いつの時代も負けない士業

第100日 佐世保−小値賀

2009年8月6日(木) 参加者:奥田・島雄・横井

第100日行程  三宮バスターミナルで外周旅行初参加となる島雄真クンと落ち合う。島雄クンはもともと私がかつて勤務していた会社の後輩で、5年来の付き合いになる。Tシャツにノルウェー軍のミリタリーパンツというスタイルで、臨戦態勢も万全というところか。新メンバーの参加は7年前の東戸クン以来で、マンネリ化している旅に変化をもたらしてくれることを期待する。
 三宮バスターミナルは、神戸新聞会館(ミント神戸)の1階に位置しており、2006年(平成18年)11月26日に供用が開始されたばかりの比較的新しい施設だ。このバスターミナルの完成によって、バス会社や系統ごとに異なっていた乗降場所が統合されることになり、旅行者にはわかりやすくなった。この日も全国各地へ向かう夜行バスを待つ人の姿が多い。
 22時10分発の東京ディズニーランド行きJRバスが発車すると、三宮バスターミナルの7番乗り場には、続いて我々が乗車する22時15分発の西肥自動車の「コーラルエクスプレス」ハウステンボス行きがやってきた。高速バスを5分単位で発着させる必要があるのだから、三宮バスターミナルの過密ぶりが伺える。せっかくバスターミナルを整備したものの、まだまだ収容しきれない路線バスがあるというのだから驚きだ。
 立派なバスターミナルではあるが、到着案内などは一切なく、バスから降りて来た運転手が「佐世保行きで〜す」と乗客に声を掛ける。荷物を預けてバスに乗り込むと、ポツポツと雨が降り出した。天気予報では晴れだったのに幸先が悪い。
 「腹が減ったなぁ」と残業でまともに夕食を採っていない島雄クンがバスに乗るなり情けない顔をする。高速バスでは、就寝前にサービスエリアで洗面休憩があるのが一般的だから、そこで食料を確保すればいいだろう。島雄クンは持参した明治製菓の「ヨーグレット」で飢えをしのぐ。
 2分遅れの22時17分に「コーラルエクスプレス」は三宮駅バスターミナルを発車した。このバスは堺東駅−ハウステンボス間を西肥自動車の「コーラルエクスプレス」と南海バスの「サザンクロス」が共同運行しており、今日は「コーラルエクスプレス」が割り当てられた。車内前方のテレビでは、「報道ステーション」が放映されており、備え付けのイヤホンで音声を拾う。
「飛行機みたいだね」
日頃は格安のツアーバス利用が多い島雄クンが感心するが、イヤホンサービスは高速路線バスであれば標準サービスに近い。むしろ昨年利用した長崎県交通の「ロマン長崎」ではドリンクサービスがあったのだが、「コーラルエクスプレス」にはドリンクサービスがないのでマイナス評価だ。それどころか、三宮バスターミナルを発車しても運転手から一切案内がないのは問題である。通常は行き先と到着予定時刻、途中に立ち寄るサービスエリアについての説明があってしかるべきだ。
 バスは神戸市街地を抜けると新神戸トンネルで六甲山を抜け、箕谷から阪神高速7号北神戸線に入る。神戸経由の路線は山陽自動車道に入るまでのルートが随分と複雑だ。この先、布施畑ジャンクションから山陽自動車道の木見支線に入り、三木ジャンクションで本線に合流するのであろう。
 23時にテレビが消され、前方のカーテンが閉められる。ところが車内灯は減光されたもののまだ明るく、就寝前のトイレ休憩の後に消灯するのだろうと見当を付ける。やがてバスはどこかのサービスエリアで停車。ところがドアが開く音が聞こえるものの、運転手からは一切案内がない。ここで休憩だと思っていた乗客も何人かおり、周囲を見回しているが、運転手の交替休憩だけの様子。その後、諦めた様子でバスに設置されたトイレに乗客が入れ替わりに殺到し、しばらく車内は騒々しくなった。夜行バスでは、車内トイレ設備があるとしても、やはり就寝前のトイレ休憩は必要不可欠であろう。西肥自動車にはよく検討してもらいたい。
 車内が落ち着いたところで完全消灯となり、島雄クンも食料調達を諦めて眠りに付いた。私も遠慮気味に倒していたシートを深く倒して就寝する。今年は快適な一夜を過ごせるかと期待したが、「コーラルエクスプレス」の車両もスーパーハイデッカー車とはいえ、かなり年季が入っており、エンジン音や揺れが多少なりとも気になった。
