北海道天塩町能忍寺の帰伏を祈る  


 


(慧妙平成21年1月1日号に掲載されたたかぼんの執筆した記事を引用)

今北海道で1番元気の良い日蓮正宗寺院と言えば、池田町の佐藤正悌御尊師の長円寺です。
佐藤師が着任されてから世帯数が極めて少ない寺院が御仏智により再生されております。これからの更なる長円寺の寺運の興隆をお祈りいたします。
さて私は最近現在自称正信会により不法占拠されている北海道天塩町の能忍寺を見に行きました。大変荒れておりました。
まず地図上では神社の裏に道があるとのことでしたがなかなか発見できませんでした。
ようやく獣道の奥に町内会館のような建物があるので「もしやこれが能忍寺か」と思い獣道を走らせてまもなく能忍寺がありました。
鶴丸と「天塩山」の山号額、「能忍寺」の提灯がなければ単なる町内会館と変わりません。これが能忍寺の姿でした。
元住職は能忍寺にこのまま居座って一生を終えるつもりかもしれません。
しかし天塩町の過疎化は進んでいて周辺を合わせても1万人の人口もおりません。
天塩町近辺の日蓮正宗信徒は稚内市法清院所属信徒が数世帯、元住職が死亡して能忍寺が宗門に復帰しても存続は大変難しいのが現状です。
能忍寺が存続して50年後100年後も存続していくためには元住職が「正信」を取り戻して信徒とともに宗門に帰伏する以外に方法はありません。
過疎地においては寺院もまた重要な「施設」であります。
能忍寺を失う事は天塩町においては大きな損失であります。
また正信会信徒はいずれは旭川や札幌の正信会寺院に通うしかなくなります。
行くまでに大変な距離と手間がかかります。これではいずれ信仰的に行き詰ります。
それよりも能忍寺を元住職とともに返還し、勧誡を受け、新しい御住職様の元で信心に励まれたほうが一生成仏を考えれば1番良い方法と考えます。
また寺院が存続すれば長円寺のように再生され興隆することも考えられます。
正しい日蓮正宗の信心に立ち返り、自分自身の信仰生活や寺院や町の将来も考えて能忍寺をどうして行くのか元住職・信徒・心ある天塩町の町民の皆さんの的確な判断と行動を期待するものであります。


参考資料1: 能忍寺の概要

 読み  のうにんじ
所在地  北海道天塩郡天塩町川口1464
 郵便番号 098-3312
電話番号  01632-2-1963 
山号  天塩山(てしおさん)
 開基 日蓮正宗大石寺第66世法主日達上人
 地図  
 沿革    * 昭和52年(1977年)7月20日 - 建立される。
* 昭和54年(1979年)3月21日 - 法華講能忍寺支部が結成され、4月17日付で日蓮正宗第66世日達上人から認可される。
* 昭和57年(1982年)9月16日 - 初代住職が第67世法主日顕上人の法主としての地位を否定し、日蓮正宗の宗制宗規に違背したため破門されたがそのまま能忍寺を不法占拠する。
* 同年11月1日 - 能忍寺所属法華講員は宗務院より北海道稚内市の法清院への所属替を命じられ、応じなかった信徒は日蓮正宗信徒としての資格を喪失した。
 兼務住職 北海道留萌市の開道寺の御住職様 

参考資料2:宗教法人能忍寺登記簿

能忍寺の登記簿


参考資料3;天塩商工会青年部掲示板を訪問した際のメンバー様からのお言葉

天塩商工会青年部メンバー様のお言葉


参考資料4:平成21年5月6日 能忍寺元住職 辻満道氏と対面

辻満道氏との対面記録


参考資料5;平成21年6月14日 能忍寺元住職 辻満道氏への質問(回答なし)

辻満道氏への質問状


参考資料6:平成21年9月5日 能忍寺元住職 辻満道氏遁走

 @ 同行のRadio氏より
9月5日 たかぼんさん夫婦と 二度目の正信会寺院 訪問。高速を使い車休憩しながら片道、5時間くらいで、現地へ。今回は一件目(能忍寺・辻満道氏)はインターホン払い(^o^)。『今日は疲れてるから話しはいいや』 たかぼんさんの資料を山ほど置いて、また 来よう(。・_・。)ノ と三人 意見が一致。その後 車で1時間くらい移動。次の正信会寺院へ(覚知寺・小平慈周氏)。本堂で 手を合わせる事を指図されましたが、お断りし お話しに。3時間くらい話しました。
色々話しましたが、最後に一言。『どうして 本堂の御本尊様に手を合わせないのか?』私は『貴方が大石寺に帰ったら喜んで合わせますよ』と。
正信会の言う御本尊様の目に見えない奥の奥とやらも 奥は何処までいっても南無妙法蓮華経しかないのですが、といいましたが、見えない奥が違うもの思っているのでしょうね。この次 どんな対応するのか?

