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第94日 向島−平戸

2007年8月6日(月) 参加者:安藤・奥田

第94日行程  6時過ぎに起床して身支度を整える。向島から星賀に戻る連絡船は7時15分の便を逃すと次は15時30分になってしまう。さすがに朝食は月並みであったが、夕食で食べ切れなかったウニご飯が用意されていたのは有り難く、2日がかりできれいに平らげることができた。朝食後に精算を済ませると、ビール代は別にしてオール込み1泊8,500円のはずが、消費税が加算されて8,925円になっている。いつもなら指摘するところだが、予約の電話を受けたのはおじいさんだったし、昨日の豪勢な夕食を考えれば1人あたり425円ぐらいのチップはやむを得ないか。そもそも向島には民宿が2軒しかなく、もう1軒は休みだったのだから、「民宿しま」に泊まれなかったら行程上も支障が出ていたので感謝せねばなるまい。
 向島港は民宿の目の前にあるので、出航時刻までゆっくりしていたが、7時になると民宿のお婆さんから「早くせんと船が出るよ」と声が掛かる。今日は早発するのかしらと慌てて荷物を抱えて飛び出せば、「電車と違っていつものお客が乗船したら出発するからね」とのこと。「向島丸」に乗り込めば、なるほど船室は常連と思われるお年寄りで満席。我々は後方のデッキで過ごすことにする。もっとも、「向島丸」はきちんと7時15分になってから向島港を出航した。
 船が動き出すと後方デッキにも潮風が吹いて気持ちがいい。朝陽を浴びた向島灯台の見送りを受けて星賀に戻る。今度は乗り継ぎまで25分あるので、フェリー桟橋までゆっくりと移動。星賀港には日比港のような待合室はなかったが、乗船券は桟橋前の「フェリー食堂」で販売していた。本業の食堂よりも、売店や乗船券の販売で忙しいのではないかと思われる「フェリー食堂」で日比港まで200円の乗船券を購入すると、店内に貼ってあった「4月1日より温泉入浴時間が変更になりました」という鷹島モンゴル村のお知らせが目に入る。それによると従来は11時から営業していた温泉が平日は14時、土・休日・夏休み期間中は12時からに変更されるとのこと。当初の予定では11時のオープンと同時に温泉でひと浴びし、12時10分のフェリーで黒島に渡る予定だったが、これでは温泉に入っている時間はない。ホームページなどでは一切告知されておらず、モンゴル村の対応にいささか疑問を感じるがどうしようもない。温泉はパスするしかなさそうだ。
 松尾フェリーの「第8だいあん」で日比港に戻ると相変わらずフェリー待ちの車が並んでいる。この光景も肥前鷹島大橋が開通すれば過去のものとなる。そのフェリー待ちの列に紛れて我々が乗車する松浦市営バスの姿があった。
 日比港8時11分の市営バスに乗れば昨日と同じ運転手だ。我々の行動はすっかりと見通されているような気がする。バスの行き先は営業所だが、目指すのは鷹島モンゴル村なので、急勾配の坂道を登りきった日比入口で下車する。乗車時間はわずかに3分で運賃は120円。
 日比入口は日比港へ続く道路と県道158号線との分かれ道になっているだけの場所で周囲には何もない。安藤クンは昨年の対馬での合流場所とした糸瀬口を思い出したようだ。ここで20分待てば阿翁浦行きのバスがやって来る。今のバスが営業所へ往復して戻って来ればちょうど良い頃合いで、きっと今度も同じ運転手であろう。日陰でバスを待っていると定刻に阿翁浦行きがやって来た。運転手がどんな反応を示すかなと楽しみにしていたが、今度は別の運転手だった。
 20分待ったバスであったが、乗車時間はわずかに4分。鷹島北部の集落である阿翁で我々を降ろすとバスはUターンして阿翁浦に向かう。阿翁浦には黒島行きのフェリーが出る桟橋があるので、後で我々も足を運ぶことになるが、まずは鷹島モンゴル村だ。モンゴル村まで乗り入れるバスもあるのだが、次のバスまで1時間30分以上もあるうえ、距離も1キロ少々なので迷わず歩く。時間的には日比港から歩いても十分であったが、午後には黒島も控えているので体力を温存しておく。
