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第87日 福岡−福岡

2005年7月31日(日) 参加者:奥田・福井

第87日行程  早朝6時に起床するが外は雷雨。今日は姪浜港から玄海灘の真っ只中に位置する小呂島へ渡る予定であったが、この調子では欠航になるかもしれない。天候ばかりはどうにもならないが、回復することを祈りつつ福井クンを連れ立って平和台ホテル荒戸別館の食堂へ。食堂には既に奥田クンの姿があった。
朝食は食パンにちょっとしたサラダ、オレンジジュースにコーヒーというメニューであるが、ツインルームで6,825円(1人あたり3,412.5円)という安さなのだから贅沢はいえない。食堂のテレビで天気予報を見れば、次第に天候は回復傾向とのことで、問題は出航までに天候が回復するかである。
 小呂島は人口230人程度の小さな島で、民宿などの宿泊施設はもちろんのこと、漁協の購買所以外には何もないとの情報をキャッチしていたので、ホテルの近くのセブンイレブンで昼食用のパンを買い込む。ところが奥田クンと福井クンは「何とかなる」と楽天的で未だに離島の実情を理解していない。今日は日曜日だから漁協の購買所だって開いているかわからない。食料をねだってきたら高く売りつけることにしよう。
 荒戸一丁目から5分遅れでやってきた西鉄バスで姪浜港こと能古渡船場へ。姪浜港からは能古島へ渡る渡船も出ているので能古渡船場と呼ばれている。能古島行きの渡船が出ているから能古渡船場とはわかりやすいようでややこしい。能古島にある渡船場はどのように表現するのであろうか。
 8時40分に姪浜港に付くと雨はすっかり上がって青空が見える。小呂島行きの福岡市営渡船「ニューおろしま」は予定どおり9時ちょうどに出航する様子。小呂島へは1日1〜2往復しか便がなく、日帰りをしようと思うと2往復する木曜日か土曜日、日曜日でなければならない。そんな理由もあって行程上は変則的ではあるが小呂島行き最終日の日曜日に設定したのである。 ところが、コインロッカーに荷物を預けて乗船券を購入しようとするとトラブルが発生。窓口の係員は乗船券を売ってくれない。
「小呂島には何しに行くの?仕事ですか?」
何もないところに遊びに行くというのも変な話だが仕事ではないので観光と答える。
「用事がないのなら止めなさい。帰りの便が出るかわからないよ」
前回の相島と同じパターンであるが、相島は台風が接近していたのだからやむを得ないものの、今回は天候が回復する予定だ。波が高いのか尋ねていると他の職員が話しに割り込んできた。
「このあたりの天気が良くても小呂島の天気がよいとは限らない。1週間くらい欠航することもある。出航するかどうかは30分前までわからない。小呂島には宿泊施設もないのだから、それなりの準備をしてもらわなければ乗せられない」
帰りの便は間違いなく出航しそうな様子であるが、職員がこれほどきっぱり言うからにはそれなりの理由があるのであろうか。どうしようか思案しているとバスに一緒に乗り合わせていた兄ちゃんが声を掛けてくる。
「今までいろいろな島へ行ったけど、この程度の天候で出航できないなんていうのはおかしい。奴らは公務員だから後で責任をとらされるのを恐れているだけだ。俺はあんな脅しには屈しない」
離島めぐりを趣味にしていると思われる兄ちゃんは、小呂島までの往復乗船券を窓口の係員から奪い取るように購入して「ニューおろしま」に乗り込んだ。それならば、我々もと威勢よく乗り込みたかったのであるが、3人とも翌日に仕事を控えているのでそうもいかない。結局、9時出航の「ニューおろしま」を待合室から見送ることになった。「ニューおろしま」は何事もなかったかのように姪浜港を出航していく。
