ビジネスセンスを磨く

第83日 志賀島−福岡

2004年8月1日(日) 参加者:東戸・安藤・奥田

第83日行程  志賀島の先端にある割烹旅館浜幸家で台風10号が接近する一夜を過ごす。夕刻より降り始めた雨は朝になっても止む様子は無い。今日は志賀島から福岡市営渡船を利用して博多に向かうことを計画していたのだが、早々に修正を迫られる。朝食を済ませると昨日と同様にマイクロバスで送迎してくれるというので有り難い。雨に濡れないようにマイクロバスを玄関正面に付けて女将さんが送り出してくれる。福岡へ来たときはもう1度泊ってみたい宿である。
 雨が強くなったのでそのまま西戸崎駅へ向かってもよかったのだが、やはり志賀島へ来たからには金印公園へ立ち寄りたい。志賀島は1784年(天明4年)に「漢委奴国王」と記された金印が発見されたことで名高い。福岡平野にあった奴国の王が、後漢の都である洛陽に使節を派遣した際に光武帝から贈られたものだという。発見したのは当地の農民であった甚兵衛で、値打ちのありそうなものに見えたので博多の町の米屋才蔵に託され、奉行の津田源次郎を通して学者の亀井南冥に鑑定が依頼された。亀井南冥は後漢書の紀元前57年(中元2年)1月の記事として、光武帝が倭国から来た使者に金印を授けたという記事があることからその印であろうと鑑定した。そんなに貴重なものであればということで金印は福岡藩が預かることになり、甚兵衛にはわずかな御礼しか渡されなかったとか。もっとも、その後の研究によれば、最初の金印発見は、甚兵衛の作人であった秀治,喜平の二人という説の方が有力なようだ。志賀島の吉祥寺の古記録によれば、1784年(天明4年)の項に「二月二三日小路町秀治田を耕し大石の下より金印を掘出す」とある。また、金印公園の北東に当たる勝馬という所の某氏蔵書に、金印が押されて「右之印蓋漢之光武之時自此方窃到彼所賜之物乎倭奴者非和国之謂而」云々との記述があり、末尾に「志賀島農民秀治・喜平・・自叶崎掘出」とあるそうだ。すなわち、甚兵衛は単なる地主であり、小作人である秀治と喜平が実際に金印を発見し、甚兵衛のところへ持参したというのが正しそうだ。当時の志賀島村庄屋武蔵は「志賀島村百姓甚兵衛申上る口上之覚」という甚兵衛の口上書一札とともに郡役所に届け出ている。
金印公園  無人の駐車場にマイクロバスを横付けしてもらい、雨が叩きつけられる石段を登って行くと、金印のレプリカを埋め込んだ記念碑が待っていた。近くには福岡の地と関係の深かった中国の古代史家で文学者でもあった郭沫若の詩碑もある。さらに石段が続いていたので登って行くと、方位広場と呼ばれる地面に当時の東アジアの国々を示した世界地図があり、ここにも中央に金印模型が建っている。本来であれば、じっくりと見学をしていきたいところであるが、強い雨が降り続けているうえ、マイクロバスを待たせているので長居するわけにもいかず、早々に切り上げて金印公園を後にする。
 金印公園から少し走ると、元寇ゆかりの蒙古塚があり、運転手はここでもマイクロバスを停めてくれる。駐車場らしき空き地の端に石碑が並んでおり、1274年(文永11年)の文永の役で捕虜になった蒙古兵はこの地で処刑されたという。処刑場と聞いてはあまり気分のいいものではないし、雨足もますます強くなってきたので、ここはマイクロバスの車内からの見学で満足する。
 2日に渡って浜幸家の送迎マイクロバスで志賀島を一周し、志賀島橋を渡る。志賀島橋とはいえ、志賀島と西戸崎は砂州に道路が敷かれているので、実際には地続きのように感じる。両側を海に挟まれた道路だが、左手の荒波が打ち寄せる玄界灘と、右手の静かな福岡湾が対照的だ。
 昨日は、香椎線で西戸崎入りしたので、今度は西鉄バスで天神入りを試みようと考えたが、西戸崎駅前の停留所で時刻表を確認するとちょうど8時30分のバスが出たところで、次のバスは1時間以上待たねばならない。さすがにそこまで時間を無駄にするわけにもいかず、ちょうど8時37分の1731Dに乗り込む。1731Dは西戸崎から唯一の博多への直通列車である。福岡のベットタウンとしては、博多直通がもっと運行されても良さそうであるが、西戸崎からは福岡市営渡船が就航しており、こちらは博多まで15分なので、35分の香椎線では勝負にならない。それでも、車内に利用客が多いのは、台風の影響で渡船が休航しているからであろう。海ノ中道、雁ノ巣と停車する度に乗客は増え、立ち客も目立ち始めた。
