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第68日 西郷−菱浦

2001年8月3日(金) 参加者:福井・横井

第68日行程  昨夜、1日遅れで横井クンが合流し、3人体制でのスタートとなる。今日はレンタカーを予約してあったので、営業所まで車を受け取りに行こうとすると民宿の女将さんから声が掛かる。
「レンタカーは送迎付きが当たり前。電話して迎えに来させるから部屋で待ってなさい」
しばらくするとまだ営業開始時間前であるというのにきちんとジャパンレンタカーの営業所員が迎えにやってきた。女将さんに礼を述べて、綺麗なお姉さんと巨大なゴキブリの出迎えを受けた民宿「喜兵衛」を出発する。綺麗なお姉さんというのは夏休みを利用して「喜兵衛」でバイトをしていた女子大生のこと。一方の巨大なゴキブリとは、昨夜、突如私たちの部屋に飛び込んで来た、招かざる客のことである。
 隠岐マリーナ営業所で貸し出し手続きを済ませてドライブの始まり。ドライバーは私で二人とも命は惜しくないようである。まずは西郷大橋を渡って西郷岬を目指す。地図によれば西郷岬には岬公園が整備されており、白崎灯台が待ち構えているはずだ。ところが宅地造成が行われている丘陵地をしばらく走れども、岬公園の案内も灯台の姿も見えず、気が付けば岬の付け根まで戻ってしまっていた。引き返すことも考えたが、今日は1日1便しか運行されない外浦・大谷海岸を周遊する遊覧船に標準を定めているので先へ進む。私と福井クンは昨日も遊覧船に乗ったから、絶対のポイントではないのだけれども、折角島後までお越しいただいた横井クンにも遊覧船を経験してもらおうと考えたのだ。
ロッジおくつど  これまた案内がほとんどなく、迷走しながらやっとの思いで遊覧船の乗り場のある「ロッジおくつど」に到着。観光パンフレットにも遊覧船の出航地は都万と記載されているだけであって、「ロッジおくつど」の名称がないので迷った。パンフレットの記載は改める必要がある。緑の木々に囲まれた南欧風の洒落た佇まいの「ロッジおくつど」のフロントで1,500円の乗船券を購入し、昨日と同型の遊覧船に乗り込んだ。出航時刻の10分前だというのに先客はゼロ。我々の貸し切りになるかと思われたが、出航間際に定期観光のバスが到着し、7名が乗り込んできた。これで1日1便しか運航されない遊覧船の謎が判明した。この観光船は観光バスのコースの一部に過ぎないのだ。我々のように遊覧船だけの乗客は稀であり、むしろ定期観光に含まれる遊覧船に便乗させてもらっているというべきであろう。
 定期観光の乗客はそそくさと船室に入っていったので、我々はいつものように甲板に陣取る。遊覧船はしばらく静かな入江を航行し、岬状の津戸をまわりこんで沖合に出る。さすがに揺れる。荒々しい岩場も現れたが、昨日の遊覧船で隠岐の奇岩の類は見飽きているので、同じような景色を見せられてもまたかという印象しかない。
 やがて遊覧船の前方には、老松が枝を交えた松林が確認できる。遊覧船のポイントのひとつである屋那の松原だ。屋那の松原は、昔、若狭の国(福井県)から隠岐に来て、800歳まで生きた八百比丘尼が島内の各所に植えた木々の一部であると言い伝えられている。八百比丘尼と言えば、小浜で人魚を食べたために、永遠の命と若さを手に入れたが、最後は村人に疎まれて尼となったと言われる人物ではなかったか。全国各地を行脚していたと言うが、隠岐まで来ていたとは驚きだ。入江には、杉皮葺き木造平屋建ての舟小屋が20棟ほど並んでいる。那屋の舟小屋として観光名所に挙げられているが、木造の屋根が並んでいるだけといった印象で、同じ舟小屋なら丹後半島にある伊那の舟屋の景観に軍配があがる。