 阿翁の集落を抜けるが鷹島モンゴル村までは立派な道路が整備されている。モンゴル村は鷹島の目玉観光施設でもあるし、肥前鷹島大橋が開通すれば、多くの観光客が集まるに違いないと昨日の歴史民俗資料館の職員も期待をしていた。
 阿翁から20分少々歩いて鷹島北端の阿翁崎に位置する鷹島モンゴル村に到着。昨夜はモンゴル村に宿泊したであろう小学生グループの姿が目立つ。モンゴル村にはモンゴルから運んできた本物のゲルが30棟設置されており、宿泊施設として開放されている。ゲルとは、モンゴル遊牧民の移動式住居のことで、遊牧民の生活を体験できる貴重な施設でもあり、夏休みを利用して訪れる小学生が多いのであろう。我々も計画段階では、モンゴル村で宿泊することも検討していたのだ。
 入口はインフォメーションセンターなる建物にあるようだが、その向いにもゲルをモチーフにした建物があったのでのぞいてみる。その正体は研修センターで100名規模を収容できる会議場もあるとのこと。林間学校や修学旅行で利用してもらうためには、一同を集める場所が必要であろうし、そのための施設ということか。館内にはモンゴル生活館と称した博物館があり、旧鷹島町とカラコルム地方のボジルト市との姉妹都市盟約書や遊牧民の衣装や生活用品、写真などが数多く展示されている。無料の施設にしては充実しており、これならばモンゴル村も期待できそうだ。
 インフォメーションセンターに向かえば温泉の匂いが漂っている。施設利用券を購入しようとするとカウンターのおばさんが「入浴券付きにしますか?」などと口にするので、午前中からでも入れるのかと期待したが、やはり温泉は12時から営業とのこと。宿泊者に対しては朝風呂を提供しているのだろうか。温泉の営業開始を待っていては黒島に行けなくなってしまうので入浴券なしの施設利用券を300円で購入する。ちなみに入浴券付きだと500円とのこと。わずか200円で温泉に入れるのは良心的だが、我々は恩恵に預かることはできない。
鷹島モンゴル村  まずは鷹島モンゴル村の目玉であるゲルに向かう。宿泊施設用のゲルとは別に見学用のゲルが開放されているのだ。組み立てと分解が簡単にできるのが特徴だが、モンゴル村のゲルは移動の必要性がないためしっかりと固定されている。ドーム型の室内に入ると、思っていたよりも広い。中央にはテーブルとイスが配置されており、周囲にベッドが4つ並んでいる。完全に宿泊施設に特化した造りになっており、宿泊者の食事は別棟のレストハウスで提供される。モンゴルにあるツーリストキャンプを再現したようだが、コテージとテントの中間的な環境で、設備としてはどうも中途半端だ。遊牧民の生活感がまったく感じられないのだ。どうせなら台所を設けて自炊ができるようにした方がキャンプのようで日本人には好まれるのではないか。
 ゲルの造りは、木材とフェルトを組み合わせたものであり、湿度の高さや風通しの悪さのためか、なんとなく臭気が漂っている。宿泊用ゲルでは、冷房が完備しているので少しは環境が良くなるのであろうが、「こんなところで一夜は過ごせないな」と言い残して奥田クンは早々に逃げ出したことでもあり、ゲルでの宿泊を避けて正解だったようだ。
 対州馬や山羊が餌をむさぼっている姿を眺めて、モンゴルの大草原をイメージしたモンゴル広場へ向かう。丘陵地に芝生が広がっており、丘の上に立てば草原の代わりに海原が広がっており、向島や黒島、更には的山大島なども見渡すことができる。緑の芝生と青い海と空のコントラストは見事だ。しかし、景色がいかに素晴らしくても周囲に真夏の日差しを遮るものは何もなく、長居できるような場所ではない。
