イマドキ男子のつるすべ肌

第58日 小松−三国

1998年8月6日(木) 参加者:奥田・藤原

第58日行程  小松駅前を8時10分の小松バスで外周の旅をスタートする。小松バスのかつての社名は尾小屋鉄道であり、1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて尾小屋鉱山から掘削される銅を運ぶために新小松から尾小屋を結ぶ全長16.8キロの軽便鉄道として建設された。しかし、1971年(昭和46年)に閉山されると尾小屋鉄道も使命を終え、1977年(昭和52年)3月20日に廃止された。遊覧用に建設された西武鉄道山口線を除くと、旅客営業を行う非電化の軽便鉄道としては国内で最後までの残った由緒ある鉄道である。
 さて、今日の最初の目的は歌舞伎「勧進帳」で有名な安宅の関跡である。源平壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした源義経であったが、兄の源頼朝から謀反の疑いをかけられ、奥州平泉の藤原氏の元へ落ち延びようとする。これを知った頼朝は、義経を捉えるために各地に関所を設けたのだ。そして、1187年(文治3年)3月頃に山伏姿に変装した義経一行が安宅の関に差し掛かる。安宅の関守であった冨樫左右衛門泰家は、山伏姿の一行を疑ったが、弁慶は東大寺復興勧進のため職をまわる役僧と称し、何も書かれていない勧進帳(寄付帳)を読み上げた。そして、強力姿(荷人夫)の義経に疑いがかかると、弁慶は金剛杖を持って義経を打ち据える。これを見た冨樫は、弁慶の忠誠心に心を打たれ、義経一行だと気付きながらも安宅の関の通行を許したのだ。小学生のときに「勧進帳」の物語を聞いてから安宅の関跡へ行ってみたいと思っていたが、ようやく念願が叶う。
 小松駅からバスに10分揺られて関跡前で下車。有名な場所なので少しは観光客がいるのではないかと思ったが、バスから降りたのは我々3人だけで、周囲は静かな住宅街である。まずは停留所近くにあった安宅住吉神社へ立ち寄る。義経を祀った神社かと思ったが、創建は782年(天応2年)と古く、北陸道を往来した人々が必ず立ち寄った古社とのこと。陸路や海路の要所であったことから、旅の無事を祈る人が多かったのだろう。勧進帳を読む弁慶像が構える参道を参集殿に向かってまずは参拝。ここは難関突破の霊神としても多くの信仰を受けているようなので、国家試験の合格を祈願しておく。「難関突破」(800円)のお守りがあったので手にしてみると、お守り袋に弁慶のイラストが刺繍されている。義経一行は難関 「安宅の関」を見事突破できたのは、安宅住吉の大神の御神徳 の賜物と感謝の祈りを捧げたのが由来とのこと。受験シーズンには全国から多くの受験生が難関突破の祈願に訪れるようで、境内には難関突破の絵馬も並んでいた。
 参集殿の裏手にまわると目指す安宅の関跡があった。どうやら安宅の関跡は住吉神社の境内にあるよだ。松林に囲まれた安宅の関跡には石碑が建っているだけで、関所が存在したような遺構は見当たらないが、しばらく「勧進帳」のワンシーンを連想して満足する。その奥には、日本海に向かって弁慶、義経、冨樫の3体の銅像が並んでいた。
 9時の開館を待って唯一の施設らしい安宅関所館を見学する。200円の入館料を払って館内に入ると、義経一行の名場面が等身大の人形で再現されており面白い。やはりメインとなるのは「勧進帳」のシーンだ。その他にも民俗資料なども展示されているが、観光客がいないのが少々気の毒に感じた。
 帰りは安宅停留所から10時04分の小松バスを捕まえて小松駅に戻る。関所跡から1停留所しか違わないのが運賃は30円高くなり270円となり、ちょっと損した気分になる。小松からは11時07分の430M普通列車に乗り継ぎ、加賀温泉に降り立った。
