貯蓄と返済どっちが先?

第82日 大島−志賀島

2004年7月31日(土) 参加者:東戸・安藤・奥田

第82日行程  大島の三好屋旅館で目を覚まし、窓から天気を確認すると薄日が差している。台風10号は今夜にも福岡を直撃しそうな状況であるが、この様子であれば大島で足止めに合うこともなさそうだ。今日は安藤クンが東京から飛行機でやって来る予定。数日前までは台風が直撃しそうなので参加を見合わせようかとも漏らしていたのであるが、昨日になって「行ってやるけど帰れなくなったら責任とってもらうからな」と言い放った。責任をとるも台風は不可抗力なのだから帰れなくなったら免責を主張するつもりである。
 三好屋旅館を早めに出て奥田クンに港近くにある宗像神社中津宮への参拝を勧める。遅れて大島へやって来た奥田クンは一切島内観光をしておらず、旅館での食事だけでは物足りないであろう。私と東戸クンは既に参拝を済ませているので、早々に大島港へ向かいフェリー「おおしま」に乗り込んだ。台風で欠航になっていないか心配だったのだが、船員に聞けば少なくとも午前中は大丈夫だろうとのこと。片道乗船券500円を購入するが、往復乗船券960円というのも販売しており、悔しい思いをする。もっとも、神湊港の乗船券売り場では往復乗船券の案内など一切なかったので、大島から往復する島民のための割引制度かもしれない。
 中津宮を参拝してきた奥田クンも乗船し、定刻の8時40分にフェリー「おおしま」は出航。実は大島から神湊へ向かう便としては本日2便目で、第1便は7時に大島を出航している。台風の心配もあり、本当は第1便で神湊へ向かおうと考えていたのだが、三好屋旅館の仲居が露骨に嫌な顔をするのでやむなく第2便にした次第。他に宿泊客もなく、今まで外周の旅で利用してきた民宿や旅館は何かと便宜を図ってくれるとことが多かったのであるが、三好屋旅館は親切な女将さんがいるにもかかわらず、最悪の印象が残る。
 神湊港で神湊波止場停留所のバス時刻表を確認すれば、津屋崎駅前へ向かう西鉄バスはなぜかフェリーの到着前の8時28分に出たばかりで、次は10時54分までない。大島7時出航の第1便には接続するバスがあり、三好屋旅館がここでもたたる。やむを得ず神湊港で客待ちをしていた新星交通タクシーの世話になる。昨日以来、タクシーに頼ってばかりで気が引ける。今後は計画的にレンタカーを活用していくことも検討しなければならない。
 わざわざ高い料金を支払ってタクシー利用とするからには、津屋崎駅まで直通するのは芸が無く、バス路線がない渡半島の大峰山自然公園へ向かってもらう。昨日、津屋崎から神湊に入った奥田クンは逆ルートをたどることになり、「もうすぐ郵便局がある」「今度は公民館」「神社があるぞ」と周囲の光景を語り出す。昨日のこととはいえ、バスに乗り間違えて動揺していた割にはよく覚えているものだ。
恋の浦  渡半島には、大峰山自然公園の他に恋の浦がある。ロマンチックな地名の由来は、博多の廻船問屋の後継ぎである仙吉と庄屋の娘の嘉代がこの浜で心中したことにある。仙吉と嘉代は許婚であったが、福岡藩主黒田長政の叔父である養心公が嘉代の美貌に惹かれて御台所様介抱附添人として差し出すように命じたのである。養心公の命令に逆らえない庄屋は嘉代を差し出す決心をしたが、しばらくして、この恋の浦に「津屋崎の岸に寄る波返るとも恋の浦路は行く方もなし 仙吉・嘉代」という歌が残された無人の小舟が波に漂っていたとのこと。1606年(慶長11年)2月のことである。
