの物語では、まだ鉛筆の外部の木部に関することしか説明してない。では鉛筆の中心部にある鉛芯は、最初から鉛芯だったかといえば、実はまったくそうではない。それはセイロン島で採掘される黒鉛が、そのそもそものはじまりだ。 その黒鉛が数多くの複雑な過程を経たあとで、ようやく鉛筆の中心になる鉛芯となることができる。
 鉛筆の片方のはじっこ近くにある金属部分──金環──は、真鍮だ。リードさんは、「亜鉛や銅を採掘し、またこうして採掘された自然の原材から、ピカピカ光った真鍮板をこしらえる技術やウデをもった人びと。こういったすべての人のことを、まあ考えてもごらんなさい」と言う。
 消しゴムとして知られている部分は、この業界では「プラグ(詰め物)」と、通常呼ばれている。この消しゴムを、普通の人はゴムそのものだと思いこんでしまっている。ところがリードさんによると、ゴムは、消しゴムのいろいろな成分を凝固させ弾性あるものとするためだけのものでしかない。消しゴムで「消す」ことができるのは、旧蘭領インド(現インドネシア)から来た菜種油を塩化硫黄と作用させ、それでできるゴム様生成物「ファクティス」のおかげだというのだ。
 こういった説明がいろいろとされた最後に、鉛筆君は改めてこう宣言する。「どうです、みなさん。これでも、この私をどうやってこしらえるかを知っている人はこの地球上に一人もいないという、私の主張にまだ挑戦してみたいと思う人が一人でもいらっしゃいますか」と。
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 鉛筆を生産する過程に加わった何千人もの人びとの、どの一人をとってみても、その人がその人の分担分の仕事をしたのは、鉛筆が欲しかったからでは決してない。その何千人もの人のなかのある人びとは、この世でそもそも鉛筆なるものを見たこともなければ、鉛筆がいったい何のためのものかさえ知らないかもしれない。 たとえそうではなくても、何千人ものひとびとが鉛筆生産のため、それぞれなりの仕事をしたのは、それぞれなりに欲しいと思った財貨やサービスを手に入れるための手段のひとつだったのだ。彼らが欲しいと思った財やサービスは、鉛筆を欲しいと思い、鉛筆を手に入れるためのおカネを稼ぎ出そうとして、われわれが生産したり提供したりしている可能性が大きい。 われわれがお店へ行って鉛筆を買うときには、いつもわれわれは何千人もの人びとが鉛筆生産のため寄与したサービスの極小部分と、われわれ自身が提供したサービスの小部分とを交換しているということだ。
 それにしても、もっと驚くべきことは、そもそも鉛筆なるものが、チャンと生産されているという、この事実そのものだ。鉛筆の生産に関係したあの何千人もの人びとに対して、誰かが中央集権的な本部にいて、いっせいに命令を下しているというわけでは決してない。このように、そもそも命令が下されていないのだから、命令が貫徹されるよう強権をふるっている憲兵が、一人でもいるわけがない。しかも、あの何千人もの人びとは、あちらこちらの諸国に住んでいて、異なった言語をしゃべり、いろいろな違った宗教を信仰しているだけでなく、ひょっとするとお互いに憎悪しあっている可能性さえある。 そうだというのに、このような相互間の相違は、鉛筆を生産するためお互いが協同するのに、なんの障害にもなっていない。どうして、こんなことが可能なのだろうか。この疑問に対して、アダム・スミスが200年も前に、答えを与えてくれている。
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<価格機構が果たす役割> アダム・スミスが『諸国民の富』と題する著作で示したすばらしい洞察のなかでも、もっとも大事だと思われるものの一つは、実はきわめて簡単なことだ(実のところ、あまり簡単なことなので、かえって逆に人びとに誤った理解をもたせてしまうこともある)。それは、2人の人や2つのグループの間で行われる交換が、当事者たちの自発的な意志にもとづくものである限り、その交換によって利益を得ることができると、どちらの側も信じているのでなければ、交換が実際に行われることはない、ということだ。
