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第98日 鹿町−佐世保

2008年8月11日(月) 参加者:奥田・横井

第98日行程  民宿「海の幸」で目覚め、部屋のカーテンを広げると目の前には九十九島が広がる。民宿は海辺ではなく、高台にあるので視界も広い。朝食を済ませて、7時45分に九十九島に挑むべく民宿を出発する。
 九十九島は、北松浦半島西岸のリアス式海岸沖に点在する島々の総称で、この海域における島の密度は日本一と言われている。九十九島を名乗るからには、島の数が全部で99あるのだろうと思ったが、実際の島の数は208とのこと。九十九(くじゅうく)とは、数がたくさんあるという意味に過ぎない。もっとも、208ある島のほとんどは無人島であり、人が住んでいるのは前島、鼕泊島(とうどまりじま)、高島、黒島の4つしかない。外周旅行のターゲットとなる島もこれらに限定される。
 まずは、民宿の近くにある赤島を目指す。地図を見ると赤島へは橋が記されており、陸続きになっているからだ。陸続きになっている島であれば足を記しておかねばなるまい。橋の記されている場所へ向かってレンタカーを走らせると、小さな漁船が何艘か係留されている場所にたどり着く。ところが、目の前には原生林に覆われた赤島が横たわっているものの、周囲に赤島へ渡るべき橋は見当たらない。九十九島を解説する文献には、赤島を有人島としてカウントしているものも見受けられるので、もしかしたら有人島で橋の架かっていた時代があったのかもしれない。
 赤島訪問は断念して、今度は前島と鼕泊島へ向かう。前島と鼕泊島は、1972年(昭和42年)に架橋され、九州本土と陸続きになっている。正確には、九州本土と前島が橋で陸続きになっており、さらに前島から鼕泊島までが橋で陸続きになっている。鹿町なぎさホテルのある小さな岬状の褥崎を一回りして、まずは前島に上陸。前島は本土に近い南部のみ海沿いに道路が整備され、道路に沿うように集落がある。集落を抜けるとすぐ鼕泊島へ続く橋があったが、道路が狭くなっているので、一旦、レンタカーで鼕泊島へ渡ったものの、対向車が来れば身動きがとれなくなりそうだ。やむを得ず橋を渡ったところにあった小さなスペースを利用してUターン。前島に戻り、橋の近くの通行の支障にならない場所にレンタカーを停めて、再び徒歩で鼕泊島へ渡る。
 橋を渡ったところで、島の中央を横断する道と海沿いに続く道に分かれていたので、外周の基本に従って海沿いの道を進む。5分も歩けば小さな入江に漁港と集落に行き着いた。来た道を引き返し、今度は島の中央を横断する道を進んでみたが、こちらにも小さな入江と集落がある。どうやらこれが鼕泊島の全容のようだ。満足してレンタカーに戻る。
 昨日に引き続き再び神崎の集落へ。日本本土最西端の碑がある神崎鼻は昨日訪問したが、その途中で見掛けた教会が気になったので立ち寄ってみる。小高い丘の上に建つ神崎教会の天主堂はまだ新しく2004年(平成15年)4月に竣工したばかり。それまでは、日本本土最西端の碑がある神崎鼻に聖堂があったという。礼拝には旧聖堂のあった場所の方が通いやすかったと思われるが、広い駐車場も整備されているので、マイカー利用ならかえって便利になったのかもしれない。正面に大きなキリスト像の掲げられた聖堂を見学。集落の規模にしては立派な教会で、周辺住民の信仰の深さが感じられる。マリアやキリストをモチーフにしたカラフルなステンドグラスが印象的だった。
 小佐々浦、臼ノ浦の入江を迂回し、養魚場を眺めながら西肥バスが1日3往復している浅子に立ち寄ってみる。浅子にも木造ながら静かな入江に面した教会があり、キリスト教信仰の深さが伺える。もとより浅子の集落は1884年(明治17年)に黒島の信徒が土地を求めて移住してきたのが始まりとされているので、信仰心が強いのは当然と言えば当然である。
