絶大なる癒しのチカラ

第84日 福岡−唐津

2005年7月28日(木) 参加者:福井

第84日行程  昨年までは京都始発だった「ムーンライト九州」が新大阪始発に短縮された影響で、京都から新大阪までは新快速を利用となる。通勤客に挟まれてなんとも居心地の悪い25分間だ。新大阪の17番線ホームにはシュプール号から転用された白とピンクの見慣れた14系客車が停車していた。車内では今回の旅を共にする福井クンと合流。福井クンの外周参加は4年ぶりで、会うのも2001年8月3日に隠岐・西郷港で別れて以来だ。久しぶりの再会を喜ぶ間もなく「ムーンライト九州」は従来のダイヤと同じ22時01分に新大阪を発車した。
 昨年は集中豪雨の影響で大幅に遅れた「ムーンライト九州」であったが、今回は定刻に博多到着。前回は福岡まで旅を進めたものの、台風の影響で新宮港まで行きながら渡航を断念した相島を無視するのは心残りなので、まずは「ムーンライト九州」が通過した筑前新宮まで戻って相島を目指すことにする。相島行きの新宮町営定期船「しんぐう」の出航時刻は9時20分なので、慌てて新宮に向かう必要はない。せっかく博多に来たのだからと博多口にある「ラーメン驛一番」へ赴き、朝から博多ラーメンを食べる。「朝定食」(520円)を注文すると博多ラーメンのほか、ご飯、味付け海苔、卵、もやしが付いた。
「朝からこてこてやな〜」
福井クンが苦笑するが、外周の旅では食べられるときに食べなければ、空腹との闘いになることは明白だ。
 博多8時02分の快速3124Mで筑前新宮へ戻る。JR九州の車両は斬新なデザインが多く、ステンレスに赤と黒の車両デザインもさることながら、黒い豹柄のシートには恐れ入る。車内は通勤客や制服姿の高校生が目立つが、千早、香椎と短距離利用者が多いようだ。筑前新宮でも大勢の乗客が下車し、3124Mも朝のお勤めを終えた感じだ。
 筑前新宮駅からは前回の旅で見付けたコミュニティバス「マリンクス」を利用する。「マリンクス」は、新宮町が購入したバスを無償で貸与を受けた株式会社ウキコが新宮町の計画に沿って運行している。運行経路は2系統で、相島渡船場を経由する路線は相らんど線、内陸部を経由する路線は山らいず線と洒落たネーミングを付けている。定刻の8時48分よりも4分遅れで新宮駅前にやってきた「マリンクス」はマイクロバス。前払い方式で100円という良心的な運賃も魅力だ。途中の停留所でお年寄りがゆっくり乗り降りするので、相島定期船「しんぐう」への接続が少々気になったが、「マリンクス」は「しんぐう」に接続しているのだから、まさか見切り出航はなかろう。心配することもなく、相島渡船場では余裕をもって乗り継ぐことができた。
 新宮港9時20分の定期船「しんぐう」には、中年のおばさんの団体と乗り合わせる。麦藁帽子に手ぬぐいという姿で観光に出掛ける様子でもなく、相島で仕事があるのだろうか。玄海灘は極めて穏やかな航海であったが、「しんぐう」は定刻よりも3分遅れの9時40分に相島港に入港した。
 相島は周囲7キロの小さな島であるが、万葉集や続古今和歌集でも詠まれた歴史のある島。江戸時代には大陸の玄関口として、朝鮮通信使をもてなしたことでも知られる。朝鮮通信使とは、江戸幕府の将軍の代替わりに、祝賀の目的で朝鮮李王朝から国書を持って来日し、将軍から返書を持ち帰った使者のこと。通信使とは、信(よしみ)を通わす使節、つまり、お互いに信頼関係を深めあう使節という意味で、一行は三使(正使・副使・従事官)を中心に上々官など300〜500人という大人数で構成されていたという。朝鮮通信使は、江戸幕府260年余りの間に12回来日しているが、対馬までしか来なかった最後の12回目を除く11回の来日を相島でもてなしたことになる。江戸時代は鎖国の時代であったため、正式な国交があった朝鮮李王朝との交流があった相島は、国際交流の最先端の地であったといえよう。
 「しんぐう」から降りると桟橋の前に立派な待合所があったので、島内散策に出掛けるにあたって荷物を置かせてもらう。コインロッカーなどは見当たらないが、乗船券売り場には職員もいるので盗まれることはないだろう。待合所の隣には相島地域産物展示販売所が並んでおり、釣り客の需要があるのだろうか。思っていたよりも立派な島である。