 翌朝は6時過ぎに「洗面休憩をとります」との「コーラルエクスプレス」に乗車して初めての案内があり、長崎自動車道の金立サービスエリアに降り立つ。小雨模様で天気が気になるが、サービスエリア内の天気予報では、次第に天候は回復模様とのこと。念のため携帯電話で上五島航路の運航状況を確認してみたが、通常運航とのことなので安心する。
 サービスエリア内には開店したばかりのパン屋から焼き立てパンの匂いが漂ってきた。
「朝飯はどうします?」
飢えに苦しみながら一夜を明かした島雄クンに問い掛けられるが、ここまで来たなら中途半端な朝食を採るよりも、佐世保でしっかりと食べた方がいい。あと1時間辛抱するように言い渡す。
 時刻表では、武雄温泉駅前、有田工業高校前、早岐田子の浦を経由する予定であったが、金立サービスエリアを発車すると、運転手から「本日は途中で下車するお客さんがおりませんので、このまま佐世保バスセンターまで直行します」との案内がある。本来であれば、武雄北方インターチェンジから国道35号線に降りるものと推測されるが、今日はそのまま長崎自動車道を武雄ジャンクションまで走り、西九州自動車道に入って佐世保三川内インターチェンジで国道35号線に降りた。途中、九州自動車道の福岡インターチェンジ−大宰府インターチェンジ間は、10日程前の7月26日の集中豪雨により土砂崩れが発生し、走行中の自家用車が生き埋めになるという大惨事になった。現在も復旧工事のために同区間は通行止めになっており、「コーラルエクスプレス」も同区間は福岡都市高速道路への迂回を余儀なくされたはずだ。定時運行を維持するためには、利用者のいない経由地をショートカットすることも必要なのであろう。
 佐世保バスセンターには、定刻よりも8分遅れの7時40分に到着。ほとんどの乗客が佐世保バスセンターで下車し、終点のハウステンボスに向かうために車内に残った乗客は1名のみとなった。
 まずは、宇久島までのフェリーの乗船券を確保するために、鯨瀬フェリーターミナルを目指す。佐世保バスターミナルからも10分少々の距離で、佐世保はバス、鉄道、フェリーのターミナルが近くに集まっているので便利だ。
 佐世保バーガーのオブジェが展示してある佐世保駅のコンコースを通り抜けて、佐世保港に面したプロムナードを歩く。天気は曇っているが、幸いにも雨は降っていない。目指す鯨瀬フェリーターミナルには、九州商船の「フェリーなみじ」が停泊している。
「あれに乗るんですか?」
島雄クンに尋ねられて、一瞬そうだと錯覚しかけたが、「フェリーなみじ」は鯨瀬フェリーターミナルを8時に出航し、中通島の有川へ直行する便であった。我々が乗船するのは宇久平経由小値賀行きの「フェリーなるしお」である。
 「8時のフェリーに乗りますか?」
鯨瀬フェリーターミナルに到着すると、フェリーターミナルの職員から声が掛かる。「フェリーなみじ」は既に出航時刻の8時が迫っているのだ。
「いいえ。違います。宇久島へ行きたいので」
そう言うとフェリーターミナルの職員は安心したようだ。ついでに10時40分発のフェリーの乗船券を購入したい旨を伝える。
「フェリーの乗船券は直前にならないと発売しないからね。10時40分の便だと発売開始するのは10時ぐらいかな」
九州商船のフェリーは車両航送以外の事前予約が一切認められず、当日分なら入手できるだろうと、わざわざ早めにフェリーターミナルへ顔を出したのだが無駄足になってしまった。
 鯨瀬フェリーターミナルのコインロッカーに荷物を納め、朝食に出掛けようとすると突然雨が降り出した。しばらく待合室で雨宿りとなるが、10分もすると小雨になったので、佐世保市内の散策へ出発。佐世保は昨年の外周旅行でも通過しているのだが、市街地はレンタカーでほとんど素通りだった。
 まずは鯨瀬フェリーターミナルに近い佐世保朝市へ。佐世保朝市は午前3時から午前9時まで万津町市営駐車場を利用して開催されている。我々が朝市に到着したときは、既に8時30分近くになっていたので、約300軒の店が連なっているはずの朝市は、ほとんどが店仕舞いをしており、閑散としていた。それでも数少ない店には、海産物だけではなく、野菜、果物といった農産物から漬物、花、陶器、衣類まで数々の商品が所狭しと並んでいる。佐世保港に面しているので水揚げされたばかりの鮮魚が並んでいるものと勝手に思い込んでいたのだが、ここは魚市場ではなく、朝市なのだから様々な商品があってしかるべきだ。