 8時51分の和白で下車して西鉄バスに乗り換える。地図で確認する限り、和白から西鉄香椎までは西鉄宮地岳線が外周路線となるのであるが、西鉄バスには西鉄香椎の手前から福岡都市高速に入る路線がある。福岡都市高速は福岡湾岸を結ぶ道路であるため間違いなくこちらが外周になるのだ。
 和白の駅前は住宅街であり、バスは駅前に入らない。やむなく和白駅から500メートル程離れた国道495号線沿いの和白停留所へ向かう。駅を出たときは小雨だったにもかかわらず、我々が停留所に向かって歩き出すと突然の豪雨になる。しかも、横殴りの風が吹くので傘はまったく役に立たない。和白停留所に着いたときは全員ずぶ濡れ。停留所近くのビルでバスが来るまで雨宿りをする。
 3分遅れでやってきた西鉄バスに乗って天神を目指す。しばらく鹿児島本線と並走した後、香椎ランプから福岡都市高速に入る。路線バスで高速道路を走るのは初めての経験なので、どのようなものかと興味津々であったが、普段乗り慣れている地元の人は当たり前のようにしている。しかも、立ち客までいるにもかかわらず、高速道路を走行してもいいのだろうかと気になったが、後で調べてみると福岡都市高速は「高速」を名乗っているものの、実態は一般国道の自動車専用区間に過ぎないことが判明。東名高速道路や名神高速道路のように高速自動車国道法で定義された高速道路とは似て非なるものである。
 福岡都市高速は防音壁などで視界が遮られており、博多湾もほとんど顔を出すことなく呉服町ランプを下りて終点の天神三丁目に到着。雨から逃げるように天神の地下街へ。今日は天気が悪いので、福岡湾に浮かぶ島へ渡れるかどうか定かではなく、基本的には福岡市内観光に落ち着きそうだ。これからの行程を考慮して地下鉄の一日乗車券(600円)を購入する。
 天神から福岡市営地下鉄空港線で1駅隣の中洲川端へ移動し、荷物をコインロッカーに預ける。中洲川端へ荷物を預けに行ったのは、外周の旅の打ち上げに中洲で一杯やろうということになったからだ。
 身軽になって今度は西新へ移動する。しばらく地下鉄の移動で天気を忘れていたが、地上に出れば雨が降り続けている。目の前にドン・キホーテがあったので、ここまで傘なしで旅を続けていた東戸クンもとうとう傘を買いに走る。目的地である福岡市博物館まで15分程歩かなければならないからだ。安藤クンは雨が降っているのだからとタクシー利用を主張するが、福岡市博物館へ行く途中には元寇防塁跡も残っているので、ぜひ立ち寄りたい。安藤クンをなだめながら雨の中を歩く。
 1274年(文永11年)に蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、1276年(建治2年)に博多湾の海岸線に石築地を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元冠防塁と呼んでいる。防塁は、博多湾の今津から香椎まで20キロに渡って築かれていたが、今津は大隅国と日向国、今宿は豊前国、生の松原は肥後国、姪浜は肥前国、博多は筑前国と筑後国、箱崎は薩摩国、そして香椎は豊後国と九州9ヶ国の分担を割りあて、一斉に工事にかかるように命じられたとのこと。工期も3月から8月までのわずか6ヵ月で完成させる計画となっていたそうだ。1281年(弘安4年)の2回目の蒙古襲来では、蒙古軍は上陸を果たせなかったことからも元寇防塁が大きな役割を果たしたことが伺える。もっとも、西新の元寇防塁跡は西南学院大学の敷地と住宅街に挟まれたところにあるので、想像していた元寇防塁とはかなりの隔たりがある。いずれ博多湾に面した元寇防塁跡に訪れることもあろう。
 福岡市博物館では、一日乗車券による割引が受けられ、200円の入館料が150円になる。博物館の見学ならば雨の心配もないのでよかろうと思っていたが、安藤クンは浮かぬ顔。西新から歩かされたことに恨みを持っているのかと思えば、福岡市博物館は数ヶ月前に来たばかりとのこと。わざわざ週末だけの参加で福岡に来てもらったのに申し訳ないとは思うものの、台風の影響で当初の行程通りの旅ができないうえ、天気の心配をせずに済むポイントは限られてしまう。安藤クンのためにも午後の行程は考え直さなければならない。