 時計の反対回りに歩き始めると、しばらくはなだらかな海岸線が続き、やがて立派な小学校が現われる。相島小学校で、校舎内には博物館があるそうだが、既に夏休みのため子供の気配はない。ここから海岸線に沿った平坦な道が坂道になり、やがて遊歩道に分け入ると日蒙供養塔に出た。博多湾に浮かぶ相島でも元寇の応戦があったかと思ったが、相島には蒙古襲来の記録はなく、近くの百合越海岸に無数の元軍兵士の遺体が漂流したことから、霊を弔うために慰霊碑を建立したのだという。
鼻栗瀬  日蒙供養塔を囲む藪を抜けると長井の浜で、沖合には高さ20メートル、周囲100メートルの玄武岩でできた鼻栗瀬がそびえている。海食洞があり、アーチ状になっていることからめがね岩と呼ばれている。長崎の眼鏡橋を連想させないことはないが、鼻栗瀬のアーチは1つだけで、眼鏡と呼ぶからにはアーチが2つ必要ではなかろうか。周辺は絶好の釣り場とのことであるが、今日は釣り人の姿はない。
 玄海の荒波で丸くなった砂利だらけの長井の浜には、ところどころに5〜7世紀に造られたという積石塚が残っている。通常の古墳は土を盛って造るのであるが、このあたりは石が豊富にあるため、石を積んで古墳を造っていたようだ。確認されている積石塚だけでも210基あるとのことで、長井の浜全体が積石塚古墳群を形成している。積石塚古墳群からは4〜6世紀の朝鮮伽耶系の土器も出土されており、まだまだ発掘調査途上ではあるが、2001年(平成13年)8月7日に国指定史跡になったとのこと。石に足をとられながらいくつかの積石塚を見物していると、やがて「しんぐう」に乗り合わせた中年のおばさんの団体に出会う。積石塚の清掃や雑草刈りに勤しんでおり、ボランティア活動なのであろうか。いずれにしても謎の団体の正体は判明した。
 当初の予定では、相島を一周している道路を歩く予定であったが、ここから先は起伏が激しそう。港までの道のりは5キロもあり、相島港を10時50分に出航する帰りの「しんぐう」にも間に合わなくなる可能性がある。やむを得ず今来た道を素直に引き返し、節約できた時間で港周辺の史跡を訪問することにした。
 相島港待合所の近くには、元軍の船の碇として使用された碇石が置いてあった。元軍の遺体が漂着した百合越海岸の海中から引き上げられたものだという。朝鮮通信使が相島を経由したことを考慮すると、元寇で元軍が相島を素通りしたとは考えにくく、やはり何かしらの戦いが相島にもあったのではないかと推察する。
 港から南へ5分も歩けば江戸幕府の命令で黒田藩が建設した朝鮮通信使客館の跡が残っている。1995年(平成7年)の発掘調査で発見され、当時に使われていた井戸も残っているが、発掘調査が行われる10年前までは畑だったようで、解説板がなければ誰も気が付くまい。付近には朝鮮通信使のための波止場跡も残っているが、客館の近くとはいえ、地形的には現在の相島港が波の影響も少なかったのではないかと思われる。
 漁師の信仰を集める大きな自然石である龍王石を眺めて相島港へ戻ればもう出航時刻。慌しく待合所から引き上げた荷物を抱えて乗船する。帰りの「しんぐう」もきっちりと定刻より3分遅れで新宮港に到着した。どうせなら最初から17分という中途半端な所要時間ではなく、20分とすればよさそうな気がする。
 コミュニティバス「マリンクス」で昨年と同様に西鉄新宮へ運ばれるが、西鉄新宮11時31分の1103列車にタッチの差で乗り遅れて悔しい思いをする。「マリンクス」は西鉄への連絡を目的としているのだから、お互いに1分ずつでも時間調整をすれば良さそうなものだが配慮が足りない。昨年も同じような経験をしたはずだとスケジュールを確認すれば、同じ時間帯の「マリンクス」に乗車していたのだ。もっとも、昨年は「マリンクス」のダイヤが西鉄新宮に11時27分に到着するダイヤになっており、「マリンクス」が遅れたためにダイヤ通りに乗り継げなかったに過ぎず、ダイヤ通りでも乗り継げない今年とは事情が違う。
