タイヤのついているものが好き

第69日 菱浦−知夫里

2001年8月4日(土) 参加者:安藤・横井

第69日行程  海士観光協会で自転車を返却し、菱浦港9時出航のフェリー「びんご」で西ノ島の別府港に向かう。今日は別府港9時40分に出発する隠岐観光の定期観光Cコースを利用して、中ノ島と西ノ島のポイントを効率よく周遊する予定である。
 菱浦港から15分で到着した別府港は、菱浦港とは対照的で観光色の強い港で、港周辺に土産物屋やホテルが建ち並ぶ。当初、別府泊を考えていたのであるが、別府には民宿がなく、観光ホテルか観光旅館しかなかったので、菱浦泊に変更したのである。
定期観光の出発まで若干の時間があるので、フェリー「くにが」で購入した「隠岐らく周遊パスポート」の割引特典を利用できる西ノ島ふるさと館に足を運ぶ。本日最初の訪問客のようで、職員は慌てて館内の蛍光灯のスイッチを入れた。西ノ島ふるさと館は民族資料館の装いで、漁具や民具の類を展示している。遺跡コーナーや文化財コーナーを眺めて過ごした。
 9時半頃に別府港へ戻るとちょうど高速船レインボーが入港してきたところ。昨日、福井クンを七類まで送り届けた高速船で、今度は七類から安藤クンを連れてきた。安藤クンの合流で旅のメンバーは再び3人となる。
 乗船券売場で「隠岐らく周遊パスポート」を提示して定期観光Cコースの乗船券を求めるが、Cコースは割引対象外とのこと。パスポートには隠岐観光の定期観光は10パーセント引きとの記載しかなく、Cコースは適用除外との断り書きは一切なし。これが無料クーポン券であるならば、仕方がないで済むかもしれないが、200円とはいえ、有料で販売しているのであるから不信感を募らせるだけである。6,200円のチケットが620円引きなる目論見は外れた。
 定期観光は小さな観光船。9時40分に別府港を出航したかと思うとすぐに黒木御所前に接岸。ここが最初の観光ポイントである。碧風館という小さな資料館に案内されて簡単な説明を受けてから御所跡を見学。黒木御所は後醍醐天皇の隠岐行在所跡として伝えられており、島流しとはいえ、身分の高い者の隠岐での待遇はそれ相応のものであったと察する。
 観光船に戻り、今度は先程まで滞在していた中ノ島の菱浦港へ戻る。フェリーの所要時間は15分であったが、小型観光船の所要時間は10分。菱浦港には既に観光バスが待機しており、定期観光Cコースは海士観光協会が主催している中ノ島観光コースと合流する。2つの観光コースを共同で実施するとは効率的だ。
 観光バスにはバスガイドが乗務していたが、残念ながら綺麗なお姉さんではなく、小さなおばちゃん。まずは中ノ島の中心に位置する後鳥羽院、隠岐神社、歴史民族資料館を見学。この辺りは歴史体感エリアと称され、後鳥羽上皇にまつわるものが多い。桜の名所としても知られる隠岐神社の祭神も後鳥羽上皇である。この歴史体感エリアが中ノ島観光のメインで、その後は標高164メートルしかないにもかかわらず島前諸島から島後まで見渡せる金光寺山、昨日海水浴を楽しんだ明屋海岸を周っておしまいである。
通天橋  菱浦港に戻って今度は西ノ島観光である。西ノ島観光と行っても島内を観光バスで見学するのではなく、島の周辺を海上から見学する遊覧コースだ。出航間際にあらかじめ注文しておいた弁当が配達され、船内で昼食とする。隠岐の弁当らしくサザエがしっかり入った弁当を食べながら、西ノ島観光の開始である。観光船は時計と反対周りに舵をとりフルスピードで航行。三郎岩や東国賀の景勝地ではゆっくりと航行してくれる。岸壁にぽっかりできた洞窟にも入り込んだりとなかなか愉快な観光船である。ただし、ときどきエンジントラブルを起こしては船長がエンジンの調整に悪戦苦闘しているのは気になったが・・・。
 観光地図によると観光船は西ノ島を一周するような記載をしていたのであるが、実際は西ノ島西部の明暗の岩屋で折り返し、1914年に外海と内海を結ぶために開設された船引運河を通って浦郷港へ。ここで定期観光Cコースの終了である。
 今日の予定は15時30分の内航船「いそかぜ」で知夫里島へ渡るだけなのであるが、出航時間までまだ2時間近くある。港周辺で時間を潰してもいいのでるが、折角ここまで来たのであるから、海上から眺めた摩天崖には行ってみたい。横井クンは暑いので喫茶店に行きたいともらすが、摩天蓋へ行くことには安藤クンも異論はなく、多数決でタクシーをチャーターすることに決定。ところが夏休みの土曜日なので、島内のタクシーはほとんどで払っている模様で、港近くの営業所を訪ねたが空車はないとのこと。困ったときは観光協会に相談するに限るので、浦郷港の待合室にある西ノ島観光協会に伺いを立てると、数社のタクシー会社に連絡の上、先程観光船で通った引船運河の近くの美田という集落のタクシーを手配してくれた。
