第90日 西泊−豆酘
2006年7月29日(土) 参加者:安藤・奥田
5時過ぎに携帯電話のメールの着信で目が覚める。メールの主は今日から外周の旅に合流する安藤クンで、今から東京の自宅を出るという。羽田から福岡経由で対馬まで航空機利用だとわずか半日で東京から対馬まで来られるのだから恐れ入る。もっとも、航空機利用ではるばる対馬まで来たという感慨は味わえないだろう。
朝食を済ませて民宿西泊を7時半に出発。今日は対馬の西海岸を南下するのが基本ルートであるが、週末の2日間だけ対馬にやって来る安藤クンのために変則ルートを導入したが追々説明する。まずは、外周の旅の出発直前に偶然ホームページで見付けた結石山森林公園に向かう。結石山森林公園は、比田勝から峠を越えた西海岸の河内集落近くにある。集落を抜けたところで国道382号線を右折して山道を登ると駐車場があった。駐車場から舗装された遊歩道を登っていくと結石山城跡の案内板がある。標高1,584メートルの結石山には、豊臣秀吉の朝鮮出兵当時の出城が築かれていたとのことで、単なる森林公園ではなく、歴史的にも由緒のあるところであることを知る。結石山の頂上からも韓国が見えるとのことであったが、あいにく霧がかかっていて朝鮮半島は確認できない。むしろ結石山からは対馬の山々の眺めが壮大であった。
再び国道382号線に戻って南下。佐須奈という集落にある島大国魂御子神社へ足を記す。島大国魂とは、対馬の国魂神のことで、対馬の聖人と呼ばれ対馬の自給自足の農地改革を目指した陶山訥庵は島大国魂御子神社を御嶽の神とみなしたとのこと。まだ静まり返っている境内の階段を登り、早朝の参拝を済ませて先を急ぐ。安藤クンを出迎える手順があるので、あまりのんびりとはしていられないのだ。
本来であれば異国の見える丘展望台、棹崎公園に向かうのであるが、こちらは安藤クンが合流するまで温存し、対馬で最も古い大将軍山古墳を目指す。大将軍山古墳へは、国道382号線を中山口停留所近くの脇道を入れば近いのであるが、脇道は道路工事のため通行止めとなっている。時間的なロスを覚悟で仁田の集落まで10キロ以上も迂回して、大将軍山古墳にたどり着いたが、案内標識だけはしっかり立っているものの、周囲は雑草が生い茂っており、対馬観光物産協会が発行しているパンフレットで案内されている板石を組んだ4世紀頃の箱式石棺は見当たらない。駐車場もなく、細い道路にレンタカーを停めていたが、後続車両がやってきたので早々に退散。パンフレットで紹介するのもいいが、もう少し現地の手入れをして欲しいものだ。
鹿の姿がない鹿牧場を経て木坂展望台に到着すると濃霧がひどくなって視界がきかない。時刻は9時50分で安藤クンは福岡空港に着いた頃だが、濃霧で対馬便が欠航するのではないかとにわかに心配になる。安藤クンに連絡を取ってと思ったのだが、電波の状態がよろしくなく、連絡ができない。展望台からは対馬海峡が広がっているはずであるが、かすかに波の音が聞こえるだけで、視界は真っ白。今回の旅は天候に恵まれていたはずであるが、対馬は濃霧が多いらしい。
運転に飽きたという奥田クンに代わってハンドルを握る。木坂展望台から3分程下ったところにキャンプ場を備えた御前浜公園が待っていたが、キャンプをしている人は誰もいない。御前浜公園は特段に見物するものもなさそうなので、隣接した海神神社へ。御前浜公園には広い駐車場があるが、海神神社には駐車場がないので、入口近くに路上駐車する。今年6月1日から道路交通法が改正され、駐車時間にかかわりなく、違法駐車として取り締まりの対象となったので少々気掛かりであるがやむを得ない。
すぐにレンタカーに戻ればいいと思って足を向けたが、意外にも境内は広い。天然記念物の原生林に覆われた約270段の階段を登り切るとようやく立派な神殿が現われる。海の守護神である豊玉姫命を祀り、現在でも対馬の漁民の信仰を集めているそうだ。神功皇后がこの地に立ち寄り、神の山と言われる伊豆山の麓に幣を捧げ、山雲を拝したと伝えられているだけあて歴史は古い。宝仏殿には新羅仏などを収蔵しているとのことだが、残念ながら見学できる様子はない。
汗だくになってレンタカーに戻る。奥田クンは「駐車禁止のステッカーが貼られているな」とニヤニヤしているが、そうなったら反則金は折半だ。幸いにもレンタカーが取り締まりを受けた様子はなかった。