 気を取り直して博物館の見学を始める。展示物は古代から現代へという時系列で陳列されているので、メインとなる金印が早々に登場する。さすがに金印の展示されたケースの前には絶えず見物客がいる。大きさは一辺の長さが2.3センチ、高さが2.2センチ、重さが108.7グラムで、ほぼ純金で造られているといのだから驚く。印面には、「漢/委奴/國王」の5文字が彫られ、鈕は蛇がとぐろを巻いた姿で、ひもを通す鈕孔には紫色の綬が結ばれていたそうだ。金印は、公文書や手紙の封印に使われたというが、今日の封印のように封筒に押すものではなく、文書や手紙を入れた箱をひもで縛り、その結び目に付けた粘土に押して封をしたという。
 金印を見学して満足したので、残りの展示を足早に周り、午後の行程を検討する。台風10号は既に日本海沖へ去っているので、風さえ吹いていなければ雨でも船は就航するだろう。博多湾には志賀島のほかに、玄海島と能古島があるので、どちらか一方を訪問できれば次回の行程も楽になる。できれば船の便が少ない玄海島を踏破しておいた方が良さそうなので、福岡市営渡船博多待合所に電話で問い合わせる。嬉しいことに午後から運航されるとの返事だったので、たちまち午後の予定が決定する。玄海島への渡船は博多港のベイサイドプレイスを13時に出航するが、ベイサイドプレイスも地下鉄の駅からだとかなり歩かなければならない。安藤クンからの反発は必至なので、ベイサイドプレイスへはタクシーで向かうことにし、それにより節約できた時間を福岡市博物館に比較的近い福岡タワーを見学に当てることにした。ところが安藤クンと東戸クンの姿が見当たらない。携帯電話で連絡を試みるものの掴まらないので、奥田クンと福岡タワーへ行っているので追いかけて来るように伝言を残す。
 福岡のシンボルになりつつある福岡タワーは全長234メートルで、海浜タワーとしては日本一の高さを誇る。タワーの側面は8,000枚ものハーフミラーで覆われたシャープな正三角柱で、ミラーセイルの愛称もある。福岡の街並みが360度見渡せるという地上123メートルの最上階展望室に上がるため、タワー展望券を購入すると、ここでも一日乗車券の恩恵で800円の展望券が1割引の720円となる。展望室へ向かうエレベーターにはエレベーターガールが乗務しており、我々2人以外にお客がいなかったためか、マニュアル型の解説ではなく、「今日はどちらかお越しですか」と気さくに話し掛けてくるのでどぎまぎする。貸し切り状態であるにもかかわらず、「本日は福岡タワーにお越しいただきまして…」との解説が始まるよりも、新鮮ではるかに好印象だった。
 展望室からは雨空であるにもかかわらず、志賀島のほかに、これから向かう玄海島や能古島がはっきりと確認できる。それだけこれらの島が手近なところにあるということか。晴れた日にははるか沖合の小呂島も見えるらしい。展望室から福岡の街並みを見下ろしていると、福岡市博物館からこちらに向かって来る東戸クンと安藤クンの姿が確認できた。
 2人と無事に合流し、福岡タワーに隣接するTNC放送会館内のローソンで昼食用のパンを購入。そのまま放送会館からタクシーでベイサイドプレイスを目指す。
「玄海島ですか。行くのはいいですけど、この天気で船は出ますかね」
ラッキータクシーという縁起がいい名前にもかかわらず、運転手は不吉な発言をする。もっとも、こちらは電話で確認しているのでその旨を伝える。
「そうですか。でも、今日はホークスの試合があるからドーム周辺は大渋滞です。このままでは間に合いません。都市高速入れば何とかなるかもしれませんがどうしますか」 出航時刻まで30分もあるので、充分時間はあると思っていたのだが、またまた運転手は不吉な発言をする。ホークスタウンは福岡タワーから目と鼻の先で、この一帯を抜ければ道路の流れも良くなりそうな気がしないでもないが、福岡の道路事情はよくわからないので500円の投資で都市高速経由とする。百道ランプから都市高速へ入り、筑港ランプまで一気にワープ。ベイサイドプレイスまではわずか15分で到着したが、都市高速を利用しなくても充分に間に合ったような気がしないでもない。
