(「日本の名著」23 山片蟠桃・海保青陵 源了圓責任編集 中央公論社 1971年 から)
<海保青陵「稽古談」>
海保清陵1755-1817(宝暦5-文化14)主著「稽古談」「天王談」「万屋談」「論民談」「升小談」「海保青陵平書並或問」。旅学者。「東海道を往来にては十ぺん通れり。木曽を二へん、北陸道を一ぺん通れり。滞りてあそべるところは三、四十ヶ所。山に登りて見たること大小数百なり」という旅学者。
ここでは「稽古談」から一部を紹介しよう。
升小(山片蟠桃)の工夫で仙台候の財政状態がずっと立ち直った由来をきくと、米の切手である。さて大坂では、いったいに金が多い上に、諸家の大名はみな米切手というものを作って、これをもって金を借りるから、ほんとうの金のほかに米切手という財貨がある。
さてそのほかに、振り手形というものがある。為替手形のたぐいである。鴻池の店から受けとるべき金を、金で受け取らないで、手形で受け取るのである。あるいはこの手形を飯屋に振る、加島屋に振ると仮定して、この手形を飯屋に持っていっても、加島屋に持っていっても、金になることであるから、受け取った人はすぐに金にしないで、ほかへ金をやるべき時にこの手形をやる。金を受け取るべき人もこの手形さえあったら、いつでも金になるから、またほかにやる。これを振り手形という。これは、金のほか、米切手のほかに、また振り手形という財貨があるのである。
そのほかに空米先納というものがある。この空米先納というのは、来年入庫する米を今年切手にして、これを銀主に入れて金を借りることである。手形の肩に来年の干支を書いたものである。いうなれば、これは悪いことである。青田売りである。これでもずいぶん金子の調達ができることである。
このほんとうの金、米切手、振り手形、空米先納、……これだけはみな通用の財貨である。通用の財貨が多いから、金がふえるはずである。財産は財産をうむものであるから、大坂では財産をうむものがたくさんあるし、大坂がずっとずっと豊になる道理である。これみな大坂の町人たちがりにくわしいから、目がよく見えるのである。………(「日本の名著」23 山片蟠桃・海保青陵 源了圓責任編集 中央公論社 1971年 から)
<本田利明「経世秘話」>
本多利明1743-1820(寛保3-文化3)主著「経世秘策」「西域物語」「経済方言」。江戸の数学塾の塾長。引用に適した文章が見当たらないので、利明の考え方を要約して紹介しよう。
利明は天明の大飢饉は「人災」と見た。「日本は南西の隅から北東の隅へ,凡十度余り、里程五、六百里の細長い国なので、水旱損(水害や日照りの被害)があっても国中ということはない。豊作の国から凶作の国へ渡海・運送・交易すれば、万民の飢えと寒さを救える」と言う。こうしなかったために生じた天明の大飢饉の大量餓死もまた「天災」でなく「人災」だ、ということになる。さらに利明は流通経路確保のため火薬を使って、道路を開き港を作れと言っている。それには各藩の自己防衛的・自給自足的な戦国の遺制が邪魔している、と主張する。この考えが田沼意次の印旛沼開発に結び付いたと考えられる。