三根湾沿いにレンタカーを走らせて国道382号線に戻り、峰町歴史民俗資料館を見学する。我々が入館すると慌てて職員が館内の照明を点け、その程度の来客しかないのだ。入館時に代表者の署名を求められたが、奥田クンが勝手に私の名前を書いたのは遺憾。
資料館を見学すると、峰町には縄文、弥生時代の遺跡があり、古墳や塚の出土品の土器、石斧や銅剣類など埋蔵文化財が数多くあることがわかる。ただし、埋蔵品は整理が不十分で、資料館の展示ケースには無造作に羅列されているものも多い。宗家が島府を最初に開いたのも峰町であり、昨日訪れた円通寺も近い。等身大の人形を使って昔の民家の台所風景や機織、漁業の様子も紹介されており、無料の施設にしては充実していた。
道に迷いながら唐州崎の廻集落を経由して安藤クンとの待ち合わせ場所である糸瀬口停留所へ急げば、バス停の脇にポツリと立っている安藤クンの姿があった。どうやら対馬便は無事に就航したようだ。無事に安藤クンと合流し、対馬観光のメインとなる和多都美神社と烏帽子岳展望台を目指す。途中で奥田クンが昨日に引き続き腹が減ったとスーパーへ昼食を買いに走る。仲間内ではどちらかと言えば食が細かった奥田クンがいつの間にか大食漢に変貌していたのは少々驚きでもある。
お昼過ぎの和多都美神社は対馬を代表する観光スポットなので、観光客の姿もあるのではと思ったが、こちらも先客はいない。どうやら対馬の観光は釣り客か海水浴客ばかりで、観光スポットをめぐる人は少数のようだ。和多都美神社の象徴は浅茅湾から本殿に続く5本の鳥居で、そのうち2本は海中に立っている。
和多都美神社も海神神社と同様に海の守護神である豊玉姫命とその夫である彦火々出見尊も一緒に祀られている。豊玉町という地名の由来にもなった豊玉姫命は海幸彦山幸彦の神話に登場する。海幸彦山幸彦の神話を簡潔に紹介すると、海幸彦と山幸彦は兄弟であったが仲が悪く、山幸彦が兄の海幸彦の釣り針を無くしたことが原因に家を追い出される。やがて豊玉姫命と結婚した山幸彦が、兄の海幸彦に対して報復を果たしたといお話。原文を読んだわけではないが、まともなストーリーではないと感じるのは私だけではないだろう。安藤クンは最近になって御朱印を集め出したとのことで、和多都美神社の社務所で声を上げるが人の気配がない。御守りやお札が置かれたままであるが、失敬するような罰当たりの輩は現われないのであろう。安藤クンは御朱印を諦めた。
続いてレンタカーで5分程の烏帽子岳展望台へ。こちらも先客はなかったが、さすがに驚かなくなった。対馬の観光地で観光客に出会う方が驚きなのだ。木坂展望台では濃霧に包まれていたが、こちらは快晴で無数に点在する小島、入り江と岬が幾重にも入り組むリアス式海岸が眼下に広がる。明日はこのリアス式海岸のクルージングを楽しむ予定だ。
貝鮒の集落に挨拶して国道382号線を一転して北上。わざわざ週末を利用して対馬まで足を運んでくれた安藤クンに敬意を表して、対馬北部のメインスポットへ案内する計画だ。烏帽子岳展望台から1時間少々レンタカーを走らせてたどり着いたのは異国の見える丘展望台。異国とはもちろん韓国のことで、晴れた日には釜山の街並みが望めるという。今日も晴れているが、釜山の街並みが望めるどころか、かろうじて朝鮮半島の影が確認できる程度だ。夏は霧がかかってほとんど韓国が見えることはないのである。
さらにレンタカーで10分程の棹崎公園へ移動する。棹崎公園には日本最北西端の碑という外周旅行では外せないポイントと絶滅の危機にある天然記念物ツシマヤマネコを見学できる対馬野生生物保護センターがある。棹崎公園の駐車場に入れば、何台かの駐車車両があり、対馬に来てようやく観光客が集まっているところに来た。