 浅子から海岸沿いの道路は途中で途切れているので、浅子岳の北側に通じる道路を走って相浦を目指したが、途中で崖崩れによる通行止めの看板が出ている。最近に崖崩れが発生したというよりは、随分と前に通行止めになってそのまま放置されているような様子だ。道路は狭いし、フェリーの時間もあるので素直に方向転換。臼ノ浦まで今来た道を引き返し、県道経由で相浦へ向かった。
 相浦港へ着くと、フェリーターミナルの前には予想以上に多くの車が並んでいる。相浦からは九十九島の数少ない有人島である高島、黒島へ渡るフェリーが出ているが、これほど需要が高いのだろうか。我々はレンタカーを相浦に残してフェリーに乗り込むつもりなので、職員に確認をして、フェリーターミナルの前にある駐車スペースにレンタカーを駐車した。
 相浦桟橋を10時に出航する「ニューフェリーくろしま」は総トン数198トン、旅客定員150名はいいとして、積載可能な車両数は乗用車5台、トラック2台。とてもフェリーターミナル前に並ぶ車両は乗り切らないと思ったら、フェリーに乗り込んだのは2、3台で、残りは送迎やフェリーに積み込む荷物を運んできた車両であった。
 九州電力の相浦発電所を右手にフェリーは相浦港をゆっくり進む。相浦港の前に堤防のように横たわる矢坪島と焼島を抜けると、やがて浅子岳が現れる。先ほど行く手を阻まれた浅子岳の東側を海上から眺めることができた。
番岳からの眺望  相浦桟橋から20分で最初の目的地である高島に到着。我々もまずは高島で下船する。高島は周囲約21キロの島で南北に長く、タツノオトシゴのような形をしている。集落は島の南部に形成されており、フェリー桟橋も島の南に設けられている。公共交通機関はなく、高島を一周することは時間的にも難しい。フェリー桟橋の前にあった島内案内板では、北部には真珠の養殖場があるだけで、ポイントになりそうなのは、桟橋近くの神社と宮の本遺跡、そして番岳ぐらいであろうか。番岳は標高136メートルで、頂上付近には展望台が整備されているようなので、手頃なハイキングコースといったところか。まずは桟橋近くの神社で参拝し、番岳に挑戦してみる。高島の集落を歩いていると竹輪の加工場が目に付き、高島の特産品のようだ。相浦小学校高島分校の敷地をまわりこむように番岳へ続く道路は続く。ここからがS字カーブ続きの本格的な登りだ。舗装されているので車でも登れるが、高島には公共交通機関がない。レンタカーでやって来れば楽に登れたのだが、車両を運べば高くつくのでやむを得ない。夏の日差しが照りつけ、汗が絶えず流れ続ける。息も切れて日頃の運動不足が祟る。一方、普段から野球をしている奥田クンは快調だ。
 S字カーブを何度も曲がり、ようやく番岳の駐車場に到着。駐車場の脇にある遊歩道を登れば、大きな広場があり、屋根のある展望台兼休憩所もある。とにかく夏の日差しから逃れようと、展望台を目指せば、目の前には海を挟んで九州本土が広がる。南九十九島の島々はほとんどが九州本土のすぐ沖合いにあるので、ちょうど南九十九島を見渡すような感じだ。日陰で時折吹くそよ風が心地よく、しばらく休憩。民宿でもらったお茶でのどを潤すが、荷物になるからと飲料を持ってこなかった奥田クンは早く番岳を下って、何か飲みたいと言い出す。しかし、せっかく苦労して登ったのにすぐに下りてしまうのはもったいない。広場には水道の蛇口があったのでひねってみると水が出る。奥田クンには水でも飲めばと勧めるが、水道水なんてとんでもないという表情。高校までは当たり前のように水道水を飲んでいたのに、今では日本国内でもミネラルウォーターの時代だ。
 番岳は江戸時代に平戸藩が沿岸警備のための番所を置いたことがその名の由来となっている。頂上には火立鼻と呼ばれる烽火台の跡も残っている。狼煙台といっても、広さは約20平方メートルもあり、周囲を円状に石垣が築かれているので、古代ローマの円形闘技場を連想させる。佐世保が軍港になってからは、高射砲台が設置されていたとのことで、佐世保、西彼杵半島、平戸、五島列島が見渡せる番岳は、佐世保軍港防衛の第一線の地であったようだ。
