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第99日 佐世保−大村

2008年8月12日(火) 参加者:奥田・横井

第99日行程  7時に朝食を済ませて早々に「旅館九十九荘」を出発。佐世保港の堤防のように突き出た俵ヶ浦半島を目指す。俵ヶ浦半島の根元に当たる西海パールシーセンターまで引き返し、半島先端の高後崎へ向かって南下。テラス状になった船越展望台に立ち寄れば、昨日クルージングを楽しんだ南九十九島を間近に見渡すことができる。今日は晴れているので、島の様子もよくわかる。
 さらに南下をして展海峰展望台にも立ち寄ってみる。この辺りは九十九島を一望するための展望台が多いが、180度の視界が利く展海峰展望台がもっとも人気があるという。広い駐車場には乗用車が1台だけ停まっており、周囲には円形花壇が整備されている。春には菜の花、秋にはコスモスを植え替え、花の名所としても人気があるらしいが、残念ながら今は季節の合間である。展望台へ続くゆるい階段を上って行くと若いカップルとすれ違い、駐車場に停まっていた乗用車の主のようだ。デートコースとしても定番のスポットなのであろう。
 標高165メートルの展海峰展望台からの九十九島の眺めは、視点が高くなるので船越展望台からの眺めとまた装いが異なる。右手には佐世保湾の人工的な港湾も見渡すことができ、自然の産物である九十九島とは対照的だ。遊覧船「パールクィーン号」は島影を縫う様子も人気があるとのことだが、残念ながらまだ時間が早い。展望台の脇には日本初のワルツと言われる「美しき天然」の作曲者である田中穂積の銅像が建っていた。「美しき天然」というタイトルを聞いてもピンとこないが、チンドン屋が演奏する曲と言えば知っている人も多いだろう。田中穂積は山口県岩国市の出身であったが、佐世保女学校(現在の佐世保北高等学校)の音楽指導のための教材として「美しき天然」を作曲したことから、佐世保市民の愛唱歌として親しまれている。
展海峰展望台  展海峰展望台を後にし、俵ヶ浦半島の先端にある高後崎灯台を目指す。俵ヶ浦沿いの道路を走っていると釣り客が多い。やがて対岸に西彼杵半島の客船鼻が現れ、この辺りが佐世保湾の出入口のようだ。さらに進むと道路は舗装されているものの、遊歩道のような雰囲気になり、レンタカーを乗り捨てて徒歩で灯台を目指す。ところが地図ではすぐ近くに見えた灯台も、ジグザグに敷かれた道を行ったり来たりするだけでなかなかたどり着かない。レンタカーも気になるので途中で灯台を諦めて引き返す。
 気を取り直して、今度は白浜海浜公園へ足を向ける。水平線まで青く澄んだ海と白い砂のビーチが広がっているとのことなので期待ができそうだ。ところが、駐車場にレンタカーを駐車して、白浜キャンプ場と一体となった白浜海浜公園に入ろうとすると、「大人400円」という料金表が掲示されている。清掃などの環境維持費を徴収する海水浴場を全国各地でときどき見掛けるが、ここも同様の趣旨であろう。しかし、1日中海水浴を楽しむならともかく、海をちょっと眺めるだけで400円も徴収されるのはアホらしい。白洲の海岸を眺めることなく白浜海浜公園を後にする。
 開いたばかりの俵ヶ浦郵便局、佐世保赤崎郵便局と旅行貯金をしながら佐世保の市街地へ戻って来る。佐世保と言えば古くから海上防衛の役割を担ってきた街であり、現在も海上自衛隊佐世保地方総監部が置かれ、沿岸各地に米軍施設が配備されている。自衛隊に精通している安藤クンがいないのは残念だが、せっかくなので海上自衛隊佐世保史料館へ立ち寄ってみる。
 帆をイメージしたデザインからセイルタワーという愛称をもつ海上自衛隊佐世保史料館は、佐世保の中心街近くにあった。遠くからは近代的なビルにしか見えなかったが、間近に見ると旧海軍将校の社交場だった水校社という石造りの建物を一部に残しており、歴史を感じさせる。受付で記帳すると、入館証を渡され、入館料は無料。差し詰め、海上自衛隊に対する理解を得てもらうための啓発活動の一環ではないかと察する。