 広場の片隅には、ターザンロープ、らせん状滑り台、つり橋、丸太橋、馬のトンネルなどカラフルで変化に富んだ19種類の野外遊具施設の他に土俵が設けられていた。近年のモンゴル出身力士の大相撲での活躍は凄まじく、鷹島モンゴル村でも旭天鵬や旭鷲山といったモンゴル出身の関取を招いたイベントが開かれているという。モンゴル出身の力士と言えば、怪我を理由に巡業を欠席し、本国のモンゴルでサッカーに興じていた横綱朝青龍の動向が気になるところ。状況次第ではモンゴル出身力士に対する風当たりも強くなりそうだ。
 少し離れたシンボル広場へはスロープカーが敷かれており、国土交通省より認可を受けた正規の鉄道ではないけれども、最近の観光地ではよく見掛ける。折角なので乗ってみようと思ったが、スロープカー乗り場には「故障中」の張り紙。軌道の錆び具合を見ても、ここ数年は運行されていないのではないかと思われる。採算が合わないので運転を取りやめたのであろうか。朽ち果てた無用の構築物は、景観を害するだけなので、再開する気がないならせめて早期に撤去した方がよい。
 スロープカーで結ばれていたシンボル広場へ足を運べば、モンゴル風の休憩所やシンボル塔があるものの、こちらもかなりくたびれた感じだ。1993年(平成5年)4月にオープンしたが赤字続きで、メンテナンスが行き届いていない施設が厳しい経営状態を物語っている。2002年(平成14年)1月に起死回生を図ってオープンさせた温泉も営業時間を短縮するようでは、先行きも怪しい。肥前鷹島大橋の開業までに抜本的な改革ができなければ、鷹島モンゴル村の閉園も時間の問題かもしれない。
 鷹島モンゴル村を一周りしたが時刻はまだ10時前。温泉がないモンゴル村で時間を潰すことができそうなものは草スキーぐらいであるが、そりのレンタル料は1,500円と結構な値段であるうえ、滑った後に炎天下の中を延々と階段を登らなければならない。リフトかエスカレーターでもあれば草スキーに興じたかもしれないが、安藤クンと奥田クンはさっさとインフォメーションセンターに引き上げてしまうので、私も後を追った。
 盛り上がりに欠けた鷹島モンゴル村での唯一の救いは、インフォメーションセンターに隣接するショッピングセンターで見付けた限定オリジナルアイスクリーム。鷹島モンゴル村を経営する株式会社鷹島公社が発売元で、「まてばしいの実アイス」と「しそアイス」(各200円)の2種類があった。紫蘇は苦手なので「まてばしいの実アイス」を手にしてみると、まてばしいの実が香ばしくローストしてあって美味しい。銚子電鉄が濡れせんべいで再建を目指していることはニュースの報道などにより有名であるが、鷹島モンゴル村が危機を脱するためにはこのアイスしかないのではないかと本気で考える。
 バス停留所の時刻表を確認すれば、当初の予定よりも1本早い10時20分にもバスがあることが判明。このまま鷹島モンゴル村に残っていても仕方がないので先に進むことにする。日比港に続き、昨日以来4度目の顔合わせとなった運転手に「阿翁浦まで」と告げると、この便は阿翁浦へは立ち寄らないという。「阿翁浦の近くなら通るのですが…」と言うので、それなら近くまでで結構だ。時間を持て余しているのだから多少の散歩は問題ない。
 我々3人だけの貸し切り状態となった松浦市営バスに揺られること5分。運転手がバスを停めたのは阿翁浦を見渡せるようなところに位置する阿翁浦入口という停留所で、県道から分かれる道を下れば阿翁浦だという。阿翁浦からフェリーに乗れば鷹島とお別れなので、このバスの運転手と顔を合わせるのもこれが最後だ。
「松浦市営バスだから運転手も公務員でしょう。こんなところで毎日あまりお客のいないバスをのんびりと運転して、たまに物好きな観光客の相手をして変化を求める生活もいいかもね」
仕事に忙殺される毎日の安藤クンが本音とも思われるような声を漏らしたが、松浦市も決して財政的に恵まれているわけではなく、先行き不安を感じて働いている地方公務員も多いのではないか。