 この恋の浦には、2001年(平成13年)12月2日まで玄海国定公園内に110万平方メートルものフィールドを広げる大型レジャーパーク「玄海彫刻の岬恋の浦」があった。九州唯一の野外美術館「彫刻の岬」には、著名なアーティストたちによる彫刻55点が遊歩道に設置され、緑に溶け込むさまざまな作品を鑑賞することができたという。海の見える遊園地にはJAF公認の本格的レーシングカートや30種類の木製トリムがあり、家族連れで賑わっていたそうだ。恋人岬と呼ばれる岬の先端には愛の鐘があり、この鐘を恋人同士で鳴らせば恋人宣言証明書がもらえたという。
「夏にはお化け屋敷、冬には野外アイススケートリンクも設置されていたのだけどね。当初は世界一の天然温泉露天風呂を中心としたリゾート施設にリニューアルをするなんて宣伝していたけど、すっかり頓挫したみたいで、再開することもないだろうね」
タクシーの運転手は諦めたように言う。恋人岬には鼓島、千畳敷など玄界灘に浮かぶ奇岩怪石があるので、近くまで行けないかと恋の浦まで走らせてもらったものの、閉ざされたゲートの前に「休園中」の看板が残るだけであった。旅の趣旨を理解してくれたタクシーの運転手は、代わりに恋の浦海岸が一望できるスポットで停車してくれたので写真をパチリ。
 大峰山にある東郷神社でタクシーを返す。タクシー料金は2,640円だが、今日は奥田クンが増えたので1人あたりの負担は軽減する。東郷神社は日本各地に建立されているが、大峰山の東郷神社も日本海海戦でロシアバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥を祭神とする神社である。東郷元帥は大峰山に縁があるわけではないが、東郷元帥の偉業を留めるために、日本海海戦古戦場をはるか見晴らす大峰山に1971年(昭和46年)5月に現在の東郷神社が整備されたという。東郷元帥は英語が得意だったらしく、東郷神社のおみくじは英語で書いてあり、この神社におまいりすると英語が上達するとのこと。大学受験以来、英語には苦労しているので、念入りにお参りする。境内には宝物館もあり、戦時中の遺品が展示されていた。
 東郷神社の向かいには大峰山自然公園があり、こちらも東郷公園という別名がある。標高114.5メートルの展望園地には東郷元帥で有名な日本海海戦記念碑があり、高台から津屋崎の町並みや玄界灘を一望することができる。もっとも、台風10号が近づく空から日差しはなくなり、段々と怪しい雲行きになってきた。行程ではこれから新宮町の7.3キロの沖合にある相島へ渡るつもりであるが、定期船が運航されているのか気になる。もしも、運航されていないのであれば、新宮港まで出向くのも時間の無駄になるので、相島渡船待合所へ電話をしてみるが応答がない。
 雨が降り出さないうちに津屋崎駅へ出てしまおうということになり、大峰山の舗装道路を津屋崎へ向かって下山する。15分も下れば津屋崎漁港に出る。古博多人形の流れを汲む土を素焼きし着色した素朴な津屋崎人形を眺めたりしながら、津屋崎千軒と言われた昔の面影を残す街並みを抜けて、西日本鉄道宮地岳線の津屋崎駅へ到着。ちょうど、10時31分の貝塚行き普通列車が発車するところで、発車ベルに急かされながらホームを走り、オキサイドイエローを基調にボンレッドの帯を巻いた車両に駆け込む。
 車内が閑散としているのを幸いに再び携帯電話で相島渡船待合所へ電話をしてみるがやはり応答はない。西鉄福間を過ぎたあたりから車窓にあらわれた玄海灘は穏やかなので、もしかしたら相島へ渡れるかもしれないという微かな期待を持って西鉄新宮で下車した。