 加賀温泉はもともと作見という小さな駅に過ぎなかったが、隣接する動橋駅と大聖寺駅が特急停車の激しい誘致合戦を繰り広げ、結局は両者の中間にある作見駅に特急列車を集約して停車させることで落着した。その際に駅名を現在の加賀温泉に改称して周辺の温泉地の玄関口となったという。もっとも、加賀温泉と聞いてもあまり馴染みがないのも当たり前で、粟津温泉、片山津温泉、山代温泉、山中温泉を総称して加賀温泉郷と呼ぶのだ。近年の温泉ブームに乗って、いずれ加賀温泉なるものも登場しそうな予感がする。この地域に温泉の源泉があるのは間違いなく、加賀温泉の駅前を掘削すれば温泉が湧いてくるかもしれない。
 加賀温泉駅からは11時45分の加賀温泉バスに乗り込む。このバスは、関西の奥座敷と呼ばれる片山津温泉と北前船が立ち寄った港町である橋立を経由して大聖寺駅に向かうが、途中で1箇所だけ途中下車する余裕がある。途中下車するとすれば、片山津温泉か橋立であるが、北前船は昨日の金石と大して変わらないだろうから、私は片山津温泉に立ち寄ろうと考えていた。ところが、奥田クンと藤原クンに希望を尋ねると、2人とも途中下車するなら橋立がいいと言う。温泉派だと思っていた奥田クンは、後で芦原温泉にも立ち寄るのであれば、わざわざ片山津温泉に立ち寄る必要がないとのことで、藤原クンは温泉自体に興味がなさそう。多数決で下車地は橋立となる。
 バスは途中で柴山潟湖畔に広がる片山津温泉を経由したが、指をくわえて通り過ごす。京都からも手頃な距離であるし、いずれ訪問する機会もあるだろう。奥田クンも温泉街の様子を見て「片山津でも良かったかな」と漏らす。
橋立  橋立に降り立つと、北前船が就航していた時代には日本一の富豪村と呼ばれていただけあって立派な家が多い。赤瓦、舟板を利用した外壁、太いはり、石垣を組んで土を持った上に立派な屋敷と石畳の町並みが続く橋立をしばらく散策。赤瓦は加賀能登地方で多く、黒瓦より古い製法のもので、18世紀末に遠方よりその製法が伝わったとのこと。当時はかやぶき屋根の家が普通であり、当時の流行であった赤瓦屋根が多いことが日本一の富豪村と呼ばれた証でもある。
 屋敷のひとつが「北前船の里資料館」として公開されていたので立ち寄ってみる。1878年(明治11年)に建築された旧北前船主の酒谷長平の邸宅を1882年(昭和57年)11月に加賀市が譲り受け、北前船の専門資料館として開館したとのこと。広い邸内は、雛人形や和時計などの生活用具、船主が嫁ぐ娘に持たせたという打掛、代表的な船絵馬や色鮮やかな全国の引札(江戸・明治期の広告チラシ)が数多く展示されている。中庭には紫陽花庭園が整備されており、5月下旬から6月上旬には見事な紫陽花が咲き誇っているのであろう。
 橋立停留所で13時21分の大聖寺行き加賀温泉バスを待つ。手ぬぐいを頭からかぶった格好でいる藤原クンを見て、同じくバス待ちをしていた地元の婆様たちが「昔はあんな格好している人が多かったよね」などという話を始めたので苦笑する。
 橋立から20分程で加賀市の中心地に近い大聖寺駅前に到着。ところがバスから降りようとすると、藤原クンがコンタクトレンズを落としたと騒ぎ出す。幸いにもこのバスは大聖寺駅前が終点だったので、運転手も一緒になってバスの床を捜索する。
「すみません。そろそろ次のバスとして運行しなければならないので…」
20分近く探したが、捜索はあえなく打ち切りとなる。ところが次のバスというのが、これから我々の乗車する予定だった大聖寺駅前を14時10分発の吉崎行きと判明。発車ぎりぎりまでコンタクトレンズを探すが見付からない。
「仕方がない。もういいよ」