 「ロッジおくつど」に戻ってドライブの再開。当初は都万村を抜けて那久岬へ抜ける予定であったが、レンタカーを借りる際に営業所員から都万から先の道は工事中で通行止めとの話を聞いていたので、島の中心を走る国道485号線で迂回する。時間のロスは大きな代償であるが仕方がない。島後は年中道路工事を行っているところだと聞いたがその通りだ。迂回する間にもところどころで道路工事による片側通行の規制が行われていた。結局、都万村から目と鼻の先である那久岬まで1時間を要した。
 那久岬は神功天皇が立ち寄ったという伝説の岬で、展望台には、1910年(明治43年)に設置された白い救済灯(旧灯台)が残されている。西郷岬で灯台に振られたので、灯台を背景に記念写真をパチリ。周囲には灯台以外は何もなく、目前には濃紺の大海原とこれから渡る島前諸島が広がっている。夕日の眺望は隠岐で一番のスポットと言われるがまだ午前中で日は高い。相変わらず日差しが強いがときどき心地よい風が吹くので日陰にいれば暑さはしのげそう。もっとも、炎天下の駐車場に放置されたレンタカーはサウナ状態であった。
 今度は内陸部にある壇鏡の滝を目指す。内陸部の滝など外周の範囲外なのであるが、隠岐まで来て小さなルールに固執することはなかろう。現に今日は遊覧船に乗るために、島後を時計周りに観光しているのであるから。
 壇鏡の滝までは細い道路が続いており、対向車が来ないことを祈りながらハンドルを握る。途中、やはり道路工事のトラックが道をふさいで立往生することもあったが、無事に壇鏡神社に到着。壇鏡の滝は壇鏡神社の境内にあり、神社の鳥居から滝までは約300メートルの参道が続く。樹木に覆われた参道を進むと、日本の滝百選・日本名水百選に選ばれている壇鏡の滝が現れた。雄滝と雌滝の二条の滝が50メートルもの落差を見せ、滝の裏側からも眺めることのできる裏見の滝としても有名である。壇鏡の滝の近くには湧き水があり、長寿の効用があるというので喉を潤すことができた。冷たくて気持ちがいいので、ハンカチを浸して顔を覆拭い、滝を眺めながらしばらく憩う。
 先程迂回した道路を戻り、本日のメインである「GOKA温泉」を目指す。「GOKA温泉」は1994年(平成6年)にオープンした隠岐唯一の温泉。水着着用で入浴するプール感覚の温泉があるという情報をキャッチしていたので、わざわざ水着を持参してきたのだ。ところが、「GOKA温泉」の所在地はすぐにわかったものの、営業している様子がない。定休日が月曜日であることは確認済みであったから、首を傾げなから入口に近づくと、「営業時間14:00〜21:00」の看板が目に入る。予定では西郷港14時25分のフェリーで島前に渡ってしまうので、これでは入浴する時間がない。一般的な外湯であれば早朝営業は当たり前だし、自宅の近所の公衆浴場だって正午から営業しているというのに困ったものだ。せめて観光シーズンだけでも営業時間の延長と無休にするぐらいのことはして欲しい。カーテンの締め切られた建物の前で指を咥えていても仕方がないので先へ進む。
 昨日、遊覧船で海上から眺めた隠岐最北端の白島展望台へ立ち寄る。島後の真北に突き出た白島の南東には高さ60メートルにも及ぶ柱状節理のアルカリ祖面岩に玄武岩がのった奇岩があり、鎧武者の姿に似ていることからよろい岩と呼ばれている。
 白島展望台から運転を福井クンに交代。佐々木家住宅へ向かう。道路が狭いため、観光バスのコースには入っていなかった佐々木家は、隠岐最古級の木造住宅である。母屋は杉皮葺き、石置き屋根、切妻平屋建てで、1836年(天保7年)に建てられた庄屋の家とのこと。屋敷内には農具、飲食用具、灯火用具など重要な民俗資料が多数展示されている。建物の桁行きは長いところで十一間、梁間は約七間、建坪69坪とかなり大きい。杉皮葺きの屋根は、3枚づつ重ねており、これらを押さえる屋根石は800個を必要とする。1992年(平成4年)には国の重要文化財に指定されており、釜の民家とも呼ばれる。わずか200円の入館料で管理人が丁寧なガイドをしてくれるので恐縮する。ドラマの舞台のようで20年程前までは実際に生活していた人がいると聞いて驚く。
