いつだって恋をしていたい

第67日 米子−西郷

2001年8月2日(木) 参加者:福井・横井

第67日行程  2001年8月1日、大阪・弁天町バスターミナルで福井クンと落ち合う。弁天町バスターミナルは大阪環状線の弁天町駅から少し離れているため、迷いながらやっとの思いでたどり着いたときには汗びっしょり。米子行き日本交通高速バスの発車時刻の10分前であった。
 福井クンとの挨拶もそこそこに予約したチケットを購入し、乗車の始まったばかりのバスに乗り込む。米子行きのバスはそれぞれが独立した3列シート。高速バスはしばしば利用しているが、夜行バスは初めて。4列シートならさぞかし窮屈だろうなと考えていたが、これならゆったりとできそうだ。
 22時30分の弁天町発車時点では5割程度の乗車率であったバスは、途中の難波から数名が乗り込み、8割程度の乗車率となる。難波から阪神高速に入り三宮駅前に立ち寄った後、今度は中国自動車道へ。真夜中の2時30分に加西パーキングエリアで小休憩のアナウンスがあったが、これは非常識としか言いようがない。おかげでほとんど一睡も出来ない状態で未明の4時30分に米子駅前に到着した。
 ここからが今回の旅のスタートである。弓ヶ浜の海岸沿いを北上する産業道路経由のバスは本数が限られており始発は7時18分。米子駅の待合室もまだ開いていないので、24時間営業の喫茶店か牛丼屋でもないかと街中をさまよう。米子の中心街は高島屋のある公会堂の辺りであることは、前回、皆生温泉に行ったときに確認済みなので、そこまで行けば1軒ぐらい入れる店があるだろうと検討をつけた。ところが、夜が明けきった頃に高島屋に着いたものの、開いていたのはコンビニが1軒のみで当てが外れた。時間を潰すようなところも無いので、今度は別の道から米子駅に戻る。朝から無駄な体力をつかってしまったものだと後悔した。
 駅に戻ると待合室も開放されており、とりあえず場所を確保。私たちと同じように昨夜大阪を出てきた臨時快速「ムーンライト八重垣」が停車していたのでのぞいてみると気の毒なほど空いている。「青春18きっぷ」のシーズンだというのにどうしたことか。もっとも、大阪から米子までであれば、「青春18きっぷ」が2枚必要なうえ、指定席券も必要になるから合計5,010円。我々が利用した夜行バスであれば4,500円であるから夜行バスに歩がある。
 開いたばかりの駅併設のコンビニで、コーヒーとサンドウィッチを購入し、待合室でムシャムシャと朝食タイム。なんともわびしい朝食であるが、これから隠岐の新鮮な刺身をたらふく食べるのであるから我慢する。
 7時を過ぎると米子駅も活気を帯びだし、にわかに賑やかになってくる。込みだした待合室の席を譲り、駅前のバスターミナルへ移動すると、うまい具合に境港駅行きのバスがやってきた。このバスも日本交通の運行である。
 バスは未明に私たちがさまよった高島屋前を横切り、国道413号線を北上する。防砂林の隙間から美保湾が顔を出し、右手前方には美保関も確認できる。順調に行けば美保関へは次回に訪問することになろう。
 境水道大橋の手前でバスは左へ折れたので、次の境警察署前で下車。これから境水道大橋を渡って隠岐へ行くフェリーの発着する七類港へ行くのであるが、七類行きのバスは境港駅からやって来るので、ここで乗り換えるのが得策と判断したからである。
 ところが、境警察署前で下車したものの、反対車線にある停留所には米子駅の文字しか見えずに途方に暮れる。七類港へのバスは別のルートを走るのであろうか。時刻表であらかじめ確認しておいた境港駅前のバスの発車時刻は8時20分だから時間にもあまり余裕が無い。このバスに乗り遅れれば、七類港9時出航のフェリーに間に合わず、隠岐での予定が台無しになってしまう。いざとなったらタクシーしかないなと考えながら、とりあえず境港駅方向に歩いてみる。5分程歩くと境警察署前からひとつ境港駅よりの元町停留所があり、念のため停留所の時刻表を確認してみると「七類港」の文字があった。
 焦ったわりには5分も遅れてやってきた日ノ丸自動車バスは、私たちの行動をあざ笑うかのように境警察署前を通過した。日ノ丸自動車バスには境警察署前に停留所を設けていないようである。
