地球を旅する

第107日 福江−福江

2010年8月10日(火) 参加者:奥田・島雄

第107日行程  「五島バスターミナルホテル」の食堂で、朝食を食べながら、テレビの朝のニュースを見入る。もちろん気になるのは天気予報だ。今のところ雨は降っておらず、台風4号も五島列島よりも済州島を通過するような様子である。しかし、五島灘に影響を与えるのは必至で、本日の運航状況が気になるところだ。
 チェックアウトを済ませて早めに福江港ターミナルに移動する。午前中のジェットフォイルはすべて欠航が決まっていたものの、午後の便については現在天候調査中とのこと。我々が利用するのはジェットフォイルではなく、フェリーであるが、こちらもまだ天候調査中とのことであった。午前の便が欠航であれば、台風がより接近する午後の便も欠航の可能性が大きいが、天候ばかりは悩んでも仕方がない。五島沿岸航路を受け持つ五島旅客船は、高速船「ニューたいよう」は欠航するが、「フェリーオーシャン」に限り、午前中の運航を保証するというので、当初の予定通り福江8時05分の「フェリーオーシャン」で奈留島に渡ることにする。奈留島まで770円の乗船券を窓口で購入する。
 奈留島へ渡ることが確実になったので、奈留島レンタカーへレンタカーの予約の電話を入れるが、今日は貸し出せる車両がないという。台風4号の影響で、観光客は皆無だと思うのだが、貸してもらえないのでは仕方がない。やむを得ず久賀島と同様にタクシーを利用するしかなさそうだ。奈留タクシーに予約の電話を入れて、奈留島の観光を頼むと、台風にもかかわらず、思わぬ上客が現れたためか大歓迎の様子であった。
 「フェリーオーシャン」に乗り込むと、船内には作業着姿の用務客が多い。通常の業務に向かうのか、台風の備えに向かうのかは定かではないが、福江から現場に向かうとすれば、しばらく現場で足止めされることを覚悟しなければならないだろう。
 福江港を出ると、船体は大きく揺れ、やはり台風4号の影響は確実に出ている。我々もこのままでは五島列島に閉じ込められる可能性が高く、航路が駄目ならば空路しかない。携帯電話で飛行機の予約状況を確認するが、長崎や福岡行きは軒並み満席になっており、唯一、座席に余裕があるのが、関西国際空港行きのみである。博多からの新幹線は予約済みであるが、背は腹に変えられないので、いざとなれば関西国際空港へ飛ぶしかないであろう。
 奈留島桟橋には8時50分に接岸。揺れは酷かったが、定刻通りの運航である。桟橋に降り立つと雨が打ち付けている。その桟橋の前で予約した奈留タクシーの女性運転手が待ち構えていた。
 運転手に断って、まずは奈留港フェリーターミナルで、本日の運航状況について、最新の情報を仕入れる。運が悪いことに、我々が利用を予定していた奈留島を12時40分に出港する九州商船のフェリーも欠航が決まったとのこと。本日中に五島列島から脱出するためには、福江島に戻らなければならなくなった。
 しかも、福江島に戻る「フェリーオーシャン」は、11時30分の出港である。当初の予定では10時30分の五島市営船で奈留島の属島である前島に渡り、1時間30分の滞在の後、奈留島へ戻って来る予定であった。前島に渡ってしまったら、11時30分の「フェリーオーシャン」に間に合わなくなってしまう。無事に奈留島への上陸を果たすことができたにもかかわらず、さっそく予定の変更を強いられることになった。
 荷物を後部のトランクに預けて、タクシーに乗り込む。雨はますます酷くなり、奈留島に閉じ込められるのではないかと懸念したが、運転手が言うには船長が午前中の「フェリーオーシャン」の運航を保証したからには、欠航することはあり得ないという。長年の経験に裏打ちされた判断であるので、福江島には確実に戻ることができるという。
 まずは、奈留島の南東にある奈留千畳敷へ向かう。タクシーはフェリーターミナルから一旦、東海岸に出て、海岸沿いの道路を南下。東風泊湾を眺める限り、それほど海が荒れた様子は見られず、海面もコバルトブルーを保っている。