 福岡市営地下鉄の西神まで550円の連絡切符を購入し、気を取り直して次の11時44分の列車に乗り込む。オキサイドイエローを基調にボンレッドの帯を巻いた車両は福岡近郊区間を走る列車とは思えないローカル色が漂っている。車内は閑散としており、廃止が噂される区間だけのことはある。
 貝塚で福岡市営地下鉄に乗り換えとなる。西鉄宮地岳線の車止めの先に西鉄宮地岳線の改札口があり、その向かいに福岡市営地下鉄の改札口とホームがある。乗客の便宜を図っているのであろうが、西鉄宮地岳線の衰退は貝塚の乗り換えが原因であることは間違いない。直通運転さえしていれば、沿線の状況もかなり変わったのではなかろうか。
 面白味のない地下鉄で西神まで運ばれ、出入口近くのドン・キホーテで持って来るのを忘れた歯磨き粉を仕入れる。昨年、東戸クンが傘を購入したのと同じ店で、ここまでは落穂拾いのために昨年とほぼ同じ経路をたどったことになる。
 ジャパレン西神営業所でレンタカーを借りれば、いよいよ外周の旅の本編に戻る。車両はスバルの軽自動車R2だ。まずは私がハンドルを握って出発。元寇防塁の残る生の松原を走り抜け、今宿から玄海灘に突き出た糸島半島に入る。
 途中の福岡今津郵便局で旅行貯金に立ち寄り、ゴム印と主務者印の押印を求めると主務者印の押印が拒否された。今年の3月に通達が出て、主務者印の通帳への押印は、記載事項を訂正する場合以外は認められなくなったという。旅行貯金の愛好家の間では既に話題になっていたようだが、外周の旅を除いては平日に出掛けることがほとんど無いため、そのような通達が出ていたことなど全く知らなかった。通帳の様式が変更になって、主務者印の押印欄が無くなったことだし、ゴム印は従来通り押してくれるのだから我慢するか。それにしても、日本郵政公社もわざわざ戸別訪問までして、貯金通帳への給与の振込みや公共料金の引き落とし手続きを依頼してくるにもかかわらず、旅行貯金愛好家の反感を買うことをよくしたものだ。旅行貯金は郵便局員の仕事を増やすだけという批判もあるが、ゴム印を押すのであれば事務の軽減にもなるまい。ある郵便局では「お客様が希望されるのであれば、うちでは主務者印も押しますよ。それで郵便局を利用してくれる人が増えるのであれば、郵政公社にとってもプラスですからね。主務者印を押印すると通帳が汚れるとか訂正があったと誤解を招くといいますけど、だったらゴム印だって問題です。そもそも通帳はオンラインで処理しているのですよ」と言いながらゴム印に加えて主務者印を押してくれた。この郵便局の対応には感激し、局名を挙げて賞賛したい気持ちはあるが、内規違反なのだろうし、注意を受けるようなことがあっては気の毒なので公表は差し控える。
 二見ヶ浦沿いの県道54号線をレンタカーで走っているとやがて行政区画は福岡県西区から糸島郡志摩町に変わる。約150メートルの沖合には夫婦岩が見える。古くから福岡県指定文化財である桜井神社の社地として神聖の処と崇敬され、毎年5月の大潮の干潮を期して長さ30メートル、重さ約1トンの大注連縄が張られている。それにしても、志摩、二見ヶ浦、夫婦岩と三重県の伊勢志摩を倣ったような地名が続く。地元では、名高い伊勢志摩を持ち出し、朝日の伊勢二見ヶ浦に対して、夕日の筑前二見ヶ浦と宣伝していた。「日本の夕日100選」にも選ばれているので、誇大な宣伝というわけでもなさそうだ。
 野北から弓張形の海岸に沿ってドライブを楽しみ、芥屋の大門に到着。玄海国定公園を代表する名勝奇岩として知られる景勝地であるが、夏休みだというのにあまり人の気配がない。とりあえず駐車場にレンタカーを停めて、芥屋漁港にある遊覧船乗り場へ赴く。「芥屋の大門遊覧船」と記された乗船券売り場には事務員が留守番しているのであるが、遊覧船の出航時刻も記されていない。
「お客さんが4人以上集まれば出航します。乗船料は1人500円なのですが、4人以下でも2,000円で出航します」
他にお客が来る様子もないが、しばらく待って誰も来なければ2,000円払って遊覧船に乗ろうと福井クンと相談する。天気はいいので芥屋の大門もよく見えるだろう。芥屋の岬からも芥屋の大門を眺めることはできるだろうけど、遊覧船で洞窟内をぜひ見学したい。遊覧船乗り場の近くで10分も待っていると、やがて家族連れが乗用車で現われたので出航が決まった。
