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第73日 須佐−萩

2002年8月3日(土) 参加者:東戸・安藤・奥田

第73日行程  「好月旅館」で7時30分に須佐タクシーを手配してもらい、早朝から須佐町の観光を始める。最初の目的地は須佐町の北部にある標高532.8メートルの高山(こうやま)だ。タクシーはしばらく須佐湾沿いに走り、「高山山頂入口」の大看板を目印に右折。高山頂上までの道路は想像以上に整備されており、登り始めて10分もしないうちに高山山頂にある磁石石に到着した。「天然記念物須佐高山磁石石」を掘られた石碑の脇に、巨大な岩が鎮座している。磁石石は強い磁性を持っているとのことであるが、方位磁石を持っているわけでもないので確認のしようがない。時計やデジタルカメラに支障を来たすと困るのであまり近づかずに遠巻きに眺める。 「ここから少し登ったところが展望台です」
タクシーの運転手に教えられ、磁石石の脇から続いている遊歩道を登っていく。3分もかからないうちに公園として整備されている展望所にたどり着く。公園内にも岩が点在しており、これらの岩も磁性を帯びているのであろうか。これらの岩が独特の雰囲気を醸し出している。展望所からは須佐湾が一望していると朝の爽やかな空気が気持ちいい。須佐湾は北長門海岸国定公園の東端に位置し、約16キロに渡る複雑な海岸線をもち、全部で7つの小さな入江がある。波穏やかな湾内に雄島(天神島)や中島(弁天島)など大小約70の島が浮かび、山陰では珍しい多島美だ。
 タクシーに戻って高山を下り、南西山麓海岸にある海に向かって大きく張り出したホルンフェルス断層へ向かう。その名も「ホルンフェルス」というペンションからしばらく遊歩道をたどる必要があったので、ここでタクシーを返す。朝からタクシー料金4,090円はかなりの出費だ。
須佐ホルンフェルス断層  遊歩道を海に向かって下っていくと、岩場の陰から黒色と白色を基調とし、茶色、黄色などの混じった縞模様をなす雄大な断層が現われる。須佐のホルンフェルス断層だ。この模様は交互に堆積した砂岩と頁岩(けつがん)が、地表付近まで上昇したマグマの熱で変化したもので、学術的にも貴重な存在であるとのこと。高温で再結晶化が進んだものが、角のように割れることからホルンフェルス(角石)と呼ばれている。高さ15メートルの海蝕断層は間近で見上げると自然の偉大な力を感じ、しばらく断層を眺めながら休憩。
 携帯電話が鳴ったので確認をすると安藤クンから。時間的に羽田空港からであろう。安藤クンは羽田を8時25分に飛び立つエアーニッポン575便で石見空港へ向かい、お昼前には我々と合流する予定になっている。確認の電話かと思ったらそうではない。
「羽田空港に奥田クンがいるのだけど…」
奥田クンといえば外周の旅の常連メンバーだけど、今年は参加の連絡を受けていない。突然現われて我々を驚かせようと思っていたようだが、宿の手配もあるので、事前連絡がなければ困る。安藤クンと同じく石見空港行きの575便に乗るというので、とりあえず一緒に連れて来てもらうことにする。
 ホルンフェルス断層からは歩いて須佐駅へ戻る。3キロ以上の道のりであるが平坦な舗装道路なので苦にはならない。やがて高山から見下ろした須佐湾が右手に広がり、遊覧船「新福丸」の案内を目にする。須佐湾を一周45分で巡る遊覧船で、今見てきたホルンフェルス断層や高さ100メートルもの断崖が2キロに渡って続く屏風岩など、須佐湾独特の断崖や奇岩を間近に眺められるという。遊覧船を利用して海上から見学するという方法もあったのだ。興味はあるものの時間の都合で断念。
 駅前の「好月旅館」で預けたままの荷物を引き取り、須佐駅へ向かう。9時52分の571Dまで時間があったので「柚子まんぢう」の案内に惹かれた駅前の「長崎屋商店」をのぞく。「長崎屋商店」では須佐町の特産品を利用した手作りの菓子を製造しており、「柚子まんぢう」も須佐町の山間部に位置する唐津や弥富で栽培された良質の柚子を使った菓子。柚子の表皮を薄く取り除き、その皮の部分を香りが逃げないように甘みを加えてジャム状ペーストにして保存する。これを表生地に作り込み、独特の香りを活かすのが秘伝という。餡は北海道産のみがき小豆を使ったこし餡で、表生地で餡を包み、蒸気で蒸して仕上げたという。1個65円と手間の割には値段も良心的なので、試しに買い求める。その他にも店内には須佐で栽培している古代米の一種である赤米を使った赤米ブランデーケーキや赤米クッキーなどオリジナリティ豊かな菓子が並んでいた。