 朝市を見学した後は島雄クンお待ちかねの朝食に向かう。当初は朝市近くの大衆食堂「よしだ屋」へ案内しようと思っていたのだが、防空壕の跡を利用した「とんねる横町」という商店街に話題性がありそうなので予定を変更。朝市から10分ほど歩いて、戸尾町交差点近くの「とんねる横町」にたどり着いた。
 「とんねる横町」は、高台にある小学校の校庭の下に位置していた。現在は小学校が廃校になって佐世保市の公共施設となっているようだが、戦時中は防空壕を掘るのに最適な場所だったのであろう。防空壕なのでどの店も間口は狭いが奥行きはありそうだ。我々は早朝から営業していた「四軒目食堂」の暖簾をくぐる。
 「四軒目食堂」の店内は、小さなトンネル状になっており、奥に向かってカウンター席が並び、突き当たりには畳の座敷がある。座敷は店舗の一部なのか経営者の居宅なのかは定かではない。我々はカウンター席に落ち着き、初めて長崎へやって来たのだからと島雄クンは「ちゃんぽん」(550円)を注文したが、私は何度も長崎へは来ているし、「長崎ちゃんぽん」も食べているので、変わり種の「焼きちゃん」(500円)を注文する。店内にはホンジャマカの石塚英彦のサイン色紙があり、「牛すじまいう」と書かれていたので、おでんの「牛すじ」(120円)を1本追加した。「牛すじ」は柔らかく、「焼きちゃん」は焼きそばのように本格的に「ちゃんぽん」を炒めるのかと思ったが、ほとんどスープなしの「ちゃんぽん」に等しいような代物だった。
「どこかで聞いてわざわざうちの店に寄ってくれたの?」
帰り掛けに店のおばちゃんから声が掛かる。「とんねる横町」の物珍しさと「四軒目食堂」の評判を聞いて京都からやって来た旨を伝えると、大層喜んでもらえた。
 空腹に耐えていた島雄クンは「ちゃんぽん」だけでは物足りなかったようなので、近くにあった「吉野家」にも立ち寄る。わざわざ佐世保に来て「吉野家」へ入ることもなさそうだが、私の手元には株主優待券が余っているので「吉野家」であれば懐は痛まない。しかも、今日は昼食をまともに採れないことが確実なので、食べられるときにしっかり食べておくことが大切だ。私は以前から気になっていた「カルビ焼定食」(580円)を注文。島雄クンは「納豆定食」(370円)を注文したが、定食に牛小鉢が付いていないことに気付き後悔していた。
 佐世保市街地の四ヶ町アーケード街とサンプラザアーケード街を通り抜けて、前回の外周旅行で訪問した海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー)へ島雄クンを案内する。佐世保へ立ち寄ると知った島雄クンが海上自衛隊やアメリカ軍の佐世保基地に興味を示したため、海上自衛隊佐世保資料館への再訪に当てたのだ。
 海上自衛隊佐世保資料館には9時30分の開館と同時に入館したのだが、7階建ての資料館はやはり見応えがあり、慌ただしく館内を見学し終えたときには時刻は10時15分。既に乗船券の発売開始時刻も過ぎており、急いで鯨瀬フェリーターミナルへ戻らなければならない。鯨瀬フェリーターミナルを目指して足早に歩いていると、運良く空車のタクシーが通り掛かった。捕まえたタクシーが「ラッキータクシー」であったのは偶然か。タクシーに乗ってしまえば鯨瀬ターミナルまでは5分もかからず、運賃は650円だった。
 鯨瀬フェリーターミナルの乗船券売り場では、既に10時40分の小値賀行きの乗船券を買い求める人々の列ができていたので、コインロッカーの荷物の回収を島雄クンに任せて列の最後尾に並ぶ。早くから佐世保に来ていたのに満員で乗船できなかったら洒落にならない。乗船券を手にするまでは気が気でなかったが、無事に乗船券を4枚入手。本来は宇久平まで2等船室で1人あたり2,460円の運賃が必要であるが、窓口の掲示で「2回回数券」を4,000円で販売していることを知り、「2回回数券」を2セット購入して乗船券と引き換えることに成功した。1人あたり460円の節約は大きい。