藤原クンが力なくつぶやいた。私はソフトコンタクトレンズしか使用したことがなかったので、コンタクトレンズを落とすという経験はなかったが、ハードコンタクトレンズは小さいのでよく落ちることがあるらしい。
 加賀温泉バスは14時28分に終点の吉崎に到着。吉崎はてっきり石川県に属すると思っていたが、よく地図を確認すると福井県坂井郡金津町に位置している。今回ほど無意識に県境を越えてしまったのは初めてだ。
 吉崎と言えば本願寺系浄土真宗の布教拠点として名高い。1471年(文明3年)7月に比叡山延暦寺からの迫害を逃れるように京都から吉崎へ赴いた蓮如は、北潟湖畔の吉崎山に吉崎御坊を建立した。蓮如は教義を民衆にわかりやすく説き、御文(おふみ)と呼ばれる手紙を書き残したり、「南無阿弥陀仏」の六字名号を下付したため、吉崎には北陸から奥羽にかけて数多くの門徒が集まったという。そのため、吉崎御坊の周辺には坊舎や門徒の宿坊などが立ち並び寺内町が形成されたという。
 バス停から徒歩5分の吉崎御坊跡へ赴くと、1591年(天正15年)に豊臣秀吉が京都の西本願寺に寄進し、1949年(昭和24年)11月に移築されたという立派な念力門が構えている。1864年(元治元年)の蛤御門の戦いで、兵火から本願寺の堂宇を守った由来により火消門とも呼ばれているとの案内があるが、蓮如とは関係がないようだ。
吉崎御坊跡  さらに先へ進むと高さが5メートルもある高村光雲作の蓮如上人銅像が待っていた。周辺は約3万3,000平方メートルの平坦地が広がり、本堂の礎石や上人腰掛石などが残っているものの、吉崎の坊舎は、1506年(永正3年)に越前に侵攻した一向一揆を朝倉貞景が撃破した際に取り壊されてしまった。現在は近くに真宗大谷派(東本願寺)の願慶寺、真宗本願寺派(西本願寺)の吉崎寺があり、嫁威谷の伝説が残っているだけである。嫁威谷の伝説とは、次のようなものである。蓮如に帰依した嫁が吉崎に参詣するのを止めさせようとした姑が、ある日、鬼の面をかぶって吉崎に向かう嫁を途中の小谷で待ち伏せをした。そして、やって来た嫁の前に鬼の面を付けた姑が立ちはだかったが、嫁は念仏を唱えて吉崎へ向かってしまう。仕方がなく自宅へ戻った姑は、鬼の面を外そうとしたが、手足がしびれて動けなくなってしまったのだ。やがて嫁も吉崎から自宅に戻り、鬼の面を付けた姑を見て驚くが、姑が泣きながら嫁に詫びるのを見て、念仏を唱えるように勧める。姑が「南無阿弥陀仏」と唱えると、鬼の面が外れて手足のしびれも治まったというのだ。以来、姑も嫁と一緒に蓮如に帰依して、吉崎へ参詣するようになったという。願慶寺にはこの「嫁おどしの肉付き面」が残されているが、なんとなく蓮如を信仰しない者に対して呪いが掛けられたようで、好きになれない伝説だ。  吉崎からは芦原に向かいたいところであるが、停留所には大聖寺駅行きの時刻表しか掲載されておらず、吉崎郵便局で旅行貯金がてら確認してみる。
「かつては芦原へ向かうバスが走っていたのですけど、数年前に廃止されてしまって、今はありません。芦原へ行くのであれば、タクシーを呼んでもらうしかないですね。吉崎はご覧の通り、吉崎御坊跡とお寺があるだけの寂しいところですから」
 郵便局員は申し訳なさそうにそう言うと、わざわざタクシー会社に電話をして、タクシーを手配してくれた。福井県に属しながら石川県の加賀市とのアクセスを重視されているのだから変わっている。通常は県境を越える交通手段が乏しくなるものだが、ここでは県境を越えた後のアクセスが皆無なのである。金津町は福井県よりも石川県に帰属した方が実態に合致しているのではないだろうか。
 しばらく吉崎郵便局の前で待っていると、京福観光タクシーがやって来た。わざわざ芦原からやって来たようで、吉崎にはタクシーがなかったのだ。