 管理人に礼を述べて佐々木家を後にすると時刻はもう14時。急いで西郷港に戻りレンタカーを返却。帰りも西郷港まで送ってもらい、乗船券を購入するともう出航間際であった。土曜日に大学時代のサークルのOB会があるという福井クンとはここでお別れ。16時05分の高速船「レインボー」で七類を目指し、今夜の夜行バスで大阪へ戻る予定だ。前回の白兎海岸での別れといい、福井クンとの別れはいつも慌しい。
 フェリー「しらしま」は昨日、七類港で「くにが」と並んでいた船である。昨日はケチをつけていた船内の軽食堂で牛丼(570円)の昼食。魚尽くしの旅であるから自然に肉類のメニューに手が出る。横井クンはうどんにおにぎりというシンプルな選択だった。
 約1時間の航海で島前・中ノ島の菱浦港へ到着。中ノ島の中心は菱浦港から1キロ程離れた海士港あり、菱浦港周辺にはフェリーの待合室の他は見事に何もない。それなら海士港に入港すれば良さそうなものだが、地形から察するに海士港には大型フェリーが着岸できないのであろう。フェリーの到着時刻に併せて海士方面へ向かうバスが待ち構えているが、海士へ行く途中にある海士郵便局で旅行貯金を目論む私は徒歩で海士港を目指す。仕事の関係上、ノートパソコンを持参しているので荷物が多い横井クンはバス利用だ。
明屋海岸  菱浦から海士の集落までは一本道。フェリーから荷物を積んだトラックが数台追い抜いていく。対岸には緑の多い西ノ島が広がり、紺碧の海とが程好く調和したのどかなところだ。島前諸島は海士港のある中ノ島、対岸に広がる西ノ島の他、本州に最も近い知夫里島の3島の他、いくつかの無人島から形成され、島後とは対照的である。
 旅行貯金を済ませ、西ノ島へのフェリーが往来する海士港で、バスで到着したばかりの横井クンと無事に合流。今宵の宿となる民宿「片江荘」に荷物を預け、さっそく海水浴に出掛ける。折角水着を持参したのだから、せめてひと泳ぎしていこうという腹積もりだ。
「観光協会は5時で終わりなのですが、明日の朝一番で返却してもらえるのならお貸ししましょう」
海士観光協会で自転車を借りようとすると、何とも有難いお言葉をいただく。一晩借りっ放しになるのだが、料金は1時間500円の基本料金のみと良心的。目指すは中ノ島を代表する海水浴場の明屋海岸であるが、距離にして片道7キロはある。しかも起伏が多いために自転車での移動は相当な体力を要する。かれこれ1時間近くを要して夕陽のまぶしい明屋海岸に到着した。
 明屋海岸は砂浜ビーチを想像していたのであるが、大きな岩がゴロゴロした男性的な海岸である。足を切らないように注意をしながら海に入る。ここまでの道程で充分な準備体操にはなったであろう。冷たい海水が体を癒す。考えてみれば、日本の海で海水浴をするのは何年ぶりだろうか。少なくとも大学生になってからは、ハワイやニューカレドニアなどの海外リゾートばかりで泳いでいたので、10年ぶりぐらいにはなるだろう。我ながら随分と贅沢な海水浴ばかりしていたものである。
 体が冷えて来たところで、今度は岩場で日光浴。時刻は18時を過ぎているが夏の日は長い。隠岐最大の無人島である松島を眺めながらくつろいでいると、海士へ戻るのが少々億劫になった。

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