 さて、島雄クンは無事に荷物を回収して戻って来たが、鯨瀬フェリーターミナルで落ち合うことになっていた奥田クンと横井クンの姿が見当たらない。携帯電話で連絡をすれば、2人とも別々にフェリーターミナルの外で待っていたようで、無事に合流することができた。奥田クンと横井クンが島雄クンと会うのは結婚式以来2度目だが、会話を交わすのは今回が初めてだ。
 出航時刻が迫っていたので、挨拶もそこそこに急いで桟橋へ移動。ところが、折り返し運用となる「フェリーなるしお」が遅れて到着したため、桟橋ではまだ到着便の乗船客が下船している最中。しばらくフェリーからの荷降ろし作業を眺めながら待機となる。朝方の雨はすっかり止み、夏の日差しが照りつけてきたので、にわかに蒸し暑くなる。フェリーからは五島牛を載せたトラックが何台も続いて出て来る。五島牛は早熟早肥で肉質肉量を兼ね備えた肉質の良い牛として人気が高く、黒毛和種の子牛のセリ市は年6回の開催で約3000頭の取引がなされ、九州だけではなく東海や近畿からも買い付けに来るらしい。トラックに運ばれていく牛を見送っていると、頭の中に牧場から市場へ売られていく子牛を唄った「ドナドナ」のメロディーが流れる。
 本来の出航時刻の10時40分になってようやく乗船が開始される。船内に入ると既に窓側の桟敷席は先客で埋まっていたので、中央の桟敷席に陣取り横になる。船の桟敷席は先に横になってスペースを確保したもの勝ちという暗黙の風習があるようで、他の客もどんどん横になってスペースを確保していく。今日は先島諸島を通過している台風8号の影響で、佐世保沖も波のうねりが大きいらしい。「フェリーなるしお」の佐世保到着が遅れたのも時化が原因であろう。船内をうろうろしていると船酔いするのは確実で、おとなしく横になっているのが一番だ。
 「フェリーなるしお」は10分遅れの10時50分に佐世保を出航。佐世保湾内を航行しているときは穏やかで、海上の時化がにわかに信じられないが、平戸沖に差し掛かると、総トン数645トンの船体が大きく揺さぶられる。宇久平に早く到着することを念じながらじっと揺れに耐える。
 宇久島の宇久平には定刻の13時05分よりも20分遅れの13時25分に着岸。出航が10分遅れたことを勘案しても、通常より10分余計に時間がかかったが、地獄の2時間30分の航海は無事に終了した。外周初参加の島雄クンも離島航路の洗礼を受けてぐったり。
 宇久島は、面積24.92平方キロ、周囲38キロの火山島である。2006年(平成18年)3月30日までは、北松浦郡宇久町として一島一町を維持してきたが、平成の大合併で佐世保市に編入された。地図で見る限りは五島列島の最北の島のように思えるが、正確には宇久島と小値賀島は平戸諸島に分類され、五島列島の五島は、中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島のことらしい。せっかく2時間30分もかけてやって来たにもかかわらず、まだ佐世保や平戸の続きかと思うと感慨が乏しい。
 宇久島ではレンタカーの手配をしていたので、周囲を見回すが、レンタカー会社の担当者らしき姿は見えない。事前に電話予約をしたときには、フェリー到着に合わせて桟橋にレンタカーを配車してもらえる約束だった。「フェリーなるしお」からの下船客が桟橋から立ち去っても担当者の姿はなかったので、予約をした宇久交通に電話をする。
「フェリーターミナルの前に停めてありませんか?今から行きます」
言われてみれば確かにフェリーターミナルの前には老朽化したホンダのアクティがキーを差し込んだ状態で駐車してあり、リアガラスには「宇久交通レンタカー」の文字が入っている。やがて宇久交通のタクシーがやって来て、運転手が歩み寄って来る。
「電話をくれた人?置いておいたら気が付いてもらえると思ったけど」
せめてメモぐらい残してくれたら気が付くが、他にもレンタカーを借り受けた人がいるかもしれず、事前に何の断りもなく車両だけ置いておかれても気が付くはずもない。運転手にレンタカー料金の4,000円を支払う。
「後はわかるよね。返却するときも同じところにキーを差し込んだまま停めておいてもらえればいいから」
なんともいい加減なレンタカーの貸し出し手続きだが、宇久島では車両盗難の心配もないのであろう。