 経済学上の誤った考えの大半は、この簡単な洞察をおろそかにして、この世の中につねにある一定の大きさのパイ(洋菓子)しかないと考え、したがって誰かが利益を得るためには、必ず誰かがその犠牲にならなくてはならないと想像してしまう傾向から発生している。
 スミスの簡単な洞察がどんなに正しいかは、問題が2人の個人の間のことであれば、誰でも明らかなことだろう。ところが世界のすべての場所に住んでいる、無数といっていいほど多くの人びとが、それぞれなりの利益を促進するために相互に協力できるようにするには、いったいどうしたらいいかということになると、問題ははるかにもっと難しくなる。
 世界の人びとが、どんなに中央集権的な命令も必要としなければ、お互いに話し合ったりお互いを好きになったりすることさえも必要とせず、しかもお互いが協力しながら、それぞれなりの利益を促進できるようにするという仕事を、われわれのためにやってくれるのが「価格機構」だ。たとえばあなたが鉛筆や毎日のカテであるパンを買うときに、その鉛筆やパンの原料である小麦粉が、白人か黒人か、それとも中国人かインド人か、いったい誰によって生産されたかは、あなたにはまったくわからない。そのように価格機構は、他の側面ではそれぞれなりに自分で考えたやり方で活動している多数の人びとが、その生活のある一局面では平和に相互に協力しあうようにしてくれている。
 アダム・スミスが天才としてのヒラメキを見せたのは、売り手と買い手との間における自発的な交換(これを簡単に言えば「自由市場」)から発生してくるいろいろな(相対)価格が、それぞれなりに自分の利益を追い求めている何百万人もの人びとの活動を相互にうまく調整し、その結果、すべての人の生活が以前よりはよくなるようにしてくれるのだと、気が付いた点だ。「それぞれなりに自分自身の利益しか追求しておらず、経済秩序を生み出そうなどとはまったく意図していないというのに、これらの多数の人びとの活動は、結果的にそのような秩序を発生させることができるのだ」という考えは、アダム・スミスの時代において一つの驚くべき考えだったが、今日においてさえ依然としてそうだ。
 価格体系は、あまりにもうまく、あまりにも効率よく作用するので、ほとんどの場合、われわれはその存在に気が付かないでいる。価格体系が機能できないように、なんらかの要因によって阻害されるまでは、これがどんなにうまく機能しているかを、われわれが認識することはまったくないし、また、阻害されてようやくこれに気が付いたときでも、ではそこで発生した困難の源泉がなんであるかを認識できることはほとんどない。
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<情報の伝達とという機能>  いま、たとえば数年前のベビー・ブームのため、小学校進学児童の数が急増した、といったような、なんらかの原因によって、とにかく鉛筆に対する需要が急に増えた、と想像してみよう。小売店は鉛筆が急によく売れはじめたと気づくだろう。そこで問屋にもっと鉛筆を注文する。問屋は問屋で鉛筆製造会社への発注を増大させる。鉛筆製造会社はその結果、原料となる木材とか真鍮とか黒鉛とか、鉛筆の製造に必要な物品を、もっと注文するようになる。こういった材料や物品を、供給者たちにもっと生産させるようにするためには、これらに対して以前よりもっと高い値段を提示しなければならないだろう。 その結果、値段が高くなれば、これらの供給者たちは増大した需要に見合って増産できるように、その労働力を増大させるだろう。しかし、急に労働者をもっと雇いこむためには、以前より高い賃金か、よりよい労働条件を提供しなければならないだろう。このようにして、小学校進学児童数の急増ということから始まった波紋は、次第にその輪を大きくしながら、遠くへ遠くへと広がっていき、ついには世界中の人びとに対してさえ、「鉛筆」に対する需要が増大したという情報を、次から次へ伝えていく。 ここで「鉛筆」に対する需要増と言ったが、もっと正確に言えば、やがては鉛筆の製造のために使用されるが、鉛筆それ自体ではなくて、これに関連する何らかの原料や物品などに対する需要が増大したという情報のことだ。しかも、では、それらの原料や物品に対する需要がどうして増大したのかという理由は、それらの生産に従事している人びとは知らないかもしれないし、実は知る必要もない。