まずは天然記念物のツシマヤマネコを見物しようと対馬野生生物保護センターへ。対馬野生生物保護センターは環境省の管轄する施設で、2003年(平成15年)12月9日よりツシマヤマネコの一般公開を始めた。ヤマネコと聞くと沖縄県西表島のイリオモテヤマネコが有名であるが、ツシマヤマネコもイリオモテヤマネコよりも絶滅の恐れが高い品種とされている。館内に入ると最初にツシマヤマネコを見物するに際しての注意を喚起するためのビデオの閲覧が義務付けられる。一般公開されているツシマヤマネコは、ネコ免疫不全ウィルス(FIV:通称ネコエイズウィルス)に感染しているため、他のヤマネコにFIVが感染しないように野生復帰を断念し、飼育が続けられているとのことで、過度のストレスを与えると病気が発症する危険があるそうだ。厳重な管理体制に少々緊張感を持ってツシマヤマネコの見学ルームへ。見学ルームに入れる人数も制限されており、大勢の見物客が押しかけてツシマヤマネコにストレスを与えないように配慮している。我々は3名のグループだったので、全員で一緒に見学ルームに入ることができた。一般公開されているのはオスのツシマヤマネコで「つしまるくん」と命名されている。「つしまるくん」は胴長短足で尾が太くて長く、決してスタイルが良いとは言えないが、これは「つしまるくん」が太っているからではなく、ツシマヤマネコ全般にあてはることのようだ。耳の後ろに白い斑点があるのツシマヤマネコの特徴だという。実は午前中に女連の立石で有名な女連の集落でツシマヤマネコではないかと思われる猫に遭遇した。模様が観光パンフレットなどで紹介されているツシマヤマネコに似ていたので、勝手に野生のツシマヤマネコを見たと思い込んでいたのであるが、今から思い返すと少々スマートだったような気がする。もっとも、野生だったのでセンターで保護されている「つしまるくん」よりもスリムであってもおかしくはなく、どうせ自己満足に過ぎないので野生のツシマヤマネコに出会ったことにしておく。
冷房の効いた館内から外へ出ると蒸し暑さに襲われる。汗をかきながら棹崎公園内にある日本最北西端の碑を目指す。思えば2003年7月31日、外周の旅の第76日目に本州最西北端の地として山口県の川尻岬に到達し、約3年の歳月を経て今度は日本最北西端の地へやって来たわけだ。川尻岬が「最西北端」、棹崎公園が「最北西端」と北と西の順序が違うが、方角を表わす場合にどちらが正しいのか定かではない。最北東端の地は聞いたことがないが、北方領土を除けば知床半島の先端が該当するのではなかろうか。こちらは11年前の1995年8月14日、外周の旅の第34日目に知床観光船「おーろら2号」の船内から丘の上に建つ知床灯台を眺めた。
小さな子供を連れた家族連れの姿が多い棹崎公園のツバキ園地を抜けると目指す日本最北西端の地に到達。記念碑の前で安藤クンが持参した携帯用三脚を利用して3名で記念撮影をする。
「外周の旅の写真はいつも誰かがカメラマンになるので、参加者全員で撮影した写真がほとんどないでしょう。部屋を整理していたら三脚が見付かって、これは使えると思ってね」
日本最北西端の記念碑の隣には紅白の棹崎灯台が待っており、もちろん灯台にも挨拶する。日本最西北端の地の隣に位置する灯台なので、差し詰め日本最北西端の灯台を名乗ってもよさそうであるが、海上灯台が他にあるのかもしれない。
棹崎公園からはハンドルを安藤クンに譲り、定番の助手席に落ち着く。北上してきた国道382号線を再び南下し、浅茅湾に浮かぶ対馬の属島のひとつである島山島に足を延ばす。対馬とはあそうパールブリッジにより結ばれており、陸続きになっているのだ。かつては対馬特有の石屋根などに利用された島山石を産出していた地で、現在は堆肥の製造、キクの栽培などが盛んに行われている。もっとも、歴史に興味がある奥田クンが島山島で注目したのは島左近の墓だ。島左近は石田三成の重臣で関ヶ原の戦いで西軍の先頭に立って戦った武将と言われている。石田三成は常に自分の知行の半分を与えるという前代未聞の厚遇で島左近を迎えたそうだ。関ヶ原の戦いで戦死した武将の墓が遠く離れた対馬にあるのは不可解であるが、島左近がここ島山島の出身であったことから墓が建立されたらしい。もっとも、島左近の出身が島山島であるというのも諸説のうちの一説に過ぎず真相は定かではない。
再びあそうパールブリッジを渡って対馬の南北を結ぶ万関橋を再訪。バスで万関橋を素通りした安藤クンに配慮したのだ。駐車場には対馬グランドホテルの大型観光バスが停車しており、対馬に来て初めて団体客を見掛けた。昨日と同様に橋の中央にある展望所から運河を見下ろしていると、観光バスの団体客がぞろぞろと橋を渡ってくる。