 須佐駅のホームで「柚子まんぢう」を東戸クンと賞味していると571Dがやって来た。車内は立ち客が出るほどの乗車率。週末なので萩へ買い物やレジャーに出掛ける人が多いようだ。大刈トンネルと抜けると北長門海岸国定公園に指定されている海岸線が続き、ここまで来るともはや山陰という暗い寂しげなイメージが払拭される。
 10時14分の奈古で下車し、安藤クンに再び連絡をとる。奥田クン共々無事に石見空港に到着し、バスでこちらに向かうというので、今宵の宿となる「菊ヶ浜観光ホテル」に1名追加予約の電話を入れておく。
 山陰本線に沿った国道191号線を10分程歩いて道の駅阿武町へ。列車で道の駅を目指すのは奇妙ではあるが、ここには日本海温泉「メルテ阿胡」があるので、温泉に入りながら安藤クンと奥田クンの到着を待つことにする。手許のガイドブックには入浴時間が午前11時からとなっていたが、10時30分を過ぎたところなのに「メルテ阿胡」は既にオープンしており、300円の入浴料を支払って泉質がカルシウム、ナトリウム、塩化物泉の湯に浸かる。窓越しに日本海が見渡せるが、温泉と海の間の敷地は人の出入りが自由なため、その気になれば簡単に浴場を覗けてしまう造り。男女の浴室は日替わりとのことなので、多少の工夫をしなければ女性客のひんしゅくを買いそうだ。
 しばらくすると安藤クンと奥田クンが予定よりも早く現われた。石見空港からの特急バスは阿武町道の駅を通過してしまうので、奈古駅から我々と同じように歩いて来たかと思えば、奈古駅から上手い具合に路線バスに乗り継げたとのこと。
 さっぱりしたところで隣接する食堂「憩」に移動して昼食とする。地元の新鮮な魚を使った「刺身定食」もあるのだが、夕食に刺身が出るのは間違いないだろうし、ボリュームのありそうな「ミックスフライ定食」(750円)を注文する。店内に「大盛無料」の案内があることには気付いていたものの、ご飯だけ大盛にされても持て余すだけと思って何も言わなかった。ところが、店員が気を利かせてくれたのか全員のご飯が大盛で提供され、奥田クンは食べる前から「食べ切れねえ」と音を上げた。
 すっかりくつろいだ道の駅阿武町を12時07分の防長交通バスで出発し、萩市内へ入る。しばらく山陰本線との並走していたが、長門大井の手前で山陰本線は内陸部へ消えていく。長門大井から越ヶ浜までは、海沿いの国道191号線が完全な外周ルートになる。やがて右手前方に日本海へ突き出た陸繋島の笠山が見え、その付け根部分にあたる越ヶ浜入口で下車する。
 越ヶ浜漁港沿いの道路をしばらく歩くと大池、中の池、奥の池の三部分からなる明神池に出る。笠山と本土との間に砂州ができて陸続きになったときに埋め残されて海跡湖になったという。池は溶岩塊の隙間を通して外海とつながっており、潮の干満に応じて池の水も増減するそうだ。池の中にはマダイ、黒鯛,スズキ、メバルやボラなど22種類の磯付魚が生息している。これらの魚は、池畔にある厳島神社に漁師が豊漁を祈願して明神池に生きた魚を奉納したものが繁殖したのだという。安藤クンが餌付けを試みるが、魚が食べる前にトンビが餌をさらって行ってしまい、なかなか魚の口に入らない。
 風穴の案内標識に従って厳島神社の社殿の奥に進めば、溶岩の透き間から冷たい風が吹き上がってくる。温度は15度前後とのことで、まさしく天然のクーラーだ。暖地性植物の多い笠山のなかで風穴の周辺だけ寒地性の植物が棲息している。この環境を利用して越ヶ浜自治会が夏季限定の「風穴食堂」を営業しており、串イカやサザエのつぼ焼きなどのメニューがある。こんな面白い食堂があるのなら、ここで昼食にしたのであるが、道の駅阿武町で大盛の「ミックスフライ定食」を食べたばかりなので見送る。
 さらに進むと自然研究遊歩道の標識があり、先端の虎ヶ崎へ向かうには笠山の北岸をたどるコースと笠山の山頂をたどるコースがある。いずれも所要時間は1時間となっているので、行きは北岸をたどり、帰りに山頂を経由することにする。
