困った時には再起動

第80日 門司−戸畑

2004年7月29日(木) 参加者:東戸

第80日行程  早朝5時半頃に目が覚めると「ムーンライト九州」は新山口に運転停車をするところであった。本来であれば下関に到着するところであるが、1時間近く遅れているようだ。ダイヤが乱れた原因は昨夜の先行列車の車両故障であり、姫路到着前に延々と足止めされた。岡山で「のぞみ31号」から乗り継いだ東戸クンは、暑い中ホームで1時間以上の待ちぼうけという災難。ただ、個人的には翌朝までに遅れを取り戻すだろうと楽観していた。「ムーンライト九州」は、岡山−厚狭間がノンストップ扱いとなっているため、運転停車をやり繰りして何とかするであろうと思ったのである。昨夜、東戸クンにも講釈していたため、面目丸潰れだが、東戸クンは睡眠時間が増えたことに喜んでいた。
 遅れたために下関駅では、昨年手にすることのできなかった「デラックスふく寿司」(1,150円)を入手し、贅沢な朝食となる。ちなみに下関では「ふぐ」と濁らずに「ふく」と発音するそうだ。「ふく寿司」(840円)もあったのだが、「デラックス」にすると「ふく」の顔が描かれたプラスチック製の容器が付くので迷わず「デラックス」にする。中身に違いがあるのが不明だが、「デラックスふく寿司」は、ふく天婦羅、ふく身、ふく皮、ふくそぼろなど「ふく」尽くしで大満足であった。今度は冬期限定発売の「ふくめし」(1,150円)をぜひ賞味したい。
 関門トンネルを抜けてようやく九州入り。前回は門司で宇部山口空港へ向かう東戸君、安藤誠クンと別れたので、門司から今回の外周のスタートとする。それを知ってかどうか、「ムーンライト九州」は門司でも20分の大休止。九州地区の通勤・通学ラッシュの時間帯であり、臨時の「ムーンライト九州」を走らせる余裕がない模様。車内放送では乗り換えを進めるが、今日は小倉から藍ノ島へ渡る市営渡船が10時30分までないので急ぐ必要もない。東戸君も少しでもゆっくりしたいので、乗り換える気はないという。停車時間中に洗面を済ませて「ふく」の臭いを消した。
 7時20分頃に発車すると予告していたにもかかわらず、7時15分に門司を発車した「ムーンライト九州」は小倉に7時20分過ぎに到着。定刻は6時06分であるから、1時間15分の遅れとなる。
 小倉駅のコインロッカーに荷物を預けて身軽になり、まずは市営渡船の乗り場を確認する。地図によると小倉駅から北西方向に徒歩5分程度の距離なので、すぐに確認できると思っていたのであるが、「ムーンライト九州」の遅れに続いて早くも2回目のトラブル発生。周囲を見回しても桟橋らしきものはどこにも見当たらない。通勤途上のサラリーマンに尋ねても、市営渡船の存在すら知らない始末。途方に暮れていても仕方がないので、とりあえず小倉駅から北西方向にある松山へのフェリー乗り場へ足を向ける。同じ場所から出航しているのではないかという期待と、フェリーの関係者なら渡船のことも知っているであろうという推測に基づく。この発想は正解で、フェリー乗り場へ向かうと、藍ノ島航路の案内標識があり、フェリー乗り場よりも小倉駅よりのところに市営渡船乗り場が設けられていた。
 渡船乗り場を確認したところで小休憩。小倉駅近くのサウナプラザ駅前店で「ムーンライト九州」の汗を流すことにする。ホームページのクーポン券を提示すると2時間1,150円の料金が300円引きになった。インターネットが普及して、事前に下調べをしておくと思わぬ恩恵に預かれるケースが多い。サウナ施設の利用は初めてであるが、衛生面から裸にならずにサウナ用のパンツを着用するは驚いた。もっとも、サウナには入らずに湯船にばかり浸かっていたのではあるが。