 阿翁浦簡易郵便局へ今回初めての旅行貯金に立ち寄ると、「ゆうパックメジャー」を手にすることができた。郵便配達車両のデザインケースに収められた2メートルのメジャーで、色分けテープを採用することにより、ゆうパックのサイズ制が一目で判るように工夫されている。数年前に宣伝用ツールとして頒布されたのであろうが、田舎の郵便局ではこのようなものがいつまでも残っており、恩恵に預かることも多い。
 黒島へ向かうフェリー乗り場を少々迷いながら探し当てると時刻は11時過ぎ。黒島へ向かうフェリーは12時10分なのでまだ1時間もあるが、昨日に続いて早めの昼食にするのが無難そうだ。黒島に渡ってしまえば、食堂なんてまず存在しないであろう。
 フェリー乗り場のすぐ近くに「旅亭吉乃や」が幟を掲げていたが、ふぐ料理と活魚料理を謳っている。鷹島は養殖のとらふぐの産地であり、玄海の荒波でもまれて身が引き締まったとらふぐは最高級とされている。折角なので鷹島のふぐでも食べてみようかという気持ちもあったのだが、向島のウニづくしを堪能してきたばかりだし、昼から贅沢をするのも気が留める。結局、郵便局の裏手にあったいかにも大衆食堂といった雰囲気の「高崎食堂」に落ち着いた。民宿や旅館では魚料理がメインになるので「焼肉定食」(600円)を注文すると、久しぶりにケチャップソースをベースにした焼肉を口にした。安藤クンは「カツカレー」(600円)、奥田クンは「ちゃんぽん」(500円)とやはり魚を敬遠していた。
 建物の老朽化に加えて、清掃がほとんど行き届いていないボロ小屋のフェリー待合室に戻り、黒島まで220円の乗船券を購入する。桟橋には見慣れた「フェリーたかしま2」が停泊していたので、すぐに船内に移動。安藤クンと奥田クンはいつものように船室に籠ってしまったが、15分の船旅なので甲板で過ごすことにする。鷹島モンゴル村では夏の日差しが降り注いていたが、いつの間にか曇り空になっている。過ごしやすくなったのは良いが夕立ちになりそうなのが気掛かりだ。
 丘の上に風力発電のプロペラがまわる鷹島に別れを告げて、対岸に見える黒島へ渡る。飛島同様に下先客は我々だけかと思っていたのだが、意外と下先客が多い。もっとも、桟橋の近くに集落はなく、地元の人達はすぐに近くに停めてあった自家用車で走り去ってしまう。フェリー到着時にはにわかに賑わいをみせた桟橋もすぐに静寂に包まれる。
 無人の待合室に荷物を置くと黒島の観光案内図が掲げられていた。青島同様に一般的な観光地としては無名だが、我々のような物好きにとってはかなり重宝される情報だ。大雑把に島内の道順を把握して出発する。
 集落へ続く急な坂道を登って行くと、黒島桟橋を離れていく「フェリーたかしま2」の姿が確認できた。小さな離島でフェリーを見送ると、なんだか取り残されたようで心細くなる。「フェリーたかしま2」が御厨へ往復して戻って来るまで2時間以上も黒島は完全に孤立するのだ。
 坂道を登り終えると今度は周囲に墓地が立ち並び、離島に似合わない立派な墓石が目立つ。かつては採石加工が盛んで、黒島石と呼ばれる墓石は黒島の特産品とのこと。現在でも細々と採石が行われているという。
 桟橋から歩いて10分程で黒島の集落に入る。「村田商店」という食料雑貨店が1軒あるぐらいの小さな集落だ。集落の外れには鷹島小学校黒島があったが、校舎も校庭もいささか荒れている。夏休み中で管理が行き届いていないのかと思ったが、現在は休校中とのこと。過疎化が進む黒島の児童が増えるとも思えず、事実上の廃校であろう。  集落を抜けると牛舎や田畑があり、漁業だけではなく農業も盛んであることが伺われる。周囲4.5キロ、人口約100人の小島であるが、工業、漁業、農業という産業がしっかりと根付いており感心する。
「この島なら自給自足が可能だね。集落は高台にあるので津波が来ても大丈夫だろうし、農業をしながらのんびりと暮すのも悪くはないな」
安藤クンは黒島を大層気に入ったようだが、自給自足の生活も容易ではないだろう。