 奈留ターミナルから5分ほどで奈留千畳敷に到着。相変わらず雨が激しく降り続いている。奥田クンは車内で待っていると言うので、島雄クンと2人で奈留千畳敷の前で記念撮影。奈留千畳敷は、大きな岩が広がっているだけではなく、沖合の小島と連なって、トンボロのような姿をしている。干潮であれば、千畳敷を伝って小島まで行くこともできるらしい。今日は手前の海岸が波に覆われてしまっている。
 西海岸に出ると、今度は目の前に前島が現れた。前島には、フェリーターミナルより800メートルほど離れたところにある浦桟橋から1日3往復、五島市営船「津和丸」が就航している。10時30分の便で前島に渡る計画が台無しになったところであるが、前島航路も欠航であれば諦めがつくというもの。
「前島航路は運航しているよ。『津和丸』が奈留島に来ているから、必ず前島には戻る」
前島の出身だという運転手は、意に反して「津和丸」の運航を保証した。こうなると一転して前島にも渡りたいという思いが強くなる。
「せっかくなので前島にも渡ってみたいのですが、10時30分の便で前島に渡り、海上タクシーで戻って来ることはできませんかね」
運転手に前島渡航を相談してみる。
「海上タクシーは奈留島に2社あるので、後で聞いてみましょう」
すぐにでも確認して欲しかったところだが、地元のことは地元の人に任せるのが良いだろうと、すべてを運転手に委ねる。
 次にタクシーが訪れたのは長崎県立奈留高等学校。1974年(昭和49年)に前身の五島高等学校奈留分校の2年生であった生徒が、ラジオのニッポン放送「オールナイトニッポン」の「あなただけのイメージソングを作ります」コーナー宛てに校歌を作ってほしいと投書をしたところ、荒井由実(松任谷由美)が「瞳を閉じて」を作詞・作曲して贈ったのだ。残念ながら校歌としては採用されなかったが、入学式や卒業式に歌われる愛唱歌として採用され、これを記念するユーミンの歌碑が正門近くに建てられている。雨が降る中、傘を差して歌碑に駆け寄ると、御影石の石碑に荒井由実の直筆で、「瞳を閉じて」の歌詞が刻まれていた。
 奈留教会に立ち寄って、江上教会の鍵を借りる手続きをする。江上教会の鍵は奈留教会で管理しているとのこと。事前にインターネットで奈留島の観光スポットについても調べてきたが、教会の鍵の管理場所についての情報は皆無であった。レンタカー利用であれば、江上教会に行っても内部見学ができなかったのだから、タクシー利用の余得だ。書類は見学者本人が記入しなければならないとのことで、随分と厳重な管理がなされている。
 船廻簡易郵便局に立ち寄ってもらって旅行貯金を済ませる。すぐ近くには宮の森総合公園があり、キャンプもできるとのこと。
「美術館もあるけど、興味ありますか?」
運転手が尋ねる。旧船廻小学校を改修して、奈留島出身の画家である笠松宏有氏の絵画を常設展示した「笠松宏有記念館」が2008年(平成20年)7月5日にオープンしたという。しかし、残念ながら我々には絵心がないうえ、タクシーを待たせて絵画鑑賞なんてしたら、メーターが気になって仕方がない。せっかくの申し出だが、素通りしてもらう。
 代わりにというわけではないが、同じ船廻にある水ノ浦教会に行ってもらいたい。タクシーは、相ノ浦湾に沿って5分ほど北上したところにある集落で停車。周囲は民家だけで教会は見当たらないが、運転手が指差す民家の脇道に入ると、高台に登る階段があり、やがて朱色の屋根に白い壁の木造教会が現れた。教会と判るのは、屋根に十字架が掲げられているからであり、何もなければどこかの家の物置小屋と間違えそうな代物だ。残念ながら鍵が掛けられており、内部の見学はできない。
 水ノ浦教会は、南越教会とも呼ばれており、奈留島で3番目の教会として、1925年(大正14年)に建築された。現在の建物は、1957年(昭和32年)に改築されたものである。信徒の大半が漁業従事者で、かつてはミサの時間を知らせるのにホラ貝を使っていたという。
「南越教会は見学するような教会ではなかったでしょう。最近は五島にある教会はすべて観光スポットであるかのような紹介をしてしまっているけど、実際に信仰心のない観光客に見学してもらうような教会は限られているのよ」