「あの服装は日本人じゃないな」
奥田クンが推察すると、やがて中国語とも韓国語とも判断できない会話が聞こえて来た。
今日も昼食を摂らずに強行軍となったため、対馬空港近くのモスバーガーで遅い昼食とする。対馬に来てモスバーガーもなかろうが、対馬には観光客を対象とした飲食店があまり見当たらないうえ、食べ過ぎると夕食にも影響するのでモスバーガーに落ち着いたのだ。私は期間限定商品の「ナン・タコス」(360円)を注文。安藤クンは姉妹品の「ナン・カリー」(360円)を注文した。一人だけ昼食を済ませていた奥田クンは「玄米フレークシェイク抹茶小豆」(330円)を舐めている。
腹ごしらえをするといよいよ対馬南部の旅が始まるが、時刻は既に17時を回ったところであり、寄り道をしている時間はなくなった。ひたすら今宵の宿となる美女塚山荘を目指すことになる。到着時刻を連絡するために電話をすれば、「日暮れまでに到着しないと周囲が真っ暗で迷いますよ」と警告された。
鶏知の集落から国道382号線と分かれた県道24号線を進む。訪問予定だった金田城址への入口の標識があったが、こちらは明日へに譲ることにする。海辺の道路になったかと思えば突然険しい山道になるなど、変化に富んだドライブとなる。元寇古戦場として名高い小茂田浜を経て、鶏知から1時間20分程で椎根の集落に入った。椎根には長崎県の有形文化財にもなっている椎根の石屋根倉庫がある。対馬の伝統的な建築物で、時間はないが通り道なので石屋根倉庫だけは見学しておきたい。標識に従って狭い路地に入り込めば、椎根川沿いには石屋根倉庫群が現われた。対馬は暖流に囲まれた島ではあるが、秋になると「あなじ」と呼ばれる肌に突き刺さるように冷たく強い北西風が吹く。特に朝鮮半島に向き合う西海岸は荒波と強風が容赦なく襲いかかるため、島内で産出する板状の砂岩で造った頑丈な石屋根倉庫が必要であったのだ。石屋根倉庫は高床式で、柱は丈夫なシイ材。壁や床、天井にはマツ材が用いられている。秋に収穫した穀類や食糧を貯蔵する倉庫としてだけではなく、家々の調度品などを収納する蔵の役割も担っており、集落から少し離れた場所に建てられているのは、火災による被害を防ぐ目的もあったようだ。見学用の1棟を除き、まだまだ現役で利用されているのには驚く。
椎根からはしばらく海岸沿いの道路が途切れるので、内陸部の山中をさまようことになる。道路もかなり複雑なので、こんなときはカーナビが役に立つ。最近のレンタカーはカーナビ搭載が標準になりつつあるので有り難い。バス路線があるのが信じられないような山道を30分も徘徊すると再び海に面した上槻という集落に出る。美女塚山荘までの道のりで最後の集落となる佐須瀬の集落で晩餐用の酒類を買い込んで、なんとか日没前の19時に美女塚山荘に到着した。
美女塚山荘は対馬南端に位置する豆酘集落の近くにあるペンションで、秘境のペンションとしてはもちろん、利用者の評判も良かったので宿泊地に選んだのだ。外周の旅で山荘と名の付くところに宿泊するのは異例だ。ところが、評判というのは当てにならない。周囲の雰囲気に満足して指定された夕食時刻に食堂へ赴けば食事が用意されておらず、慌てて準備を始める始末。しばらく時間がかかりそうなので一旦部屋に引き上げれば、「用意ができました」と連絡が入る。それならと再び食堂へ足を向ければ、まだ用意ができていない。翌日の朝食も同じような顛末で、美女塚山荘のスタッフのいい加減さに閉口する。極めつけは対馬パスポートの特典。宿泊料金7,500円の10%割引を宣伝しながら、実際の値引き額は500円のみ。7,500円の10%割引なら750円ではないかと問いただせば、「素泊まり料金5,000円の10%なので500円です」との返事。だったら誤解を受けないように500円引きと明示すべきだ。昨日の西泊荘ではきちんと1泊2食付きの料金から10%割引にしてくれており、美女塚山荘だけが他の宿泊施設と歩調を合わせずに詐欺まがいのことをしていると、他の宿泊施設まで印象が悪くなりかねない。対馬最後の夜を気分良く過ごすつもりで予約した美女塚山荘で不快な思いをし、夜は佐須瀬で買い込んだ酒で悪酔いした。
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