 分岐路に出る度にと安藤クンが携帯電話を確認して進むべき方向を指示してくれる。携帯電話のGPS機能を活用しているのかと思ったら、待合室にあった観光案内図を撮影してきたとのこと。私の古い機種では携帯電話の画像など粗くて判読できないが、最近の携帯電話であれば私が持参したデジタルカメラよりも画素数が多くて高性能だ。高性能のカメラ機能を搭載した携帯電話に買い替えた際には安藤クンの手法を真似することにしよう。
 散策の途中で懸念していた夕立ちに見舞われて木陰で雨宿りをする。道路が舗装されているのが救いで、小降りになったのを見計らっては先に進み、雨宿りを繰り返す。1時間ほどで無事に黒島を一周して集落に戻って来ると、雨はすっかり止んで夏の日差しが戻って来た。
 待合室に戻る前に「村田商店」に立ち寄って飲み物の補給をする。店番のオヤジは昼寝をしており、我々が店に入ると見慣れぬ客に眉をひそめながらもむっくりと起き上がる。持参の水筒が空になりかけていたので、黒島の経済の発展に貢献しようと2リットルのペットボトル入り烏龍茶を購入すると380円と恐ろしく高い。これまで旅してきた離島でも330円が相場だったし、阿翁浦でも198円で売っていたから運送費を勘案してもかなりの粗利だ。もっとも、1日の売り上げが知れているので店舗経営だけでは赤字に違いない。
 フェリー桟橋の待合室に戻ってもまだ14時過ぎ。我々が乗船する御厨行きのフェリーまで1時間30分以上も時間がある。水着を持参していることだし泳いでみようかとも思ったが、泳いだ後で海水を洗い流せるような場所もない。堤防を散歩していると安藤クンがふぐを発見。水揚げされたふぐが積み上げの際に漁港に落ちたのであろうか。しばらくふぐと戯れて時間を潰したが、やがてふぐの姿も見えなくなり、安藤クンと奥田クンは待合室のベンチで横になって昼寝を始めてしまった。天候も再び夕立ちになり、待合室に閉じ込められてしまう。
 あまり利用者のいなかった15時02分の阿翁浦行きのフェリーを見送ると夕立ちもおさまり、再び日差しが出てくる。次第に自家用車でフェリー桟橋へやって来る島民もちらほら現れ、再び賑やかになってきた。安藤クンと奥田クンも待合室に出入りする人が出てきたのでいつまでも昼寝をしているわけにはいかなくなった。
 黒島15時45分の「フェリーたかしま2」に乗船したのは我々だけで、桟橋に集まった島民は出迎えや荷物の受け渡しが目的だった様子。フェリーが黒島桟橋を離れると、すぐに船員が乗船券を売りにやって来た。御厨まで680円としばらく500円以下の航路ばかりに乗っていたのでなんだかとても高く感じる。
 例のごとく安藤クンと奥田クンは船室に陣取るが、私は船酔い防止も兼ねて甲板に居座る。御厨まではちょうど1時間の航海なので、船酔い対策は重要だ。どうも船内だと船酔いしやすい体質で、甲板で海風に吹かれているとなんともないのだから不思議な体質だ。甲板から眺める向島や鷹島モンゴル村のある阿翁崎もこれで見納めとなる。
 「フェリーたかしま2」は黒島南端のヒン岬ノ鼻を迂回して、鷹島の西北海岸沿いに航路をとる。甲板からは海上に残る航路跡が道路のように続いているのが見える。これは「船から見える風景100選」にふさわしいのではないかと思い、持参のデジタルカメラのシャッターを何度か切ってみたが、出来栄えの良い写真が撮れなかったので諦める。見覚えのある船唐津に入港すれば鷹島もちょうど一周したことになり、目出度く鷹島を制覇する。青島を経て松浦湾に入れば進行方向左手に松浦火力発電所が視界に入り、ようやく御厨へ戻ってきた。
 御厨桟橋からは御厨駅へ出て松浦鉄道に乗り継ぐのであるが、平日のみ運行される松浦観光の路線バスが、フェリーから眺めた半島状に突き出した星鹿地区を経由して御厨駅へ向かうので外周旅行向きだ。桟橋近くのスーパー「むらべ」で飲み物などを補充し、バスの時刻までしばらくフェリーの待合室で休憩する。やがて2日間お世話になった「フェリーたかしま2」最終便の出航時刻になったので、雑誌を読みふける2人を残して桟橋へ見送りに出る。恋人同士が別れを惜しむ姿があり、ドラマのワンシーンでも見ているようだ。桟橋での別れのシーンは風情がある。フェリーを見送ってから待合室に戻るが、安藤クンと奥田クンの姿はなく、バス停にまわってみると2人の姿があった。最終便が出航されたので、待合室を追い出されたらしい。