タクシーの運転手が申し訳なさそうに言うが、承知のうえで立ち寄ってもらったのだから構わない。そもそも外周旅行は、何もなくても海岸に沿って旅をするのだから、教会があっただけでも拾い物なのだ。
 水ノ浦からは海を渡れば1キロほどしか離れていない対岸まで、相ノ浦湾に沿って9キロ近くも迂回する。その間にジェットフォイルは午後もすべて欠航になったとの情報がタクシーの無線を介して伝えられた。航路が断たれたので、残るは空路だ。携帯電話を利用して、関西国際空港行きの全日空1800便を私と島雄クンの名前で予約する。2日前に北川クンと福井クンが帰路についた便だ。予定が決まっていた2人は早割を利用したが、緊急避難的な利用となった我々は普通運賃の32,500円が必要になる。長崎から羽田までの航空券を持っている奥田クンは、長崎行きのキャンセル待ちにトライするからと予約を見合わせた。
江上教会  遠命寺トンネルを抜けたところにある江上集落でタクシーから降りる。江上教会の前までタクシーを乗りつけることができないらしい。運転手の先導に従って、林の中に分け入ると、クリーム色の江上教会が現れた。
 江上教会の設立は1906年(明治39年)であるが、現在の教会は鉄川与助によって、1918年(大正7年)3月に再建されたものである。木造ロマネスク様式の天主堂としては、完成度が高く、国の重要文化財にも指定されている。内部は左右対称のシンプルな構成で、リブ・ヴォルト天井になっている。柱には木目塗りの装飾が施され、ステンドグラスの代わりに透明なガラスがはめ込まれ、そのガラスには花のデザインが描かれている。神秘的な雰囲気に包まれ、身が清められる気がした。
 大串簡易郵便局で旅行貯金を済ませ、フェリーターミナルに戻るが、前島だけが未訪になってしまうのが気掛かりで、海上タクシーを紹介してもらえないかと運転手に再度依頼する。
「そう言えば数年前にも東京から来た一人旅の女性がいたわね。今日みたいに台風のときにね。ユーミンの『瞳を閉じて』の歌詞を覚えている?手紙を入れたガラス瓶を海に流そうというところがあって、どうしても同じように海に手紙を流したいって言いだしてね。台風で海上タクシーも出せないというので、仕方なく旦那に頼んで船を出してもらったわ」
ユーミンの歌碑の前半には、「風がやんだら 沖まで船を出そう 手紙を入れたガラスびんを持って 遠いところへ行った友達に 潮騒の音がもう一度届くように 今 海に流そう」と刻まれていた。歌詞のとおりであれば、風がやむまで船を出すのを待つべきではないかと突っ込みたくなるが、運転手が言いたいのは変わった旅行者が時々やって来るということであろう。もちろん、台風が接近しているにもかかわらず、わずか数分間の上陸のために前島に渡ろうとしている我々も同類であるということだ。
 無線で海上タクシーの問い合わせてもらったが、1社は既に台風に備えて船を係留してしまったとのことで断られ、もう1社の「海上タクシー五島」に当たってもらうと、利用者から直接連絡をして欲しいとの返事があったとか。電話番号を聞いて携帯電話から連絡すると、愛想の悪い年輩のおやじが出る。
「前島から奈留ターミナルまでお願いできますか」
「だから前島のどこから乗るんだよ!それがわからないから直接電話をしろって言ったんだよ!」
普段であれば、その場で怒鳴り返して電話を切るところであるが、今回は「海上タクシー五島」に頼らざるを得ないので、怒りを堪えて対応する。
「連絡船の終点です。笠松ではない方です」
「江ノ浦だろ!最初から江ノ浦って言えよ!」
五島市のホームページに掲載されていた時刻表によると、「津和丸」の運航区間は、浦−笠松−前島となっていた。時刻表に江ノ浦という表記はなく、前島で通用するものと思っていたのだ。しかしながら、わざわざ気に障る言い方をするおやじだ。最初から笠松と江ノ浦のどちらですかと聞けば言いのではないか。しかも、前島−奈留の海上タクシーの運賃は3,000円が相場であるにもかかわらず、4,000円をふっかけてきた。
「台風が近付いているから足下をみた商売をしているわね。私が電話をしてあげたらよかったなぁ。電話の相手はどんな人だった?」
隣でやり取りを聞いていた運転手が尋ねる。