 1,680円の往復乗船券を購入したが、まだ玄海島行きの乗船は開始されていなかったので、待合所で菓子パンの昼食。ベイサイドプレイス内にある待合所はきれいに整備されているうえ、冷房も効いているので有り難い。菓子パンを平らげると玄海島行きの乗船が開始されたので腰を上げる。
「飲食禁止って書いてあるよ」
奥田クンに指摘された方向を見れば、待合所に飲食禁止の掲示がある。しまったなと思ったものの、既に食べてしまったものをどうしようもない。別に待合所を汚したわけでもないので、次回から気を付けるということで勘弁してもらおう。職員も我々が昼食にしているのを確認しているはずなのであるが、何らのおとがめもなかった。
 福岡市営渡船「ニューげんかい」に乗り込めば、2階船室がラウンジタイプになっていたので占拠する。ソファーに腰掛けて寛いでいると、船員が怪訝そうな顔をして何処へ行くのか確認する。ベイサイドプレイスからは志賀島へ向かう航路もあるので、そちらと間違えたのではないかと気になったようだ。乗り間違えではないことを確認しても船員が怪訝そうにしているのは、観光資源のない玄海島へ渡ろうとする4人組が不審者に見えたからであろう。玄海島でこの調子だと沖合に浮かぶ小呂島へ渡るときはどうなることやら。
 「ニューげんかい」は定刻の13時に出航。お客は我々だけなので完全な貸し切りクルージングだ。志賀島と糸島半島に囲まれた博多湾内の航海は至って穏やかであったが、湾外へ船が出ると突如として大きく揺れだす。玄海島は博多湾の入口に位置するため、「ニューげんかい」は玄海島周辺のわずかな区間のみ外洋を航行する。奥田クンは溜まらずに船酔いでダウン。私も船には強くないが、玄海島で取り残されることになるのではないかと心配になる。台風の通過後とはいえ、日本海沖で猛威を振るっているのだから海上が時化でも当然だろう。まずは目前のお椀を伏せたような形の玄海島へ無事に到着することを祈る。
 「ニューげんかい」は時化にもかかわらず定刻の13時30分に玄海島港へ入港。玄海島は最高海抜218メートル、周囲約4キロの島で、徒歩1時間程度で一周できそうであるが、島の北側に道路は整備されていない。それでも海岸を伝って歩けるかもしれないと考えて小雨の中、島内散策に出発。午前中は元気のなかった安藤クンが一転し、玄海島散策ではリーダーシップを発揮する。玄海島は山の斜面にへばりつくように住宅が密集しており、荷物を運ぶためのモノレールもある。
小鷹神社  海沿いの道路を時計と反対回りに玄海中学校まで歩くと道が途切れる。島の北側は波も高いと思われたので、海岸を伝って一周できるのかどうかも定かではない。安藤クンの判断で、中学校の敷地を横切り、坂道を登って玄海島の中腹の道をたどって港方面へ引き返す。木々に囲まれて薄暗い岩宮神社や玄海小学校を経て、福岡湾が一望できる小鷹神社にたどり着く。天候が悪いながらも福岡市街がはっきりと確認できる。小さな漁船も航行しているようなので、この様子なら帰りの便が欠航することもなかろう。本殿にある鷹の彫刻が目に付いたので、プロ野球のダイエーホークスと関係があるのかと思ったが、これは玄海島に伝わる百合若伝説に由来するとのこと。平安時代、豊後の国守百合若は筑紫警備の帰路、玄海島に立ち寄った。ところが、家来の別府兄弟の裏切りで、百合若は玄海島にひとりで置き去りにされるのである。別府兄弟は百合若に代わって国守の地位に就き、文語を手中に収めてしまう。百合若が玄海島に取り残されて2年が経過したある日、百合若の愛鷹みどり丸が飛来し、百合若は妻への手紙を託す。みどり丸は百合若と妻子の連絡係としての大役を果たしたが、やがて玄海島で力尽きてしまう。小鷹神社はそのみどり丸を祀った神社ということだ。ちなみに、百合若はその後漂着船に助けられ、別府兄弟に復讐を果たして無事に妻子との再会を果たしたという。
 玄海島へ渡るときは貸し切り様態であったため、もしも我々が乗船の意思表示をしなければ早々に欠航を決定してしまうのではないかという心配から早めに港へ戻る。もっとも、これは無用の心配で、出航時刻が近づくに連れて徐々に島民が集まってくる。昨日は台風で欠航になる可能性があったため、外出を控えていた島民が、どうやら福岡へ買い物に行くようだ。