 さて、レンタカーはバンなので大きな荷物を抱えた4人でも十分なスペースが確保されているが、予想はしていたとはいえマニュアル車両。オートマチック車両でも昨年の外周旅行以来、まったくハンドルを握っていないというのにマニュアル車両なんて運転できるのであろうか。しばらくフェリーターミナルの前のスペースで練習してみるが、何度かエンストを起こしたりして、「大丈夫か?」と後部座席の横井クンから冷やかしが入る。だったら運転を替わってもらってもいいのだが、「俺はペーパードライバーだから」と開き直られてしまう。島雄クンはオートマチック車両限定免許だし、奥田クンも「最近は全然運転していないから」と消極的なので、結局私が運転する羽目になる。もっとも、昔取った杵柄とはよく言ったもので、要領さえ思い出せば、なんとか前に進めるようになった。
 フェリー到着の遅れにレンタカーの貸し出し手続きに時間をとられ、気が付けば時刻は13時40分になっている。今日は宇久島の属島である寺島に14時の連絡船で渡る予定であるが、寺島への連絡船は宇久平から西へ5キロほど離れた神浦から出ているので急がねばならない。宇久島を循環する県道160号線をたどって神浦を目指す。
 起伏の多い道なりで、老朽化したアクティは悲鳴を上げながらも県道160号線を走り抜け、10分足らずで神浦集落に入る。神浦桟橋には駐車場がないことは確認済みであったので、神浦郵便局に旅行貯金がてら立ち寄り、しばらくレンタカーを停めさせてもらえないか交渉する。
「うちの駐車場で良ければ停めてもらっても構いませんよ。もっとも、宇久島で違法駐車の取り締まりなんてしていませんけど」
学生時代を京都で過ごしたという局員は、苦笑しながらも快くレンタカーの便宜駐車を認めてくれた。
 神浦郵便局から坂道を神浦港に向かって下ると、少し離れた場所に寺島行きの「第3みつしま」が停泊しているのを確認する。早発されては困るので、島雄クンが一足先に走って出航を待ってもらうように伝えに行く。我々が乗船するとすぐに桟橋を離れかけた「第3みつしま」であったが、すぐに「乗ります!」と子供を3人連れた母親が血相を変えて叫び、船に飛び乗った。
 「船内で乗船申込書を記入してください」
後部デッキで過ごしていると、船員から声が掛かる。寺島までの所要時間はわずかに7分。佐世保からの九州商船のフェリーでさえ乗船員名簿の記入を求められなかったのに、名前や住所までの記入を求める乗船申込書を提出する必要があるとは驚きだ。乗船申込書と引き換えに寺島までの往復乗船券を購入する。
「折り返しの便で戻りますか?波が時化ているので、最終便は欠航になるかもしれません」
宇久島の目と鼻の先にある寺島までの航路でさえ、欠航になってしまうとは、海上の状態も相当悪いのであろう。最初から折り返しの便で戻ることにしていたので、寺島往復に支障はないが、小値賀島へ渡る高速船の運航状況が気になる。
 時化の影響があるため速度が出せなかったのか、寺島桟橋に到着したのは定刻の14時07分よりも5分遅れの14時12分。折り返しの便は14時25分なので、寺島の滞在時間が遅れの分だけ短縮される。
「普通は港の近くに小さな店があるものだけど、ここは本当に何もないな」
奥田クンが周囲を見回しながら言う。寺島は、宇久島の沖合にある面積1.27平方キロ、周囲9キロの小さな島で人口はわずかに23名。買い出しは「第3みつしま」で神浦へ渡るしかないのであろう。もっとも、最近はインターネットが普及しているので、ネットショッピングの方が便利かもしれない。
 寺島の北西にあるのり瀬の北岸には、県指定天然記念物の寺島玉石甌穴(ポットポール)があるらしいが、滞在時間13分間では足を運ぶ時間もない。玉石甌穴なら明日の小値賀島でも見ることができるので、桟橋近くの金毘羅宮を参拝する。高台にある金毘羅宮からは寺島漁港を見渡せるようになっており、海の鎮守神として祀られているのだろう。湾状の寺島漁港にはスダジイやタブノキに覆われた小島がぽっかりと浮かんでおり、島の中腹には若宮神社の鳥居が見える。大潮の干潮時には、寺島と陸続きになり、歩いて小島へ渡れるそうだ。
 14時25分の「第3みつしま」も所要時間が5分余計にかかり、14時37分に神浦へ戻る。夏の日差しが降り注いでいるにもかかわらず、海上の状態は改善されないようだ。台風8号ははるか1,500キロも離れた場所を通過しているというのに自然の力は侮れない。