 御厨桟橋17時37分発の松浦観光は小型バスで、平日のみ御厨駅と星賀地区を循環運転している。御厨駅へ向かうのであれば、反対回りのバスに乗ればすぐなのだが、どちらのバスに乗っても200円の均一料金。しかも、反対回りのバスに乗るよりも、このバスに乗った方がダイヤの関係で御厨駅には早く着く。運賃の支払い方法がわからなかったので、念のため200円を握りしめて乗車し、白髪の運転手に確認すると前払いとのこと。備え付けの運賃箱に用意していた200円を投げ込む。数少ない利用者層は地元のお年寄りや高校生であり、病院や学校が休みとなる週末は需用がないので運休するのであろう。バスはしばらく海岸沿いを走り、数多くの漁船が係留されている星鹿漁港をひとまわりしてから星鹿の集落をこまめにまわる。湾口に位置する星鹿地区も鷹島と同様に元寇の激戦地であり、当時の史跡がここにも存在しているが、残念ながら今回は訪問している余裕がない。
 星鹿の集落で乗客を少しずつ降ろしていくので車内は次第に閑散となり、やがて我々の貸し切りとなってしまう。運転手は肉声でその都度停留所を案内するので、御厨駅までと伝えてあげようかと思ったが、自分自身への確認のために言い聞かせているようでもあり、余計なことを口にするのはやめておく。
 御厨駅からは再び松浦鉄道の旅となる。御厨18時03分発の373Dもやはり閑散としており、3人で2ボックス席を占領することができる。ゆったりできるのは有り難いが、松浦鉄道の先行きが危惧される。18時17分にわざわざ日本最西端の駅であることを車内放送で強調したたびら平戸口で下車しようとすると、運転手から運賃箱で精算するように声が掛かる。たびら平戸口は数少ない有人駅ではあるが、18時以降は無人になってしまうとのこと。運賃箱に整理券と340円を入れて、私自身は2回目の訪問となる日本最西端の駅に降り立った。
たびら平戸口  かつては平戸口を称していたたびら平戸口駅は、北緯33度21分38秒、東経129度35分01秒に位置する日本最西端の駅として名高い。もっとも、2003年(平成15年)8月10日に沖縄都市モノレールが開業してからは、東経127度39分8秒、北緯26度12分23秒の那覇空港駅に日本最西端の駅の座は譲り渡したはずなのであるが、松浦鉄道では依然として日本最西端の駅を謳い続けている。確かにモノレールは鉄道と言われても一般的には違和感があるし、松浦鉄道としても鉄道ファンを集める貴重な称号を簡単には手渡したくないのであろう。安藤クンと一緒になって「日本最西端の駅」とある標識や駅前の石碑で記念撮影をする。
「もっと大きな駅だと思っていたのに、意外に小さい駅だな」
初めてたびら平戸口に降り立った奥田クンがつぶやく。人口38,000人の平戸市の玄関駅なので、立派な駅舎を想像するのも無理もないが、たびら平戸口駅の所在地である田平町は、2005年10月1日に平戸市と合併するまでは北松浦郡田平町を名乗っていたのだ。つまり、ここは数年前までは平戸市ではなかったのである。駅名を平戸ではなく平戸口としていたのも駅の所在地が田平町であったからだ。ちなみに平戸市の中心は平戸大橋で結ばれた平戸島にあるので、バスで平戸島へ渡れば、街の様子も奥田クンのイメージに近づくであろう。
 たびら平戸口駅では珍しくなった記念入場券も販売されているのだが、営業時間を過ぎてしまったので窓口にはカーテンがかかっている。駅舎の一部を利用した入場料無料の鉄道博物館も18時までなので見学することはできない。外周旅行の行程上、再び平戸へやって来るのは間違いないので、時間があれば再訪してもよさそうだ。
 駅前で写真を撮っているとタクシー運転手から声が掛かる。