 まずは最上階の7階へエレベーターで運ばれると、佐世保港が一望できる展望ロビーになっている。イージス護衛艦「こんごう」と「ちょうかい」が真正面に見えることもあるそうだ。佐世保港の手前にあるのが海上自衛隊佐世保地方総監部で、米軍基地住宅も併設されている。かなりの規模で、米軍基地の移転や縮小が地元の経済効果に影響を与えるとして、手放しで喜べないという主張も理解できる。もっとも、これらが日本の税金で運営されていることを考えれば、やはり規模縮小を求めていかざるを得ないであろう。6階は江戸時代の長崎海軍伝習所、5階は日清戦争と日露戦争、4階は太平洋戦争、3階は海上自衛隊とフロアを下るにつれて歴史が進んでくる。当時の史料を展示してあるだけではなく、ジオラマや映像を駆使した展示は無料の施設とは思えない。2階には現在は持ち出しが禁止されている南極の石、72式魚雷などの珍しい展示も見受けられた。1階には売店もあり、海上自衛隊関係のグッズも販売されている。帽子やライター、タオルの類は当たり前で、携帯ストラップはともかく、「海軍さんのカレー」(800円)、「黒船シチュー」(500円)、「海軍さんのコーヒー」(1,000円)など商魂逞しい限り。横井クンは自衛隊限定「元気バッチリ」(1,000円)という栄養ドリンクを購入した。戦闘機、戦車、戦艦のイラストがデザインされており、中国化薬株式会社のクロンミンバーモントという内服液であった。店員によれば、自衛隊員に安く提供するための価格設定なので、薬局で購入するよりもお得だという。
 30分程度の見学時間を見込んでいた海上自衛隊佐世保史料館であったが、内容が充実していたので大幅に予定を超過して、出発したのは10時30分過ぎ。時間を短縮するために、佐世保みなとインターチェンジから西九州自動車道に入り、佐世保大塔インターチェンジまでをショートカット。ショートカットと言っても国道35号線よりも海側を走るので外周旅行向きである。早岐瀬戸大橋を渡って国道205号線を南下、針尾島にある浦頭引揚記念平和公園に到着したのは11時であった。
 女神の姿をした平和の像が迎える浦頭引揚記念平和公園からは、浦頭桟橋を見下ろすことができる。太平洋戦争の終結に伴い、浦頭桟橋にも1,396,468人の日本人が中国大陸や南方諸島から引き揚げて来たという。引揚者は、上陸と同時に消毒のためにDDT(有機塩素系殺虫剤)を全身に浴び、現在のハウステンボスの場所にあった佐世保引揚擁護局まで7キロの山道を黙々と歩いた。佐世保引揚擁護局での手続きが終了すると、衣服や日用品の支給を受け、南風崎(はえのさき)駅からそれぞれの郷里へ向かったという。
 外周旅行では9年前の1999年8月5日にも京都・舞鶴の引揚桟橋にも立ち寄っており、にわかに当時の光景が思い起こされる。奥田クンも一緒だったので、おそらく彼も舞鶴を思い出したのではなかろうか。公園内には小さな浦頭引揚記念資料館があり、当時の様子の写真、検疫所の消毒器具、引き揚げ当時の着衣、日記、リュックサック、引揚証明書、書籍などが展示されている。入館料は無料であったが、館長から話を聞いていた横井クンが気前よく1,000円を寄付。
「1,000円も寄付していただきましてありがとうございます。後日、お礼状を送らせていただきたいのでご記帳願えませんか?」
「お礼状を出す余裕があったら、その分も施設のために使ってください」
結局、横井クンは記帳をせずに、資料館を後にした。なかなか真似のできることではない。
 針尾島最南端の西海橋公園に出れば、針尾瀬戸を挟んで向かいには西彼杵半島がある。西彼杵半島へは西海橋と西海パールラインの新西海橋の2本の橋で結ばれている。公園の駐車場にレンタカーを停めて、全長316メートルのアーチ橋である西海橋の途中には展望スペースが設けられているので歩いて行ってみる。展望所から43メートル下の海面を除けば渦潮が確認でき、意外な発見ができたと思ったら、ここは日本三大急潮に数えられる渦潮の名所であるとのこと。潮の流れが最大になる旧暦の3月3日前後は春の観潮会が行われるそうだ。ちなみに他の2つは鳴門海峡と関門海峡(早鞆ノ瀬戸)であるが、来島海峡(愛媛)を含めることもあるとか。