 さて、9時の便を見送ってしまった以上、今回は小呂島へ行くことはできない。仕方なく9時15分の便でもうひとつの目的地である能古島へ向かう。能古島は博多湾に浮かぶ周囲12キロ、人口800人の小さな島で、島民は半農半漁の生活をしているが、姪浜から約10分と手頃な距離にあるため、観光業も盛んな島だ。海水浴場やキャンプ場だけではなく、アイランドパークといったレジャー施設もある。能古島行きの「レインボーのこ」には小学生の集団などたくさんのレジャー客が乗り込み大盛況だ。博多湾内の島なので、よほどのことがなければ欠航の心配もないのである。
 夏の太陽の日差しを浴びながら、わずか10分で能古島へ上陸。小学生の集団をはじめ、ほとんどのレジャー客は用意された自家用車やマイクロバスに乗り込み渡船場を去っていく。おそらくキャンプ場へ向かうのであろう。我々もじっとしていても仕方がないのでまずは渡船場に近い能古島博物館へ足を向ける。
早朝の雨で地面がぬかるんでいる小道を登っていくと白い洋館が現われた。能古島博物館は本館と別館に分かれており、本館には能古島の自然や歴史、別館には能古島出身の画家多々羅義雄氏の作品が展示されている。入館料400円を支払って本館から見学。9時30分に開館したばかりで冷房が十分に効いておらず蒸し暑い。
 本館には3つの展示室があり、第一展示室には姪浜出身の江戸時代の儒学者亀井南冥と南冥一門の資料や書画などの作品が展示されている。亀井南冥は「海西の巨儒」と称され、福岡藩西学問所の甘棠館を創設したとのことであるが、甘棠館という名は初めて聞く。東学問所の修猷館は名高いのにどうしてだろうと疑問に思ったが、甘棠館は1798年(寛政10年)に焼失し、修猷館に編入されてしまっていたのだ。修猷館は福岡の県立高校として現在にも名を残している。また、亀井南冥は金印を鑑定したことでも有名で、1784年(天明4年)に志賀島で金印が発見されると、「後漢書」に「建武中元二年、倭奴国、奉貢朝賀す。使い人は自ら大夫と称す。倭国の極南界也。光武賜るに印綬を以てす」という記述と一致すると考え、すぐに金印の保存に乗り出したという。
 第二展示室には、壱千石積弁才船の模型が展示されており、江戸時代博多湾内の西にある残島(能古島)、今津、浜崎、宮浦、唐泊の五つの浦で廻船業を営んでいた筑前五ヶ浦廻船とのこと。筑前五ヶ浦廻船は福岡藩の御用船として藩米の運搬のあたる一方で、新しい情報をもたらす役割をも担っていたようである。
 第三展示室には国指定天然記念物「長垂のペグマタイト」が展示されていた。ペグマタイトとは、花崗岩質の岩石やその周囲の変成岩中に脈状に産する主として石英、長石、雲母からなる粗粒の火成岩で、巨晶花崗岩または鬼みかげとも呼ばれる。紅電気石や紫雲母などは日頃は目にすることのできない珍しい鉱山とのことであるが、その方面の知識には疎いのでさっぱりわからない。天然記念物の名前に冠されている「長垂」も、能古島の対岸に位置するJR筑肥線下山門−今宿間に位置する標高118.5メートルの長垂山のことであり、能古島のことではないようだ。
 展示室をひとまわりするとティールームがあり、福岡タワーや福岡ドーム、大観覧車が見える。せっかくなのでモーニングコーヒーでもと考えたのだが、まだ準備中の雰囲気だったので見合わせた。
 別館は博物館というよりは美術館の装い。能古島出身の画家多々羅義雄氏の作品が展示されている。作品は油彩やデッサン類が多い。所蔵品数も豊富なようで、季節毎に展示作品を入れ替えているそうだ。別館の一部には多々羅義雄氏のアトリエが再現され、遺品も展示されていた。
 別館を後にして渡船場方向に戻る。能古博物館の敷地内には江戸時代の能古焼古窯跡があり、福岡市指定文化財にもなっている。能古焼という作品も初耳であるが、江戸時代中期に開窯したとのこと。7室の大型連房式登窯は全国的にも希少とのことであるが、約20年間という短期間で閉窯された窯もまた希少であろう。当然に作品数も少ないため能古焼作品というだけでまぼろし扱いされているらしい。