 神浦からは一旦宇久平に戻って仕切り直し。宇久平郵便局で宇久島2局目の旅行貯金をしようとすると窓口の局員が眉をひそめる。やがて局長らしき人とこそこそと相談。どうやらゴム印を押すのは問題ではないのかという趣旨の内容が漏れ聞こえる。結局は、主務者印は駄目になったけれど、ゴム印は問題ないという局長の判断で事なきを得たが、民営化されて郵政省時代よりも融通が効かなくなったとあれば、郵政民営化も大問題だ。
 宇久平フェリーターミナルで観光パンフレットを入手し、まずは宇久島の南端に位置する小浜の下山海岸にあるアコウ樹を目指す。樹齢数百年、最大幹周り16メートルを誇り、長崎県下第1位のアコウの巨樹であるという。ところが小浜集落にたどり着いたものの、アコウ樹の案内はどこにも見当たらず、気が付けば小浜を通り抜けて神浦に出てしまった。アコウ樹も中通島の奈良尾に国指定天然記念物のものがあるらしいので、無理して引き返す必要もないと判断。このまま先へ進むことにする。
火焚崎  続いて我々が向かったのは平家盛公上陸の地と伝えられる火焚崎。平家盛は、平清盛の異母弟で、壇ノ浦の戦いで敗れた後、1187年(文治3年)に宇久島へ落ち延び、やがて宇久次郎家盛と名乗って宇久氏(五島氏)の祖となったという伝承が残っている。その際に平家盛がたどり着いたとされるのが火焚崎で、火焚崎の地名は、平家盛が宇久島に上陸した折に、火を焚いて夜露と潮風にさいなまれた体を癒したことに由来するとか。周辺は断崖の一部が入江になっており、平家盛が入江に船を隠したことから別名「船隠し」とも呼ばれている。しかしながら、この伝承も史実ではなさそうだ。なぜなら、平家盛は1149年(保安元年)に鳥羽法皇に御供して熊野詣に出向く途中で病死しており、1185年(元暦2年/寿永4年)にあったとされる壇ノ浦の戦いにすら参戦していないのだ。
 火焚崎には珍しく先客がおり、駐車場には若葉マークを付けた3台の自家用車が並んでいる。平家盛上陸の地記念碑の前には、大学生ぐらいのグループが集まっており、サークル活動の一環であろうか。男性2、3名が10名近くの女性に囲まれて羨ましい限りだ。しばらく黄色い声を聞き流す。
 大学生のグループが立ち去ると、火焚崎に静けさが戻った。海上は微かに霞んでいるものの、コバルトブルーの海原が広がり見事な眺めだ。風が強く、近くには風力発電用の白い風車がプロペラを回しているので、もともと風の強い場所なのであろう。風速3メートルから発電を開始し、年間で約900世帯分の電力を賄えるというのだから立派なものである。
 火焚崎を後にして、外周ルートからは少々外れるが標高258.6メートル、宇久島最高峰の城ヶ岳園地に立ち寄ってみる。レンタカーならではの寄り道だが、なかなかスピードが出ずに難儀する。道端に「マムシ注意」という看板が掲げてあったりして物騒だが、苦労してやって来たので駐車場から続く遊歩道を5分ほど登り、城ヶ岳園地に立つ。
 四方を見渡せる城ヶ岳山頂には、かつて海軍の軍事基地があり、監視塔や電波探知機、高射機関銃等が設置されていたというが、現在は小さな広場とテレビ電波の送信施設があるだけだった。晴れていれば小値賀島や野崎島はもちろん、平戸島や生月島が見渡せるとのことだが、周囲は濃霧でまったく視界が効かない。風が吹いているので、しばらく待てば霧が晴れるかもしれないが、いつまでもうろうろしているとマムシに出くわすかもしれないので早々に退散する。
 城ヶ岳を下ると再び青空が広がる。振り返れば城ヶ岳の山頂付近にのみが霧に覆われており、湿気を含んだ風が城ヶ岳にあたって霧が発生しているのだろうか。状況からして多少山頂で待ってみたところで霧が晴れたとは思えず諦めも付く。
 宇久島の最北端に位置する対馬瀬鼻へ向かおうとすると、「乙女の鼻」という案内表示があった。手元の地図には何も記されていないが、宇久平フェリーターミナルでもらってきたパンフレットには乙女ヶ鼻園地として紹介されている。「乙女の鼻」と「乙女ヶ鼻」のどちらが正式名称なのかは不明だが、わざわざ案内標識を設けるぐらいだから、それなりの場所だろう。時間に余裕があるので立ち寄ってみる。