 せっかくなのでレンタカーで西海橋を渡り、西彼杵半島に渡った後、小迎インターチェンジから西海パールラインに入り、新西海橋も走踏する。国道202号線が並走しているため、通行料は少なく、地方に建設した無駄な有料道路との印象を受けるが、道路は江上浦の海上を横切り、ハウステンボスまでショートカットしてくれるので、観光客にとっては便利な道路だ。
 終点の江上インターチェンジを下りればすぐにハウステンボスであるが、ハウステンボスの南に大島というよくある名前の島があり、道路も通じているので往復してみる。米軍住宅を迂回して大島に渡ると島の中腹にサン・レモリハビリ病院で行き止まり。高齢者療養介護病院のようで、病院から抜け出せないようにこんなところに病院が建てられたのではないかと勘ぐってしまう。仮に抜け出せたとしても、九州本土と大島を結ぶ橋は1本だけなので、橋で見張っていれば必ず保護ができる。
 さて、いよいよ本日のメインスポットであるハウステンボスだ。1992年(平成4年)3月25日に開業したハウステンボスは、オランダの街並みを再現することをコンセプトとした大人のテーマパークとして注目を集めた。しかし、入場者数は1996年(平成8年)の425万人をピークに年々減少。2,289億円の負債を抱えて2003年(平成15年)2月26日に会社更生法の適用を申請した。偶然にも当時の勤務先の顧問弁護士がハウステンボスの管財人として選任されたので、当時は興味深く動向を見守っていた。同年9月には野村プリンシパル・ファイナンス株式会社を支援企業とすることが正式に決定。2014年(平成26年)までの更正計画案が提出され、2004年(平成16年)4月24日にリニューアルオープンされた。ところが、夏休み期間だというのに第2駐車場は閉鎖されており、大村湾を挟んでJR大村線ハウステンボス駅の向かいにある第1駐車場へ案内される。800円の駐車料金を支払った第1駐車場もまだスペースに余裕があり、再建計画の実現に不安を感じる。
 アトラクションを楽しむのであればパスポート、散策を楽しむのであれば入場チケットのみを購入するのがベストだが、時間が限られているので入場チケットのみを購入。JTBえらべる倶楽部の会員だったので、会員証と事前に用意しておいた割引券を提示すると、全員の入場チケットが1割引になった。
 リピーターの確保に苦しむと言われているハウステンボスであるが、私がここへやって来るのは今回で3回目となる。最初にやって来たのは1996年2月29日で、学生時代に大村線の初乗りのついでに立ち寄った。今から思えばハウステンボスの入場者がピークを迎えた時期で、女子大生やOLのグループが多く、場違いな感じがしたものだ。2回目は2002年11月2日で、こちらも島原鉄道の初乗りのついでに立ち寄っている。晩秋であるが、ハウステンボスでは花火大会があると聞き、17時以降から入場できるムーンライトチケットを活用して、花火見物にやって来たのだ。いずれも一人旅であり、次回こそは彼女と一緒にと決意しているのだが、今回も男3人組だ。今日はハウステンボスが初めてだという奥田クンと横井クンに園内での過ごし方を任せてある。
 まずは昼食ということで、ユトレヒト地区にレストラン街が集まっている。ハウステンボスのシンボルタワーであるドムトールンのある場所がユトレヒト地区だ。ドムトールンを目印に園内を足早に通り抜ける。昼食時なのでどのレストランも混雑していたが、値段も手頃だったので「長崎洋食とっとっと」に入る。店名の「とっとっと」とは、長崎の方言で「取ってあります」の意味とのこと。運良くお客の入れ替わりのタイミングで店に入ったので、待たされることなくテーブルに案内される。メニューと見ると、トルコライスの文字が目に入る。長崎の郷土料理と言えばトルコライスで、今回はまだ一度も口にしていない。「長崎洋食とっとっと」ではトルコライスのメインディッシュを選択できるようになっており、私は「豚かつトルコライス」(950円)を注文した。奥田クンも横井クンもトルコライスで、各々で好みのメインディッシュを選択している。豚カツ、ドライカレー、ナポリタン、サラダが1枚の皿に盛られたトルコライスはボリュームがあり満足する。