 渡船場に戻ってみたが、能古島の北端に位置するアイランドパークへ向かうバスまで30分以上時間がある。地図を確認すれば、バス路線は渡船場よりも2キロ程南西に位置する龍の宮まで入っているので、この際、龍の宮までバスを迎えに行くことにする。龍の宮へ行く途中には蒙古塚もあるので挨拶しておこう。渡船場の南側にある漁港を抜けて、堤防沿いの道路を歩く。道路を歩いていると堤防に視界が遮られるが、堤防の上を歩けば対岸が良く見える。30分近く歩くと磯辺公園という小さな広場があり、その横に目指す蒙古塚があった。元寇の無縁仏を葬っているとのことで、鎌倉幕府軍が今宿に石塁を築いて防衛したのであれば、能古島は蒙古軍に占拠されていたのではなかろうか。
 蒙古塚近くの空き地に西鉄バスが1台停まっており、運転手が昼寝をしていたので次のアイランドパーク行きであることを確認する。能古島には龍の宮−アイランドパーク間の1路線しか運行されていないので、乗り間違える可能性はないが、龍の宮停留所の位置がわからずに右往左往していたのだ。運転手への確認で我々が迎えに来たバスであることは判明したが、始発となる龍の宮停留所は数百メートル渡船場方面に戻ったところにあるという。どうせならここで乗せてくれれば良さそうなものであるが、運転手は「停留所で待っていてください」とつれない返事。田舎であれば便宜を図ってくれる運転手が多いのであるが、ここは離島と言っても福岡市内。下手にお客に融通を図れば監督官庁からお叱りを受けるのかもしれない。
 停留所名や時刻表が判読できず、廃止されたバス路線ではないかと疑いたくなるようなポールの立つ龍の宮停留所から10時29分発のアイランドパーク行き西鉄バスに乗り込む。始発であるにもかかわらず、3分遅れでやって来たのは遺憾で、先の運転手が少々寝過ごしたか。それだけ我々は炎天下で待ちぼうけの憂き目に合っている。
 渡船場前で市営渡船からの乗り継ぎ客を拾った後、バスは能古島の背骨にあたる山道を縦断する。かなり起伏の激しい島で、渡船場ではレンタサイクルもあったが、バス利用で正解だったようだ。終点のアイランドパークまでの所用時間は龍の宮からわずか13分であった。
アイランドパーク  1,000円の入場料を支払いアイランドパークの園内マップを手にすると意外に広い施設であることがわかる。小呂島の訪問時間がそのまま能古島滞在時間に加算されたので、今日の行程にはかなりゆとりがある。時間を気にする必要はなくなったが、セオリー通りに最も遠いポイントから順番に見学していくことにする。まずは園内を縦断して能古島北端の也良岬に近いのろし台へ。天気は快晴で青い海の先には訪問するはずだった小呂島も確認できる。海も穏やかでこれなら間違いなく帰りの便も出航するであろう。姪浜港の職員の無責任な発言で大きな予定変更を強いられてしまったことが腹ただしい。
 のろしは煙や火を使った通信方法で、防人も外寇や内乱などの緊急時の連絡手段として活用していたという記録が「日本書紀」にも残されている。もっとも、アイランドパーク内に設置されているのろし台は復元に過ぎないので出入りも自由。石積みの遺跡のような造りで興味深い。すぐ近くには「防人の里」という一戸建てのコテージが並んでおり、宿泊もできる。冷暖房やバス・トイレ完備とのことで、およそ防人の生活とは無縁の施設だ。
 時刻はまだ11時を過ぎたところであるが、「レストラン防人」が開店していたので、海を眺めながら早めの昼食とする。旬の魚や野菜を利用した定食も用意されていたのであるが、魚は民宿で散々食べたので「ジャンジャン麺セット」(1,000円)を注文する。食券方式で各々が別に注文したにもかかわらず、3人とも同じメニューであったのは奇遇だ。多少時間がかかるとのことであったが、冷房の効いた店内でゆっくり休めるのだから文句はない。「レストラン防人」にはテラス席も用意されているが、我々は冷房の効いた座敷に落ち着く。時間が早いため収容80名の大広間にいるお客は我々の他に家族連れが1組だけしかいなかった。