 乙女ヶ鼻に到着すると、駐車場のすぐ脇に牛が寝そべっており、この辺り一帯で五島牛の放牧を行っているようだ。駐車場からは乙女ヶ鼻の先端まではアスファルトで整備された遊歩道が続いており、先端からは対馬瀬灯台を一望できる。
「対馬瀬に人影が見えるね。さっきの女子大生じゃないの」
横井クンが対馬瀬を眺めながら言う。眼鏡をかけても白い灯台を確認するのがやっとなのに、人影までよく見えるものだ。そう言えば、昨年の横井クンは眼鏡を掛けていたはずだが、今年は眼鏡を掛けていない。コンタクトレンズにしたのかと思えば、この旅に参加する直前にレーシックの手術を受けたそうだ。私もかねてからレーシックに興味はあったが、費用も高いうえ、目の手術だけに躊躇していた。それでも横井クンによれば、最近はレーシックの手術も一般的になりつつあり、費用も20万円を切るようになったという。
「手術の前に散々脅されるけど、失明することはほとんどない。せいぜい思っていたよりも視力が回復しなかったというトラブルぐらいかな。安いところなら10万円ぐらいからあるよ」
もう少し費用が安くなったら私も本格的に考えてみようかと思う。
 乙女ヶ鼻から大きく入江を迂回して海の神である豊玉姫を祀る三浦神社へ。三浦神社の境内には県天然記念物に指定されているソテツの巨樹が自生しているという。しめ縄をまとった鳥居を抜けて境内に入るとすぐ右手に蘇鉄の大樹が3株あったが、想像していたほどの大きさではない。それでも樹齢は約1000年で、臥竜状のものとしては日本一の長さを誇るらしい。昔から蘇鉄の実を持ち去ると大嵐になるという言い伝えがあるそうで、大したことがないと馬鹿にしては、豊玉姫の怒りを買うかもしれない。
対馬瀬鼻  宇久島最北端の対馬瀬鼻に到着したときは16時30分をまわったところ。しかし、8月の西九州はまだまだ日が高い。夜遅くまで活動できるのは、外周旅行にとって歓迎すべきことだ。横井クンが乙女ヶ鼻から確認した大学生のグループの姿は既になく、周囲は風と波の音が聞こえるだけである。
 対馬瀬鼻は宇久島の代表的な景勝地。周囲一帯が牧草地となっていて、草原の緑と青い海のコントラストに白亜の灯台がよく映える。テレビコマーシャルの撮影現場としても有名で、ここ数年の間にもNTTドコモやJTのコマーシャル撮影が行われている。 灯台から海に向かっては、波に浸食された荒々しい風景が広がり、目の前には対馬瀬が広がっている。高さのない対馬瀬は海上からは確認しにくいため、対馬瀬沖を航行する船舶は、対馬瀬灯台が心強い存在であろう。対馬瀬灯台は1978年(昭和53年)2月に初点灯され、地上からの高さは12メートル、海面からの高さは29メートルになる。灯台には、風向や風速を測定するための気象測器も設置されていた。
 対馬瀬鼻からは一気に南下し、キャンプ場を備えた大浜海水浴場を経て、シーサイドロードと呼ばれる海岸沿いの小道を進む。対向車が来れば行き違いもままならないが、幸いにも目的地である長崎鼻に到着するまで対向車とは出会わなかった。
長崎鼻  長崎鼻は宇久島最東端に位置し、はっきりとしなかった宇久島最南端を除くポイントは押さえたことになる。長崎鼻にも白亜の肥前長崎鼻灯台が待っていたが、高台から海を望む対馬瀬鼻とは対照的に岩場の海岸にポツリと建っている。灯台の高さは9.9メートルと若干対馬瀬灯台よりも低い。灯台までは岩場の海岸をかなり歩かなければならないが、島雄クンは黙々と灯台を目指して歩いて行く。なんだかんだ言っても20代の若さで行動力は抜群だ。
 宇久平フェリーターミナルに戻ると時刻は17時20分。もう一度アコウの巨樹に挑戦できないこともないが、高速船に乗り遅れては困るので、フェリーターミナルの向かいにある盛州公園に足を運ぶに留める。
 旧宇久町は、「平家の里」として観光PRに努めており、宇久平フェリーターミナルの真向かいに盛州公園を1990年(平成2年)11月に整備した。公園の入口には小舟に乗った姿の平家盛の銅像があり、宇久島上陸の様子をイメージしているのだろうか。園内に敷き詰められた石畳を進むと野外ステージになっており、毎年11月に開催される「平家まつり」のメイン会場となるらしい。火焚崎と同じ記念碑が公園内にも設置されており、平家盛のシンボルなのであろうか。