 お腹も満たされたので、園内散策の仕切り直し。電動立ち乗り二輪車のセグウェイに興味を示した奥田クンと横井クンは、さっそく「セグウェイ体験コース」(3,000円)を申し込む。私はその時間を利用してドムトールンに登ってみることにしたのでパス。次のツアーは14時からということなので、それまで自由にお店を見て過ごす。木靴やステンドグラスのお店を見ていると、ヨーロッパに来ているような錯覚がする。
セグウェイ  14時前に指定されたアレキサンダー広場前へ行くと、ヘルメットをかぶって待機するツアー参加者の姿がある。奥田クンと横井クンもさっそくヘルメットを受け取って、広場前の指定されたエリアで、インストラクターの説明を聞きながらセグウェイの運転方法やバランスの取り方などのレクチャーを受ける。最初はバランスを崩す人も多かったが、自転車に乗りなれているのですぐに要領を得てバランスがとれるようになるようだ。レッスンが終了するとセグウェイで園内散策に出掛けて行ったので、私もドムトールンに向かうことにする。
 ドムトールンはオランダのユトレヒトにあるドム教会の鐘楼を再現したタワーである。オランダのドムタワーは1382年に完成したもので、高さは112メートルを誇る。一方、ハウステンボスのドムトールンは105メートルと7メートル低いが、これは景観上の問題があったらしい。400円のチケットを購入して、高さ80メートルの展望室まで高速エレベーターで運ばれる。展望室は大盛況で、特に韓国人や中国人の団体観光客の姿が目立つ。国内のリピーターを獲得できない代わりに、海外からの集客に取り組んでいるのであろう。もちろん、ヨーロッパからの観光客が造り物のヨーロッパを好んで見物に来るはずもなく、必然的にターゲットはアジア諸国の観光客となる。
 ドムトールンに登るのは前回に引き続き2回目。もっとも、前回は夜景であったので、趣きが異なる。眼下にはハウステンボスの街並みが広がり、米軍住宅や大島、針尾島が見渡せる。針尾島には3本の巨大な無線塔が立ち並び、太平洋戦争の開戦となる真珠湾攻撃開始の暗号「ニイタカヤマノボレ」を発信したことで知られる。1922年(大正11年)に海軍が完成させた無線塔であるが、1997年(平成9年)に代替施設ができるまで海上保安部が通信所の施設の一部として現役で使用していたというのだから驚きだ。
 セグウェイでの園内散策から戻って来る頃にアレキサンダー広場へ戻ると、ちょうど「セグウェイ体験コース」のメンバーが戻って来るところ。奥田クンと横井クンの最後の雄姿をパチリとカメラに収める。
 セグウェイに満足した2人と合流してユトレヒト地区のカナルステーションへ。広大なハウステンボス内に巡らされた全長6キロの運河をクルーザーで一周してみることにする。ハウステンボスの全容をつかむためにも適している。600円の乗船券を購入し、中世のヨーロッパをイメージしたクラシカルな運河船に乗り込む。船内にはやはり韓国人や中国人の姿が目立つ。しばらく田園地帯を航行し、出入口のゲートに近いブルーケレンでほとんどの乗船客が入れ替わる。ブルーケレンからは街並みの風景が広がり、雰囲気がまたがらりと変わる。約20分のクルージングは瞬く間に終わり、もう一周したい衝動に駆られたが時間がないので下船。
 スパーケンブルグ地区のランガダイクで競り値が下がってくるオランダ式オークションを見学し、ニュースタッド地区のマジックミラーメイズに挑戦するともう時間切れ。時刻は16時を過ぎて、さすがに時間が厳しくなってくる。出国口にあったスキポールというオランダにある空港にちなんで名付けられた総合売店も素通りして、慌ただしくハウステンボスを後にする。
 ハウステンボスからは国道205号線に入り、3日前に大村からたどった経路を引き返すことになるが、途中の川棚町には小ぶりながらも大崎半島があり、大崎自然公園として整備されているとあっては無視できない。三越交差点を右折し、大崎半島の背骨にあたる県道大崎公園線を疾走。先端の大崎鼻までは途中から遊歩道を歩かなければいけないので断念し、その手前にある大崎くじゃく園に足を記しておく。