 辛めの肉味噌が特徴の「ジャンジャン麺セット」を平らげて園内の散策を再開。博多の古い街並みを再現した「思ひ出通り」には、明治から昭和初期の建物が復元されたり、移築されたりしている。純粋な見学施設ではなく、それぞれがお店になっているのが特徴。能古焼の再現を試みたのであろうか、和窯(かのうがま)という能古島で唯一の窯元もあり、ろくろを回して自分で陶器を造ることもできる。囲炉裏やかまどのある昔の民家を移築した百姓屋では、戸棚や書籍などもそのままで当時の雰囲気が漂っている。もっとも興味を惹かれたのは「思ひ出や」というお店で、建物自体にはそれほど特徴はなさそうであるが、店内はタイムスリップをしたかのような懐かしいおもちゃが並んでいる。紙風船、ビー玉、ブリキの金魚や紙石鹸などもある。小学生の頃に近所の駄菓子屋などで売っていたような商品も並んでおり、知らず知らずのうちに時間を過ごしてしまった。
 小さな子供に人気のあるやぎの家やうさぎ園に立ち寄りながら一旦出入口に戻り、今度はお花畑の広がる園内の南部を散策。18ホールが整備されているパターゴルフがあり、福井クンは興味を示したが、炎天下の中でプレーをする気はなさそう。園内にはアスレチックやサッカーゴールを備えた広場もあり、運動公園としても機能している。
「こんなところでキャッチボールをしたいな」
就職してからも草野球チームに所属してプレーを続ける奥田クンがつぶやく。アイランドパークでは、各種運動用具のレンタルもしており、サッカーボールやバレーボール、バトミントンのほかに野球道具や竹馬も用意されている。能古島へ旅の初日に訪問していたら一汗流そうということになったのかもしれないが、昨日の加唐島での強行軍もあり、疲労はピークにきている。結局、園内を一周したところでアイランドパークの散策を打ち切り。自家製の甘夏ジュース(200円)で喉を潤し、12時50分の西鉄バスに乗り込む。
 再び能古島の背骨を縦断。途中に展望台入口という停留所があり、能古島の中心に位置するところに展望台がある模様。しかしながら、能古島からの眺望は能古島博物館やアイランドパークでも堪能しており、あえて山道を登って展望台へ行く気は起こらない。そのままバスを乗り通し、渡船場の手前にあるコーヒー園入口で下車。珍しい熱帯植物を見る事ができるという能古夢珈琲園へ向かう。能古夢珈琲園に関する情報はアイランドパークのバス待合室で偶然に案内を見掛けたのがきっかけだ。バス停からしばらく海岸線に沿って北上し、やがて手書きの看板の案内に従って内陸部へ折れる。バス停から10分程歩いて目指す能古夢珈琲園にたどり着いた。
能古夢珈琲園  能古夢珈琲園はビニルハウスが並んだ施設で、入園料は500円と結構な値段。もっとも、入園者にはコーヒーが1杯サービスされるので、入場料もコーヒー代を含めた設定となっているのだろう。入園時にホットとアイスの好みを訊かれたのでもちろんアイスを選択する。
 真夏のビニルハウスなどサウナ状態ではないかと覚悟していたが、風通しを良くするためにところどころのビニルハウスの窓が開けてあり、気持ちの良い風が吹き抜ける。能古夢珈琲園のコーヒーの木は、ブラジルの苗を移植し丹念に育成されたものとのこと。ちょうど5〜8月がコーヒーの花が開花する季節であったが、コーヒーの実がなるのは11〜3月の冬の季節。開花後に小さな緑色の実が数ヶ月で黄色っぽくなり、6〜8ヶ月で赤くなり、さらに紫色帯びた深紅色に熟して初めて収穫されるという。花だけを眺めても本当にコーヒーの実が採れるのか疑問に感じるが、地面に落ちていた実のにおいを嗅ぐと微かにコーヒーの香りがした。
 能古夢珈琲園にはコーヒーの木だけではなく、常時数十種類の南国植物が育っている。この季節はゴクラクチョウカ、ブルメリア、ルプラが見頃。日本では見ることがまれな植物であるとのことだが、植物に関する知識に疎いのでさっぱりわからない。秋になればマンゴーやパパイヤ、シャカトウなどの果実が熟れはじめ、この時期に来れば果実を食べたり持ち帰ることもできるそうだ。