「もう若くないのだから、あまり無理したらダメだよ」
合流したばかりの安藤クンから早々に泣き言が出るが、まだ全員20代なので聞き流す。日本唯一のコウライタチバナの自生地を経て、明神池から50分程で虎ヶ崎灯台にたどり着くと、汗びっしょりでさすがに疲れた。安藤クンや奥田クン共々その場にへたり込むが、1人元気な東戸クンは真っ先に白亜の灯台に登って行く。もっとも、我々も灯台を無視するわけには行かないので、小休憩の後に東戸クンに続き、灯台の前で記念撮影も済ませる。
 帰りは笠山の山頂を経由するので更に過酷なコースとなりそうだが、笠山の標高は112メートルに過ぎないのでそれほど心配はいらない。ヤブ椿の群生林を掻き分けながら山頂を目指す。虎ヶ崎には10ヘクタールに渡って60余種、約25,000本のヤブ椿の群生林がある。開花期の2〜3月頃には見事な景色になるのであろう。
 笠山の山頂は公園として整備されており、ここまではドライブウェーが続いているので観光客の姿も多い。展望台からは萩沖に浮かぶ大島、櫃島、尾島、相島が確認できる。これから渡る予定の大島は山が無く平らな島で、散策に苦労することはなさそうだ。
笠山火口  山頂近くには笠山の噴火口もあったので足を向ける。山頂から階段を下ったところにある噴火口の大きさは直径30メートル、深さ30メートルで世界最小の死火山だという。そもそも笠山は、1万年から3,000年前の火山活動でできた小さな火山で、一帯は溶岩台地になっているのだ。実際に噴火口の上に降り立ってみたが、狭い空き地のようで噴火口とは思えない。死火山なので当たり前か。
 笠山山頂からは安藤クンの意向で自然研究遊歩道ではなく、ドライブウェーの舗装道路を歩く。遊歩道よりも舗装道路の方が無理なく下山できると判断したようだ。もとより、私自身も息を切らしている状態なので異論はない。
 明神池に戻ったのは14時過ぎで、越ヶ浜停留所の時刻表を確認すれば13時50分にバスが出たところだ。来たときと同じように越ヶ浜入口まで歩けば萩方面へ向かうバスはありそうだが、安藤クンは当然にタクシーを要求する。東戸クンや奥田クンも同調したので、近くの公衆電話に設置されていた電話帳を使ってタクシーを呼んだ。
 萩交通タクシーを利用して、大島へ渡る萩商港へ向かうのだが、せっかくタクシーを利用するのに直行では芸がない。越ヶ浜から萩市街地へ向かう途中には萩反射炉があるので立ち寄ってもらう。萩反射炉とは、1858年(安政5年)に萩藩が鋼鉄製の大砲製作のために建設した西洋式金属溶解炉をいう。本体は解体されてしまったが、高さ11.5メートルの煙突は健在。当時、薩摩藩や水戸藩などが相次いで西洋式金属溶解炉を建設したが、現存するのは萩と静岡県伊豆韮山の2基のみだという。
 丘陵上にある萩反射炉は、煙突部分の上部は2本に分かれ、基底部は長方形で、上部に向かって9メートルまでは玄武岩と赤土を用い、先端の2.5メートルは大きな煉瓦を使用している。なんだか巨大な遺跡というより、モンスターのような雰囲気さえある。いずれにしても、萩藩の幕末における軍備充実の熱意が伺われ、激動の時代に活躍した志士を多く輩出した地域だけのことはある。
 タクシー利用のおかげで余裕をもって萩商港に到着。萩商港にはレンタサイクルもあり、渡船に積み込むことも可能なようである。自転車を借りて大島でサイクリングを楽しむのもいいかなと思ったが、料金が高くつきそうなので見合わせる。
 大島へ向かう「たちばな2」は134トンと思ったよりも大きな船舶である。それもそのはずで、高速船「おにようず」が登場するまでは、見島航路には「たちばな2」が就航していたのだ。現在でも「おにようず」がドック入りすると「たちばな2」が代替船として活躍している。
 「たちばな2」は1時間前に訪れた虎ヶ崎灯台の沖合を就航して行く。虎ヶ崎灯台には観光客の人影が見え、我々と同じように延々と自然研究遊歩道を歩いて来たのであろう。甲板から眺める限りでは大した距離ではなさそうに感じるのだから不思議だ。