 船長が一人で接岸や観光案内を引き受ける芥屋観光社の遊覧船は漁船のようで少々くたびれているが贅沢は言えない。芥屋漁港を出航すると海上の風は強く、遊覧船の揺れも激しい。転覆するのではないかと不安になったところでスピードが落ち、目的地の芥屋の大門に到着。日本三大玄武洞の中でも最大のもので、六角形や八角形の玄武岩が柱状節理をなしている。海蝕によって造られた洞窟は高さ64メートル、間口10メートル、奥行き90メートルの大きさ。玄海灘に向かって開いた口に遊覧船は少しだけ頭を突っ込む。頭上には蜂の巣状の天井が広がり、自然の造りだした芸術作品を鑑賞する。
 わずか25分間ではあったが、遊覧船に乗れたことに満足して先に進む。次のポイントはやはり玄海灘に浮かぶ姫島だ。姫島へは芥屋からレンタカーで5分の岐志港から志摩町営渡船「ひめしま」が就航している。漁港に大きな駐車場を抱える岐志港から16時の便に乗り込むと意外に乗船客が多い。買い物に出掛けた島民が家路に着く頃合か。船員から日帰りであることを確認されたうえで往復920円の乗船券を手渡された。島民以外にはなるべく往復乗船券を販売するのであろう。
 姫島は周囲4.3キロの小さな島ではあるが、残念ながら島内を一周できる道路が整備されていない。姫島港から右に進むとすぐに行き止まりになったので、回れ右をして集落の集まる方向に向かう。西洋風の建物の「シーガルショップ」という食料品や日用雑貨品を取り扱う店の前を通り過ぎ、しばらく坂道を登ると野村望東尼の獄舎にたどり着いた。勤皇家である野村望東尼は、明治維新の歴史を陰で支えた尼僧で、高杉晋作など諸藩の尊皇攘夷派を福岡市にある城南平尾山荘に匿い、1865年(慶応元年)10月に姫島へ流刑となった。当時の獄舎は現在、御堂として祀られており、側には野村望東尼の遺品が展示され、波乱の生涯を偲んだ顕彰碑や獄中で詠んだ「姫島日記」の歌碑も建っている。さぞかし無念の心持ちでこの姫島で生涯を終えたのだろうと思ったら、翌年9月には高杉晋作の尽力で姫島を脱出し、下関に赴いたというので拍子抜け。
 ログハウスのような姫島小学校と志摩中学校姫島分校の校舎を眺めてから姫島港へ戻る。堤防でスタジオジブリの「魔女の宅急便」に出てくる黒猫ジジそっくりの猫に出会い、慌ててカメラを向けたが逃げられてしまった。
 姫島港を17時に出航する「ひめしま」で岐志港へ戻れば周囲はすっかり夕暮れモード。今宵の宿は唐津駅前の「ビジネスホテル宙(そら)」を予約しているが、夕食は付いていない。このままホテルまで直行すれば1時間ぐらいなので、チェックインをしてから夕食に出掛けてもいいのだが、実はここから唐津へ向かう途中にグルメスポットがあるのだ。運転を福井クンに交代してもらいナビゲーターに徹する。これから向かう店は、今年7月1日にオープンしたばかりなので、カーナビにも地図にも掲載されておらず、住所だけが唯一の場所を探す手掛かりなのだ。
吉田家  前原市加布里で国道202号線に入り、唐津街道を疾走。唐津湾に面した夕日が見事であるが、福井クンが脇見運転をすると危ないので賞賛は控える。やがて九州上陸2県目となる佐賀県に入ると目的地は近い。浜玉で唐津街道から唐津バイパスへ入ると左手にオレンジの看板が見えて目的に到着した。オレンジと言えば牛丼の「吉野家」カラーであるが、ここは佐賀県。ベースギター1本で弾き語るお笑いと音楽を融合させた佐賀県出身のアーティストはなわが「佐賀県」で歌っている「オレンジ色の看板だけど名前は吉田家♪」である。作詞の段階では「吉田家」は架空の店であったが、「佐賀県」がヒットすると、「吉田家」の所在に関する問合わせが殺到したため、急遽「吉田家」をはなわがプロデュースして佐賀県に吉田家を誕生させたのだ。店内に入ると思ったほど混雑はしておらず、開店から1ヵ月近く経つので、開店景気も一段落というところか。カウンター席について「はなわ丼」(870円)を注文する。「はなわ丼」は地元佐賀牛に、佐賀県米ひのひかり、佐賀県産たまねぎを使用した純佐賀県産牛丼だ。「吉田家」のメニューにはもうひとつ「レギュラー丼」(470円)が用意されており、こちらはオーストラリア産牛肉が使用されてる。
