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第66日 鳥取−米子

2000年7月31日(月) 参加者:奥田・福井

第66日行程  早起きしてまだ誰も足を踏み入れていない砂丘の一面に広がる風紋を見物しようと考えていたのだが、すっかり寝過ごしてしまい砂丘の早朝散歩はお預け。朝食を済ませて鳥取市サイクリングターミナル「砂丘の家」から徒歩7分の子供の国入口停留所から鳥取駅バスターミナル行きの日本交通バスに乗る。定刻の7時50分に現われたバスはマイクロバスで、通勤時間帯だというのにマイクロバスで間に合うのだから地方の過疎化は深刻だ。鳥取駅までの所要時間は20分で運賃は310円だった。
 さて、鳥取駅まで来たからには鳥取温泉でひと浴びしなければなるまい。鳥取は全国でも珍しく県庁所在地の市街地に温泉が湧いているのだ。鳥取駅東側の繁華街には、末広温泉町、永楽温泉町、吉方温泉町と温泉に由来のある地名が付けられており、「温泉旅館丸茂」や「観水庭こぜにや」、「対翠閣」といった温泉旅館も集まっている。もちろん外周の旅に適した公衆浴場もあり、「レンガ温泉」、「元湯温泉」、「宝温泉」、「日乃丸温泉」、「木島温泉」と駅周辺だけでも5軒あった。ところが、この時間から営業しているのは「日乃丸温泉」の1軒だけだったので必然的に入浴場所が決定する。多少迷いながら市街地を流れる山合川沿いの「日乃出温泉」にたどり着く。おもしろいことに「日乃出温泉」の2階は「アフターアワー」というライブハウスになっていた。
 290円の入浴料を支払って脱衣場に入ると、この時間帯は唯一営業している公衆浴場なので地元のお年寄りで賑わっている。泉質はナトリウム−硫酸塩・塩化物泉で、無色透明の天然温泉だ。温度は47度と少々熱めなのであまり長時間入浴していられなかったが、サラサラ感があり、疲労回復にも効くようだ。
 折角温泉で汗を流したにもかかわらず、鳥取駅に戻るまでに容赦なく汗が噴出す。末恒まで190円の切符を購入して、8時57分の235D普通列車に乗ると冷房が効いており、ようやく汗が収まった。遅れた接続列車を待ち受けたため、3分遅れで235Dは鳥取を発車する。鳥取大学前を出ると左手に湖山池が顔を出す。周囲16キロの湖山池は、池と呼ぶにはあまりにも大き過ぎて、湖と呼ぶのがふさわしいような気がする。陸水学では、一般に水深5メートル以上で、中心部にクロモやフサモなどの沈水植物が侵入できないくらいの深さがあり、夏に水温成層と呼ばれる水面から水底に向かって温度の違う水の層ができるものを湖、水深が1〜5メートル程度で、中心部まで沈水植物が生え、夏に水温成層ができないものが沼、湖や沼よりも小さい水塊や人工的に造成されたものが池と区別されている。もっとも、厳密な区別ではないため、定義に合致していないケースも多いようだ。湖山池には、広大な水田を持っていた長者が黄金の扇子で夕日を追い返して田植えをしていたところ、一晩で水田が池に変わってしまったという湖山長者伝説があるため、池と呼ばれているのかもしれない。もちろん池としては日本一の大きさを誇り、海水と淡水が混じり合っている汽水湖となっている。
 鳥取での遅れをそのまま持ち越して定刻よりも3分遅れの9時12分に235Dは末恒に到着。駅前の末恒郵便局で今回の旅で初めての旅行貯金を済ませて、日本海沿いの国道9号線へ出ると末恒駅口停留所があり、9時22分の日の丸自動車バスを捕まえる。このバスは9時50分に鳥取駅を出発しており、235Dが定刻よりも3分のハンディキャップを負っても楽に追い抜いたことになる。さすがに鉄道は早い。
 末恒駅口から3分もたたない白兎神社前で下車。わずか1キロ少々の距離に160円を投じる。普段であれば当然に歩いてしまう距離なのだが、今回は特別な事情があった。福井クンが5分後の9時30分のバスですぐに鳥取駅にとんぼ返りをするからだ。福井クンは大学で「雅楽会」というサークルに所属しており、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)といった吹き物を奏でている。今日は夕刻に「雅楽会」の会合があるため、それまでに京都へ戻らなければならないとのこと。慌ただしく神話「因幡の白兎」の舞台となった白兔海岸を眺める。