 目指す大島は萩商港の北約8キロの日本海に浮かぶ島で、北長門海岸国定公園の区域に指定されている。壇ノ浦の戦いに敗れた平家方の落人7人が大島に流れ着いたという伝説が残っており、その子孫といわれる長岡、刀禰、池部、国光、吉光、豊田、貞光の7姓が大島の住民の大半を占めているらしい。1955年(昭和30年)に萩市と合併するまでは、相島、羽島、櫃島、尾島、肥島とともに六島村を形成しており、大島は村役場が置かれる中心地であった。
 笠山の展望所からは平坦な地形に見えた大島が近づくにつれて、次第に台形の島であることがわかってくる。大島港周辺に集まる集落は、台形の斜面に密集しており、台形の上辺に登るまでが一苦労しそうだ。萩商港でレンタサイクルを利用しなかったのは正解である。「たちばな2」は萩商港から25分で大島港に入港した。
 大島には一周する道路が整備されていないので、まずは港から向かって左手にある大島集落に足を向ける。急斜面の路地に足を踏み入れるとふくらはぎ張り、なかなか前に進まないが、地元のお年寄りは当たり前のように坂道を登っていくので恐れ入る。大島中学校と大島小学校を経て、ようやく台形の上辺にたどり着いたかと思えば、あたりは一面の畑だ。
「こんなところへ何しに来た?」
農作業をしていたお爺さんに声をかけられ、外周の趣旨説明をすると長くなるので島めぐりをしていると答えておく。せっかくの機会なので、大島のことをいろいろと尋ねてみると、周辺一帯で葉たばこやブロッコリーの栽培をしていることや巻網漁を主体とした漁業が盛んで、週末には釣り客が大勢押し寄せることなどを教えてもらう。
「この先には何かありますか?」
東戸クンが核心に触れるが、お爺さんの反応は芳しくない。
「さあね。何もないよ。でもわざわざ来たのだから気の済むまで行ってみな」
 お爺さんと別れて気の済むまで先に進むことにする。
「なんか地元のお爺さんと話をしたりして、所さんのダーツの旅みたい」
奥田クンがつぶやくが、外周の旅自体が日本の海岸線をたどること以外に目的がない旅なので、ダーツの旅と共通するところがありそうだ。そこそこ気の済んだところで港へ戻る。
 帰りの便まで時間があるので、かき氷の看板が掲げられている港近くの食堂「五月庵」で休憩をしようということになったが、その前に大島唯一の名所らしき大島八幡宮に参拝。建立は1445年(文正元年)と歴史のある神社で、1780年(安永9年)の大火により一度焼失したものの、翌年には再建し、現在に至っているという。港から延々と続く石段を登ったところにある御神体は、1420年(元永27年)の銘が入った木彫りの八幡尊像であったが、まさか500年以上前の御神体ではなかろう。
 「五月庵」でかき氷にアイスクリームが載っている「かき氷アイス」(300円)に惹かれたので、全員で同じものを注文。氷を削る音を聞きながら冷房の効いた店内でくつろぐ。やがて、運ばれてきたのは「かき氷」(200円)で、アイスクリームが載っていない。店の女将さんが「かき氷」を作ることに気をとられてアイスクリームを忘れたようであるが、そのままで済ませる。もちろん代金は「かき氷」の200円のみ。
 17時40分の最終便「たちばな2」で大島に別れを告げて萩に戻る。萩商港からは菊ヶ浜の崎から突き出た指月山を眺めながら海岸沿いの道路を歩く。太陽が傾いて海辺の海水浴客も帰り支度を始めている。
 萩商港から20分近く歩いてようやく今宵の宿となる菊ヶ浜観光ホテルに到着。ところがホテルに到着して一同唖然とする。部屋の壁紙は剥れかけ、ところどころに染みがついおり、畳には煙草の焦げ跡まで残っている。冷房は強に設定しても送風状態で一向に涼しくならない。1泊2食付きで5,735円と破格の値段なので、多少の覚悟はしていたものの、ここまでひどいとは思わなかった。およそ「観光」とは無縁の宿である。夕食後、気を取り直して近くの居酒屋にでも行こうということになったが、周辺にはそのような場所が見当たらない。次第に居酒屋を探すのも億劫になり、結局、ホテル近くの酒屋でビールや缶酎ハイを仕入れて環境の悪い部屋で飲むことになる。冷房が効かないので窓を全開にすれば蚊の襲撃に合い、寝苦しい一夜を過ごしたのであった。

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