 西鉄新宮から相島へ渡る相島渡船場までは徒歩で20分。新宮渡船場ではなく、相島と船場を名乗るのは、相島へ向かう渡船乗り場という意味だろうが、行き先を冠したヨーロッパの鉄道駅のようなネーミングだ。相島へ渡ったら昼食を食べ損なう可能性もあるので、途中で見掛けたRICマートで菓子パンを調達しておく。相島渡船場が近づくと、相島からの町営渡船「しんぐう」が戻って来る姿が見える。これで相島にも渡れるぞと勇んで待合所内の乗船券売り場に行けば、職員は浮かない顔をしている。
「11時30分の相島へ行く便は確実に出航するけれども、相島から戻って来る便は保証できないな。船長も今日の午後は運航できないだろうと言っている」
相島から新宮へ戻って来る便は13時50分なので、確かに台風10号の影響が大きくなる可能性もある。待合室には用務で相島に渡るというサラリーマンが会社に電話をして渡航を見合わせるかどうかの指示を仰いでいる。結局、我々もサラリーマンも渡航を断念。仕方がないので待合室で買ったばかりの菓子パンを食べて、西鉄新宮へ戻るコミュニティバス「マリンクス」に乗り込む。「マリンクス」は、新宮町が民間に委託をして運行しているバスで、運賃も均一100円と良心的。ただし、運行経路は一方向のみの循環運転であるため、新宮港へ来るにはJRの筑前新宮からは便利であるが、西鉄新宮からは大きく迂回するので徒歩20分のところがバスで50分もかかってしまう。
 「マリンクス」が西鉄新宮駅前に到着すると同時に11時36分の貝塚行き普通列車があざ笑うかのように発車していく。本来であれば「マリンクス」は西鉄新宮に11時27分に到着し、ゆっくりと11時36分の普通列車に間に合うはずであった。ところが、相島からの「しんぐう」の到着が遅れたため、乗り継ぎ客を受ける「マリンクス」は、10分近くも遅れて相島渡船場を出発したのである。やむを得ずホームで次の列車を待つ。西鉄新宮駅もローカル色が漂うが、福岡近郊だけあって、概ね15分間隔で列車は運行されている。
 再び西鉄宮地岳線に乗り込むと大粒の雨が降り出す。相島へ渡らずによかったなと思ったのも束の間で、JR香椎線とのジャンクションとなる和白で降りたときには日が差してきた。外周の旅を続けるからには天気が良い方がいいのだが、相島へ渡れたとなれば悔しいので複雑な心境。和白からJR香椎線で海ノ中道に向かう段取りであったが、次の12時12分の列車は手前の雁ノ巣止まりなので、12時29分の3787Dまで30分以上の時間を持て余す。今朝、羽田から航空機で福岡入りした安藤クンも和白の手前にある香椎から3787Dに乗り込む予定。昼飯を調達する暇がなかったというので、和白駅の近くのファミリーマートで安藤クンのためにおにぎりを調達しておく。
 3738Dは思ったよりも乗車率がよく、安藤クンを見付けるのに少々戸惑う。4人掛のボックスシートに腰掛けていた安藤クンを無事に発見し、ファミリーマートで調達してきたおにぎりを手渡す。定番の鮭はお気に召したようだが、塩鯖が口に合わないらしくて文句をたらたら。塩鯖にご飯なら普通に食べるのだから塩鯖のおにぎりがあったっておかしくはない。おにぎりの具としては認知されているツナマヨの方が奇妙な取り合わせだなどと反論してみる。そもそも、ファミリーマートに残っていたおにぎりは鮭と塩鯖だけで選択の余地がなかったのだ。
マリンワールド  安藤クンと合流早々、車内で漫才のような掛け合いをしていると海の中道に到着。気まぐれな天気は夏の日差しになっており、持参したサングラスの出番となる。海浜公園の入口ゲート近くに設置されていたコインロッカーに荷物を預けたものの、すぐに公園内へは入らず、まずは道路を挟んで向かいにある海の中道マリンワールドに足を向ける。マリンワールドは、イルカやアシカのショーが催され、巨大なシロワニが泳ぐ大迫力のパノラマ大水槽などがある水族館。外周の旅を続けていると、この手の水族館に立ち寄る機会も多く、新鮮味には欠けるが、台風が接近しているタイミングで天候に左右されずに済む施設はありがたい。2,100円を支払って館内に入れば、夏休み中の週末なので親子連れの姿が目立つ。入館時にもらったパンフレットによれば、13時からアシカ・イルカショーが始まるとのことなので、まずは会場となるショープールへ直行する。