 次のフェリーは13時25分なので時間はたっぷりあるが、喉の渇きを訴える奥田クンに屈して、番岳を下ることにする。奥田クンは坂道を猛然と駆け降りて行ってしまったが、私はマイペースを保ちながら下る。登るよりも体力的には楽であるが、足に負荷がかかるので、無理をすると足を痛めるだけである。小学校の脇に出ればもう高島の集落で、自動販売機の前に座り込んで喉を潤す奥田クンの姿を確認した。
 自動販売機の冷たいコカコーラで生気を取り戻し、高島の散策を再開する。気になるのは竹輪工場で、近くにあった木村竹輪加工場を覗いてみる。加工場だけど、竹輪を売ってもらえるのかしらと様子を伺っていると、地元のおばさんがやってきて竹輪を買い求めるではないか。
「1本でも売ってもらえますか?」
すかさず奥田クンがおばさんに続いて加工場へ入り、声を上げる。1本100円とのことで、せっかくなので高島の名産を試してみる。加工場なので、焼き立ての竹輪が出てくるかと思ったが、ビニル袋に入れて手渡された大きな竹輪は冷蔵庫に保管されていたようで冷たい。さっそくその場でパクリとかじってみると、弾力のある歯ごたえで、かみしめると濃厚な味がする。高島のちくわは、長崎産のアジやエソという白身魚を原料にしており、無添加でデンプンなどのつなぎも使用していないという。そのため賞味期限は短くなるが、高級竹輪として贈答品としても重宝されるそうだ。
 竹輪を食べ終えると、加工場の近くに宮ノ本遺跡の案内標識があったので足を向ける。宮ノ本遺跡は、縄文時代晩期から弥生時代にかけての遺跡で、1977年(昭和52年)に宅地の整地をしていたところ人骨が発見され、佐世保市教育委員会による発掘調査が開始されたという。しかし、遺跡のある場所は素人には単なる空地のようにしか思えず、解説板を一読しただけで遺跡を後にする。
 遺跡からフェリー桟橋に戻る途中にも丸三竹輪加工場という別の加工場を発見。この際だから高島竹輪の食べ比べをしてみようと加工場のドアを叩く。
「熱いのと冷たいのとどっちがいい?」
竹輪を2本所望すると、対応してくれた加工場のおばちゃんから尋ねられる。木村竹輪加工場では冷たい竹輪だったので、今度は焼きたての竹輪を試してみる。こちらの値段は1本70円と30円も安い。「熱いから気を付けて」と渡された竹輪はアツアツ。フーフー冷ましながらやはりその場でパクリ。焼きたてのおいしさはあるが、歯ごたえや味の濃厚さは最初の竹輪よりも劣る。やはり30円の差は大きい。高島竹輪を知る人によれば、アジとエソの割合が違うのであろうとのこと。
 フェリー桟橋に戻るとまだ30分以上時間を持て余す。仕方がないので携帯電話のワンセグ放送に格闘しながら、第90回全国高校野球選手権記念大会2回戦の慶応(北神奈川)対高岡商業(富山)の試合を観戦する。序盤で3対0とリードしていた慶応が5回に追加点を上げ、試合を優勢に進めているところだった。
 13時25分のフェリーで黒島へ移動。所要時間は25分で運賃は550円と相浦−高島間と同額だった。相浦−黒島間を乗り通せば700円なので、随分と割高に感じる。もっとも、ほとんどの乗船客は九州本土への往復にフェリーを利用するのだから、高島−黒島間のみを乗船する物好きな乗客はほとんどいないのかもしれない。
 「ニューフェリーくろしま」は黒島の北側にある桟橋に接岸。桟橋から集落の中心へ坂道が続く装いは、昨年訪問した松浦市の黒島を思い起こさせる。こちらも公共交通機関は存在しないので、自分の足が頼りだ。もっとも、黒島は近年になって、九十九島の海に横たわる隠れキリシタンの島として注目を集め、西海パールシーリゾートが企画する「黒島めぐる」ツアーも催行されている。黒島ではジャンボタクシーで効率よく観光ポイントをまわれるので、外周旅行に組み込むことも考えたのだが、ツアーは相浦を出発地としているため、ツアーに参加すると高島を諦めざるを得なくなってしまうために断念した。