「随分と態度の悪い年輩のおやじでしたよ」
これだけで運転手には私の電話の相手が誰だか特定できたようだ。
 浦桟橋に到着したのは10時25分。「津和丸」の出港時刻の5分前で、料金メーターは8,920円を示していた。「五島バスターミナルホテル」で、「ウェルカムアイランドキャンペーンin五島」のクーポン券をもらっていたので、1,500円の割引となり、実際に支払ったのは7,420円で済んだ。おまけに我々の荷物は、このまま奈留港フェリーターミナルに運んで、売店で預かってもらうように頼んでおいてくれるという。ジェットフォイルの運航状況から海上タクシーの手配まで世話になり、傘を持っていなかった奥田クンと島雄クンは折り畳み傘を貸してもらうことになった。サービスの良さに高いタクシー料金もあまり気にならなくなる。
 「津和丸」の船内は、やはり台風に備えて買い出しにやってきたと思われる島民で賑わっている。船内で乗船券を購入しようとすると、船員から念押しがある。
「午後の便は欠航になります。前島から戻れなくなりますが、大丈夫ですか?」
「海上タクシーを手配しているので大丈夫です」
私が答えると船員は江ノ浦まで200円の乗船券を発券してくれた。
 前島は、面積0.47平方キロ、周囲5.6キロの小さな島で、奈留島と最も近いところでは300メートルぐらいしか離れていない。「津和丸」は、奈留島によって覆われた海域を航行するので、台風の影響もほとんど受けていない。これなら午後の便も欠航にする必要はないようにも思うが、わざわざ悪天候の中、前島と奈留島を行き来する島民などいないのであろう。
 「津和丸」は10分もしないうちに最初の寄港地である笠松港に入港。驚いたことに我々以外の全員が笠松で降りてしまう。前島の中心集落は笠松であるようだ。奈留島の泊集落がすぐ目の前にあり、架橋してもおかしくないような距離だ。
 我々の貸し切り状態となった「津和丸」は、前島の牛落鼻を回り込むようにして、江ノ浦港へ。ダイヤでは10時45分の到着であったが、5分ほど遅れた。たった5分ではあるが、前島での滞在時間がほとんどないのでかなりの痛手だ。前島の見所は、末津島を結ぶトンボロであるが、江ノ浦からトンボロまでは、1キロほど離れている。海上タクシーは11時10分に迎えに来るため、残された時間は20分しかない。急げば1キロを10分ぐらいで歩くこともできるが、見学時間は皆無に等しくなる。それでも、トンボロを実際に見なければ無理して前島に渡った甲斐がなくなってしまう。船員に場所を確認して、小走りでトンボロを目指す。
 桟橋から江ノ浦港をぐるりと迂回する。江ノ浦港は一部がコンクリートによる階段状の海岸と石垣による浅瀬になっており、人工の海水浴場のようになっている。天気が良ければ奈留島から海水浴客がやって来るのかもしれない。
前島のトンボロ  江ノ浦港の片隅から遊歩道が続いており、足場の悪い階段を登って行く。気を付けないと足を取られて転びそうだ。やがて遊歩道の視界が開け、末津島へ続く白い砂浜が目に入った。前島のトンボロである。
 トンボロは潮の流れで小石が堆積して形成されたもので、陸繋砂州ともいう。潮の満ち引きによって砂州が現れたり、消えたりする前島のトンボロは幻想的な存在だ。よく見ると、現在は末津島の手前が波に覆われていた。これでは時間があっても、末津島に渡ることはできない。
 遊歩道はこの先が下りになっており、トンボロの砂浜まで続いているようだが時間切れだ。急いで江ノ浦港まで引き返す。
 江ノ浦港では「津和丸」の船員が船舶の係留作業をしていた。台風に備える準備の時間が必要でだから、午後は欠航と決めたようだ。やがて、沖合から1艘の船がやって来る。予約した「海上タクシー五島」であろう。ところが、江ノ浦港の一帯は、台風に備えてしっかりと係留された漁船で埋め尽くされており、海上タクシーが接岸できるような場所はない。
「堤防の外側でないと無理だよ!」
係留作業をしていた「津和丸」の船員の指示によって、堤防の外側へ移動して、無事に海上タクシーに乗り込む。海上タクシーの船長は予約したときの電話の主よりも若く、別人のようなので安心する。