 ショープールは、博多湾をバックにした屋外ステージ。もっとも、観客席には屋根があるので雨が降って困るのはインストラクターぐらいであろう。日が差しているとはいえ、博多湾に吹き付ける風は強く、台風が近づいているのを実感できる。そんな状況でも観客席には子供の姿が多く、子供にせがまれて手頃な施設へ連れて来たのであろうか。メインプールの客席側は高さ2メートルの透明なアクリル板で、客席からも水中の様子をみることができる。最前列では目の高さに水面があり、水中のイルカの姿もバッチリで、面白そうでもあったのだが既に子供達に占拠されているので、客席中央に陣取る。前半がアシカショー、後半がイルカショーという構成で、地味なアシカよりもダイナミックな動きのイルカがメインのようだ。イルカショー自体は、高所のボールにヘディングさせたり、インストラクターがイルカに乗って水上ドライブしたりと一般的な内容。イルカと握手したり、イルカの合唱の指揮をしたりする観客参加型はもちろん、前列客へのシャワーサービスというお決まりコースもあった。
 イルカ・アシカショーが終れば、今度はパノラマ大水槽へ移動。14時からはパノラマ大水槽でアクアライブショーが始まるのだ。こちらも水槽前は子供達に占拠されているので、我々は近くのスロープ越しにパノラマ大水槽を眺める。時間になると酸素ボンベを背負ったダイバーが水槽に現われ、水中カメラでシロワニをはじめとした20種類以上のサメの大群を撮影し、水槽脇にある大型スクリーンにリアルタイム映像を映し出す。水槽内の生物についてひと通りの説明が終ると質疑応答タイム。水槽前で待機していた職員のマイクを通じて、ダイバーに質問することができる。ダイバーは質問に出てきた生物を探しては水中カメラで撮影し、映像を見せながら回答するという凝った演出。もっとも、水槽内で目的の生物を探すのは慣れたダイバーでも容易ではなく、時には目的の生物が見付からないこともある。水槽内にはサメをはじめ80種類1万匹近くの魚が泳いでいるのでやむを得ない。
 アクアライブショーが終了するとようやく館内見学の始まり。一旦、玄関ホールまで戻り、順路に従って見学を開始する。館内は、近海を流れる対馬暖流をテーマに熱帯から温帯、寒帯の海の生物350種類約2万匹をトンネル水槽や吹き抜け水槽などバラエティな方法で展示されているので楽しめる。3階から1階に下りるためのファンタジースロープも海の生き物が浮かび上がって深海を歩いているような演出がなされており感心する。15時からのラッコの餌付けを見学すれば、マリンワールドの見学終了で、2時間少々の充実した時間を過ごした。
 マリンワールドの館外に出れば曇り空ではあるが幸いにも雨は降っていない。道路と線路によって隔たれた海の中道海浜公園へ足を運ぶと、園内にレンタサイクルがあったので活用する。海の中道海浜公園は、540ヘクタールの広さであるため、徒歩では到底周り切れない。これだけの広大な敷地を有する理由は、海浜公園が旧米軍博多基地の返還跡地を利用していることにある。海浜公園は返還跡地の良好な自然環境を生かす目的で1981年(昭和56年)に開園した。もともとは、1936年(昭和11年)に現在の雁の巣レクリエーションセンターに当たる場所に福岡第一飛行場(通称雁の巣飛行場)が建設され、日本初の本格的国際飛行場として、東京や大阪などの全国の空港、韓国や中国を結ぶ中継基地の役割を果たしていた。その後、時代が戦争の色を濃くする中、雁の巣飛行場も博多海軍航空隊が創設されるなど軍用空港としての性格を帯びるようになる。終戦後は、米軍に接収され、1972年(昭和47年)に返還されるまではキャンプ博多と称する米軍基地として無線基地や将校宿舎などが設置されていたのだ。