 冷房の充分に効いた休憩室でテレビを観ながらのんびりと過ごす。テレビが朝のワイドショーの時間帯で松平健の「マツケンサンバ」が大流行しているとの内容。暴れん坊将軍が踊る姿は滑稽に違いないが、何が流行するかはわからないものだ。あまりだらだらしていると動くのが億劫になるので、9時過ぎにサウナプラザを後にする。
 渡船の出航時刻までは時間があるので小倉城へ足を運ぶ。かつて東戸クンがお城に興味をもっていると聞いたことがあったからだが、当の東戸クンは今日に限って言えばサウナでゆっくりしたかった節もあり。
 小倉城の歴史は意外に古く、戦国末期の1569年に中国地方の毛利氏が城を築いたところから始まる。関ヶ原の戦いの功労で入国した細川忠興によって1602年から本格的な築城が始まり、約7年の歳月を経て完成させたとのこと。もっとも、現在の小倉城は江戸時代に焼失したものを1959年に再建されたものである。「唐造りの天守」と呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴。幕末には長州藩を攻める第一戦基地にもなり、展示コーナーでは、NHK大河ドラマにあやかってか「新撰組」を取り上げていた。
 天守閣から北九州市内を眺めていると携帯電話に安藤クンから台風情報のメールが届いた。八丈島の沖合いにある台風10号が週末には福岡へ上陸するとのこと。通常、台風は東へ向かうものであるが、台風10号は西へ向かう珍しい台風とのこと。最近10年でも西へ向かう台風は4回しかないとのこと。希少価値のある台風ではあるが、これからの予定に影響を及ぼすことは必至で、進路変更を願うしかない。
 小倉城周辺には、「池泉回遊式」庭園や芥川賞作家の松本清張記念館もあるが、渡船の出航時刻が迫ってきたので見送る。藍ノ島には飲食店もなさそうなので、小倉駅前の「ポプラ」でパンと飲み物を補給して渡船乗り場へたどり着くと出航5分前。藍ノ島までの乗船券を購入しようとしたら、800円の往復乗船券を勧められた。往復乗船券で馬島にも途中下船できるとのことなので往復乗船券を手にして市営渡船「こくら丸」に乗り込む。
 定刻に出航した「こくら丸」は、藍ノ島へ向かう本日の始発便。乗船客は釣り人ばかりで、主な役割は島への物資の運搬のようだ。天気は快晴で台風が近づいているとはにわかに信じがたい。小倉港湾内を出ると昨年訪れた六連島の姿が見える。六連島と馬島は行政区画が下関市と北九州市に分かれるため、それぞれ市営渡船が運行されているが、実は2つの島の距離は1キロも離れていないのである。「こくら丸」は馬島に入港し、小倉から積んだ物資を降ろすとすぐに出航した。
 馬島から10分程の航海で「こくら丸」は藍ノ島の本村港に接岸。港の周辺には民家も多く、馬島より活気がある。人口は300人程度で、港の近くには砂浜もあり、キャンプをしている人達もいた。小倉から市営渡船で35分なので、北九州市民にとってはちょっとした憩いの場になっているのであろう。下船客にも砂浜の方へ向かう人達もちらほら。私たちも海水浴を楽しんでもよいのだが、藍ノ島には公共の水道設備がないため、泳いだ後の始末が大変なので見合わせる。馬島へ戻る次の便が14時30分であることを確認して、探索に出発した。
藍ノ島  港から時計と反対周りに砂浜を歩いていくと、まもなく岩場へと変貌する。藍ノ島の本村港から島の南東部に位置する大泊漁港までは岩場を歩いて周れるとの情報を得ていたので、足場に気を付けて岩場を進む。海水浴客がそれほど来ている様子はないが、海岸は波に打ち上げられたゴミが散乱している。積極的に清掃をしなければ、折角の自然も台無しだ。