 S字カーブの坂道を10分も登ると黒島郵便局が現れたので、今回の旅で初めての旅行貯金を果たす。郵便局内の束の間の冷房が有難い。郵便局の近くには有限会社黒島石材の見本が並べられており、ドラえもんやピカチュウの石像まで並んでいる。石材店があるのは、かつて御影石の生産が盛んだった名残りであろう。現在でも島の南部に石切場が残っているようだから、細々と切り出しが行われているのかもしれない。
黒島天主堂  さらに先へ進み、桟橋から30分近くかけて黒島支所のある集落の中心部にたどり着いた。前方には国の重要文化財にも指定されている黒島天主堂が見える。黒島の滞在時間は約1時間30分あるが、桟橋からの往復の時間を考えると、散策に費やすことができる時間は30分程度しかない。黒島天主堂は、黒島のメインスポットなのでどうしても外せない。そこで何よりも先に黒島天主堂の見学を済ませておくのがよさそうだ。
 煉瓦造りのロマネスク様式の教会は黒島のシンボル的な存在となっている。隠れキリシタンの島として知られる黒島の島民の8割はカトリック教徒とのこと。この地にはもともと木造の教会堂が建っていたが、主任司祭のマルマン神父の指導により、1902年(明治35年)に現在の天主堂が完成したという。煉瓦造りの教会は珍しく、基礎には黒島産の御影石、祭壇の床には有田焼のタイルが使われて、荘厳な雰囲気を醸し出している。マルマン神父がフランス人であったことから、鐘やステンドグラスはフランス製であることも、黒島天主堂の特徴であろう。
 黒島天主堂の近くにはカトリック共同墓地もあったので立ち寄ってみる。カトリック共同墓地は、雑草の生い茂る広場に御影石の墓石が並んでいる。墓石に十字架がモチーフされているほか、土葬されているのか棺桶のような墓石がところどころに横たわっていた。黒島天主堂の建設に尽力したマルマン神父の墓もこの地にあり、故郷フランスの地を見ることなく異国の地で旅立ったのだ。
 帰りのフェリーの出航まで多少時間が残っているので、「黒島めぐる」のツアーコースにも含まれていた御影石の石切場にも足を延ばしてみる。ところが、歩けども歩けども石切場らしき場所は見当たらない。15時近くなって、さすがにフェリーの時間が気になりだした。断崖を見渡せる小さな広場があったので、そこで黒島南海岸の様子を眺め、足早にフェリー桟橋へ引き返す。なんとか出航の10分前に桟橋へたどり着くことができた。
 定刻15時30分の「ニューフェリーくろしま」には思ったより地元の乗船客が多い。この便は黒島から相浦へ向かう最終便であるが、午前中の便で島民が本土へ渡り、所用を済ませて夕方の便で島へ戻るという人の流れが離島航路では一般的なので、最終の相浦行きは、相浦から黒島へ向かう人を迎えに行く回送のようなものだと思っていたからだ。途中寄港の高島でもそれなりに乗船客があり、九州本土から黒島や高島へ行く用務客も多そうだ。
 我々は早々に座敷席に横になっていたが、地元の乗船客は高校野球に熱中。今日の第3試合は、長崎県代表の清峰が登場しているのだ。清峰高校は相浦から近い佐々町にあるので、縁がある人も多いのかもしれないが、1球毎に歓声があがるフィーバーぶりで、まだまだ高校野球人気も根強いものがある。ただし、この日の清峰は、残念ながら西愛知代表の東邦に4対5で惜敗した。
 16時20分に相浦桟橋にフェリーが到着すると、隠岐を旅した2001年8月6日以来、7年ぶりの参加となる横井クンが待合室で待っていた。私自身も外周の旅以外の場でも横井クンと顔を合わせる機会はなかったので、本当に7年ぶりの対面だ。奥田クンに至っては学生時代以来の再会とのことであったが、お互いの感想は「変わってないな。すぐにわかった」というもの。久しぶりに会った横井クンはむしろ以前よりも若返った印象を受けた。