 園内に整備されたサイクリングコースをたどるが、東戸クンと奥田クンが猛スピードで先行するので、必死になって追いかけるが、日頃の運動不足がたたって息が切れる。海ノ中道駅から西へ1キロも走れば、動物の森があり、脇目もふらずに通り過ぎた東戸クンと奥田クンを大声で呼び戻す。せっかく来た海浜公園をサイクリングだけで済ませてしまうのはもったいない。天候が気になるものの、今宵の宿は海ノ中道からは目と鼻の先にある志賀島なので時間には余裕があるのだ。
 動物の森は、動物と直接ふれあうことができるように配慮した動物園で、50種類約600匹の動物が飼育されている。動物園はレンタサイクルの通行ができないので、入口にあった駐輪場に自転車を停める。自転車に鍵が付いていないのが気になったが、仮に自転車を盗んでも公園の出入り口でチェックされるので問題がないのであろう。
 リスザルやクモザルなど愛嬌のある動物を眺めながら動物の森を歩く。モルモット、ウサギなどの小動物は、実際に抱くこともできるのだが、今日は飼育係の姿が見えない。台風に備えた準備で忙しいのであろう。牧場エリアにはポニー、ロバ、ラマ、ヤギ、羊などが台風とは無縁だと言わんばかりにのんびりと過ごしている。驚いたのはカンガルーの放し飼いエリアがあることで、なんとなく凶暴なイメージが先行していたのであるが、人間に慣れているためか、触ってもおとなしくしている。お腹の袋に子供が顔をのぞかせた姿を見られなかったのは残念。
 再び自転車で移動し、今度は園内西側にある大芝生広場へ。スポーツ大会やレクリエーションに利用される場所で、2006年(平成18年)には世界クロスカントリー選手権大会の開催も予定されているという。その一角には、全18ホールで天然芝生による本格的なパターゴルフ場があったので、ゴルフをたしなむ私以外の3人は興味を示す。時間もあるのでジュースを賭けて1プレイしようという流れになるのだが、用具を貸し出してくれるレストハウスに赴くと、台風のために既にポールを片付けてしまっていた。パターゴルフなのでポールがなくてもカップの位置はわかるのであまり支障はないであろう。1人350円を支払って、パターゴルフ大会が始まる。外周の旅としては第4日目となる1990年7月31日に千葉港駅の高架下を利用したパターゴルフ場以来となる。1人がカップの位置にクラブを立ててポール代わりとなりながら、半分の9ホールを足早に回る。東戸クンや奥田クンは、芝の目を読んで見せたりするのだが、私にはさっぱりわからない。結果は東戸クンがパー36打に対して32打で見事に優勝。安藤クンと奥田クンも33打で2位タイと接戦。ゴルフ経験なしの私は43打と予選落ちの成績だ。3人にジュースを奢る羽目になる。
 サイクリングコースに戻り、JR香椎線西戸崎駅に近い西口ゲート前を通りがかると、ゲートの正面には優雅なフランス式庭園カナールが広がる。ここは海浜公園のメインゲートにあたり、ギリシャ神話思わせるスカイシェルターやレリーフの泉の迫力ある噴水が水と緑の造形美を演出し、公園のスケールの象徴となっている。