白兔海岸  「因幡の白兎」とは、日本書紀や古事記にも紹介されている神話である。淤岐ノ島のウサギが気多の岬へ渡るために、「仲間が何匹いるかを数えてあげる」とワニを騙して一列に並ばせたうえ、数えるふりをしながらワニの背中を渡ろうとした。ところが、もう少しで渡り終えるところでウサギは口を滑らせて、ワニを騙したことをしゃべってしまう。怒ったワニはウサギを捕らえて皮を剥ぎ取ってしまったのだ。そこへ通りかかった八十神たちは、ウサギに意地悪をして、海水で体を洗ってから風に当たればいいと助言する。ところがウサギの症状は悪化するばかり。そこへ通りかかった大国主命は、真水で体を洗って蒲の花粉を採って撒き散らし、その上に寝転がればよいと助言する。言われた通りにするとウサギの体は元通りになった。蒲の花粉は、蒲黄(ほおう)と呼ばれる漢方薬で、止血剤、増血剤、鎮痛剤、消化剤、利尿剤などに用いられる。何気ない神話に医療の片鱗を伺うことができる。
 目の前には神話では、ウサギがいたという淤岐ノ島、ワニの背に見立てた海食棚、手前には気多の岬が続く。それにしても日本にワニが棲息していたのだろうか。調べてみるとワニはサメの古称であることが判明する。現在でも広島県北部地域ではサメのことをワニと呼んで食用に供しているとのことだ。福井クンも「因幡の白兎」の舞台に満足して、鳥取駅へ戻っていった。
 福井クンを見送ったところで、背後の山麓にある白兎神社へ向かう。国道9号線に面した「海水浴客は駐車禁止」と大きな看板がある小さな駐車場から階段を上がると右手に蒲の穂がある。ウサギが薬草として利用した蒲の穂だ。思っていたよりも小さな社には祠があるのみで無人の神社になっていた。その他にはウサギが身を洗ったという不増不減の池がある程度。時間を持て余したので再び白兔海岸に戻り、海辺を歩いてみると、海岸の東端近くで天然記念物のハマナス自生南限地帯や珍しい白兎礫層を見ることができた。
 5分遅れでやってきた10時30分の日の丸自動車バスに乗り、国道9号線を西へ向かう。小さなトンネルを4つ抜けて15分で浜村駅に到着。運賃は410円とかなり割高であった。
 浜村も山陰の歴史ある温泉地。開湯は約500年前で、山陰では湧出量がもっとも多いといわれる。小泉八雲の随想「知られぬ日本の面影」のなかで「美しく素朴な人情のある小さな村」としても紹介されている。まだ午前中であるが、もちろん本日2湯目を目指す。1997年(平成9年)11月にオープンした日本海から鷲峰山までを一望できるパノラマ露天風呂と銘打っている「温泉道場ゆったり館」が駅から徒歩5分と手頃そうだ。ところが浜村川の近くにある「温泉道場ゆったり館」の前まで来ると「本日休館」の札が出ている。何とも運が悪いがやむを得ない。露天風呂ではないが、国民宿舎「貝がら荘」で入浴ができると聞いたので足を運ぶ。「貝がら荘」の名は、豊漁を願う民謡「貝がら節」のふるさととして知られることから命名されたのであろう。
「温泉?別に入浴してもらってもいいけどこの暑いのに?」
玄関で案内を乞うと「貝がら荘」の職員は怪訝そうな顔をする。夏場でも温泉に来る観光客は皆無ではないと思うが、蟹漁が解禁となる冬場が観光シーズンの山陰だけに真夏に温泉目的の観光客など少ないのかもしれない。315円を支払って浴場に入る。泉質は、ナトリウム・カルシウム−硫酸塩・塩化物泉で、泉温は52.8度とかなり熱い。我々以外には誰もいないことを幸い、水でお湯を埋めながら入浴した。
 再び汗をかきながら浜村駅に戻る。11時57分の239D普通列車で乗る。本来なら浜村−泊間も日の丸自動車バスが外周ルートであるが、タッチの差で11時45分の青谷駅行きのバスに乗り遅れてしまったので緊急避難だ。
 239Dで青谷を経て泊まで先行する。泊駅前停留所でバスの時刻を確認すれば、わずか10分前に日本交通バスが出たところ。バス、鉄道とも頻繁に運行されているわけではないので、もう少し接続を考えても良さそうなものだ。もっとも、当初は青谷駅で日の丸自動車バスと日本交通バスを乗り継ぐ予定であったので、本来乗るべきはずの便は次の13時20分である。ちょうど昼食時なので、どこかで適当な店がないかを探すが駅前には食堂などは見当たらない。仕方がないので国道9号線を羽合方面に向かって歩く。
 やがて東郷湖の南を迂回する山陰本線が南に去り、国道9号線のバイパスの泊インターチェンジ近くにあった「レストランSkyRoad」に入る。ファミリーレストランのような雰囲気だが、周囲に数少ない外食産業であるためか繁盛している。「海鮮丼」(1,000円)を注文したら売り切れで、やむを得ず「焼肉定食」(880円)で手を打つ。
