知っておきたいグルメ情報

第65日 香住−鳥取

2000年7月30日(日) 参加者:奥田・福井

第65日行程  民宿「ポートかすみ」で朝食を取りながら女将さんに遊覧船について確認する。夜半に雨が降っていたので、天候が少々気になったのだ。
「ああ、かすみ丸ね。この天気なら大丈夫よ」
自信満々で太鼓判を押してくれるので心強い。運航は9時からとのことであるが、お客がいなければ欠航してしまうと聞いて、慌てて8時過ぎに民宿を出発して香住港近くにある遊覧船乗り場を目指す。
 民宿から20分近く歩いて遊覧船乗り場に着いたがまだ人影はなく、しばらく待ちぼうけ。8時50分になっても誰も現われないので不安になり、記載された電話番号に連絡をしてみるが、無人の事務所の電話が鳴っているだけのようだ。地元の人が保証してくれたのだから欠航ということはないだろうが不安になる。9時前になって同じく遊覧船目的の老夫婦が現われたが、閉ざされた乗船券売り場を見て首を傾げている。
「さっきから電話をしているのですが、無人の事務所の電話が鳴るだけで…」
 9時過ぎにようやく係員が現われて乗船券売り場のカーテンが開かれた。
「10時からは団体の予約が入っているので確実に出航しますが、9時台は5人以上お客さんがいなければ出航しません」
最初から1時間も足止めをされては後の行程に差し支えるが、幸いにも我々3名と老夫婦2名でちょうど5名だ。遊覧船のコースは香住−黒島・白石島一周コース(所要時間30分)、香住−鎧の袖・松ケ鼻沖一周コース(所要時間1時間)、香住−伊笹岬・釣鐘洞門一周コース(所要時間1時間30分)の3種類があり、乗船客の希望によりコースを決定するという。香住−伊笹岬・釣鐘洞門一周コースは餘部鉄橋を海上から眺めることができるので、我々も老夫婦も香住−伊笹岬・釣鐘洞門一周コースを希望したが、一方的に9時台は香住−鎧の袖・松ケ鼻沖一周コースに決定されてしまった。最初は風波の状況かと思ったが、10時に団体客がやって来るので、それまでに戻って来なければならないからということであった。10時なら香住−伊笹岬・釣鐘洞門一周コースですよと唆される。我々が断念すれば9時台は欠航となり、係員もそれを望んでいるようではあるのだが、なんだか癪なので香住−鎧の袖・松ケ鼻沖一周コースで我慢する。
 乗船券を購入するとすぐに出航するからと早急な乗船を促される。10時までに戻らなければならないのだから出航と決まれば早く遊覧船を出したいのであろう。9時10分に「第1かすみ丸」は香住桟橋を出航する。香住海岸の遊覧船「かすみ丸」は三姉妹船長が有名で、しばしばテレビでも紹介されていたが、今日の船長は長女とのこと。私が中学生ぐらいのときに美人三姉妹の遊覧船として日本テレビ系列の「ズームイン!!朝!」で紹介されていたが、さすがに随分とお年は召されていた。ただ、最近は代替わりした三姉妹船長も活躍しているようで、乗船券売り場にあったパンフレットには若い三姉妹船長が紹介されている。どうせなら若い三姉妹船長に案内して欲しかった。
鎧の袖  香住海岸は山陰国立公園の中心地で、この周辺には荒波に削られた断崖、洞門、洞窟など地質学上からも重要な景勝地が続く。磯の松島と沖の松島の二つから成り、四角形と六角形の柱状節理が見られるのが但馬松島で、岩肌に形の美しい松の木が生えている。浜風に吹かれ、波飛沫を受けながらも枯れずにそびえている松の木はたくましい。山陰本線の鎧駅を確認して、餘部鉄橋の手前にある鎧の袖は、海抜65メートル、長さ200メートルにも及ぶ柱状節理の断崖で天然記念物にも指定されている。武士の着用した鎧の袖にそっくりのため、鎧の袖と呼ばれているそうだが、どのあたりが鎧の袖なのかさっぱりわからない。ここで「第1かすみ丸」は無常にもUターンしてしまう。あと少しで餘部鉄橋が見えるのに残念だ。