 海上タクシーは笠松に寄らずにまっすぐフェリーターミナルへ向かったので、江ノ浦からわずか5分で到着。大きな揺れもなく、これで4,000円とはいい商売だ。ところが、船長から請求されたのは3,000円。電話の主とは異なるようだし、経緯を知らずに通常の料金を請求したのだろうか。もしかしたら奈留タクシーの運転手が後から口添えをしてくれたのかもしれない。
 フェリーターミナルの売店で無事に荷物を受け取り、奥田クンと島雄クンは借りていた傘を返却する。我々がフェリーターミナルに着くと、再び雨が降り始めたが、「フェリーオーシャン」は定刻に姿を現したので安心する。これで少なくとも福江島には戻れることになる。
 定刻の11時30分に奈留島港を出港した「フェリーオーシャン」であったが、福江港まので航海は容易ではなかった。船は大きく揺れ、甲板に大きな波しぶきが打ち付ける。久賀島の島影に隠れるようにしながらゆっくりと航行するが、久賀島の金剛崎を過ぎると田ノ浦瀬戸からの波の影響を受けて激しく揺れる。転覆するのではないかと思うような揺れで、ジェットフォイルが欠航するのも頷ける。
 「フェリーオーシャン」は定刻よりも15分遅れの12時30分に福江港に入港した。港内に入ると荒れ狂う波がピタリと波がおさまる。激しく打ち付けていた雨も止んだのは不幸中の幸いだ。
 福江港ターミナル内は閑散としている。昨日は大勢の人で賑わっていたターミナルも閑散としており、売店も半分ほどが既に店じまいをしていた。本日のジェットフォイルは全便欠航だから当然であろう。乗船券売り場の窓口だけは、払い戻しや明日以降の予約の振替業務を行うために開いている。
 私と島雄クンは五島福江空港を16時15分に出発する関西国際空港行き全日空1800便を予約しているので、それまでは時間を持て余すことになる。長崎空港行きのキャンセル待ちをすると言っていた奥田クンは、すぐに空港へ向かった方が良いのだが、昼食までは付き合うとのこと。それならば、何か最後に五島の名物を食べよう。奥田クンが持参したガイドブックによれば、五島市役所近くの「レストラン望月」で五島牛のステーキが食べられるということだったので、昨夜に続いて五島牛だと足を向ける。ところが店の前には「本日臨時休業」の看板が掲げられている。台風なので店を閉めてしまったのであろうか。やむを得ず新栄通りに出て、手頃な店がないか物色するが、意外に飲食店は少ない。代わりに福江郵便局があったので、旅行貯金を済ませる。
 買い物をしたいという島雄クンに付き合い、福江郵便局の近くにあった「山本海産物店」へ入る。若松島の「民宿つる屋」で食べたアオサの味噌汁が美味しかったので、ぜひアオサを買って帰りたいとのこと。島雄クンが商品選びをしている間に店主との雑談になったので、今日の天候で飛行機が飛ぶかどうかを尋ねてみる。観光客相手の商売をしている地元の人であれば、交通機関の運航状況についても多少の見当が付くのではないかと思ったのだ。
「多少の雨や風でも大丈夫だけど、視界が悪くなるとすぐに欠航する。飛行機は濃霧に弱い。福江に飛行機はないから、本土から飛行機がやって来れば間違いなく戻って行くけど、濃霧だと着陸ができないので、すぐに引き返してしまう」
すべては関西国際空港からやって来る便が、無事に五島福江空港に着陸できるかどうかにかかっているようだ。
 適当な店を見付けることができずに、そのまま武家屋敷通りに入る。城下町として栄えた福江には、江戸時代の面影を残す武家屋敷跡がある。道路の両脇には、上部に「こぼれ石」といわれる丸い小石を半円型に積み重ね、その両端をかまぼこ型の石で止めた珍しい石垣が続く。門は、ほとんどが薬医門と呼ばれる堂々とした門構えであった。
 しばらく歩くと「福江武家屋敷通りふるさと館」があったので、立ち寄ってみる。展示コーナーでは、福江の歴史を紹介した写真パネルや模型が展示されていたが、歴史的な価値があるような展示物は見当たらない。むしろ、隣のイベントホールで行われている五島の民芸品である「ばらもん凧」の絵付けや草木染め体験がメインの施設のようだ。