 宇谷東口停留所13時23分の倉吉駅行き日本交通バスを捕まえ、運転手に羽合温泉へ行く方法を確認すると、田後で乗り換えるようにとのこと。田後は昨日の浦富海岸の漁港と同名の停留所であるが、こちらは東伯郡羽合町の中心街に近い。羽合温泉行きのバスまで15分程の待ち合わせだったので、停留所の前にあった「スーパー味惣」で飲み物を補給する。レシートには「スーパー味惣ハワイ店」とあり、「羽合」をカタカナ表記で「ハワイ」としている。近所のクリーニング店でも「ハワイ店」を名乗っており、太平洋に浮かぶリゾート地であるハワイにあやかって地域の活性化に努めていることが伺える。
 羽合温泉行きの日本交通バスは、定刻の13時50分から7分も遅れて現われた。田後から羽合温泉までは、熱帯樹を植えたハワイ道路を走る。南国の雰囲気を醸しだそうとしているものの周辺の水田がなんとも不似合いだ。
東郷湖  老人福祉センター前停留所にバスが停まると我々以外の乗客は全員が降りてしまう。羽合温泉行きのバスの実態は、老人福祉センターへ通う地元の足なのだろうと思っていると運転手から「終点ですよ」と声が掛かる。羽合温泉行きなので、てっきり羽合温泉という停留所があるものだと思っていたが、そうではないらしい。観光客にPRしようと思うのであれば、「老人福祉センター前」を「羽合温泉」に改称した方が良さそうだ。
 羽合温泉は東郷湖の湖畔にある温泉街で、対岸には東郷温泉がある。かつては東郷湖に船を浮かべて湖中からわき出る温泉を利用したという。湖畔には桜の木が並んでおり、春には東郷湖もピンク色に染まるのであろう。しばらく東郷湖畔を散歩して、1993年(平成5年)にオープンした温泉施設「ハワイゆ〜たうん」に向かう。300円の入浴料を払って浴場に入れば、なんだかプールのような造り。ガラス窓の天井から空を眺めることができるようになっている。どうせなら、空よりも東郷湖を眺めるような立地に施設をつくればよさそうなものだ。泉質は含石膏弱食塩泉で、リウマチ・皮膚病などに効能があるという。本日3湯目で食傷気味なのか奥田クンはすぐに温泉から上がってしまった。
 田後方面に1キロ程戻ったところに上浅津簡易郵便局があったので、奥田クンに断って旅行貯金に出向く。これから乗る倉吉駅行きのバスは田後までは来た道を引き返すだけなので、途中からバスに乗ればいい。ところが上浅津簡易郵便局では局員にいろいろと話し掛けられてバスの時刻が迫ってくる。本当はゆっくりと話を聞きたかったのだが、途中で失礼して上浅津入口停留所まで走る。ギリギリで上浅津入口14時52分のバスに間に合ったが、危うくタクシーで追跡する事態になりかねなかった。汗だくでバスに乗り込めば奥田クンがニヤニヤしながらこちらを眺めている。
 持参したJR時刻表によれば、このバスの倉吉駅の到着時刻は15時01分となっている。ちょうど倉吉15時05分の「快速とっとりライナー」に間に合うなと思っていたが、地図を見ながらバスの現在地を確認していると、どうも15時01分には倉吉駅に到着しそうもない。バスが遅れているのかと思いきや、やがて倉吉バスセンターという停留所に到着する。倉吉バスセンターと倉吉駅を見誤ったかと思い時刻表を再度確認すると「倉吉駅BC」と表記されているではないか。どうやらJR時刻表の誤植で、「倉吉BC」を「倉吉駅BC」と記載してしまったようだ。もっとも、全国版の時刻表利用者は列車との乗り継ぎを重視するため、倉吉バスセンターの時刻を記載されても役に立たず、JR時刻表の編集部も倉吉駅の発着時刻を収録するつもりで、倉吉バスセンターの時刻を収録してしまったのではなかろうか。駅前のバス乗り場にバスセンターと命名する都市もあるので、バスセンターが駅前にあると編集部が勘違いしたことには同情の余地はあるものの、時刻表が正確性を損なっていては役に立たない。後日、JR時刻表の編集部に誤植の指摘をしたところ、何の音沙汰もなかったものの、「倉吉駅BC」の表記は「倉吉駅」と改められ、バスの発着時刻も倉吉駅のものに修正された。