 ちゃっかりと「第1かすみ丸」は10時に香住桟橋に戻って来た。既に駐車場には大型観光バスが停まっており、団体客が乗船を待っている状況。たとえ10時の便にしたとしても、大勢の団体客と一緒に押し込められたのでは溜まらない。餘部鉄橋を眺めることができなかったのは残念であるが、時間の節約にもなったので9時の便を選択してよかったようだ。
 香住駅まで歩いて10時29分の173D普通列車で浜坂へ向かう。遊覧船から眺めた鎧を出発するといよいよ173Dは餘部鉄橋に差し掛かる。餘部鉄橋とは、正式には餘部橋梁といい、山陰本線鎧−餘部間にかかる高さ41.45メートル、長さ309.42メートルの鉄橋で、トレッスル式と呼ばれる鋼材をやぐら状に組み上げた橋脚が特徴で、トレッスル橋としては日本一の規模を誇る。1909年(明治42年)12月に着工し、2年半の歳月と331,535円(現在の約2億5千万円相当)の建設費、延べ25万人の労力をかけ、1912年(明治45年)3月1日に開通した。
 餘部鉄橋で忘れてはならないのは国鉄末期の1986年(昭和61年)12月28日に発生したお座敷列車「みやび」の転落事故である。香住から浜坂へ回送中の「みやび」が突風に煽られて鉄橋中央部付近から機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落。餘部鉄橋下にあった水産加工工場を転落した客車が直撃し、「みやび」の車掌1名と工場の従業員5名が亡くなり、「みやび」に乗務していた日本食堂の従業員1名と工場の従業員5名が重傷を負うという大惨事になった。1988年(昭和63年)10月23日に事故現場に慰霊碑が建立され、毎年12月28日には慰霊祭が営まれている。
 事故原因は風速25メートル以上を示す警報装置が作動していたにもかかわらず、列車を運行させた人為的なミスとされているが、国鉄は事故後に運行基準を見直し、風速20メートル以上で列車の運行を見合わせるように規制を強化した。しかし、一方で冬の観光シーズンを中心に餘部鉄橋の運行見合わせが相次ぎ、山陰本線の定時運行の妨げとなっている。
 173Dは鎧を定刻の10時36分に発車。大小4つのトンネルを抜けると餘部鉄橋に差し掛かる。右手には余部浜海水浴場が広がり、海水浴客の姿もある。夏の日差しが降り注ぐ明るい日本海が広がり、転落事故現場という暗いイメージとは程遠い。沖合には先程乗船していた「第1かすみ丸」の姿が見えた。
 餘部を過ぎるとしばらく173Dは山間部を走る。この辺りの海岸沿いは但馬御火浦と呼ばれ、香住海岸の伊笹岬から浜坂海岸の観音山までの約8キロに渡って岩礁海岸が続いている。かろうじて細い道路が通じているが集落が存在しないためバス路線もなく、山間部を進むしかない。ただし、浜坂からは但馬御火浦を巡る遊覧船があるので、そちらでカバーすることにする。
 10時53分に浜坂に到着。遊覧船の出航する浜坂港へ20分程歩く。道路の案内標識を頼りに浜坂港の外れにある遊覧船乗り場に着くと、到着した我々をあざ笑うように但馬海岸遊覧船「いわつばめ」が桟橋を離れていく。遅れていた11時の便がちょうど出航したところで、次の便は12時30分という。世界最大級の釣鐘洞門を始めとする但馬御火浦の断崖絶壁、洞門、柱状節理・岩脈、岩礁が連続する岩礁海岸と島々の景勝地は捨て難いが、1時間30分待ちであれば、10時の「かすみ丸」で餘部鉄橋を見物してからでも間に合ったではないか。なんとも非効率的な旅をしているようで、事前にしっかりと計画していればもっと充実した旅ができたのにと悔やまれる。
 1時間30分も時間を持て余すのは無駄なので先へ進もうかと考えていると、奥田クンが浜坂に温泉があるという情報をキャッチしていた。浜坂温泉の存在は聞いたことがないが、1978年(昭和53年)に消雪用の水源を求めて掘削したところ湧出した温泉であるという。山陰地方には歴史のある有名な湯治場が多いため、歴史の浅い浜坂温泉はなかなか認知されていないのだ。地下122メートルより1分あたり300リットルという豊富な湯量が湧き出ており、町内の各家庭にも温泉が配湯されているという。奥田クンの案内で久斗川の河口近くにある「ユートピア浜坂」へ足を運ぶ。