 大崎くじゃく園は、ドーム型の広いゲージの中で約250羽のクジャクが飼育されていた。無料の施設にしては、立派であると思ったら、かつては有料施設であったものを無料開放したとのこと。1963年(昭和38年)にインド政府から日印親善を記念して10羽のインドクジャクを寄贈されたことが始まりで、以後、大崎半島の孔雀は日印友好の絆と川棚町のシンボルとなっている。青藍色を基調としたインドクジャクは荘厳な雰囲気があるが、肝心の羽がボロボロになっており痛々しい。ドーム型ゲージの隣にもゲージがあり、こちらは真クジャクと白クジャクだ。くじゃくは全部で400羽も飼育されているとのこと。くじゃく以外にもフラミンゴやうさぎも飼育されており、大崎自然公園は家族で1日中過ごせそうな場所である。
 大崎半島に若干の未練を残しながらも先を急ぐ。ところが国道34号線と合流する彼杵の市街地に入ると渋滞に巻き込まれる。東そのぎインターチェンジから長崎自動車道に入る手もあるが、海岸沿いの国道を無視して有料道路に魂を売るのも外周旅行の趣旨に反する。帰りの飛行機に間に合わない事態になれば、まだ九州に滞在する横井クンにレンタカーを預けて大村線に乗ればいい。開き直った途端、渋滞の列は流れ出し、長崎空港の対岸にあるサンスパおおむらには17時30分過ぎに到着した。
 サンスパおおむらは今年2月に島原鉄道を旅した帰りに大村駅から長崎空港へ向かうバスの車中で偶然に見付けた施設だ。最初はスーパー銭湯の類かと思っていたが、帰宅後に調べてみると大村ゆの華という天然温泉であることが判明。外周旅行の締めくくりに立ち寄ろうと計画していたのだ。時間に余裕はないが、行水ぐらいはできそうなので、入浴を決意。ここでもJTBえらべる倶楽部の会員証で650円の入浴料が550円になった。
 浴場の設備は充実しており、露天風呂はもちろん、壺湯や足湯、シェイプアップバスやサイドジェットバスといったものまである。サウナもタワーサウナ、塩サウナ、クールサウナと3種類もあり、時間がないのが悔やまれる。体を洗っている時間ももったいないので、掛け湯をして露天風呂へ直行。ナトリウム・カルシウム塩化物泉の湯で旅の疲れを癒す。
 大村市内も渋滞していたが、横井クンを大村駅まで送ってお別れ。横井クンは明日の寝台特急「はやぶさ」のB寝台券を確保しており、それまで長崎か福岡で気ままに過ごすという。横井クンは両親の実家が鹿児島にあったことから、「はやぶさ」には小学生の頃から親しんでいたが、来年3月のダイヤ改正で廃止が噂されていることから、最後の雄姿を見届けるそうだ。
 さて、レンタカーを返却して長崎空港へ向かうだけだったが、ここからが厄介だった。マツダレンタカー大村営業所までの道路が混んでいたうえに、やっと大村営業所に到着したと思ったら、スタッフは1人しかおらず、先客とやりとりをしており10分以上待たされる。時刻は既に18時30分を過ぎている。私は19時25分のJAL2378便大阪伊丹行きなのでまだ若干の余裕はあるが、奥田クンは19時00分のANA670便東京羽田行きなので、もう時間がない。
「これ以上待たされるならこのまま長崎空港へ行きますよ!7時の飛行機に間に合わないじゃないか!」
こちらも時間に余裕がなかったが、そもそも予約時点では長崎空港返却だったはずなのに、貸出手続きの段階で一方的に大村営業所返却に変更させられたのだから、後始末もきちんとしてもらわなければ困る。
 「もう少しだけ待ってください」と言った職員は、レンタカーの貸出手続きを済ませると、我々が乗って来たレンタカーを物凄いスピードでぶっ飛ばし、長崎空港へ我々を送り届けた。長崎空港に到着した時点で時刻は18時45分。奥田クンは猛ダッシュでANAのカウンターへ消えて行った。私も搭乗手続きを済ませて出発ロビーを確認してみたが、奥田クンの姿はなく、無事に搭乗できたらしい。15分前のチェックインなど地方空港ならではの芸当だ。羽田到着後に奥田クンから無事に搭乗できた旨の連絡があったが、空港でお土産を買う時間がなかったので、羽田空港に売っていた八ツ橋を職場のお土産にしたとのこと。長崎へ行って京都のお土産を渡される職場の人達の反応が興味深い。

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