 日本交通バスは15時05分に倉吉駅に到着。既に「快速とっとりライナー」は発車した後で、ホームには倉吉で「快速とっとりライナー」に先を譲った242D普通列車が残っていた。「快速とっとりライナー」であれば米子到着は15時57分であったが、242Dだと16時40分とかなり遅くなる。ただ、今回の旅は米子で打ち切りとなるのは確実なので、全体の行程に及ぼす支障は限定的。代償に倉吉福庭郵便局で旅行貯金を済ませた。
 倉吉駅は市街地から離れた場所にあるので駅周辺もそれほど賑やかではない。かつては、市街地に向かって倉吉線が通じていたが、国鉄末期の1985年3月31日をもって廃止されてしまった。
 242Dはしばらく倉吉平野を横断し、八橋が近づいた辺りから車窓に日本海が現われた。方角的には車窓から隠岐が見えそうなものだが、あいにく海上は霞んでいて島影を確認することはできない。各駅に停車する都度、部活動帰りの高校生が下車するので、だんだんと車内は閑散としてくる。伯備線が分岐する伯耆大山を通り過ぎ、日野川を渡ると米子の市街地に入ると米子が大都会であるかのような錯覚に陥る。
 外周の旅では珍しく1時間22分も列車に揺られて米子に降り立つ。駅前に展示されている「C57−43」の動輪を眺めて、今回の旅の締めくくりとなる皆生温泉に向かう。米子駅前16時45分の日本交通バスに乗れば夕方の渋滞に巻き込まれて、皆生温泉には定刻よりも8分遅れの17時10分に到着した。定刻でも17時08分で、米子市内の温泉と思っていたが、意外に時間がかかる。
 米子市の北側、弓ケ浜の海岸近くに湧く皆生温泉は、1900年(明治33年)に漁師が海中に湧きだす湯を発見したのが始まり。発見から20年後に温泉地として開発され、米子の奥座敷と呼ばれるようになった。戦後になると皆生温泉の界隈は急速に発展し、数寄屋造りの老舗旅館から大型ホテルまで約40軒が揃う一大温泉郷となったという。もっとも、皆生温泉の歓楽街には現在でも風俗店が多数軒を並べており、あまり風紀がよろしくない。何度も客引きに声を掛けられながら海岸に向かって歩いていると、二条通の中程に松の木立に守られてひっそりと建つ皆生温泉の氏神を祀る皆生温泉神社があったので参拝する。「皆、生きる」の名前の通り、長寿のご利益があるようだ。その昔、出雲の稲佐の浜から泡となって流れた魂たちが海岸に流れ着き、新しい身体と心が蘇生されて皆、生まれ変わった。このことから、当地を「皆生」と呼ぶようになったという言い伝えも残っている。
 トンボロの砂浜が続く皆生温泉に出ると、砂浜沿いに温泉宿が建ち並び、水着を着たまま泳ぎに出掛けられそう。羽合温泉よりも皆生温泉の方がハワイらしい雰囲気だ。もっとも、今日はもう夕暮れ時で、環境省の「日本の水浴場88選」にも選ばれた海水浴場には既に人の姿は無い。夕暮れ時の海岸を眺めながら石畳の遊歩道を歩いていると、日本初のトライアスロンが1981年(昭和56年)にこの地で開催されたことを記念したブロンズ像が建っていた。皆生温泉が日本トライアスロン発祥の地であり、毎年7月には全日本トライアスロン皆生大会が開催されている。今年も1週間前の7月23日に開始されたばかりとのことだ。
 7月4日まで営業をしていた皆生温泉浴場跡を眺め、代わりに7月5日に新しくオープンした「おーゆ・ランド」へ赴く。歴史のある皆生温泉のイメージを刷新するようなお洒落な建物の「おーゆ・ランド」はホテルを併設した複合施設として生まれ変わっていた。OとUの形をした2つの大きな湯船を中心に、露天風呂やバイブラバスなど多彩な浴槽が揃い、サウナや家族風呂もある。夏休み期間中のため多くの観光客が集まっており、なかなかの盛況ぶり。まだ、新装オープンの余韻が残っているようだ。290円の入浴料を支払って館内に入ると、空間的な広がりがたっぷりと持たせてあり、ゆとりが感じられる。本日4湯目となったが、これには奥田クンも大満足で、2人で露天風呂に繰り返し入っては外周の旅の汗を流した。
 皆生温泉18時10分のバスで米子駅へ戻って解散。今回は城崎温泉から皆生温泉までの3日間で合計7湯と山陰の温泉地めぐりの傾向が強かった。蟹漁が解禁されることも考慮すれば、冬場に旅をした方がよかったかなと思いつつ、香住海岸や浦富海岸の遊覧船は夏場でしか楽しめず、どちらが良かったのかは難しいところだ。米子空港19時40分のANA820便で今日中に東京へ戻る奥田クンと別れて、18時42分の「快速石見ライナー」で一人松江に向かった。

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