入口には「高齢者いきがい施設ユートピア浜坂」と表記されており、老人ホームではないかと疑いながら館内に入る。受付で確認をすれば間違いなく温泉施設で300円を支払って浴場へ向かう。「ユートピア浜坂」の正体は入浴施設のほかに大広間や研修室、機能回復室(トレーニングルーム)を備えた複合施設であったが、利用者は地元のお年寄りが目立つ。浴場には大小2つの浴槽とジェット浴槽を備えており、無色透明の湯である。臭いもしないので本当に温泉なのか疑わしくなるが、泉質はナトリウム・カルシウム−塩化物温泉とのこと。浜坂温泉の湧き出る湯は76度ということなので、かなり熱くてゆっくりと温泉に浸かっていられそうもない。
 入浴後に今後の行程を検討する。12時30分の遊覧船に乗って但馬御火浦巡りも考えたが、これから向かう鳥取県の浦富海岸にも遊覧船が就航していることが判明する。香住海岸でも遊覧船に乗ったばかりだし、近場の但馬御火浦よりも少し離れた浦富海岸の方が新鮮ではないかと考え、先に進むことにする。
 浜坂駅に戻り、駅前のコンビニエンスストア「コスモスヨネダ」で食料を調達。「駅弁屋さんのお惣菜」と銘打っていたので、駅弁が買えるのかと思ったが、浜坂駅弁の「かに寿司」の姿は無く、いわゆるコンビニ弁当の類しかない。「かに寿司」の製造元である有限会社米田茶店が経営するコンビニエンスストアというだけのことのようだ。仕方がないので「ミニカルビ丼」(330円)に100円のハンバーガーを2個買い求め、浜坂駅の待合所で箸を進める。
 浜坂13時15分の535Dに乗り込むが、車窓からは海が見えない。県境の居組までは海岸線沿いの国道178号線沿いに全但バスの路線が通じているが、居組停留所は山陰本線の居組駅と1キロ以上も離れており、時間のロスが大きくなるので目をつむる。535Dは居組を出るとすぐに陸上トンネルに入り、兵庫県と鳥取県の県境越えとなる。鳥取県最初の停車駅となる東浜が近くなるとようやく日本海が顔を出した。
 13時35分着の岩美で下車をすれば、駅前に観光会館があったので、観光地図をもらっておく。田後から遊覧船乗り場のある網代まで、海沿いに浦富海岸遊歩道が通じているのでたどってみようかなと思案する。
 岩美駅前を14時に発車する日本交通バスに乗ると10分少々で漁港のある田後へ運ばれる。田後は崖にへばりついたような小さな集落で、日曜日の昼過ぎであるためかひっそりとしている。駅前の観光会館でもらった地図によれば、この辺りから浦富海岸遊歩道が続いているはずであるが、周囲を見回してもそれらしき案内標識もない。誰かに尋ねようとしても人影は無いのでやむなく県道155号線を歩いて網代を目指す。黙々と県道を10分も歩くと、県道脇にちょっとした展望所があった。展望所からは日本海の水平線が広がり、手前には少し高さのあるひょっこりとした岩場状の島が浮かんでいる。さらに進むと海が消え、県道は上り坂となり、周囲は小高い山に囲まれる。沿道には畑があっても集落は無く、バスの路線が途切れているのもやむを得ない。やがて眼下に網代の集落が見え、自然と歩くスピードが速くなる。
 蒲生川の河口の網代港に出るとはるか前方に遊覧船乗り場がある網代新ターミナルが視界に入る。桟橋には遊覧船も停泊しており、時計を見れば15時になったばかり。遊覧船の出航時刻は9時10分から16時10分までの間、毎時10分と40分なので、急げば15時10分の便に間に合いそうだ。奥田クンと福井クンを急かして走るが、体力は2人の方が上だった。本気で走ればどんどん置いていかれてしまうので、大声で先に行って出航を待ってもらうように頼む。沓井大橋を渡り、息を切らせて遊覧船の桟橋にたどり着けば、網代新ターミナルの建物内で乗船券を購入して来て欲しいとのこと。時刻は15時10分をまわっているが、船員が乗船券を購入してくるように案内しておきながら置き去りにされる心配はないだろう。