 価格機構は重要な情報だけを、しかもその情報を知らなくてはならない人びとに対してだけ伝達する。たとえば木材の生産者たちは、鉛筆に対する需要の増加が、ベビー・ブームを原因としたものか、あるいは、1万4千種類にものぼる政府所定の書式用紙に、もう鉛筆でしか書き込んではいけないと、急に決定されてしまったことを原因としたものか、そんなこと知る必要はない。それどころか、そもそも鉛筆に対する需要が急増したということさえ、知る必要がない。彼らのとっては、いまや誰かが木材に対して、以前より高い値段を支払ってくれるということと、需要の急増に見合うところまで木材の生産を増大させる価値があるほど、この高い値段が長続きするものかどうか、ということだけを知ることができればいいのだ。 ところが、このふたつの種類の情報は市場価格によって提供されている。第一の情報は現在の価値によって、第二の情報は将来の引き渡しに対して提示されている価格によって、だ。
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 情報を効率よく伝達する際の主要な問題は、この情報を必要としない人びとの受領箱へ迷い込んでしまって、そこで停滞してしまうことなしに、これを必要としている人びとへは必ず順調に伝わっていくようにするためには、一体どうしたらいいか、ということだ。ところが、価格体系はこの問題を自動的に解決してしまう。情報を発信する人びとは、この情報を必要とする人びとを、自分で探し出そうとする誘因を持っているし、また、実際にもそうできる立場にいる。 これに対して、情報を必要としている人びとも、これを手に入れようとする誘因を持っており、これも実際にそうできる立場に立っている。たとえば鉛筆の製造業者は、原料である木材の販売者たちと接触を保っている。それどころか、同じ値段でならより良い材質の木材を、同じ材質ならより低い値段を提供してくれる供給者が他にいないものかと、つねに捜し求めているものだ。これと同様に、木材の生産者は木材を買ってくれる顧客と接触を保っており、また、新しい顧客を絶えず発見しようと努力している。 ところが、他方で、現在のところこういった活動に従事していないだけでなく、将来においてもこれに従事しようとは考えていない人びとは、木材の値段には興味を持っていないし、これを無視してしまう。(中略)
 価格機構は、最終需要者(つまり一般の消費者)から、小売業者へ、卸売業者へ、製造会社へ、そして原料の生産者へといった方向へ向けてだけ、情報を伝達しているわけでなく、逆の方向へも伝達する。かりに、山火事やストライキのため、入手可能な木材の量が減少したとしてみよう。木材の価格は上昇するだろう。 このことから、以前よりは少なく木材を使用したほうが利益が上がり、鉛筆の値段が上昇しない限り、以前と同じ量だけ鉛筆を生産したら損をするということを、鉛筆の製造会社は知ることができる。こうして、実際に鉛筆の生産が削減されれば、小売店は鉛筆の値上げが可能となる。その時には、鉛筆は以前よりはもっと短くなるまで使ってから捨てた方がいいとか、あるいはシャープ・ペンシルへ替えたほうがいいと、消費者はさとるようになるだろう。しかし、そのために、鉛筆の価格を上昇させた原因が何であったかを知る必要はなく、鉛筆の価格が上昇したということさえ分かればいい。 (「選択の自由」から)
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<主な参考文献・引用文献>
『資本論』                       カール・マルクス 岡崎次郎訳 大月書店    1972. 3.10
『資本主義は江戸で生まれた』                        鈴木浩三 日本経済新聞社 2002. 5. 1 
『選択の自由』                  ミルトン・フリードマン 西山千明訳 日本経済新聞社 1980. 5.26
( 2004年11月15日 TANAKA1942b )
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