 境水道を跨ぐ巨大な境水道大橋が鳥取県と島根県の県境。橋を渡ったバスは島根半島を横断して、大きなフェリーが2艘着岸している七類港に到着した。1艘は私たちがこれから乗船する9時出航のフェリー「くにが」。島後まで直行する便で西郷着は11時20分。もう一艘は「くにが」の20分後に出航する島前経由のフェリー「しらしま」。「しらしま」も西郷まで行くが、こちらは島前経由で時間を費やし、西郷到着が14時10分到着と「くにが」よりも3時間も余計に時間を要するから乗り間違えたら大変なことになる。
 立派なフェリーターミナルでの最初の手続きは乗船券の購入。乗船名簿を記入して乗船券を購入するのであるが、私は今回の旅の直前に隠岐観光協会のアンケートに回答して、その謝礼として高速船レインボーの往復乗船券を手にしている。これから乗船するのは格下のフェリーであるが、果たしてこの乗船券で乗せてもらえるかは疑問であった。
「これでフェリーに乗せてもらえませんか。2等船室で結構です。差額を返金してくださいなんていいませんから」
「わかりました。それでは1等船室をご用意します。高速船と同じぐらいの料金ですから」
窓口担当の女性の対応はスムーズで、隠岐汽船の印象はすっかりよくなった。
 2等船室の福井クンを残して1等船室に案内される。2等船室は1階で込み合っているのに比べ、1等船室は2階で先客は1名だけ。10畳程の部屋を2名で使えるのであるから贅沢である。本来ならここでゆっくりとするのであるが、今回は福井クンがいるので、無視するわけにもいかず、荷物だけ置いて2等船室へ移動する。結局、1等船室は利用しないままに終わる。
 定刻に「フェリーくにが」は七類港を出航し、2時間20分の船旅が始まる。隠岐は島後、西ノ島、中ノ島、知夫里島の4つの有人島と180余りの小島から形成されており、正確には隠岐諸島と呼ばれる。隠岐は大きく、島後・島前と2つの呼び名で呼び分けられており、島後は、隠岐の中でも一番大きい島。島前は、西ノ島、中ノ島、知夫里島の3つの島から形成されている。今回はまず本州から最も遠い島後から島前へと旅をする予定だ。
 隠岐といえば島流しというイメージであるが、21世紀になっても2時間20分もかかるところへよくも平安時代の人々が行ったものだと感心する。甲板のベンチに腰掛けると、太陽がジリジリと照り付けるものの、さわやかな潮風が心地よい。昨夜の睡眠不足を補うべく、しばらくうたた寝を楽しんだ。
 定刻の11時20分にフェリー「くにが」は島後の玄関口である西郷港に入港した。フェリーターミナルからはスカイブリッジによる連絡通路が接続されている。なんだか異国の地へやってきたような感じがする。
 西郷は隠岐で最も大きな街である。港が内湾になっているところから、日本海が荒れているときも平穏な港であるため、江戸時代から日本海を航行する船が寄港していたという。西郷が発展した理由もそのような歴史的背景があるかれであろう。
 西郷郵便局で隠岐初の旅行貯金を済ませた後、西郷港の斜め向かいにあるポートプラザで「隠岐らく周遊パスポート」を提示して、観光バスのチケットを購入する。「隠岐らく周遊パスポート」とは、フェリー売店で宣伝していた観光施設の割引クーポン券の冊子で200円也。このようなものを有料で販売するのはどうかと思ったが、200円以上の特典を受けるのであれば活用するに限るということで購入したのであるが吉と出た。本来、6,640円の観光バスチケットが5,800円になった。「隠岐らく周遊パスポート」代の200円を差し引いても640円の得である。
 割引に気をよくして、やはりポートプラザの斜め向かいにある「お魚センターりょうば」で早めの昼食。アジの塩焼き、刺身、もずくなどがセットになった「いそみ定食」(1,000円)を注文し、隠岐の魚づくし料理の始まりである。新鮮な刺身が美味い。外周の旅を始めてからというもの、冷凍ものの刺身がまずくて食べられなくなってしまい困ったものである。
 腹ごしらえをしてポートプラザに戻り、観光バスに乗り込む。隠岐一畑交通の定期観光2便は、隠岐名物の牛突きがコースに組み込まれている島後のメイン観光便だ。乗客は予想外に少なく、我々を含めて18名だけである。