 10分以上も待たされて出てきた「はなわ丼」は、どんぶりもはなわプロデュースで、はなわが描いた奇妙なイラストが記されている。味は醤油ベースで、牛丼チェーン店の牛丼を食べなれた舌には違和感があるが、かつて家庭で出てくる牛丼はこんな感じに醤油の味がしたのではなかろうか。良い食材を利用しているものの、醤油で味付けしただけのようでもあり、もう少し牛丼の汁に工夫が欲しいところだ。冷凍の地方発送もしているので、わざわざ佐賀県まで足を運ばなくても賞味はできる。
 さて、「吉田家」の牛丼を堪能したが、今日のグルメスポットはもう1箇所ある。虹の松原で営業をしている「からつバーガー」だ。「からつバーガー」は40年程前に虹の松原にマイクロバスを使ったホットドック屋さんを開いたのが始まり。「からつバーガー」は、創業者が佐世保の米軍基地でハンバーガーの味に魅せられて、なんとか日本でも広めたいと、味に工夫をしながら開発したものという。今でこそ「からつバーガー」の名前が広がりましたが、最初のうちは「虹の松原のハンバーガー」と呼ばれていたそうだ。現在はマイクロバスを改造した店舗で虹の松原以外にも福岡を中心に九州各地に店舗を広げている。そもそも「からつバーガー」を初めて知ったのは1996年(平成8年)2月、学生時代に九州を旅していたときにローソンが九州地区限定で販売していた「からつバーガー」を食べたのがきっかけ。ピリ辛味の「からつバーガー」が気に入ったのであるが、これは企画商品の量産品であり、ぜひ本家の「からつバーガー」を賞味してみたいと思っていたのだ。もっとも、「からつバーガー」についても虹の松原にマイクロバスの店舗があることしか情報を得ていないので、とりあえず虹の松原を走って店舗を探すことになる。
 唐津バイパスからJR筑肥線の踏み切りを渡り、再び海岸沿いの唐津街道へ。三保の松原、天橋立とともに日本三大松原のひとつに数えられる虹の松原は、玄界灘に面した海岸線に沿って幅500メートル,長さ4.5キロに渡って松原が続く。クロマツを中心とする松原で、樹齢数百年を越える老木から幼木にいたるまで約100万本を数え、松原内を通る国道202号線は緑のトンネルの様相を呈している。その国道202号線をゆっくり走ってもらって周囲に目を凝らす。やがてパーキングエリアの一角に白色と茶色のマイクロバスが泊っているのを発見した。
 マイクロバスに近づいて人気商品の「スペシャルバーガー」(380円)と「ミルク」(200円)を2個ずつ注文した。「スペシャルバーガー」は「からつバーガー」で販売しているハンバーガーのすべての素材を用いた商品だ。「ミルク」は普通のミルクとは異なってこってり濃厚なオリジナル商品であると聞いたので注文してみた。商品はナンバープレートを申告しておくと、できあがり次第、店員が車のところまで持って来てくれるシステム。虹の松原内では松を保護するためにアイドリングが禁止されており、エンジンを切って待たなければならないが、車内の環境はどんどん悪くなってくるので外に出る。10分近く待たされてようやく店員が近づいてきた。
 「ミルク」は期待外れで、単にコンデンスミルクをお湯で溶かしたような甘ったるい商品であったものの、「スペシャルバーガー」は、ハムエッグとチーズが入っており、ボリューム満点。「はなわ丼」を食べてから時間が経っていないので尚更かもしれない。さすがに9年前に食べた「からつバーガー」との比較はできないが、ピリ辛味は病みつきになりそうで、また機会があれば食べてみたい。
 「ビジネスホテル宙」には19時20分に到着。駅前のビジネスホテルにレンタカーで乗り付けるのも妙な気分であるが、夕食を「はなわ丼」と「からつバーガー」に決めていたので、夕食を抜いて泊るにはビジネスホテルが予約しやすかったのだ。全部屋シングルなので福井クンと語り明かして夜更かしすることもなく、普段よりも早めにベッドに入った。

第83日目<< 第84日目 >>第85日目