 横井クンが合流したので再び3人体制で外周の旅を継続する。レンタカーに戻ると、フロントガラスに「タクシーが停車しますので長時間停車は御遠慮ください」との張り紙がある。隣に駐車していた車の行儀が悪かったので、我々のレンタカーが少しタクシー乗り場にかかってしまったが、タクシーが停車するには十分なスペースがあったので、まあいいやと停めてしまった。反省しなければなるまい。もっとも、船が到着したばかりにもかかわらず、肝心のタクシーの姿はなく、実害はなかったと思われるが、気まずいのでそそくさと逃げるようにフェリー桟橋を後にする。
 内陸部へ大きく迂回する松浦鉄道のレールと分かれて陸上自衛隊相浦駐屯地がある大崎鼻を往復し、西海パールシーセンターへ。西海パールシーセンターは、南九十九島の観光拠点で、南九十九島一帯を西海パールシーリゾートと総称している。
 まずは遊覧船乗り場でサンセットクルーズの予約。南九十九島を遊覧船でぐるりと一周しようとの魂胆だ。当初予定していた定員280名の遊覧船「パールクィーン号」のサンセットクルーズは月曜日休航。夏休みのお盆の時期なので、特別に運航しているのではないかと期待したが、既に16時の最終便が出航した後で窓口はシャッターが下ろされている。やむを得ず定員12名のリラクルーズの乗船券を扱っている「九十九島きっちん」へ。リラクルーズとは、リラックスクルーズの略で、船内はソファ席になっているとのこと。料金は「パールクィーン号」の1,200円に対して2倍以上の2,500円になるが、大型の遊覧船では入れない浅瀬にも立ち寄ってくれるという。奥田クンと横井クンも異論はないので3名分の乗船券を購入。
「これから天候が崩れるとの予報なので、天候次第で休航することもあります」
ここまで天候に恵まれていたのでにわかに信じられないが、悪天候で休航になるのなら仕方がない。チケットと一緒に西海パールシーセンターの割引券がもらえたのはラッキーだった。
 西海パールシーセンターの窓口で先ほどの割引券を渡すと、600円の入館券が400円になった。西海パールシーセンターには、水族館、船の展示館、アイマックスドームシアターの3つの施設があるが、まもなくアイマックスドームシアターの本日最終上映が始まるとのことなので、まずはドームシアターへ。アイマックスドームシアターとは、各地でよく見掛ける球状のスクリーンを備えた映画館で、専用の眼鏡をかけて3D画面を楽しむ施設だ。この日の上映は名探偵コナンだったので、夏休みということもあって子供連れが多い。もっとも、上映時間はわずかに15分に過ぎないので、30分枠のテレビアニメよりも簡略化した内容。推理アニメを上映するには少々無理がある。このアイマックスシアターは、この夏の上映をもって閉館するとのことだった。
 九十九島をそのまま再現したという水族館は、海中の岩礁をモチーフにした館内になっている。2億年以上前から姿形が変わらないことから生きた化石を呼ばれるカブトガニなど、九十九島に生息する生物が展示されており、ヒトデやナマコを触れるコーナーもある。気持ち悪いのでパスしたが、小さな子供達は意外に平気で、笑いながらヒトデやナマコを摘まんでいる。横井クンが佐世保駅でポスターを見掛けたという「いきものベスト展!!」という特別展も催されており、1994年の開館以来、過去40回開催した特別展で紹介した生き物の中から特に人気が高かった34種類の生き物が展示されている。南米のアマゾン川に生息するピラニア、日本近海でもみられるハコフグ、体長1メートルを超すミズオオトカゲなど、過去の特別展の目玉が勢ぞろい。水族館も9月1日からリニューアル工事のために休館してしまうため、現在の水族館としては最後の特別展を盛大に企画したらしい。