 フェリーターミナルに戻り、窓口で予約しておいた高速船「えれがんと1号」の乗船券を受け取る。フェリーは旅客のみの予約はできないが、高速船は2ヵ月前からの予約が可能となっている。宇久平−小値賀間には、回数券が設定されていないので、通常運賃の790円を支払うことになる。小値賀までの所要時間は高速船で20分。フェリーでも40分の距離なので、わざわざ高速船を利用する必要もなく、当初は宇久平17時発の美咲海送のフェリーを利用する予定であった。ところが、今年の5月31日を最後に美咲海送が佐世保−宇久平−小値賀間の航路から撤退したため、同区間の就航船は九州商船のみとなり、利用できる航路の選択肢はほとんどなくなってしまった。
 フェリーターミナルの待合室で17時57分発の「えれがんと1号」を待っていると、乗船券売り場の職員が血相を変えて飛び出してくる。
「もう高速船は入港していますよ!急いでもらえますか!」
慌てて荷物を抱えて桟橋へ向かうが、時刻はまだ17時50分。時刻表では高速船の宇久平到着予定時刻は17時52分だし、出航時刻が17時57分である以上、急ぐ必要もないように思えるが、宇久平から小値賀に向かう乗船客など限られているだろうし、利用者がいなければダイヤなど気にせずに早発してしまうのかもしれない。バタバタと走った割にはまだ高速船は桟橋に接岸する作業をしているところであり、まったく急ぐ必要もなかった。それにしても、フェリーターミナルの待合室なのだから、入港案内ぐらいをすれば良さそうだが、そのような発想はまったくないらしい。
 「えれがんと1号」は、船名にもかかわらず上品さや優雅さのかけらもない大衆船。総トン数71トン、定員は150名となっており、「フェリーなるしお」と比較しても随分と小振りな船だ。もともとこの区間には、総トン数327トン、定員285名の「しーぐれいす」という大型高速船が就航していたが、2005年(平成17年)5月で引退。現在は五島産業汽船から借り受けた「えれがんと1号」で間合い運用をしている状況だ。ちなみに2010年(平成22年)2月24日から新しい高速船が就航する予定という。
 「えれがんと1号」は、船室の前方が座席、後方が桟敷席という変わった配置で、我々は横になれる桟敷席へ陣取る。先客は誰もいないので完全な貸し切り状態だ。
「本日は海上が時化ておりますので、航行中の船室内の移動はお止めください。お座席のお客様はシートベルトの着用をお願いします」
船内に嫌なアナウンスが流れる。小型船なのでフェリー以上の揺れを覚悟した方がいいかもしれない。宇久島に別れを告げるまでもなく、横になって無事に小値賀島へたどり着くことを念じる。
 20分間の航行は思ったよりも揺れは少なく、船酔いすることもなく無事に小値賀島の笛吹フェリーターミナルに降り立つ。小値賀島は面積12.16平方キロ、周囲57.3キロ、海中火山の噴火によって形成された比較的平坦な島である。宇久島が佐世保市と合併したのとは対照的に一島一町を維持している。
 小値賀フェリーターミナルには今日の宿となる「民宿田登美」の車が迎えに来ていた。フェリーターミナルから民宿までは歩いても10分もかからない距離なので、わざわざ迎えの車が来ているとは思わなかった。もっとも、荷物を抱えて4人が乗り込むので、車内がかなり窮屈になる。
 「民宿田登美」は笛吹のメインストリートである笛吹本通りに面していた。通りを挟んで本館とかめや別館があり、我々はかめや別館に案内される。かめや別館には「喫茶タートル」が併設されており、こちらも同じオーナーの経営とのこと。この日の宿泊客は我々4人だけで、2階の2室を提供されたが、14畳ぐらいはありそうな広い部屋なので、1室で充分だ。順番に風呂に入って汗を流し、近所の食料品店や酒屋で宴会用の酒やおつまみを買いそろえる。今宵は外周旅行の記念すべき100日目の宴だ。五島牛の焼き肉、イサキの刺身、サザエの壺焼きといった夕食に続き、部屋に戻って宴会が始まる。夜遅くまで飲み明かす予定であったが、旅の疲れもあってか23時には就寝してしまったのだから健全なものだ。

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