 JR香椎線に並走するように北上すれば、ジェットコースターなどのアトラクションがそろったワンダーランドが待っている。ここで気になったのは大観覧車。奥田クンは男4人で観覧車に乗るなんてとんでもないという顔をしているが、ロケーションからして博多湾を一望できるのは間違いない。結局、ぶつぶつ文句を言いながら付いてきた。観覧車は閑散としているうえ、台風の影響で地上から62メートルある頂上に近づいてくると強風でゴンドラがガタガタと大きく揺れる。それでも眺めは期待どおりで、これから向かう志賀島や博多湾の向こう岸にはホークスタウンが見える。
 スリルを伴った大観覧車での12分間の空中遊覧が終わると、後は宿に入るだけなので、しばしのフリータイムとする。安藤クンと奥田クンはゲームコーナーで何やら興じており、自動車に興味のある東戸クンは、昭和20年代から40年代の高度経済成長期に馴染み深い国産車を常時60台以上展示しているという日本の名車歴史館へと消えた。私は園内の土産物屋を物色して過ごす。
 レンタサイクルを返却して、海の中道から18時02分の738Dで西戸崎を目指す。右手には先程のサイクリングコースが歩み寄り、大観覧車も姿を現わす。どうせなら西戸崎駅に近い西口から出場すれば良さそうなものであるが、コインロッカーに荷物を預けていたので海の中道駅まで戻らざるを得なかったのだ。
 西戸崎駅から今宵の宿となる割烹旅館浜幸家に電話をすれば、15分程で迎えに来るとのこと。かつて粕屋炭田の石炭を積み出していた西戸崎駅周辺は、福岡のベットタウンとして生まれ変わっており、駅前には立派なマンションが建っている。駅舎の裏手には福岡市営渡船の西戸崎渡船場があり、1時間に1本の間隔で博多と志賀島を結んでいる。鉄道利用でも博多まで35分はかかるところを15分という所要時間なので利用価値も高い。
 駅前ロータリーに浜幸家と記されたマイクロバスが現われたので、我々以外にも送迎客がいるのかと思ったが、そうでもないらしい。
「実は、他のお客さんは台風が来るというので軒並みキャンセルになってしまって、今日はお客さん達だけなのですよ」
運転手が苦笑しながら言う。雲の隙間から夕日が差しているものの、志賀島を結ぶ志賀島橋にかかると波が荒れているのがわかる。
「迎えに来る前に天気予報を見ていたけど、台風は九州には来ないよ。山口あたりを通過するようだね。もちろん台風が直撃すればこの橋も閉鎖されてしまうのだけど、この様子なら大丈夫。福岡湾の渡船もよほどのことがなければ休航なんてことはないしね」
心配になって台風の様子を運転手に確認してみたが、心強い回答が返ってきた。
 楕円形の志賀島には海岸沿いを一周する県道542号線が整備されている。メイン通りは博多湾に面した南側の道路であるが、他にお客がいないのを幸い、志賀島を時計の反対回りにめぐるべく、北側の道路から宿に向かってもらう。
 断崖沿いの道路を走り、右手に舞能ノ浜が見えたところで内陸部へ左折。すぐに浜幸家の玄関口にマイクロバスは横付けされた。玄関には女将さんが出迎えてくれる。他にお客がいないので、今日は正真正銘の貸し切りだ。部屋に荷物を置けば、いつの間にか雨が降り出した。台風の直撃は避けられたとはいえ、近くを台風が通過していれば天候に影響があるのは当たり前だ。4人が一斉に入れる広い浴場で汗を流して夕食の段取り。玄海灘の新鮮な刺身やサザエ、アワビなどが豪勢に並び、税込み8,000円とは思えない。テレビでサッカーのアジアカップを観戦しながら、ビールのグラスを傾ける。ジーコ監督の率いる日本代表はヨルダン代表に大苦戦。1対1のまま延長戦でも決着がつかず、PK合戦に持ち込まれるが、日本が中村、三都主が外した絶体絶命の状況からの勝利で、台風のことなどはすっかり忘れてしまった。

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