A 正信会に詳しい御僧侶より
辻氏には、前に文書を送って回答が返ってきていませんので、その請求と辻氏の信仰の正当性を論じるよう求めたらどうでしょうか。資料だけどんなに読んでも、反論がなければ意味がないと思います。
せっかく行動を起こしてきたのですから、御住職の御指導を受けながら、追撃の手をゆるめることなく精進していって下さい。


参考資料7:平成22年4月24日 辻満道氏と再会

能忍寺の入口に観光牧場が出現


参考資料8:平成22年9月4日 能忍寺元住職 辻満道氏を見舞う

能忍寺所属檀徒の情報で辻満道氏が7月中旬に足の骨を折る重傷を負っていたことが判明、そのため予定を変更して稚内市の市立稚内病院に急行、病床にある辻氏を見舞うこととなった。
辻氏には妙教をお見舞い代わりにお送りいたしました。
最早、完全に僧侶としては行き詰まっているとしかいいようのない表情・状況であり、1日も早い帰伏を祈らずにはいられなかった。


参考資料9:平成22年11月23日 能忍寺自称総代宅を訪問

午後1時に能忍寺を訪問したが辻氏は留守であった。
能忍寺の様子として寺院の玄関に燃料の薪を積み上げていたのが気になった。
また塗装するのかペンキがあったが未開封、開封する前に辻氏は屋根から落ちて怪我をした模様だ。それからは手が付けられていないようである。

その後能忍寺入口にある自称総代を訪問したが自称総代はすでに亡くなっており、奥様と初めてお会いした。辻氏は退院したとのこと、帰伏した上で一緒にお登山したいと話をしたが
「御住職(辻氏)に任せて信心している。」「御住職が行きたいということなら一緒に行く」という返事、大石寺のパンフレットをお渡ししてお別れした。
また前回9月4日の訪問で、一切取り合ってもらえなかった自称幹事の奥様にパンフレットを手渡ししたところ今回はすんなり受け取っていただいた。
辻氏は退院したという回答は同じだった。
既に北海道は冬季間に入っており天候の急変が考えられるため、午後2時に天塩をあとにして所属寺院に戻った。


参考資料10:平成23年4月29日 能忍寺元住職辻満道氏は本当に留守だったのか?

 

本日は辻氏の先輩僧侶からのメッセージを伝えようということで訪問いたしましたが
辻満道氏は留守だと奥さんが言いました。
そこで同行の人間4名に能忍寺についての一通りの説明をし写真撮影をしましたが、能忍寺は北玄関のため逆光に成りやすい角度なのです。
そこで当方所属寺院幹事さんが角度を指定し、こっちの方向と指定してふっと能忍寺に向いたところ坊主頭で大柄の男性らしき人間と幹事さんの目が合いました。
どうやら辻満道氏は居留守らしいなと思いました。
しかし奥様だったのかもしれません。
追及してみようかとも考えましたが、そこまですると本来の帰伏という目的が遠のくと5人全員の一致で追及はやめておこうということで引き揚げることとしました。
そして能忍寺の入り口にある今は亡き自称講頭の奥様と話しをしようとしたところ能忍寺から奥様らしき人間が出てきて様子を伺っていました。
亡き自称講頭の奥様は「御住職(辻満道氏)が帰るならば私も帰ってもいい」という返事。
そして自称幹事の奥様はおそらく能忍寺から連絡を受けたのか「焼き物をしているので対応できない」と逃げました。

同行者の能忍寺の感想は当方の町内会館以上に厳しい感想で「農家の倉庫かと思った」とのこと。


参考資料11:平成23年6月10日 辻氏と同期の御僧侶が能忍寺訪問・折伏

辻満道氏と約30年ぶりに再会したようですが、日顕上人への怨嫉がかなり激しいという印象を受けたとのお話がありました。(参考資料4を参照)