 船の始まりの形といわれている植物の葦で作ったエジプトのパピルス舟や杉の木をくりぬいた丸木舟、動物の革で作ったシーカヤックなどの模型が並ぶ船の展示館を見学していると閉館のアナウンスが館内に流れる。最後に実物の3分の1スケールに復元した日本前朱印船を眺めて、船の展示館を後にする。
 不幸にも天気予報が的中して外は強い雨が降っている。閉館時刻の18時まで、館内の土産物屋で時間を潰し、天気が回復するのを待つ。小雨になったので、「九十九島きっちん」へ向かい、運航状況を確認する。
「船長に確認しました。出航できる見込みとのことです。ただ、天候が悪いので、サンセットを見ることはできませんが、よろしいですか」
もともとサンセットが目当てではなく、海上から九十九島を眺めようとしていたところ、行程の都合でサンセットになっただけなので差し支えない。しばらくするとまだ雲が残っているものの、雨は完全に上がった。中年の夫婦がサンセットクルーズに乗ろうかどうか散々思案して見送った。おかげで今日のサンセットクルーズは我々3人の貸し切りになった。
 九十九島リラクルーズ「海星」(スターフィッシュ)は、ロビーのように白いソファが配置されている。テーブルもあり、食事付きのプランでは、船上でバーベキューをすることもできるそうだ。周囲は透明のビニルシートで覆われていたが、雨がやんだので船長がシートを上げてくれた。
 今日のサンセットクルーズは18時20分に出航。日没の時間に合わせて出航時刻が決められている。乗船客は我々3人だけなので、船長も対話形式で九十九島の観光案内を始める。目の前に横たわる元の島を迂回して、南九十九島の密集地帯へ分け入って行く。
「ライオンが寝そべっている姿に見えるのが横島です。ライオンに見えますか?」
「2つに割れたように見えるのが割島です。でも、本当は1つの島です」
「昔、殿様が釣りの邪魔になった木を切ろうとして降りおろした斧を落としてしまったという由来があることから斧を落とすと書いて“よきおとし”と呼ばれています」
船長は数ある無人島のひとつひとつに付けられている島の名前とその由来を説明してくれる。それぞれの島の名前に由来があるのは感心するが船長もよく覚えたものだ。船長はもともと水産高校の教師をしていたが、刺激を求めて西海パールシーセンターの職員に転職したという。
「この仕事はおもしろいですよ。お客さんからもいろいろな話を聞けるしね。そう言えばこの前、東京海洋大学のさかなクンがここに来ましてね。甲高い声のキャラはテレビの演出かと思っていたのだけど、普段から本当にあのキャラなのですよ!いやあ〜さすがに驚きました」
我々が高島や黒島を訪問して来たことを知るとますます会話がはずみ、高島竹輪のアジとエソの割合のことも船長から教えてもらった知識だ。その他にもこの辺りは真珠の養殖が盛んで、志摩のミキモトに対して、こちらは田崎真珠だという。
 結局、サンセットは見られなかったが、いろいろな話を聞かせてもらって1時間のクルージングは満足のいくものであった。それどころか西海パールシーセンターに対する職員の熱意がものすごく伝わって来て、リニューアルされた水族館は九州を代表する施設になることは間違いないだろう。
 レンタカーに戻ると同時に再び雨が降り出した。クルージングの時間帯だけがうまく雨に降られなかったのは不幸中の幸いだ。佐世保の市街地に入るとさすがに交通量が増えだした。多少の渋滞に巻き込まれ、今宵の宿となる「旅館九十九荘」に到着したのは20時だった。
 九十九島めぐりの締めくくりとして「旅館九十九荘」を予約したのだが、ネーミングに反して観光色はなくビジネス旅館風。1泊2食付きで5,000円という破格の宿泊料なのだから当然で、他の宿泊客は常連の工事関係者のようであった。しかし、旅館の家庭的な雰囲気に1人暮らしの長い奥田クンも横井クンも気に入ってくれたので、結果的には御の字である。

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