「おう!平戸か?500円で行くぞ!いいから乗れって!」
大声で怒鳴り散らしてガラの悪い運転手だ。3キロ以上も離れた平戸島まで500円で行けるはずもなく、1人500円ならバスの方が安い。バスがしばらく来ないなら考えないでもないが、すぐに平戸桟橋行きの西肥バスがやって来ることは事前に調べてあったので無視してバス停に向かう。
 駅前広場を抜けて国道204号線沿いにある平戸口駅前停留所へ向かう。途中に土産物屋が店を開いていたが、広い店内は閑散としており寂しげだ。1977年(昭和52年)に平戸大橋が開通するまでは、田平が平戸島への玄関口であり、国鉄で平戸口まで来てフェリーに乗り継ぐのが一般的であった。しかし、平戸大橋開通後は、平戸へのアクセスはバス利用が一般的なので、駅前での商売は厳しかろう。もっとも、平戸口駅前から乗った18時37分の西肥バスも乗客は皆無で運転手が大音量でラジオを聴いているような状況であった。
 平戸桟橋行きの特急バスは、松浦始発であるため、御厨からこのバスに乗ってもよかったのだが、松浦鉄道への増収協力と最西端の駅へ訪問するという実益を兼ねて松浦鉄道利用とした。バスは田平港フェリーターミナルで青年を1人拾ってから平戸大橋を渡る。平戸大橋は全長665メートルの吊り橋で、国道383号線の一部を構成している。1987年(昭和62年)4月4日に開通10周年を記念して取り付けられたイルミネーションが現在でも点灯しており、幻想的な世界を演出している。平戸城が視界に入って来ると平戸市街地で、信号も増え、街の様子も賑やかになって来る。少しは奥田クンのイメージに近づいてきたのではないか。平戸桟橋バスターミナルまでの運賃は260円だった。
 今宵の宿となる「井元旅館」は平戸桟橋バスターミナルから歩いてすぐの場所にあった。到着するとすぐに夕食で、食堂に足を運ぶとテーブルには我々の分だけの食事が用意されていた。他の宿泊客は既に食事を済ませてしまっているようで、まだ19時前だというのに慌ただしいものだ。予約確認の連絡を入れたときにも、女将さんから到着時刻が遅くならないように念を押されたし、平戸の夜は早いのかもしれない。「井元旅館」では食堂を兼業していることもあり、生ビールがあったので乾杯。刺身だけではなく、焼き魚や平戸牛のステーキが食卓に並んだので安藤クンや奥田クンも大喜び。しっかりと平戸の味覚を満喫した。
 夕食後は、旅館に備え付けてあった温泉割引券を活用してひと浴びしようと、近所にあった「平戸海上ホテル観月館」へ足を運ぶ。今年の外周旅行では初めての温泉で、600円の入浴料が割引券のおかげで400円となる。
「この温泉は数年前に来たことがあるなぁ」
安藤クンはかつて平戸を旅行したときに訪問済みとのことで、それならば広い館内の案内を安藤クンに任せる。フロントから宴会場の廊下を通り抜けたところが浴場で、「水族館大浴場龍宮」と「海望露天風呂島の湯」の2つの浴場がある。「海望露天風呂島の湯」が今回のお目当てであるが、「水族館大浴場龍宮」というのもユニークだ。もちろん両方を試すのは当然であるが、2つの浴場はそれぞれ独立しているので、その都度着替えなければならないという煩わしさがある。
 最初に試したのは「水族館大浴場龍宮」で、浴場の壁面がガラス張りになっており、その向こうには平戸近海に生息する魚が泳いでいる。ホテルの浴場だけに、水槽の魚は数日後には刺身になっているのではなかろうかと不埒なことを考えてしまう。物珍しさもあり面白かったのだが、洗い場の正面も水槽で鏡がないのは不便だなと感じた。
 「海望露天風呂島の湯」はイメージ通りで、日が暮れて景色がほとんど楽しめないのは残念だが、平戸大橋のイルミネーションが輝いているのが救い。ナトリウム炭酸水素塩泉・ラジウム泉の温泉に浸かって旅の疲れを癒した。

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