 途中で養殖場に迷い込んだりしながら30分程で目的の大泊漁港に到着。近くに藍ノ島小学校もあったが、夏休みのためひっそりとしている。近くには漁協の購買部があり、小倉で買ったパンを朝御飯代わりに食べてしまった東戸クンが昼食の調達をした。ただし、後で賞味期限切れの商品であったことが判明。田舎ではよくあるケースで気を付けなければいけない。
漁港より先は歩ける状態ではないので、藍ノ島の背骨にあたる道路へ出て、島北部へ足を運ぶことにする。一般的に島の道路は起伏が激しいのだが、藍ノ島は平坦な道路で歩きやすい。ほとんど人に会わず、唯一、郵便配達のバイクが私たちを追い抜いていく。今年の4月より日本郵政公社が誕生し、分割民営化も検討されているが、民営化後に離島の郵便事情が現状のサービスを維持できるのか疑問を感じる。
 20分程で藍ノ島の北端部にたどりつく。灯台のある堤防は柵で締め切ってあり、立ち入ることができなかったが、堤防の脇から岩場の海岸に出ることができた。地図によると目前に姫島が記載されており、姫島へは歩いて渡れるとのことだが、それらしき島は見当たらない。休憩するにも日陰がほとんどないが、さわやかな風が吹いているのでそれほど暑さも苦にならない。沖合いで海女さんが漁をしている姿を眺めながら「ポプラ」で買ったパンで昼食とした。 帰りは藍ノ島の唯一の見所である史跡望見番所旗柱台に立ち寄る。江戸時代に密貿易船を見つけると大きな旗を掲げて小倉の番所に知らせたという石の旗柱台が残っている。いくら大きな旗を掲げたとはいえ、こんなところから小倉の番所まで合図ができたとはにわかに信じがたい。
 14時30分の「こくら丸」で馬島へ渡る。藍ノ島から馬島までの乗船客は私たちだけで、下船しようとすると船員に「降りるの?」と怪訝な顔をされた。馬島は福岡県で最も小さな有人島で、民宿などの宿泊施設はもちろんのこと、店は1軒もないようなところだから島民以外に訪問する人などいないのだろう。しかも、我々は小倉ではなく藍ノ島から馬島に渡ったので奇妙な2人連れと思われても仕方がない。
 島の大きさは周囲2キロ程度であり、島全体もフラットな地形なので歩きやすい。気楽なハイキングには手頃ではなかろうか。ますは島の北部へ通じる道を進んでみる。15分もしないうちに海蝕岩が続く海岸に出た。向かいには昨年訪問した六連島がそびえる。馬島から目と鼻の先で泳いで渡れそうな気もする。しばらく海蝕岩の上を歩き、今度は別の道から港に戻る。わずか1時間足らずで馬島を半周したことになるが、もはや馬島で歩けるところは限られている。港を背に今度は左手に進むと10分もしないうちに砂浜に行き当たりおしまい。手頃な海水浴場であるが先客はなく、船の時間まで日光浴をしながら過ごす。気持ちよくてウトウトするが寝過ごさないように気を付けなければいけない。
 乗り遅れないように早めに港へ戻り、連絡船待合所で過ごす。待合所のベンチには誰かが忘れていった「週刊少年マガジン」があったので暇潰しに東戸クンと交代で読み流す。高校生ぐらいまでに連載されていた漫画は知っているが、最近の連載漫画はほとんど知らないものばかりで歳を感じる。
 馬島16時43分の「こくら丸」は小倉行きの最終便。出航時刻が近づくと小学生3人が桟橋にやって来た。島内を散策したときにはどこにも見掛けなかったので、馬島の知り合いの家にでも遊びに来たのであろう。真っ黒な顔をして「こくら丸」に乗り込み、後から見送りに来たおじさんとおばさんに手を振っている。北九州の離島で夏休みの微笑ましい光景を目にした。
 小倉港から一目散に小倉駅を目指すと17時16分の荒尾行き快速4363Mに間に合った。今朝、「ムーンライト九州」から降り立ち、実に10時間ぶりの「青春18きっぷ」活用となる。車内は夕方のラッシュにはまだ時間が早いためか、座席がすべて埋まる程度の乗り具合で、部活動帰りと思われる高校生の姿が目立つ。