 1,200円の乗船券を購入して、我々が乗り込むと、山陰松島遊覧船「まつしま」は網代桟橋を5分遅れで離れる。山陰松島とは、鳥取県の東端にある陸上岬から駟馳山まで続く約15キロの浦富海岸の別名で、山陰海岸の中で最も優れた景勝地である。鳥取からの交通の便も良いこともあり、香住や浜坂よりも乗船客は多そうだ。香住海岸と同じく日本海の荒波に浸食された断崖、絶壁、洞門、洞窟、奇岩、岩磯に富んでいるが、浦富海岸の方が繊細な感じがする。各所に白砂や青松の磯がある影響かもしれない。島崎藤村は浦富海岸を「神秘の幽境」と絶賛したそうだ。
鳥取砂丘  田後港にある松島灯台の手前まで往復して網代桟橋に戻り、約40分間の遊覧は終了。沓井大橋まで戻って16時04分の福部経由鳥取駅行き日本交通バスを捕まえる。蛇の化身の美女伝説が残る多鯰ヶ池に近い砂丘東口停留所で下車。鳥取砂丘に近いので、他にも下車客がいると思ったが、我々以外は誰もバスから降りなかった。10分程車道を歩いて「砂丘センター」にたどり着き、16時40分の運行終了間際の鳥取砂丘大山観光リフトに運良く間に合う。片道120円のリフト券を購入して観光リフトに乗れば、目の前に雄大な鳥取砂丘と日本海が広がる。ちょうど太陽が傾きかけてきた時間帯で、輝く海と砂浜が幻想的な雰囲気を醸し出している。
 リフトを降りるとラクダが待機しており、ラクダに乗って砂漠の雰囲気を楽しめる。もちろん日本に砂漠は存在しない。砂漠と錯覚しそうな鳥取砂丘は、中国山脈から千代川によって日本海まで運搬される土砂が北風により海岸に吹き上げられて堆積してできた海岸砂丘に過ぎない。しかし、東西16キロ、南北2.4キロ、最大高低差92メートルの日本最大規模の砂丘であるだけに異国の砂漠を連想させるのには充分だ。風によってできる風紋や砂簾など自然の織りなす芸術も砂漠の演出に貢献している。もっとも、ラクダは10分間の周遊で1,800円という相当な料金なので見合わせ。ラクダの飼育費用を考えたら妥当な料金なのかもしれない。
 「ジュースを賭けて海辺まで競争だ」
奥田クンが「馬の背」と呼ばれる砂丘の壁を勢いよく登って行く。リフトから眺めでは穏やかな稜線を描いていた砂丘も一歩足を踏み入れると恐ろしく起伏が激しく、砂という足場の悪さもあり歩くのも容易ではない。奥田クンは「馬の背」に向かって垂直に登り詰めて行くが、私と福井クンは斜めに登って斜面の影響をなるべく受けないようにする。
 夕方の強い日差しを浴びながら、やっとの思いで「馬の背」を登り切ると、雄大な砂丘と日本海、美しく湾曲する海岸線が一望できる360度の大パノラマが広がった。もっとも、海辺まではまだ延々と砂丘が続いており、戦意を喪失した奥田クンは「気持ち悪い」と座り込んでしまった。先程の勢いはどこへやら。今宵は鳥取砂丘に面した鳥取市サイクリングターミナル「砂丘の家」を予約してあるので、各々が自由に砂丘を散策して「砂丘の家」に入ればいいだろう。海辺までの賭けは放棄して「砂丘の家」に向かって歩き出す。途中、砂丘のくぼみに降り立てば、四方を砂に覆われて本当に砂漠にいるような気分になった。
 「今どこにいるの?もう着いとるで!」
携帯電話に福井クンから連絡があり、急いで「砂丘の家」に向かう。18時30分過ぎに「砂丘の家」に到着するとロビーで福井クンがくつろいでいた。チェックインの手続きを済ませたが奥田クンの姿がなく、携帯電話で連絡すると近くまで来ているとのこと。最後に到着した奥田クンに海辺まで行けたのか尋ねてみたが、「馬の背」を登った時点で断念し、車道をたどって「砂丘の家」まで来たとのこと。結局、賭けは不成立に終わった。
 今日はよく動いたので夕食の箸がどんどん進む。白身魚のフライに刺身が瞬く間に胃袋に収まる。セルフサービスではあるが、1泊2食付きで4,920円という安さなのだから気にならない。サイクリングターミナルは初めての利用だったので、どのような施設であるかと不安であったが、部屋の空調も良く充分に満足した。さすがに今日は夜更かしをせずに3人とも早寝とする。

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