郷土館  観光バスは島後を時計と反対周りに走り布施港へ。ここから遊覧船に乗り換えて、浄土ヶ浦・白島観光を行う。浄土ヶ浦海岸は、島後の東に位置し、岩礁群が雄々しく立ち並ぶ。沖合に出ると小ぶりな船で揺れは大きいが、小さな船体を活かして洞窟の中に入り込んだりしてくれるので、なかなか面白い。透き通るようなブルーの海面も美しい。ただ、私たちは船尾に乗り込んだので、エンジンに近く、ガソリンの匂いが充満するのには参った。
 遊覧船は島後沿岸を北上し、島後の真北に突き出た白島崎や白島、沖ノ島などの小島を周遊し、よろい岩や象が鼻と呼ばれる奇岩を眺めた後、島後北東に位置する中村港に接岸する。
 中村港には観光バスが回送して待ち構えており、いよいよ牛突きである。今回、観光バス利用を決めたのは、この牛突きを見るためといっても過言ではない。牛突きは隠岐の名物行事であるが、本格的な牛突きは年に数回しか行われない。だから観光客が気軽に見学できる牛突きは「定期観光牛突き」と呼ばれるこの牛突きだけである。バスは中村港から20分程で水若酢神社に到着。牛突きは神社近くの闘牛場で行われる。
 牛突きの開始時刻は15時との案内があり、それまで神社や郷土館を見学して過ごす。郷土館は島根県で一番古い洋風木造建築で1885年に建設されたとのこと。隠岐の貴重な民俗文化財等674点が収蔵されているが心はここにあらず。早々に郷土館を後にして闘牛場へ足を運び、一番前の席を確保する。
 隠岐の牛突きは、1221年(承久3年)に承久の乱に敗れて隠岐に流された後鳥羽上皇を慰めるために行われたことが起源とされている。闘牛場には次第にギャラリーが集まり、今日まで約780年の伝統を誇る牛突きにますます興味が高まる。
牛突き  綱に繋がれた2頭の牛が会場に連れて来られて牛突きが始まる。綱を外して2頭を野放しにするのかと思ったら、綱取り男と呼ばれる人間が、牛をけしかけて戦わせる。牛はマイペースでなかなか戦闘モードに入らないのでじれったい。しばらくして、ようやく牛が本気になり、戦いが始まるが、一方が優勢になると、優勢になった牛に鞭を入れ、劣勢の牛の手助けをする。そんなことを数回繰り返して牛突きはおしまい。実際に戦っていた時間は5分もなかったのではないか。勝敗をつけてしまうと負けた牛の闘争心が損なわれるので、適当なところで引き分けにしてしまうのが隠岐の牛突きらしい。牛同士がぶつかり合う姿は迫力があったが、スペインの闘牛を連想していたので、少々物足りないが、目的は果たしたのであるからよしとしなければいけない。
 その後、後醍醐天皇の行在所跡といわれる隠岐国分寺、改築工事中で見学するところがない玉若酢神社を経て、億岐家宝物殿へ。ここにはかつての20円はがきに印刷されていた駅鈴が保存されており、テープながら駅鈴の音を聞くことができた。駅鈴は奈良時代、役人の身分証明書となったものであり、これを提示すると駅で人馬の提供を受けることができたとのこと。日本全国に配布されたとのことであるが、現在は隠岐の駅鈴しか残っていないそうである。
 観光バスは16時20分にポートプラザに帰着。ポートプラザの2階にある隠岐自然館まで観光コースに含まれており、隠岐自然館に入館した後は流れ解散となる。隠岐自然館は、隠岐に棲息する鳥や虫の標本や写真、植物や石などが展示されており、自然に特化した博物館。私も福井クンもあまり興味のある分野でないので、一周りしただけで自然館を後にした。
 今宵の宿は西郷港に近い民宿「喜兵衛」を予約してある。まだ夏の日は高いが、夜行バスでほとんど徹夜状態だったので、早めに民宿に落ち着くのもよいだろう。ポートプラザから徒歩10分の民宿「喜兵衛」に着けば、若い女の子のお出迎え。民宿の娘さんかと思ったら、夏休みのバイトらしい。部屋には、昨夜の寝台特急「出雲」利用でこちらへやって来た横井クンが我々を待ち構えていた。今日は定期観光バスを利用して島後の西半分を周遊することができた。明日はレンタカー利用で東半分を周遊する予定だ。時間はたっぷりあるので、地図を広げて作戦会議をすることにしよう。

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