 スペースシャトルの巨大模型が印象的なスペースワールドを車内から眺め、17時38分の折尾で下車。筑豊本線に乗り換えて若松へ向かう段取りであるが、折尾といえば東筑軒の駅弁「かしわめし」が有名である。折尾駅の「かしわめし」は1921年(大正10年)に登場した歴史ある駅弁で、昔ながらの経木の容器に変わらぬデザインの掛紙をかけた中身は、鶏肉の炊き込み御飯の上に刻み海苔と錦糸卵とフレーク状のかしわだ。数少ない立ち売りをしていることでも有名であるが、立ち売りの時間は9時から17時までとのことで、今日は既に終了してしまったようだ。それでも駅の売店を覗けば「かしわめし」を売っている。私は過去にも食べたことがあるし、夕食の時間も近いので無理に食べる必要はないが、東戸クンは初めてなのでどうかと勧めてみる。しばらく、売店の前で迷っていたが、結局、夕食があるのでパスとの結論。
 久しぶりの折尾駅では筑豊本線の乗り場がわからずに少々迷う。折尾駅は筑豊本線の1・2番乗り場と鹿児島本線の3〜5番乗り場が立体交差しているうえ、階段がホームの小倉寄りの末端にあるのでわかりにくいのだ。折尾駅がこのような複雑な構造をしている背景には、それぞれの乗り場を使用する鉄道会社が、筑豊本線は筑豊興業鉄道、鹿児島本線が九州鉄道と別の会社であったという事情がある。ちなみに、折尾駅は日本最古の立体交差駅であり、建設当時そのままの煉瓦も残っている。
若戸大橋  10分以上もの乗り継ぎ時間がありながら、「かしわめし」と立体交差のため駆け込み乗車となった筑豊本線6464Dで若松へ。最近のJR線での傾向であるが、正式路線名のほかにも通称があり、折尾−若松間は若松線とも呼ばれている。若松競艇場に近い奥洞海から右手に北九州工業地帯の運河が顔を出し、18時06分に若松駅に到着。9年ぶりに降り立った若松駅は駅前周辺が随分と整備されてすっきりしている。若戸大橋を見上げながら、横浜の山下公園を思わせるような運河沿いのプロムナードを15分程歩いて若松渡船場へ。乗船料50円という時代錯誤のような料金を支払って北九州市営渡船「第十七わかと丸」に乗り込む。目指すのは対岸の戸畑で、1時間前に小倉から乗った快速4363Mで通り過ぎたばかりだ。
 わずか3分の乗船時間で戸畑に上陸し、今宵の宿となる「エスカル戸畑」へ。日本船員厚生協会運営の公共施設であるが、一般利用も可能であり、昨年宿泊した「下関海員会館」と同等の施設だ。ところが戸畑渡船場から徒歩5分の「エスカル戸畑」でチェックインをしようとすると予約が入っていない。間違えて前後の予約になっていないかを確認してもらったものの、該当するような予約は入っていない。空室があったから実害はなかったものの、満室だったらとんでもないことになる。予約した日時と対応した人の特徴を伝えて抗議をしたところ、翌朝になって「先月退職した人が対応したようなのですが、引継ぎをしっかりしておらずに…」との言い訳があった。
 夕食も今から準備をするので、先に入浴を済ませて欲しいと言われ、大浴場で汗を流す。さっぱりして食堂へ行けば、きちんと夕食が用意されておりやれやれ。アジのフライやしゃぶしゃぶサラダなど、およそ刺身などの新鮮な海の幸とは無縁であるが、ここは工業地帯なので、海の幸を期待するほうが間違いだ。職員の対応に腹を立てている私とは対照的に「1泊2食付き5,460円でこの内容なら大満足だよ」と東戸クンはご機嫌であった。

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