 見学を終えて冷房の効いた喫茶ルームで能古夢珈琲園のコーヒーを味わう。お土産として能古夢珈琲園コーヒークッキー(210円)が売られていたので1袋購入し、お茶請けならぬコーヒー請けに提供した。その他に園内で採れたコーヒー豆やコーヒーの苗などを販売しており、ギフトセットの全国発送もしているようだ。デヴィ夫人のサイン入り色紙が飾られていたのは意外。
 渡船場に戻ると14時の姪浜行き市営渡船に間に合う。乗船までの待ち合わせ時間を利用して渡船場の待合室にあるスタンドで名物の能古うどんを賞味してみようと考えていたのだが、能古うどんは茹で上げるのに時間がかかるため、14時の市営渡船に間に合うようには調理できないというので断念。まあ、いつもの離島と異なり交通の便は良いのでまた訪問する機会もあるだろう。
 姪浜港に到着するとすっかり予定がなくなった。外周の旅とは無関係であるが、せっかくなので大宰府にでも足を伸ばしてみるかと問い掛けるが、2人ともあまり乗り気ではない。それならば姪浜港の対岸にあるマリアシティ福岡の大観覧車に乗ってみることにしよう。能古島からも観覧車の姿が気になっていたし、昨年訪問した海の中道公園の観覧車と同様に福岡湾が一望できて景色が良さそうだ。姪浜港にかかる西福岡マリナ大橋を渡り、マリノアシティ福岡へ。橋の上から姪浜港を眺めていると見覚えのある「ニューおろしま」が入港するところで、やはり天候に問題なく航行されたのだ。次回はいい加減な姪浜港の職員の話には絶対に耳を傾けまい。
 マリノアシティ福岡は最近の流行のアウトレットモール中心とした複合商業施設で、スポーツやカー用品、インテリア、ベビー用品の大型専門店などが入居している。おもしろいことに2基の観覧車が並んで設置されており、博多湾に並行に設置されているのが高さ120メートルの「SKY DREAM FUKUOKA」。博多湾に垂直に設置されているのが高さ60メートルの「スカイホイール」だ。両方の観覧車を乗り比べるなどと言い出せば2人から非難を浴びるのは間違いないので、大きな「SKY DREAM FUKUOKA」を選択。それにしても同じ敷地に2基の観覧車を並べるとはどういうコンセプトなのだろうと疑問に感じていたが、すぐにその理由は判明。「スカイホイール」はマリノアシティ福岡の施設であるのに対して、これから乗ろうとしている「SKY DREAM FUKUOKA」は、マリノアシティ福岡ではなく、隣接するエバーグリーンマリノアの施設であったのだ。エバーグリーンマリノアはマリノアシティ福岡の北側に隣接する複合エンターテイメント施設で、マリノアシティ福岡の買い物客を取り込むために相乗りしたような施設だ。
 800円を支払ってゴンドラに乗り込めば嬉しいことにエアコンが装備されている。これには文句を言っていた奥田クンも感激。眼下には玄海灘が広がり、昨年登った福岡タワーや福岡ドーム、百道エリアの都市景観をはじめとする福岡の街並みを一望できる。今年3月20日に発生した福岡県西部沖地震により、昨年訪問した玄海島は壊滅的な被害を受けたと聞いたが、福岡市街の影響は限定的であったようだ。
 約20分のゴンドラ遊覧を終えると再び姪浜港に戻り、コインロッカーから荷物を回収する。15時45分の都市高速経由博多駅行きの西鉄バスに乗れば週末の渋滞でなかなか先へ進まず、博多駅に到着したのは16時20分。少々時間は早いけれども、昼食も早めだったこともあり、博多デイトス地下1階の「桜島溶岩焼とらや」という九州らしいネーミングのお店で打ち上げ。知覧鶏や黒豚を賞味しながら、生ビールのジョッキを傾ける。話題はもっぱら小呂島渡航を妨害した姪浜港の職員への非難であるが、奥田クンと福井クンは内心、何もない小呂島へ連行されなかったことに内心ホッとしていたようである。

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