 20分程待ってやっとやって来たタクシーに乗り込み、まずは摩天蓋と通天橋を一望できる赤尾展望所へ。途中、民家のない峠道にバスの待合所があり、いぶかしげに思っていると、映画「未来日記」の撮影のために設置されたバス停であると運転手が教えてくれる。私自身、「未来日記」という映画の存在は隠岐の観光パンフレットを見るまで知らなかったのであるが、「未来日記」を見て西ノ島へやって来る観光客も多いと聞いてはチェックせねばなるまい。
 赤尾展望所へ通じる道路は途中から放牧区域に入り、路上には牛馬の糞が散乱している状態。糞を避けながらたどりついた赤尾展望所からの風景は、隠岐の観光パンフレットや絵葉書に採用される西ノ島を代表する景観地。展望台には大きな機材とテレビカメラが設置され、運転手に尋ねればNHKのお天気カメラとのこと。高価な機材を無防備に放置しているように思うが、不届者はいないとみえる。
摩天崖  お目当ての摩天崖もやはり途中から放牧区域に入る。放牧地区では車よりも牛馬が優先するとのこと。牛馬に進路を妨害されながらたどり着いた摩天蓋は高さ257メートルの大絶壁で、海面を覗き込むとさすがに足がすくむ。海上からみたときはそれほどの絶壁とも思わなかったのであるが、やはり近くで見ると印象は全く異なる。展望台には戦時中の監視所跡もあり、痛々しい姿を露呈していた。
 浦郷港へ戻る途中に港近くの由良比女神社にも寄ってもらい、タクシーによる西ノ島観光を終える。チャーターした時間は1時間30分で料金は7,350円。運転手のガイド付きで一人あたり2,000円少々であるから意外に割安である。タクシーのチャーターは正解であった。
 10分程遅れてやって来た内航船「いそかぜ」で最後の訪問地となる知夫里島へ向かう。「いそかぜ」は観光船がカバーしない内海に面した小さな港に寄港してくれるので有り難い。観光船と「いそかぜ」で、西ノ島はほぼ一周したことになる。船内には買い物帰りの若妻といった感じの金髪女性が乗り合わせており、どのような素性の人なのか気になるところ。隠岐のような辺境の地と金髪女性のイメージがどうしても不似合いである。私たちと同じく知夫里島の来居港で下船したが、どこかへ消えてしまった。
 知夫里島は隠岐でもっとも自然の多い島と言われる。人口もわずかに750人の周囲27キロの島である。もちろんバスなどは存在せず、島の唯一の公共交通機関は乗り合いのジャンボタクシーであると観光協会で教えられた。今宵の宿は知夫里島の中心部である郡にある民宿「坂荘」であるが、送迎は行っていないとのこと。残る選択はジャンボタクシーか徒歩だが、歩いて20分程度だと聞いたので迷わず歩く。郡は外海に面した集落なので、来居からは島の背骨を超えるようになるため、しばらくは登り坂が続く。
 「あの坂を登れば海が見える」という中学時代の教科書にあったフレーズが脳裏に浮ぶ。確か教科書の記述では坂をいくつ越えても海は見えないのであるが、知夫里島は期待を裏切らず、坂を登ると前方に外海が広がる。
 ふと私たちの横を先程の金髪女性が自転車で走り抜ける。やはり島の住民であったのだ。旦那さんは日本人であろうか。新たな疑問が湧いたが迷宮入りは間違いない。その後、島内で金髪女性を見掛けることはなかった。
 看板が出ていないので、通り過ぎただけではまず民宿とは気が付かない「坂荘」はその名の通り、坂の上に位置する。しかし、眺望はまずまずで部屋からも外海を眺めることができる。
 部屋に荷物を置くと横井クンが2日連続の海水浴へ誘ってくる。近場に海水浴場はないが、漁港の脇に地元の子供達が行水するようなところがあると民宿の女将さんに教えてもらったのでお供する。水着を持参していない安藤クンは、最初、海水浴には消極的であったが、道路からは死角になり、人気もほとんどないことからトランクスで海へ飛び込んだ。
 隠岐最後の夜は晩餐というのがふさわしい夕食。大小2種類の貝が皿に山盛りとなって運ばれてくる。大きな貝は隠岐名物のサザエであることは間違いないが、小さい貝は得体がしれない。
「これってフジツボですか?」
横井クンが意を決して尋ねるが、民宿の女将さんは大笑い。
「それはニーナですよ」
ニーナとは、小さな巻き貝の総称で、「蜷貝(にながい)」と言う。日本各地でこの蜷貝をニナ貝・ニーナ貝・ミナ貝・ビナ貝と呼んでいるそうだ。横井クンは中ノ島観光のバスガイドが「フジツボは食べることができます」と説明していたのが余程印象に残っていたようである。その後もニーナとサザエを肴に夜遅くまで3人で語り明かしたのであった。

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