参考資料12:平成23年7月16日 Radio氏他1名が能忍寺ほかを訪問

たかぼんさんは行けなかったのですが…能忍寺には 随分 玄関前に蟻が目立ちました。
木で出来ていますから 土の中で傷んだんでしょうかねf^_^;
放置されてから時間も経過しているようです。
お寺に関わるすべてのもの… 正宗のですから、あの方(辻満道氏)の意思で 良いんですかね?
奥様らしき方が 窓から顔だしましたが… 無視されましたf^_^;
どんな人も 正法から離れると 汚れますからね。汚れを汚れと自覚、出来ず後の苦しみに変わると当然思えないわけですから。
救いたいと 思う心が失われて行く 正信会。その心に 自分自身で気がつかないでしょうかね。
おかしいな…と。


参考資料13:平成23年9月6日〜7日 富士市正光寺住職 辻秀道(辻満道氏の実兄)師が訪問

数十年ぶりの兄弟の対面だったようですが、詳細は公開できません。


参考資料14:平成23年9月11日 当方とRadio氏が訪問

奥様が応対されましたが辻満道氏は留守だと言われました。
しかし本堂をのぞきましたところ、辻氏らしき方がおられました。
自称総代未亡人は私の姿を見た途端に姿を消し、インターホンを押しても出てきませんでした。
自称幹事はおられませんでした。


参考資料15:平成24年7月15日 能忍寺元住職辻満道氏と再会

 

14時頃訪問しましたが、辻氏は足は回復していてペンキ塗りをしていました。

@ 正信会で独自に建てた寺院について「日蓮正宗」を名乗ることを止めるように求めた裁判では、日顕上人と日如上人は血脈相承があることを立証できなかったので宗門側が敗訴した、と主張しましたので
裁判所としては他の正信会の裁判と同様に血脈相承については一切判断しておらず、宗教上の問題については裁判をしないという判決になっていて、正信会独自で建てた寺院に「日蓮正宗」と名乗っていいという判断をしたわけでもない、と返答いたしました。
ものはいいようだ、と辻氏は返答をしました。
A 戒壇の大御本尊様について 「ダイナマイト一本で吹っ飛ぶ無情のものであるという、菅野憲道の主張は「道理の上で当然のことを言っているまで」と主張してきましたので、
この発想は創価学会の考え方と同じで、あなたには信心というものがない、戒壇の大御本尊様を拝みたがっている能忍寺の檀徒もいた。あなたが帰伏すれば帰ると他の檀徒も主張している、きちんとした形で大石寺に彼らを連れて行ってあげるのがあなたの最後の勤めではないのか?と返したところ
あなたの師匠に言って連れて行けばいいんだ、私はこれに答える必要はないと主張しました。
B 正信会は分裂状態である。現状をあなたはどう感じているのか?と質問したところ
辻氏は能忍寺の講中は分裂していない、と答えました。
C 1人1人の正信会の僧侶の考え方が違う、クリスマスの件でサンタクロースに扮した経住寺檀徒と元住職古川興道の対応について質問したところ
これはあなたの師匠に聞くべきで、私が答えることはない、と答えました。
D 私は阿部日顕さん(上人)は法主とは認めていないので大石寺に帰る意思は全くない。
では日達上人は誰に相承されたのですか? あなたは座代わり式にも出席して相承を認めたのではないか?と聞きましたが
私は阿部日顕さん(上人)には相承ないと考えている、と主張したままあとは答えようとしませんでした。

参考資料16:平成25年7月28日訪問

まず能忍寺に1330分頃訪問いたしましたが、いつもはインターホン越しにあしらわれるところ「少々お待ち下さいませ」という声がしました。

そして能忍寺の寺院側の戸が開き、明らかに辻満道氏の夫人ではない方が出迎えて下さいました。そして「お参りして下さい」とのことでしたので、

「私は宗門側の人間であり、辻さん方と一緒に信心したいということでお話に来たのです」とお話したところ「お話はできません」ということでした。

また辻氏は留守ということでした。

ただ「正信会問題の沿革」については興味を示され、置いて行ってよいとのことでしたのでパンフレットとともに置いて能忍寺をあとにしました。

能忍寺にはアカアリが大量に発生している状況で明らかに建物が傷んでいる様子がありありでした。

次にSさん宅を訪問しました。Sさんは今まで居留守が多く話はほとんど聞いてくれない方でしたが今回は話を聞いてくれました。総本山大石寺には戻るつもりはない。住職さんが戻るというのであれば私も戻る、もうかつて何回もお登山している、ということで話は平行線でしたが、