 ここで、奥田クンも携帯電話で全日空1800便の予約を済ませた。電話でオリエンタルエアブリッジの予約カウンターに問い合わせると、今日はキャンセル待ちが多いので、座席の確保はあまり期待できないとのことなので、無駄に空港で時間を過ごすよりも、市街地を散策している方が有意義と考えたのであろう。もっとも、全日空1800便も条件付きの運航となっており、運航が保証されているわけではない。
石田城跡  相変わらず目ぼしい飲食店が見当たらず、武家屋敷通りを抜けて石田城跡に出る。石田城は、黒船の来航に備えて、1863年(文久3年)に完成した江戸時代の最後に築城された城として知られる。本丸、二ノ丸、三ノ丸からなり、天守はなかったが、本丸の二重櫓がその代用とされたという。城壁の三方が海に面している日本唯一の海城でもあったが、残念ながら明治維新後の1972年(明治4年)に解体されてしまった。本丸跡は、現在、五島高等学校の敷地になっている。
 石田城跡内には、五島氏の隠居場所である隠殿が残されており、その庭園は金閣寺の丸池を模倣して造られたという。こちらは一般公開されているということなので、足を運んでみるが、五島邸庭園も「台風のため本日休園」との張り紙が出されている。多少風が出て来たかもしれないが、まだ雨も本格的に降り出していないにもかかわらず、休園してしまうとは困ったものだ。林泉式庭園と呼ばれる回遊式の庭園と「心」の文字を象った心字が池は、見学できずに終わる。
 石田城跡を後にして、福江港に戻って来る。台風の接近を控えた福江港は閑散としているが、かつては灯台の役割を果たしていたという常灯鼻は、小規模ながらも、海に浮かぶ要塞を感じさせる威圧感がある。石田城の築城に当たり、福江港に注ぐ福江川の河口に出入りする船の安全を確保するために築かれたもので、完成したのは1848年(嘉永元年)とのこと。既に160年以上も雨風や波浪に耐えて、福江港に出入りする船舶を見守っているのだ。
 常灯鼻を望む場所にある「御食事処うま亭」に入って、ようやく昼食となる。どこにでもありそうな定食屋だと思って入ったが、福江港ターミナルにも近いので、観光客向けのメニューも充実している。「五島牛ステーキ定食」(3,500円)もあったが、定食屋でステーキを注文する気にもならず、無難に「五島つみれうどん定食」(950円)を注文。五島うどんと五島つみれの双方が楽しめる。奥田クンと島雄クンはなぜか「カツカレー」(700円)を注文した。
 店内のテレビでは、ニュースの天気予報が報道されている。台風は五島列島よりもかなり西側に進路をとっている。この様子であれば、飛行機が欠航することはあるまい。奥田クンは長崎空港から搭乗する予定であった羽田空港行きの日本航空1852便をキャンセルする。先得割引なので、高額な取消手数料を覚悟しなければならないと思っていたが、福江から長崎へ向かうことができない証明書の提出があれば、取消手数料は発生しないとのこと。福江港ターミナルはすぐ目の前なので、フェリーの欠航証明を帰り掛けにもらっていけば良いだろう。しかし、搭乗予定の便そのものが通常どおりの運航であっても、接続する交通機関の欠航を理由に手数料なしで取消しができるとは知らなかった。今後、アプローチに飛行機の世話になることは多いだろうし、知っていて損のないルールである。
 値段の割にはボリュームのあった「五島つみれうどん定食」に満足し、福江港ターミナルへ。奥田クンは、窓口で欠航証明を無事に入手して、安心した様子だ。通常のキャンセルであれば、クラスJの先得割引運賃である21,100円の50パーセントが取消手数料として没収されてしまうところだったのだから当然だ。
 福江港ターミナル内の売店は、次第にシャッターを下ろす店舗が増える。「御食事処うま亭」で食べた五島つみれがおいしかったので、まだ店を開けていた浜口水産の売店で、「バラモン揚げ(あじ)」(150円)を1つ買って食べてみる。五島つみれと同様に濃厚な味で、余計な添加物がほとんど含まれていないのであろう。これで五島グルメも食べ収めである。
 時間はまだ余裕があったので、再び市街地に出掛けようとしたら、とうとう雨が降り出して来た。しばらく雨宿りをしていたが、雨足は強まるばかりだ。さすがに帰りの飛行機が心配になる。時間は早いが14時45分の五島バスで、五島福江空港に向うことにする。