 玄海島を14時40分に出航する便で博多港に戻る。2階席のラウンジは地元客が占拠し、酒盛りを始めたので敬遠し、1階の一般席で過ごす。揺れは相変わらず大きいが、博多湾に入るまでの辛抱だ。奥田クンは帰りの便でも顔色が悪い。
 博多港に戻ると時刻はまた15時過ぎで、中洲へ繰り出すにはまだ時間が早い。東戸クンはショッピングセンターやアミューズメント施設が集まるキャナルシティ博多に立ち寄りたいと言い、奥田クンはベイサイドプレイスにある博多一番風呂へ行きたいと言うので自由行動とし、17時に中洲川端に集合とする。今日は台風にたたられた散々な1日だったので、各自が好きなことをして気分転換すれば言いだろう。私はキャナルシティ博多へ行くよりも、大浴場でさっぱりしたいので奥田クンに付き合う。安藤クンも同じ考えだったようで、東戸クンだけがキャナルシティ博多へ向かうバスに乗り込んだ。
 博多一番風呂はご当地の温泉ではなく、今流行のスーパー銭湯で、全国各地の温泉をタンクで運び込んでいる。今日は月岡温泉、和倉温泉、有馬温泉とのことで、九州とはまったく無縁の3湯に博多港で出会うのも奇妙である。それでも本物の温泉には違いないのでゆっくりと温泉に浸かって旅の疲れを癒す。露天風呂もあったのだが、視界が遮られているのは残念。大きな船舶を眺めながらの入浴も赴きがあるに違いない。帰り際にじゃんけん大会が開催されており、番台の女の子にじゃんけんで勝てば、800円の入浴料のうち100円をキャッシュバックしてくれるとのことであったが3人連続で負けてしまう。番台の女の子は「すみません、すみません」と何度も頭を下げるがルールだから仕方がない。
 博多港の歴史や役割にかかわる資料を展示した博多港ベイサイドミュージアムを見学しても、時間を持て余したので、近くの博多ポートタワーへ登ってみることを提案したが、午前中に福岡タワーに登ったばかりだと奥田クンに却下される。
「それよりも、やっぱり博多へ来たからには博多ラーメンでしょう」
時刻は16時過ぎで17時から早めの打ち上げを予定しているのにラーメンなんか食べても大丈夫であろうか。少なくともお腹一杯だからと東戸クンの気分を害するようなことを言わないようにお互い確認して、ベイサイドプレイス内にある博多屋台街に店舗を構える「らーめん博多一番」へ。「博多らーめん」(500円)を注文し、細麺に豚骨スープの博多ラーメンを味わう。博多ラーメンの特徴は替玉(100円)を楽しむことであるが、さすがにこちらは差し控える。
 ベイサイドプレイスから川端中洲までは徒歩20分ぐらいの距離であったが、今度は安藤クンがさっさとタクシーに乗り込んでしまうので、否応なくタクシー利用となる。ところが偶然にも乗り込んだ新協第一交通のタクシー運転手がひどかった。川端中洲までの近距離利用が気に入らなかったのか、道を知らない観光客と判断したのか、ベイサイドプレイスに最も近い中洲川端駅の地下鉄出入口を素知らぬ顔で通過し、わざわざ最も遠い出入口まで運んでワンメーターを稼いだのだ。3人で割勘にすれば数十円だが、運転手のあさましい対応に閉口する。新協第一交通は福岡証券取引所に上場している第一交通産業のグループ企業でもあるのに困ったものだ。
 川端中洲には既に東戸クンが待っていた。ベイサイドプレイスから乗ったバスが渋滞に巻き込まれ、お目当てのキャナルシティ博多からほとんどとんぼ返り状態になってしまったという。気の毒ではあるが、ショッピングセンターが目的なら東京でも事足りるからと慰めておく。
 川端中洲といえば屋台街が有名であるが、残念ながら屋台の店開きは早くても18時から。屋台が開くのを待っていたら帰りが遅くなってしまうので、駅前にあった神楽食堂串家物語中洲店に入る。全国チェーン店であるが、福岡の海の幸は昨日の浜幸家でも散々堪能したことだし、安藤クンや東戸クンは飲めれば問題ないようだ。財布を気にしながら飲まずに済むように食べ放題・飲み放題の3,675円コースを選択。自分で串を揚げながら今回の旅を振り返るが、やはり話題は台風10号に尽きる。現在は、航空機も新幹線も通常どおり運行されているので帰路に心配はない。安藤クンに対して帰れなくなった場合の責任を負う必要もなくなった。

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