私が「能忍寺は辻氏が亡くなったら即返還になる。その場合はどうなるのか?」と質問したところ「御住職より留萌の開道寺(住職宮脇正能師)に行けという話を聞いている」という話でしたので「開道寺は宗門側のお寺です。また能忍寺の登記簿上の住職も開道寺の御住職です」と話をするとS
さんは驚いていました。

「正信会は分裂したがどう思いますか?」と聞いたところSさんは「宗教者としてあるまじきことだと思っている」とのことでした。

Sさんからは「辻秀道師が訪問してくれてよかった。懐かしい方に会えたような気がした」というお言葉がありました。

「正信会問題の沿革」と連絡先を置いてあとにしました。

最後にHさん宅を訪問し、奥様が応対をしましたが、Sさんより前回お会いしたHさんのお母さんが今年4月に死去していたとのことでしたのでまずお母さんの御冥福をお祈りしている旨話をしました。

そして「お母様はできるならばもう1度お登山したい。戒壇の大御本尊様を拝みたいということでしたが、是非一緒にお登山しませんか?」と聞きましたが奥様は拒絶されました。

 

今回は辻氏の奥様以外の親族と思われるような方が、留守居のような形で寺にいたのが気になりました。また2軒の檀徒の方も話を一応は聞いて下さり、辻秀道師の訪問により、心がほぐれているような印象がいたしました。


知恵ノート:日蓮正宗に帰伏した元正信会僧侶の現状より


多くの特に過疎地に存在する正信会寺院では信徒数が激減し、生活すら成り立たない寺院も多くなっています。

しかし多くの正信会僧侶が、日顕上人への憎しみや、過去へのこだわり、そして僧侶としてのプライドが邪魔しており、

また、宗門側に戻っても、僧侶として迎え入れられることはない、住むべき場所がどこにもなく、蓄えもない、多くの僧侶が60歳以上と高齢化していて、今後の人生の展望が全く持てないという問題があり、宗門への帰伏は現在のところ4名にとどまっています。
御仏智が信じられずに御法主上人猊下の血脈相承を否定するという大謗法を犯した正信会僧侶に必要なことは御仏智を信じ勇気を持って帰伏することです。

親族が日蓮正宗僧侶の場合でも、過去のいきさつもあって話は全くできていないのが実情です。
辻秀道師の場合は辻満道氏と出家得度が同期の御僧侶が間に入って、折伏のため訪問したものです。
最初辻秀道師は、「私は地元の広布のために頑張っていて、北海道の奥地まで行く暇はない。たかぼんさんも地元で折伏すべきで、わざわざ天塩まで行くことがあるのか」と最初は言われました。
しかし、この辻秀道師はついに行動を起こされたのです。
行動を起こされたことに敬意を表したいと思います。

内情は寺院経営や生活に行き詰まっている、親族や同期、先輩後輩を1人でも救済すべく、日蓮正宗御僧侶の皆さんには更に更に正信会僧侶の折伏のための行動を起こしていただくことを念願いたします。

こと「親族の正信会僧侶」に対し、行動を起こしている宗門御僧侶はあまりいないのが実情です。
「縁は切った」「関係ない」と当方に言われた御僧侶もおります。
一方で、この度訪問したある寺院では御住職の弟が正信会僧侶で、下記寺院の親族の御僧侶の訪問記録をお渡ししたところ、特に奥様が大きな関心を示されておりました。
兄弟同士は特に難しいのですが、気がかりなのも兄弟、最後に頼りになるのも兄弟だったりいたします。
また同じ「釜の飯」を食った同期、近い期の先輩・後輩の方が話はしやすいようです。
現実に辻満道氏は2期上の先輩を特に懐かしがり、写真に見入っておられたのです。

日顕上人の弟子の兼務住職が正信会寺院を訪問しても「後輩」扱い、特に日顕上人の弟子で一般得度の御僧侶の場合は「インスタント僧侶」扱いで話もなかなか難しいと聞いております。それでも、御会式で通るたびにその寺院や残り少なくなった檀徒宅を訪問し、折伏している一般得度の御僧侶もおられます。



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