「芦原湯町駅の近くで日帰り入浴できるところへ連れて行って下さい」
片山津温泉を素通りしたこともあり、まずは芦原温泉での入浴を果たしたい。
「それなら数年前に完成した温泉施設があるよ。入浴料金は500円ぐらいかな。セントピアあわらって言うんだ」
福井訛のある運転手が大きな声で話をはじめる。藤原クンは運転手の福井訛が気に入ったようだ。
 吉崎から芦原まで時間としては15分だったが、タクシー料金は3,710円とかなりの金額になった。道路は空いているのでタクシーは快調に走るが、吉崎からの距離は15キロ近くもあるのだ。
 信楽焼の陶板で造ったというピラミッドが特徴のセントピアあわらは想像以上に立派な施設である。何も知らなければ入館するのも少々ためらわれるが、タクシーの運転手が500円というのだから、その程度の相場で入浴できるのであろう。この芦原温泉も片山津温泉と同様に関西の奥座敷と呼ばれているので、なんとなく敷居が高いという先入観を持ってしまう。館内に入れば温泉以外にも休憩施設やラウンジ、売店、喫茶店、会議室などがあり、どうやら公共の施設としての役割も果たしているようだ。
 浴場は1階にある地の湯と3階にある天の湯に分かれており、男女で1週間毎に入れ替えるという。今日は3階の天の湯が男湯になっていた。さあ、汗を流そうと温泉に向かうが、藤原クンはラウンジで待っているという。もうすぐ民宿で風呂に入れるので、わざわざ温泉にお金を出してまで入る必要がないというのだ。まあ、節約しておきたい気持ちもわかるので、奥田クンと2人で3階の天の湯へ向かう。さすがに夏休み中だけあって、かなりの利用者がある。サウナも完備されていたが、もっぱら露天風呂で過ごす。もっとも、周囲は住宅街なので、視界は空がメインとなる。日が暮れると星空が眺めることができるのであろう。泉質はナトリウム・カルシウム塩化物泉で泉温は40.3度とのこと。無色透明の温泉なので、あまり温泉に入っている気がしないので物足りなかった。
 セントピアあわらで1時間程過ごして、芦原湯町18時19分の京福バスに乗り込む。今日の宿泊は越前松島にある「民宿やまで」を吉崎での待ち時間を利用して予約した。1泊2食付きで8,040円と外周旅行の宿泊先としては最高値を更新したが、このあたりではやむを得ないであろう。丸岡砲台跡を経て、電話で教えられた松島水族館で下車。水族館の隣にある脇道を進むと、「民宿やまで」にたどり着いた。
 部屋に入るなりテレビの高校野球に釘付けとなる。3人の地元である神奈川県平塚市にある平塚学園が夏の全国大会に初出場し、本日の第3試合に登場していたのだ。大会屈指の強豪打線を誇る熊本代表の九州学院を相手に7回を終了したところでスコアは4対8。ハイライトでは九州学院の主砲吉本の2打席連続ホームランを報じており、さすがに初出場で九州学院が相手では荷が重すぎたと諦めかけたところ、8回に1点を返すと、9回に2死から四球と3連続安打で追いつき、さらに逆転に成功。9回裏の九州学院の反撃を1点に抑えて軌跡の大逆転劇を演じたのであった。夕食は必然的に平塚学園の高校野球談議となる。
 「民宿やまで」の風呂は三国温泉であると聞き、気分よく入浴したが、後から宿泊料金とは別に入湯税150円が必要という。今更150円をけちるつもりはないが、オール込みで8,040円と言いながら、入湯税をさらに加算するのはおかしいのではないかという旨を伝えると、入湯税を徴収する代わりに部屋にあるコイン式クーラーを無料にしてくれた。部屋の冷房は無料のところが多いので、額面以上に割高だなと感じつつ眠りについた。

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