 鬼岳の麓にある五島福江空港に到着すると、滝のような雨で視界がまったく効かない。バスから降りて、掛け足で空港ロビーに逃げ込むと、空港ターミナル内にはキャンセル待ちで長崎や福岡へ向かおうとする人が大勢いる。奥田クンが関西国際空港行きを決断したのは賢明な判断と言えよう。
 まずは全日空のカウンターへ赴き、全日空1800便の運航状況を確認するが、関西国際空港からの便が到着しないので、まだ何とも言えない状況だという。雨はますます強くなり、地面を打ち付ける雨音がまるで滝が打ち付けるような轟音を響かせる。やがて周囲は濃霧に包まれて真っ白になった。館内では、長崎からのオリエンタルエアブリッジ319便が、五島福江空港の上空で旋回中との案内がある。視界が効かないので着陸ができずに、上空で待機をしているとのこと。予定であれば319便は15時05分に到着しているはずであるが、時刻は既に15時30分になっている。やがて、燃料がなくなった319便は五島福江空港への着陸を断念して、長崎空港へ引き返してしまった。同便の折り返しとなる福岡行き4636便も欠航と決まる。空港内のカウンターには、4636便に搭乗予定であった乗客が一斉に後続便のキャンセル待ちに並んだ。
 さて、次に五島福江空港に着陸するのは、関西空港からの全日空1799便である。到着予定時刻は15時45分であるが、直前の便が15分前に着陸を断念して引き返してしまったのは気になるところ。雨足が弱まる様子もなく、相変わらずの濃霧に覆われている。とりあえず、荷物をチェックインカウンターに預けて朗報を待つが、16時なっても1799便は五島福江空港に姿を現さない。
 しばらく福江で足止めされることを覚悟して、善後策を考えていたところ、急に雨足が弱まり、空が少し明るくなった。もしやと思って空港ターミナルビルの屋上にある展望デッキに駆け上がる。雨は小降りになっており、目の前にボーイング737−500の機体を確認する。1799便は天候が回復した一瞬を逃さずに着陸に成功したのだ。
 空港ターミナルビル2階の売店で、1800便が欠航になることを懸念して、買い控えをしていた自宅や職場への土産品を買い求める。セキュリティチェックを受けて、搭乗待合室へ。1799便の到着が遅れたため、1800便の離陸も遅れる見込みとのことだが、運航するのであれば多少の遅れなどまったく問題ない。
 駐機場へ続く固定橋を歩いて行くと、その先にはボーディングブリッジではなく、駐機場へ降りる階段が続いている。乗客が駐機場を歩いて搭乗するのは地方空港ならではの光景だ。
 五島列島から脱出するための貴重な便であるにもかかわらず、機内は気の毒なほどガラガラ。現在は夏季のみの就航となっている関西国際空港−五島福江空港路線だが、路線維持の先行きも不透明である。キャビンアテンダントは、好きな座席に移動しても良いと言うので、各々が窓側の座席に移動した。
 全日空1800便は定刻よりも10分遅れの16時25分に五島福江空港を離陸。雲の隙間から久賀島、奈留島、中通島が確認できる。2年掛かりで旅をした五島列島を空から眺めることで総括するのも悪くない。空から眺める五島灘は平穏に見えないこともないが、空から白い波頭が模様状に確認できるということは、海上が荒れている証拠であろう。
 九州の上空に入るとすっかり雲は消えてなくなり、関西国際空港への着陸体制に入るとすっかり晴れ上がっている。台風から逃げるように飛んで来たので当たり前ではあるが、福江での悪天候が嘘のようである。
 全日空1800便は定刻よりも15分遅れの17時40分に関西国際空港に着陸した。新大阪から新幹線で帰路に着く奥田クンを関西空港駅まで見送る。最終日は散財ではあったが、なんとか当初予定していた行程を消化することができて何よりである。しばらく空港内の喫茶店で島雄クンと今回の旅を振り返った後、共に関西空港交通のリムジンバスで家路についた。

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